痺れるだろぉ?
そんなわけで見てほしいのよ。
霧雨魔理沙は普通の魔法使いである。
魔法の森の奥深くにて、『霧雨魔法店』を構えて一人暮らしをしており、日夜魔法の研究に勤しんでいる。
人間の中でも強者と分類出来るほどの実力者であり、その磨き抜かれた魔法の技量もさる事ながら、何よりも彼女を象徴するのが、その圧倒的と言っても良い程の馬鹿げた魔力砲撃である。
天を穿ち、大地を焼き焦がす閃光……圧倒的という言葉すら生温い。下手な妖怪では、一瞬のうちに消し炭になっても可笑しくないほどの砲撃力。
放つ砲撃の一発一発がまさに必殺。……もしも、彼女と相対する者がいたならば、正面に立つべきではない。彼女の目に映ったその瞬間、防ぐことすら馬鹿馬鹿しい鮮烈なる光が、その命を焼き尽くす事だろう。
あの博麗の巫女が、「いずれは己に追いつくほどの潜在能力を持っている」と評しただけはあり、人の身でありながら(ごく一部の例外を除いた)この人外が蔓延る幻想郷でも、屈指の実力者として名を揚げている。
そんな彼女ではあるが、何も最初から(人間詐欺な)魔法使いだったわけではない。元々は人里にある大手古道具屋にて、普通の少女として生きていた。
代わり映えのない日常、道具屋の娘として道具の鑑定やら何やらを続ける毎日、そんな刺激も何もない日々に飽き飽きしていた。
魔理沙には世界が色褪せて見えていた。何の色もないセピアな世界。輝きなんて一つもない。夢も希望もない白黒世界。
自分はこのまま普通の人間として、普通に生きて、普通に死んでいく。……普通という名の絶望が常に魔理沙の心を蝕んでいた。
ある日の事、魔理沙は古道具の中に、何か異質なものが紛れ込んでいるのを見つけた。
それは古い本だった。日に焼けて所々が黄ばみ、カビだらけになっているボロボロに朽ち果てた本だった。
魔理沙は何故かその本が気になって仕方なかった。
自分の退屈で変化のない日常をぶち壊してくれるような。……そんな予感めいたものを感じたからだ。
魔理沙は家の人間に見つからないように、本をこっそりと自室に持ち帰った。
文章は英語という文字で書かれていたが、これでも道具屋の娘、似たような文字が書かれた本は沢山見てきたし、それなりの教養もある。
単語と単語を繋ぎ合わせ、意味を推測しながら、少しずつ少しずつ、一文一文、じっくりと咀嚼するように読み解いていった。
「すごい」
長い時間を掛けて内容を全て読み切った魔理沙は、興奮を抑えきれなかった。
これには、このボロボロのゴミクズみたいな本には、魔法に関する事が書かれていた。
魔法、魔法だ。箒に乗って自由に空を飛びまわったり、杖を振って石ころをお菓子に変えたりする、あの魔法だ。
本の魔法は、魔法と一言に言っても、小さな火を出したり、小物を浮かせたりするなど、とても簡単なものであったが、それでもただの少女であった魔理沙にとっては、大魔法も同然の素晴らしいものに思えた。
それからというもの、魔理沙はどんどん魔法の世界に傾倒していく。
家族から隠れながら、少しずつ少しずつ魔法の練習をしたり、時々、古道具に紛れている魔法の道具を盗み出して研究してみたりと本当に様々な事をやった。
楽しかった。普通に生きているだけじゃ味わえないスリルのようなものが堪らなく心地よかった。自分みたいなただの人間でも、魔法という不思議な力を使えている、その事実が嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
色褪せて見えていた世界が、キラキラとお星様の輝きで満たされ、染め上げられていく。……そんな幸せな気持ちで一杯だった。
そんな日々を過ごし続け――魔理沙は実家と絶縁した。
何故か? それは魔理沙が魔法の研究をしているというのが、全部実家にバレてしまったからである。
魔法の事を知った実家の者たちは、口々に魔法の研究を止めるように言い迫った。
――魔法なんてくだらないものに時間を潰すんじゃない!
――普通の人間が、進んでいい道じゃないんだ!
――この家の娘としての自覚が足りていないのか、お前は!
不快だった。
色褪せて見えた世界。そんな退屈で退屈で仕方なかった世界を様々な輝きで満たしてくれた魔法。
それを否定された。……その事実がどうしようもなく不快で、不快で。魔法を否定している実家の連中が、不倶戴天の敵であるかの様に、憎らしくて、憎らしくて、憎らしくて仕方なかった。
何も知らない癖にっ! 変化を恐れているだけの凡人の癖にっ! 魔法をただ恐れているだけの臆病者の癖にっ!
