いつも誤字報告、感想などありがとうございます。
物音で目が覚める。
草木が夜風に吹かれ、それぞれがカサカサと心地よい音を奏でる夜。
ビーチとは離れているものの、比較的海に近いこのコテージでは微かだが風に潮の香りが混じっている。
だが、今感じるのはその匂いだけではない。
あまり、他人に自慢できるものではないかもしれないが、ある程度の周囲の匂いを嗅ぐことによって状況を掴むことができる。それも死ぬ一歩寸前まで追い込まれた嫌な”思い出”によるものだがーー呑気に話をしている時間は今はない。
特に、寝起きの際にはその能力が過敏になっており、一際周囲の臭いを過敏に感じ取る。それこそ、日の当たらない場所にいた時は重宝したのを覚えている。
それこそ、今のような状況に陥った時には非常に役に立つ。
砂糖などの甘味料の持つ味覚的な甘さの匂いではなく、人を惹きつける、どちらかと言えばフェロモンのような、人が何かに興奮した時に醸し出す独自の匂い。
だが、そこには人殺しのような殺伐とした雰囲気は感じられず、同時に物を荒らすことで生計を得ている貧民街の人間の匂いともまた異なる。
何より、少し前に嗅いだ覚えがある。
どちらにせよ、敵対している雰囲気は特に感じられない。だからこそ、おそらく近場にまで潜り込まれていることを把握しながらも、ここまで落ち着いて状況判断ができていると言える。
おそらく、レーススタート直前に会ったあの子だろうがーーーそういえば名前を聞き忘れたことを思い出した。
それにしても、何か話したいことでもあったのだろうか、そう考えながら若干の眠気も感じながらも、どちらかといえば陽気な気分で瞼を開く。すると、視界いっぱいに女の顔が映っていた。
「ーーおはようございます」
そこにいたのは、やはり件のネズミ屋敷で助けた女。
大人になってからというもの、叫び声など滅多に上げないようになったのにも関わらず、その瞬間は久しぶりに喉は枯れるほど叫びそうになった。
しかし俺は悪くない、と思う。
目が覚めて最初に見る光景が天井ではなく、そこまで見知った訳でもない女の顔が至近距離にあるのだから、気絶しなかっただけマシだろう。
そして、当然ではあるが深夜だというのにこんなことをしている彼女に対して疑問を持つ。何故ここにいるのかーー、疑問はその一点にある。
「一目惚れなんですーー、私、初めて感じました。ーーー多分、こういうのを運命って呼ぶんだなぁって」
だが、彼女の口から出るのは的を得ない発言であり、酩酊状態にも見えるほど、どこか恍惚とした顔で体をくねらせるばかり。
月明かりに照らされてる彼女を見るに、服がレーススタートの時に見たものとは変わっていた。確か、朝にあった時はどちらかといえばあまり派手な服を着ている印象は見受けられなかったが、今はそれとは真逆で、暗がりの中でも分かるほど、真っ赤な薄いショーツを身に纏っていた。それも胸元が大胆に開かれた状態の、まさに男を落とし込む、自分の魅力を最大限に表現するための衣服、ほぼ生地だと思える薄さでーーーーまさか下着だけか?
開かれた胸元には、女の魅力を引き立たせる小さなほくろが目立っていた。
「だって今日は勝負の日ですものーー、庶民といえどもドレスコードぐらいわきまえてます」
目が完全にアッチに行ってしまっている彼女に、顔が引き攣っているのを実感する。
ムシとかにも言える話だが、目を見ても目的も何も分からない相手ほど怖いモノはない。人間は古来から何かを予測して繁栄してきた生き物であるが故に、そうした相手には恐怖を覚える。何故ならば、相手が次に何をする予測ができないから、身の防ぎようがないからだ。
「影踏み鬼ってーー昔みんなやったことありますよね」
が、どうやら俺に話す隙はないらしい。
やはりその目には、俺が映っているようで映っていなかった。
「自分の影を踏まれないように鬼から逃げるーーー子供の頃によくやる、誰でもできる原始的なゲーム、私得意なんです」
そう自信満々に言い切る彼女に、とてつもなく嫌な予感が走る。
すぐさま逃げの姿勢に入ろうと、こちらへ覆いかぶさっている体をどかそうとするも、体に力が入らない。
だが、いくら彼女が重かろうが、男と女だ。背丈の差もある分、起きあがらせれないような関係とは思えない。
しかし、力を入れようにも、彼女はびくとも動く事はない。というよりもーーー俺が動いていないだけなのかーーー?
