手には弓を 頭には冠を   作:八堀 ユキ

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最終回、人生の最期の刻。
英雄と呼ばれた女の最後の勝負。


Dead Man Walking

 誰もいない、常夏のビーチで老人はひとり海を眺めていた。

 リタイア(引退)を宣言し。すべてを後継者の手にゆだねてから数年。激しい情熱は今もくすぶってこの中に残ってはいるものの、同時に時の流れがついに自分の時代をとうの昔へと置いてきていたのだと思い知らされることもあり。だから、ただ漫然とこの静かな時の中で漂っていることにした。

 

 それでも短いであろう残りの人生で使いきれないほどの大金を抱え。

 孤独な老人としての最期が来るのを待ち続けている――。

 そこにアロハシャツの若者が近づいてきて何事かを老人の耳元で囁いた。

 

「――どうしましょうか?」

「懐かしいな。古い友人だ、ずっと連絡を取っていなかった」

「……」

「メッセージは読むよ。なにか指示が必要なら――」

「はい、お呼びください」

 

 封筒を老人の前に素早く置いて若者は去り。

 老人はそんな若者など忘れたかのようにふるまい、封筒の中身からメッセージを取り出した。

 

 老人はメッセージを何度も何度も読み返すと、ため息を吐き出す。

 

「そうか――君はもう決めてしまったんだな、ジェシカ」

 

 元ドレビンのロイド。そう呼ばれた男がこの老人であった。

 黄昏の時を迎え。希望するよりも諦めることが多くなり。知人や友人たちの多くはこの世界から離れていってしまった。

 

 そんな老人たちに終わりが近づいてきていた。

 

 

――――――――――

 

 

『……ニュースをお伝えします。

 国内では北西部に拠点を置く不法武器販売ネットワーク、通称ママ・ボウルの活発な活動に対し。火器・爆発物取締局はこれを脅威と考え。かならずこれを殲滅すると力強い表明を発表しました。

 

 このネットワークは本来名前はなく、ママ・ボウルというのも末端の販売人達が勝手に名付けたものだと言われています。

 彼らは高度なデジタル技術を使い。契約、販売までのルートを通信を含めて……』

『ママ・ボウルなどの不法武器販売組織は、法律で定められ。市場に流れない武器を主に商品としており。これが皮肉にもギャングだけではなく。元軍人といったコアな層の人気と信頼を独占しつつあり――』

『……司法省はママ・ボウルのこれ以上の成長は看過するわけにはいかない。大統領も懸念を持っておられる、との……」

『……近年、勢いの激しかった不法武器販売ネットワーク。ママ・ボウルは警察などが中心となった。厳しい取り締まりによって成長がとまったとの認識がされている一方。この組織の実態となるものが何であるのか。FBIも含め、どの警察関係者も未だに特定はできてないと……』

『……ニュースをお伝えします。

 先日、アイオワ州デモインで発生した連続狙撃犯は元軍人の……でしたが。彼の証言によってママ・ボウルの活動に……」

『ポートランド警察内に置いて、ママ・ボウルのネットワークにかかわっていた警官たちが一斉に摘発されました。今回、これほどの公権力への腐敗が――』

 

 

 2054年――。

 モンタナ州カウンティ―ホープに激震が走った。

 

 司法省はこの年、ついに米国北西部で活動する武器販売組織のボスを逮捕したと発表。

 相手は数年前に保安官を引退した、地元では英雄と呼ばれていたジェシカ・ワイアット。マスコミはこれを大きく取り上げ『堕ちた英雄』と題して次々と彼女の私生活を暴いて書き立てていく。

 

 

 1度の結婚は、夫が事故死。

 4人の男女を養子として育て上げた。

 ホープカウンティーでは伝説の英雄として称えられ、復興から長く保安官として地元の治安を守り続けてきた。

 しかし5年前、自宅で転んで骨折したことから。自分の老いを感じて引退した。

 

