NYのオフィス街、そのガラス張りの一室ではクリス・リーが仕事をしている。
もうすぐ午後7時を回ろうとしていたが、今日も家族の元へ帰ることはできないだろう――。自分のボスは国外に出てもうずいぶんになるが、近くに居なくてもクリスの仕事が暇になるということはない。
気分転換にと壁にある大型モニターにPCの画面を移す。
画面には
――最新のデータを受信中
とだけ表示される。
21世紀になり、すでにデジタル技術で世界は小さくすることもできると証明されてはいるが。それでも今も、こうやって待たされるのはまだ技術の進歩が足りないからなのだろうか?それともやはり時間と現実の距離から、人は永遠に逃れることができないという運命なのだろうか。
「クリス、今よろしい?」
「なんだ?」
ブロンドの髪をした、完璧なイングランドなまりの英語を話すドイツ人女性がクリスの部屋の扉から頭だけをのぞかせた。
彼女はロイドの秘書官のひとりではあるが。
そもそもはあのドイツの誇る連邦警察GSG-9にいた俊英であった。事務仕事でも有能であるから秘書という形を今はとっているだけで、事実上はクリスの代用品と言ったほうが正しい立場にいる。つまりロイドの影のボディガード、最後の盾だ。
だがそんな彼女も守るべき人物のそばではなく。今はこの国に、このオフィスに残されている――。
「ロイド達は再び欧州に戻ると連絡が」
「またか!?」
「ええ、ご存知のように騒がしくなってきて。残り時間がないということでしょう」
ロイドは結局、仲間と共にあの日にアメリカを出てから戻ってきていない。
アジアを――中国を囲むようにして。ロシア、アフリカ、インドと飛び回り。今、またも欧州に上陸すると決断したらしい。
彼らが強い意志と希望を持ってなければできないことだし、それだけ状況は悪いのだろう。
「ゲームセットのコールはまだ先か」
「それでも時間は限られています。どうやら国連の中には、米大統領に自分たちが今回の騒ぎに仲裁に入るのは無理だと。はっきりとそう通達するべきだという声が高まっているようです」
「それを彼は?」
「知らせました。最新情報です」
「――止められないのか?彼らが諦めればロイド達もなにもできなくなる」
「無理です。72時間後には結論を出すと。議長の周辺からオフレコではありますけど」
「では、戦争は止められないな――」
アジアの混乱を見て、大統領はすでに昨年から時が来れば介入するのにためらいはないと。常にマスコミを通して意思を明確に世界に発信してきている。
これは中国、ロシアの間でアメリカが火遊びをするという意味であり、危険なものとなるのはだれが考えても分かりそうなことであった。
だから相手は戦力差を知りつつ、威厳を保とうと厳しい言葉を出し続けていた。
ドレビンズは最初の欧州での交渉の失敗を受け。
この戦争を抑えることが、あの日誓い合った自分たちの最初の戦いになるに違いないとの考えを改めて示し、以来ずっと世界中を休むことなく駆け回っているのだ。
なのにそんな彼らを嗤うように残り時間は、あまりにも少ない――。
「それよりも問題は別にあります」
「そうだな。ロイドにはそろそろ私か君。どちらかを手元に置くように進言しないと」
「聞きますか?彼は」
「聞いてもらうのさ。ドレビンズにもチームが付いているのだろうが。こうあちこち移動するのでは、いい加減彼らだって大変だろう。
足を洗ったといっても。元は戦場を渡り歩く悪名高い武器商人達だ、世界中から憎まれていると考えるべき人種だよ。それが周囲を気にせずに寄り集まって派手に世界中を飛び回っているのだから。いいマトだよ」
「ですよねェ」
「とりあえず私からロイドに言おう。君だけでも、とね。
それを嫌がるなら私が行く。それでいいか?」
「構いません」
「すぐに飛べるようにしてほしい。タイミングを計るが、あまり騒いで彼の機嫌を損ないたくはない」
「銃はオフィスに。あとは全部現地につくまでに買いそろえます」
「さすがに旅慣れてる。うらやましい」
「あら、それならあなただって――」
そこで続けようとする前に、画面にコネクトと表示され。
続いて真っ赤な警告が次々と表示されるが、音声は警告音はオフになっていると伝えている。
「な、なんですか。これ?」
「システムにつなげていない。個人のマシンから送られてきたリアルタイムのデータだよ」
