樹界の王   作:月島しいる

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23話 ソウゴカクショウハカイ

 敵の迷い人の戦略思考には、一定の指向性がある。

 すなわち、電撃戦だ。

 以前に敵が用いた焼夷弾は、森全体が耐燃性を有していなければ致命傷になっていた。

 今回の強襲降下作戦も、ラウネシア単独では迎撃が難しいものだった。

 二回とも、状況によってはラウネシアが一瞬のうちに敗北していた可能性がある。

 次の三回目の攻撃を許すのは危険だ。対応に失敗すれば瞬時に敗北する事もありうるだろう。

 講話の可能性を探るためにも、何らかのメッセージを送る事が必要だった。

 逡巡しながらナイフを構え、腰を落とす。

 目の前で軍蟲が咆哮をあげた。

 迫りくる軍蟲に対し、僕は軸をずらすようにゆっくりと横に動いた。

 後方からラウネシアの蔦が伸び、軍蟲を拘束する。

 緩慢になった軍蟲の懐に飛び込み、手首を返して中空にナイフを滑らせる。鮮血が頬を汚した。

 残り二体。

 ラウネシアの援護がある上で、一体ずつ相手するならば軍蟲はそれほど脅威ではないように感じた。

 森全体の情報が流れ込み、死角を取られる心配もない。

 そこまで考えて、思わず苦笑する。

 異形の生物を相手に余裕を保っていること自体が普通ではなかった。

 王の種の影響が、想像以上に大きい。

 僕は既に人間ではなくなりつつあった。

『カナメ。気を抜かないでください』

 ラウネシアの警戒の声。

 頷いて、大きく息を吐き出す。

 頭の中が妙にクリアで、冴えていた。

 既に重症の軍蟲が、なけなしの力を振り絞るように咆哮をあげて向かってくる。

 ラウネシアの蔦が鞭のようにしなり、空中を切り裂いた。

 軍蟲の眼球が、鈍い音を立てて潰れる。

 斧が落ち、悲鳴のような鳴き声が轟いた。

 そのまま踏み込み、喉を切り裂く。

 すぐに巨体が崩れ落ちた。

 これで四体目。

 振り返り、最後の一体を確認する。

 墜落の衝撃で頭が半分ほど潰れた個体が、ふらふらと森の中を彷徨っていた。

 恐らく、目も潰れているのだろう。敵意らしいものはなく、ただ無闇に動いているだけだった。

 そっと近づき、潰れた頭を観察する。

 血以外にも、灰色の液体が垂れていた。

 脳の一部だろうか。

 由香なら臓器にも詳しく、もっと正確なことがわかったかもしれない。けれど、僕は解剖学に興味はなかった。

 すぐ傍まで近づいた僕に気づく様子もなく、軍蟲はふらふらと歩き続ける。

「ラウネシア、捕縛してください」

 声をかけると、すぐに蔦が飛んできた。軍蟲の動きが止まる。

 形を残している口から、奇妙な声が漏れた。

『何をするつもりですか?』

 ラウネシアの声を無視して、軍蟲を観察するために更に近づく。

 腐臭がした。

 潰れた頭から絶え間なく流れる血が、周囲の緑を黒く染め上げていく。

「ラウネシア。これは生きていると言えると思いますか?」

『間違いなく生きています。生命活動は停止していません』

 少しだけ、齟齬があった。

 目の前の軍蟲には果たして自由意思が残っているのか、という問いかけだったのだけれど、ラウネシアは単純に生命活動の有無を答えた。

 そもそも、ラウネシアにとって自由意思という概念はないのかもしれない。

 植物は元来、中枢神経系を持たない。

 ラウネシアには不適切な問いだった。

 少しだけ考えてから、この軍蟲は既に自由意思を喪失していると仮定することにした。

 つまり、何をしても人道的に問題はない。

 僕はラウネシアの横に積んでいる寄生植物の蔦の塊を手に取り、それを軍蟲に巻き付けた。

『カナメ?』

 バックパックからライターを取り出し、息をつく。

「ラウネシア。拘束を解いてください」

 彼女の蔦が、ゆっくりと解けていく。

 その間、僕は空を見上げていた。

 上空には未だ、迷い人と思わしき影が飛んでいる。

 ラウネシアの拘束が解けるのを確認すると、僕は軍蟲に巻き付けた寄生植物にライターを近づけた。

 火をつけると、あっという間に燃え上がった。

『カナメ?』

 ラウネシアの驚いた気配。

 軍蟲の身体が暴れるように動く。

 その間にも寄生植物を中心に炎が広がり、軍蟲の身体が炎に包まれた。

 

