それは本当に短い時間で、再びゲームがひっくり返された。
バーグ連邦保安官の手で警備装置が破壊され、ホープカウンティ刑務所はマヒ状態に陥った。
正門は誰も入ることを遮らないと大きく開いたまま動かず、警報や警備装置も沈黙。もはや頼みはそこにいる人の力に頼るしかなし。
そんな留守を守っていたクーガーズは慌てて外に出ていたアーロン保安官とトレイシーに戻ってくるように連絡を入れたものの。トレイシーは間に合ったが、アーロン保安官は戻る前にフェイスの反撃が開始される。
アデレードのアリーナにはこの時、グレースとシャーキーがいたが。
ホープカウンティ刑務所の異変に気が付かないまま、突然に押し寄せてくるペギーの波状攻撃に必死に反撃し。ダッチやホランドバレーに向けて助けを求めるだけ。
ここでようやく、ダッチがヘンベインリバーで大規模なフェイスの反撃が始まったことを理解するが。
出せる助けはと言うとホランドバレーのニックのカタリナくらいしかなく。しかも彼ができることはひとつだけ。
レジスタンスの大敗北は、今や時間の問題……ダッチは口にこそしなかったが、真っ青に血の気の失ったまま。
無線機の前で立ち尽くすしかない。
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ホープカウンティ刑務所はもはや口を開いた箱も同然だった。
激しい抵抗もむなしく、夜が来るとペギーによってついに刑務所は占拠された。最後は刑務所の出入り口から突入され、「部屋から出てこないなら、建物ごと焼く」と言われては、無念であっても降参するしかなかった。ペギーはニヤニヤと笑みを浮かべ、クーガーズ達は正しく捕虜として刑務所の独房に放り込まれてしまう。
それでもまだ希望はあった。
「マリーナのほう、かなり難しいことになってるらしい」
「あの婆さんか」
「こっちは終わったんだ、俺たちが助けに行けないのか?」
「それはダメだ。まずはフェイスに報告に戻るぞ。なに、彼女も今回は本気だ。アリーナの連中にはここで捕まえた奴らの仲間の命を盾に降伏を迫るだろう」
「奴らがそれを無視したら?」
「……それはあいつらの選択だ。俺たちのせいじゃないさ」
両手を拘束され、ひざまずいていたトレイシーはそれを聞いてため息をつく。
どうやらアデレードも同じように攻撃を受けたが、助かりそうだ。もっとも、この先にはやられた自分たちに楽しい未来はないようだ――。
この時。
刑務所からも見える遠く山道の上を飛び続ける弾丸のように、一直線にむかっている危険な存在がいた。
1973年8月21日――。
銀河系最強伝説を打ち立ててしまったスタントマン、モンタナ州ホープカウンティ生まれのクラッチ・ニクソンにはまだ独創性を失ってはいなかった。
彼は
木と岩が入り乱れる死の迷宮へ飛び込み、観覧者たちの呼吸が止まった。
クラッチ・ニクソンはこの時、喜びの絶頂の中で雄々しく射精を繰り返したが。これが不幸にも体重に変動を生み、空気抵抗にわずかな乱れを生じさせた。
おかげでもっとも難しいポイントを通過した際、大腿骨を木の枝に貫かれる悲劇が襲う。
しかし幸運なことに、急激に失っていく血のおかげで浮力と空気抵抗を得ることに成功。下半身を真っ赤に染め上げた彼は、湖に着水する寸前にパラシュートを開くと湖の底へと沈んでいった。
そう、こうして人間は翼を得るという現実を認識するにいたったわけだが。
それと同じレベルの挑戦が、それも女性の姿でこの夜に行われたのである。ゴッサムシティの夜を支配するバットマンのように、刑務所の屋根の上で突如パラシュートを開いて減速すると。ジェシカ・ワイアットは自分の身体を砲弾のかわりにして警戒するペギーの上へと飛び降りた。
腹がつぶされた虫の不愉快な最後のあがきを思い出さないようにし。
もがく男から狙撃用のARライフルを奪うと、それを使って刑務所の外周に配備されたペギー達の背中を撃っていく。
「ジェシカ、中にはどうやって入る?」
口には出していたが、どうするかはすでに決めていた。
ここに来た後、アーロンに刑務所の設計図を見せてもらっていた。軍人時代のクセで、防衛を考える際についでに攻撃についても考えておいたのだ。
屋根から大きな通気口を目指して移動すると、そこに建物を身軽にここまでのぼってきたらしいピーチズとばったり目が合ってしまった。
「まさか、私を手伝ってくれるつもりなの?」
(いくわよ、下郎)
微妙な笑みを浮かべるジェシカの前を素通りし、ピーチズは自ら通気口の中に入って潜入してしまった。
どうやらついてこい、ということか。さすがクーガーの愛される女王様である。
ペギーはこのジェシカの再登場を全く想定していなかった。
いや、それどころか実のところ。彼女がレジスタンスにいなかったということすら、知らなかった。
すでにヘンベインリバーのレジスタンスの本拠地である刑務所を落とした後とあって、残された兵力は少なくはなかったものの十分というほどではなかったし。バーグ連邦捜査官が破壊した装置類の修理は明日の朝以降に手掛けることになっていた。
そんなところに危険なジェシカが、クーガーを引き連れて戻ってきてしまったのである。いったいどうすればよかったというのか?
