安野さんは否定しているが、どう考えても手抜きでしかなかった刈割地区を過ぎ、あたしたちは大字波羅宿地区までやって来た。刈割と同じく、なだらかな丘の斜面が棚田状になっている。ただ、丘の斜面に広がるのは刈割のような田んぼや畑ではなく古い家屋だ。
「波羅宿地区は、一九七六年の土砂災害で異界に取り込まれた地区のひとつです」丘を下る道を進みながら、安野さんが説明する。「民家が集まった居住区だったので、大勢の人が住んでいました。まだ赤ん坊だった牧野求導師や宮田先生の実家も、この地区にあったとされています。また、戦時中に使われた防空壕などの施設が多いのも特徴です」
安野さんが言う通り、緩やかな下り坂の脇には、ところどころ小さな洞窟のような穴がある。戦時中、空襲から逃れるために掘られた避難場所だ。道端に掘られた大きな防空壕の他にも、家屋の庭に小さな防空壕もチラホラ見られた。
「ずいぶんと数が多いですね」あたしは疑問に思ったことを口にする。
「そうなんですよ。これには、深いワケがありまして。少し前に、村には拳銃を持っている屍人さんが多いという話をしましたが、覚えてますか?」
「あ、はい。田堀の廃屋の前で聞いた話ですね」
「そうです。実はこの村、戦時中、村で唯一の病院である宮田医院が日本軍の指定病院に認定され、軍の人が多く出入りしていたんです。大量の拳銃は、その時に持ち込まれたものと思われます。拳銃だけでなく、手榴弾や、他の武器もありますので、探してみるのもいいかもしれませんね」
「え? でも、ちょっと待ってください。戦時中の日本軍が、こんなへんぴな場所にある村に指定病院を作り、大量の武器まで持ち込んでいたんですか? なんだか、おかしな話ですね」
「そこに気が付くとは、さすがは宮崎さんです。その通り。この村は、現在でこそ大きめの国道が整備されましたが、当時はケモノ道同然の小さな道があるだけ、鉄道もありませんでした。日本軍がわざわざこんなへんぴな村までやって来たのは、表向きは、北の羽生蛇鉱山で採れる錫が目的だったと言われています。でも、錫の採掘が目的にしては、出入りしていた軍人や持ち込まれた武器の数、村に援助された資金の額が多すぎるのです」
「では、軍の目的は他にあったと?」
「その通りです。その理由は今となっては推測するしかないんですが、恐らくは、屍人さんを軍事利用しようとしたのでしょう。でも、軍の記録にそういった記載は一切ありませんから、計画は闇に葬られたようです。宮田先生なんかは、研究にかかる費用と得られる効果が見合わなかったから打ち切られた、と思っていたようですが、あたしは、研究中に異界入りがあったのでは、と推測しています」
「ナルホド。現世で聞いただけならいかにもありがちな都市伝説的な話ですが、実際に異界の状況を見ると、なかなか説得力がありますね」
などと話しながら下り坂を進んでいたら。
ぱあん、と、遠くで爆竹が鳴るような音がした。誰かが花火でもやってるのかと思ったら、隣を歩いていた安野さんがバタリと倒れた。何を遊んでいるのだろう? 声をかけようとしたあたしは、倒れた安野さんの顔を見て固まる。安野さんの額からは、血がどくどくと溢れ出していた。まるで、銃で撃たれたかのようだ。次の瞬間、ビクンと身体が震え、屍人が猟銃を構える視界が見えた。
――え? これ、マジ?
狙撃される! そう思ったあたしは、とっさに身を屈める。ボーっと立ってるよりはマシだろうが、これだけで狙撃を防げるとは思えない。周囲を見回すが、身を隠すような場所は無い。一か八か、走って逃げるしかないか? でも、安野さんはどうする? どうしようもない。背負って逃げるような体力はあたしには無いし、額を撃ち抜かれたんだから、もう手遅れだ。しかし、だからと言って放っておくなどという非道なことが許されるだろうか? いや、所詮は行きずりのめんどくさい女だ。仮にまだ死んでいなかったとしてもあたしが助ける義理は無い。よし、逃げるか。
などと考えていたら、安野さんが、むくりと起き上った。こちらを見てほほ笑む。さっきはどくどくと血が溢れていた額の銃創は、きれいさっぱり消えている。
「…………」
「…………」
「……なんなんですか」
「驚きましたか? 安心してください。あたしは完全な不死なので、猟銃で撃たれたくらいでは死にません。今のは、二〇〇三年当時の波羅宿地区を再現した演出です」
「そんな演出いりません。心臓が止まるかと思いましたよ」
「あたしのことをそこまで心配してくれるとは、ありがたいです」
「違います。あたしが心配したのは、自分が撃たれないかどうかだけです」
「まあ、そうだと思いました」
「それに、演出と言っても、ホントに撃たれたんでしょ? もし、狙いが逸れてあたしに当たってたら、どうするんですか」
「安心してください。銃を撃ったのは猟銃屍人さん。半屍人の一種で、その名の通り、猟銃を装備した屍人さんです。狙撃手とも呼ばれます。その狙いは極めて正確で、ほぼ外しません」
