――私は壊されかけている
この私自身に起きている現実を、最初に理解したのは周りの人間だった。
あれはヘンベインリバーが解放された。よくやくだ、と疲れ果てた顔で互いに笑いあった翌日におこった。
ホープカウンティ刑務所の塀の上で、私はそれをはっきりと見てしまったのだ。
小雨の降る林の中、あの少女のように純粋無垢であることを印象付けようとする白いフリルの付いた服を着たフェイスがこちらに媚びた笑顔を向けてくるのを。私が覚えているのはそこまで。
次に私は何事かを叫びながら飛び出していき。慌てて追ってきたアーロン保安官とトレイシーに組み伏せられた、らしい。
フェイスを見たので当然のことをしてやったのだと私は主張したが。彼らが差し出してきたのはフェイスの死体ではなく、ライフル弾で八つ裂きにされた野生のスカンク。
その時はまだ、自分がヤバいってことを理解できていなかった。
アーロン保安官は私にとりあえずここを離れてホランドバレーに戻るべきだとすすめてきた。
そのままシャーキーが呼び出され、私は彼の車でホランドバレーのスプレッドイーグルに。しかしその途中で、私も私のことを理解したのだ。
彼らがおかしいわけじゃないし、誤解しているわけでもないんだってこと。自分の方にこそ変化が起こっているということを。
後部座席から見る流れていく外の風景。前からやってきて、後ろに遠く離れていく中で。私は多くのフェイスを見続けている自分に気が付く。雨の中なのに、車の中にいるのに。彼女はいつだってこっちを見てくる。
羽があるわけでもないのに、両手だけを優雅に羽ばたかせるだけで渓谷を飛んでいるフェイス。
川岸で、足首を水の中につけ。雨なのに水遊びに興じているフェイス。
道路わきの標識横に立ち、通り過ぎる際に笑顔を向けてくるフェイス。
道沿いを走っていく狼に混じって、笑顔で走るフェイス。
フェイスは常にそこにあらわれ、景色の中に置いていってもまたあらわれる。彼女が私にとりついているつもりなのか、私が彼女から離れられないのか。
私の狂気はひどくなる一方だ。
わずか数時間のドライブだけで、自分の正気が音を立ててフェイスの笑顔を見るたびに削られていくのを感じる。私の残り時間はそこまで少なくなっているのだろうか。
後にふりかえってみると、この時がすべての運命の分かれ道であったように思えてならない――。
私にはほかに行き場所はなかった、逃げる場所はなかった。
キャリアを潰され、不器用だからか生き方も変えられず。
ここにしか自分居られる場所を用意することができなかった。だからそれを守ろうとしていた、実に単純な理由だった。
しかしフェイスは私が英雄になりたがっているのだと決めつけていた。
否定する私の言葉を、彼女は最後まで聞こうとはしなかった。まるで私がジョセフの言葉を拒むのをやり返すように。笑ってさえいた。
彼女の死に私が思うものは何もなかった。
その、はずだった――。
だが私に残っている時間が少ないというなら、私はまたもや考えなくてはいけないのだろう。
このバカ騒ぎをどう終わらせるのか、を。
ジョセフ・シードを追い詰め、その手にあの夜のように錠をはめ。連邦保安官がやるはずだった決着を、この目で見たい。その場に立ち会いたいのだ、と。
私は、私を呪って死んだフェイスにたしかにとらわれていたのだろうと思う。
自分という存在の死。それを壊れながら受け入れなくてはならないのだ、とそう考えるようになっていった。それは私の中の不安、そして恐怖。
かつて一度は捨てた殺しの技をよみがえらせる喜びは、それと引き換えに殺戮の嵐を巻き起こす私自身をもすでに痛めつけて疲れさせもしていた。
そのうえ、ホープカウンティはモンタナ州どころかアメリカにここで起きている出来事に目を閉じ、耳をふさぎ、触れるつもりはないと近くにいるのにあまりにも遠くに離れて近寄ってくる気配がない。その孤独感、凄まじい重圧となっていた。
