狂った一人の獣。
共に奏でるのは、何かがズレてしまった協奏曲。
さあ。この奇劇の幕を、今こそ下ろそう。
三人称 SIDE
「う……」
呻き声を上げて、光輝は意識を取り戻す。
とは言ってもすぐに動けたわけではなく、まるで泥水をかき分けているように五感は鈍い。
どうにか瞼を上げると、左は開かなかった。どうやらえぐり取られた眼球は戻っていないらしい。
「な、にが…どう、なって……」
極度に疲労した体は、満足な声すら出すことを許してはくれない。
掠れた小声を漏らすのが精一杯で、またそれに応えるような相手もいなかった。
やがて、少しずつ感覚が戻ってきた。
同時に全身が悲鳴をあげるように痛みを発して、光輝は非常に顔を渋くする。
奥歯を噛み締めながら、傷んだ体を気だるげに起こした。
それから数度頭を振って、自分の足付近に定められた視界がクリアになるのを待つ。
やっと明瞭になると、やはり左目と同じように片足は無かった。
幸い血は止まっているようだが、悲しげなため息を零してから周囲を見渡す。
無残に破壊された都市。
あの死闘は何処へやら、完全に沈黙した瓦礫の平原には静寂が広がっている。
不気味さに拍車をかけるのは、そこら中にこびり付いた夥しい血と、何かの肉片。
それらが自分のものだったと思い出すと苦い顔をして、そこでハッとした。
「そうだ、御堂っ!?」
名前を叫んだ途端、全てを思い出した。
命がけで手を伸ばした、初めての女。
彼女を邪神の束縛から解き放つ為に、自分の肉体をシンカイに差し出してまで戦った。
少しずつバケモノに変わっていきながらも、手を伸ばして、伸ばして、伸ばして。
そして、自分の剣は……
「御堂、どこだっ! 頼む、返事を──!」
「…………うるさい、ですわね」
「っ!?」
答えた声は、腕の中から。
驚いて見下ろすと、自分の両腕はいつの間にか探し人をきつく抱きしめていた。
いいや、最初からそこにいたのだろう。
光輝の脳裏に、気を失う寸前の記憶がフラッシュバックする。
最後の攻撃を放った直後に粉砕した剣を手放し、全力で彼女に腕を伸ばした。
そのまま後ろのビルへと突っ込んで、全身を打ち付けた際の衝撃で意識を飛ばしてた、というのが事の顛末。
「御堂、よかっ──」
……その先は、言えなかった。
苦しげな顔をする彼女から腕を解き、仰向けにしたことで。
ぽっかりとその胸に空いた、穴を見てしまったから。
「ふ、ふ。なんて顔……せっかく見てくれ、だけは整って、いるのに。台無しです、わ……」
「あ、ああ、あああああああっ!?」
完全に、思い出した。
そうだ、これは光輝が空けた穴だ。
突然力が制御できなくなって、ボトルの力が暴走した。
シンカイも体から抜けていって、そして。
光輝が、殺したのだ。
「そんな、お、俺はなんて、なんてことを……!?」
「ああ、本当に、未熟な男……この玉体を、あそこまで傷つけておいて。まだそんなことで、悲しむ、なんて」
少し前の、溢れんばかりの決意に満ちた顔はどこへいったというのだろう。
怒ったように、けれど悔しそうに、そして怯えたように、また悔やむように。
何よりも、悲しそうに。
そんな、ありとあらゆる感情がごちゃ混ぜになったその顔は、決して格好良いとは言えない。
「いいの、です。これは、私が自分でしたこと」
「っ、どうして!? あのままやれば、君の呪いだけを消せたのに!?」
「少し、手が……滑ってしまった、のかし、ら……ね」
それは、本当に。
本当に些細で気まぐれな、ネルファの心変わりだった。
「あの、
端的に言ってしまえば。
光輝に、見惚れてしまったのだ。
愚直に、一つ信じたことを我武者羅に貫き通そうとするその目に。
前のような濁った、自分しか写していないものではなく。
たった一人、ネルファしか見ていない瞳に。
ああ、この目を持つ男になら。とうに乾いたこの胸を差し出してもいいと。
だから、細々と残していたシンカイとの繋がりを使って力を暴発させた。
そしてあの一撃は、残り一つの仮初の命諸共……自分の魂を完全に砕いた。
「ああ、本当に不思議な気分。誰にも、己の何かを委ねることなど……一度も、なかったのに」
「何を、言って……」
「ねえ。もう、目も耳もよくききませんの。返事を、するならば……もっと、近くで」
彼女は、もう長くはない。
彼女の言葉からそう理解した光輝は、無尽蔵に溢れ出る罪悪感と自分への憎しみに歯噛みする。
だが、涙だけは絶対に流すまいと堪えながら、ネルファの言う通りに顔を近づけた。
その瞬間、突然ネルファは地面に垂らしていた両手を動かして。
「ん……」
「──────。」
唇が、重ねられていた。
濃い血の味がする。
自分のものか彼女のものなのか、頭が真っ白になった光輝にはわからなかった。
瞠目して固まった光輝を、至近距離で見つめたネルファは満足そうに目尻を緩めて。
ゆっくりと、顔を離した。
「……合格、ですわ」
「み、どう…………」
「ずっと、知らなかった。知りようが、なかった。一生知ることはないと、思っていた」
同じ人を食らう自分に、どうしてその感情を知る機会が得られようか。
師や姉妹から向けられた時も、ただ味わうだけで理解することはついぞ出来なかった。
それが、こんな所で。
なんて皮肉で馬鹿らしくて奇妙で……素晴らしい運命なのだろうと。
そう、彼女は微笑む。
「まあ、けれども。こんな、人食い女には。あなたの、ような……低俗な男がお似合いなのかも、しれません、わね」
「……いくらなんでも。それは酷すぎじゃあ、ないかな?」