 長男はNYの法曹界で若い弁護士として注目され。次男はホープカウンティの牧場に勤務。

 長女は母の去った保安官事務所で保安官として勤めており。次女はベガスでディーラーを数年した後、一般家庭へと入っていた。

 

 

 ジェシカは逮捕されたことを子供たちに連絡を入れ「迷惑をかける」と謝るだけで助けを口にしなかったが。

 彼らはすぐさまホープカウンティ―へ帰った――英雄と呼ばれる自慢の母を助けるために。

 

「いつもだったら。クリスマスにどうやって呼び戻すか、それを考えてる時期なのにね」

 

 そういって集まってきてくれた子供らを前にジェシカは困ったように苦笑いしたが。

 子供たちは政府に対して激怒していた。

 

 この母は特にぜいたくな暮らしをしているわけでもないのに。政府は証拠はあると言いながらもそれを裁判まで開示しない動きを見せ。検事局はひたすらメディアを煽って、家族の名誉を傷つけることに腐心し続けている。

 

 さらに裁判所は、ジェシカが現役の時にまったくそりの合わなかった裁判官を揃えてきており。明らかにどんな手を使ってでも、ジェシカを刑務所に放り込んでやるという司法省からの意思が伝わってきていた。

 しかしだからといって子供たちはそれに絶望したりなどしなかった。むしろ政府とケンカしたって負けるものかという心意気である――。そして地元の住人達も又そんなことは許さないと息巻いている。

 

 そんな彼らに裁判所が付きつける現実。

 ジェシカ・ワイアット、保釈金額は160万ドル……。

 

 

――――――――――

 

 

――神の意志を理解していると思った

――神の計画に従っているのだと思っていた

――なのに、それなのに

――どうして言葉はここまで無力であるのだろうか。これが人に与えた知恵だとでもいうのだろうか。

――人は火をどうして破壊にしか使わないのだ。その火が自分を焼くことを、どうして理解しない。

――世界は病に侵され。死は広がり続け、希望は輝きをもうとりもどすことはないだろう

――そうだ。そういうことなんだ。

――私は家族を、失い続ける。またも、またしても、そして今も。

――私は父になることはない。父にはなれない、妻も子も。愛せばただ、それは全て灰になって崩れ落ちる。

――ジェシカ・ワイアット

――罪深い女よ、この正義を手にするためにどれだけのことをしてきた。どれだけを苦しめ、お前も焼き尽くしてきたんだ。

――私には見える。お前の破滅する姿が。

――神は今も、我々を見ておられる

――さぁ、ジェシカ。そこまでして手にしたお前の正義で、なにをなすのかを見せてくれ。

 

 浅い眠りから現実へと帰ってくる。

 すべてが焼き尽くされ、灰となった世界で。漢の言葉は呪いのように私の心に刻まれていた。

 そして私はあの瞬間に生まれ変わった。

 己を予言者だとうそぶいた男の血を浴び、その遺体を汚しつくすことで。生命を再びはっきりと感じられるようになった。

 

 私は私を英雄だとは全く思わない。

 それでも人は、この国はあそこから戻ってきた私を英雄と讃えていた。

 彼らの罪を、私への称賛で覆い隠すため……。

 

 そしてわかっている。

 時が流れた。

 人の記憶は薄れ、あの時に生きた人々はみな老いて力を失っていた。もうすぐ声すら出せなくなるのだろう。

 

 そして政府はあの時の間違いを今になって取り戻したいのだという。そのために悩み、苦しい決断を下した私を罪人として扱いたいと。

 私の誇らしい子供たちを苦しめても構わないと。

 政治とは、政治家とは勝手なものだ。口にする正義は自分の都合にあったもので、それが大勢のためなのだからと真顔で口にできる。

 

 あの時、助けが欲しかったホープカウンティを見捨てたくせに。

 私を英雄だともてはやして、復興のシンボルへと祭り上げたくせに。

 

――お前の正義で、なにをなす

 

