手には弓を 頭には冠を   作:八堀 ユキ

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ハロー、ワールド

 霧の向こうにあるらしい地平線に太陽が静かに沈みかけていた。

 私は島の北東にあった電波塔で丁度アンテナの調子を直し終えたばかりだった。

 

 

『音声がクリア……きた。聞こえるかい、保安官?』

「ええ、ダッチ。まだ雑音が多いわね」

『俺はあんたを過小評価していたようだ。あんたが助けた連中、全員が俺たちの活動に参加してくれるそうだ』

「そう、よかった」

 

 2年以上、都会(コンクリート・ジャングル)の生活はやはりあの頃のカンを鈍らせていた。

 この程度の広さの島を制圧するのに、私は半日も時間をかけてしまったのだ。あの時代、イメージの中の自分はすでにここにはいない。老人と違い、私にはこの未来に全く楽観できるものはなかった。

 

『それでどうする。一旦こっちに戻ってくるか?』

「いいえ、このまま次に動くわ。計画があるなら教えて」

『……わかった。アンタがそういうなら、そうしよう』

 

 カウンティ―ホープを覆う霧は、結局今に至るもまだ残ったままだった。

 こうなると明日まで待っているしかないだろう。ダッチは気を使って、戻って体を休めろと言ってくれたのだろうが。

 今はそれより、自然の中に自分を置いて。一刻も早く忘れたものを取り戻していかないといけない。

 

『計画といってもな。そんなたいしたものはない――地図を持っているな?』

「ええ、レンジャーセンターで1枚もらった」

『なら、あとはアンテナをフォールズエンドのある方向に向けてみるといい』

「アンテナを向ける?わかった」

 

 意味は分からなかったが、とりあえず言われた通り。

 目の前のパラボラを、ちょっとだけ動かして南の方角へと傾ける。すると――。

 

『――皆をトラック放り込んで、食料も奪ったの。銃声がして、悲鳴とか。誰にもどうしようにもならなかった。おかげでみんな、死にかけてる。誰か聞いていたら助けて頂戴!

 ここを持ちこたえるにも限度がある。町はあのジョン・シードに占拠されてる。エデンズゲートはおかしくなったのよ!』

 

 恐怖に震えながらも、気丈にも助けを求め続けている女性の声が飛び込んできた。

 驚いた、どうやらこの状況であっても希望はまだ残されていたようだ。

 

『聞いた通りさ。今はどこもこんな感じだが、フォールズエンドの連中は、まだなんとかこうやって助けを求め続けてくれている』

「でもいつから?ここからでもまだ距離がある、今から向かっても間に合わないかも」

『まぁ、少し冷静になれ。今は、濃霧が発生して動くことは難しい。アンタの言う通り、すぐには向かえない。だが希望はあった、そうだろう?』

「か細い希望だけど」

『ないよりかはいいさ。不利な状況はわかっているんだ。気持ちに余裕を持たせておかないとな、保安官』

「わかった。あなたの言う通りだと思う、ダッチ」

『この周波数は、あんたのために空けておく。情報があったら、また知らせるよ。オーバー』

「通信終了」

 

 梯子で地上まで下りていくと、いつしか周りはすっかり夜になっていた。

 

(次は、フォールズエンド)

 

 森の中を進みながら、頭の中で叩き込んだ地形を思い出す。

 ダッチやレンジャーステーションで聞いた話によると、ペギーの内部構造がそのままこのカウンティ―ホープの支配にも当てはめられているのだということが分かった。

 

 父である、ジョセフ・シード。

 長兄とされる ジェイコブ・シード

 長女 フェイス・シード

 次男はジョン・シード

 

 間違いはなかった。

 あの時、カルトの集会場で私がジョセフに手錠をかける後ろにいた3人は彼の子供たちだったのだ。

 周囲が1秒ごとに揺れるように動揺が広がっているのに反し、あいつらだけは妙に冷めた目でこちらを見ていたのが印象に残っていた。

 

 

 草むらの中に分け入ると、私はそこに横になる。

 近くにある見張り台からも、ここにいるのは見えないはずだが――木々の向こうに広がる大空には、それは見事な星空が見えていた。

 

