異界から現世に戻るため、異界の中央やや南くらいの場所にあるという『大字粗戸兼上粗戸・中央交差点』を目指すことになったあたし。案内人は、最高経営責任者にして東京で大学生をしているという安野依子さん。事務所で会員登録と注意事項の説明を済ませ、コースを選んだあと、あたしたちは事務所の西側の出入口から外に出た。最初の目的地は、この蛇ノ首谷地区の南西にある折部地区だそうである。
事務所の西側は緩やかな下り坂になっている。舗装されていない砂利道だ。足を滑らせて転んでケガをしたら現世に戻れなくなるらしい。あたしは、慎重に道を下りて行った。
しばらく歩くと、前を進む安野さんが足を止めた。
「――おおっと、忘れてました。ここは、通れないんでした」
なんとなくワザとらしい口調の安野さん。道の先を見ると、砂利道はアスファルトの車道と合流しているが、その手前に大きな赤い水たまりが道いっぱいに広がっていた。向こう側までは五メートル程だろうか。飛び越えるのは、あたしの運動神経ではムリだ。とは言え、靴が汚れるのさえガマンすれば通れないこともなさそうだ。所詮は水たまりなので、深さはせいぜい足首くらいだろう。
「その赤い水たまりは、足を入れるだけでも危険なんでしょうか?」あたしは安野さんに訊いてみた。
「いえ、それくらいなら問題ありません。ただ、この水たまりは、別の意味で危険なんです。見てください」
安野さんは水たまりの脇を指さした。事務所の屋根から垂れ下がったケーブルが水の中に入り、バチバチと火花を飛び散らせている。
あたしは安野さんを見た。「あれは、何でしょうか?」
「事務所の発電機で作った電気を、別の場所へ送るためのケーブルです。二〇〇三年の事故で、切断してしまったみたいなんです」
「そんな何年も前なのに、ずっと放置しているんですか?」
「ええ。一応ここは、この地域の観光スポットのひとつですから」
「はい? 観光スポットですか?」
「そうです。二〇〇三年の八月四日の朝、
「警官から拳銃を奪うなんて、大胆なことをしますね」
「そうなんですよ。通常、屍人さんから銃などの武器を奪うことは不可能なんです。彼らは行動不能になると、シェル化と言って、体中が硬直してビクともしなくなるんです。指一本動きませんから、握りしめた武器は絶対に放しません。それを、恭也君は、赤い水たまりに日本酒を撒いて石田さんをおびき寄せ、水たまりの水を飲んでいる所に電流を流して吹っ飛ばすという方法を用い、拳銃を奪ったんです。ホント、大胆な作戦です」
「そういう意味で言ったんじゃないですけど、まあ、いいです。それでこのケーブル、事務所から他の場所に電気を送るということは、事務所のブレーカーを落とせば、電気は止まるんじゃないでしょうか?」
「よく気が付きましたね。素晴らしい考察力です」
「いえいえ、それほどでも」
「ただ、それにはひとつ、問題がありまして」
「なんでしょう?」
「ブレーカーがある配電ボックスには、鍵がかかっているんです。その鍵は、事務所の床下に落ちています」
「そういえば、さっきそんなことを言ってましたね」
「鍵を取るには、火掻き棒が必要なんですが、お持ちでしょうか?」
「暖炉とかをかき回す棒ですよね? 持ってるわけないでしょ、そんなモノ」
「そうですか。じゃあ、一度刈割まで行って、取って来る必要がありますね」
「刈割って、三つ目の目的地ですよね? なぜそこまで行って、わざわざここに戻って来なきゃいけないんですか。何か、他に鍵を取る方法は無いんですか?」
「無いです」キッパリと断言する安野さん。何か適当な棒でもあれば取れそうだが、それは頑として認めなかった。絶対に、火掻き棒でなければ取れないと言う。
どう言っても安野さんは認めないので、仕方なくあたしが折れた。「……じゃあ、ここを通るのは諦めます。他の道を案内してください」
「判りました。こっちです」
安野さんとあたしは来た道を戻る。一度事務所の中に入り、今度は反対の東側出入口から外に出た。
