それが何なのかわからず、ただ悩み続ける。
楽しんでいただけると嬉しいです。
「それでは、今日はここまでにしておこう。出席票を提出して帰るように」
教授の一言と同時、ジャストタイミングで鐘が鳴る。
途端に教室の空気が弛緩し、ざわざわとそこかしこから喧騒が広がっていった。
「ふぅ……」
俺も授業の内容をまとめ終わると、パソコンを閉じて一息つく。
鞄に大学用のそれをしまい、脇に置いていた出席票を書き込んでおいた。
それが終わって筆記用具を鞄に入れていると、人が近づいてくる。
顔を上げれば、そこにはいかにも大学生という感じの女が、何故か緊張した様子で立っていた。
「あの、南雲先輩……でしたよね?」
「ん? ああ、俺が南雲だが。確か、前にグループ演習で一緒になったっけ?」
「あ、覚えててくれたんですね」
「まあ、記憶力はいい方でな」
前に美空に、会話した人間は興味があってもなくても覚えておくようにって説教されたし。
あの時は大変だった。
っ……待て。俺は何を考えてる。姫さんって誰だ。それにあの時は香織なんていなかっただろ。
「南雲先輩?」
「あ、ああ、なんでもない。で、どうした? 何か用事があったか?」
「用事、というか、なんというか……」
もじもじと、視線を下にやりつつ何やら言いたげに体を揺する。
そこまで勿体つけるとは何事かと身構えていると、どうしてか頬を赤くしたその女は俺を見た。
「あのっ、これから一緒にご飯でも──」
「ハジメさーん、ご飯食べに行きましょー」
「うおっ」
いつの間にか隣にいたシアによって右腕をホールドされ、驚いて腰を浮かせる。
後輩らしき女も驚いて固まり、その間にシアは実に柔らかっ……両腕で俺の腕を掴んで引っ張った。
強制的に連れていかれると過去の経験から察し、咄嗟に鞄を掴み取る。
予想通り、出口に向かって移動し始めるシアの馬力に俺は逆らえず、どうにか机の端の箱に出席票を入れるのだけは成功した。
「すまん、話はまた今度聞く!」
「あっ……」
俺は為す術なく、講義室にいた全員の視線を受け止めながら退室する。
講義室を出てからしばらく、ズンズンと突き進むシアに引きずられるようにして移動することになった。
当然その間も好奇の視線を浴び、その一部が「またあいつらか」というものなのが非常に居心地が悪い。
「おい、止まれシア。そんなに引っ張られると腕がもげるって」
「ハジメさんがそう言うなら」
ついには講義室からかなり離れた場所にやってきて、ようやく解放された。
突然離れられたことでつんのめりかけ、壁に手をついてどうにか停止する。
「ったく、お前なあ。いつもながら豪快すぎるだろ」
「だってハジメさん、私達以外の女にうつつを抜かそうとしてましたし」
「いや、ねえよ」
即答してはみるものの、確かに思い返してみればさっきのはそれっぽかった気がする。
ずっとこいつらと一緒にいると、そういう意味では男子も女子も大概は嫉妬で寄り付かなかったのだ。
それは大学においても同じことであり、ユエ、シア、ウサギの三人とほぼ一緒に約四年間過ごした。
だからさっきのも、ある種感覚が麻痺してて気付きにくかったのだろう。
「そもそも、別にお前も他の奴らも俺の女ってわけじゃ……」
「でも、もう私達の想いから逃げられないのはわかってますよね?」
「そりゃあ、な」
俺だってラノベの主人公みたく、呆れ返るほどの朴念仁なわけじゃない。
ユエや幼馴染の美空は勿論、大学生になってまで側に居られたら、彼女達の想いにも気がつく。
ティオも最初は単なるご近所関係だったのだが、もはや露骨に狙ってきてる。正直大人の女の魅力がヤバい。