研究を邪魔されたり、魔法の道具を捨てたり、ありとあらゆる手段を講じて、魔理沙を元の退屈な世界へ引きずり戻そうとする実家の凡人共。……最初は、此処まで育てて貰った恩も有り、大人しくしていた魔理沙であったが、限界だった。だから――
「じゃあな」
――魔理沙は家を出た。
こんな場所では落ち着いて研究も出来ない。話が通じないお前たちとはこれっきりだと、自ら実家との縁を切ったのだった。
もうこんな退屈な場所になんて戻ってやらない。こんな場所になんて何も未練は無い。実家の奴らがどうなってしまおうと関係ない。私は自分の世界を守るためだけに生きる。
「此処に来んのも随分と久しぶりだなぁ」
家を出た魔理沙は、『香霖堂』と呼ばれる小さな古道具店を訪ねた。
魔法の森の入り口にあるその店には、魔理沙にとっての昔馴染みに当たる人物がいるからである。
「邪魔するぜ」
「邪魔をするなら帰ってくれないかな?」
銀色に近い色合いの白髪のショートボブに一本だけ跳ね上がったくせ毛。瞳の色は金色で、怜悧な眼光は彼にクールな印象を与える。
黒と青の左右非対称の、和服と洋服の特徴を併せ持った奇っ怪な服装をしており、下だけに黒い縁がある楕円形の眼鏡を掛けている。
眼鏡を掛けているだけあり頭脳派で、物事を深く考えて考察することを趣味としている。そのため保有している知識量は並ではない。
騒々しいのを嫌い、静寂を好んでいるため、よく一人でいることが多い。
そんな性格もあり、こんな人があまり寄り付かないような場所に店を構えて、日がな暇な一日を過ごしているのである。
「久しぶりだなこーりん!」
「はぁ、相変わらず元気そうで何よりだよ、魔理沙」
魔理沙にとって、霖之助は歳の離れた兄のような存在だ。
元々、魔理沙の実家である古道具屋で修行を積んでいた霖之助は、赤ん坊の頃から魔理沙の遊び相手を任されていた。忙しい家族達に変わって霖之助が面倒を見てきたのだ。
今でこそ修行を終えて、個人で古道具屋を営んではいるが、時々ふらりと魔理沙の実家を訪れては、こっそりと珍しい魔法の道具やら何やらを持っていってあげたりしていた。
魔理沙もまた霖之助には非常に懐いており。二人はまるで本当の兄妹の様に温かな関係にあった。
「こんな夜遅くにどうしたんだい?」
「ちょっと、な」
「あぁ……成る程、ね」
遂に、か。
顔を歪ませる魔理沙の姿を見た霖之助は全てを察した。……「あ、この娘、完全に家出(一生)したなぁ」と。
特に驚きは無かった。何時か魔理沙が実家から飛び出すであろうと分かっていたからだ。
魔理沙はいささか魔法という不思議に傾倒し過ぎている。そんな彼女が普通で退屈の象徴と言ってもいい場所から離れたいと思うのは必然だった。
猪突猛進と言うか何と言うか……その行動力には見習うべきものがあるかもしれないが、考えなしに動き回るのは正直感心しない。
人里から離れた此処に来るまでに妖怪にでも襲われたらひとたまりもないだろうに。……確かに、少しは魔法を使える様にはなったのかもしれないが、多少かじった程度では、そこら辺の木っ端妖怪にすら容易く食い殺されて終わりだろう。
「……はぁ」
小さな背中に背負った大きな荷物。
そして、態々自分の店までやってきたという事は、最早実家に戻るつもりはないのだろう。……此処で自分が、この娘を実家に送り返しても、すぐに飛び出してくる光景がありありと目に浮かぶ。
仕方ない。せめて独り立ち出来るくらいには面倒を見よう。
早速、店の中にある魔法の道具やら珍しい物品を、目を輝かせながら見たり触ったりしている幼い魔法使いの卵を見て、霖之助は重たい溜息を吐いた。
――数年の時が経った。
霖之助の元で魔法の研究を続けていた魔理沙は、一介の魔法使いと呼べる程に成長していた。
すでに基礎の魔法は習得済みで、平均的な魔法使いが扱えるレベルの魔法まで扱える様になっていた。流石に上級クラスの魔法は、資料自体が全く出回っていないために習得することは出来ていないが、環境を考えると非常に優秀な魔法使いだと言えた。
しかし、残念な事もあった。魔法の成長とは裏腹に、身体の成長は芳しくなく。同年代の子たちと比べたら、身長は余りにも小さいちんちくりんで、胸も摘める程度しかないぺったんこそのものだった。
「そういう訳で、私は魔法の森に拠点を移そうと思うんだ」
「どんな訳だい。……残念だけど、僕は反対だね。あそこは、まだまだ未熟な君が住んでいい場所じゃないよ」
魔理沙と霖之助は揉めていた。内容は独り立ちについての話し合いだ。
魔理沙の主張としては、魔法の森の中に小屋なり、何なりを建てて、そこに拠点を移したい。理由としては魔法の森には魔法薬の研究に使えるような素材が沢山溢れているからだ。
対して、霖之助の主張は真逆で、魔理沙には人間の里……せめて、その近くに拠点を構えて貰いたい。理由として、人間の里近くは、妖怪と遭遇する確率が低いため、安全であるからだ。
一端の魔法使いとして成長したと言っても、まだまだ未熟な少女。兄貴分としては、出来る限り危険から遠ざけてあげたい。そう考えるのは当然の事だった。
「こーりんは心配症だなー、大丈夫だって! 私は強いんだ!」
当の本人は、霖之助の気遣いを無碍にしてしまっているのだが……。
有り体に言ってしまえば、魔理沙は浮かれていた。自分の力に、才能に酔っていたのだ。
まだ妖怪とは一度も戦ったりしたことはないけど、自分は魔法使いなんだ。例え妖怪と遭遇しても返り討ちに出来るだろう。……そんな何の根拠もない自信が魔理沙の中にあった。
「フフッ、霖之助の忠告を聞き入れないのは感心しないな、魔理沙」
「うげっ、れ、霊夢」
「そんなにあからさまに顔を歪めるな。流石の私も傷つくぞ」
香霖堂に入ってきた一人の見目麗しき少女。
魔理沙よりも頭一つか二つ分は高い身長。露出が目立つ扇情的な巫女服に、同性すらも魅了する抜群のプロポーションが映える。
――博麗霊夢。
博麗神社の巫女であり、この香霖堂の常連さんである。
魔理沙と霊夢は、知り合ってからそれなりに長い付き合いになる。魔理沙が香霖堂に世話になり始めてから、僅か数日後に出会ったのが、この博麗霊夢だった。
(身長や胸を見る分に)とてもそうは思えないが、自分と同年代らしい少女。
どういうわけか自分に対して好意的な態度を取ってくる意味の分からない奴。何かにつけては関わろうとしてくるし、魔法以外に無頓着な自分の世話を焼きたがる奇特でお節介な奴。……それが魔理沙の霊夢に対する印象である。
魔理沙は霊夢と仲良くするつもりはこれっぽっちも無かった。