建物のすぐ前には深い谷がある。村の中央を流れる眞魚川だ。吊り橋らしきものがかけられてあるが、火事でもあったのか、焼け焦げて崩れ落ちている。
「おおっとっと、忘れてました」安野さんが、またワザとらしい口調で言う。「この吊り橋は、うちの大学の講師が燃やしたんでした。今は、渡ることができません」
「……さっきから、知っててワザと通れない道に案内してませんか?」
「まさか。そんなワケ無いじゃないですか」
「疑わしいですけど、ま、いいです。じゃあ、こっちの道を行きましょう」あたしは、川に沿って南へ続いている道を指さした。建物西側の道と同じく、緩やかな下り道が続いている。恐らく、さっきの車道に出るだろう。
「その道を通ると、屍人さんに襲われます。普通のヤツと違い、かなりの強敵が配置されています。迎撃できないことも無いですが、武器はお持ちですか?」
「持ってないですよ。というか、屍人は人間を襲わないように教育したんじゃないんですか?」
「もちろんです。あくまでも、パークをお楽しみいただくための演出です」
「どういうことでしょうか?」
「当パークは、二〇〇三年当時の異界の雰囲気を可能な限り再現し、当時生存者たちが取った行動をお客様に追体験していただく体験型アトラクションとなっています。当時、南にある県道は屍人が監視していて、通行が非常に困難だったんです。それをどうやって通るのかが、この蛇ノ首谷地区最大の見どころです」
「……そんな見どころ、要りません。あたしはこのパークを楽しむつもりはないんです。可及的速やかに、現世に戻してください」
「まあそう言わずに、楽しんでってください。……と、言っても、困りましたね。本来はこの吊り橋を渡って向こう側から県道に下りるんですけど、うちの講師のおかげで、渡ることができません。これは、二〇〇三年当時にも無かったハプニングです。他に道も無いですし……仕方ありません。裏技を使いましょう」
そう言うと、安野さんはどこからともなく日本酒の一升瓶を取り出した。ラベルには、『大予言』と書かれてある。
「……そんな大きな酒瓶、今までどこに隠し持ってたんですか」
「ずっと持ってたんですけど、気づきませんでしたか?」
「はい。全然気付かなかったです」
「それが異界の不思議な所です」
「まあ、そんなものかもしれません。で、それをどうするんですか?」
「はい。こうします」
安野さんは酒瓶を頭の上まで持ち上げると、力いっぱい地面に投げつけた。酒瓶が割れ、周囲に日本酒の臭いが立ち込める。
「いきなり何しやがるんですか」
「失礼しました。こうすることで、ある屍人さんを呼び出せるんですよ。ちょっと待っててくださいね」
と、言うことなので、あたしたちはその場で待つことになった。しばらくすると、頭上でぶんぶんという虫の羽音が聞こえて来た。かなり大きな音だ。よほど大きなハエでもいるのかと思ったら、なんと、背中にトンボのような
「……あれは、何でしょうか?」屍人を指さし、安野さんに訊くあたし。
「羽根屍人さんです。少し前に説明しましたが、屍人さんは『海送り』と『海還り』を繰り返すことで進化し、姿を変えていきます。羽根屍人さんは、半屍人さんから一歩進化した状態です。進化した屍人さんにはいくつかの種族があり、性別などの条件によって進化先が決まります。羽根屍人さんの進化条件はまだ詳しく解明されていませんが、概ね、生前銃に関わりが深かった男性がなっています」
そう説明され、改めて羽根屍人を見る。かなり汚れてはいるが、薄いブルーのYシャツに紺色のズボン。頭に紺色の帽子をかぶり、腰には警棒。そして、帽子の中央には金色の
「石田徹雄さんです。お気づきの通り、生前は、村の交番で駐在員をしていました」
「駐在員なら、交番じゃなくて駐在所じゃないでしょうか?」
「そこをツッコみますか。宮崎さんも、なかなか鋭い考察をなさる」
「いえ。大学の友達に警察官志望の娘がいて、いろいろと教えてもらってるんです」
