異界に取り込まれて十八時間が経過した。安野さんの案内で各地をめぐり、多くのイベントをムリヤリ体験させられたあたし。なんやかんやあったものの、なんとか現世へ戻るゲートがあるという中央交差点までやって来た。
「さて、楽しかったパークの旅も、間もなく終わろうとしています」安野さんが寂しさをにじませた声で言った。
「全然楽しくなかったですが、すごく楽しかったです。おかげで、精神的にものすごおおぉぉく疲れましたが、無事、現世に帰ることができそうです。安野さん、ここまで、ありがとうございました。一応形だけでも、感謝しておきます」あたしは言葉の端々に精一杯の皮肉を込めて言った。
「とんでもないです。お客様が満足されたら、それがお金の次になによりの報酬です」
「現世に戻っても、安野さんのことは忘れるまで忘れません。どうか体に気を付けて、死ぬまで今の活動を続けてください」
「宮崎さんも、突然赤い水の兆候が表れる可能性も十分ありますが、どうかお元気で。なにせ、異界から脱出した人と接触しただけで精神を病む人もいるくらいですから」
あたしたちはしばらく旅の思い出に浸りながら笑い合った。
「では、最後の観光地をご案内させていただきます」安野さんは、両手を広げてくるっと回った。「ここが、上粗戸兼大字粗戸の中央交差点です。二〇〇三年と一九七六年の羽生蛇村が入り混じった、懐かしくもどこか新しい街並みが特徴です」
安野さんの言う通り、交差点の周囲には、今にも崩れ落ちそうな古い木造の建物と形の違う色とりどりのブロックを積み上げたオシャレな塀、電球と傘だけの街灯に真新しい標識、消えかけた横断歩道に朝日夕日対策用レンズが入った最新式の信号機などがあり、新旧入り混じった何ともアンバランスな交差点だった。
「この中央交差点は、異なる環境で育ったとある双子の兄弟が、長年心に秘めていた感情を吐露し、結果、弟が兄を殺して入れ替わるという悲劇が起こった場所です。見てください」
安野さんは、交差点の隅にある得体の知れない岩みたいな物に手のひらを向けた。ひざ下くらいの大きさで、牛ロースの塊肉でローストビーフを作ろうとしたが火加減を誤って焦がしてしまったような黒い塊だ。
「眞魚教の求導師・牧野慶さんのなれの果てです」安野さんが説明する。「求導師様は、二〇〇三年当時の大変危険だった異界を、武器や防具を一切持たず行動した聖人君子の鑑みたいな方です。と、言うと聞こえはいいですが、実際は、生まれてこの方子供同士のケンカさえしたことが無いヘタレで、武器さえビビッて持てなかった、という説が濃厚です。ただ、武器だけでなく、ライトさえも持たずに村中移動し、あろうことか屍人の巣の中枢まで行って帰って来るという離れ技を成し遂げた、ある意味スゴイ方でもあります。しかし、道中ちょっと不運なめぐりあわせがあり、体内に神代家の娘の血が入っちゃったんです。それが運のツキ。神代の娘同様、身体は死んでも精神は生き続ける存在となってしまった求導師様は、宮田医院の宮田先生の手によりに、射殺され重体という矛盾した状態をリアルに再現してしまいました」
「え? じゃあ、その肉の塊みたいなの、そんなナリでも生きてるんですか?」
安野さんは首を振った。「いえ、それはレプリカです。あの姿で永遠に生きていくのはさすがにカワイそうなので、本物は、あたしが煉獄の炎で燃やしました」
「容赦ないですね」
「一応言っておきますが、あたしも、なんとかしようと努力はしたのです。あたしの血を輸血したり、赤い水をしこたま浴びせてみたり、魂を別の肉体に移そうとしたり、パソコンにダウンロードしてみたり、せめてもの楽しみにとそばに砂嵐のテレビや壊れたラジオを置いたりもしたんですが、結局、彼を救うには至りませんでした。万策尽きたあたしは、本人と話し合い、同意を得て、煉獄の炎による安楽死という苦渋の決断をしたのです」
「そうでしたか。それはつらい経験ですね。心中お察しします。安楽死の是非は置いといて、あたしは、安野さんの決断を責めません」
