【完結】私は脳無、インブローリオ。ヴィラン連合の敵。   作:hige2902

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第七話 タコ焼き

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 アバンタイトル

 

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 ジェントル・クリミナルはガラス張りのビルを見ると思い出すことがある。

 

 あの日、ガラス掃除のゴンドラのロープが切れ、落下した人を助けようと個性を使った時の事を。

 時間がゆっくりと引き延ばされているような気がした。そんな中で、考えるより先に身体が動いていた事に対する喜びを確かに覚えた。

 

 受け止めるべく、空気を対象に個性を起動し、足場にして跳んだ。偶然通りかかったヒーローも助けようとして運悪く二人はぶつかり、清掃員は落下した。

 その時、一瞬だけ清掃員と目が合った。あの唖然とした顔が忘れられない。

 

 あの日からジェントルは、誰かを助ける為に個性を使った事は無い。

 

「大変だラブラバ! 何もしてないのにパソコンが壊れた」

「それは一大事ね! どういった症状なの!?」

「急に小文字の英語が入力できなくなってしまったんだ」

「それはたぶんキャプスロックキーを有効にしてしまったようね! すぐ直るわ!」

 

「さすが……さすがだよラブラバ。わたし一人ではどうしようもなかった。きみは本当にパソコンの先生だな」

 

 はーっはっはっは。と軽快な笑い声がアパートに響く。

 

 

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 Aパート

 

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「ちょっと旧友に会いに行く」

 

『猫』の個性使いである玉川 三茶が車を走らせているのは、助手席に座る上司、塚内 直正がそう言ったからだ。

 

 十字路の中ほどで対向車が途切れるのを待つ。右折ウィンカーがカチカチと鳴っている。

 塚内は車窓で頬杖をつき、ぼんやりと景色を眺めている。

 アクセルを踏み、ゆるやかに右折した。今年に入ってから何度目の道だろうか。すっかり慣れてしまった。

 

 三茶には、旧友に会うと言い出した理由がわからない。もとより上司である塚内の事を計ろうとするのは無駄だ。

 いつも穏やかな口元を崩すことのない表情は性格が温厚だからではなく、感情のブレ幅が異様に少ないからだと気づいたのは、部下になって二年が経ってからだ。

 悪く言えば昼行燈よろしくとぼけた顔立ちはしかし、彼の役職が否定している。警察全体で数%しかいない警部という地位を、わずか三十六歳という若さで上り詰めたのは歴史を覗いてみてもほんの一握りだ。

 

 要するに切れ者なのだ。その思考が理解できればヴィラン捜査に苦労はしない。

 三茶は別にホームズになりたいとは思わない。ただ、ワトソンを誰かに譲る気はないだけだ。

 やがて目的地である雄英高校に到着した。

 

「割と出入り口に近いところの駐車スペース、すっかり警察用に空けられちゃってますね」

 

「そういう形でしか母校に来れないのは、なんだかなーって感じだよ」

 短い嘆息の後、塚内は続けて言った。

「じゃあわたしは校長に話を通してくるから、三茶くんは……聞き込みしててよ。ヒーロー科以外のとこはまだ余地があるでしょ」

 

「そうですね。久しぶりと言えば久しぶりなんで、元気にやってるといいんですけど」

 

 三茶は塚内と別れて、貸し出し電動自転車に乗る。雄英の広大過ぎる敷地を移動する為に、学生証や来客証を持っている者は自由にシェアレンタルできるのだ。そのへんで乗り捨てても、しばらくすると元の場所に自動運転で戻る優れもの。

 サポート科の方に行ってみるかと漕ぎ進める。やがて自然公園のような景観に不釣り合いな工業臭が、三茶の黒い小さな逆三角形の鼻をくすぐる。金属と薬品が入り混じった何とも言えない空気だ。

 

 サポート科の棟に着くと、一匹の猫がにゃあと出迎えた。そのまま歩きだしたので、三茶は自転車を降りて後をついていく。

 草木をかき分け、何が入っているのか立ち並ぶ巨大なタンクを抜け、試射場を横目に過ぎ、様々な資材を搬入している様子を見ながら、やがて第三食堂に到着した。

 すでに昼時は過ぎていたが、あの何とも言えない腹をくすぐる油の匂いはまだ漂っている。

 裏手に回ると、数匹の猫がまったりとくつろいでいた。にゃあと鳴く。

 

