「あっ、クゼちゃんおはようございます」
「はよーっす、甘粕ちゃん。今日もツインテールがばっちり決まってるな」
「え、えへへ、そうですか? ありがとうございます!」
にこやかに笑顔を返すと甘粕真与は頬をピンク色に染めてはにかんだ。
井上ではないが、こうも初々しい反応を見せてくれると意味もなく褒めたくなる。
いや、彼女はいいやつだし、いつも学級委員の仕事なんか頑張っている。
素直に尊敬できる人間だから、まったく理由もなく褒めているわけでもないか。
逆に不死川は特に理由もなくいじめたくなる。
「さっき聞いたんだけど、今日転校生来るんだってな」
「昨日も一昨日もホームルームで言ってましたよ?」
「いや、こう、夜道で記憶を落っことしてしまって」
誤魔化すようにあいまいな笑みを浮かべて頭をかいてみせた。
最近、ことさらに気が抜けていたから、記憶を落としてもそれにすら気づかない有様である。
くだらない恨みごとや、どうにもならない悩み事、忘れてしまいたいことほどこびりついているクセに。
人間の脳というのはえらくひねくれた仕様をしている。
それとも俺の脳味噌だけだろうか。
「おはよっ! 転校生来てる?」
「いけませんよチカちゃん。廊下を走っては」
「あ、ごめんごめん。おはよさんマヨ。クゼっちも」
「おっすオガサワラっち」
「それ語呂悪くない?」
「サワラっち」
「魚?」
おはよ、と笑顔で挨拶してきてくれたのはクラスメイトの小笠原千花だった。
流行なんかに敏感で、ファッションでも音楽でもテレビでも広くアンテナを張っている。
数名の男子とは犬猿の仲のようだが、基本的にノリがよくて面倒見もいいので男女問わず人気が高い。見た目も垢抜けた美人だ。
甘粕とは特に仲がいいようで、よく楽しげに話している姿が見られる。
「転校生まだ?」
「まだですよ。ホームルームで自己紹介するんじゃないでしょうか」
「まだかあ、アタシ男に賭けたんだよねー、転校生」
「賭けか、そういやそんなのもあるんだよな。今いくら持ってたっけ・・・・・・」
財布を尻ポケットから取り出す。
無数のレシートと、以前のアルバイト先の給与明細、レストランやカラオケのクーポン券が数枚。
そして、野口英世が一人。小銭と合わせて全部で二千円弱。
「うわっ、さびしー・・・・・・」
「ええい、見んじゃねー」
「アタイ的に金持ってない男とか男じゃねーわ」
「地球の言葉で話してくんない?」
「日本語喋ってんだろがオラッ!」
唐突に会話に混じってきた上に掴みかかってくるとは蛮族かこいつは。
こいつは羽黒黒子。死語だが、いわゆるガングロ・・・・・・というか、ヤマンバ。
得意技は毒霧。当然のように素行も悪い。
今となっては絶滅危惧種だが、昔の日本にはこういう生き物もたくさん生息していたらしい。
公式の登場人物紹介でさりげなく2-Fではなくその他に分類されている哀れなヤツでもある・・・・・・登場人物紹介?
俺はいったい何を・・・・・・?
