Wizards on the Horizon   作:R-TYPE Λ

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Report.3 『幻覚症』

 

 

『此処を開けて! 早くッ!』

『止せ、扉から離れろ!』

『彼女を抑えて! 扉から離すの!』

 

悲鳴と怒号が入り混じる中、耐圧扉中央に設けられた強化ガラスの覗き窓、その向こうから繰り返し激しく叩き付けられる複数の掌。

成人のものよりも明らかに小さなそれらは、徐々に嵩を増す赤黒い液体によって汚され、更に強化ガラスをも同じ色へと染め上げてゆく。

それは耐圧扉の向こう、エアロック内部に設置された内部確認用のカメラも同様で、レンズへと降り掛かった大量の血液により、室内の光景は完全に遮られていた。

よって、エアロック内部で何が起こっているのかは、耐圧扉前に設置されたカメラを通して確認できる通路上での狂乱と耐圧扉上の小さな覗き窓、双方より得られる視覚的情報および音声から推測する他ない。

その作業自体は容易だが、しかし決して気楽なものではなく、寧ろ精神的に追い詰められるものである。

エアロック前予備室、そして連絡通路上に響き渡る、少年と少女達の絶叫。

想像を絶する恐怖と苦痛とに蝕まれ、嬲る様に魂を削り取られてゆく人間が発する断末魔。

エアロック内の気圧が低下するにつれ掠れてゆくそれが、その場に存在する全ての人間の魂を蝕む呪詛の様に、幾重にも響き渡っている中での作業なのだ。

事実、予備室内に存在する人員の表情は焦燥と恐怖、そして次第に色濃さを増す絶望に覆われていた。

 

『出して! お願い、あの子達を此処から出してッ!』

『退がって下さい、執務官! 作業の邪魔をしないで!』

『落ち着き、フェイトちゃん! 皆が止めてくれる、辛抱するんや!』

『放してッ・・・放せぇッ!』

『なっ、執務官!?』

 

耐圧扉の前、錯乱するフェイトが咄嗟に技術要員のアタッチメントからネイルガンを奪い、狙いも定めずにトリガーを引く。

瞬間、圧縮空気と共に高速で射出された船体外殻板固定用の大型ネイルが、暴れる彼女を耐圧扉から引き剥がそうとしていた武装隊員、その左大腿部を引き裂いた。

ネイル先端部より展開した大型の返しが、隊員の大腿部皮膚と皮下組織を抉り、鮮血と共に飛散させる。

ネイルはそのまま直進し床面へと接触、膨大な火花を散らしつつ構造物を貫通した。

錯乱の収まらぬフェイトは更に2度トリガーを引き、発射された2本のネイルが壁面を穿つ。

幸運にもそれらが他の人員を死傷させる事は無かったものの、着弾と同時に発生した膨大な量の火花が周囲へと降り注ぐ。

 

『うおッ!?』

『フェイトちゃん!? 駄目、落ち着いて!』

 

如何な高ランク魔導士であろうと、現状の高出力AMF展開環境下に於いて高速で飛来するネイル、次元航行艦の外殻を貫通し固定する為のそれに対応する術など持ち得ない。

このままでは、フェイトがシリンダー内のネイルを撃ち尽くす前に、確実に死人が出るだろう。

そんな彼女の様相から優先的に対処すべき事象と判断したのか、何とか耐圧扉を破壊せんとするなのはとスバル、彼女達を押し止めていたザフィーラが咄嗟にフェイトの背後へと跳び、その右手に握られたネイルガンを叩き落とす。

同時に彼女を組み伏せ、射出されたネイルで大腿部を負傷し倒れ込んでいた隊員へと視線を送った。

隊員は、彼の意図を即座に理解したのだろう。

胸元からアンプルを取り出し、その頭部を折って暴れるフェイトの鼻先へと近付けた。

すると、数秒の内にフェイトの叫び声が収まり、その身体が徐々に脱力してゆく。

そうして、彼女が完全に意識を失った頃、耐圧扉の前に陣取っていたシャリオが悲鳴の様な声を上げた。

 

『駄目、どうして・・・!』

『まだ開かないのか!?』

『システムがこの端末を認識していない! どういう事、何でこんな!』

『まずい、外殻ハッチが開く!』

 

既に、覗き窓を内より叩く手の影は無い。

赤黒く染め上げられた光透過性素材の向こうで、宙に浮いた3つの人影が激しく悶えている。

エアロック内部、人工重力解除。

外部アクセスハッチ、開放。

エアロック内部に残された僅かな大気と共に、次第に動きが鈍くなる3つの影が船外へと吸い出されてゆく。

予備室内に起こる、幾つもの悲鳴。

 

『そんな・・・!』

『吸い出される! 畜生、船外に出ちまう!』

『駄目、駄目だよ! 止めて!』

 

悲痛な叫びを嘲笑うかの様に、遂には影を視認する事すら不可能となる。

一転、水を打った様に静まり返る室内。

端末に噛り付いていたシャリオが床面に膝を突き、項垂れたまま顔を手で覆う。

傍らに立つグリフィスは、固く拳を握り締めたまま微動だにしない。

事態が最悪の結末に至った事を理解するにつれ、其処彼処から無念さと憤りを孕んだ声が零れ始める。

エアロック内部の3人、彼等を救う事はできなかった。

おぞましい苦痛に心身を引き裂かれつつ、彼等は死が満ちる空間へと吸い出されて行ったのだ。

 

『あ・・・あああ・・・!』

『エリオ・・・キャロ・・・!』

 

外殻側のハッチが閉じ、エアロック内部で加圧が開始される。

だが、そのプロセスに意味など無い。

救うべき対象は、既に真空中へと吸い出されてしまったのだ。

少なくともこの時、予備室に居た誰もがそう考えていた事だろう。

だが直後、そんな彼等の諦観を打ち砕く罵声が、通信を介して室内へと飛び込んできた。

 

『・・・さっさと・・・聞こえないのか・・・』

『何・・・?』

『一体どうなってる! 誰も居ないのか!?』

 

ノイズに続いて声が響き渡ると同時、分厚い耐圧グローブに包まれた手が、エアロック内部から耐圧扉上の覗き窓へと激しく叩き付けられる。

否、殴り付けているとの表現が相応しいだろう。

続いて響き渡る、苛立ちと怒りに満ちた複数の声。

 

『医療キット3人分、さっさと持って来いと言っているんだ! 早くしろ馬鹿野郎!』

『コイツ等が死んじまってもいいのか! おい、何を其処で呆けてやがるウスノロめ! さっさとケツを上げろ!』

『彼等を殺す気? なぜ誰も応答しないの!?』

 

其処で漸く、状況を理解したのだろう。

呆けた様に耐圧扉を見詰めていた各員が、一斉に慌ただしく動き始める。

これまで通信の繋がらなかった船外活動班が、エアロックより吸い出された直後のエリオ達を確保、艦内へと引き戻したのだ。

シャマルが運んだ医療キットは、既に予備室床面へと広げられた滅菌シート上に配置されている。

使用する機会は失われたものと思われたが、負傷者を受け入れる態勢は既に整っているのだ。

そうして遂に、予備室とエアロック内部とを隔てる耐圧扉が、鳴り響く警告音と警告灯の明滅と共に開放され始める。

扉が上昇し天井面へと完全に収納されるを待たず、気密服を纏った数人の人影が予備室へと慌しく踏み込んできた。

その内、先頭の3人の腕には、小柄な人影が横抱きに抱えられている。

エリオとキャロ、そしてヴィータだ。

 