 三茶は用心深く周囲に人の気配が無いかを探り、にゃあおと鳴いた。

 

 そのまま腰を下ろして、うにゃうにゃと『猫』の個性でコミュニケーションを取り、何か異常は無かったか、不審者の影を見なかったか聞き込みをする。

 この個性の強力なところは、猫は人間社会に食い込んでいる点だ。誰もそこに猫がいることに疑問を持たないし、見られても気に留めない。特に都心での聞き込みは重宝する。欠点と言えば、誰かに見られると非常に恥ずかしい。

 

「なにやってるんですか」

 

 はっとして三茶は振り返る。そこにはジャンプスーツの前を大きく開けたタンクトップの少女がいた。ピンク色の髪を揺らし、ゴーグルをずらして興味深そうに見下ろしている。

 み、見られた。咳払いでごまかしながら三茶は言った。

 

「いやまあちょっとね」

 

 猫と会話できる事はあまり言うべきではない。猫を介してプライベートを知ることが出来ると危険な連中に伝われば、猫狩りが起こってもおかしくはないからだ。

 

「すごいコミュニケーションが取れてたみたいですけど」

「単に猫が好きなだけだよ。きみ、授業は?」

「フィールドワークというか、どっ可愛いベイビーの実働テスト中です」

 

 ほら、と少女が足元を指さす。猫の脚のブーツを履いていた。

 

「猫に触りたいのにどーしても逃げちゃうので、足音や気配が猫のようになればこっそり近づけるんじゃないかと」

「それは、言いにくいがきみ、油や薬品の香りが……少しするからだと思うよ」

「そーなんですかねえ」

 

 くんくん、と少女は前腕あたりを嗅ぐ。

 

「落ち着くいい匂いしかしませんが」

「猫にはちょっとね、あーそうだ。この辺で何か変わった事は無い? 申し遅れたけど、わたしは玉川 三茶。警察の者です」

 

 せっかくなので人間の方にも聞いてみる。そうしなければ猫といちゃつく変なヤツで終わってしまう。

 

「それなら案内しますよ」

 

 と、少女はサポート科の棟へ、したりしたりと歩き出した。

 着いた先は、精密機器を扱うクリーンルームの入り口だった。二重扉には、ポップな絵柄のポスターが張られている。

 

『パンケーキを作ることを禁ずる』

 

「これは?」

 と三茶。

 

「この妙なポスターはですね。なぜかすべての実験研究室、資材倉庫、サーバールーム、サポート科一人一人に与えられた工房のドアの全てに張られているんですよ。生徒手帳の校則にまで同じことが書いてあります」

 

「最近になって?」

「いえ、もう二十年? くらい前からだそうです。どーしてなのか気になったんですが、誰に聞いてもよくわからないとか覚えてないとかで誤魔化されてる気がするんですよね」

「うーん、それは変わった事じゃなくて雄英の変わった所だね」

「あれ、ダメでした? でも気になりません?」

 

「確かに気にはなる」

 

 むむむ、と顎に手をやっていると、塚内から連絡が入った。どうやら話は済んだらしい。少女に礼を言って合流した。

 三茶の運転で帰路につく。

 

「それで、旧友とは会えたんですか?」

「うん? いや、ここにはいないけど」

「え、てっきり雄英で働いている方かと」

「ちょっと人を借りる為に校長と話しただけだよ。旧友に会うのに、いたら楽だから」

 

 あいかわらずだな、と三茶は小さく笑った。なぜ人に会うのに雄英の教師の手を借りなければならないのか。

 

「あ、この辺で停めてくれる?」

 と言って塚内は足早にタコ焼きを買ってきた。

 

 コンビニで飲み物を用意し、車内で小腹を満たす。

 はふはふと口に放り込むと、濃厚なソースの味にとろりとした生地が混ざり、ごろごろのタコの味が美味かった。『熱量感知』の個性で焼いていると店主は言う。味から推察するにたぶん本当だ。

 

「あー、これはおいしいですね」

「だろ。この近くに公園があるんだけどさ。旧友とよく下校時にそこでこのタコ焼きをよく食べてたよ」

「その方、塚内さんと同じ普通科だったんですか?」

「いやサポート科だったよ」

 

「いまはどちらに?」

「わからん。けどまあそのうち向こうから会いに来るさ」

「はあ」

 

 あれ、よくわからん。こっちから会いに行くんじゃなかったか? 