「ほぼ?」
「射線に対して垂直に走っている相手には外すことが多いですが、さっきのあたしたちのように、見晴らしのいい場所をのんびり歩いている相手に対しては、百パーセント命中させられます。攻撃力が高く、女性なら一発、男性でも二発で死亡します。厄介なことに、その射撃制度は暗闇でも落ちません。どこから撃たれているのか判らないのでは逃げることもままなりませんから、多くの場合、一度撃たれたら終わりです。さらに厄介なのは、こんな手強い敵が比較的どこの地域にでも出没するということです。多くの生存者を絶望の淵に追い込んだ、最強最悪の屍人さんと言えるでしょう」
「と、いうことは、この地区では、その狙撃手をどうにかしないといけないワケですね」
「そうなります。まずは、幻視を行ってみましょう」
あたしは狙撃されないよう少し道を戻り、物陰に隠れて幻視を行った。道の先に意識を送る。いた。道の先にはコンクリート製の橋があり、その中央に猟銃を装備した屍人の視点があった。じっとこちら側を警戒しており、隙がない。このまままっすぐ進むのは不可能だろう。迂回するしかなさそうだ。あたしたちは道を逸れ、集落の方へ向かった。しばらく進むと、防災用の火のみ櫓があった。調べろと言わんばかりの配置なので、とりあえず上ってみることにした。今にも崩れ落ちそうな古い梯子を慎重に上る。櫓の上からは地域一帯を一望できた。集落の中央には北から南に向けて眞魚川が流れている。その南側に、さっきの狙撃手が陣取っているコンクリート製の橋が見えた。そこから少し上流へ行ったところに、小さな木組みの橋がある。かなりぼろっちいので渡れるかどうかはここからでは判らないが、その橋を渡って川を越え、川沿いの道を南下すれば、猟銃屍人の背後を突くことができる。ルートはそこしかなさそうだ。とりあえず行ってみよう。そう思った時だった。
《……先生……助けて……先生……》
遠くから子供の声が聞こえて来た。校内放送のスピーカーのようである。聞こえたのは北北西の方角。ちょうど、小学校があった場所辺りだ。
「なんでしょう? 今の声は」あたしは安野さんを見た。
「春海ちゃんが高遠先生に助けを求める声です。二〇〇三年当時を再現するための録音放送なので安心してください。この火の見櫓に上ると聞こえて来るようにセッティングしたんです」
「変なセッティングをしないでください。真に受けてまた学校まで戻る所でしたよ」
「そんな時間はありません。この櫓に上った時点で、次のイベントが始まっています」
「どういうことでしょう?」
安野さんは腕時計を見た。「ただ今、朝の五時五十三分三十七秒です。今から一分五十五秒以内に、あのコンクリート製の橋を渡った先まで行かなければいけません」
「はい? なぜそんなに急がなければいけないんです?」
「説明している時間が命取りです。ここは、全てのイベントの中で最も難易度が高いんですから。行きますよ!」
そう言って、安野さんは梯子を下り、途中から飛び降りて走り出した。なんだか判らないがあたしも後を追って走る。中央に井戸がある広場を走り抜け、北にあったぼろっちい木組みの橋を渡り、Uターンするように南へ走る。コンクリート製の橋の上に陣取っている屍人のちょうど背後に出た。相手は刈割方面しか警戒していないので、背後のあたしたちには全く気付かない。広めの車道に出たあたしは、東に向かって走った。道端に安っぽい車がひっくり返っていたが、無視してひたすら走る。走って走って走りまくると、道の先に大きな赤い水の池が見えてきた。池――いや、それは海だ。見渡すかぎりに広がる赤い海。羽生蛇村は山間にある村だが、まるで大海原に浮かぶ小さな島のように、周囲を赤い海に囲まれている。
「お疲れ様でした。ここがゴールです」息を整えながら言う安野さん。腕時計を見た。「時間も、なんとか間に合いました。
「ホントに疲れましたよ。なんで突然走らせたりしたんですか。というか、一分五十五秒どころか一時間近くかかってるのに、間に合ったとはどういうことですか」
そうなのだ。安野さんは一分五十五秒と言ったが、櫓の梯子を下りるだけでそのくらいの時間は費やしてしまった。その後も数キロの距離を走らされ、時間はすでに六時五十分を過ぎている。
「一分五十五秒というのはあくまでも体感時間です。実際あの櫓からここまで走っての移動なら、一般人なら一時間くらいかかります」
「なら最初から一時間と言えばいいでしょう。で、なんで走らせたんですか?」
「それは、この先に行けば判ります」
道の先を指す安野さん。道の先にはまた大きな橋があるが、その橋は途中で崩れ落ちていて進めそうにない。とりあえずそこまで行ってみた。崩れた橋の先には広大な赤い海が広がっている。橋から下を見ると、赤い波が打ち寄せる砂浜に、三体の屍人の姿が見えた。看護師の服を着た若い女、警官姿の男、頭の禿げ上がった小太りの中年男性。海から陸へと上がろうとするような姿勢で、止まったまま動かない。