あるのはわずか、ロイドと手を組み。存在してはならない大量の武器をここに流し込むことだけ。
だけどそれが私を英雄にし、私を殺人者にし、自分の中で育っていく狂気の甘い誘惑に逆らえなくなるほどに、弱くなっていく。
だから私はそのまま壊れてしまえばよかったのだろうとも思うのだ。
自暴自棄、そう呼んでも間違いはないかもしれないが。本当に心の底から、その時はそう考えていた、それで楽になれると思えたのだ……。
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ジェローム神父とメアリーが知らせを聞いて迎えに待っていたが。
スプレッドイーグルは緊急の定休日とされ、住人たちが近づくことを嫌う。戒厳令が敷かれた。
車から降りてスプレッドイーグルに入るのに、私はシャーキーの手を借りねばならないほど悪化しつつあった。
自分が悪くなっていくのは理解できるが、それを押しとどめる方法もないことも理解していた。絶望することもなく、ただ虚無にとりつかれた心でその瞬間を私はただ待っている、死刑囚のように。そんな感じになっていた。
皆が最悪の状態で戻ってきた私に驚いていた。そして動揺した。
そうして何とか私の気を紛らわせようとして色々と話しかけてきた。
最初に出たのが、新しい荷物に私の名前で指定された荷物が入っているというものだった。
それは黒のいかにも怪しげなものが入っていますと主張している小さなスーツケースが出てきた。私はすぐにロイドの名前が脳裏をかすめる。
似たような贈り物は、過去に一度だけ彼からもらっていた……。
私は中を確認しないまま寝床に倒れこみ、そのまま疲労感に身を任せて意識をなくしても良かったが……何か気になり。スーツケースの中身を確かめようと、重たい腕を伸ばししてみせた。
(嘘でしょ、ロイド?こんなこと――)
中には一文が記された別のメッセージカードと、薄い緑色のジェル状がつめこまれた中型の注射銃がひとつ。
それがなんであるのか説明は何もなかったが。見た瞬間に私は過去を思い出して、その正体を見抜いていた。
――時代は変わる、ジェシカ。今度は誰も君を支配しないが、与えられることもないかもしれない
私は任務に執着した過去があった。
最後の任務前、ロイドを通じて最新の軍用ナノシステムを融通させた。部隊に用意されたナノマシンはやはり私を裏切り、隊長は今度の作戦の参加条件にナノマシンを使えない兵士を加えるつもりはないと断言していた。
正攻法が私にチャンスを与える気がないと知ると、私は強引にロイドを使って別の手を用意させたのだ。軍の認証システムを”騙せる”最新のナノマシンが必要だ、と。違法行為、ただそれだけではすまない大罪に違いないが私はまったく躊躇せずにそれを選んだ。
彼はあの時もこんな風に、いきなりそれを送りつけて好きにしろと言い捨ててきた。これはあれの再現と言うことなのか?
注射銃を握る――。
あの時は無色だったが、今回は液体は緑色に輝いている。
ロイドはこれを使えと言っているのか?だが、それに意味があるのか?
このナノシステムを体内に注入しただけでは、たいした恩恵は得られないはずだ。
SOPの真骨頂とは、それを別の存在が支配し、同じ性能のシステムでつながれた兵士たちを揃え。それを戦場でリアルタイムで制御できねば意味がない。部隊が、軍が使ってこそ意味のある、効果があるものなのだ。
個人、ではない。
(どうしてこんなものを。ロイド、なにを考えているの?)
瞼は重く、体は疲労感が広がり。私は静かな休息を求めていた。
もう考えること自体が苦痛になってきていて、どうでもいいような気もする。そうだ、このまま放り出してしまえばいい――。
だが、私の体は欲求に抵抗した。自分が思う以上に強く!