 けどまあいいかと三茶はタコ焼きを平らげた。

 塚内が会うと言っているのだから、その旧友がたとえどれほど会いたくないと思っていても結果は同じだ。あれこれと気を揉んでもしょうがない。

 

 

 

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 Bパート

 

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「もう飽きた」

 

 いつもと変わらない雑居ビルのワンルームで、博士が悲哀まじりにそうこぼした。

 節電の為に薄明かりの室内は陰鬱で、そこらかしこに大小様々な部品や精密機器、分厚い本が散らばっている。巨大な足裏ベッドが鎮座ましましており、一層の不気味を膨張させている。外から入る自動車の走行音だけが唯一の日常。

 

 夜色の巨体、インブローリオが突き放すように言い放った。

「飽きたなら、もうやめれば」

「いつまで続けりゃいいんだよ。うんざりだ」

「だからやめろって」

「そういう事じゃないんだよ! さすがに飽きたって言ってんの!」

 

 そう叫んだ博士の持つ割り箸には、一口大の黒い物質が掴まれている。

 

「でもお金ないじゃん」

 とインブローリオ。消化器官諸々の内臓が無いので、食事は娯楽としてしか必要ない。なので博士が実験として食べているのを頬杖ついて眺めて言った。

「マズいんなら食べるの、やめろ」

「マズいとは言ってない」

 

 博士の目の前には、どんぶりにこんもりと盛られたインブローリオの個性のぶつ切り。見えないが、その下には白米が申し訳ない程度に敷かれている。

 悪の秘密結社の食糧事情を解決する一手として考案されたこのどんぶりは、博士が初めて個性ユーチューバーとして撮った動画に着想を得ている。

 そう。インブローリオの身体の一部は、また食べたいとは思わないが、不味くは無かったのだ。

 

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 インブロ丼。

 

 材料。

 インブローリオの身体の一部、適量。

 白米、所持金に比例した量。

 塩その他調味料、なくてもOK。あった方がもちろん良い。

 

 調理方法。

 1 『白い刃』 ──博士の開発したサポートアイテム、設定された速度以上を検知すると、重力、空気抵抗を考慮し、最適な形状を得るシロモノ── で一口大に切り分ける。まな板まで切れるので、生やしたまま的確な入射角と速度で切る事。半端な包丁では刃が通らない。

 2 柔らかくなるまで煮る。その時のインブローリオの気分によって茹で時間が異なるので、適宜確認。なんとか齧れるようになればOK。

 3 炊き立てのご飯の上に盛って完成! 温かいうちにどうぞ。冷めるにつれ非常に硬くなります。

 

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 食事とは別で作って、茹でる温度や焼き方を試行錯誤してみてはいるがダメそうだ。だいたいいつも同じような歯ごたえと味になってしまう。博士もさすがに飽きた。

 

「つーかさー、仮に美味しい調理法を見つけたとしてもおまえ一人で食べろよ。自分自身を食べたくないんだけど」

「やっぱダメかあ」

 

 うう、と博士は触手を一口やった。スジ肉とホルモンを掛け合わせたような弾力性は、顎と歯を著しく摩耗させる。舌の上で転がり続ける食感はマシュマロのよう。味も、なんなんだろう、寝ながら食べればササミかもしれない。

 

「だからー、嫌なら食べるなって」

「作ったらなんかもったいなくて。でも時々すごい美味しい部分がある。なんだこれ、どっかで食べた味のような気が……なんだっけ」

「美味しいって言われると、それはそれで微妙な気持ちだな」

「せめて焼き肉のタレとかあれば……」

 

 その様子を、インブローリオはなんだか懐かしい気持ちで眺めていた。児童養護施設で嫌いな食べ物が出された時、自分も似たような反応したっけ、と。全般的にとにかく薄味で、やたら調味料をかけて誤魔化していた。