 

 

「ゼロサムゲームにおいて、もっとも優れた戦略はたった三行のプログラムで表現できるんだ」

 いつか、由香はそう語った。

「第一に協調路線を選択する。第二に攻撃を受ければ報復を実行する。第三に相手が攻撃をやめれば再び協調路線をとる」

「つまり、相手が攻撃意思を見せない限り、常に協調を選択するということだね」

 由香は満足そうに頷いた。

「ここで重要なのは相手が攻撃をやめれば、こちらも攻撃をやめるということだ。過剰報復は必要ない。優先するべきでは利益の総和であって、私情じゃないんだ」

 この戦略の要は、その単純性なのだろう。

 そして、単純であればあるほど相手はその戦略性を朧げに理解し、協調を選択する。

「TFT戦略と呼ばれる基本的なものだ。これはゼロサムゲームだけじゃなく、あらゆる世界で応用されている」

 由香の笑みが深まる。

「例えば、世界で最重要とされる核戦略だってこれで動いている。既存の核保有国は、全てが協調路線を取っている。もし攻撃を選択する国家が出現すれば、他の全ての国家が報復を選択する。非常に分かりやすい戦略思想だと思わないか」

「相互確証破壊、と呼ばれるものかな」

「そうだ。しかし世の中には合理で動かない人間だっている。例えば、宗教的な衝動によって突き動かされるテロリズムだ」

 由香が指を二本立てる。

「アメリカで起きた同時多発テロによって、カウンターテロリズムの考え方は大きく変わった。現実世界において、TFT戦略は相手が相応の知能を有した正気の人間でなければ正常に機能しないことが証明された」

 それから由香はどこか自嘲するように笑った。

「狂人相手には、どんな戦略だって意味を持たないんだ」

 

 

 

 頭上を旋回する迷い人を見上げる。

 高度が高く、顔を確認することはできない。

 けれど、燃え上がる軍蟲は向こうからでも確認できるだろう。

 そして、先の焼夷弾に対する報復行為であると理解するはずだ。

 ラウネシアの目的は森の維持と生殖であって、軍蟲の殲滅ではない。

 相手が矛を収めてくれれば、この紛争は終わる。

 敵の迷い人が理性的なことを願い、目の前で燃える命を見る。

 肉の焼ける音が、不快だった。

『報復ですか』

 ラウネシアの声。

 軍蟲の身体が沈み、黒煙が激しくなる。

 僕の感応能力は、なにも拾わない。

 心は、動かない。

 僕は狂人かもしれないし、もしかしたらもう人間ですらないのかもしれない。

 それでも必要以上に命を奪おうとは思わないし、やさしい人間でありたいと願っている。

 軍蟲と敵の迷い人はどうだろうか。

 見上げた先で、影が立ち上がって何かを振り回すのが見えた。

 ワイヤーだ。

 僕は思わず後ずさった。

 遠心力を得た焼夷弾が、ワイヤーから切り離される。

 燃え上がる円筒が、放物線を描くのが見えた。

『どうやら、話し合いは不可能のようですね』

 落下し、燃え上がる焼夷弾を見てラウネシアが怒りの感情を立ち昇らせる。

 敵の迷い人は、講和を提示せず更なる裏切りを選択した。

 TFT戦略に則るならば、僕たちは報復を実行しなければならない。

 そして確信する。

 相手の迷い人は危険人物だ。このまま生かしてはおけない。

 上空の影が、ゆっくりと離れていく。

 挨拶するように、一度だけ円を描くような軌道を見せた。

 まるで、この戦いを楽しんでいるかのようだと思った。

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