感覚としては夢の中で体を動かそうとした時のような、水中でもがいているような脱力感。
もがき、なんとか逃れようとする自分に、女は淡々と話し続ける。
「仕組みは簡単ですーーただ影を踏めば踏まれた人間は動けなくなる。そうなればもう、こっちのものです。でも、シンプルだからこそ、私の能力は強く相手にのしかかるーーーどうです、全く動けないですよね」
そう言いながら気色の悪い舌舐めずりをする彼女に、思わず鳥肌が立つ。
しかし、彼女のいう通り確かに体が動く気配がない。
唯一動かせるのは瞼だけであり、唇などは力を入れてもプルプルと震えるばかりで、思うように動かすことができない。
「ふふーー」
彼女は笑うばかりで、一体何が目的なのかがさっぱり分からない。だが、確実に暇つぶしにこのような行動をとる人間ではないーーーーと思いたい。
「ナナって呼んでくださいーー、あなたには私の名前を知っててもらいたいんです」
ようやく自分の事を話し出した彼女を尻目に、ゆっくりと、かろうじて動かせる目線を動かして今自分が置かれている状況を把握する。
仰向けで寝たまま動けなくなっている自分に、彼女は俺の背中に腕を潜り込ませるようにして、覆いかぶさったまま依然としてこちらを見つめたままだ。
そして、彼女の背後にはうっすらと、赤みがかったオーラが揺れて見えた。
ゆっくりとしか動かない瞼を数回動かし、それが見間違えでないことを確認した。
そうして、ようやく理解が及ぶ。人智を超えた超常現象、科学では証明できない謎の力を操る者はーーーほぼ確実にスタンド使いだろう。
「ーーー気づいたのは、以前体を再生してもらってすぐの事でした。あなたを追い、近づき、”あなた”をこの手で手に入れるーーーそのために神様がくれたんだって、思ってます」
彼女は赤子に聞かせるように耳元で喋ると、俺の背中を弄るように左手を動かした。
と、同時に今まで感じたことのない痛みを背中で感じる。
その痛みは、体が衝撃で震えてしまうほどだった。
「あっーーごめんなさい。
彼女がさらにこちらへともたれかかる。俺の体に彼女がその肉体を押し付けると、彼女の胸が一際強く主張される。そして同時に体の強張りがさらに強くなった。
「ーーーこれでもっと動けなくなりましたよね」
そう告げると、彼女は徐にポケットから小型ナイフを取り出した。
「私ーーー特技があるんです。」
彼女はナイフの切っ先を服の上から体に当て、腹の部分から胸元、そして首へとなぞっていく。
妙に冷たい感触が体を伝い、くすぐったさに体をよじろうとしても、体は動かせない。
やめろと目で訴えるが、やはり彼女はこちらの返答を待っているようには思えない。目があったとしても、軽く微笑むだけだ。
「人の耳を見れば、だいたいその人がどれくらいの大きさなのか分かるんです」
そして、ナイフを持ちながら、耳たぶをサワサワと撫でてきた。
「どこがって思ってるでしょうーー、ふふ。今すぐに切り取って見せてあげますからね」
再度、耳たぶから首元を伝って胸元まで降りてきた指は、そこからさらに下腹部へと伸びていく。
「自分のって、じっくりと見た事がないでしょう? ーー365度じっくり見せてあげます」
明らかに目がキマっている状況に、先ほどからやばいと体から全直感が警戒をしている。冷や汗が止まらない。
だが、どうやったとしてもこの場から逃げ出すビジョンが思い浮かばない。というよりも、上手く思考が脳内でまとまらないと言ったほうが正しいのか。目の前にある障害を考えれば考えるほど、その思考は次々に霧散していく。脳の思考にもある程度枷をかけられているのかーーー?