光輝の返答は、濁っていた。
つい数分前に出してはいけないと、そう戒めたものが右目から溢れて落ちていく。
頬に落ちる暖かいそれに、ネルファはより一層淡く……少女のように微笑んで。
「無様な、顔。けれど、あの夜、よりは。ずっとまともな顔、ですわ……」
「っ!」
ああ、やめてくれと。
今そのことを言うのはいくらなんでも反則だろうと、思わず光輝は呟いてしまいそうになる。
だってそうだろう。
自分ばかりが大切だと思っていた。この心にだけ、あの日のことが鮮明に刻まれているのだと。
なのに、夢の中で見たあの、彼女にとってかけがえのない思い出の迷路の。
その、最後の一幕は……
「中村、恵里には……良い嫌がらせに、なるでしょうね。あの顔が怒りに歪むのは、見もの……ですわ」
「……俺、君達みたいな素敵な女の子に好かれる権利、ないと思うんだけどな」
「あら。もう知ってしまったのです。逃げるのは……許しません」
「ああ。それで……いいよ」
努めて笑ってみせる光輝の顔は、やはりぐしゃぐしゃだ。
子供のようなそれに、ネルファはまた心に何かが満ちていくのを感じる。
「ああ、初めて。こんなに身も心も満たされたのは。なんて、心地が良い」
自分に聞かせるように呟き、笑うネルファは。
その言葉を皮切りにしたように、つま先から崩れ始めた。
途端に軽くなっていく彼女の体に光輝は驚き、灰になっていく様を見て顔を歪める。
「生きている限り…………食べ続けなければいけないのが……この身の、定めならば。ああ、満腹になった今こそ、終わりに相応しい」
「っ、み、御堂。俺は、俺も、君が」
「無粋な男。先ほどので、もう全ては伝え、ましたわ」
それで、終わりにしようと。
茶番から始まった、観客も主催者もいないこの舞台を、幕引きにしようと。
そう微笑み、望む彼女はもう、腰まで崩れていた。
だから、光輝は。
「……御堂」
「何、かしら?」
「名前。呼んでもいいか?」
「……はぁ。本当に、無粋な男ね」
「あれは言えないんだ。それくらいは……いいだろ?」
「……そもそも問うのが、無粋だと。そう言っているの、ですよ」
呆れたように、ネルファが笑う。
それが彼女なりの許しなのだと、そう知った光輝は弱々しく笑って。
「ネルファ。もしも次、君に出会えたら。また俺のことを叱ってくれ。きっと、俺は間違えているだろうから」
「自分の面倒を、見るくらい……自分でなさい。この……愚か者」
「そうだな。そうできるように……頑張ってみるよ」
かつてのように、今となっては黒歴史になった自信に満ちた顔で笑ってみせる。
それを見て、安心したように。
穏やかに、これ以上ないほど優しく笑ったネルファは目を閉じた。
「さようなら。私に、最後にして最上のご馳走を……愛を、教えてくれた人」
「……さようなら。俺に、全てを与えてくれた人」
そして、彼女は。
劇的にでもなく、静かに、あっけなく。
光輝の腕の中で、消え去った。
「っ、……」
……もう、重さを感じない。
温もりを感じない。
冷たささえも、感じられない。
「っ! っ!! っ!!!」
奥歯が砕ける程、歯を食いしばって。
「ぅ、あ、あああああ」
ただただ、拳を地面に叩きつけながら。
「────────────────────────────────────────────────────────────ッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!」
無人の廃墟に。
声にならない慟哭が、響き渡る。
きっと光輝は、これから先の人生で。
最も哀しく、また幸せであった時間は、この瞬間であると。
そう、死ぬまで確信し続けるだろう。
あるいはそれは、彼の人生において最大の不幸であるのかもしれない。
天之河光輝は、これから先、彼女と同じほどに愛する誰かと出会うことはできない。
自分に何もかも、今の人間性すらも作り上げてくれた女に勝る女など、いるはずがない。
……こんなことならば、いっそ出会わなければ良かっただろうか。
いいや、たとえどんなに苦しくても、そう思うことだけはしない。したくない。
片目を、片足を、そして愚かさの全てを奪い去られたとしたって。
それでも、彼女の最後の贈り物に比べてしまえば、全てなんでもないことに思えてしまうから。
だから、ここで一生分泣いてしまおう。
次に彼女に出会えたその時、せめて涙を流すなんて無様なことはしないように。
次こそ、笑顔でその言葉を伝えるために。
そう精一杯、慟哭する光輝は。
瓦礫の下に挟まれた愛剣の残骸から──とあるものが消えていたことには、気が付かなかった。
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天之河光輝 17歳 男 レベル:84
天職:愚者・血狂イ花ノ荊
筋力:1020
体力:1020
耐性:1020
敏捷:1020
魔力:1020
魔耐:1020
技能:全属性適正[+光属性効果上昇][+発動速度上昇]・全属性耐性[+光属性効果上昇]・物理耐性[+治癒力上昇][+衝撃緩和]・複合魔法・剣術[+無念無想]・剛力・縮地[+爆縮地]・先読・高速魔力回復・気配感知・魔力感知・限界突破[+覇潰]・言語理解 ・昇華魔法・変成魔法・因果[+狂花ノ棘]
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これで、この作品での天之河光輝の物語は終わりです。
読んでいただき、ありがとうございます。