 

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

 

 計画は順調に進んでいた。

 

 いつも揺れ動く不安があっても、顔には薄い笑みを張り付かせている彼であったが。今は心の底から幸福を感じることができていた。

 ファーザーの号令で”回収”が始まってまだ数日。

 兄弟はそれぞれの地域で、これまで夢見ていた王国を着々と実現させてきているのが報告されている。

 

 それでもまだ、若干の抵抗は残ってはいるが――。

 

 苛立ちとわずかな不安の波が、心を騒がせる。

 しかし同時にファーザー(ジョセフ・シード)の言葉がよみがえってくる。

 

(心を開くんだ、ジョン。ちゃんとみればわかることだ。お前のまわりには愛があふれている。お前がもたらす苦しみや憎しみは、結局はなんの助けにもならない。

 ただ、お前の罪を増やすだけだ。増え続ける罪は強くなり、お前はさらに残酷に、邪悪に振舞うようになるだろう。

 そうやってお前の罪で傷つけられた人々の傷は、癒されたとしても。今度は彼らがお前の罪の代理人となり。彼らの手でお前の罪は、次々と伝播し、広がっていく増やされてしまう。

 

 いつか、お前は己の罪の深さに死んでいくことになる。罪は何度も様々に姿を変え、お前の元へと戻ってくるからだ)

 

 そうだ、自分は愛されている。深く、愛されているのだ。

 そうだ、今の自分はファーザーの子だ。愛し、愛される家族がいる。

 シード一家の次男、迷える人々から”採取”し。過去には愚かな人々であったとしても天国の門の前に立つ特権と、信仰を与えてやる――。

 

「……そういえば、逃げた保安官がまだいたな?」

「はい、ひとり見つかってません」

「ファーザーはあれから気にされていることだ。捜索は続けろよ」

「わかってます」

 

 大丈夫だ、自分は大丈夫だ。

 役目を忠実に果たせる。罪など恐れない、ただファーザーのため。すべてはエデンズ・ゲートのために。

 ジョン・シードの歩く道を遮るものなどあるわけがない。

 

 

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

 

 翌朝、霧の晴れた川岸で顔を洗うと私はさっそく無線機のスイッチを入れた。

 

「ダッチ、聞いてる?」

『ああ、聞こえとるよ。まずはおはようというべきだろうな、保安官。昨夜はよく眠れたかね?』

「悪くはなかった。それで、霧が晴れている。知ってるでしょ?」

『そのようだな。さっそく行動開始というわけか』

「――何か情報はある?」

『いくつかな。保安官事務所だが、まァ残念なことになってた』

「そう」

 

 このことは予想はしていた。ヘリが墜落した時から薄々は予感はあったのだ。ペギーはあの職場の中にまで入り込んでいたのだ、と。

 すでに建物は燃え尽き、残骸となって放置されているらしい。

 

『エドを覚えているか?あんたがここで助けたひとりなんだが、彼があんたの車を持ってきてくれるとさ。昨夜のうちに数人をつれて出発した』

「大丈夫なの?」

『子供の頃から、かくれんぼが得意な連中だから大丈夫だろう。まさかと思うが、そいつでホープカウンティを乗り回すつもりじゃないよな?』

「――実は、あれに積んでいた荷物が必要だったのよ。ちゃんと言っておくべきだったかも」

『そうか。まァ、気にしなさんな。こちらも続報があれは伝える。それとな――』

「まだ何か?」

『実はあれから微弱な電波がいくつか見つかった。助けを求めるものだったが、その中に気になるのがあった』

「へぇ」

『グレースという女性だ、保安官。元軍人でな、射撃場をやっている。どうやら今はホランドバレーの教会に近づくペギーを追い払っているみたいだな』

「それは頼もしいわね」

『座標を伝えるから、近くによったら顔を出してみたらいい』

「わかった……通信終了」

 

 連絡を終えると、私は立ち上がった。

 

 

 