そうした状況下で自分で動くことができない分、ここは誰かに助けてもらう他ないだろう。現状、考えられる中で唯一の助けであるパーシーを目で探すものの、隅に置いてある寝床はもぬけの殻になっていた。
「大丈夫です、心配しなくとも誰も来ませんよ〜」
寝込みを襲われることに対しては敏感であると自負していたが、どうやら撤回した方がいいのかもしれない。
他の案を単純な思考で考えると、自らの武力を持って相手を制することしか浮かばない。どうにか、片手だけでも自由になればこの女をぶっ飛ばせるーーーだが現状どうしようもない。
しかし機会を伺いながらだとかーーそんな悠長なことを言ってる場合ではない。目線をあちこちにやりながら何かないか必死に探るが普段から肌身離さない鉄球が見当たらない。いつもつけてる位置に目線をやるも、装着具ごと取り外されており、おそらく何処かに隠してあるのだろう事が容易に浮かんだ。
「もう、どうしようもありません。既に
改めて、スタンド能力の恐ろしさが身に染みる。
影踏み鬼ーーー影を踏まれたものは次に鬼になる、今回においては鬼が変わらず、彼女に“踏まれた”ものは問答無用で身動き一つ取れなくなるというものなんだろう。
彼女のいうように能力は至って簡単だが、シンプル故に一度型に嵌ってしまえば、力関係は覆ることがない。
今考えると、彼女がレースに参加していたことさえおかしいことだった。以前ジョッキーだったり、そうした背景があれば参加するだろうが、スタートの際に出会ったときからも、馬に乗せられているような印象を感じた事からも、彼女がそこまで乗馬という行為自体に慣れていない事は分かっていた。
あの時はただの記念で参加しているのだろうと楽観的に考えていたが、甘かった。
ーーー敵はいつも、予想もしない場所から現れる。
そして、ナイフを慣れた手つきでズボンへ突き立てると、ごそごそと俺の下腹部を弄り出した。
「ごめんなさい、怖いですよね。でも、一瞬で終わります」
一際、彼女の赤黒い影が風船のごとく膨れ上がる。
「大丈夫ですーー気持ちよく切り取りますからーーーッ!!」
「おいーーー」
ナイフで一気に服をかき切ろうと、切っ先をこちらへ向けたその瞬間ーーー第三者が現れる。
「どけーーー」
「ーーーちゅべッ」
至近距離顔がどんどんと足に埋まり込む瞬間は、ショッキングとしかいいようがない。
そのままネズミがトラップに引っかかった時のような声を上げ、宿舎の壁に突っ込んでいく。
ガラガラと、彼女は頭から壁にめり込んでいた。
すると、自分を覆っていた体の強張りが次第の溶けていく感覚が広がっていく。
仰向けの状態から自分を救った救世主を見上げた。
ベッドの横に立ち、そこで足を振り上げていたのは1stレースに第3位でゴールを果たしたあの赤紫の女だった。
と、同時に完全に体の重さが消えた。
「お邪魔だったかーー?」
「いーや、助かった」
そして、頭にかかっていたモヤのような気持ち悪さも薄れていく。やはりこれも彼女の能力の影響だったのだろう。
スッキリとした頭でベッドから立ち上がると、いつのまにか肌着一枚にされていた事に気づいた。義手の鉄の部分が月明かりを照らされ、光を反射していた。
「ーーーお前、義手だったのか」
彼女の視線の先ーーー月明かりを反射している俺の右腕がそこにあった。別に見られて気分が悪くなることは無い。これはこういうものであると体が慣れているから、街並みで人の視線を受けようが腕を見られた時と感じるものは変わらない。ただ、こういうものはあまり言いふらすものでもないから、普段はどちらかと言えば隠している。言って誰かに同情されたい訳でも、現実を悲観してる訳でもないからだ。