「海還りです」安野さんが言った。「二〇〇三年当時、この異界では、〇時、六時、十二時、十八時の一日四回、海の向こうからサイレンの音が聞こえて来たんです。そのサイレンの音に導かれ、屍人は赤い海に入り、前世の穢れを落として、常世へ旅立つ準備をしたのです」
「最初の方で説明されてましたね。一三〇〇年前に村の女が神様を食べたから不死の罰を受けた。女の子孫である羽生蛇村の村人は死んでもすぐに常世へ旅立てないから、この異界で現世の穢れを払わなければいけないって」
「その通りです」
「でも、もう七時が近いですけど、サイレンなんて鳴ってませんよ? 夢中で走ってたから気が付かなかったんでしょうか?」
「いえ、そうではないんです。実は現在、異界ではサイレンが鳴らないんです。そのため異界は、だいぶ深刻な問題を抱えていまして」
「と、言いますと?」
「はい。あの浜辺にいる三体の屍人さん、実はレプリカなんです」
安野さんに言われ、あたしはもう一度、橋の下の屍人を見た。同じポーズのまま動かないのは、レプリカだからか。
あたしは安野さんに視線を戻した。「なぜレプリカなんか用意したんです?」
「はい。海送り海還りは異界を代表するイベントのひとつですから、観光客の方にはぜひともご覧いただきたいのですが、なにせサイレンが鳴らないものですから、屍人さんたちが海に入らないんです。なので、現在異界では、海送り海還りの儀式が行われていないんですよ」
「そうなんですか。でも、なぜサイレンは鳴らなくなったのですか?」
「サイレンを鳴らしていたのは村の神様なんですけど、二〇〇三年の八月、東京からふらっとやって来た高校生の少年に、神様がぶっ殺されちゃったんです」
「はい? 神様って、そんな簡単に殺されちゃうんですか?」
「いえ、神様は完全な不死ですから、普通は死にません。一三〇〇年前村人に食べられたときも、失われたのはかりそめの命で、死んだわけじゃないんです。そもそも神様ですから、生死の概念は存在しないのでしょう。しかし、二〇〇三年八月の事件はシャレになりません。その年は、一三〇〇年前に神様の肉を食べた女が、ようやく神様に全ての血肉を返し終え、神様が完全復活したのです。でも、神様は東京から来た少年に殺されちゃいました。その殺し方がまた悪質で、煉獄の炎で焼いて聖獣の宝刀で首を斬り落としちゃったんですよ。生死の概念を持たない神様も、さすがに完全に死んじゃったワケです」
「そうなんですか。でも、神様が死んだのに、この異界も、屍人も残っている……それって、かなりマズイのではないでしょうか?」
「その通りです。神様が死んだからと言って、呪いが消えたワケでは無いんですよ。念は能力者が死んだからといって必ずしも消えるわけではないと言ったフィンクス氏は正しかったんです。あるいは、そもそもこの村に呪いをかけたのは神様ではなく神様よりも上位に位置する者である、との見解もあります。その辺の詳しいことはまだ調査中ですが、とにかく、神様が死んでも呪いは無くならなかった。異界も屍人さんも存在しているのに、サイレンは鳴らない。つまり、屍人さんたちは常世に旅立つことができず、異界に留まるしかないんです。現世で暮らしている村人の呪いも解けたわけではないですから、これからも、死んだらどんどん異界にやってきます。やがてこの異界は、屍人さんで溢れてパンクしちゃうでしょう。現世の人口増加問題よりも深刻な状況です」
「あらら。その東京から来た少年、とんでもないことをやらかしちゃいましたね」
「そうなんですよ。ただ、殺しちゃったこと自体はある意味しかたないんです。神様が死んでも呪いが解けないというのは後から判ったことですし、そもそも神様を倒そうなどと言いだしたのは、うちの大学講師なんです」
「また安野さんの大学講師ですか」
「はい。ホントに困ったヤツですよ。あいつさえいなければ、この異界はもっと住みやすい場所になっていたかもしれません。まあそんなワケで、少年が神様を殺しちゃったのは仕方がないとは思うんです。だけど、問題なのは、その後の少年の行動なんですよね」
「と、言いますと?」
「実はその少年。神様を殺しておきながら、残った問題を放置して異界から逃げ出しちゃったんです。風のウワサでは、夜見島という南の島で屍人さん殺戮のバカンスを楽しんでいるとか」
「それは、腹の立つ話ですね」
「その通りです。残ったあたしの苦労も知らないで、気楽なものですよ。と、いうわけで、これからこの異界をどう運営していくのか、頭の痛い問題です」
「心中お察しします。何か、良い解決案があればいいですね」
「ホントにその通りです。まあ、いざとなったら屍人さんたちを煉獄の炎で燃やすしかないでしょうね。それも頭の痛い話ですが……。では、次の地区に行きましょうか」
あたしたちはその場を後にした。異界も大きな社会問題を抱えているのか……大変だな。