 あの哀れな狂人でも、最後に真実を口にすることができたということか。

 私は今、追い詰められている。

 そしてあの時の私のように、この檻を打ち破れるほどの力はもうこの体には残されてはいない。わかっている――。

 

 それでも私は。

 私の正義は、誰にも折らせるわけにはいかないのだ。

 

 

――――――――――

 

 

 ジェシカ・ワイアット裁判。

 手続きが始まり、弁護人とジェシカの味方は苦戦を強いられ続ける。

 

 メディアのカメラ、最高の瞬間を求めたハイエナたち、決して彼女に好意的ではない者たちが並び立つ法廷。

 検察側は一向に手の内を見せようとせず。ジェシカが犯罪者であるという証拠をなかなか見せようとしないが、それでも裁判長はこの一件をやめることはありえないと断言した。

 

 有罪への一直線のレールが敷かれようとしていた。

 

 だがジェシカはずっと沈黙を貫いた。

 家族はそれでは守れない。戦えないんだと彼女に訴えたが、ジェシカはわかっていると頷いても。それを改めようとはしなかった。

 

 

 検察側が有罪となる証拠を何一つ提出しない異様な法廷が始まると。

 彼らはいきなりジェシカへの個人面談を希望してきた。

 

 脅迫だ。

 圧迫し、罪を認めさせ、有罪だけをもぎ取ってやろうということだ。

 子供たちは止めたがジェシカはそれに応じるとだけ告げた。

 

 強い母の子供たちは肩を落としたが。それでもまだ絶望はしなかった。

 彼らの目の前にいる母は老いはしても、依然としてまだまだ強かったから――。

 

 

 連邦検察官の目的とは何だろうか?

 それはただひとつ、裁判に出たらそこでは必ず。ひとつでも多くの勝利を手にするということだ。

 そこに真実とか、疑問何て存在しない。なぜなら法廷が明らかにする罪はすでに証拠によって証明できることであり、有罪となるべきだから被告は当然罪人であるべきなのだ。

 

 ところがミア連邦検察官はマズい状況にあった。

 いくつかの理由から、かかわった大きな事件を連続で星を取り逃してしまった。油断はなかったし、運がなかったというしかないが。

 局内での彼女の立場と評価は一気に悪くなり、同僚からは彼女のキャリアはすでに崖っぷちだと見られていた。

 

 だからこんな事件が手元に放り出されてくる。勝ち星を絶対に逃してはいけない案件。

 法律家としてのプライドをズタズタにするような出来レースが用意されているとなんとなく伝えられてはいたが。実際にそれを目の前で見せつけられ、その片棒を自分も担ぐというのは不快ではあったけれど。それでも輝かしい自分の未来のために、キャリアを守るためならばやりきらねばならない。

 

 上の人間たちはかなり慎重で、これほど歪めたら法治国家としてのありようを問われかねないような反則をやっているくせして。裁判が始まる前に決着をつけるように求めている。そして実のところ、彼女をつるし上げるだけの確たる証拠などないことも――。

 

 だから面会を求めた弁護人が、本人がこちらの求めに応じると答えた時は。心の中で勝利を確信し、同時に自分のキャリアが守られたと喜び。わずかだが田舎の連中のために戦ったとかいう昔話を持っている老女の不運を気の毒に、とは思っていた。

 

 だが上司はその報告を聞いても喜ぶわけでもなく。

 より一層注意を怠るなと助言をし、暗にミアの実力を大いに疑問があると考えているのだと隠そうともしなかった。

 このあってはならない裁判は、いつしか敗者が全てを失うというゲームになり替わろうとしていた――。

 

 

――――――――――

 

 

――死者が歩くぞ(Dead man walking)

 

 前を歩く息子が「え?」といって振り返ったが、私は何でもないと告げ。行こうとだけ漏らした。

 この道は私も知っている道だった。

 法の執行者として罪人と共に数を忘れるほど歩いた。でも今日は、私の役目は交代している――。

 