「ありがとうーーあー……」
「ホットパンツでいい」
動いた事で形が崩れた襟を整えながら、彼女はそう言った。明らかに作られた名前だと感じるがーーーしかしそこに突っ込むほどの仲ではない。別に、親友でもなんでもない相手だしなと思いながら、彼女がここにいる意味を尋ねる。しかし、それは当の本人に遮られてしまった。
「ホットパンツーー」
「話は後だ。ーーー結構力を入れて蹴ったつもりだが、意外と打たれ強いな」
話を切り上げた彼女の視線の先の、蹴り飛ばした先を見ると、奥で幽鬼のようにナナが立ち上がっていた。
「ーーー殺すゥ…」
「なんだ、随分と好かれてるじゃないか」
「逆だろこりゃーー」
ゆらりと立ち上がる彼女の背後には、やはり赤い何かがまとわりついていた。窓から刺す月明かりに照らされ、伸びる彼女の影は次第に膨らんでいく。床に伸びるそれらは自然ではありえない動きをしながらその体を拡大していく。
人間の体の大きさを超える程のスタンド能力。大きさで個々の力が異なるものでもないのだろうが、迫力は女性のそれではない。
それを横目に、ホットパンツはこちらへ行方知れずだった鉄球を投げ渡してきた。
「これ、お前のだろう」
「一体どこでーーー」
「外に落ちていた、大方この女の仕業だろう。それに、こいつもだ」
「チュウ」
放り出すように手渡された鉄球に、へばり付くようにしてパーシーが纏わりついていた。
「よかった‥‥」
「お前のペットか? 随分と心配していたぞ」
「助かったーーーありがとう」
「‥‥
「なんだ、思い入れでもあるのか?」
「うるさいーーー敵に集中しろ」
視線の先にいるナナとやらは依然として、こちらへ殺意を向けたままだ。それに、ホットパンツが現れてからというもの、一層とその狂気さが増したようにも見える。暗闇の中で微かに見えるその顔からは、血が滴っているが、その顔は明らかに怒りで歪んでいた。
「ここは、私がやる」
「いや、二人でやった方がーー」
「借りは返すーー、そのままは気分が悪い」
「女ァ……邪魔ァッするなッーー!」
ナナは鬼気迫る表情でホットパンツにその身を翻すと、その勢いのまま腕を伸ばす。
「がぁーーーッッ!!!」
「ふむ、見たところ影を操るスタンド使い、か」
オオカミのような雄叫びと共に、彼女の足元から、ホットパンツ目掛けて真っ黒い影が針のように幾つも伸びていく。
「バカが、直線すぎる。スタンド能力者であるがーーー素人か?」
ホットパンツの軽やかなステップでそれらを一つずつ躱していく姿は、まるで踊っているようにも見えた。
「お前だけでもッ、殺すゥぅうーー! ポッと出の癖に馴れ馴れしく邪魔しに来やがってェ、テメェみてぇなビッチは犬とでも盛っとけェッ!!」
「なんなんだこいつはーーー」
最早なりふり構わない状態でありながらも、彼女が手を振るうたびに影が伸びるが、尚も変わらずその一つ一つにホットパンツは冷静に対処していく。
しかし、未だ一つもの影がホットパンツに当たっていないとは言え、影の本数が増えていくにつれ、次第に避けるスペースが狭くなっていることは確かだ。
影はまだ彼女には接触してはいないものの、次第に端へ端へと追いやられていく。そして、ついにホットパンツの背中に壁が当たった。
「終わりだバカがぁ゛あァーーーッ!」
「お前がな」
攻め時だとナナが突っ込んだと同時にホットパンツが壁際のカーテンに手をかけると、部屋に差し込んでいたたくさんの月明かりが一斉に消え、部屋が一気に暗闇へと移り変わった。