『エリオ!』

『ヴィータ、キャロ! 生きて・・・!』

 

彼等の姿を認め、なのはやはやてを始めとする数人が、口々に3人の名を呼びつつ駈け寄らんとする。

だが、そんな彼等の行動は、思わぬ理由により中断する事となった。

逸早く駈け寄らんとしたなのはとスバル、その2人の胸倉を掴み上げる、分厚い耐圧グローブに包まれた手。

2人は咄嗟に抵抗する事もできずに、そのまま背中から壁面へと叩き付けられる。

突然の事に、周囲の人員が驚愕の面持ちを浮かべて動きを止めた。

何より、当事者である2人の驚愕は誰よりも大きい事だろう。

しかし2人を掴み上げる手の持ち主は、彼女達の心中と壁面に叩き付けられた際に上がった苦痛の呻きを微塵も気に掛ける事なく、荒れ狂う感情を声に乗せて叫ぶ。

 

『ッ・・・何を・・・!』

『黙れ! 何の心算だ、なぜ通信を切った!』

『何の事ですか!?』

『惚けるな! 何が「異常なし」だ、これが異常でないとでも!?』

『ハッチ開放の警告灯に気付かなきゃ手遅れだった! それも偶然に! こっちの問い掛けに「異常なし」と答えたのは貴方達でしょう!』

『さっきから何を言ってるんだ!? 応援要請に応答しなかったのは其方だろう!』

 

そしてそのまま、エリオ達から離れた一部の面々が激しい口論を始めた。

だが、互いの話が噛み合わない。

エリオ達を確保した船外活動班の面々は、問い掛けに対し艦内の局員が「異常なし」との応答を繰り返していたと糾弾。

対する艦内の面々は、度重なる呼び掛けにも拘らず船外活動班が応答しなかったと主張する。

両者の主張は平行線を辿り、遂には掴み合いが始まった。

そんな彼等を一喝する、鋭い声。

 

『貴方達、邪魔よ! 協力する気が無いのなら貴方達が船外に出なさい、今すぐに!』

 

シャマルだ。

敵意すら込められた言葉に、色めき立った面々が彼女を見遣るも、射竦める様なシャマルの視線に気圧され言葉を失う。

彼女の視線には、常人には計り知れない程に色濃い、しかし明確にそれと解る程の殺意が込められていた。

彼女の正体を知る者も知らぬ者も、また同類である筈のシグナムやザフィーラ、主であるはやてすら息を呑む程の殺意。

なのはとスバルを掴み上げていた手が狼狽える様に彼女達を解放し、自由となった2人は床面へと座り込んで咳き込み始めた。

しかしシャマルは、邪魔さえされなければどうでも良いとばかりに彼等から視線を外し、エリオ達に対する処置作業へと戻る。

口論を繰り広げていた面々も、漸くエリオ達の状態が深刻であるとの認識に至ったのだろう。

滅菌シート上に横たえられた3人の姿を目にするや否や、其処彼処から小さくも悲痛な声が上がった。

そんな周囲の動揺を慮る事すらせず、更にシャマルが叫ぶ。

 

『呆けてないで身体を押さえなさい! 痙攣が激し過ぎる!』

『押さえきれない! おかしい、出血性ショックにしてもこの痙攣は・・・!』

『力が強過ぎます! これ以上に強く押さえると、負傷者の骨が保ちません!』

 

エリオとキャロ、そしてヴィータ。

血に塗れた3人の身体は、いずれも激しく痙攣していた。

出血性ショックによるものかと思われたが、しかし震え方が尋常ではない。

否、震えるというよりも四肢が暴れ狂っていると表現すべきか。

1人につき2人掛りで押さえ込んではいるのだが、成人のそれには遥かに及ばない膂力しか持たぬ筈の3人の四肢は、その拘束を今にも振り払わんばかりに跳ね回っている。

そして遂に、拘束を振り切ったヴィータの右腕が、張り裂けた皮膚の下から吹き出す血液を振り撒きつつ、彼女を抑え込んでいた局員の顔を強かに打ち据えた。

 

『くあ・・・!』

『ヴィータ! ザフィーラ、押さえ込むぞ!』

『承知した』

 

見るに見かねたか、シグナムがザフィーラを促し、ヴィータの身体を押さえに掛かる。

しかし2人が横たえられたヴィータへと駆け寄り身を屈めた次の瞬間、予期しなかったであろう方向からの力によりシグナムが態勢を崩した。

前のめりに倒れ込む寸前、床面に手を突き身体を支えるシグナム。

その襟首を掴む、細く小柄な血に塗れた手。

ヴィータの右腕が、シグナムの襟首を掴んで引き寄せていた。

突然の事に思考が停止したのか、シグナムは動きを止める。

すると重傷者とは思えぬ勢いで、自身を押さえる手を振り切り上半身を起こすヴィータ。

そうして、血液の飛沫を周囲へと振り撒きつつ、シグナムの眼前に自身の顔を突き付けた彼女は言い放つ。

 

『見ちゃ駄目だ』

 

周囲の音、全てが止まった。

意識の無いエリオとキャロ、そしてフェイトを除く誰もが、唐突に声を発したヴィータへと視線を向け、凍り付いている。

減圧の影響か、ヴィータの容貌は凄惨なものだ。

全身の皮膚が張り裂け、夥しい量の出血により全ての肌が赤黒く染まり、髪の先からは血液の滴が止め処なく滴り落ちている。

だが、何よりも。

目を背けたくなる程に凄惨でありながら、しかし視線を外す事もできぬそれ。

彼女の言葉、その願いを叶える為に刻まれたかの様な、その傷跡。

 

『見ちゃ駄目なんだ・・・』

 

 

 

ヴィータの両眼部であった箇所、大きく抉れた赤黒い「穴」。

 

 

 

『ヴィータ? ・・・ッあ!?』

 

呆ける様にヴィータの名を呼ぶシグナムの声は、直後に混乱と鋭い苦痛を孕んだ叫びへと変貌する。

弾かれた様に動き出したザフィーラが、何時の間にかシグナムの顔面へと翳されていたヴィータの左手首を掴み、そのまま右腕と併せて拘束した。

此処に至り、咄嗟には反応できなかった周囲も、漸く気付く。

床面に膝を突き、屈み込んだシグナム。

彼女が自身の右目を手で覆っている事、その指の間から鮮血が滴っている事に。

 

『鎮静剤を!』

 

シャマルの叫び声と同時、周囲の人員が慌しく動き始める。

其処で、映像は途絶えた。

プリズムディスプレイ上の映像が消えた事を確認し、クロノはブリッジ内の一同、総勢40名を超える面々を見回す。

視界に映り込む表情は気の所為か、どれもこれも例外なく強張って見えた。

自身はどうか、少なくとも表層では平静を維持できているだろうかと、クロノは自問する。

少しでも気を抜けば、自身も得体の知れない不安に呑み込まれるのではないか。

漠然とした予感が、彼には在った。

そんな考えを振り払わんとするかの様に、言葉を紡ぎだす。

 