「そうでしたか。それは、お見それしました。仰る通り、交番と駐在所は、厳密には違います。交番は、主に都市部に置かれ、警察官が交代で勤務をします。一方、駐在所は、羽生蛇村のような都市部から遠く離れた集落に置かれ、警察官が一人か二人ほど居住し、勤務しています。本人だけでなく、家族と一緒に住むことも多いです」
「はい」
「実は、石田さんが駐在員なのか交番員なのかは、研究者の間でも長年議論されていました。羽生蛇村は都市部から遠く離れた山間の村ですし、石田さんも、村人からは『駐在さん』と呼ばれていたようですから、多くの人から駐在員だと思われていました。しかし、二〇〇三年八月二日の夜は、彼は夜勤勤務をしていた、との証言があります。駐在員なら、二十四時間ずっと駐在していますから、夜勤交代なんてありません。また、二〇〇三年の八月二日は、夕方、あたしと連れの大学講師で、村の交番を訪ねています。その時は、建物に『羽生蛇村派出所』とありました。二〇〇三年なら派出所じゃなくて交番だろうというツッコミは、田舎だから看板の付け替えが追いついていないということにしておいて、以上の理由から、石田さんは交番員であると推定されます。村の人に『駐在さん』と呼ばれていたのは、警察の仕組みをよく知らない村の人が、勘違いして呼んでいたんでしょうね」
「まあ、別にどっちでもいいんですけどね」
「宮崎さんが言いはじめたんでしょうが」
「失礼しました」
「では、話を続けます。石田さんは、大の酒好きで知られています。まあ、そのせいで、だいぶ苦労されたんですけどね」
「と、言うと?」
「はい。二〇〇三年八月二日の夜勤の時の話なんですが、石田さんは、勤務中にもかかわらず、一人、こっそりお酒を呑んでいました」
「それは、大変な不祥事ですね」
「はい。しかし、それだけなら悪くてもクビになるくらいで済むんですが、運が悪い事に、その夜は神に花嫁を捧げる儀式の直前でした。羽生蛇村では、儀式が近づくと、異界から赤い水が染み出すケースがあるんです。また、アルコールは赤い水の耐性を著しく下げてしまうというデータがあります。結果、石田さんは異界入りする前に屍人になってしまったんです。おかげで、上司で同僚の警官を撃ち殺すは、儀式を覗き見していただけの未成年の少年を威嚇射撃無しで射殺しようとするわ、大変だったそうです」
「あらら」
「受難は異界に来てからも続きます。さっき、大きな赤い水たまりの所でも話しましたが、石田さんは、須田恭也君という少年が仕掛けた酒トラップにより、拳銃を奪われています。クビだけではすまない大失態です」
「その割には、また酒の臭いにつられのこのこやって来たようですが?」
「仕方ありません。屍人になると、知能が低下するんです。半屍人の段階でもかなりアホな行動が目立つようになり、羽根屍人になると、もはや知能があるかも疑問です」
「そうですか。それで、そんな彼を呼んで、どうするんでしょうか?」
「あんな状態でもコミュニケーションは可能です。アホでも一応空を飛ぶことができますので、交渉して、向こう岸に連れて行ってもらいましょう」
と、いうことで、安野さんは羽根屍人とあうあうぎゃうぎゃう話し、無事、交渉成立。向こう側まで連れて行ってもらえることになった。
「……と、その前に。宮崎さんは、タバコは吸われますか?」安野さんが訊いてきた。
なぜ今そんな質問をするのか判らないが、あたしは吸わないので、そう答える。
「では、アレを拾っておいてください」
安野さんは、吊り橋のそばの地面を指さした。何か落ちている。近づいて確認すると、ジッポー式のライターだった。
「なぜ、これを拾わなければいけないんでしょう?」
「後で必要になるからです。拾っておかないと、また戻って来なければいけませんよ?」
「それは面倒ですね。判りました」
あたしはライターを拾った。
「では、向こう岸へ行きましょう」
あたしたちは羽根屍人に連れられ空を飛び、無事、眞魚川を越えた。お礼を言い、屍人と別れる。
川を越えた先は、道が二つに分かれていた。一方は、北東へ続く道。この先には、昔錫が採れた羽生蛇鉱山があると言う。もう一方は、南の県道へ出る道だ。あたしたちは南へ進む。道は、樹々の生い茂る森へ続いていた。