私はあの日にやったように、何の考えもなく注射銃を自分の太ももの内側につきたて。すぐさま引き金を引く。
空気音がカシュッと大きな音を出すと、緑のジェルはあっという間にそこから消えた。私は今度こそ注射銃を床の上に放り出すと、ベットに倒れこむなり目を閉じ、意識が消えるのを待つ――。
翌日、まるで生理が来たかのような全身の倦怠感と下痢に悩まされた。
だが苦しかったのはそこまで、劇的な変化が私におこった。その翌日には、まだ顔色は悪いもののフェイスの幻影や声はすっかり聞こえなくなっていた。
私が数日で復調するのを見てスプレッドイーグルは手のひらを反すように騒がしくなった。
見舞いと称し、レジスタンスたちは次々と店を訪れては地ビールと密造酒で乾杯を何度も繰り返していた。
ホープカウンティに平和が戻るのもそう遠くはないと豪語する彼らの顔は一様に明るい。
私はそんな彼らと言葉を交わしつつ、気分転換に顔色の悪いウェイトレスの真似事をやっていると。トンプソン保安官補とメアリーが、私に隠れて話しているのを盗み聞きしてしまった。
どうやらダッチが私と話したいと半狂乱になっているらしい。
それとなくメアリーや神父に、ダッチと話したいと告げてみたが。今は休めとか、戻ってきて寝こんだのだからしばらくはやめておけと彼らは許してくれなかった。
なにか、私に隠しているようだ――。
その時はただ、軽い気持ちでそう思っただけだった。
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ニックの妻のキムが、ついに娘を出産した。
ようやく雨も上がって、身重の夫人のためにと買い物を代わりにやってあげたのだが。戻るとそこでいきなり産気づいてしまったようだった。
病み上がりから少し元気になったばかりの私の運転で大騒ぎがあって、夜には母子ともに元気にライ家へと帰還する。
スプレッドイーグルにはこのめでたい知らせを聞いて、これを肴に皆でまたまた大騒ぎがはじまった。
私はその中からこっそり抜け出ると、無線機を手にして自室に戻る。
「ダッチ、ダッチ?こちらジェシカ。聞こえる?」
『ジェシカか!?』
ダッチはやはり私の連絡をずっと待っていたらしい。
そして私はすでに決めていた。
ニックに新しい家族が加わり、皆の注意がこちらにむけられていない今こそ。
私はついにジェイコブに対処すべく、ホワイトテイル・マウンテンへと向かうべきなのだろう、と。フェイスの幻影は私から立ち去ったようだが、まだ倒れた時に感じた不安や恐怖とは決別しきれてもいなかった。
深夜になると私は迷彩服にニット帽をかぶり。
新しい防弾チョッキと武器を持って、スプレッドイーグルを後にした。騒がしい店を背に、今の自分がまるで家で娘のようだと苦笑いする。
ダッチのバンカーには夜明け前に到着。
すでに見知った地形とペギーが排除され、そこまで来るのに何の障害もなかった。とはいえ、もうすぐスプレッドイーグルでは私がいないことに気が付くはずだ。急がなければいけないだろう。
バンカーでは老人は無線と違い、挨拶と喜びをほどほどに見せたが。
やはりなにか気になることがあるようで、すぐにでもそのことについて話をしたがっているようだった。
「ジェシカ保安官、疲れているとは思うが。あんたにはすぐにもホワイトテイル・マウンテンに向かってもらわなくちゃならない」
「――私もそのつもり。準備はしてきたわ」
「そうか、ありがとう……じつはあんたに頼みたいことがある。それも大至急だ。
しかしそのためにはまず、これまでのホワイトテイル・マウンテンの状況について。教えておかなきゃならんだろうと思う」
ホワイトテイル・マウンテンでは、そのほかと違いペギーの”回収”騒動からまったく別の展開を見せていたのだという。
あそこでは驚くべきことに、『そうなることを予想していた』ようにレジスタンスと呼べる組織がいくつも出現していたらしい。
つまり、ダッチに助けられた翌朝。
このバンカーで私と話していた時には、すでにエデンズ・ゲートへの抵抗勢力は別に誕生していたということになる。
そういわれるとむしろ納得できた。
あの状況の中、孤独な老人がわずかな火器しか手もとにないのに。
「ペギーに対抗するためにレジスタンスを結成すべき」なんて言いだすのは冷静になって考えるとかなり危ない。
当時は私もだいぶ追い詰められていたからホイホイと話に乗っかったが、
それに対するジェイコブ・シードの対処もはっきりしていた。