「以上が2時間前に起こった騒動の全容だ・・・負傷者の容体は?」

「この件では重体3名、軽傷5名。重体者3名につきましては、減圧による全身の裂傷と複数の臓器の損傷、それに伴う大量出血により全員が意識不明となっており、救命処置を施したのち重力タンク内にて仮死状態とし、安静を保っています」

「減圧で裂傷? どういう事です」

 

黙り込むシャマル。

幾度か口を開こうとするものの、的確な言葉が見付からないのか声を発する事はない。

ふと、彼女が此方へと視線を寄越している事に気付き、クロノは別の報告を促した。

 

「軽傷の者はどうだ」

「・・・3名は揉み合いと治療の際に軽度の打撲、1名は大腿部に裂傷。残る1名は右眼球強膜に5㎜の傷、眼窩内に約6㎜の裂傷、瞼の縁から側面に掛けて約1.5㎝の裂傷。大腿部と眼球の負傷者については、早急に医療設備の整った施設へと移して精密検査を受けさせる事が望ましいですね」

「残念だが、現状では不可能といわざるを得ない」

「提督、ハラオウン執務官の様子は」

「今は待機室で休ませてある・・・監視付きでな」

 

言いつつ、息を吐く。

疲労感と共に、締め付けられるかの様な束縛感が、クロノの全身を覆っていた。

艦内AMF、出力低下も未だ停止せず。

魔法の行使も儘ならぬ現状に思いを巡らせ、若干のいらつきが胸中へと生じる。

そんな彼の思考を断つかの様に、ティアナが問い掛けを発した。

 

「船外活動班と艦内人員との、状況認識に於ける齟齬については、何か判明しているのでしょうか。船外に居た人員の話では、艦内から「異常なし」との応答が在ったとの事ですが」

 

言いつつ、ティアナは船外活動班に属する面々へと視線を遣る。

彼等か、艦内の人間か。

どちらかが虚構を述べている可能性も在ると、そう彼女は睨んでいるのであろう。

尤も、彼女自身が現場に居た事も在り、その疑いは殆どが船外活動班へと向けられている様だが。

対する船外活動班の面々も、微かな敵意を孕んだ視線をティアナへと返していた。

だが、ティアナの問いに対するクロノの答えが、場の空気を一変させる。

 

「通信ログを確認した結果、応答の事実が確認された。エアロックでの異常について問い合わせる船外班に対し、繰り返し「異常なし」との返答を行っている」

「やっぱり・・・提督、これは安全管理面および情報管理面に於ける重大な過失です。我々はもう少しで、あの3人を見殺しにするところだった。応答者は誰です? すぐにでも問責を・・・」

「一尉」

 

俄かに色めき立つ船外活動班人員の声を遮り、傍らのコンソールに座する情報分析官へと指示を飛ばすクロノ。

分析官の女性はコンソールを操作し、ディスプレイ上へと艦内見取図を表示する。

その一点、赤い光点が明滅し、その隣に「発信源」との表示が浮かんでいた。

前部デッキ中層部、医務室近辺に位置する部屋。

 

「見ての通り、此処が発信源だ。当然、応答者もこの位置に存在していたものと思われる」

「では、すぐにその人物を・・・」

「僕を含めブリッジに居た28名の内、誰一人として通信に気付かなかった中、何故この人物は応答できたんだ? そもそも、何故こんな場所から応答を?」

「艦内の捜索を行っていた者では?」

「その時間、前部デッキ中層部に居た人員は、予備循環フィルター格納庫での作業に当たっていた2名だけです。他の人員は全てブリッジ及び連絡通路、後部機関室下層部と船外に集結していた事が確認されています」

 

静まり返るブリッジ。

クロノはコンソールに手を伸ばし、ディスプレイ上の明滅箇所を拡大表示する。

発信源との表示が為されたその部屋は、壁面に格納設備らしき空洞が数十も並ぶ、明らかに保管施設と判る構造だった。

明滅は壁面に並ぶ空洞、その1つの内部に位置している。

 

「此処だ。応答者は此処に潜み、何らかの手段で船内外の通信を傍受、妨害した。船外活動班に偽りの状況を伝え、艦内各所に展開する人員の集結を妨げる。そうして状況の攪乱をはかったのだろう」

「艦内に旧政権側の生存者が潜んでいると? なら・・・」

「そうじゃない、そうじゃないんだ・・・」

 

再度、一同の顔を見回すクロノ。

彼が何を言わんとしているのか、それを理解できない者は一様に訝しげな表情を浮かべ、理解する者は一様に好ましくはない感情を表情に滲ませている。

そして、彼の言わんとするところを代弁したのは、右目を白い医療用眼帯に覆われたシグナムだった。

 

「・・・武装隊を始め、重力タンク溶液保存槽内の調査に携わった者なら、その部屋が何かは良く知っている」

「シグナム?」

「死体安置所だ」

 

再び、ブリッジが静まり返る。

幾人かの表情が明らかに強張り、また幾人かは探る様に視線を周囲へと投げ掛けていた。

だが大多数は、疑い様もなく混乱している。

その混乱に、続くシグナムの言葉が拍車を掛けた。

 

「この応答者は遺体安置所の壁面に位置する窪み・・・つまり-196℃の冷凍保存庫内に潜み、其処から攪乱工作を行っていた事になる。そんな環境で生きていられるのなら・・・いや、それ以前に正気を保っていられるのなら」

「つまり?」

「長期間水中に在り全身の組織が崩壊しつつある人間の死体と、極めて狭い暗闇の密閉空間の中で密着し、その臭気と触感を直に感じ取りながら潜み続けるのだ。並の人間なら気が触れてもおかしくはない」

 

ふと、クロノはなのは達を見遣る。

六課の面々はいずれも非常に強靭な精神の持ち主だが、現状ではそれも揺らいでいるのではないかとの危惧を抱いたのだ。

果たして、その危惧は的を射ていた。

なのはとはやては傍から見ても解る程に血の気を失い、スバルに至っては微かに震えている様だ。

ティアナは一見、平常を保っている様に見受けられるも、その視線は鋭く周囲を見回している。

おそらく彼女は、局員の中に旧政権側との内通者が紛れているのでは、と疑っているのだろう。

いずれにせよ、好ましい精神状態でない事だけは明らかであった。

グリフィスやシャリオを含む他の面々も、明らかに動揺している。

そして何よりも、ヴォルケンリッターの面々が動揺を隠し切れていない事実が、クロノの胸中に巣食う不安を増幅させた。

シグナムは何事か考え込んでおり、シャマルは冷静に見えて何かに怯えているかの様な雰囲気を纏い、ザフィーラは常ならぬ視線で周囲を探っている。

この状況下で話を進める事には躊躇したものの、しかし致し方ないとクロノは声を絞り出した。

 

「保管庫の開閉記録は無い。扉が最後に開けられたのは、引き揚げられた死体が搬入された際だ。念の為に内部を検めたが、やはり死体が入っているだけだった」

「・・・死体が応答したとでもいうんか」

「だとすれば正しく、この艦は幽霊船だな・・・いずれにせよ、此方に対し害意を持つ何者かが艦内に潜んでいる事は間違いない」

「それが行方を晦ませたベニラル博士である可能性は?」

「在り得るが、彼は魔導師ではない。気密服など着て入る余裕も無い保管庫内で、彼が生存できるとは思えない」

 