安野さんがさっそく説明をし始めた。「ここは、『
「物騒なことを言わないでください」
「実は、ここで実際に死体を埋めた人がいるんですよ」
そう言って安野さんが足を止めたのは、うっそうと樹々が生い茂る森の中でぽっかりと空いた十メートル四方の広場だ。その隅に、人一人がすっぽり入りそうな縦長の穴が掘られていた。いや、よく見ると、その穴は誰かが掘ったというよりは、土の中にいた何かが無理矢理這い出たという感じの穴だ。
「みんな大好き宮ちゃんこと、宮田医院の院長・宮田司郎先生が、看護師で恋人の恩田美奈さんを絞殺し、埋めた場所です」
「そんな場所に案内しないでください。あたし、霊感体質なんです。こういう場所では、必ず幽霊を見るんですよ」
「そうでしたか。でも、安心してください。美奈さんは自力で脱出し、もうここにはいません。そもそもここは異界ですから、幽霊という概念がありません」
「そうでした。ここは、死んだ人が普通に歩き回る所でした」
「ところで、宮田先生がなぜ恋人の美奈さんを殺害したのか、というのは、研究者の間で長年議論されてきました。どうやら、美奈さんが宮田先生の家庭環境におけるトラウマを刺激してしまった、というのが原因らしいのですが、それが具体的にどういった内容なのかは、まだ解明されていません。ただ、この次元の宮田先生と美奈さんは深く愛し合っており、固い絆で結ばれていたようです」
「この次元?」
「はい。この世には、可能性の数だけ世界が存在しているんです。例えば、宮崎さんがこの異界に迷い込んでしまった時、屍人さんに襲われそうなところを、あたしが助けました。しかし、別の次元に行けば、あたしの助けが間に合わず、屍人さんにぶっ殺されてしまった世界も存在します。あるいは、宮崎さんだけでなく一緒にいたお友達も異界に巻き込まれた世界や、逆に、異界に巻き込まれることもなく、二人で羽生蛇蕎麦を食べて絶望して帰った世界など、およそ、想像しうる限りの世界が、次元を超えて存在しているんです」
「パラレルワールドとか、並行世界とかいうヤツですね」
「そうです。あたしたちが今いるこの次元は、宮田先生と美奈さんが愛し合っていた世界です。二〇〇三年の異界入りの時、先生と美奈さんの間にはいろいろありましたが、最終的には結ばれています」
「そうなんですか。それは、安心しました」
「しかし、美奈さんはとある因果律に従って屍人さん状態のまま現世に引き戻された、なんて、バカな説を唱えている研究者もいるんですよ」
「さっきから研究者研究者と言ってますが、異界のことを研究している人って、そんなに多いんですか?」
「いえ、あたしと、あたしの大学講師の二人だけです」
「そうなんですか? そのワリには、たくさんの人がいろいろと議論しているような感じで話されていたように思いますが」
「気のせいです。じゃあ、そろそろ行きましょう」
安野さんはそそくさと行ってしまった。なんなんだ、一体。あたしは後を追う。
道をしばらく進むと、ようやく森が開け、さっきチラッと見た車道に出た。車道は東西に延びる二車線のものだ。西側を見ると、少し進んだ先に眞魚川を渡るためのコンクリート製の橋があり、その手前には古い電話ボックスがあった。濃い霧がかかっていて、橋の先までは見えない。反対の東側もまっすぐ続いているが、こちらも霧がかかって遠くまでは見通せなかった。ただ、少し進んだところの道路わきに自動車が停められているのが見えた。
「さて、だいぶ時間がかかりましたが、ようやくこの地区のメインスポットにたどり着きました」安野さんが言った。
「時間がかかったのは、安野さんがいろいろ長々喋ってるからでしょう」
「まあ、そう言わないでください。さて、ここからが本題です。さっき吊り橋の所で説明しましたが、この道を西へ向かい、橋を渡った先に、極めて強力な屍人さんが配置されています。見えますか?」
「いえ、霧がかかっているので見えません」
「ですよね。では、視界ジャックの能力を使いましょう」