ジェシカに投与されたナノマシンが、彼女の現在のステータスを詳細に送り付けてきていた。
そのパラメーターの多くは危険を指し示し。なかでもストレスはひどく高いレベルで、下がることを嫌がっているようにすら見える。
「ひどいですね。これは――拷問されている?」
「そのようだな」
クリスの声は冷たい。
かつてのお気に入りの部下であっても、今の彼女の身に起きていることに動揺するそぶりはない。そもそも助けることも、理由もない。
「……これはよくわからないんですが。何か意味があるんですか?」
「というと?」
「どうやらこのナノマシンは、正常に機能しているようです。
ホストのダメージを的確にフォローしようとしてますし。そのために必要なことを行っている」
「ああ」
「ですが――これは意味がありません。
なぜなら、”脳”がないからです。この苦境におちた兵士をどう戦場に配置しなおすか。その戦略を立てられる存在との連結を絶たれた状態で放置されている。これでは対処療法を続けるだけで、回復はしませんし。体勢を立て直すのも不可能。
システムは不完全、無意味と言わざるを得ない。苦痛を長引かせるだけですよ」
当然だな、クリスは無言だったがそう返したかった。
今のジェシカに必要なのは”誰かの助け”であり、新たな命令でもあるのだ。
どのような方法で苦境を抜け出し。どのような方法で反撃の狼煙を上げるのか。だがそのどちらも、彼女に提供されることはない。
彼女のナノマシンをSOPシステムへと組み込む”脳”はここにある。
だがそれは決してジェシカに与えてはならない。つなげてはいけないと、ロイドから強く念を押されていた。クリスにしてもその気はまったくない。
「あなたもロイドも、何を考えているんです?このホストに恨みでもあるのですか?」
クリスは肩をすくめるだけにとどめた。
本当のところ、ロイドがなぜこんなことをするのかここに来てクリスでも測りかねているというのが真実だ。
ロイドは確かにジェシカを救おうとはしている。だが反対に彼女が死んでもかまわないと思っているのかもしれない……。
「ガンズ・オブ・ザ・パトリオット事件は結局のところ。完成されたSOPシステムだからこそ実現できた、高いレベルで並列化された兵士たちによって戦場を支配するという幻想を実現できると見せつけた。米軍は事態の早期解決を図ろうと自信をもって部隊を展開し、その結果八つ裂きにされた。
それは完成されたものなどではなく、ほとんどが失敗だとわかる。ひどいものだとね」
「確かに。制御を実現はできましたが、ハッキングによって簡単に並列化された兵士たちを奪い取ることも可能でした。テロリストはそれを実証した。
でもあなたが言っているのは『世界が戦場を奪われた24時間』のことですね?」
「デジタルは不可能と思えることまで簡単に実現させてしまう。あの日、誰が想像しただろうか?
SOPシステムがすべての戦争を無意味化するなんて言う状況を作り出してしまうと。それがすでに誰かの意思でおこなえるほど完成されたものだということを」
あの前世期末、世界を恐怖に落とした最悪のテロリスト。BIG BOSS。
その彼が提唱し、実現させようとした悪夢の名。秘密結社アウターヘブンによってあの事件は起こされた。未だ調査の終わらない事件、未来に解決されることのない事件だが。この裏の世界の情報――伝説から真実のかけらを知ることはできる。そしてその意思のある所にも。
「それと、この兵士に関係があるのですか?」
「――ケジメ、というやつかな。ロイドと、彼女の。我々には理解できない、お互いの個人的なものなのさ」
軍の中に夢と野心を持っていたジェシカは、死んだ。
彼らに価値がないとみなされて群から放り出されたあの日に。
それ自体はどこでもある話だ。軍に必要ないと追い出され、道を見失ったまま闇の中に堕ちていく元兵士達ならクリスも多く知っている。
軍に自分を作り替えられ。戦場の記憶と勲章を手にしても、外に出てしまえばただの人殺し扱いしかされない。
生活のための金とプレッシャーに翻弄される下らなさに、徐々にあの惨めに「死にたくない」と祈りながら眠った戦場が輝かしいものに思えてくる。彼らのスタートはここから始まる。
上に行くのか、下に行くのか。
自分の問題ゆえに問いはシンプルなものとなり。答えは歪むのも仕方がないのかもしれない。