ディスプレイ上の表示を全て消し去り、これまでより心なしか重い溜息を吐く。

これから話す内容が、一同にどれだけの動揺を与える事か。

好ましくはない影響を予期しつつも、しかしいずれは伝わる事と諦め口を開く。

 

「そして、もうひとつ。エアロック内の事件と同時刻、後部機関室でトラブルが発生していた」

「同時刻に、ですか」

「既に連絡通路と船外に居た者を除く、全ての人員がこの件を知っている・・・死人が出たんだ、遂に」

「何があったんや」

 

武装隊員の1人へと、視線を投げ掛けるクロノ。

その隊員は首元に包帯を巻き付けているが、その左側面には紅い色が滲んでいる。

彼が頷きを返した事を確認し、クロノは言葉を続けた。

 

「局員同士の乱闘・・・というより、殺し合いだ。武装隊員と技術要員の」

「な・・・」

 

絶句するはやて。

他の面々も同様で、一様に驚愕をその表情に張り付けている。

クロノは再度コンソールを操作、映像をディスプレイ上へと表示した。

ディスプレイ左上部、後部機関室下層部C9区画との表示。

映像の中央やや右下、定期的に緑色の光が側面に奔る何らかの大型装置横の点検通路上で、武装隊員と技術要員の制服を着た局員同士が何事か激しく言い争っていた。

周囲には他にも技術班および武装隊の人員が集まり始めており、仲裁せんとしているのか数名が歩み寄ってくる。

 

「騒動の発端は判然としないが、分子結合切断機の情報を解析していた技術要員の背後を武装隊員が通り掛かった際に、突如として言い争いが始まったそうだ。だが当事者への聴取では、何を言い争っていたかすら覚えていないらしい」

「覚えていない?」

「争っていた際の事は、曖昧ではあるが覚えているらしい。だが何故、殺し合いに発展するほど激昂していたのかについては、全く思い当たる節が無いと供述している」

 

やがて、武装局員が技術要員の胸倉を掴んだ。

その直後に技術要員が、手にしていたPDAを武装隊員の顔面へと叩き付ける。

否、そんな生易しいものではない。

彼は明らかに、PDAの角で隊員の目を狙っていた。

それだけに止まらず、隊員が怯んだ隙に足元のツールボックスを拾い上げた彼は、そのまま10㎏は在るであろうそれを振り被り、相手の頭部へと叩き付けんとしたのだ。

映像を見守るブリッジ中の人間が、一様に息を呑む気配が伝わってくる。

映像内の人間が一斉に走り出す中、隊員は振り下ろされたツールボックスを辛うじて躱し、再度に技術員へと掴み掛った。

胸倉と頭部を掴み通路横の装置へと叩き付けると同時、機械音に紛れて絶叫が上がる。

見れば、頭部を抑え込む隊員の左手、その親指が技術員の右眼へと突き込まれていた。

凄惨な光景に、クロノの周囲から上がる幾つかの小さな悲鳴。

 

「酷い・・・!」

「何て事・・・」

 

惨劇は加速する。

隊員は更に、右手の親指をも技術員の左目へと突き入れたのだ。

根元まで眼窩へと突き入れられ、更に激しく内部を掻き回す両手の親指。

絶叫が上がる中、慌てて駆け寄ってきた数人が隊員へと組み付き、彼を技術員から引き剥がさんとする。

だが次の瞬間、隊員の頭部が殴り付けられたかの様に、不自然な勢いで後方へと傾いた。

その左目から突き出す、樹脂製らしきグリップ。

大型機器間に於けるデータリンクに用いる接続端子、巨大な針にも似たそれが隊員の左目へと突き立てられていたのだ。

周囲が呆然とする中、一泊遅れて隊員の悲鳴が響き渡る。

その凶行を為した当人である技術員は、視力を失っているにも拘らず自身を拘束する腕を振り解き、必死に端子を引き抜こうとする隊員へと正確に飛び掛かり胸倉を掴み上げた。

体格に勝る相手を容易く床面から吊り上げ、技術員は自身と位置を入れ替える様に背後の装置へと叩き付ける。

そのまま、周囲が制止する暇さえ無く、彼は右手で隊員の頭部を装置へと叩き付け。

 

「ひ・・・!」

 

 

 

直後、装置側面を高速移動する内部機器移動用のアームが、彼の右手と隊員の頭部を削り取った。

 

 

 

「うっ・・・!」

「何だ・・・!?」

 

瞬間、隊員の身体が一瞬だけ緊張し、次いで力を失い床面へと崩れ落ちる。

彼の頭部は口から下のみを残し殆どが失われ、切断面からは激しく血が噴き出していた。

その傍らでは右手首から先を失った技術員が、更にその周囲では直前まで隊員を押さえていた数人が呆然とした儘に立ち竦んでいる。

しかし直後、彼等は一斉に技術員へと飛び掛かり、その身体を引き倒した。

彼が唐突に駆け出し、そのまま自身も装置の側面に張り巡らされたレール、数十ものアームが高速で犇めくその只中へと、その身を投げ入れんとした為だ。

組み伏せられた彼はしかし、何時の間にか残された左手に小型の端子を持ち、それを激しく振り回していた。

その一振りが在り得ない軌跡を描き、彼を組み伏せていた別の武装隊員の首筋を引き裂く。

飛び散る鮮血、堪らず飛び退く隊員。

映像を見ていたザフィーラが、異常に気付く。

 

「腕が・・・」

 

技術員の腕が、異常な方向へと折れ曲がっていた。

関節の可動範囲を無視した、在り得ない方向への屈折。

皮膚を突き破り露出した骨格が、吹き出す鮮血に塗れて赤く染め上げられている。

即ち、技術要員を背面から組み伏せていた武装隊員は、関節を破壊して在り得ぬ方向へと振り抜かれた左腕、その手に握られた端子により首筋を引き裂かれたのだ。

そうして、更に数人が現場へと到着し、技術員の拘束に加わったところで映像は途絶えた。

 

「・・・記録は以上だ」

 

戦慄。

見回した視界に映り込む顔は、何れも同様の感情が滲み出ていた。

今、自身は何を見たのか。

果たしてあれは、現実に起こった出来事なのか。

今にもそんな声が発せられそうな雰囲気を、クロノは明確に感じ取っていた。

だが、それらの疑問が実際に発せられる瞬間を待つ事なく、クロノは技術要員の治療に当たった医療要員へと報告を促す。

 

「リッチ、負傷者の容体は」

「両眼球の破裂および眼窩底部骨折、左腕肘部の開放骨折に右手首欠損。更にそれらに伴う大量出血・・・命が在っただけ幸運でしょう。今も危険な状態が続いていますが、意識ははっきりしています・・・信じ難い事ですが、患者の身体が麻酔を受け付けません。他の薬品に関しても同様で、安全に仮死状態に移行させる事ができず、重力タンクに入れる事もできません」

 

不幸な事に、と最後に付け足された小さな呟きは、幸いにしてクロノにしか聞こえなかった様だ。

だが、その医療要員の思考は、誰にも共通するところだろう。

眼窩を抉られ、右手首を失い、左肘部から骨格を露出させた状態で、意識を失う事もなく覚醒状態を保つという苦痛。

それだけでも想像する事すら憚られるが、続く報告は更に異常な事実をクロノへと齎す。

 