 そんな感慨にふけっていると、テレビからいつものワイドショーが流れた。

 真面目そうな男性アナウンサーが口を開く。

 

『続いてのニュースです。近年の個性犯罪の増加によるインフラの劣化がアレなので、都は、上下水道、地盤の再調査および整備を行う事を発表しました』

 アナウンサーがタレント司会に話題を振ると、神妙な顔で返しが来る。

『これ税金が投入されるわけでしょ? いくらヴィランを捕まえる為ったって、インフラの劣化はヒーローの個性によるものがあるんだから、ヒーロー協会が支出するべきなんじゃないですかね』

『歌羽区から順に、公共インフラが集中している区を対象とした計画断水がアレされるとの事です。みなさんも水の確保を行い、必ず水栓を閉めてください。医療機関、社会福祉施設への影響は無いそうです』

『歌羽といえばマウントレディがドタバタやってた所ですね。土建屋との癒着もあるんじゃないんですかああ!』

 

「うわマジか、隣だな。すぐこっちも断水になるぞ」

「当分、ヴィラン狩りは休みにする?」

「作業員とバッティングしたら通報されるしな。幸いにもこないだのヴィランが小金持ちだったし」

「オッケー」

 

 と言ってインブローリオは冷蔵庫からプリンを取り出し、スマホをスワスワしながら足裏ベッドでぐでーっとだらける。黒霧という名を手に入れた事もあって、多少は精神的に余裕が出ていた。

 カラメルのかかったプリンが、スプーンで小さな口に運ばれた。

 

 

 

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 カラメルのかかったプリンが、スプーンで小さな口に運ばれた。

 

 咀嚼もほどほどに飲み込んで、ぼさっとソファに座りながら、ネットフリックスを眺める一人の女性がいる。

 その気の抜けた雰囲気からは想像できないほど手入れされた、ゆるやかなウェーブの稲穂色のロングヘア―。普段はぱっちりとした瞳だが、今は半眼でぼんやりとしている。肉付きの良い身体は、着古した高校の頃のジャージで映えない。

 これがいま最も人気のある新人ヒーロー、マウントレディのオフの姿だった。現在は個性の使用を伴うヒーロー活動後の為、法の定める時間まで休憩中である。

 

「そういえば知ってます?」

 と事務員がデスクワークをしながらマウントレディに探りを入れる。

 

「なにがー?」

「最近、シンリンカムイさんの人気が上がってるそうですよ」

「あの盆栽フィギュアの第二弾でも出たのー?」

「なんかこないだのドキュメンタリーで、けっこうキツイ幼少期だったみたいなのが明かされてから、こう、ギャップ萌えっていうんですかね。ほら、彼ってマジメな感じなんで、いいとこの育ちって印象がガラッと変わったというか」

 

「へー、それは結構意外ね。でもわたしわかんないのよねー、そういうギャップ萌えっての」

 

「ヴィラン側に行ってもおかしくない境遇を踏みとどまった感じが、グッと来ません?」

 あれ、あんま食いつかないな、と事務員は内心で小首をかしげる。というかてっきりあの番組は視聴済みだと思っていたが。えひょっとしてもうシンリンカムイさんからこっそり打ち明けられてたりする? もうそんな仲なの? 

 わからん……もうちょっと踏み込んでみるかと続けて言った。

「あの番組以降、女性ファンが急増したって向こうの事務の方が言ってましたよ。闇を抱えてる事にクラっときたらしいです」

 

 どうだ、どうなんだ! 事務員はマウントレディを盗み見る。なにかしら、もじもじするなり赤面するなりの『巨大化』の予兆くらいは──

 

「ふーん。でもわたしのこの、普段は眉目秀麗だけどオフは家庭的ってギャップはちょっと世間には見せらんないねー」

 

 んえーなにこの余裕の態度。なに? 既にニワカ女性ファンとかじゃ揺るがない関係だったりするの? えーもうそんな、えーマジかー。いや良い事なんだけどね。ただ週刊誌にすっぱ抜かれるのは困るってだけで。っていうか物ぐさなのを家庭的って言っちゃうのはどうなの。