金と戦場、両方を手にしようとして兵士は傭兵となって世界に拡散していく。
かつて自由と国民のために戦った兵士は、それが
今のアメリカでなら、全く不思議ではない人々だ。ジェシカもただその列の中に入っていっただけ。再び彼女にとっての悪夢であるナノマシンを自分の体の中に住まわせる必要などなかった。
だが彼女はロイドと再会してしまった。
彼女はロイドに力を貸してくれるように求め。ロイドは代価をなしにそれを与えてはいたが、それだけで終わりにするつもりはなかったのだ。
かつてジェシカはロイドに無理を通させた過去があった。
どうしても参加したい不正規任務のために、許されないルートを使って用意させた試作のナノマシン――。
彼女が軍を追放される原因となったモノ。
そんなジェシカに。あのホープカウンティの中でかつての自分を取り戻そうとしている彼女に。
ロイドは愛しい軍をやめても、その戦場で兵士に戻るというなら過去に果たされなかったケジメをここでつけてもらおうと考えたのかもしれない。
今のジェシカのナノマシンは彼女を対処療法的に守ることしかできない。もっと別の方法が必要なのだと思っても、それを決断するだけの情報を持つことは許さない。
彼女を武器商人は天国でも地獄でもない場所、
「ナノマシンの力で何とか正気を保ってるだけです。それは別の見方をすればホストの苦しみを長くしているだけ」
「それはさっきも聞いたよ――生物は苦痛に対してどう反応するか。いくつかあると言われている。
ひとつは逃げること。ひとつは耐えること。そして最後は攻撃し返すこと」
「それを見たいのですか?あなたが?それともロイドが?」
「以前、この兵士は苦痛に対しては逆に噛みついていった。自分が愛したものに裏切られたと」
「それなら今回も同じ結果になるのでは?」
――クリス、俺はそれを知りたいんだ。見たいんだよ。
脳裏に自分の
だが本当は、違うとも思う。
あの時のジェシカは軍に……彼女を助けたかった人たち全てに噛みついたが、本人はそれを逃避だとして受け取っていた。誰もがそれは攻撃したのだというのに、彼女だけはそれを最後まで認めなかったのだ。
今回の彼女は、あの時の自分を。”今回の自分”の決断と行動を、どう考えるのだろうか?
クリスも少しではあるが、そこに興味がある。
―――――――――――
深夜――。
ジェシカの檻に近づくと、プラット保安官補佐は「新人、新人!」と必死に牢の中へと呼びかける。
そして自分が手に持っている鍵を見せると「出してやるから。いいな?一緒にここを出ていくんだ」と言った――。
ジェイコブはその様子を警備室のモニターで部下と共にじっと見つめていた。
ジェシカ・ワイアット保安官を捕らえてもうすぐ2か月が過ぎようとしている。なのに、調教は全くもって徹底的な効果を見せていない。
わずかにだが最後に何かが、あのジェシカという女の中にあって。その頑強さが彼女という存在が崩れることを許していないのだ。
ジェイコブの我慢は限界に近付いていた。
ここまで頑固な女なら、さっさと殺して狼の餌にでもしてしまうが。ジョセフはそれを許さない。
ホワイトテイル・マウンテンの勢力図に変化はない。
ホワイトテイル自警団、南からくるジェシカのレジスタンス、そしてジェイコブのエデンズ・ゲート。
陣取りゲームに大きな動きこそないものの、ジェシカがいないにもかかわらず。たびたびグレース、ジェス、シャーキー、ハーグなどが平然とジェイコブの兵士たちを襲撃しては、殺すのをやめようとしない。
ジェイコブは当然のように対策を講じてはいるが。向こうもジェシカの救出に焦っているのだろう。襲えば必ず徹底的に叩き潰してきていた。
さらにエデンズ・ゲートに囚われたジェシカがまったく崩れ落ちる気配がないことは部下たちを不満と不安にさせる危険性を生みはじめている。「ジェイコブやジョセフはあの女をどうするつもりなんだ?」耳を澄ませなくともジェイコブの耳には聞こえている。建物の物陰で、彼の家族たちが信仰に疑問を持つような言葉を平然と口に出していることを。
だから、演出を加え。新しいアプローチを試してみることにする。
あの女は全く理解しようとしない。神の試練を、ジョセフの導きに従う道に入るためにすべきことを。
