朝が来た。
夜明け前に朝露と溢水を集める為に、アルラウネの周辺を散策する。
アルラウネを中心とするような空き地。
そしてその周りに点在する粘着性のある植物とギロチンのような葉を持つ植物。
水源と食料は見当たらず、土壌生物さえも発見できない。
ビニール袋とペットボトルが満杯になるほどの水が貯まる頃には朝日が昇り、徐々に気温も上がり始めた。
アルラウネの元に戻ると、彼女は既に目を覚ましていた。
僕の姿を認めると、微笑むように笑った。
そこに敵意は感じられない。
「おはようございます。昨日よりはちょっと元気みたいで良かったです」
話しかけると、頷くようにアルラウネは小さく頭を下げた。
ボクは彼女の前に腰を下ろすと、彼女に向かってそっと手をかざした。淡い好意のようなものが感じられる。
「……お願いがあるんですが、構いませんか?」
問いに、アルラウネの瞳が真っ直ぐとボクに向けられる。
若竹色の透き通るような切れ長の瞳は美しく、思わず魅入ってしまいそうだった。
「果実を分けて頂けませんか。食べるものがなくて困ってるんです」
正直に言うと、アルラウネはにこりと微笑んで、右腕を上げて頭上を指さした。
見上げると、昨日のように果実が降ってくるところだった。
がさ、と周囲に三つの果実が落ちた。
「ごめんなさい。助かります」
割れた果実を拾って、皮を剥いていく。
果肉が多く、種が見当たらない。
まるで食用の為に品種改良を施したかのような果実だった。
口に含むと甘みが広がり、自然と頬が緩む。
「あの、それと。ボクと同じような人間を見たことがありませんか?」
躊躇しながら、結局ボクは食べながらその質問を投げかけた。
植物には人間と同様に光受容体がある。
つまり、視覚がある。
人は明暗をロドプシンという光受容体で知覚する。
そして赤、青、緑の光を知覚するフォトプシン。
この四種類の光受容体に加え、クリプトクロムという光受容体が体内時計を調整する。
植物もこれに類似する光受容体を保持していて、例えばシロイヌナズナは少なくとも十一の光受容体を持つ事がわかっている。
光というものは植物にとっては食料そのものであり、それを感知する術は人間よりも一般的に優れていると言われている。
しかし、その光を像として理解する術を植物は持たない。
近くに何かがいることを植物は理解し、それが赤色のTシャツを着ている事も理解できる。
しかし、それが少女であるのか、おじさんであるのか、という理解を植物はしない。
そこに像という概念は存在しない。
だから、普通に考えればこのアルラウネに過去に人間を見たか、という質問をすることはとても馬鹿らしい事だ。
それでも、今までの会話におけるアルラウネの目の動きから、人に近い視覚を有している可能性が推測できた。
アルラウネはボクの質問の意図を理解したようで、ゆっくりと首を横に降った。
やはり、このアルラウネは人の言葉を解し、人のそれに近い視覚も有していると見て間違いない。
それに対応する知能を有している。コミュニケーションは十分に可能だ。
『私の森に入ったのは、貴方が初めてです』
不意に、感応能力にはっきりとした意思が割り込んだ。
アルラウネが発した感情だとすぐに理解できた。
途端に、思わず後ずさってしまう。
ボクには確かに植物の心を読み取る能力がある。
しかし、ここまで明確に思考そのものを捉えたのは初めてだった。
いや、そもそも植物に明確な自我は存在しない。
中枢神経系が存在しない以上、高度な知的活動は起こりえない。
そこに思考は存在せず、感応能力で拾えるものは自ずと感情に似た大雑把な心の動きに限定される。
しかし、このアルラウネには明確な自我が存在するのだろう。
人間の中枢神経系に似た全体を調整、統括する部位が存在し、人と同じように言語によって思考を実現している。
その結果、思考言語そのものをボクの感応能力が拾い上げたようだった。
「もしかして、喋れるんですか?」
『私は貴方のように音を発する器官を持ちません。しかし、貴方はこちらの意思を読み取る事ができるようですね。それを喋る、と定めるのであれば私は喋る事が可能だと答えましょう』
極めて明瞭な思考。
アルラウネが薄い笑みを浮かべる。
その見た目相応の、大人びた笑み。
想像以上の知性を有していると見られるアルラウネに、思わず言葉を失う。
これと敵対するような事態に陥れば、危険な存在にもなりうる。
「あの、名前はありますか?」
『ありません。この森に高度な情報交換ができる存在は他にいないからです。好きにお呼びください』
クス、とアルラウネは控えめに笑う。
とても植物とは思えない仕草だった。
「……ラウネシア、と呼んでも構いませんか?」
『ええ。どうぞ。貴方には個を識別する名前があるのでしょうか?』
「……要(かなめ)です」
『カナメ。覚えました』
そして、ラウネシアは優しく微笑む。
『食べ物に困っているのであれば、果実を提供する用意が私にはあります』
その代わりと、とラウネシアの思考が続く。
『私に絡みつく植物を引き続き駆除して欲しいのです。いかがですか?』
願ってもいない提案だった。
安定した生活の目処が立ちそうだ。
「……是非お願いします」
