今回は女神の回、オリジナルです。
どうぞお付き合いください。
「………………あれ?」
気がついたら、白い空間にいた。
左右どちらを見ても、どこまでも広がる白の世界。自分が地面に立っているのかさえわからない。
しかし、困惑はあれど動揺はない。呼び出されるのが三度目ともなれば、さすがに慣れるというものだ。
どれくらい慣れてるのかというと、パラソルとビーチ用のベンチ取り出してマンゴージュース飲んでくつろいじゃうくらい。
「ここは……あいつの空間か」
「みたいだな」
おっと、どうやら今回は一人でのお呼びじゃねえみたいだ。
隣を見る。すると、そこには白髪赤眼の俺……ではなく。なんか形容しづらい姿をしたエボルトが立っていた。
人間のようだが、赤い鱗が生えているし、怪人態の時と同じ手甲と足甲、黒い模様が全身に走っている。
つーか腰布一枚だけだった。むしろそこが最も重要といっても過言ではない。
「なにそれ、イメチェン?」
「イカしてるだろ?」
「タコは嫌いなのに?」
「そっちのイカじゃねえよ」
さて、そんな茶番も置いておいて。
「さて、俺は海流に飲まれてどんぶらこしてたはずだが……」
あまりに激しい渦潮にハジメたちが魔法の効果範囲外まで流されて、とりあえず雫を抱きしめたとこまでは覚えてる。
「ああ、んでその途中で不自然に気を失った。その瞬間俺も謎の力に引っ張られて、ここにいるってわけだ」
「なるほど、ね」
腰に手を当て、やれやれと無駄にイケメンフェイスに呆れを浮かべるエボルトの言葉に俺は納得する。
ここにくるのは三回目だが、これまでの2回とは決定的に異なっている点がある。それは、俺の心持ちだ。
端的にいって、警戒している。それは当然だろう。だって俺は、俺という存在の真実を知ったんだから。
「……で。今回はお茶の誘いかな?」
「うふふ、そうですね。それもいいかもしれません」
まるで、俺がそういうことをわかっていたかのように。白い世界に透き通るような声が響き渡る。
無意識に、エボルトと二人で後ろを振り返る。確証も、予感もない。しかしそこにいるという確信だけがあった。
すると、俺の思う通りに。あるいは、彼女の狙お通りに。響く足音とともに、人影が白から滲み出すように現れた。
「お久しぶりです、シュウジくん♪」
「ああ、久しぶりです……女神様」
もう、遠い昔に見たような気さえする美しい笑顔のまま。
彼女は、俺たちの前に姿を現したのだった。
相変わらず綺麗な姿だ。八重樫雫という鞘がこの心を固く納めていなければ、どうなっていただろう。
だが、そんな感情とは裏腹に、真実を知った魂は何よりも恐怖を訴えている。
この感情こそが作り物である、と。
そんな俺の思考は、やっぱり筒抜けなのだろう。彼女はより一層ニコリと笑った。
「女神様って呼んだ方がいいか? それとも母さん?」
「ああ、そいつはいい。この無駄に歳を重ねたバケモンにはお似合いだ」
エボルトが軽口を叩く。しかし、神々しい笑みは形を変えない。
「あなたの好きなように。あるいは
「……やっぱり、そうなんだな」
本人の肯定が、俺にその事実を現実であると再認識させる。ヤダ、俺さっきからシリアスな思考してるよ。
まあ、それはいいとして……もう一度、彼女の姿を見た。
顔つき、目や眉の形、微笑み方、体のバランス、手足の長さ……一つ一つ、歪められた記憶に重ね合わせる。
するとどうだ。
全く違うと思っていたのに、これまで一度もそうだと思わなかったのに。恐ろしいほど同じではないか。
「ええ、そうでしょうとも。私にかつての感情はありません。もちろん人格も」
「でも姿の大元はそのまま……ってわけか?」
「はい。だってこの姿は、肉体は、お父さんに育ててもらったものだから」
愛おしそうに、大事そうに。女神と化した彼女は、自分の体を抱きしめる。
そこにあるのは自分への愛じゃないんだろう。彼女が神になったその日に、まずその思いは消えたはずだ。
ただ、心を失ってなお、全てに優先した男との記憶を確かめられるから。だから愛する。それ以外は何も愛さない。
神の思考に至ったこいつの中では、それで全て完結しているのだと俺は推測した。
「もう、ひどいです。私にだって、好きなものくらいはありますよ」
「へえ、例えば?」
「そうですね……
「なるほど、それはとても面白そうですね」
もはや隠すつもりもないらしい。いや、彼女にとっては何も悪いことなどしていないのだから、当然とも言える。
だってそうだ、彼女にとっては大事なアルバムをなぞって再現したようなもの。咎める者もいなければ、止める心もない。