 ジョン・シードの支配地域へ入って数百メートルを歩いただけで、ペギーと称される彼らの異常性はそこかしこで確認することができた。

 道路は武装した信者の検問で閉鎖され、彼らの武装車両が平然と巡回を繰り返し。空にもひっきりなしに飛行機が飛び回っている。SFの世界にあるディストピアさながらの光景だ。

 

(保安官、あんたの捜索を奴らはまだあきらめてないのさ)

 

 ダッチがそうつぶやいたような気がした。

 

 それにしてもエデンズ・ゲートの武装は明らかに異常だった。

 昨今は銃の流通も難しいと、ちょっと前に銃を持ってこなかった新人を見てアーロン保安官に嘆かれたばかりであったはずなのに。ペギー達は皆が武装して、すでに以前よりこの日が来ることを予期していたような気さえする。

 

 どこかのメーカーのカスタムされたARライフル。それに旧型のレミントン製ショットガン。

 この州では武器の密輸には厳しかったというけど、どうやってあれほどの大量の武器を持ち込めたのかしら?

 

 一方でレジスタンスといえば、敵から奪った銃と。弓とガバメントがひとつずつ。

 まったく勝負とかどうとか、口にするのもはばかられる状態だ。

 

(いいわ。今は、別に集中するべきことがある)

 

 参道と一般車道の間に広がる果樹園の中を、腰を低くして隠れながらジェシカは静かに前進していく。

 

 

 

 正午近くになると、私は再びダッチとの回線を開いた。

 

「さっき聞いた、ポイントのひとつに近づいてる。今は近くに何も聞こえないわ。静かなものね」

『ふむ、周囲には何が見える?』

「農園ね。果物の木とか、カボチャ。あとはサイロもある」

『だとすると、そこはレイレイのカボチャ園だろうな。ああ――こりゃまずいな、レイレイには息子がいた。親子で無事に逃げていればいいのだが――』

「結果が分かったら、また連絡する」

 

 そういって無線をしまう私の耳には、遠くから聞こえる狂ったような獣の吠え声と、やたらに能天気な音楽が聞こえていた。

 

 

 相手のことを決してなめていたわけではなかった。

 だが、それでも同じ人間なのだから良識がまだ残っていると期待したのは。たしかに失敗であった。

 

 なにかの獣を閉じ込めた檻の前で、中を覗き込んではからかっていたペギーたちを背後に回ってガバメントで黙らせると。

 離れに立っていたペギーにも一発撃ちこんでから。再装填しながら「武器を捨てて降伏しろ」と怒鳴りつけてやった。てっきり私はそれで相手は戦意喪失するものだと考えてしまった。

 

 おかげで奇声を上げて鉄パイプを手に飛び込んできた相手に無様にも戸惑って立ち尽くしてしまう。

 ガバメントを握る手を叩かれ、苦痛に顔をゆがめたが。2撃目はさすがにスコップを空いた片手で振り回すことでガードし。それからちょっとばかり殴りつけると、最後は向こうの胴体から首を切り離して終わらしてやった。返り血の汚れと、惨劇の後の泥と混ざった血液の独特の臭気に眉をひそめて不快感を表す。

 

「チクショウ、チクショウ、なんでこんなことに――」

 

 まだ痺れている右手で落ちたガバメントを拾い上げ、慌てて確認する。怒りと失望に加え、絶望までもが参加してきたようだ。

 銃のフレームがゆがんでいる、これでは使い物にならない。私はダッチからもらった大切な武器を、こんなところであっさりと壊してしまったのだ。

 やかましく吠え続ける獣の檻に体重をかけて休むと、私は天を仰いで息が整うまで待った。それから無線機に手を伸ばす。

 

「ダッチ、最悪よ」

『保安官か?なんだ、やけにやかましいようだが』

「――犬よ、なんかのチャンピオン犬らしいわ。それが檻に閉じ込められているのよ」

『ほう、だとするならそれはブーマーだろう。レイレイのところの賢くて可愛い奴だよ。助けてやってくれ』

「はいはい、わかったから」

 

 言いながら私は檻の鍵を外し、扉を開いた。

 犬は恩知らずにも私など一瞥もせず。母屋に向かって走って行ってしまった。やれやれ、誰かいるのかしら。

 