「それと、左肘部の開放骨折ですが・・・外的要因によるものではありません。恐らくは患者自身の腕力を用いた加速により、慣性力と遠心力に耐え切れず自壊したものかと」

「自壊だと?」

 

信じられない思いで部下を見遣るクロノだが、その視線を受けた医療要員は無表情でクロノを見据えていた。

人間が腕を振り抜いただけで、自らの肘部を破壊する。

そんな事が在り得るのだろうか。

否、それ以前に意図して可能な事象だろうか。

 

「提督・・・」

 

クロノを呼ぶ声。

見れば、誰もが不安気な表情を浮かべ、彼からの指示を待っていた。

この艦で何が起こっているのか、これからどうすべきなのか。

誰もが答えを望んでいると理解しつつも、クロノには彼等の要請に対し応える術が無かった。

唯、ひとつだけ言える事が在る。

 

「以後、船内外を問わず4人1組での活動を厳守せよ。各自、単独行動だけは絶対に避けろ。常に互いを視界に入れておくんだ」

 

この艦は、まともじゃない。

 

■ ■ ■

 

「クロノ君・・・」

「ハラオウン提督」

 

呼び掛けた声が、同じくクロノを呼ぶ声と重なる。

場所はブリッジを出てすぐ、前部デッキ各階層を繋ぐエレベーター前の通路。

慌しく各部署へと散開してゆく人員の中、はやてともう1つの声の主は、驚きと共に互いの顔を見合わせる。

 

「シャマル・・・」

「はやてちゃん?」

 

負傷者の診断結果らしき情報を表示した第152観測指定世界製のPDAを手に、はやての顔を見詰めるシャマル。

2人の前方には、エレベーターを待つクロノと先ほど報告を行った医療要員。

クロノははやて達を見遣り、無表情の儘に言葉を紡ぐ。

 

「何か問題でも在るのか、はやて・・・シャマル」

「問題じゃない事なんて、この艦に在るんか? 冗談や、少し訊きたい事が在ってな」

「私からも、少し」

 

数秒ほど此方を見詰め、クロノは無言のまま身振りで移動を促した。

リッチと呼ばれた医療要員も、この後の話に加わるらしい。

移動先は、エレベーターから20ⅿほど離れた緊急時階層間移動用シャフト。

中世建築の様な螺旋階段の中心を、無重力環境下に於いて人員と物資が通過できるよう、直径3ⅿ程の吹き抜けが貫いている。

全員がシャフト内へ入ると、クロノは扉をロックするよう指示した。

 

「何故?」

「此処からの話は、あまりクルーに聞かれたくない。混乱を助長する恐れが在る」

 

螺旋階段途中の狭い踊り場で、クロノはポケットに手を入れたまま手摺に背を預ける。

彼らしからぬ砕けた振る舞いに違和感を覚えるも、それが互いの階級を抜きにしての情報交換を行う為の意思表示と気付くはやて。

だが、誰も言葉を発しようとはしない。

互いに無言のまま、数十秒が過ぎた頃。

 

「君達も気付いたのか? 今回の騒動・・・異常性に」

 

その言葉に、床面を見詰めていた視線を跳ね上げる。

クロノは床面に視線を落とした儘であったが、数秒ほどしてゆっくりと此方へ顔を向けた。

その顔には、如何なる感情も宿ってはいない。

醒め切った視線に薄ら寒い感覚を抱きつつも、はやては呻く様に言葉を絞り出した。

 

「フェイトちゃんの錯乱・・・あれは、明らかにおかしかった。フェイトちゃんがあの2人を大切に思っとる事は、私かて知っとる。でも・・・」

「2人が死に掛けているからといって、錯乱して周囲の人間を無差別に傷つけようとする人格ではない」

 

はやての言葉を遮り、クロノが核心を口にする。

はっとして再度に彼を見遣るも、しかしクロノは表情を全く変えずに此方を見据えるのみ。

思わず次の言葉を呑み込むはやてを余所に、クロノが続ける。

 

「だが、現実は違う。彼女はネイルガンを奪い、周囲に向けてそれを乱射した。何故だ?」

「それは・・・」

「そして、船外活動班の・・・ソロモンという男だが・・・彼の行動も信じ難い。あの温厚な彼が、なのはとスバルに掴み掛かった。しかも、いとも容易く2人の身体を掴み上げて、壁に叩き付けたんだ。戦闘要員でもない人間が、長らく前線に身を置いてきた魔導師を」

 

予備室での光景を思い出すはやて。

そう、エリオ達を確保し、艦内へと戻った船外活動班。

その内の1人がなのはとスバルを締め上げ、挙句には壁へと叩き付けていた筈。

2人は必死に抵抗していたが、拘束は微塵も揺らぐ様子が無かった。

あれが、戦闘要員でもない後方支援要員によって為されていたというのか。

 

「そして、君の様子もおかしかった」

 

続く言葉と共に、クロノがシャマルを見遣る。

視線を受けた彼女は、何を言うでもなく沈黙した儘。

その瞳を正面から見詰め、クロノは続ける。

 

「映像中の君の様子からは、明確な殺意を感じた。これは僕の憶測に過ぎないが・・・AMFによる干渉が無ければ、君は彼等に対しクラールヴィントを使用していた。違うか?」

 

シャマルは答えない。

だが、僅かに逸らされた視線が、彼女の内心を雄弁に物語っていた。

はやてが信じ難いと言いたげな表情でシャマルを見遣る中、クロノは言葉を続ける。

 

「極め付けは機関室の件だ。あれは最早、正常な人間の所業じゃない・・・ニールの容体に変化は?」

「特に変化は在りません。しかし・・・」

 

技術要員の容体について問うクロノに対し、何故か口籠るリッチ。

しかし意を決した様に、彼は報告を再開した。

 

「・・・誰かと、話をしている様です」

「話だと? 面会が在ったという報告は・・・」

「いえ、誰という訳ではなく、常に独り言を・・・というより、誰かと会話している様な発言を続けているんです。あまりに小声で、殆ど聴き取れないのですが。他にも小さく笑ったり、かと思えばすすり泣いたり、情緒不安定な様子が見られます」

「何か、聞き取れた言葉は?」

「・・・童謡を、謳っていました。ミッドチルダ北部の、親が子供に歌い聴かせる類の。それと・・・彼の妻と、息子の名前を」

「息子? 子供が居ったんか」

 

沈黙。

クロノは僅かに視線を落とし、リッチもまた口籠る様な素振りを見せている。

まさか、とはやてが口を開くよりも早く、答えは齎された。

 

「死んだよ」

「え・・・」

「殺されたんだ。一昨年、実の母親の手で」

 

絶句するはやて。

そんな彼女を余所に、無感動なクロノの声が続く。

 

「第11管理世界の政情不安で、長期任務が4年も続いた所為だろう。夫の不在が続いた所為か、ニールの妻は精神を病んでしまったんだ。更に悪い事に、彼女は元本局所属の魔導師だった」

「提督、まさか」

「そうだ。彼女は魔法を暴発させ、それに息子を巻き込んで死なせてしまった。陸士部隊が駆け付けた際には、半狂乱になって我が子の蘇生を試みている最中だったそうだ・・・誰がどう見ても、助かる筈もないのに」