何はともあれ、こうして俺たちは呼び出された。なら、それ相応の理由というものがあるはずだ。
「で、今回はどんなご用件で? 真実を知った俺を壊しに来ましたか」
「さしずめ俺は、秘密を明かしたペナルティで虚無に帰る、ってとこか」
実のところ、いずれ接触してくるのは容易に想像できていた。むしろこの一週間何もなかったのを不思議がっていたくらいだ。
真実とはえてして都合が悪い。それが残酷であれ優しい者であれ、知られたくないのなら何をしてでも隠し通す。
もっとも、世界一つを掌握し、別世界にすら干渉できる彼女にとって、それがどの程度かはわからないが。
「わかっているならば話は早いですね──そう、私はお前をリセットする」
カインの幻覚の中で見た、機械じみた瞳へと変わる。
間接的に聞いていた時すら、おぞましさを覚えたが──ああ、クソ。比べ物にならねえ。
心の底から、目の前にいる
「神の意に従え。我が理のままに動く物へと戻れ。私が望んだ〝父〟となれ」
「……いや、それはお断りしときますわ」
それでも、俺は抗う。
一週間前……ハジメの魂の拳を受ける前の俺なら、あるいはそれを受け入れたかもしれない。
でも、今は違う。
ハジメと、雫と、美空やユエさんたち……そして、こんな作り物を家族にしてくれた家族と、もっと生きたい。
それが、俺の新しい願い。たとえ創造主であろうと、こんなとこであっさりと消される気は毛頭ない。
「その決意は無意味である。その思考は無駄である。お前は私にとって都合の良い物であれば良い」
「あいにくと、人ってのはいつか親離れするもんだぜ?」
ここは相手のテリトリーだ。もしかしたら何もできず、彼女の言う通り俺はリセットされるかもしれない。
ハジメの言葉も、その拳が示してくれた俺の存在のことさえも、何もかも忘れてしまうのかもしれない。
だとしても、俺は──!
『やめなさい』
ふと、声が聞こえた。
それは膝をついてしまいそうな女神様の威圧感に押しつぶされそうになっていた俺の胸から聞こえたように思えた。
『これ以上の諍いは無用です』
幻聴か、と思った瞬間、胸に小さな黒い光が灯った。
今にも息を吹きかければ消えてしまいそうな、そんな脆弱そうな光。
それは一人でに俺から離れて、女神と俺たちの間に留まるとどこからともなく黒い粒子を集めていく。
最初は輪郭も曖昧だった光の集合体は、やがて実態を帯びてくいく。明確になる姿に、俺は目を見開いた。
「おいおい、まさか……」
「あんたは……」
やがて、光は肉の体になった。そいつはゆっくりと目を開けて、言葉をもらす。
「久しぶりですね──マリス」
「──不必要とした人格が今更、我が前に現れたか」
俺たちの前にいるのは、紛れもなく前世の姿のままのカインだった。
「なんであんたが……」
「ここは魂のみが存在する精神世界。ならば、こうすることも可能だと予測しました……さて」
一歩、カインが踏み出す。
「マリス、彼らを見逃しなさい。できないというのなら──残り滓とて、最後まで私はあなたと争いましょう」
……まさか、こいつに助けられるとは。
アレは、紛れもない神だ。元からそうではないエヒトなどとは違い、正真正銘の神格だ。
認めよう。俺や、一度消されたカインなど簡単に踏み潰してしまえるような存在を前に、俺の心は怯えている。
だというのに。俺よりもさらに弱くなったはずの、魂だけのこいつはどうしてこんなに──力強い背中なんだ。
「──ふ、は、はは」
極限の緊張の中、指の一本も動かせないでいると、不意に笑い声が響いた。
俺ではない。エボルトではない。もちろん、 カインではない。
その発生源は──女神マリスだ。
「あははははははははははは!! ようやく出てきてくれました! 彼を追い詰めればそうすると思っていましたよ、お父さん!」
「っ、まさか……」
「……どうやらその通りのようです、北野シュウジ。我々は嵌められたようです」
相変わらず抑揚の一つもない声だった。だが、笑い続ける女神を前に諦観とも取れる色がわずかに混ざっている。
それを聞いて、俺もその予想を確信へと変える──そして、俺という存在の真実、
「最初から、仕組まれてたんだな。俺はいわば使い捨ての駒か」
「ケッ、俺もいいように使われてたってわけかよ」
「その通りです。本当に、よく踊ってくれました……あなたたちは最高の道具でしたよ」
笑いを収め、微笑む女神。俺とエボルトの感情が怒りでシンクロした気がした。
「マリス。少し彼らと話をしたい。いいですか?」
「もちろん。それがお父さんの望みなら」
女神はあっさりとカインから離れると、数歩後ろに下がる。
そのまま、空間に溶けるように消えていった。