「ありがとうございます」
「ところで安野さん。ずっと気になってたんですけど、ちょいちょい安野さんの話に出てくる『煉獄の炎』って、なんですか?」
「ああ、そう言えば、その説明をしていませんでしたね」安野さんは懐をごそごそし、土偶のような土人形を取り出した。「これは、『
「神様から授かった武器?」
「はい。宇理炎は、己の命を燃やし、不死なる者を無に還す煉獄の炎を降らせることができます」
「己の命を燃やす……それは、その武器を使った人は死ぬ、ということでしょうか?」
「そうです。ただし、あたしみたいに不死な人は、何度でも使うことができます」
「己の命を燃やして不死なる者を無に還す……神様は、なんでそんなものを人間に授けたんでしょうか?」
「それはもちろん、人間が屍人さんに対抗するためでしょう。屍人さんは本来、生きている人間を見かけたら、襲って仲間にしようとします。不死身なので、どんなにぶっ殺しても何度でもよみがえり、何度でも襲ってきます。そんな屍人さんも、この宇理炎を使えば、永久に葬ることが可能です。これほど有効な武器はありません。同時に、屍人化に苦しむ人を解放するための物でもあるんです。永遠に生きることは、永遠に苦しむことと同じだと、昔、この宇理炎を使った人が言いました。そんな屍人さんの永遠の苦しみを解き放つことができるのが、この宇理炎なんです。これがあって助かりましたよ。現在異界では、神様が死んでしまって、サイレンが鳴りません。だから、屍人さんはいつまでたっても常世に旅立てないんです。このままでは、いつか異界は屍人さんで溢れ、パンクするでしょう。宇理炎は、その問題を解決するキーアイテムでもあります。つまりこれは、屍人さんを倒す武器であると同時に、屍人さんを救うアイテムでもあるんです」
「うーん、屍人さんを倒し、救うためのアイテム、ですか……」
あたしは腕を組んで唸った。
「宮崎さん? どうかしましたか? 難しい顔して」
「いえ……なんか今の説明、おかしくないですか? その宇理炎は、縄文時代からあるんですよね? 村に神様が降臨したという一三〇〇年前より、ずっと昔じゃないですか? その時代、そもそも屍人なんて存在しないんじゃないでしょうか? 村が呪われるよりも、ずっと前の時代ですから」
「……え?」
「確かに現状、宇理炎は屍人を消滅させるアイテムになるとは思います。でも、本来なら、屍人は海送り海還りを繰り返せば常世に行けるんですよね? だったら、屍人を消滅させるアイテムなんて、必要ないんじゃないでしょうか? 屍人を倒すための武器、というのも、いまいち納得できません。一度使ったら死んじゃうんじゃ、安野さんみたいな特殊な人間じゃないと使えないです。そんなのが、武器になりますか? 神様は、なんでそんなものを人間に授けたんでしょうか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
黙り込んでしまった安野さん。気まずい沈黙はこれまでにもたびたびあったが、ここまで長いものは初めてだ。
「あの、安野さん。あたし、何かマズイこと言いましたか? もし気に障ったんなら、謝ります」
「いえ、とんでもないです。――宮崎さん」
安野さんは、これまで見たことないほど真剣な目であたしを見た。
「はい。なんでしょう?」
「今あたしは、宮崎さんが異界に来た理由が判りました。全ては、この瞬間のため。もしかしたら、因果律で定められていたのかもしれません」
「えっと、どういうことでしょう?」
「あたしたちが異界に巻き込まれた時、屍人さんは、生きている人間にとって命を脅かす存在でした。何度殺してもよみがえり、何度でも襲ってくる。その恐怖が、ずっと頭の中にあったんです。だから、この宇理炎が『不死なる者を無に還す』と聞いて、屍人さんを倒すための武器だと思い込んでしまった。宮崎さんの言う通りです。これは、屍人さんに使う武器じゃないんですよ」