外での異変に気が付いていない、建物の中のペギー達は好きなく巡回していたが。通風孔から不気味なうなり声を耳にしたり、背後に不穏な気配を感じた順に市が彼らに襲い掛かる。
ピーチズは飛び出せばペギーの首筋に的確に噛みついて骨を砕くと、静かにそれを床に置き。ジェシカも飛び降りては組み伏せ、投げナイフをふるい、ライフルの銃床をつかって殴り倒した。闇にまぎれる襲撃者達は、ペギーに自分たちの存在を気付かせず。それどころか彼ら自身が攻撃されていることにすら感じさせない。
まるで映画を流れがあちこちで繰り返され。
皮肉にも最後のひとりだけが、倒れて動かなくなった見方を確認してうろたえたが。彼が次にどうしよう、と考えつく前に後頭部に冷たい銃口の感触を知る――。
何度も繰り返すが、ジェシカの不在と帰還が。フェイスの完璧な反攻作戦を失敗に導いた。
目まぐるしく攻守入り混じったと表現するべきなのだろうが。実を言えばヘンベインリバーの両者はすでに疲弊しきっていた、という可能性があった。
古の兵法書に曰く『疲弊した兵士では守っても堅いことはありえず、戦っても走って逃げる。つまり軍は必ず死者を出して瓦解するのである』(三略から要点のみ)とある。ならばフェイスの兵も、レジスタンスのクーガーズも。すでに緊張の限界を突破しつつあったのかもしれない。
とにかくジェシカは捕われていた中にトレイシーがいるのを確認すると、彼女によって足りなかった詳しい情報を聞くことができた。
あえて加えるなら、ここを攻撃したペギーの部隊の大半はフェイスの元へ戻ったが、それはあのアーロン保安官がついに捕らえられたから、ということ。
どうやらまだ苦しい状況は終わったわけではないらしい。
「まったくあいつら、どうやってここを――嘘でしょ」
「――ヴァージル」
警備室の扉を抜けると、そこで起きていた惨劇の光景を見て2人は言葉を失った。
バーク連邦保安官は自分の頭を吹き飛ばしていた。その手が最後に握っていたであろう、床に転がっていたペレッタM92Fを私は拾い上げる。
残弾はない――最後の一発を自分に残していたのだ。
トレイシーはショックだったのだろう。
取り乱して泣きながら冷たく変わり果てたヴァージルの遺体に縋りつくと、その頭を両手で挟んでどうか息をしてくれと懇願を繰り返している。
(頭に1発、胸に2発)
バークがなぜ銃を持っていたのかわからないが、彼がそれを手にした瞬間からヴァージルの運命は決まってしまったのだ。
なぜかどこかでフェイスの笑い声を聞いた気がした。同時に私にフラッシュバックのような――フェイスと並び、ヴァージルとバーグに怒る一部始終を見続ける――既視感を覚えるシーンを見る。いや、それはない。私はそんなことを”知らなかった”。
ジェシカは泣き続けるトレイシーの手に自分の手を重ねて止める。
「彼は逝ってしまったわ。もう休ませてあげましょう、トレイシー」
「ウグッ――保安、官」
「なに?」
「これが、これがあいつらのやり方だ。いきなりやってきて、奪って、破壊する。それが自分たちなら当然だと、思ってる」
「……そうね」
「見つけて、フェイスを!あのクソ女に、自分がしたことのツケを、思い知らせてやって」
悲しい目をするトレイシーだが、その中から激しい復讐を求める炎が燃え上がる瞬間を私は見てしまった。
「わかってる。ここはまかせるわ、アリーナのことも気にしていてね」
ヴァージルの死に、私も静かに激怒していた。
なるほど、フェイス。これがあんたの暴力というわけか。
