樹界の王   作:月島しいる

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22話 クウテイ

 まどろみの中、温もりがあった。

 ゆっくりと瞼を開けると、全身に蔦が絡まっていた。

 木漏れ日が眩しい。

 身体を起こすと、すぐ傍にいたラウネシアが微笑んだ。

『よく眠っていましたね』

 微笑みを返し、それから全身に絡まる蔦をそっと外す。

 王の種を植えられてから、三日が経過した。

 僕の身体は、徐々に森に同化しつつある。

 森中に広がる点在樹の感覚を自然と拾うことができ、視野が広がったような奇妙な感覚があった。

 これまでの僕は、森の感情を他人のものとして拾ってきた。

 しかし今は、森全体を自分の身体の一部のように感じるようになっていた。

 人間社会で生きていた時は、ずっと孤独感があった。

 異物だという自覚があった。父と由香以外に心を許せる人などいなかった。

 その孤独感が、いまは消え去っていた。

 さざ波のような、穏やかな鏡面が心に広がっていた。

 ぽっかりと空いていた穴が、塞がった気がした。

『まだ眠そうですね』

 寝ぼけ眼の僕を見て、ラウネシアがクスクスと笑う。

 王の種の影響か、よく眠るようになった。

 人としての活動時間が短くなっているのかもしれない。

「……おはようございます。太陽が気持ちいいですね」

 ゆっくりと立ち上がり、木漏れ日を見上げる。

 風で動く枝葉の向こうで、二つの太陽が燦々と輝いていた。

 しばらく、ぼんやりと森を見上げる。

 穏やかな時間だった。

「感性が変わった気がします」

 呟くと、視界の端でラウネシアが首を傾げた。

『どのように変わったのですか?』

「心が落ち着いています。時間の流れがゆっくりと感じられて、それでいて退屈しません。そよ風と陽光がただ気持ちよくて、安らぎがあります」

 頭上の枝葉から目を離し、ラウネシアを見る。

「王の種の影響でしょうか?」

『そうかもしれません。どれほどの影響があるのか、はっきりとお答えすることはできませんが……元の方がよかったですか?』

 問いかけてくるラウネシアに、僕は少しだけ逡巡した。

「……いえ。人間社会で生きていた時は、生きづらさがありました。自分の居場所がどこにもないような、そんな気がしてたんです」

 ずっと違和感があった。

 だから、植物以外に関心を持てなかった。

「でも今は、不思議な納得があります。この森こそが自分の故郷のような気すらしてくるんです」

 ラウネシアが微笑む。

『カナメは、生まれ落ちる場所を間違えたのかもしれませんね』

 彼女の身体から、蔦が伸びてくる。

 全身に絡まるように動き、そっと頬が撫でられた。

『しかし間違いは正されました。あなたは、この樹界の王になるのです。私と二人で、この地に悠久の繁栄を』

 増える蔦が、手にも絡みついた。

 まるで恋人繋ぎをするように、指の間にゆっくりと蔦が侵入してくる。

 ラウネシアの瞳に熱が灯り、彼女の感情が膨れ上がっていくのがわかった。

『カナメ。私はどうしようもなく、あなたに惹かれています』

 熟した果実のような、甘い感情。

 その裏に、揺れる不安が見えた。

『待っています。ずっと。あなたが私に応えてくれることを』

 待っている。

 由香もそう言っていた。

 そして答えを返す機会を失ってしまった。

 同じことを繰り返すべきではない。

「ラウネシア」

 大きく息を吸う。

 肺腑の中に、朝の冷たい空気が入ってきた。

 ラウネシアの瞳に期待の色が宿った。

「僕は――」

 かさ、と頭上で音がした。

 続いて、後方で鈍い音がした。何かが潰れるような音だった。

 思わず振り返ると、赤いものが散らばっていた。

 脳髄だった。

 まるで潰れた果実のように、頭が割れた軍蟲が横たわっていた。

 思考が、止まる。

 状況を理解する前に、頭上から激しい音がした。

 枝葉の折れる音。

 立ち上がって、周囲を見渡す。

『これは――』

 ラウネシアの警戒の感情が森全体に広がっていく。

 見上げた林冠から、複数の影が落ちてくる。

 軍蟲だった。

 空から落ちてきた軍蟲が、次々と地面に激突して鈍い音が響く。

 熟した果実が落ちてくるように、目の前で鮮血が舞った。

「ラウネシア! 空挺ですッ! 軍蟲が空から!」

 叫んでいる間にも、落下してきた軍蟲が頭から地面に激突して脳髄を撒き散らした。

『そんな、ありえません。上空に敵の姿など――』

 ラウネシアの混乱の声。

 しかし、現に軍蟲たちは空から落ちてきている。

 視認が不可能な高度から降下しているということか。

「ラウネシア! 戦闘準備を!」

 一部の生き残った軍蟲たちが、ゆっくりと立ち上がり始める

 状況を確認しながら、類似した史実に思い至る。

 第二次世界大戦のソ連。

 大雪の中、パラシュートをつけずに敢行された降下作戦。

 記憶にある限り、それは多数の負傷者を出して失敗したはずだった。

 背筋を冷たいものが走った。

 敵の迷い人は、狂人に違いない。

 この作戦を実行すれば大半が墜落死することを知っているはずだった。

 目的の為ならば手段を選ばないという事。

 敵の迷い人がいる限り、ラウネシアの生存は危ういものとなる。

 機会があれば、何としてでも殺す必要があった。

『カナメ、生きているのは全部で五体ですッ!』

 目の前で、ゆらりと立ち上がる軍蟲たち。

 見たところ、その全員が大きな負傷を負っていた。

 足が折れている者、腕が折れている者。

 そして内一体に至っては頭が潰れているにも関わらず、不死者のように動き始めていた。

 腰のベルトに挟んでいたナイフを抜き、息を吐き出す。

「ラウネシア! 援護してください!」

 叫ぶと同時に、軍蟲が向かってくる。

 胴体が歪み、片足を引きずるように重い動きだった。

 視界が、開ける。

 森全体が持つ情報が、流れ込んでくる。

 軍蟲の一つ一つの挙動が、はっきりと感じられた。

 地面を蹴り上げた僕の後ろから、ラウネシアが援護の蔦を繰り出すのが"視えた"

 軍蟲の振り上げた斧に、ラウネシアの蔦が絡みつく。

 動きを止めた軍蟲の懐に飛び込み、その首筋に向かってナイフを横薙ぎに振るった。

 鮮血が飛び出し、軍蟲の身体が沈んでいく。

 ラウネシアの視界が流れこみ、僕の後ろに立つ軍蟲の動きすら手に取るように分かった。

 振り向きざまに、ナイフを一線する。

 二度目の鮮血が舞う中、上空に影が見えた。

 木漏れ日の向こうに見えるそれは、森を睥睨するように旋回していた。

 ――迷い人。

 無数の死体を作り上げた指揮官は、冷徹に空から戦況を見つめていた。 

「ラウネシア! 上空に敵の迷い人がいますッ! 砲撃できますか?」

『だめです。私の目では視認すらできません』

 先の交戦で、こちらの射程を完全に把握されてしまっているようだった。

 向かってくる軍蟲に向き直りながら、考える。

 敵の迷い人は、僕より格上の存在である可能性が高い。

 正面からぶつかって勝てる見込みはどこにもない。

 講和、の二文字が自然と頭に浮かんだ。 


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