「では、宇理炎とは、なんなんですか?」
「それはまだ判りません。しかし、宇理炎が屍人さんに使う物でないとしたら、もっと他の使い方を考えるべきでした。この羽生蛇村には、屍人さんにもなれない、永遠に生きることもできない求導師様のような存在が、たくさんいるんですから」
「はあ」
「本当のことを言うと、あたしは、この村の神様は神様なんかじゃないと思っていました。飢饉で苦しい時に魚みたいな恰好をしてやって来て、それを食べたからって本人だけでなくその子孫にまで永遠の呪いを課す。そんな存在が、神様なわけが無いんです」
「えっと、安野さん?」
「でも、神様は確かにいるんですよ。神様のフリをした得体の知れない化物なんかじゃない。この宇理炎をあたしたちに授けてくれた、本当の神様が」
「あの、さっきから何を言ってるのか全然わからないんですけど、大丈夫ですか?」
「すみません。ちょっと興奮してしまいました。大丈夫です」
「なにか大変なことになってしまったような気がするんですが、お手伝いできることはありますか? もう少しくらいなら、異界に残っても構いませんけど」
「いえ。ここから先は、あたしたちの問題です。宮崎さんは、現世に戻ったら、安心してお家にお帰り下さい」
「そうですか。お力になれず、申し訳ないです」
「とんでもないです。あ、そうだ。でしたら、ひとつお願いしても良いですか?」
「ええ、あたしにできることなら」
「現世に戻ったら、村の中学校を訪ねてください。そこで、あたしの大学の講師が中学の教師をしています」
「大学講師なのに中学教師なんですか?」
「仕方ありません。その講師もあたし同様、天界で神様の肉を食べたので、呪われています。異界と現世の行き来はできますが、村から離れることができないんです。羽生蛇村には大学が無いので、仕方なく中学校に就職しました。まあ、今はそれなりにやりがいを感じているようです。その仕事のウラで、あたしとは逆、現世に迷い込んだ屍人さんを異界に送り返す活動をしています」
「そうなんですか。それで、その人に会って、何をすればいいですか?」
「今の話をして、この宇理炎を渡してください」安野さんは、あたしに宇理炎を差し出した。「あたしの足を引っ張ってばかりの役に立たないキモいドルヲタですが、本来は優秀な研究者です。たぶん、全て理解してくれると思います」
「判りました。それくらいなら、お任せください」
「くれぐれも言っておきますが、『ちょっと試しに』とか言って使ったりしないでくださいね」
「判ってますよ。使うわけないじゃないですか」
「絶対ですよ。フリとかじゃないですからね」
「判ってますってば」
あたしは宇理炎を受け取った。ズシリと重い。それは物理的な重さとはちょっと違う、このアイテムを持つ責任感とでも言うべき重さだった。
「宮崎さん。本当にありがとうございました。あなたのおかげで、この村は、一三〇〇年の呪いから解放されるかもしれません」
「そうなんですか? そんな大したことはしてないと思いますけど、そうだとしたら嬉しいです」
「それでは、名残惜しいですが、お別れの時が来たようです」
「はい。安野さん、本当に、お世話になりました」
あたしたちは、固い握手を交わした。もう二度と会うことは無いだろうが、また会えると嬉しい。
「現世に戻る儀式を行いますが、忘れ物はありませんね? もし何か忘れてても、気軽に取りに来ることはできませんよ?」
そう言われたので、ポケットなどを探るあたし。
「あれ……?」
「どうしました?」
「すみません。運転免許証がありません。あたし、会員登録の時、安野さんに渡して、その後、返してもらいましたっけ?」
「…………」
「…………」
「返したっつーの」
「ですよね」
(Continue to NEXT LOOP and break DESPAIR...)
(『屍人フレンズ』 終わり)