後に残ったのは、男三人。女神のいた虚空を見つめていたカインが、ふうと疲れたように嘆息をする。
「まったく、あの子には困ったものです」
「そりゃ俺たちのセリフだな」
「はん、気にくわねえ」
「彼女の代わりに、私が謝罪しましょう」
「いや、どっちかって言うとあんたも被害者だから別にいいよ」
要するに、だ。
俺たちはいいように使われたのだ。
女神は最初からこの結果を予期して全てを進めて、あるいは始めていた。
「あんたの人格は辛うじて残っていたんじゃない。
「俺と結託するのも織り込み済みだったわけだ」
「ええ。全ては私が彼女に従うしかない、今の状況を作り出すための布石だったのでしょう」
女神は消滅するギリギリ、外道であるエボルトにすら頼らなくてはならない程度に彼の人格を残した。
そしてエボルトの企みにあえて乗り、カインが接触するのを見過ごしたんだ。この場にカインを引っ張り出すために。
「まんまと釣られちまったな、オリジナルさんよ」
「ええ、まさかここまで用意周到とは。我が弟子ながら、その知能の高さを見誤ってしまいました」
「チッ、胸糞悪い。この俺が神とはいえ、二度も人間ごときの駒にされるとはな」
「自業自得じゃねえの?」
「じゃかあしいわ」
ふんと拗ねたようにそっぽを向くエボルト。俺は苦笑し、カインも笑わないまでもメガネの位置を直した。
「これからどうするよ?」
「どうしようもありません。私が抗えば君達二人は消される。既に彼女の手中に落ちたのですから」
確かに、ことここに至ってはそれしかないだろう。だが……
「……じゃあ、ルイネたちはどうするんだよ」
彼女たちもまた、いいように利用され、あまつさえ俺の真実を隠すためにこの世界に送り込まれた。
もう……俺とは他人に等しい。
俺はカインではなく、マリスにとって都合の良い〝ハリボテ〟なんだから。
そう。俺とルイネの間にあった絆は、与えられた偽物だった。見てはいけない幻覚のようなものだ。
「もう俺には、あいつと一緒にいる資格は……」
「いえ。私は君にこそ、彼女を頼みたい」
そんな俺の肩に、カインは手を置いた。
「おそらく私は、二度と戻ってくることはないでしょう。ルイネと会うことも、もうないといっていい」
「……そう、だろうな」
「だから、君が守ってください。曲がりなりにも、私である君が」
「でも、俺の気持ちはあんたから奪ったようなもんで……それにあんたは俺でも、俺はあんたじゃない」
俺の言葉に、カインはふむとしばらく考え込んで。やがて思いついたようにいってきた。
「なら、君は君のままでいればいい」
「こいつのままで、ねぇ」
「とほほ、随分と無茶を言ってくれる」
おどけたふりをすれば、カインはすみませんと真顔で謝る。むしろ怖えよ。
「でも私には、頼れるのが君しかいませんので」
「そいつは責任重大だな」
はは、といつも通りの笑いでごまかそうとしたが。再び肩に置かれたカインの手に、自然とそれは消えた。
「お願いします。私が愛した女性を、見ていてください。きっと、君の中にある想いは全てが偽物ではないと思うから」
「…………俺じゃあ役不足だぞ」
「ならば、ふさわしくなってください。それが私の、最後の願いです」
「欲張りだねぇ」
「そういう性分なもので……ああ、そのついでにもう一つ」
そこで一度言葉を切って。
「できれば彼女……ランダのことも、救ってほしい」
「それこそ、俺には──」
「話は終わりましたか?」
答える前に、女神が再び現れた。そうすると先ほどと同じように、カインの腕に体を絡めて密着する。
どうやら、時間切れのようだ。それを悟った俺たちは、目線で意思を交わす。カインはまっすぐに見つめてきた。
その瞳に宿った意思に、俺は……本当に俺らしくもなく、弱々しく頷いた。
「ありがとう」
「……まあ、やるだけやってみるさ」
「今はそれでいいです。ゆっくりと考えていけば……さあ、行きましょうマリス」
「はい。それではシュウジくん、エボルト。さようなら。もう二度と会うことはないでしょうけれど、楽しかったですよ」
「覚えてろ、いつか吠え面を書かせてやる」
エボルトの負け惜しみのような挑発に、女神は何も言わずににこりと微笑んだ。エボルトの額に青筋が浮かぶ。
女神とカインは踵を返すと、現れた時と同じように、白の中へ歩いて溶け込むように消えていった。
同時に、俺の意識も遠のいていく。ふらりと揺れ始める視界の中で横を見ると、エボルトもフラフラとしていた。
やがて、眠気とも寒気とも取れぬ感覚の中に落ちていって。
俺たちは、白い世界から退場した。
次回から迷宮攻略に戻ります。
感想カモン!