「男の価値を財産で測るのはやめなさい」
「金はゼンテーだし。イケメンでアレもでかくねーと」
「お前ちょっと死んだほうがいいぞ」
「あれ・・・・・・?」
「ちょっと羽黒! 朝からやめてよね!」
「はっ、あ、あわわ、そういうことでしたか・・・・・・! 羽黒ちゃん、お下品ですよ!」
「メンゴメンゴー」
口々に責められ、羽黒は誠意の欠片も見えない謝罪を口にする。
この女、明け透けに言うだけあってなかなか凄まじい恋愛遍歴を持っているらしい。
素行も口も悪いし、容姿も優れているとは思えないのだが、どこに男たちは惹かれたのだろう。
失礼ながら、金持ちでイケメンでアレのでかい彼らは、本当に実在するのでしょうか。
それとも、アマゾネスよろしく狩ったということか。なんだかいろんな意味で恐ろしいやつだ。
「まあ、それでも一年の時のギラギラしたクゼだったらアタイ相手したんだけどなー。
ウチのクラス来たぜウッシャと思ったら腑抜けてるしよー」
「願い下げだ」
「でも今は転校生一筋系だから。オメーの気持ちには答えられないから」
「・・・・・・! ・・・・・・ッ!」
「お、落ち着いてください久世ちゃん」
意思疎通は不可能だ。そう、わかっている筈なのだが腹が立つ。
毛穴が開き、目が据わり、爪が手のひらに食い込むくらい腹が立つ。
これはある種の才能かもしれない。
「そんなに嫉妬すんなってーの。カナシーけど、恋愛ってそーゆーもんだから」
「・・・・・・」
このまま忍耐力を試されると暴力事件を起こしてしまいかねない。
この場を離れて少し歩くのもいいかもしれない。
そう思い立ち、席を立とうとする。
「みんな、おはよう」
そんな時、出鼻を挫くかのように教室の戸が開かれた。
やってきたのは誰あろう、F組担任教師の小島梅子だ。小島先生、と呼称しよう。
レディーススーツの似合う妙齢の美女だが、手にした鞭はいかにも妖しい。ちなみに未婚。
時計が示す時刻はホームルームにはいくらか早いが、転校生を迎える為だろう。
「全員いるな?ホームルーム前に全員揃っているとは、よほど転校生が気になると見える」
その言葉に、さりげなく教室を見回してみると、確かに全員揃っていた。
問題児クラスのF組。いつも遅刻ギリギリという連中はむしろ多数派であったが、問題児でも転校生は気になるらしい。
俺だって気になる。
「それでは、お待ちかねの転入生を紹介しよう・・・・・・入りたまえ」
「グーテンモルゲン」
「・・・・・・」
見まごうことなく先ほど便所の窓から見つけた男であった。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
当然だが、彼は転校生ではなかった。
そして、本当の転校生は今、教室の窓から見下ろすグラウンドの真ん中に一人と一頭でいた。
「クリスティアーネ・フリードリヒ!! ドイツ・リューベックから推参! この寺子屋で今より世話になる!」
グラウンドでは、金髪碧眼の美少女が鬣靡かせた白馬に跨って大見得を切っている。ほかでもない、彼女が噂の転校生だ。
白馬で登校と素っ頓狂なシチュエーションではあるものの、アイドルもかくやといった美少女である。
彼女の動作に合わせて窓から顔を出していたクラスメイト達が歓声を上げた。
「マジモンのパツキン美少女じゃねーかッ!」
「ちっ、女かよクソがっ・・・・・・五千がパーだ」
「ちっくしょう!ヒゲのヤロー騙しやがったな!でもそんなんどうでもいいや!超可愛い!」
男子たち数名が目を血走らせて奇声を上げた。
気持ちはとてもよくわかる。実際ものすごく可愛い。
そんじょそこらの美少女とは存在感が違う。
見目麗しさを形容する為には、いくら美辞麗句を並べ立てても足りないぐらいの美少女である。
眩い絹糸のような金髪に、深い湖のように透き通った碧眼、きめ細かい陶磁のような白皙とでも言おうか。
「美形だなぁー、金糸のような、っつーの? この辺りじゃあんまり見ないよな」