お互いが復讐の権利は自分の手にあると考えているわけだ。ならば、残るはこの報復の炎でどちらが先に朽ちて果てるのか確かめるだけ……。
グレースらの協力を得てホランドバレーから持ち込んできた武器はペギーに奪われていた。
武器庫の前に立ち、あいつらがここから”私の武器”を喜んで持って行ったのかと思うと、さらにはらわたが煮えくり返るようにして熱くなる。
投げ出される空箱の中、残っていたのは持ちにくい大物ばかり。
ジェシカは力強く箱の中のM60を取り出した。その隣に弾薬箱を置く。やはり重い、11キロを超えるのだ。当然だろう。
それらを抱え、次にドクターの部屋に突撃する。
「おっ、おい!ジェシカ保安官じゃないか。なんだ、びっくり――」
「ドクター、頼みがあるの」
「ああ、それはいいが。君はこんな大変な時にどこにいたんだ?」
「”祝福”がここにあるわよね?それをよこしなさい」
「――保安官、君は自分の状態をちゃんと理解しているのか?」
「ええ、でも私はここに戻ってこれた。またそうするつもりよ」
「駄目だ。許可できるわけがないだろう?私は医者なんだぞ」
「出せ――」
私はペレッタをドクターに向けてつきつける。
もちろん本気ではない。それでも、強情なら両足の膝を撃ち抜くくらいまでならやるだろうが。
彼も分かっていたが、ため息をつくと机の引き出しから粉の詰まった袋を取り出して差し出してきた。
「危険なんだぞ?保証はない」
「でもこれを使えばまたフェイスに会える。トレイシーはフェイスは頭の中に入り込むって言ってたけど、たぶんそれは違う。
この頭の中にもうすでにフェイスの居場所はわかっているのよ。だからこっちからいくなら、やるしかない」
「こっち、からだって!?まさか保安官、君は――」
「アーロンが捕まってるっての。フェイスはまだここを失ったことは知らない。アデレードが気を引いてくれている、今がチャンスなのよ」
ピーチズによって目を覚ました私は考えた。
神がいないのと同じように、フェイスにそんな力があるとは思わない。
とするなら、最近の私をおかしくさせているこの現象。
これは洗脳技術を使うと言うフェイスの情報が、すでにこの頭に入っているからではないか?そうでなければフェイスの姿も、声も、なにより時に直接語り合うような違和感の正体が説明つかない。
もう、後戻りはできなかった。
自分という人間が天使となって”消える”未来がちらつく。ならばあえてそれが妄想でも、ただの幻であったとしても。本当にフェイスに会う方法だと信じられるものはやらないという選択肢はない。
外に出て、門の側に止められていたやつらの車に乗り込み。エンジンをかけた。
息を吸ってから、大きく吐く。落ち着け、これしか私にはないのだ。
――血を流すのよ。そうでなければサバイバルでは生き残れない。
袋を乱暴に破くと、それを自分の顔めがけて叩きつけてやった!
ピーチズはジェシカの乗った車のそばまで来てじっと待った。
車の外に白い粉が吹き上がるが、それ以外に動きはないように見えた――。だが、数十秒が過ぎるとゆっくりと車は動き出し。徐々にそこから加速していく。
車道を走る1台の車と、それを追いかけるクーガーの姿が夜に映えた。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
フェイスは勝利した。
だが、それに満足して余韻に浸ることはなかった。
あの女――ジェシカ保安官は必ずや報復にここに来る。その女としての勘が、彼女を動かし続けている。
「聞くのよ!