 検察官と弁護士をつけずに1対1での面会。

 母さんわかってるのにどうしてそんなことをいうんだ?僕らはまだまだ戦える、きっと母さんを守って見せる。

 頼もしく育ってくれた彼らの言葉を振り切って私はここにやってきた――。

 

 もう何年も会ってもいないし、言葉も交わしてないロイドからのメッセージで警告は受けていた。

 誰かが私たちが生み出してしまった武器販売ネットワークに興味を持ち動いている。元法権力の側にいたものがそれに関わっているとわかれば、君は間違いなく狙い撃ちにされてしまう。

 国外に出なければ、安全ではいられないだろう、と。

 

 私は彼の忠告を聞かなかった――。

 皮肉だが己の血を否定し、哀れな一族からも背を向けた私であったが。

 忌まわしいものが今は最後の彼らとのつながりとなってしまった。そしなによりここはもう、そんな不義理な私の故郷となってくれた。これを捨ててまで生きようとは思わなかった。

 

 ただその時が来たということだ。

 しかし、だからといって負けてやるつもりはない。子供たちの力を借りなくとも、まだ私には力が残っているのだから。

 

 

 面会前にトイレに行く。

 逃亡の危険はないというのに、ご丁寧に警官たちが入り口までついてきて。トイレの中まで確認してから「さ、どうぞ」と言う。

 苦笑いして入った私は。しかし彼らのようにすべての便座を確認した。確かに無人のようだ……そう見える。

 

「時間がないのだけれどねぇ」

 

 小さな声でつぶやいたが。無人のそこでは響いて聞こえる。

 と、いきなり独特の金属のようなにおいがしてから。電子音交じりに全身を覆い隠すスーツ姿があらわれ、話しかけてきた。

 

「それが新型のステルス・スーツかい?やっぱりデザインはどうにもならないみたいだね」

「――お待たせしました。ミズ、用意は良いですか?」

 

 女性の声だろうか?

 ハスキーな声は性別を判別させず。その手には注射銃が握られていた。

 

「急いで頼むよ。この後は予定が詰まっててね」

「――終わりました」

「手間をかけてすまない、感謝する……もちろんアンタにもね。彼にはそう伝えておくれ」

 

 注射は瞬時に終わり。

 ロイドには最後まで世話になってしまったが――まぁ、いいだろう。

 

 ステルス兵はすぐにまた姿を消すと、私はトイレから出ていく。

 

「マダム、申し訳ありませんが念のために身体検査を――」

「ふざけるなっ!我々の母をどれだけ侮辱すればいいと思ってる」

 

 怒り出す子供らを抑えつつ、彼らの仕事をさせてやる。

 何も出てこないのを確認すると、私は個室へと導かれた。そこが検事との面会の場であった。

 

 

――――――――

 

 

 自分の罪がついに追いついたのだ。

 それを理解した時、どうすべきかをずっと考えていた――。

 

 あの時のホープカウンティに武器が必要だった。戦うための力が、助けが必要だった。これが事実だ。

 彼らはそれを”法にたずさわる者が道を踏み外した犯罪”だと言っている。これも事実だ。

 

 そして法廷には陪審員たちがいる――彼らがこの国の”正義”を判断する。

 私の罪を彼らに判断してもらうことは別に構わない。最少はそう考えていた。私の罪は、あの時の私たちの助けを必お湯とする人々のために下したことだ。簡単な事じゃなかった。

 

 着任直後のこのホープカウンティに背を向けて去ることだけに集中することだって出来たかもしれない。でもそれは……まったく頭になかった。

 だから私にはあれしかなかった。ああするしかなかった。

 ホープカウンティで苦しんだ人々に、希望が与えなくてはいけなかった。ただ追い詰められ、意思を歪められ、怯えを隠して偽りの信仰を受け入れさせたくはなかった。

 

 これはループすることじゃない。

 私には答えはひとつ。私は保安官で、人々の生活を守るために必要なことをした。恥ずべきものは何もない。

 だがその道を歩くためにはあとひとつだけ――知りたいことがあった。

 