そして同時に、ホットパンツへと伸びていた幾つも影は跡形もなく部屋の暗闇へと掻き消えた。
「今までのお前の行動見ていれば分かる。私が棚の影や、玄関の方へ逃げ込もうとすればそれを封じるように影を伸ばすーーーお前の能力は相手が影の中に逃げ込んで仕舞えば、その影響は及ばないんだろう。単純な能力故に、単純な弱点だったな」
「っーーーうるせえッ、こんな距離近づいちまえば終いだろうがぁよォーーー!!」
「フッーーー」
そう言いながら脇目も振らずに、猪の様に突っ込んでいったナナ。それに対して、ホットパンツは特段動揺するまでもなく、平静を保ちながら、手で構えを取る。
そして、少しだけ膝を上げた。
「ーーー私が肉弾戦を苦手とする脆弱な女だとでも思ったか?」
暗闇の中でかろうじて見える、脇目も振らずに、ナイフを逆手に持ち獣のように突っ込むナナの脛を蹴り飛ばすと、その弾みで前のめりになった状態の体の腹に膝蹴りを繰り出す。そして、蹴りの度にエゲツない音が辺りに響く。
そのあまりにも手早い動きからも、ホットパンツの動きが明らかに素人ではないのが分かる。
そしてその蹴りの威力や否や、そしてそのあまりの速さ、なにが起こったのか理解できず、蹴りを喰らい鯖折りになった本人はただ倒れ、うずくまるばかり。
視界の隅で蹲った彼女の口から苦悶の声が聞こえる。どうやら、あまりの痛みで声を上げることすらままならない様だ。
「これで終わりだ」
そうして、明かりをつけるとそのままホットパンツは一度、彼女に触れ、ポケットからライターのようなものを取り出すとその先っぽを彼女に向けた。すると肌色の肉体を持った煙のようなものが先っぽから飛び出した。
それはさながら蛇の如く尚も蹲る彼女に巻き付くと、その体を堅く縛り上げた。
「胸についていた肉の分、まぁまぁのキツさになったな」
「‥‥お前も、スタンド使いっていうワケか」
「なんだ、あまり深くは知らないのか? そうだ、人智を超えた超常現象を操る力、呪いとも言われているがな」
蹴りをしたことで舞い上がったであろう埃を振り払う。
どうやら、自分が思っている以上にスタンド使いはいると見た方が良いのだろう。最初に教えてくれたマジェントには感謝しておくべきなのかも知れない。
ホットパンツはナナの体に巻きついているスタンドを引っ張ると、少しだけ呻き声が聞こえた。
「ーーーそいつはどうする」
「なんだ、情が移ったか。しばらく情婦にでもする気か?」
「いや、特にする気はない。ホットパンツ、あんたに助かったのも事実だ。だが、何故ここにいる」
正直言って、どうしてホットパンツは俺を助けに来れたのかが分からない。あの状況にあのタイミング、ナナと同じく、彼女もまた俺を見張っておかなければ間に合うはずもない。
すると、言い終わるよりも先に彼女が一歩前に出て、一言。
「このレースが終わるまでの間、お前を守ることになった。お前は命を狙われているーーー今からレース終了までの間、お前は教会の護衛対象となった」
予想もしていない言葉を彼女は言い放った。
ーーー
そうしてナナが襲撃をしかけた朝に始まった2ndレース。
これまで馬に乗って一人と一匹で走っていたのにも関わらず、ホットパンツがそう告げたその日から状況は一変した。
「なぁ、まだ着いてくるのかーー?」
「当たり前だ、レースが終了するまでだと言っただろう。護衛を何だと思ってる」
馬の土を踏み締める蹄鉄の音は増え、こちらに追従する形ですぐそばに少しだけ軽めの、土を踏み締める音が鳴り響いている。