「犬は助けたわ。それよりも、銃が壊れたの。本当に――」

『ああ、それも大変だろうがな。今はその家の住人たちの無事を知りたい』

「ダッチ」

『なんだ、保安官?』

「最悪のニュースよ。2人を見つけたわ」

『……クソっ、なんてことだ。なんてことを』

 

 ここの家族らしき2人は、家の前で倒れていた。

 どうやら危険が迫るのを察した犬が大騒ぎし、慌てて逃げようとした母は。息子に先に逃げるように告げたが、そんな母がペギーにとらえられたとわかると息子は助けようと家に戻ってきてしまったのだ。

 麗しい家族愛だが、結末は悲劇で終わってしまった。

 

 息絶えた2人が、血の海の中心で互いを守ろうと固く抱き合っている。

 

 私は無言のまま主のいなくなった家に入ると、改めて汚れた服を着替えることにした。

 申し訳ないが、ダッチのくれた服は男性用。大きすぎて動きづらいと思ったのだ。タンスの中をそうやってひっくり返していると、そこから一丁のリボルバー拳銃が転がり出てきた。

 それは手入れはされていたものの、使われた形跡はなかった。家族を守るはずの銃は、それが必要な時に家族の手の中になかった。

 

(甘かったのかもしれない、自分は)

 

 リボルバーを握りしめながら、私は唇をかむ。

 自分が警察組織の一員であること。法の番人であり、保安官という立場にあること。

 

 島ではあれほどかつての自分を忘れていることに腹を立てていたはずなのに。

 一晩過ぎれば、またもや兵士であった自分を忘れてしまっていた。ペギーは非道だが、決して愚かなだけの獣だとは言えない。

 

――なぜならあいつらは”敵”なのだから

 

 今一度、私は自分に言い聞かせなくてはならない。

 今度は忘れないように。このような失敗を2度と繰り返さないように――。

 

 

 家を出ると、そこにはまだブーマーという名の犬が残っていた。

 物言わなくなった家族の間に座り込み。起きた悲劇を理解しているのだろう、地面に向けた頭を左右に振りながら鼻を鳴らして泣き続けている。

 あまりにも哀れな姿であった。

 

「ダッチ、新しい情報は?」

『あんたの車だ。もうそっちに到着しているらしい。だが、一般車道を使えないから、どこであんたが受け取るか決めてほしいそうだ』

「ちょっと待って」

 

 会話を中断したのはまた耳にあの不愉快なほど明るい歌声がどこからか聞こえてきたからだ。

 この騒音の元は、正面の車道の反対側にある倉庫からであるとなんとなく理解した。

 

「伝えて頂戴。合図が聞こえたら、そこまで来てくれってね」

『合図だって?そりゃ構わんが保安官。目立つ行動は、命とりだと――」

 

 私は無線機を切ると、犬のかたわらに立った。

 

「ねぇ、あなたブーマーっというのよね?名前からするとオスってことでいいのかしら」

「……」

「ちょっとこれから私と付き合わない?そこにいるペギー達を狩るから、あなたもどう?」

「……?」

「約束はできないけれど、あなたの家族の仇。とれるかもしれないわよ」

 

 こちらが手を差し出すと、嬉しそうに向こうから跳びついてきて顔をなめてくる。

 汚いわね、とは思ったが。相手は犬なのだ、むこうなりの好意と返事がこれだったのだろう。

 

「それじゃ、契約完了ね」

 

 そう言うと、私は背中に弓を担ぎ。

 死体となったペギーの持っていたARライフルを手にすると、倉庫に向かって歩き出す。そのあとをブーマーがトコトコとついてくる。

 

 ダッチには決して言えないことだが。

 あとから思い返すと、私が真にレジスタンスを率いようと思ったのは。このブーマーとの出会いであったような気がする。




(設定・人物紹介)
・フォールズエンド
カウンティホープの3つのエリアのひとつ。ホランドバレーにある小さな町。

・ブーマー
有能すぎる万能の相棒。癒しの力も無限大。
この子がいたら人間なんてイラナイワ、となってもおかしくない。なにをするにも可愛いのだ。

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