「はい? 視界ジャック、ですか?」
「はい。すでに経験されたかもしれませんが、他人の視界を覗き見る能力です。村では『幻視』と呼ばれています」
「そういえば、この異界で目覚めた時、ものすごい頭痛と共に、そんな映像を見ました」
「でしょ? 異界に来た人、誰もが最初に経験することです。幻視は、赤い水を摂取して最初に身に付く特殊能力でもあります」
「でもあたし、赤い水なんて摂取してませんけど。雨も降ってないですし」
「異界では空気中に赤い水の成分が染みこんでいますので、息をするだけで摂取したことになります。まあ、摂取とは言っても微量ですから、気にすることはありません。むしろ、幻視の能力がないと、この異界で生き残ることはまず不可能です。また、幻視には、他人の視界を覗き見るほかに、暗闇の中でもある程度見えるなど、さまざまな特典もあります」
「そう言えば、今は真夜中なのに、それを忘れるほど周囲は明るいですね」
「はい。今日は雲ひとつ無い月夜ですから、この明るさなら昼間と同じ感じで行動できます」
「それは、便利な能力を手に入れました」
「ですが、喜んでばかりもいられないのです。幻視は、屍人さんが使う能力なんです。赤い水を摂取して幻視が使えるようになったのは、要するに、屍人化の兆候が表れているということです」
「……ダメじゃないですか。なんとかならないんですか?」
「安心してください。幻視ができるくらいなら、現世に戻るのには何の問題もありません。大気中の赤い水の成分を摂取したのも、現世に戻ればすぐに体外に排出され、能力も使えなくなります。念のため、現世に戻ったらすぐに岩盤浴や半身浴をし、デトックスすることをオススメします」
「判りました。現世で能力が使えれば試験の時とか便利だと思ったんですが、そういうことなら仕方ありません」
「では、話を戻します。あの橋を渡った先に、屍人が配置されています。視界ジャックしてみましょう。目を閉じ、意識を橋の向こうに飛ばすようなイメージを思い描いてください」
と、言うことなので、あたしは言われた通りにやってみた。すると、テレビの砂嵐のような画面の後、その屍人のものと思われる視界が浮かび上がった。ちょうど、アナログテレビのチャンネルをチューニングするような感じだった。コンクリートの橋を向こう側から見ている映像だが、どういうわけか視点は異常に低く、地面すれすれだ。がうがうと獣のような息づかいもしている。
「犬屍人さんです」安野さんが説明する。「半屍人さんがさらに海送り海還りを行い、進化した姿のひとつです。生前女性だった人がこの姿になります。文字通り、犬のように四つん這いで行動します。知能は著しく低下し、武器を使ったり、ドアを開け閉めすることができなくなっていますが、代わりに身体能力が向上しています。高速移動して飛んだり跳ねたりするやっかいなヤツです。戦って勝てないことも無いですが、武器を持っていない状態ではムリです。なので、なんらかの方法で陽動し、その隙に突破しましょう」
「いえ、そんな強敵なら、無理に突破するのはやめましょう」あたしは、橋と反対側の道を指した。「こっちの、東回りコースから行きましょう」
「残念ながら、その道を進むのは不可能です。見えない壁に閉ざされていますから」
「はい? 見えない壁、ですか?」
「ええ。人知を超えた恐ろしい力によってつくられた壁です。いえ、もちろんこの異界自体が人知を超えた場所なんですが、それさえもさらに超越した強大な力によってつくられた壁です。この壁は、どうやっても取り除くことができません」
「そうなんですか。じゃあ、東回りコースのいうのは?」
「はい。さっきの吊り橋を渡った後の分かれ道を真っ直ぐ進んで羽生蛇鉱山へ向かい、そこから南下しないといけません」
「つまり、東回りのコースで行くなら、また道を戻らないといけないワケですか。それも面倒な話ですね。判りました。なんとか橋を突破してみましょう。どうすればいいですか?」
「はい。それなんですけど、実はひとつ、お詫びがあります」