ボクの言葉にラウネシアは笑みを絶やさず、大きく頷く。
『良かった。貴方とは良い関係を築けそうです』
「じゃあ、昨日の続きをやっていきますね」
そっと彼女の樹体を観察する。
ラウネシアに絡みつくシメコロシ植物の根は、やはり伸びていた。
切れた補給線を取り戻そうとするように、長大なラウネシアの外周中から下へ下へ迷うことなく進軍している。
ボクは躊躇なくその伸びた根を切り取って、兵糧攻めを実行する。
大体の植物は、重力を感知する術を持っている。
例えば苗を逆さまにしたとしても、根は即座に方向転換して下に向かう。
反対に芽は重力に逆らうように方向転換し、上を目指し続ける。
植物は平衡石と呼ばれる重力を感知する機構を保持しているためだ。
故にこのシメコロシ植物たちは地面への接触を失っても、根を伸ばすべき方向をしっかりと理解している。放っておけば、すぐに地面に根を到達させて活気を取り戻してしまうだろう。当分は毎日この根を切り取っていくしかない。
次にラウネシアの身体から生える寄生植物の駆除にとりかかる。
観察してみると、やはりネナシカズラにしか見えない。
親戚か何かだろうか。
日本にも普通に生えていて、菜園などに繁殖してしまうと駆除が難しく、その存在は強く嫌悪されている。
これの駆除は厄介だ。
表面部分だけ引き抜いても、内部に残った残留体からすぐに復活を遂げる。
ラウネシアの場合は高所にも寄生している為、完全な駆除は困難を極める。
試しに低いところに寄生しているネナシカズラをむしりとり、切断口をライターで炙ってみる。
恐らく効果はないだろう。一応、その推移を見るだけだ。
そう思っていたが、火をつけた途端に勢い良く炎があがった。反射的に仰け反りそうにながら、すぐにバックパックを押し付けて鎮火する。
火はすぐに消えたが、予想外の反応に心臓が暴れるように脈打っていた。
迂闊だった。
ネナシカズラに形も性質も似ている為、深い考えもなしに火で炙るという愚行を犯してしまった。
ボクが知っている植物に似ていても、根本的に別の存在なのだと考えるべきだった。
ネナシカズラもどきの駆除を諦め、ラウネシアに結果を報告する。
「シメコロシ植物は毎日根を切断すればなんとか駆除できそうです。これだけの巨体ならば莫大な水分と太陽光を奪っていたはずなので、それなりに楽になると思います。樹体に直接寄生している植物は多分、完全に駆除することができません。一年生植物ならば、枯れた後に次の発芽時期に注意するしかなさそうです」
『この全身を締め付けられるような蔦がなくなるだけでも私は感謝しています。不快で仕方がありませんでした』
ラウネシアは笑みを浮かべる。
感応能力が拾う感情には、強い好意が混じっていた。
よほど不快に感じていたのだろう。
『感謝の印です。食べください』
そして、ラウネシアは上を指さした。
果実が二つ降ってくる。
ボクはそれをありがたく受け取って、そのまま齧った。
甘い果汁はあっさりとしていて、暫くは飽きそうになかった。
ラウネシアとは予想以上に友好的な関係を築けている。
感応能力が拾う彼女の感情は、強い好感を示していた。
「では、少し離れます。他の食べ物を探さないと」
いつまでもラウネシアの果実だけに頼るわけにはいかない。
ちゃんとした水源を見つけ、魚などの蛋白源を確保すべきだ。
ラウネシアから離れようとした時、それを呼び止める感情が背後から発せられた。
『お待ちください。森の中は危険です。稀に軍蟲(ぐんちゅう)も出ます』
「グンチュウ、ですか?」
聞きなれない単語に、思わず振り返る。
『この森と敵対する生物群です。大した知能は有しませんが、機敏に動く事が可能です。その機動力と繁殖力を以って、この森の原型種たる私に向かって度重なる侵攻を繰り返しています。森の中に浸透していることも珍しくありません』
森と対立する、生物群。
そして、もう一つ気になる言葉。
原型種。
「あの、ラウネシアはこの森の主のようなものなんですか?」
『肯定します。このラウネシアは森を指揮する立場にあり、現存する森の配置、移動、防衛計画は全て私が統帥しています』
その時、どん、と低い音が木霊した。
遠くから届く重低音。
それが届いた瞬間、森の中がざわついた気がした。
葉擦れの音が増大し、樹々が風もないのに強く揺れる。
『軍蟲の攻勢の合図です』
太鼓のような音が遠くから響き渡る。
それに呼応するようにラウネシアから怒りの感情が立ち昇った。
ボクは咄嗟に周囲を見た。
木立の間には何も見えない。
敵は、まだ接近していない。
『規模は少数。威力偵察の類型と判断します。私の下にいれば危険はありません。決して動かないでください』
脳裏にこれまでに見てきた植物が走馬灯のように再生される。
まるで城壁のように広がる棘を持つ植物。
硬い木の実を任意に落とす事が出来る大木。
ブービートラップのように張り巡らされた粘着質の雑草とギロチンのような植物。
全てはきっと、この戦いの為に存在していたのだろう。
一個体の統制の下に、戦闘を遂行する軍団。
それは紛れもなく軍隊だった。
ボクの身の安全はこのラウネシアの指揮に委ねられている。
死の香りが、鼻腔をついた。