まあ、その結果があの世の男どもに知られれば、袋叩きにされそうな朝の集いなのだが。
この現状を知った父さんには、〝正妻だけは決めとけよ〟などと揶揄われる始末だ。
「私達なら誰が最初でもウェルカムですけど、もしポッと出の女に手を出したら……」
「おい、そんなことを大学の中で言うな……心配しなくても、目移りする暇なんかねえよ」
むしろ、これだけ魅力的な女達に想いを向けられた状況でどうよそ見をしろというのだ。
俺自身、なんだかんだと全員に好意を持っているのも自覚している。常識的に最低だが。
だから、深く知りもしない相手がどうとかはありえない。
それよりもっと深く、その魅力を知ってしまった奴らがいるのだから。
「ふふん、それならいいんです! さあハジメさん、ご飯食べに行きましょう!」
「ああ、そうだな。俺はまだ講義があるし」
上機嫌に歩き出したシアにホッとしつつ、空きっ腹を満たすために歩き出した。
正直、この大学の食堂はそこまでではない。
通ってるくせに我ながら偉そうだが、大学の外に出た方が美味しい店があるのだから仕方がない。
シアの機嫌を損ねたという理由も含め、俺の一番気に入ってる店に二人で入った。
「二名でお願いします」
「申し訳ありません、現在店内が満席でして……」
「なら、テラス席で」
「恐れ入ります。ではお客様、こちらにどうぞ」
店員に案内され、道路の脇にある歩道に面したテラス席に行く。
自分の鞄とシアから受け取ったバッグを受け取って荷物カゴの中に入れ、それから腰を押し付けた。
「ハジメさん、こんなお店知ってたんですね?」
「大学からは少し遠いが、値段もそこそこでメニューも豊富、何より味は保証できるぞ」
「ふふ、連れてきたのは私が一人目だったらなお嬉しいですねぇ。あ、ちょっとお花を摘みに行ってきます」
「おう」
早々に席を立ったシアを見送る。
「……あいつ、なんかとんでもないものを見つけて、叫んで呼んだりしないだろうな」
無意識に呟いたその言葉に、またも激しい違和感を抱いた。
確かにシアはアグレッシブな所があるが、そこまで非常識じゃない。身体能力はちょっとバグってるが。
なのにどうして、そんなことを俺は言ったのだろうか。
「あら。何か悩み事ですの?」
無言で考えていると、頭上から声が降り注いだ。
聞き覚えのある女性の声であり、だからこそあまり驚かずにその人物を見上げる。
「御堂か。こんな所で会うなんて、偶然だな?」
「ええ、実に偶然。平凡なとある日に学友との再会なんて、ドラマチックですわね?」
そう語った絶世の美女──高校時代のクラスメイトである御堂英子は、妖艶に微笑んだ。
●◯●
「相変わらず、そういう言い回しが好きだな。仕事は順調か?」
「当然、私ですもの。貴方も随分と楽しい学生生活を送ってらっしゃるようで?」
「ま、退屈はしてないさ」
シアが向かった店内を一瞥する彼女に、肩をすくめてみせる。
御堂英子。
ユエ達や俺も含め、何かと有名人が多かったことで母校じゃ伝説化した俺達の世代でも特に目立っていた一人。
ユエに比肩しうる絶大な美貌もさることながら、尊大な態度と万人を虜にする魔性の魅力がその理由。
料理部の部長をやっていて、高校時代に何処かの料理大会で優勝し、卒業と同時に店を出したこともだな。
同時に美食評論家としても活動しており、雑誌やテレビでその顔を見かけることも少なくない。
「それで? 本当に偶然なのか?」
「たまたま近くに、仕事で来ておりまして。移動の途中で貴方とハウリアさんの顔を見かけたもので、つい車を止めましたの」
「そりゃ光栄だ」
つまり偶然ってのは、あながち冗談でもないらしい。