 

 事務員は何とも言えない気持ちで、将来的に夫婦でのヒーロー活動で売り出す企画を練った。

 

 そんな事務員の心境など知るはずもないマウントレディは給湯室へ向かう。

 蛇口をひねると断水後という事もあって白く濁っていたが、すぐに元の水になった。

 

「つーかこないだのニュースでわたしがインフラに負担を掛けてるみたいなこと言われたんだけどさー、あれ事務所的にどーなの? てかこの辺はもう新建築基準を満たしてんじゃないの」

「一報しときましたが、うちはいろいろと悪目立ちしがちですからね」

「ふーん。ま、それくらいのバッシングは気にしないけどね~」

 

 たらららーん、と自分が出たCMのフレーズを口ずさみながらインスタントコーヒーを淹れるマウントレディ。

 それを見て事務員は、二人の仲はかなり順調なのだと確信した。

 

 

 

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 闇を痛めつけるような、鋭い月光の射す夜だった。

 

 いつものようにヴィラン狩りに勤しむインブローリオだったが、今までとは一つ違う事がある。

 

「黒霧という個性使いを知っているか」

 

 ステイン以降のぽっと出のチンピラが、ボコボコにされた顔面をゆっくりと横に振る。

 金目の物を奪い、その場を後にする。

 

「外れだった」

 

 と言いながら財布を物色した。保須市で脳無が大暴れした後、火災保険詐欺で儲かったと自慢気に話していたので組織犯の中心人物かと思ったら、ただの末端バイトのようだ。

 軽い落胆を覚えていると、インカムに博士から通信が入る。

 

『インブローリオ、耳よりだ。歌羽区でヴィラン連合と深い関わりのあるヴィランがいるらしい』

「ホントに? あそこヒーローが多くてめんどくさいんだよね」

『大通りや便利な駅があるしな。まだヒーローは到着してない、間に合うだろ』

 

 インブローリオはビルの上を跳ねながら尋ねる。

 

『ガセじゃないだろうな』

「いつもの警察無線の傍受だから確かだ」

『ならいいけど』

 

 ぬたりとマンションの屋上に降り立った。そのまま『触手』で壁に吸着しながら、目的の部屋のベランダに移動する。情報によれば、ヴィラン連合に資金提供している特殊詐欺の拠点らしい。

 が、空き家のようだった。カーテンも無い。

 

「部屋間違った?」

『そんなはずは』

 

 博士はインブローリオの体内に格納されていたドローンを飛ばして周囲を確認した。ヴィラン連合に繋がる人物にしては警察車両が少ない。

 同時に鋭い明かりが夜色の巨体を射す。拡声器で増幅された声が響く。

 

「自称脳無、インブローリオ! 個性の無許可使用およびヒーロー活動の公務執行妨害のアレで」

 

『釣られた? めんどくさいな』

「すまん、もう無線傍受は使えんな」

『……まーいいよ。しょうがない、逃げれば済む話だし』

 

 インブローリオは不満そうに地上に飛び降り、路地裏へ逃げ込む。

 

 しかし罠にしてはヒーローの姿が見えない。すると近くの駐車場で車に寄りかかっている男がドローン映像の端に映った。スマホで通話している。その面影には見覚えがあった。拡大して血の気が引く。

 

 目が、合った。

 反射的に叫ぶ。

 

『マンホールに入るなッ!』

「え? なんで。てか言うの遅い」

『戻れるか?』

 

 インブローリオがマンホールの蓋を押し上げようとすると、穴からどろりとしたモノが滴った。表皮に付着すると硬化しだす。

 

「コンクリ?」

『その場から離れろ!』

 

 くそっ、と下水に落ち、飛びのくと大量の『セメント』が流し込まれる。

 

「このままいつもどおり逃げていいんだよね? 何が起きてんの!?」

『そうするしかない。が、ヤバすぎる。なんでこんなに早く……警察やヒーローとは積極的敵対関係にないはずだぞ』

「おい! 一人で納得するな!」

 

 博士は固唾を飲んで言った。

 

『裏に塚内がいる』

 

 その声色に、インブローリオは慎重になった。

 