「彼の息子・・・ロイル君は、頭部の殆どを失っていたそうです。そして母親も、自分のしてしまった事、どうやっても息子が生き返らない事を理解してしまったんでしょう。周囲が止める間も無く、自らの顎下に直射弾を・・・」

 

其処で、言葉は途絶えた。

沈黙が満ちる中、聴覚を支配するシャフト内を吹き抜ける僅かな風の音。

身体の内へと込み上げる、云い様のない不安。

打ち破ったのは、更なる不穏を齎すシャマルの言葉。

 

「・・・提督。先程は混乱を避ける為に報告を止めておりましたが」

「解っている、報告してくれ」

「エアロック内より救出された3名の傷は、減圧に因るものではありません」

 

言いつつ、シャマルは白衣の懐から小さなサンプルケースを取り出す。

四角柱状の透明なケース内に封入されているのは、僅かな赤みの付いた黄白色の塊。

それが人間の皮膚組織であると理解した途端、はやては自身の血の気が引いてゆく事を自覚した。

そして、続く言葉は彼女に更なる混乱を齎す。

 

「彼等は自分自身の、或いは互いの身体に爪を突き立て、常軌を逸した力で組織を引き裂いたものと思われます。3人の爪からは、全員分の皮膚や肉片が採取されました。傷跡から検証しても、ほぼ間違い無いかと」

「自分で、自分の肉体を引き裂いたやと? そんな、馬鹿な・・・」

「事実だ。僕も検証結果に目を通したが、そうとしか考えられない。見方に依っては、彼等は集団自殺を図ったと考える事もできる・・・余りに非効率的かつ、苦痛を伴う方法だが」

「クロノ君・・・!」

 

思わず発せられる、咎める意思を帯びた声。

家族や部下が自殺を図ったなどと、たとえ推測であっても聞きたくはない。

はやては、自身の捜査官としての視点をかなぐり捨てようと、その可能性を認める心算など無かった。

否、在り得ないと確信していた。

彼らが自殺せねばならない理由など、自殺を図る程に思い詰める要因など、一体何処に在ったというのか。

 

「幾らこの状況でも、言って良い事と悪い事が・・・!」

「いいえ、はやてちゃん。そうとしか考えられないんです」

 

はやての想いを否定する言葉は、あろう事か家族より発せられた。

自身が発しようとした言葉を失い、信じられない思いでシャマルを見遣るはやて。

その視線を受ける彼女は、無表情のまま続ける。

 

「思い出しませんか。重力タンク溶液の保存層内部から引き揚げられた、あの死体」

「・・・いずれの死体も、酷く損壊していた。皮膚をズタズタに引き裂かれて、内臓器官まで・・・まさか、あれも?」

「ええ。タンク内の死体は全て、自傷行為、或いは他者との相互致傷行為により死亡したものと思われます」

「眼球を抉り出したのも、空尉自身によるものでしょうか」

 

全員が、リッチを見遣った。

彼は自身のPDFを操作し、映像を中空へと投影する。

映し出されるは、保存層内部より引き揚げられた死体の検証記録。

その悍ましい映像を前に、彼は続ける。

 

「彼女は言っていた。『見ちゃ駄目だ』と。その言葉通り、何事かを目にしたくないが為、自身の眼球を抉り取ったとは考えられませんか」

「見たくない・・・そんな理由で眼を抉る人間が居るとでも?」

「在り得ない事ではないと思いますが。事実、これらの死体も皆、一様に眼球が失われている。やはり自身で抉ったか、互いに抉り合ったと考えられます」

「ヴィータに至っては、シグナムの眼まで抉ろうとしていた。彼女の言葉通りなら、自身が見た『何か』をシグナムまでが見る事態を防ぐ為に、彼女の眼を・・・」

「ならエリオとキャロはどうなんや? 2人もエアロック内部に居った、でも眼球は・・・!」

「死体となって発見されたクルーとヴィータには共通点が在る。あの2人には、それが無い」

 

クロノの言葉に、はやての脳裏を過ぎる光景。

回転する三重の磁気リング、鋭い棘状の構造物に覆われ回転する球状のコア。

宛ら拷問器具の様な、異様な構造物。

 

「・・・コア?」

「『ゲート』と云うべきかな、この場合は。彼女はその『向こう』へと行き『何か』を見た・・・なのは達の証言が正しいのならば、そういう事とは考えられないか」

「無論、この艦の本来のクルー達も同様でしょう。彼等は重力推進を作動させ、何処かへと旅立った・・・恐らくは、空尉と同じ場所へ。その結果、彼等は其処で目にした光景を二度と見たくないが為に自身の眼を抉り、更には命まで絶ったのではないでしょうか。突飛な考えかもしれませんが・・・」

「・・・何処へ行ったんや? 何を見たと?」

 

誰もが押し黙り、視線を彷徨わせる。

答えられないのか、はたまた答えたくないのか。

どちらであるかは解りきっているというのに、その疑問を声に乗せてしまいそうになる。

そんな自身を抑えるはやて、彼女の鼓膜を震わせるのは家族の声。

 

「触れたくない・・・触れられたくない過去は、誰にだって在る・・・況してや、それが私達の様な存在なら・・・」

「シャマル?」

「思い出したくない・・・忘れたままで・・・そうでなくとも、記憶の奥に押し込めて・・・今更、償える訳でもないのに、掘り起こされて・・・!」

「おい・・・?」

 

其処で、異常に気付く。

途切れる言葉、シャマルの呼吸音。

酷く荒い、くぐもったそれが辺りに響いている。

咄嗟に彼女の身体に腕を伸ばし、正面から肩を支えた。

 

「シャマル!?」

「もう、嫌・・・! こんな、こんな事・・・謝ったって、許される訳・・・!」

「何だ、どうしたんだ!? リッチ!」

「退いて下さい提督! 過呼吸症です、退いて!」

「何でこんなものを見せるの・・・!? どうやって・・・!」

「シャマル、しっかり!」

 

シャマルの顔は強張り、視線はシャフトの中央を見据えている。

徐々に荒くなる呼吸、痙攣の様に震え出す身体。

はやては気付いた。

シャマルの震えは、身体的な異常からくるものではない。

 

「許して・・・お願い、許して・・・! お願い・・・お願い・・・!」

「シャマル・・・!」

 

これは、恐怖だ。

心底より沸き起こる怯えが、彼女を子供の様に震わせているのだ。

叱責の鞭を待つ幼子の様に。

断罪の時を待つ罪人の様に。

執行の鐘を待つ死刑囚の様に。

そして、同様の恐怖を抱えている者は、彼女だけではなかった。

 

「シャマル、何を見ている? 其処に何が見えるんだ?」

「クロノ君、今はそんな事・・・!」

「何が居るんだ!? 何を語り掛けてくる!?」

「な・・・」

 

絶句するはやて。

クロノの様子は、明らかにおかしかった。

彼はシャマルに問いを投げ掛けながら、しかし視線は彼女と同じく、シャフトの中央へと固定されている。

宛ら、其処から視線を外す事を恐れる様に。

目を離せば、その瞬間に恐ろしい何かが襲うとでも云わんばかりに。

恐怖と焦燥とを表情に滲ませ、彼は薄暗いシャフトの宙空を睨む。

 

「何が・・・」

 

何が見える?

何が聞こえている?