自分に与えられた苦痛によって彼女の中の恐怖と攻撃性はどこまでも高まっているのに、その方向の先には常にジェイコブがいて、ジョセフがいて。エデンズ・ゲートから1ミリたりとも動くことがない。
これでは調教の意味がない――ならば。
プラットの手招きに応じ、牢から出るとフラフラとしながらもジェシカはついていこうとしている。
きっと希望を感じていることだろう。だが神が、ジョセフが――それは許されないことだ。
「あいつらが事務所に入ったら動くぞ。配置を確認しろ、間違っても逃がすなよ」
ジェイコブの最後の指示を聞いて、部下たちは無言のままゾロゾロと部屋を出て待機場所へと向かう。
カメラは事務所へと入っていく2人の姿を映している。
ジェイコブは今更にしてひとつ後悔していることがあった。
ジェシカの軍での記録のことだ。弟のジョンは警察時代を中心に資料を集めてくれたが。こうして長く調教を施してみると、どうやら5年前に放り出された軍では、なにかしらの訓練を施されたのではないかという疑念が湧き出してくるのだ。
とはいえ、もう時間はない。
軍では部隊で大した実績を残せなかった女曹長という記録を信じ、ジョセフから与えられたこの試練を息子として無事に乗り越えなくては。
ジェイコブはおもむろに館内の放送スイッチをオンに切り替えると、テープを再生させた。
魅惑の男性ボーカルが歌が流れだすと、事務所の中ではプラットがこれを合図に反応する手はずになっていた、彼自身の無意識の中で――。
プラットは先頭に立ってずっとしゃべり続けている。
「トラック。トラックだ……あるはずだ。それで外に出れる、何週間も前からずっと計画していたんだ、この時を」
私は沈黙を守っている。
何かを口にするつもりはないが。何かがあれば、自分では抑えきれないようななにかが飛び出してくる嫌な気配を自分に感じている。
「あったぞ、トラック!あれに乗るんだ。あれには、安全が――」
するといきなりガチャガチャとスピーカーが雑音を放ち。続いて男の美声が流れ出てくる。
プラットは両手で耳をふさぐと「なんで今だ!もうちょっとだったのに」と悲鳴を上げだした。なにかの恐怖にとりつかれ、過敏な反応を示す同僚の姿を私は感情のない目で見つめている。
つまりはこういうことか?
脱出は失敗?
またあの檻の中に戻れ、と?もう出にくくてしょうがない自分の小便を飲み、畜生のように飯を与えられ、そこに混ぜられた薬でトリップする?
冗談じゃない。
「おい!お前達、なにをしてる!?」
「う、撃たないでくれ!降参するから、降参するからさぁ」
私はどうするかって?
正気を間違いなく失っているに違いない声で、頭の中で悲鳴をあげた。
それは恐怖ではなく。怒りであり、攻撃命令でもあった。
自分でも驚くほど素早くショットガンを構える男に飛びつくと、組んでからはあっさり銃を奪い取り。
銃床をそいつの横顔から叩きつけてやった。一瞬、その顔の皮がはがれるのが見て取れ。奇妙なことに愉快だと思った。
「な、なにをっ」
「……」
「ああ!駄目だ、駄目だっ。まだ駄目なんだよっ、クソッ。そんなぁ!」
何が駄目なんだ?なぜ彼はこんなに取り乱している?
流れているのは”ただの歌”じゃないか。
「新人、すまない」
プラットはそう口にするといきなり私の身体を思いっきり窓の外に向けて突き飛ばした。
それは完全な不意打ちと言って間違いないだろう。その上、やせ細った私の身体は軽く。プラットの突き飛ばしで、簡単に吹き飛ばされて地上へと落ちていく。
――私はまた捕らえられるのか
最後に覚えているのは、薄れゆく意識の中で集まってきたペギー達に自分が取り囲まれているところ。
建物のテラスから、そんな私を見下ろして怯えるプラットの顔だけであった。
(設定・人物紹介)
・ドイツ人女性
当初は名前も活躍シーンもあったのですが、長くなるからと全部カット!
留守番組としてここで登場となりました。
この人もジェシカと同じで、この作品の企画から大きく立場が変わってしまった人の一人ですね。ちなみに結婚していて中国人の夫がいます。
・プラット保安官補佐
原作ではヘリの操縦席に座っていた人。おそらくだが真っ先に捕まってしまったと思われる。
・ただの歌
プラターズの「オンリー・ユー」だが、何とも皮肉。
黒人歌手による「一心の愛」を歌った歌詞なのだが、見方を変えるとジョセフへの盲目な信仰を持つようにというようにも見えるという。