「主語が抜けていてわかりづらいですよ」
「言いたいことはわかるけどね・・・・・・こりゃ負けたわ」
白旗を揚げるように肩を落としているが、小笠原だって充分以上に美人だ。
だが、確かにあれはなんというかこう、普段目にしない分レア度が違うかもしれない。
「パツキン担当だったらアタイがいんじゃない。アハン」
「鼻フックすんぞテメー」
なんだ羽黒。
なんだそのポーズは。
そしてなんだそのアハンってのは、というかお前の鼻はどこにあるんだ。
とかなんとか考えているうちに転校生が馬を繋いでやってきたらしい。
彼女が教室に入ってくると、にわかにクラスがうるさくなったが、小島先生が見渡すだけで統率されたように静かになる。
そして、金髪の少女は黒板にカタカナでクリスティアーネ・フリードリヒ、と書き込み、クラスメイトたちに向き直って一礼。
「クリスティアーネ・フリードリヒだ、クリスと呼んでほしい。改めてよろしく!」
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
「自分はこの国で多くのことを学べると確信している。迷惑をかけることも多いと思うが、仲良くしてほしい!」
そう、転校生は自己紹介を締めくくった。
五分にも満たない自己紹介で得た印象としては、世間擦れしていない箱入り娘といったところ。
故郷のドイツはリューベックには日本人の友人が少なからずいたそうだ。
彼らに勧められて見たドラマを切っ掛けに日本に興味を持ったそうな。
大和丸夢日記やら鬼兵犯科帳やら、時代劇の名称を挙げて武士道精神の素晴らしさとやらを語ってくれた。
しかし、少しばかり箱入りが過ぎるようだ。
観光で立ち寄った映画村を実際に住民が時代劇さながらの生活を送っている場所だと思っていたり、インターネット上に出回っているコラージュに騙されたり、フィクションを現実と混同しているようで、少し頭が緩いのかもしれない。
ともあれ、自己紹介から見て取れた快活で正義感が強そうな人間性は好感が持てる。
美少女だし、是非とも仲良くなりたいものだ。
「クリスの父、フランク・フリードリヒです。ドイツで軍人をやっております。一年間娘が世話になりますが、よろしくお願いします」
そんな彼女に続いて、流暢な日本語で彼女の隣の年配の男が挨拶した。
案の定、転校生の保護者らしい。
言葉の通り、帽子や襟、胸や肩はたくさんの徽章で飾られていて、いかにも軍人のそれだ。
外国人の年齢はよくわからないが、見た感じ五十歳前後だろうか。
他国の学校に非常識な格好でやってきたものだから非常識な人間かと思いきや、案外物腰は穏やかだ。
意外と親しみやすい人かもしれない。
そんな風に考えたのは俺だけではないらしく、視界の隅で大柄な男が身を乗り出した。
噂の風間ファミリーの島津岳人だ。
美少女とその父親に好印象でも与えたいのか、彼はにやけた面でお追従を言う。
「クリスもお父さんも日本語上手いんすね!」
「貴様にお義父さんなどと呼ばれる筋合いはないッ!!」
前言を撤回する。
親しみやすいなどとんでもない。
身の丈百九十近い偉丈夫も、一瞬にして気勢をそがれるおっかない怒号が教室に響き渡った。
その上、懐から本物かフェイクか見分けはつかないが、拳銃を抜いている。
突然の凶行に教室中の皆が絶句した。
「あ、あの、あれはお調子者ですが、そういった意味で言ったわけでは」
「・・・・・・いえ、こちらこそ申し訳ない。私は娘のこととなると少々度が過ぎてしまうようでして」
額に冷や汗を浮かべる小島先生のフォローによって島津は延命された。
軍服の男は口元を引きつらせる彼に向き直ると、肩に手をやって諭すように語り掛ける。
「君、すまなかったな。あまりにもふざけたことを言うものだから興奮してしまった」
「は、はい、すんません・・・・・・」
そして、拳銃を手にしたまま、じろり、と俺を含む教室の男子生徒たちを見回した。