そんな無駄な事に時間を使うくらいだったら、魔法の研究などに時間を使ったほうが遥かに建設的だ。そう考えているからである。
それなのに、こちらの考えなど知ったことじゃないと言わんばかりに、この巫女はぐいぐいと関わってくる。
「いらっしゃい、霊夢。……少し立て込んでいてね。出来れば出直してもらえると、ありがたいんだけど」
「何か問題でも?」
「まぁちょっと、ね」
「……ああ、成る程な」
魔理沙の方を見て、少しだけ苦笑する霖之助。
それだけで大体の事を察したように、霊夢もまた少しだけ苦笑する。
「魔理沙、妖怪はお前が思っているほど甘い存在ではないぞ?」
「そんなことは――」
「ない、とでも言いたげだな? 一応、言っておくが、紫や藍、橙の様な理性ある妖怪を想像しているなら止めておいたほうがいい。……殆どの妖怪は、己の欲望を優先させる獣以下の存在が多い。人などただの食料としか見ていない奴らが山ほどいるんだ。――お前が思っているよりも、ずっと危険なんだよ」
「うぐっ」
ない、と反論する前に、考えていた事を全て言われて反論を潰された。
図星だった。実際、魔理沙の中での妖怪とは、時偶に霊夢と一緒にこの香霖堂を訪れる友好的な妖怪しかイメージがない。
紫や藍のような、力の強い大妖怪はともかく、橙の様な妖怪だったら、今の自分でも楽に対処出来ると思っていた。
「魔理沙、聞き入れてはくれないか?」
「っ!?」
心配するように、悲しげに眉を下げて優しく諭しかけてくる霊夢。
そんな彼女の姿に、魔理沙は思わず怒鳴りつけそうになるが、咄嗟に怒声を飲み込む。
ここで怒鳴ってしまったら、霊夢の言葉を肯定しているようなものだ。そんなカッコ悪いところ、絶対にコイツの前で晒したくない。
魔理沙は霊夢の事が苦手だった。
自分に優しくし、あれやこれや世話を焼いてくるこの巫女の事が心の底から苦手だった。……まるで自分が何も出来ない子供であると思い知らされることになるからだ。
霊夢は天才だ。
少し学んだだけで、どんな事でも簡単に熟してしまう、才能の塊みたいなやつだ。
魔理沙が何ヶ月も掛かって漸く習得できた魔法だろうと、霊夢は見てから数分で使いこなし、応用までやってみせた。挙句の果てには、更に効率の良い方法を自分に教えてくる始末だ。
常に冷静沈着で落ち着いており、気配りも出来る。同じ年齢なのに、身長も胸も、その精神に至るまで大人で、自分では逆立ちしたって太刀打ちできない。
魔理沙は霊夢を前にすると、自分が何もかも彼女に劣っている惨めな存在に思えた。
自分には魔法の才能が有ると自負していたが、それを粉々に打ち砕かれた気持ちにされたのだ。
だから、魔理沙は霊夢の事が苦手だ。
自分の事をいつまでも子供扱いし、一人前と認めてくれない、この巫女の事が苦手だった。
関わるなと、邪険に扱っても何度も何度も関わってくる、この優しい巫女の事が苦手だった。
笑顔で母親が見守っているような、そんな温かく思いやりに満ちた視線を向けられるのが、嫌だった。
「気分が悪い。ちょっと外に出てくる」
耐えきれず魔理沙は香霖堂を飛び出していった。
「あ、待つんだ、魔理沙っ!……はぁ、行ってしまったか、気を悪くしたなら、すまない、霊夢。あの娘の代わりに謝るよ」
「いや、構わないさ。あんな風に意地を張りたい年頃なんだろう」
「同い年の君がそれを言うのかい?」
「私もそれなりに、な……だからこそ、魔理沙の気持ちは痛いほどよく分かる」
魔理沙が出ていった扉を、何処か遠くを見る様な目で、霊夢は見つめていた。
ーーー
「クソッ! どいつもこいつも、私の事を子供扱いしやがって!」
香霖堂から出ていった魔理沙は、魔法の森を歩いていた。
むしゃくしゃする。どうして誰も自分の事を認めない! どうして子供扱いするんだ!
一人前だと認めてほしいだけなのに! ただただ対等であるって認めて欲しいだけなのに! どうして? 私に何が足りないって言うんだ!
魔理沙はこれ以上無いほどに荒れていた。
自分の考えを認めてくれない霖之助が……何より霊夢の事が、腹立たしかった。
長い付き合いになる腐れ縁のアイツ。誰よりも認めさせたいと思っているアイツ。
そんなアイツは、自分を労るように、優しく声を掛け、あろうことかあんな、あんな顔をしやがった。
悲しげに眉を下げ、自分を心配そうな顔で見るアイツのあの顔が、腹立たしくて仕方なかった。
どうすれば認めてもらえる? アイツに認めさせるには、どうすれば――
「なぁんだ、簡単な事じゃないか」
――あった。
一つ、確実な方法があった。
最近、魔法の森には凶悪な妖怪が出没するという噂が、人間の里では出回っていた。
里から少しでも外に出たら、その妖怪が魔法の森から現れて、人間を攫って貪り食う、という幻想郷ではありふれた噂だ。
もう何人もの人間が、この妖怪によって惨殺され、その血肉を食い散らかされている。
噂の元凶である妖怪を、人里を恐怖に陥れている妖怪を討伐することが出来たら、流石の霊夢でも私の力を認めるのではないか? 魔理沙はそう考えたのである。
「ちょうど魔法の森にいるんだ。この優秀な魔法使いである霧雨魔理沙様が、この事件を解決してやるぜぇ!」
魔理沙は魔法の森の奥深くまで歩みを進めた。……そこに、恐怖が待ち受けていることも知らず。
ーーー
――ぐちゃり……くちゃ……くちゃ。
瑞々しい何かを咀嚼している様な音が響き渡る。
「あ、ああ……たず、けで」
咀嚼音に混じり、今にも息絶えてしまいそうな弱々しい女の声が僅かに聞こえてくる。
「ヒェッヒェッヒェッ、やはり絶望に満ちた女の声は最高だぁ」
それは凄惨な光景だった。
血に塗れた女の上に馬乗りになり、腰を振っている一匹の異形。……悍ましい異形だった。人間とカマキリを無理矢理融合させたかのような、奇っ怪で醜き異形。
異形は女の身体を犯しながら、少しずつ少しずつその血肉を貪るように食らっていた。
恐怖に震える姿を出来るだけ長く見続けるために、痛みに苦しむ声を出来るだけ長く聞き続けるために、じっくりと、じっくりと、殺さないように加減しながら、女の尊厳を犯し尽くし、その血肉を味わっていた。
「なん、だ、これ」
物陰から息を殺して、その光景を見ている者が一人。……魔理沙である。
魔法の森を虱潰しに探索し、魔理沙は、漸く噂の妖怪を見つけ出した。……まさか、食事中だとは思わなかったが。
「うっぷ」
吐きそうになるのを必死で堪える。
あまりにも酷い光景。人としての尊厳を踏みにじり、まるで玩具の様に扱っている冒涜的な光景。
――これが妖怪? こんな恐ろしい存在が妖怪だというのか? こんな恐ろしい存在と戦おうとしていたのか?