 

 ミア連邦地方検事は緊張している。

 当然だ――これからすることは、老女を痛めつけ。お前が罪人だと、善人などではないと理解させることだ。

 裁判で勝利するという宿命を果たすなら、己のキャリアを輝かしいものとするなら。この程度の”汚れ仕事”だって、完璧に乗り越えることができると証明しなくてはならない。

 

 これは対等な”勝負”なのだ。

 あの老女と自分、どちらも崖っぷち。そこから立ち去れる切符は1枚だけ、ミアはそれを逃がすつもりはない。

 なぜなら自分のやることには意味があるし、真実。そして彼女は罪を犯して英雄と讃えられていた、これが真実。負ける理由も負けてやる理由もない。

 彼女を信じる哀れな血のつながらない子供らが悲嘆にくれたって、それはしょうがないことだ――。

 

 

 ジェシカとミア、2人の対面は表面上は穏やかで訴えの確認からはじまった。

 だがそれですむはずがない。すぐに言葉は刺々しさを増していく。

 

「もうこれくらいでいいよ、お嬢さん――こっちも長い事、あんたの側で仕事をしてたんだ。今、ここで何が起ころうとしてるのか。そのくらいのことはわかってるよ」

「……でしょうね。実際、あなたは大した保安官だったわ。

 不法な武器の販売ネットワークを構築し。法を破り、多くの犯罪者の手に武器を与え続け。死人の山を築いていた。

 その一方で地元では優秀かつ伝説の保安官として人々の称賛を受けていた。たいした大悪党よ、婆さん」

「おやおや、連邦検察官。もう構えちまうとはね、余裕がないと言っているようなものだよ」

「そんなことはないわ。必ずあなたをぶち込んで見せる」

 

 現役時代から少しだけ背中が曲がり、体が小さくなっていたジェシカは笑う。

 

「言っただろう、あんたの側にいたって。強がっているのはわかるんだよ。

 派手に火をつけて回っているようだけれど、そういうことをする検事が。同僚からはどう見られて、どう扱われてるのか。こっちがなにも知らないとでも?

 

 あんたは貧乏くじを引かされてここに来ているはずだ。盛んに騒ぐことができるのは、燃やす火がアンタの尻も焼いているからさ」

「話題の息子さんからそれを聞いたってわけ」

「言ったろ、わかるんだよ。

 

 それにあの子に聞く必要もないし、教えることもない。

 あんたがこの裁判で何を手にしようとしているのか。頭のいい子だからうすうす勘づき始めているよ」

「私を見下せる立場だと思っているのかしら?元、保安官署長」

「見下しているのはあんたの方じゃないか?

 どうせ子供たちとその周辺に犯罪の匂いがないか必死になって嗅ぎまわっているんだろう?何か出てきたかい?」

 

 ミアの唇がぐっとかみしめられた。

 この老女に「なにもなかった」と言いたくなくて――そう、なにもなかったのだ。

 この”アメリカ”の国民のくせに、田舎者のくせに。彼女だけではなく、彼らの経歴にも傷ひとつなく、交友関係だって怪しい奴は近づかせてもいない。まるで”そうしておくことが必要”だとでもいうように!

 

「見つけ出して見せるわよ」

「へっへっへっ……やせ我慢?それともプライドかね?

 あんたのような検察官はね。『ないなら新しく作ればいい』って計画を持っているものさ。もういくつか、仕込みは終わってるんだろ?」

「汚職に手を染めた女の発想ね」

「目の前にあるものを見て、過去の経験がそれを教えてくれる」

「へぇ、そう」

 

 ジェシカの顔に張り付いた笑みが気に入らなかった。これをはぎ取らなくては、この席を用意して意味が全くなくなってしまう!