「なんでしょう?」
「あの橋を渡った先に配置している屍人さんなんですが、本来は犬屍人さんではなく、猟銃を装備した半屍人さんを配置しなければいけないんです。で、橋の手前にある電話ボックスにテレホンカードを入れ、排出された時のピピーっていう音を使っておびき寄せる、というのが正しい方法なんですが、うちの大学の講師が、そのテレカを持って行ってしまってですね、この方法が使えないんですよ」
「また安野さんの大学講師さんですか。吊り橋を燃やした件と言い、その方、安野さんの邪魔ばかりしてますね」
「そうなんですよ。ホント、足を引っ張ってばかりで役に立たないヤツです」
「なぜ、その方はテレカを持って行ったんですか?」
「はい。そのテレカ、かつて某国民的アイドルグループの人気メンバーだった美浜奈保子さん、通称なぽりんさんがプリントされ、雑誌の懸賞でわずか二名にしかプレゼントされていない貴重な物なんだそうです。うちの大学講師、そのなぽりんさんの大ファンなんですよ」
「あらら、そうなんですね」
「はい。そういうワケですので、テレカを使って猟銃屍人さんをおびき出すイベントは中止し、犬屍人さんをおびき出すイベントに変更したんです。まあ、不幸中の幸いと言うか、こちらのイベントの方が、お客様には好評です」
「どういうことでしょう?」
「犬屍人さんをおびき出すには、アレを使います」
安野さんは東側の道のそばに停められてある車を指さした。近づいてみると、それは高級車の代名詞とも言えるジャガーだった。崖崩れがあったらしく、車の前半分は土砂に埋もれ、後ろ半分は誰かが火でも放ったのか、真っ黒に焼け焦げている。もはや廃車同然だ。
「宮田先生の愛車です」安野さんが説明する。「毎年研究者が集まって火を放ち、大盛り上がりする場所です」
「はい?」
「いえ、こっちの話です。事前にこちらでガソリンを撒いておきましたので、さっき拾ったジッポライターを投げて、火を点けてください。それで、犬屍人が様子を見に来ます」
「え? でも、あんな状態でも一応ジャガーですよ? いいんですか?」
「いいんです。持ち主の宮田先生はもう成仏してますし、どうせ、夏になればまた燃やされますから」
「よく判りませんが、判りました」
あたしはジッポライターを取り出すと、火を点け、十分に距離を取った場所から投げた。ライターの火は見事に燃え移り、ジャガーはあっという間に炎に包まれる。
「……なんでしょう? その宮田先生には申し訳ないんですが、なんだかすごく爽快な気分です」あたしは、自分の気持ちを正直に言った。
「でしょ? これで宮崎さんも、炎上祭仲間です。ですが、爽快な気分に浸っている場合でもありません。犬屍人さんが来ますので、隠れましょう」
あたしと安野さんは森の道を少し戻り、樹の陰に身を隠した。幻視を行うと、さっきの犬屍人が橋を渡っている。電話ボックスの横を通り過ぎ、あたしたちの目の前を通り抜け、そして、燃え盛るジャガーの前で足を止めた。そのまま、ジャガーをじっと見ている。
「今です。行きましょう」
あたしたちは足音を忍ばせて車道に出て、そのまま気付かれないよう、橋を渡った。
安野さんが手を叩いた。「おめでとうございます。これでゴールです。お疲れ様でした」
「ホント、疲れましたよ。でもまあ、そこそこ楽しかったです」
「ありがとうございます。では、終了条件2に行きましょう」
「……はい? 終了条件2、ですか?」
「ええ。今のは終了条件1、『安野依子』と『折部への道』へ到達、です。各地区には、必ずふたつの終了条件を設けています。この地区の終了条件2は、『ナースシューズ』の発見、です。では、スタート位置に戻って――」
「いらん。さっさと次の地区へ案内しろ」
「……そうですか。判りました」
あたしと安野さんは車道を西へ進み、次の目的地である折部地区へ向かった。やれやれ、このペースで進むと、現世に戻るのはいつになるやら。気が重い。
「Continue to NEXT LOOP...」
「黙って歩け」
「はい」