恐怖によって、心臓が嫌な鼓動を刻み続ける。二本の足は、石か何かになってしまったかの様に固まってしまって全く動かせない。
動けっ! 動けっ! 動けっ、動け動け動け動け動けっ! 動けよっ! 動けよ足っ! 早く逃げないと、次は自分がああなってしまうっ!
「……あ」
――見ている。
今にも死んでしまいそうな女が、自分の方を見て、震える手を伸ばしている。
口をパクパクと開いて、何かを訴えかけようと、涙を流し、口から夥しい血を吐きながら――「た、す、け、て」。
――グシャリッ!
女の顔が無くなった。首から先がいきなり消えた。
残された首からは、噴水の様に勢い良く血が、命が吹き出していく。……吹き出した血液は、雨の様に、辺り一面に降り掛かり、無数の赤い斑点が地面を化粧していく。
「ヒェッヒェッヒェッ! 今日は良い日だなぁ……人間を二人も食えるなんてぇ」
醜い異形が――妖怪が、ゆっくりと振り返る。
その口元から覗くのは、食われた女の成れの果て。……妖怪の歯の間から、助けを求めていた目が、光を失った眼球が、無機質にこちらを覗いていた。
「う、うわぁぁぁああ!?」
魔理沙は弾かれたように駆け出した。
――殺されるッ! 殺されるッ! 殺されるッ! 殺されるッ! 殺されるッ!
自分は優秀な魔法使いである。……そんな自信は何処かに飛んでしまった。
魔理沙の胸中にあるのは「逃げる」という思いのみ、早く此処から離れないとッ! あの異形から逃げないとッ! 殺されてしまうッ!
今まで命を脅かされた事がない、幼い少女は、危険から逃れようと必死になって走る。脇目も振らずに駆け、進む先に見える僅かな光を目指して走り続ける。
光はもう少し、もう少しで森を抜けられる。
「何処に行くんだぁ?」
「ひぃっ!?」
しかし、光を遮るように、妖怪が立ち塞がる。
まだ幼い少女である魔理沙の足では、妖怪から逃げる事は不可能だった。
その上、この森は妖怪のテリトリーである。どう行けば、何処に出るか、近道だろうと抜け道だろうと簡単に、それこそ手に取るように分かるだろう。
鬼ごっこは始まる前から試合終了だった。ただそれだけの残酷な話である。
魔理沙は力が抜け、その場に座り込んでしまう。
逃げないといけないのは頭で理解出来ているが、恐怖で身体が竦んでおり、ピクリとも動いてくれない。
「何だぁ? まだガキじゃねぇかぁ? 食いでもねぇし、楽しめねぇ身体ぁ……ガッカリだぁ」
下卑た視線で、魔理沙の肢体を舐め回すように見る妖怪。
自分がさっき食った女とは悪い意味で違う身体に、残念そうに肩を落とす。……妖怪には残念だが、一部には需要がある。むしろ、需要しか無い。
「まぁ、食いではねぇが、イイ声で鳴いてくれそうだぁなぁ」
「っ!?」
妖怪が鎌を振り上げ、一閃。
その鎌による一閃は、器用に魔理沙の胸元部分にある服のみを切り裂いた。……露わになるのは、少女の穢れを知らぬ、幼き白い肌。
「食う前に、その身体を堪能させてもらうかねぇ」
魔理沙の穢れを知らない身体を汚し尽くそうと、妖怪が迫る。
魔理沙の頭を過ぎるのは、先刻の光景。……無残に女としての尊厳を踏みにじられ、玩具のように殺された名も知らない女の姿。
あの時の恐ろしい光景が、今度は自分に対して行われようとしている。
恐怖のあまり、絶望に沈みゆく心。そんな時――
――「魔理沙」
アイツの心配する顔が、慈しむような優しい声が頭に浮かんだ。
恐怖が根本から消え失せた、身体の震えも完全に止まった。……それどころか身体の奥底から力が、溢れんばかりの力が漲ってくる。
「……そうだっ、そうだったよっ!」
アイツに認められてもないのに、こんなところでっ、こんなところでっ! こんなクソ野郎にいいようにされて、死んで堪るかァァァッッッ!!