 

「実はね、もうほとんどわかっちゃいるんだよ。

 不法武器販売組織の元締めだのなんだのいって騒いじゃいるが、実はあんたらはそれを証明する証拠は何もないってね。だからこっちも、そういった組織のボスみたいに冷静になって笑っていられる」

「それはあまりにも愚かな考えよ、ジェシカ・ワイアットさん」

「保安官は罪人の嘘の匂いを嗅ぎ分けるんだよ。

 あんたはカメラの前でも、法廷でも、今も。その口が開くたびに嘘をそこら中にまき散らしてひどいものさ」

「よくもそんな口を、私に向かって……恥を知りなさい!あんただって法に携わるものだったというなら、自分の犯した罪がどれほど重いものかわかっていないわけがないでしょう。あんたは人々の日常に何十年もの間、暴力を振りまいてきた。死人を出してきた」

「そこで儲けたドル札はどこにあるんだい?

 自宅は何度も捜索を受けたけど、見つかったとは聞いてないよ」

「まだね!まだってだけよ、必ず見つけるわ」

「それまでずっとこの裁判を続けるつもりかい?さすがにそれは迷惑なだけなんだがね、検事総長なんかも許さないだろ?」

「あなたに心配されたくはないわ!」

 

 ミアは苛立ち、感情があれるのを抑えることができなかった。

 この裁判ではひとつの結論を出すために多くの選択肢を与えられた状態で彼女にかじ取りを任せている。

 勝敗はもちろんではあるが、それよりもこのからくりを弁護側に知られてもならない。なのに自分の弁護士である息子には話していないというが、この老女はまるですべてを知っているかのように自信をもって腹立たしい現実を突き付けてくる。

 

 まるで立場があべこべだった。

 冷静さを取り戻し、態勢を整えよう――。

 

「それでね、検事さん。今日ここで何か決着をつけるつもりだったのだろうけど、それはこっちも同じでね。

 それをあんたにわかってもらいたくて、弁護士(息子)抜きのこの席を了承したんだよ」

「ハッ!さすがにそれはないわね。でもいいわ、ありがとうございました。感謝してますわ」

「感謝はいらないよ。それに正直に言うとね、あんたには怒っているんだ。

 家族を――子供たちを心配させ、わざわざここに呼び戻してしまったからね。そんなことはさせたくなかった」

「どんな極悪人でも、自分の家族は大切というものよ」

 

 ミア連邦検事の頭から熱が抜けきることをジェシカは許さなかったが。それを検事が理解するだけの冷静さは戻ってきていなかった。

 会話のテンポ、間を絶妙に使い。ペースを乱して混乱だけを広がらせていく。

 

「それじゃ面倒なんでここで聞かせて。お互い茶番はしたくないんだからいいだろう。いつやるんだい?」

「なに?」

「罪状を変更することだよ。いつだい?」

「――」

「いつ、殺人に切り替えるんだって。そう聞いてるんだよ、検事さん」

「どうしてそれを――いえ、誰に聞いたの?あなた、それを誰に聞いたのよ」

「ああ、やっぱりそうかい」

 

 検事の顔は真っ蒼になり、真っ赤に変わる忙しいものとなって声が出ない。

 再び先ほどから感じていた不安がよぎる。(部署の誰かがこの話を漏らしたのではないか)と。

 あっさりと決着をつけようと、この場で老女を脅し、なだめて自白を得ようとしたことをくやんだ。

 

 ジェシカという老女はなにもなく、想像で口にしているのではないと感じていた。

 公には出していないが。この裁判のからくりを知っていて、だからこれだけ余裕を見せているのだとも。それを確認させてしまった!