この瞬間からバンカーは緊急事態に突入したわ。私たちはファーザーの御意志に従い、果敢に動かなくてはならない!
まず”祝福”の生産量を100%にするの。
置き場所がなくなったら、そのまま川に廃棄するくらいでいいわ。
次に今、手元にある”祝福”は輸送車を使って可能な限りジェイコブに届けなさい。
原料がなくなったら、このバンカーは放棄します。
悔しいけどジョンの過ちを繰り返すわけにはいかない。警備は私と”天使”たちがおこないます。
あとは指示通りに動いて。さぁ、今から!」
幽霊のように、フェイスの号令で動き出す信者たちだが。
フェイスはその中に立つひとり、ティムの前に立つ――。
「あなた、私を信じる?ファーザーを信じている?」
「あなたを信じます。ファーザーを、神の声を信じます。私はよき人になりたい」
「――なら、ついてきなさい。いつもの場所へ、時間がないわ」
ティムはフェイスについて、バンカーの中へと入っていく。
いつもの場所へ、あの部屋へ。自分だけが教えてくれた、本当のフェイスに会える場所。
だがこの時、ティムは彼の愛する本当のフェイスが。何を求めているのか、それに気が付くことができなかったのだ――。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
深夜、山道をまっすぐこのバンカーに向かってくる車があるとの報告が入った。
バンカーの前で対決の時を待っていたフェイスは、その知らせを受けるとスピーカーからアメージング・グレイスを流し始める。
この曲を聞いて、山野に解き放たれていた”天使”達はまっすぐこちらにむかって戻ってくるはずだ。
(やっぱり来たのね。ジョセフの予言の通り、あなたは私の声を聞かなかった)
フェイスはジョンと同じく自らが戦いはしないが、シードの名を名乗る以上。ジェイコブのようにジョセフの使徒として戦う準備はある。
このバンカーにはアメリカ軍から購入したMk19グレネードマシンガンの砲台と、彼女がどうにか使える可愛らしいピンクに塗られたダネルMGLグレネードランチャーが壁に立てかけられている。
この細腕で銃を撃っても当たるとは思えないが、爆発するグレネードならその心配はいらない。
美しいあの世界の中に私はいる、もうだいぶ見慣れてきた。
いつになくはっきりと、フェイスの声が響いて聞える。
――ここは想像もできないような素晴らしい場所でしょ?
――私たちがなにができるのか。これであなたにも理解できたんじゃないかな
これはただの幻だ。
約束されたものではないし、薬が見せている夢でしかない。
これに奇跡を感じろとはあまりにお粗末すぎて、思考力があるのか疑いたくなる。
――皆が歌っているわ。アメージンググレイス、楽しく
視線の先、遠くに向かって歩く人々の姿が見えた。
彼らは確かに歌っていた。そして、刑務所から連れ去られていったというクーガーズ達だった。
(アーロン!?)
一輪の花を両手で抱えるように持ち、彼もゾンビのようにその列に続いている。
――彼らは幸せよ。
――ファーザーに救われる。あなたにもそのチャンスはあった。
――ファーザーはいつもあなたの行いを見ている。あなたが作り出したことも。
私の足元に火が走り、草花がたちまち焦げて朽ちた。
しかし私に痛みはない。これに熱はない、私は冷静だった。
私は歩みを止めない。
歩き続ける仲間たちを追って、今からその先頭に立って彼らをもとの場所に戻そうと考えている。
――未来は見たでしょ?ファーザーが見せてくれた。
――なのにあなたはなぜ戦い続けるの?
――世界は破滅に向かっている。”崩壊”はすぐそこまで来ている。
――ファーザーだけがそれを知っていた。
――彼は私たちの不安を消し去り。自由にしてくれる。
もう十分だろう。
いつの間にか手にしていたM60を、当然のように私は構えて重さを確かめる。
――剣によって戦うものは、剣によって敗れる。
――武器で解決できないことがあるって、どうしてわからないの!?
フェイスは絶叫するが。
私は構わず、引き金を引いた。悲鳴に似た爆音とともに火がほとばしる。