「ぎゃぁぁぁぁぁ!? 俺の目ぇ!? 目がぁぁぁぁぁ!?」
油断しきった妖怪の顔面にめがけて、思いっ切り魔法を放つ。
放たれたのは星型の魔力の弾。魔弾は狙い通り、綺麗に妖怪の目に直撃し、片目を奪い去った。
油断したところに訪れた激痛に、妖怪は悶え苦しみ、叫び声を上げる。失った片目から溢れ出す血を抑えながら、のたうち回って苦しみ叫ぶ。
「へっ、ざまぁみろってんだっ!」
中指を立てながら、ふんぞり返る。
最早、怯えていた少女の姿はそこにはない。そこにあるのは一人前の魔法使い。……霧雨魔理沙という名の勇気ある魔法使いの姿だった。
「やってやんよっ! かかってきやがれカマキリ野郎! この霧雨魔理沙様が退治してやるぜっ!」
「ガキがぁ! 震えてた分際でほざくなぁぁぁ!」
鎌を巧みに振りかざし、自分を傷つけた存在へと振り降ろす妖怪。
しかし、魔理沙はそれをヒラリと躱し、お返しに鎌を振り抜いて、隙だらけな妖怪に向かって魔法の弾を連射する。
星の弾幕が、妖怪の身体を撃ち据えていく。……だが、効果は薄い。当たりはするが、ダメージは微々たるものでしかない。
先程、大きくダメージを与えることが出来たのは、相手が油断しきっており、なおかつ急所である目を攻撃することが出来たからだ。
「ちょこまかぁ逃げるなぁ!」
「当たったらヤバイからなっ! 避けるに限るぜ!」
妖怪の猛攻を避けながら……さて、どうしたものか? 魔理沙は考える。
自分の攻撃は当たってはいるが、ダメージは少ない。相手の攻撃はトロいから問題なく避けれているが、自分の体力は無限ではない。このまま延々と同じことを繰り返していても、いずれは自分の体力が尽きて、殺されるだろう。
魔理沙は考える。状況を打破する方法を――そして、閃いた。
自分が使える魔法、自分が持っている道具、周囲の環境。
ありとあらゆる要素を考え、導き出したその方法。……それが上手くいけば、あんな妖怪なんて簡単に吹き飛ばせる。
「へっ、覚悟しやがれっ、この虫野郎っ!」
魔理沙は懐から袋を取り出し――投げつける。
「邪魔だっ! ぬぐぉ!? ゴホッ!? ゲホッ! 何だぁコレはぁ!?」
投げつけられた袋を鬱陶しげに切り裂く――その瞬間、切り裂かれた袋を中心として、辺り一面に真っ白な煙が広がっていく。
魔理沙が作った魔法の道具。……名前はまだない。
効果は単純そのもの、白い粉を大量に辺り一面にバラ撒くという傍迷惑な代物である。……元々はジョークグッズの類で作成してみた道具であり、いつか霊夢に対して使ってやろうと画策していた物だ。
「クソがぁ何も見えねぇ、目くらましのつもりかよ人間めぇ」
苛立つように、デタラメに鎌を振り回している妖怪。
その行為が逆に、粉を宙に舞わせ、余計に視界を悪くしている。更に視界が悪くなり、怒り、鎌を振り回し、大量に粉が舞い、更に視界が悪くなり……負の無限ループが出来上がっていた。
「うんうん、上手く言ったな」
そんな妖怪をよそに、こっそりと煙の範囲から抜け出していた魔理沙。
自分の作った道具が思った以上の効果を発揮してくれた事実に満足気に頷いている。少しだけ、粉まみれになっているのは、ご愛嬌と言ったところ、わんぱくな少女らしくて可愛らしい。
「よしっ、ここまでは計画通り、後はこうして――」
悪戯っ気のある笑い声を漏らしながら、手の平に出現させたのは、小さな小さな火の塊。ロウソクに火を灯すことしか出来なさそうな、小さな火種。
「――こうする、と」
それを妖怪がいる方に向けて投げ入れ、一目散に木の陰に隠れて身を伏せる。次の瞬間――
「うぎゃあぁぁぁぁぁ!?」
――轟音と共に、途轍もない大爆発が起こった。
轟音に紛れて、爆炎に焼かれ、衝撃波に蹂躙される妖怪の声も僅かに聞こえる。……そう、魔理沙が引き起こしたのは、外の世界で言うところの――
――粉塵爆発。
空気中に不純物が多く含まれている状態で、火を着けると発生する現象。
本来は室内などでないと発生することは少ないが、木々が生い茂り、風が余り吹き込まない一種の密封状態にある森と、魔理沙が作り出した道具による馬鹿げた量の粉。……そんな二つの要素が揃った事により、屋外でありながら、周囲の木々を根こそぎ吹き飛ばし、地面にも巨大なクレーターを作るほどの大爆発を引き起こしたのである。
「ふぅ……流石に死んでる、よな?」
いそいそと隠れていた場所から抜け出し、妖怪がいたであろう場所を確認する。
大爆発が地面に作り出したクレーター……その中心部で真っ黒に焦げたカマキリのような物体が転がっていた。死んでいるのか、ピクリともしない。
「あー……何とかなったぁ」
その場に腰を下ろし、一息。
「しっかし、まさかアイツの声に助けられるなんてなー」
いつも苦手苦手と思っていた巫女の姿を思い浮かべる。
不思議と苛立ちは湧いてこなかった。それどころか、無性にあの心配症な巫女に会いたくて仕方がない。あの優しげな微笑みを向けられて、あれやこれやと世話を焼かれたい。
「……ははっ、帰ったら少しだけ優しくしてやるか」
ボロボロの自分を見て、オロオロするだろう姿を想像して、苦笑をこぼし。その場を後にしようとして――
「あぐっ!?」
――吹き飛ばされた。
吹き飛ばれた魔理沙は地面を数回バウンドしながら、木に叩きつけられる。
「あっぐぅ……一体、何が」
痛みに悲鳴を上げる身体を起こしながら、自分がさっきまでいた場所を見る。
「なっ!?」
死んでいた。そう思っていた妖怪がいた。その全身は多少焼け焦げているものの、傷は少なく。まだまだ健在だった。
何故? 確かに黒焦げになって死んでいるのを確認した筈だ。他にもう一匹いたのか? いや、そんな……。
「クソが、俺が脱皮できなかったら死んでたぜぇ」
妖怪には能力があった。それは一日に一度だけ脱皮できる、という能力。
脱皮する事で、それまで自分が負ったダメージを一度だけ無かった事にできるのだ。
爆炎の中で咄嗟に、自身の身体を脱皮させる事により、身体が死に絶える前に無かったことにしたのだ。……身体は爆炎に焼かれたが、死ぬよりはマシだった。
「クソがぁ、人間ごときがぁ、この俺を、俺をぉぉぉ!」
「ぎゃっ!?」
力なく倒れ伏す魔理沙を蹴り上げ、地面に叩きつける。
「げほっ、げほっ……う、うぅ」
全身が痺れるように痛い。頭がフラフラする。
口の中は鉄の味で一杯だ。喉の奥からも溢れ出てくる。……恐らく内蔵でもやられてしまったんだろう。
腕どころか指一本すら動かせない。視線だけを動かして見てみると、右腕が不自然な方向に曲がっており、左足も、足首が逆の方向を向いている。
「はぁ、ちょっ、と、はぁ、叩か、れただけ、はぁ、で、これ、かよ、ごふっ」
人間と妖怪、両者の間に存在する絶対的な力の差。それを思い知らされたような気分だった。
慢心はなかった、今出来る全てで対抗した。現にあの妖怪の身体もボロボロに焼け焦げている。本当にもう一歩、後もう少しで倒せた筈だった。……だけど、結果はこの様だ。
立っているのはあの妖怪で。倒れ伏しているのは自分。
最早、力は出し尽くした。これ以上何も出来やしない。つまり待っているのは――
「犯してぇ、泣き叫ぶ声を聞きながらぁ、ゆっくりと食らってやろうと思ったがぁ、止めだぁ。お前はそのまんま死んでしまえぇぇぇ!」
――死。
巨大な鎌を振りかぶる妖怪。その目には遊びなど一切存在せず、殺意の色しか無い。
妖怪にとって、人間とはただの食料、玩具でしか無かった。その玩具に自分がここまでボロボロにされた。おもちゃごときが、この自分を傷つけた。それが許せない。だから、確実に殺してやる。その思いのままに、魔理沙に向かってその殺意の凶刃を振り下ろさんとする。
「ちぐ、じょう」
涙が溢れてくる。……こんなところで死んでしまうのか?