シャマルとクロノ、2人が見ているものは同じなのか?

解らない。

幾ら薄闇を覗き込んでも、自分には何も見えないし、聞こえない。

シャフト内を吹き抜ける、乾燥した冬の空気の如く凍える風の音が、鼓膜を揺らすだけだ。

 

「此処を離れましょう、捜査官。この症状は・・・また、幻覚かもしれません。此処に留まるのは危険です」

 

掛けられた声に振り向くと、何時の間にか移動したリッチが、通路へと繋がる扉の前で彼女を呼んでいた。

その傍では壁に寄り掛かる様にして項垂れるシャマルと、額を押さえて何事かを思案する素振りを見せるクロノの姿が在る。

どうやら暫しの間、彼女自身も気付かぬ内に呆けていた様だ。

 

「2人を医務室に・・・いや、人の多い場所の方がええかもな」

「大丈夫です、今は医務室にも5、6人程が詰めています。混乱を避ける為にも其処が良い」

「分かった、ほな行こか」

「ええ・・・しかし、此処は妙に暑い。何故、艦内でこんな湿度が・・・」

「・・・え?」

 

リッチの言葉に、足を止めるはやて。

今、彼は何と言ったのだ?

 

「・・・暑い?」

 

自身の右頬、肌に触れる。

冷たい。

鳥肌まで立っている。

リッチは、彼は感じないのか。

こんな、凍える様な空気だというのに、暑いだなんて。

まさか、彼まで幻覚を?

だとすれば、幻覚作用を持つ物質の散布が行われているのではないか?

 

「待つんや、迂闊に開けると・・・ッ!?」

「捜査官?」

 

手の甲に触れる、冷たい感触。

恐れる様にゆっくりと、視界へと翳される手。

其処には、一粒の水滴が在った。

 

「どうされました、捜査官?」

 

視界に映り込む、綿毛の様な白い粒。

ひとつ、ふたつと数を増したそれが、周囲へと舞い落ちてゆく。

周囲の空気は更に凍え、吐く息は何時の間にか白く染まっていた。

 

「嘘やろ・・・?」

 

知っている、これが何であるのか、知っている。

『何時』の光景であるのか、自分は知っている。

知らない筈がない、忘れる訳がない。

 

あの日、あの雪の日。

全ての決着が付いた、彼女が決着を付けた日。

大切な人を失った、大切な家族が逝った日。

 

 

 

「はやて」

 

 

 

リインフォースが、逝った日。

 

「捜査官ッ!?」

 

瞬間、振り返りたいという誘惑を強引に振り切り、はやては扉へと走った。

掌をパネルへと叩き付け、開いた扉の向こう、通路へと倒れ込む様にして転がり出る。

乱れる呼吸、上手く息ができない。

額から流れ落ちた汗が目に入るが、瞼を閉じる事すら叶わない。

 

「どうしたんです、突然?」

 

走り寄るリッチの言葉すら無視し、はやては恐る恐る視線をシャフト内へと向けた。

だが、其処には相変わらずの薄闇が広がるばかり。

雪の欠片も、況してや『彼女』の姿も在りはしない。

扉から吹き付ける風は、湿度を孕んだ粘着く様な温風だ。

冬の夜天を思わせる冷気など、微塵も含んではいない。

 

「在り得へん・・・」

「捜査官・・・まさか、貴女も」

 

流れ落ちる汗を拭う事もせず、はやては頷く。

と、視界の端に映り込む、漆黒のブーツ。

徐に視線を上げると、傍に立ったクロノが此方を見下ろしていた。

少し向こうでは、壁際の段差に腰を下ろしたシャマルが俯いている。

 

「クロノ君・・・何を、見たんや」

「・・・そうか、君もか」

 

何時も通りの仏頂面ながら、何処かしら蒼褪めた様相のクロノは、緩慢な動きでシャフト内へと視線を向けた。

何かを呟いた様だが、内容を聞き取る事はできない。

だが、余り宜しくない意味を孕んでいる事は、彼の表情から容易に見て取れる。

そして、彼は続けた。

 

「この艦は、異常だ」

 

知っている。

否、身を以って嫌と云う程に知らされた。

この艦は普通じゃない、何処かが狂っている。

だが、その異常性の正体は何だ?

 

「知っているの・・・」

「・・・シャマル、何て?」

「知っているのよ、はやてちゃん・・・この艦は、知っているの」

 

掠れた声。

シャマルは両腕で自身の肩を抱き、子供の様に震えていた。

その姿に尋常ならざるものを感じつつも、はやては言葉を挟む事ができない。

 

「思い出したくない事、忘れたかった事・・・大切だけれども、とても辛い事・・・この艦は全部・・・全部、知っている・・・だから、好きにそれらを見せ付ける事ができるのよ」

「・・・そんな事ができるのは、ロストロギアくらいのものだ。この艦にそんなものが在るとでも?」

「誰にも話していない・・・はやてちゃんにだって、話せない・・・話せる訳がない・・・知っているのは私達だけ、なのに」

 

クロノの問い掛けさえ聴こえていないのか、虚ろに呟き続けるシャマル。

云い様のない不安が、はやての胸中を埋め尽くしてゆく。

 

「何で、知っているの? この艦は何なの? どうして、闇の書の時の罪なんて・・・」

「シャマルッ!」

 

堪らず、シャマルの声を遮るはやて。

駆け寄り、彼女の頭を抱え込む様にして抱き締める。

その腕にしがみ付く様にして、身体を預けるシャマル。

はやてが視線をクロノへと向けると、彼は既にリッチを促しブリッジへと移動を始めていた。

此方へと視線を向け、軽く頷く。

気遣いへの感謝と共に彼を見送ると、次いではやては天井を仰いだ。

腕を通して感じる、シャマルの震えは止まらない。

彼女はシャフト内で見た『何か』に、心底より恐怖している。

先程の言葉通りであるならば、彼女は其処に何らかの過去を現出させられたのだ。

 

それが何であるのか、できる事ならば訊いてみたい。

自分達は家族なのだから、とはやては思う。

家族の過去、余りにも残酷かつ凄惨であると知るそれが如何なるものであろうと、彼女は受け入れる覚悟が在る。

だが当の家族が、はやての覚悟を誰よりも良く知る家族が、それを話す事を良しとしていない。

はやてを信頼していない訳ではなく、その重責を背負わせる事を厭うている事は理解している。

だが、こと任務に於いてはヴォルケンリッターの誰よりも冷静である筈のシャマルですら、こうまで取り乱す程の過去。

シグナムやザフィーラでさえ、今に至るまで決して明かそうとはしない、過去の出来事。

寂しさと、何もできないという悔しさが、はやての意識を蝕んでゆく。

そして同時に思うは、この『イベント・ホライゾン』という、未来の地球に於いて建造された宇宙船の事。

 

何故、知っている?

リインフォースの事だけではない。

クロノの事も、ヴォルケンリッターの過去ですらも『知っていた』。

或いは『暴いた』とでもいうのだろうか。

幾ら艦内大気成分をチェックしても、幻覚を誘発する類の成分は検出されなかった。

常時低出力AMFが作動している状況下では、ロストロギア級の幻覚作用機構でも機能に支障を来す筈だ。

それ以前に、艦内構造物からは一切の魔力素が検出されていない。

この事態は、魔法技術体系に連なる現象によって引き起こされているものではないのだ。

 

否、そもそも本当に幻覚なのか?