 

 すでに裁判は茶番と化している。

 ジェシカが弁護士に――彼女の息子にそれを伝えれば、すぐにも検察側のカードを明らかにするよう求められるだろう。すると用意された選択肢は、ミアがこの裁判のために用意したものであるという形で証拠が出てくる。

 

――キャリアの破滅だ。

 

「そんなわけはないわ」

「んん、思うにエデンズ・ゲート代表のジョセフ・シード殺害事件。そうだろう?」

「っ!?」

「この婆さんは学があるんだよ、お嬢さん。

 ペトロヴィッチ・マッドナー博士らが推進していたサイボーグ技術が軍用化されてどれだけ年月が過ぎていると思ってるんだい。

 研究者の話じゃ、2090年までには不死身の人間を生み出せるようになるはず。もう、古の皇帝の願いは現実として近づいているって発表が会っただろ?新聞は読まないのかい?」

「……くっ」

「ジョセフの家族がいたんだろ?そいつらを焚きつけたんだね?復讐を囁いた?」

「し、知らないわよ」

「いや、アンタは知っているんだよ。だからここに検事として立っている」

 

 急に自分がとんでもない怪物と2人だけの密室に閉じ込められているのではないかと思った。

 自分が相手に怯えていると悟られるのは殺される危険性を高めるようなものだ。だが動揺は隠せない。

 

 そして聞いてしまった。

 ジェシカが小さな声で「可哀そうにね――」と口にしたことを。自分を、この死の商人が”憐れんだ”、その瞬間。ミア連邦検察官の我慢の限度をこえてしまった。彼女のキャリアで初めてのことだった。

 

「なにが英雄よ!たかが糞田舎で――」

 

 

――――――――――

 

 

 私は罪人として弾劾されるわけにはいかなかった。私を信じてくれたホープカウンティの人々のため。

 私は生贄として、法廷で有罪を宣告されるわけにはいかなかった。私が苦しみ、死を願っている者たちを喜ばさないため。

 私は計画をたてた、自分のための計画を。

 

 私は老いたことで戦い方を変えねばならなかったが。

 戦う理由は、抵抗する理由だけは変わることはない。私の”正義”のために必要なことをする。結果を出す。

 

 椅子に座っている私の体が傾き、前のめりになっていく。

 突然にして心臓が大きく跳ねるのを感じ、目を閉じる。

 胸に、首筋に急激な痛みが襲ってくるが。私はそれを無言で受け入れる――。

 喉に違和感を感じ。気道がふさがって呼吸ができなくなるのを理解した。そして再び心臓が飛び跳ねだす。

 

 私の最期の時。

 私は苦痛を抱いて、永遠の眠りの中に沈んでいった。

 

 

 

 ホープカウンティは英雄を失った。

 美人ではなかったが。強い意志と正義感を持った、強い女性だった。

 

 

 

 南国らしいビーチの上で、今日も老人はただ海を――世界を見つめている。

 もうリタイアした。戦いは終わり、思いは引き継がれた。

 あとは安心して、ここで自分の人生の終わりを待ち続けている。新しい出会いやドラマも歩き出せば始まるかもしれないが――そういう気にはまだなれそうにない。

 

 

 そこにアロハシャツを着てはいたが、妙にきびきびとした動きを見せる若者が。手に新聞と携帯機を持って現れ、それを老人の前の机において無言のまま離れていった。

 それを叱るわけでもなく老人は一度だけうなづくと、ニュース番組をつけ。新聞を開いた。

 

 トップニュースは今一番の注目を浴びているホープカウンティの事件。

 

 かつて暴走したカルト教団に対して戦いを挑んだ女性が。保安官として愛され、英雄と呼ばれた女性が死んだ。

 検察官と1対1で面会し、激しく詰め寄られると不調を抱えていた彼女は――息を引き取った。

 

『――弁護側は母は心臓に持病を持ち、保安官という職もそれで引退していた。そんな女性を検察官はわざと密室に監禁し、自白を強要ようとしたと主張しており。いくつかの証拠があげられていますが。

 検察側はそれらは以前には存在すらしなかったものだ。確認できなかったなどと――』

 

 ジェシカの死をロイドとよばれた男は知っていた。

 あの時、リアルタイムで送られてくる映像の中で。彼女は静かに机に突っ伏して、そして逝ってしまった。

 