自分はまだ何も成し遂げていない。まだまだやりたいことは沢山ある。魔法の研究だってもっとしたいし、色んな魔法の道具だって見たい、霖之助のやつにだって礼の一つも言ってない。……何よりアイツに、あのお人好しのバカ野郎に、何一つ認めさせていないのにッ!
振り下ろされる鎌。魔理沙は思わずギュッと、目を閉じてしまう。そして――
「何だ魔理沙、いつものお前らしくないな」
――聞き慣れた優しい声が聞こえた。
耳を疑った。この場所にいる筈のないアイツの声が聞こえた。閉じていた目を見開く。
「あ、え?」
そこにはアイツがいた。
片手だけで、妖怪の鎌を受け留めているアイツの姿が……霊夢がそこにいた。
「れい、む?」
「済まない魔理沙、霖之助と話し込んでしまってな。……少し遅れてしまった」
どうか許して欲しい。そう続けながら、顔をこちらに向けて、申し訳なさそうにその形の整った眉を下げている。
「どうし、て?」
「お前がどう思っているかは知らないが、私にとって、お前は大切な友人だからな。……友人の危機は救うものだろう?」
――友人。
友人と呼んでくれるのか、お前にそっけない態度ばっかり取っていた私を友人と、友人と呼んでくれるのか?
魔理沙の瞳から涙がこぼれ出る。……どうしてだろうか? 霊夢に友人と呼んで貰ったことがこれ以上無いくらいに嬉しかった。
「ぐぬぅ、貴様! 邪魔をすr」
「少し黙れ――破道の一『衝』」
「ぐあぁぁぁ!?」
指先から放たれた不可視の衝撃が、妖怪を彼方遠くまで吹き飛ばす。
魔理沙との会話を邪魔しようとした不届きな輩を、情け容赦無く、一欠片の慈悲なども与えず、一方的で理不尽な感情のままに吹き飛ばす。
「しかし、すごいな魔理沙。初めて妖怪と戦って、ここまで追い詰めたのか……フフッ、これだけ出来るなら、もう一人前かな?」
惜しみない称賛。その言葉がより一層魔理沙の涙腺を刺激し、涙を溢れさせていく。
認めて、くれたっ! 初めて、初めて認めてくれたっ! あの霊夢が、私の事を確かに認めてくれたっ!
霊夢の目にはいつもと同じような……だけど、それ以上に魔理沙の事を認めてくれているような優しい光に満ち溢れていた。
これまでの努力が全て報われた気がした。それが堪らなく嬉しい。
魔理沙の頬を幾筋もの涙が流れていく。……悲しいからじゃない、嬉しさで涙が溢れてくる。
「れい、む、わた、しは、ひっく、わた、しはっ」
「休め魔理沙、後は私が全て片付ける。……後で、ゆっくりと話そう、な?」
だから今は休めと、優しく頭を撫でつける。
何処までも優しい声。全てを包み込むような温かい力が、魔理沙を覆っていく。
「あり、がとう」
心地いい微睡みと共に、魔理沙の意識はゆっくりと沈んでいった。
ーーー
「――さて」
果してそれは、魔理沙を優しく寝かしつけた者と同一人物なのだろうか?
魔法の森が震えていた。生き物たちが騒ぎ出し、木々が揺れる、森そのものが恐怖でざわめいている。
――殺気。
余りにも強大な殺気。その身より溢れ出している膨大な霊力と共に発せられたその波動が、魔法の森一帯を押し潰していく。
殺気はただ一人の人間から……博麗の巫女である、博麗霊夢というただ一人の人間から放たれる。
「どうしてくれようか」
感情を感じさせない声色で、人形染みた無表情で、ゆっくりと妖怪の元へと歩みを進める。……静かな歩みとは裏腹に、周囲を圧する恐ろしい殺気は徐々に徐々にその鋭さを、重さを増していく。
「何だお前はっ!? 何なんだよぉ!?」
怯えに怯え、みっともなく距離を取ろうとする妖怪。……しかし、その足は殺気に当てられたせいで全く動かない。まるで地面に直接縫い付けられているかの様に、全く動かす事ができない。
「私は博麗霊夢。博麗神社の巫女で、この幻想郷の秩序を守る者だ」
「はく、れいだとぉ!?」
博麗の巫女の名を知らぬ者など、この幻想郷には一人としていない。人も妖怪もただの一人も、かの巫女を知らぬ者はいない。
善なる者には光に満ち溢れた希望を、悪なる者には覆ることのない絶対的な滅びを与える超越者。……その中でも、今代の博麗の巫女である博麗霊夢は、過去現在、そして未来永劫に於いて最強と称される人間だと謳われていた。
「こう見えても、頭にキていてな。……私が遅かったせいで、あの娘には、魔理沙には随分と恐い思いを、痛い思いをさせてしまった。だがな――お前、ふざけるなよ?」
「ぎぃぃぃやぁぁぁ!?」
突然、両腕がねじ切れた。鋼よりも固いと自負していた筈の自慢の鎌が宙を舞い、ズタズタに切り刻まれ、瞬きの間に血霞へと変わる。
耐え難い激痛が、理解不能な現実が、妖怪の精神を蹂躙する。……何も見えなかった。何が起きたのか、何をされたのか、全く理解できない。この巫女は一体何をした!?