あれは、あの両親とリインフォース、手に触れた雪の冷たさは、断じて幻覚などではなかった。

根拠など存在しないが、そう断言できる。

或いは、この思い込みこそが齎された異常なのだろうか。

だが、どうしても幻覚などとは信じられない。

先程の声も、冷静に考えれば本物のリインフォースである訳がない。

彼女はもう、何処にも居ないのだから。

 

だが『何か』が居たのだ。

あのシャフト内、闇の奥に。

本物のリインフォースでなどある訳がない、しかし偽物でもない『何か』が。

自身の脳内から具現化された、幻影なのだろうか?

だとすれば、どうやってそんな事を?

 

「・・・もう、大丈夫です。ごめんなさい、はやてちゃん」

 

何時の間にか、シャマルの震えは止まっていた。

はやてが、彼女を抱き締めていた腕をゆっくりと解くと、シャマルは殊更ゆっくりと立ち上がる。

何か言葉を掛けなければと思うも、目前の彼女の憔悴し切った表情に何も言えなくなるはやて。

そんな彼女の内心を悟ったか、シャマルは弱々しくも微笑んで見せた。

 

「本当に大丈夫よ・・・心配、かけちゃいましたね」

「ええよ、そんな事・・・『家族』やないの、私達」

「・・・ええ。『家族』なんですよね・・・誰だって『家族』が居て・・・いいえ、居たのに・・・」

「シャマル」

 

またも、何事か虚ろに呟き始めたシャマルの手を、強く握るはやて。

思い詰めた表情を此方に向ける彼女、その瞳を正面から覗き込み、告げる。

 

「今は何も訊かんし、これからも催促する事なんかない。でも、1人で背負いきれなくなって・・・シグナムやザフィーラ、ヴィータにも背負い切れなくなったら・・・その時は」

 

言葉を区切り、息を吸う。

そして、有りっ丈の覚悟と想いを伝える為に、それらを声に乗せる。

 

「私が居る。リィンが居る。他の誰が受け入れなくたって、私達だけは全部受け入れるから・・・だから」

「はやてちゃん・・・」

「だから、頼ってや。自分達だけで抱え込んで・・・潰れるなんて、絶対に許さへんから」

 

視界が歪む。

シャマルを励まそうとしている癖に、泣きそうになっている自分が情けない。

そうは思ってもはやての意思では、涙腺の緩みは抑えられそうになかった。

と、聞こえてくるは小さく吹き出す音。

 

「・・・はやてちゃん。それ貴女は人の事、言えないわよ」

「そんな。落ち込んだ美人さんの家族を励まそうとする健気な美少女に、何て言い草なん」

「もう美少女って歳じゃないでしょ・・・美女っていうなら、心から同意するけど」

「ええの、私は少女でええの。あと10年は美少女で通してみせるんやから」

 

始まった軽口の応報に、安堵を覚えるはやて。

表面的なものかもしれないが、シャマルは一応の平静を取り戻したようだ。

そして、此方の言葉を受け入れてくれた。

リインフォースの声から際限のない混沌に突き落とされていた意識が、ようやく光の中へと引き揚げられたかの様な安心感が自身をも癒す。

やはり彼女は、シャマルは笑っていてくれた方が嬉しい。

家族のムードメーカーである彼女の笑顔に、これまでも皆が癒され救われてきた。

それが陰りそうになったなら、其処に陽を差し救うのが家族の役割だと、はやては考えている。

その想いを、シャマルは汲み取ってくれた。

否、彼女も同じ想いを持っていてくれるからこそ、立ち直ってくれたのだろう。

その強さと優しさに自身こそが救われているのだと、はやては家族への感謝を捧げる。

そして、シャマルは明るい声ではやてを促し、歩き始めた。

 

「行きましょうか、はやてちゃん。シグナムとザフィーラにも心配を・・・」

「シャマル?」

 

唐突に、言葉が途絶える。

同時に止まる、シャマルの歩み。

その背を目で追っていたはやてが、不自然さを感じ取り歩み寄るが、彼女は微動だにしない。

シャマルは通路の向こう、はやてからは彼女の背に遮られ見えない其方へと視線を投じたまま、彫像の様に動きを止めている。

傍らに歩み寄ったはやては、自身より幾分高い位置に在る家族の顔を見上げ、凍り付いた。

 

人智の及ばぬ恐怖。

それに曝された時、人はこんな形相となるのだろうか。

そんな思考が浮かぶ程に歪み、怯え切ったシャマルの表情が、其処に在った。

唇を震わせ、今にも泣き出しそうに歪められた眦。

しかし、その視線だけが正面を向いたまま微動だにしない。

導かれる様に彼女の視線を辿り、自らも通路の先へと視線を投じたはやては、其処に佇むものを目にするや否や、意識と身体の双方を凍て付かせた。

雪の様な白、冬の怜悧な空気を思わせる銀糸。

 

「はやて」

 

 

 

リインフォースが、其処に居た。

 

 

 

「シャマル」

 

名を呼ばれ、しかし声を返す事ができない。

それ程までに、はやての意識は凍結していた。

彼女が、其処に居る。

懐かしい彼女が、大切な彼女が、二度と会える筈のなかった彼女が。

すぐ其処に、5mも離れていない場所に佇んでいる。

だというのに、駆け寄る事ができない。

はやての脚は、目に見えぬ蔦に幾重にも絡まれたかの様に、微動だにしない。

 

分からない。

自分が震えているのか、微動だにしていないのか。

無表情なのか、シャマルと同様に恐怖に歪んだ表情をしているのか。

悲しんでいるのか、怒り狂っているのか、狂喜しているのか、怯えているのか。

自分の事に気を回す余裕など、在る訳がない。

 

仕方ないじゃないか。

だって今の自分には、リインフォースが何を求めているのか解らない。

家族だというのに、あれだけ心を通わせ合ったというのに。

彼女が喜んでいるのか、悲しんでいるのか、それさえも解らない。

自分とシャマルの名を呼ぶ声。

一切の感情を宿さぬそれが、嬉しさと懐かしさを押し込めて発せられたのか、或いは怨嗟と憤怒とを抑圧して発せられたのか。

今のリインフォースからは、何も読み取る事はできない。

だって、そうだろう?

 

「待っている」

 

 

 

今のリインフォースには『眼球が無い』のだから。

 

 

 

「待っています」

 

一陣の風。

同じ意味を持つ言葉が繰り返された後、忽然とリインフォースの姿は消え去った。

消える瞬間さえも認識できなかった。

その場に残されたはやてとシャマルの頬を、一陣の風が撫ぜる。

冬の切れそうな空気にも似たそれは、しかし彼女等が知る温かみなど全く含んではいなかった。

 

通路に、ブリッジからの緊急連絡を意味する警告音が響き渡る。

だがそれは、2人の意識へと微塵も割入る事はできなかった。

廃人の様に佇み、何も無い通路の奥を見詰める事しかできない2人。

そんな彼女達を無視するかの様に、スピーカー越しにクロノの声が響き渡った。

 

 

 

「総員、緊急! 後部機関室、第6極低温冷凍機周辺! 監視装置にスカリエッティを確認! 武装隊は直ちに捜索に当たれ!」

 


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