声の先、真後ろに目をやると、赤みがかった髪を揺らしながら、一定の間隔でこちらを追いかける彼女の姿が視界に入った。
あれからというもの、彼女は所構わず同行するのをやめようとしない。
どこまでかといえば、風呂の時や、トイレに行く時でさえ、辺りに気配を感じる。
どこまで着いてきてるんだ、気が散るからやめろと直接伝えたとしても、護衛とはこういうものだと一点張りで言うことを聞こうともしない。
しかも、なにやらメモ帳には俺のトイレに入って出てくるまでの時間が何分やら、風呂が何分やら、明らかに関係なさそうな情報まで時計で測っていたが、どう使うかは不明だ。
ーーーお前は教会の護衛対象となった。
再び、前の、ホットパンツの言葉が頭を過ぎる。
ーー教会。その言葉が何を意味するのか、俺には見当もつかない。
教会といえども、自らの上をそう呼ぶ宗教は多々ある。加えて、このレースは世界中から参加者が集まっている。彼女がたとえ一番勢力のある宗教だろうと、それがカトリックかプロテスタントか分かったところで自分にはどうしようもない。
が、どちらにせよ彼女がそうした派閥の人間であることは分かったのは収穫だ。
だが、1番の問題は俺自身が護衛対象となった事だ。生憎だが、自分は生まれてこの方宗教に頼ったことはない。流石に食い殺されそうになった時は神頼みをしたような気もするが、結局のところ死にそうになろうがどうなろうが、神はどうもしてくれなかったからな。
所詮生きる道は自分で切り開いていくしかない。
ただ、教会ーーー。妙に引っかかるところがある。前に大統領が話していた聖なる遺体とやらと、関係がありそうだ。というよりも、十中八九そうだろうことは推測ができる。だが、何故その中で俺を選んだーー?
ついてくるなと言っても護衛だからの一点張りで同行するホットパンツに再度目線を向ける。
‥‥ー番女に弱そうに見えたからだとか、そういった理由なんだったらかなりショックではあるがーーー。
しかし、引っかかるところはまだある。
聖なる遺体とやらが、このレースの道中にあるのならば、レースが始まるよりも前に人員を送り込み、全て奪取してしまえばいい。だが、それを実行しないということは、何か
いや、流石にそんな旬の野菜みたいな事は無いだろうがーーーー今考えたところでどうにもならん、か。
このレース、予想以上に勢力が混在しているのかもしれないーーー。
「おい」
「‥‥‥なんだ」
頭を抱えている俺に、ホットパンツは親指で後方を指す。
「アレ、結局どうするんだ」
「ーーー言わないでくれ」
ホットパンツの視線の先には、夜中のうちにケリをつけたはずのナナがいた。夜のことは何とやら、全く何もなかったかのようにしてホットパンツと同じように着いてきているのが目に入る。
顔が引き攣っているのが自分でも分かる。
「お前がケリをつけないからだ」
「一般人を殺すわけにはいかないだろ……」
どう考えてもおかしい、確かに縄で縛ったまま放置した記憶がある。外した覚えもない。それにナイフも取り上げ、固結びしたから簡単に抜け出せるようにも見えなかったがーーー。
「ふ、ふふふーーー愛に不可能はありません、まだ終わりじゃないです。ーーだって運命ってそういうものですよね?」
そうして、ーーー同行者は一匹と二人。
本体:ナナ•スポック
能力名:フォロー•ユー
能力説明:影を自在に操作する事ができる。また、相手の影を固定する事で対象の身動きを停止させる事も可能である。
【破壊力:D/スピード:C/射程距離:B/持続力:C/精密動作性:A/成長性:A】