俺は今、娘にちょっかい出したらわかっているよな? と言外に仄めかされたようだ。
非常識な格好以上に中身もクレイジーらしい。
「父は高潔な軍人で自他共に厳しいんだ。驚かせたならすまない」
「・・・・・・」
まだ黒光りする金属の塊が視界の隅に映る間は、特に父親の行動に疑問を持っていない娘の言葉にも反論する人間はいなかった。
「・・・・・・父君、そろそろ」
そんな中、不意に小島先生が転校生の父親に声をかけ、予定が押していることをジェスチャーで伝える。
しかし、時計を見る限りそこまで急かすような時間でもない。
ひょっとしたら危険人物を体よく素早く追い払おうとしているのかもしれない。
「む、後ろ髪引かれる気持ちだが、そろそろ時間だ。クリス、何かあったらすぐに・・・・・・」いや、いつでも連絡してきなさい」
娘にそれだけ言うと、彼は靴音を響かせて去って行った。
連絡すれば戦闘機で即日駆けつけるらしい。ゲルマンジョークというものだろうか。
・・・・・・本気じゃないだろうな。
ともあれ、保護者が去った教室はようやくいつもの平穏を取り戻した。
「風間、直江、椎名。彼女は島津寮へ入居する予定なので、そちらでの世話は頼む」
「ウーッス」
「先生俺には?!」
「・・・・・・」
「何すかその沈黙!」
島津寮、というのは今喚いている島津岳人の親の管理している学生寮のことだ。
このクラスにはその学生寮の寮生が四人もいる。今呼ばれたものと、もう一人
厳密に言えば寮生ではないが、家主の息子を含めれば、五人。そして今日六人となった。
普通こういった編成は分けるものかもしれないが、F組に振り分けられるような生徒は事情が事情なのでこういうこともあり得る。
「あとは甘粕、何かあればサポートしてやってくれ」
「はい!委員長としてがんばります!」
「いつもすまんな」
「それは言わない約束ですよ」
「・・・・・・それでは、時間が押しているので一時間目に間に合うよう移動教室を開始するように」
ツッコミをこらえているのか、珍しく渋面をした小島先生は出席簿を持って退室した。
そして、クリスは自分に与えられた席へとやってくる。
窓際から二番目。前から二番目の席。
黒板を北と仮定して、最北西にある俺の席からちょうど右斜め後ろだ。ちなみに、俺の右隣が甘粕で、背後が羽黒。
「よろしく美少女」
「ああ、よろしく・・・・・・久世殿、でよかっただろうか?」
「殿って・・・・・・呼び捨てでいいでござるよクリス殿」
「甘粕真与です。クリスちゃん。何かわからないことがあったら、遠慮せずに聞いてください」
「おお、甘粕殿。これからよろしく!」
にこやかに挨拶を交わすと、クリスは自分の席について学習用具を机にしまおうとした。
しかし、何かが既に入っているのか、怪訝な顔をして彼女は机の中に入っていた、何か、を引っ張り出す。
「箱・・・・・・?」
これっくらいの。
広げた両手のひらの上にちょうどのっかるぐらいの、小さな箱。
プラスチック製の・・・・・・というか、まあ、弁当箱だ。不思議なことに見覚えがある。
二週間前、俺が同じようなものを持ってきていた。
あの日は昼休みに体育から戻ってくると、鞄に入れてきた弁当が消えていたのだ。
今ではかなり収まったが、元S組生徒である俺への嫌がらせの一環だったらしい。
弁当箱を買いなおすのは懐が痛いので、あれ以来昼食は学食か購買で取るようにしている。
「アハン、メンゴメンゴー。こないだ弁当食べ切れなくて入れっぱなしにしたの忘れちった」
「テメエ、表に出ろ蛮族め。俺が教化してやる・・・・・・おい、ちょっ、開けるな!」
「え?」
ぱかり、とパンドラの箱が開かれた。
もとい、あれはパンドラが開けたからパンドラの箱なので、この場合はクリスの箱になるのか。
ともかく、クリスの箱が開かれ、この世のありとあらゆる災厄が教室中に充満する。
フタの裏に張り付いたわさびシートだか、希望だかなんだかよくわからん慰めよりも、消臭剤が欲しかった。