レジスタンスと対決姿勢を続け、武器と兵力を注ぎ込んでいって叩き潰して回ったようだ。
聞いた話だが、ジェイコブ・シードは元々はジョセフのため、エデンズ・ゲートにおける防衛、警備を担当していたという。
詳しい経歴は知らないが、元軍人ということから。彼は当初からレジスタンスの武器の供給減の限界を知り。力にまかせて動いていたように感じた。そしてそれは、間違いなく戦場を知っている
それでもホワイトテイル・マウンテンでにらみ合う両者に均衡を保つ時間はしばらくはあった。
が、天秤がわずかに傾いて崩れると。そこからは雪崩をうって複数あったレジスタンスは壊滅されていったらしい。
そしてダッチが慌てたのも、そこに原因があった……。
つい先頃、組織のひとつがまたまた攻撃を受けて倒れたのだ。
「なるほどね。それで、私に頼みがあるんでしょ?そう言ってたわ」
「そうだ、保安官」
「なに?」
「……俺の姪っ子があそこにいる。ジェスという、潰されたレジスタンスに参加していたというんだ」
そのことならアデレードのマリーナで聞いた名前だ、とすぐに思い出す。
たしかグレースに様子を見に行ってほしいと、あの時はアデレードが頼んでいたっけ。なんだか、あんまり素直な娘ではなかったと振り返ったグレースは言っていた。
「アデレードやグレースから少し聞いてる。彼女に何かあったの?」
「ジェイコブに捕らえられた。最新の情報だ」
「いつ?」
「4日前くらいだと思う。かなり激しい衝突があったようだ」
「……そう、なんだ」
「そのレジスタンスはペギーの
実はお前と連絡が付かない間に、アデレードに無理を頼んで様子を見に行ってもらったんだが。すでにペギーが周辺を占拠していて空からでも近づくのは危険だと――」
「最悪ね」
「ジェイコブはエデンズ・ゲートの警備担当と言われている。奴の部下はジョンやフェイスのところにいた連中より訓練され、武器もいいものを使うと聞く。
こうなってくると頼めるのはもう、お前しかいないんだ」
「その娘、まだそこにいるというのは間違いないの?」
「隠れている住人からの情報だが、その場所から捕虜を大きく動かしている様子はないらしい。
恐らくジェイコブの奴、ジョンとフェイスが倒れたことで。ホープカウンティの半分が俺たちの手で解放されたのを知って、こちらに対しどう攻撃すべきか考えているんだろうな。実際、奴は3人の兄妹の中で”回収”にはあまり熱心ではなかったと聞く」
「――それなら急ぎましょう」
ダッチの意見に、私はあえて反論しなかった。
身内に最悪な状況に襲われていると知れば、物事は良い方になるはずだと考えたくもなるはずだ。それは別におかしい話ではない。
だがら私は考えてしまう。これまでも反抗組織を地道につぶしてきた男が、急に視線を足元から遠くの敵へとむけるものだろうか?と。
しかし疑問はあっても、私にも答えはないのだ。
なぜなら私はジェイコブ・シードという男を知らない……。
バンカーを出ると、まだ雨露に葉や幹を湿らせる林の中に立つ。
ダッチには早速行ってみるから、心配はするな。彼女の無事を祈ってやれ、とだけ告げて。
木々の間から朝日が差し込んでくる。
冷えた空気を這いに吸い込み、吐き出す。目を閉じると、あの美しい霧に囲まれた世界と笑うフェイスが思い浮かぶ。
――英雄はね、死ぬものよ。ジェシカ保安官
私は頭を左右に振って悪夢を振り払う。
目を開けると、そこに亡霊も幻覚もない。静かな朝を迎えている林があるだけ。
ロイドの送り付けたナノマシンを投与して肉体と精神は劇的な回復を見せたが。それによって傷つけられた心までは、そうはいかなかったようだ。
私を鍛えた人々はそんな状態に自分があると理解したら、正しい決断をするように心がけろと言った。選択肢を確認しておけということだ。
ああ、だがなんて皮肉なんだろうか。
心ではスプリングフィールドに戻って休め、少なくともホワイトテイル・マウンテンに向かうことは危険な予感がある。そう言っているのに。
今の私の選択肢はただひとつだけしかない。
(設定・人物紹介)
・娘を出産した
原作にも存在するクエスト。
生命の誕生とはどれほど奇跡であるのか、を体験できる。ちなみに筆者は、始終騒がしい夫婦に苛立つあまり。彼らを道連れに道を外れて車を炎上させてしまった。悲劇であった。
・ホワイトテイル・マウンテン
ここでは複数のレジスタンスが存在した、というのはオリジナル設定である。
原作にはそれらしい描写は見られない。
しかし、この後に登場するたったひとりのためだけにこういうことにせざるを得なかったのだ。