「……それって例の敵に回したくないヤツだっけ。そんなになのか? ん、あ? なんだ」

 

 目を凝らすと、通路の奥から何かが押し寄せてくる。大量にうねり生い茂る『樹木』だ。

 

『引き返せ、閉所だと質量で圧迫されるぞ!』

「あんな細枝なら引きちぎれば」

『腕を振る空間が占有されればそれも出来ない』

 

 毒づき、ルートを変更する。悪の秘密結社にとって、何度も往来してきた下水道は庭のようなものだった。取る道はいくらでもある。適当なマンホールから地上に出て多少強引にでも引き離そうとしたが、先読みされているかのように大量の『セメント』が行く手を阻む。

 

「はあー!? なんでこっちの動きがわかるんだよ!」

『……おそらくだが歌羽区の下水道にはセンサーが仕掛けられている』

「毎日のように下水道を通ってるけど、そんな事してるヤツらは一度も見たことないぞ!」

『けどおれたちが確実に活動を中止する時があった。仮に目にしたとしても気にも留めない』

 

「おまえが塚内を恐れる意味が分かった。都を巻き込んだのか」

『そんな大々的に動ける予算は無いはずだ。もともと行われる予定のインフラ調査に乗っかったんだと思う』

「じゃあアジトもバレてる?」

『下水道すべてにセンサーを付けるのは人、金、時間的に無理だ。ここにヒーローが踏み込んでないって事は、歌羽区のオトリの周辺だけだろ。そう願いたい』

 

『土流』による土砂の壁が迫る。

 どうもただ追い掛け回されているのではなく、特定のルートを通るように誘導されているようだ。

 

「ヒーローどもはこのままわたしを押しつぶすつもりか?」

『それは無い。必ず投降を求めるはずだ』

 

 やがて上へ続く一本の縦穴の下へと追い詰められる。頭上には大きな空間があるのか、低く唸るような空気の音がした。

 前からは『樹木』、後ろから『土流』がゆっくりと距離を詰める。

 

「誘いに乗るしかないか」

 

 一息で縦穴を駆け上ると、追撃は無かった。

 そこは広く、暗く、天井の低い場所だった。空気は悪く、打ちっぱなしのコンクリがどこか不気味だ。

 

「なんだここ。建物の中? 地上に出たのか?」

『いや、違う。まだ地下だ』

 

 とりあえず出口を探そうと歩を進めると、インブローリオの目線の先の闇から、深く、厳めしい男の声色が地下に響く。

「……本当にここに追い込むとはな。このまま湿気た場所で待ちぼうけかと思ったぞ」

 

「誰だおまえ」

 インブローリオは歩みを止めて構えた。

 

 男が傲慢さをたっぷりと込める。

「自称脳無、インブローリオ。長らくヒーローから逃げ続けたようだが、このおれには敵わん。諦めて投降しろ」

 ぽうっ、と暗がりに灯火が浮かぶ。

 

「は? なんだえらそーに。おまえをブチのめせばいいだけだろ」

『何か案を考える。持ちこたえてくれ、無理に戦うなそいつは!』

 

 人魂と言うにはあまりにも生命に燃えているそれは徐々に大きくなり、待ち構えていた人物の輪郭が明らかになる。

 

「ならばムダな足掻きを見せてみろッ! このエンデヴァーに対して!」

 

 轟轟と、『ヘルフレイム』による炎が男の背から羽ばたくように広がり、ここがどこなのかも明かした。

 地面には年季の入った白線、整列された車止めブロックが並んでいる。

 

 地下駐車場の電灯が点った。

 空気が希薄になる。いつからか迷い込んでいた枯れ葉がちりちりと燃え尽き、灰になる。陽炎が朧に揺れた。

 ヒーロービルボードのナンバー2が、不遜に仁王立ちをしている。

 

 

 

 ─── 

 

 エンディング

 

 ───

 

 

 

 どっ、とインブローリオは柱に身を預ける。その体躯は二回りほどやせ細っており、右腕は失われていた。骨格にしていた硬化材の人口骨が、何本もコンクリートの上に転がっている。

 再生が追い付かず、『蔦』『蛭』『触手』の水分は失われて、体表は枯れ木のようにひび割れていた。

 


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