「私の友人を犯すだと?」
「うぎゃぁぁぁ!?」
今度は両足が引き千切られた。千切られた足は、発火して消し炭になり、この世から跡形もなく消え失せる。
「殺すだと?」
「ぐぎゃぁぁぁ!?」
倒れ伏す妖怪を強大な圧力が襲う。
見れば妖怪の頭上にはいつの間にか透明な壁――結界が出現しており、容赦なく妖怪を押し潰していく。……ゆっくり、ゆっくりと、圧力を引き上げながら、少しでも長く妖怪を苦しめようと、ゆっくり、ゆっくりと、その身を押し潰していく。
「そこらの木っ端妖怪風情が粋がるな、虫酸が走る」
「が……はっ」
殺される。惨たらしく殺されるっ! 恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い!……それは、長い時を生きてきた妖怪が、初めて恐怖した瞬間だった。
人間は自分の餌では、玩具ではなかったのか? いつも自分がしている様な事が、逆に自分に対して行われている。これではまるで自分がこの恐ろしい巫女の玩具ではないか。
感情を一切排した表情で、ただただ無慈悲に徹底的に己を痛めつけ続ける巫女。その有り様、最早人のそれとは思えない、狂気すら感じる有様に、妖怪の心が悲鳴を上げて泣き叫ぶ。
「もぅ、やめ、人間を襲うのは、止める、止めるぅ」
妖怪は最早、見逃してもらうように懇願するしか無かった。
「そうか、反省したのか。なら特別に許して――」
先ほどとは一転して、菩薩のような微笑みを浮かべ、結界を解除する巫女の姿に妖怪は安堵する。死なずに済むと、安堵する。
安堵し、胸中に浮かび上がるのは憎悪だった。……上手くこの場を生き延びて、絶対にこの巫女に最大の絶望と最大の屈辱の中で、犯し尽くして食らってやると憎悪する。
いつか必ず報復を、この巫女の大切な存在を目の前で犯して食らい、この巫女自身も陵辱の限りを尽くして骨の髄まで貪り食ってやる。そこまで考えて――
「――やるわけがないだろう」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!?」
――頭を思いっ切り踏みつけられた。
あまりの威力に妖怪の頭を中心に、地面に幾つもの亀裂が走っていく。
「何故だぁ!? 見逃してくれるんじゃぁ!?」
「私は一言もそんな事は言ってはいないが? 都合の良いことを考えてもらっては困るなぁ」
嘲笑を浮かべながら、グリグリと妖怪の頭を踏み躙る。ゴリッゴリッと骨が削れる音が響き渡る。
「そもそも魔理沙に傷をつけた貴様が、今もなお生きているという事自体が不快なんだ。……早々に諦めて、苦痛と恐怖に震えながら死に果てろ」
「うばぁっ!?」
その細い足に見合わない力で、妖怪の腹を蹴り、空中高くまで飛ばす。蹴りの威力が高かったせいで、妖怪の腹は歪に陥没しており、妖怪は赤い飛沫を上げながら壊れた玩具のように宙を舞う。
「
「ぎぃっ!?」
そして、落ちてきた妖怪に向かって、陥没した土手っ腹に向かって抉りこむようなレバーブロー。ゴキンッという鈍い音と共に、妖怪の身体が不自然にくの字に折れ曲がる。……たった一撃で背骨が粉々に粉砕されたのだ。
「
「ぎゃぁっ!?」
続いて、その苦痛に歪み白目を向いている醜い面に、右フックをぶちかます。それだけで妖怪の顔面は半分以上が潰れ、ただでさえ醜い面が、余計に醜く形を変える。
「
左フック、右フック、ジャブ、アッパー、ボディブロー……。
放たれる拳の猛襲が、妖怪の身体を徹底的に破壊していく。恐ろしいことに、妖怪の身体は宙に浮いたまま一度も地面に落ちていない。拳の衝撃が大きいが故に、宙に浮かび続けているからだ。
最早、妖怪はなすすべもなく、これから訪れる絶対なる死の運命を受け入れる事しかできない。
「止めだ、
トドメに膨大な霊力を込めた拳を打ち込んだ。
打ち込まれた拳から、暴力的な破壊の霊力が妖怪の肉体を破壊する。砂の様に崩れ落ちていく妖怪。……最初から存在そのものが無かったかの様に、その場から妖怪の姿が消え去った。
「すぅ……すぅ」
「……魔理沙」
一人の人間による一方的な処刑が終わった。……その場に残ったのは、穏やかな寝顔を浮かべた”無傷”の魔法使いと、その魔法使いを抱き上げ、憂いを帯びた笑みを浮かべる巫女の姿のみだった。
ーーー
「ここ……は?」
沈んでいた意識が戻る。……頭が重い。長い間、眠っていた様な気がする。
「気がついたようだね、魔理沙」
「……こーりん?」
魔理沙が目を覚ましたのは香霖堂だった。
傍らには、兄貴分である霖之助が座っており、ホッと一息を吐いて、心底から安心した表情をしていた。
「君が運び込まれてきた時は、本当に心臓が止まるかと思ったよ。あんまり無茶はしないでほしい」
「……ごめん」
「君が必死なのは分かっているつもりだ。……だけど、君の事を心配している人がいるってことは忘れないでくれよ」
君が傷付いてたら僕も……何より霊夢も悲しいんだからと続ける。
魔理沙が霊夢に拘っているのは知っていた。……霖之助から見れば、魔理沙の態度は、気になる女の子に声を掛けたくて仕方がないくせに、全然素直になれない少年みたいにしか見えなかったからだ。
「……霊夢は?」
「霊夢なら、表の方でお茶でも飲んでいるよ。――って、魔理沙! 病み上がりだから、安静に!……はぁ、本当に話を聞かない娘だ」
霊夢の居場所を霖之助が言った途端、弾かれるように、魔理沙は身体を起こして、走って行ってしまった。……寝起きだというのに元気が良いことだ。最早、霖之助は呆れて、やれやれと首を振るしかなかった。
ーーー
「霊夢!……あ」
霊夢は香霖堂近くの岩に腰掛け、お茶を啜っていた。
日の光が霊夢の姿を淡く映し出し、緩やかに吹く風が彼女の長い黒髪を、巫女服をサラサラと靡かせる。
魔理沙はその姿に思わず見惚れてしまっていた。……同じ人間だと思えない、人ならざる神秘的な美貌が、そこにあった。
「綺麗」
無意識に声に出してしまう。
「フフッ、珍しいな。お前が私のことを褒めるなんて」
思わずといった様子でクスリッと笑い。目を細めながら優しげに魔理沙を見やる霊夢。
そんな笑みを向けられた魔理沙は、自分の頬が熱く茹で上がり、ドキドキと心臓が張り裂けてしまいそうな鼓動を刻んでいくのを感じた。
「べ、別に私だって人を褒めたくなる時だってあるんだよっ!」
可笑しい。自分はどうしてしまったのだろうか?