 彼女に送り届けたものは最新の暗殺ナノシステム。FOXDIEと呼ばれていた時もあったが。今はそれも違う名前で、性能も比べ物にならないまるで別物となっていた。

 

 だがそれすらもすでに価値を失った古い技術と呼ばれてしまっている。今は人間の体を変異させ、新しい人間へと調整(コーディネート)する技術が主流となりつつあった。普通の人間ができることなど、未来の世界ではそのうち日常でも段々となくなっていくのかもしれない。

 

 

 ロイドはジェシカの要求を拒否したことは結局一度もなかった。

 彼はジェシカの正気も、狂気も飲み込んだ強さを全力で愛で続けた――人の言う、愛だの恋だのが理解できなかったからこそ。誰にも理解されないやり方でそれが出来たのだと思う。

 

 彼女はきっと満足してくれたはずだ。この老人にはそれで十分だった。

 そんな彼女の死でようやくこの老人も解放される。現世の世界との最後のつながり、彼を灰色でありつづけさせた約束。大金を生み出しても、もうそれはこの老人には必要ないものとなった。

 

 携帯に番号を、コール音がおわると相手を確認もせずに老人は一方的に話し出す。

 

「私だ。例の映像だよ、もういいだろう。リストにあるすべてにさっさと配ってもらいたい。

 あの――なんだったかな、連邦検察官もそれで諦められるだろう。苦しめたくないしな」

『……』

「ああ、そうだ。それでいいよ、やってくれ。

 あとひとつ、今から指示書を送るから。それがちゃんと行われるか、監視してもらいたい。私の最後の仕事だ、よろしく頼むよ。それじゃ」

 

 老人は、ドレビンであった時からビジネスは人だと考えていた。

 それは神聖なもので、正しいとか狂ってるとか。どうでもいい話。だからジェシカとの共同作業で作り出したものは今日まではこの老人の手の中でたった一つだけ残り。大金を生み出し続けていた。

 

 だがジェシカは死んだ。

 彼女との約束もまた、ここで死ぬべきだろう。

 

 老人は連絡を終えると続いてどこかにメールを送り。新聞と携帯機に興味を失ったのか、机に上に置く。

 特に開放感のような特別なものは感じなかったが。それまでにない考えが、いきなり浮上してきて老人の体は活気を取り戻そうとする。

 

 広大な世界にただひとり。

 この体ではもう走ったり飛んだりは出来ないが、まだ歩くことは出来る。

 歩けばそこに新しい出会いや風景があるかもしれないし。自分の中に新しい発見だってあるかもしれない。

 

 

 これまでビーチで無表情だった老人は笑顔となって立ち上がった。

 実をいえば歩くだけでも足や腰といった節々に鈍い痛みが感じて不愉快な気持ちがあったはずだが。そんなもの、別にどうでもいいと今ならば受け入れられる気がした。

 

 老人はビーチに背を向けそこから立ち去っていった。

 それからしばらく、輝く砂浜に人は戻ってきていない。




(設定・人物紹介)
・ママ・ボウル
母ちゃんのボウル、というよくわからん名前。
ジェシカがホープカウンティのレジスタンスに武器を必要とするために、ロイドの力を借りて生み出してしまったシステム。

それらは事件後も消滅することはなく。犯罪組織として数十年活動は続いていた。


・ジェシカの死
死因は心筋梗塞。警察の監察医が調べても、原因がわからなかった。


・例の映像
密室の中で老女に検事が怒鳴りつけ。死亡し、崩れ落ちるまでが記録されたカメラ映像のこと。
警察、検察関係者はこの映像をさっさと回収して処分してしまったが。老人によって世界に拡散されてしまい、ジェシカの勝利が決定的なものとなった。

この後、ミア連邦検察官は次々と違法な手段を用意していた頃が露見し。破滅するが、それはまた別の物語。


・彼女との約束
老人もついにママ・ボウルから手を引いた。
しかし組織はシステムを残して生き続けることになる。

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