霊夢の顔を直視できない。あの優しげな笑みを向けられるだけで、嬉しくて、恥ずかしくて、色んな感情が入り混じって意味が分からなくなる。そこに以前の様な反発する思いは一切ない。
「あ、のだな。……ちょっと、聞きたい事があるんだ」
「これは告h……改まってどうした?」
嬉し恥ずかしのごちゃ混ぜの感情を無理矢理押し殺し、意を決して霊夢に声を掛ける。
それは告白する寸前のように、真剣で甘酸っぱいモジモジとした様子であり、内心テンションが天元突破しつつある霊夢であったが、空気を読んで真意を問い掛ける。
「その、私とお前の関係って……何だ?」
気を失ってしまう直前に聞いた霊夢の言葉、私の事を友だと、友人だと言ってくれた。あの言葉の真相。……それがどうしても気になっていた。
あの時の言葉が聞き間違えだとは思わない、それでももう一度だけ、霊夢の口から聞きたかった。
「……? 何と言われても友人だとしか言いようがないが、それがどうした?」
期待通りに、私の事を友人と呼んでくれた。呼んでっ、くれたっ!
「〜〜〜っ!?」
この気持ちをどう表せばいいんだろうか? 歓喜のあまり声にならない悲鳴を上げてしまう。
ぶっちゃけると小躍りしてしまいたい。手元に箒があったなら、そのまま気持ちのままに飛び上がって空の彼方まで全力疾走してしまいそうだ。
「ど、どうしたんだ魔理沙? まだ何処か痛むのか?」
慌てて立ち上がり、自分のところに駆け寄ってきた霊夢。
大切にされている。私は霊夢に大切にされているんだ。触れてくれる霊夢の温もりに、注がれる深い愛情に、しあわせな気持ちで胸がいっぱいになって、だらしなく頬が緩んでしまう。
「何でもない! 何でもないんだ!……そんな事よりもお腹が空いた! 何か作ってくれよ!」
「フフッ、そうか。……なら、カレーを作ってあげるとしよう」
「かれーって、前に作ってくれたあの茶色のやつだよなっ!? あれ私、好きなんだよなぁー」
「なら特別に今日はカツカレーにしようか。……カレーの上にトンカツを乗っけるものなんだが」
「何だそれ、超美味そう」
きっと、その日が魔理沙にとって、本当の幸せの始まりだった。
これから先もずっと続いていく。巫女との長い長い物語の本当の意味での始まりだったのだ。
故に魔理沙は思う。
――魔法に出会えて良かった。
魔法に出会えたから。自分はこうして頑張ってこれた。
――家を飛び出してきて良かった。
家を飛び出してきたから。こうして大切な友人を得ることが出来たのだ。
――霊夢に出会えて良かった。
霊夢に出会えたから。こうして私は幸せな気持ちでいっぱいになれた。
「どうだ魔理沙、美味しいか?」
「ああ、美味しい! 毎日食いたいくらいだ!」
「フフフッ、そうか」
カツカレーを口いっぱいに頬張る魔理沙。
それを優しく見守り、美味しいという一言を告げる度に嬉しそうに目を細め、甲斐甲斐しく魔理沙の口元を拭っている霊夢。
快活な妹と甲斐甲斐しく世話を焼く姉のようにも、子供の面倒を見ている親のようにも見えるその光景。二人の間に確かな信頼があるからこそ見られる団欒な光景がそこにあった。
「僕、蚊帳の外じゃないかな? まぁ静かでいいけども……それにしても美味いな、これ」
そして、そんな団欒の光景を他所に、男一人でカツカレーを頬張る霖之助がいた。
ーーー
霧雨魔理沙は普通の魔法使いだ。
そんな彼女には大好きで大切な自慢の友人がいる。
その友人は誰よりも尊大な態度と、偉そうな口調で話す。
だから色々と誤解されるけど、誰よりも心優しい。人が困っていたら、手助けせずにはいられない。相手が人間でも妖怪でも、分け隔てなく優しく接する事が出来る人間だ。
だから霧雨魔理沙にとって、誰よりも綺麗で、誰よりも心優しい彼女は自慢の友人なのである。
魔理沙はそんな霊夢が大好きだ。
彼女と話していると、胸がポカポカと温かくなる。自然と笑顔になれるし、どんな話をしていても楽しく思える。触れられると嬉しいような恥ずかしいような気持ちになるし、触れると安心する。
魔理沙自身分かっていない。彼女に対するこの感情がどういったものなのか分かっていない。ただ、彼女が自分の前で他の誰かの話をすると、誰かの事を楽しそうに語る姿を見ると、少し面白くない気持ちになり、胸にズキッとした痛みが走る。
魔理沙には分からない。この気持ちが何であるのか。
分からないなりに、自分の幸せには霊夢が必要なんじゃないかということだけは分かる。だから今日も彼女を探す。何処にいても探すのだ。
魔法使いは星を追う。今度の星はお友達、優しく強いお星様。
k(ry
五話まで読み返して思ったのだ。
魔理沙の心情描写少なくないかなって、補足と言うかそんな感じで
入れたくなって入れてみたんよ。
書いている時、いつも書いている霊夢視点で書けなかったんで、
少しだけ苦労したのである。
真面目な描写は難しいね。シリアスじゃなくてシリアルが食べたい。
もしかしたら、変な文章とか誤字脱字あるかもだけど、よろしくね。
では、次話で会いましょう!
2019 5月7日
手直し完了!