しかし、それなら仕事の時間は大丈夫なのかと考えたところで、彼女の背後から一人男がやってきた。
「御堂、突然車を降りるなんてどうしたんだ……って、南雲?」
「天之河か」
質の良さそうなスーツに身を包んだその男……天之河光輝は、俺を見て目を瞬かせる。
それから御堂を見て、なんとなく状況を察したのか、ムカつくほどイケメンな顔を呆れさせた。
「南雲を見つけたならそうと言ってくれ。驚いたぞ」
「あら、私のすることは私が決めるもの。貴方はそれが出来るよう働くのが仕事でしょう?」
「はいはい、わかってるよ。その口ぶりだと、まだここにいるのか?」
「ちょうど、小腹も減っていましたから。何か口にしていくことにしましょう」
踵を返し、御堂は少し離れた席に座って足を組んだ。
完全に居座る気満々の態度に、目の前で天之河がやれやれと嘆息する。
「自由奔放さに磨きがかかってないか? 御堂のやつ」
「まあ、いつものことだよ。予定をずらさないと……」
スマホとスケジュール帳を取り出し、交互に睨めっこをする天之河。
御堂のマネージャーとして四苦八苦するその様は、優れたルックスとポテンシャルに比べてなんとも普通だ。
しかしそれが妙にマッチしていて、何より難しい顔をしながらも、天之河はどこか楽しそうだった。
御堂英子が、学校という狭い社会の中で何より名声と地位を得た所以。
それこそはこの男──学年はおろか、学校全体でカリスマ的存在だった天之河光輝を傅かせたこと。
誰もがヒーロー視する天之河を従わせたことで、一躍御堂は学校の中で女王的存在になった。
卒業まで変わらなかったその関係は、どうやら今も続いているらしい。
「よし、これでいい。連絡は回したから、後は……」
「こうして見てると、未だに信じられんな。
「……まあ、変わったとは自分でも思うよ」
揶揄ってみれば、天之河が苦虫を噛み潰したような顔で返事を絞り出した。
正直言って、高校時代の天之河はかなりヤバい……というか、酷かった。
人類皆善人説のもと、自分に都合の悪い意見はいいように捻じ曲げ、無遠慮に他人の問題に首を突っ込んでは掻き回す。
結果的にそれで救われてたやつもいたんだろうが、少なからずそうじゃなかった連中もいる。
俺達もその一部である。一体何度こいつに突っかかられたのか、思い出すだけでも億劫だ。
ただ。
天之河のその〝善行〟は、
まるで、そう行動するのが自分という人間なのだと誰かに証明するように、他人の事情に介入し続けていたのだ。
そして、御堂にいろんな意味で屈服させられた時から、ぱったりとそれは止んだ。
「何もかも御堂の影響、か。まあ、あれだけ振り回されてるなら必然と言えるか」
御堂の方を見てみると、彼女は優雅な所作でいつの間にか頼んだ飲み物を口にしていた。
なんてことない所作なのに、さながら名画のように美しい光景に見えるのは御堂だからこそ。
実際、俺達以外にも店内や道ゆく人間の視線を、男女問わず一身に集めていた。
「でも、嫌いじゃないんだ。あいつに振り回されるのは」
天之河を見ると、同じように御堂を見ていたあいつの横顔は満ち足りている。
……昔もそうだった。
とんでもなくプライドが高いはずのこいつは、御堂の無茶振りに困るどころか、嬉々として付き合っていた。
あまりにその様子が楽しそうで、だからそれまでの天之河がどこか苦しげだったと思ったのだ。
「じゃあ、俺はいくよ。そろそろ御堂が退屈し始める頃だ」
「天之河」
そして、今の天之河の姿は。
「なんだ、南雲?」
「……もしも、の話なんだが。他の全てが揃っていて、でも一番に肝心なものが欠けている。そんなふうに思った時、お前ならどうする?」
今の俺にとって……いいや。
ずっとずっと、
例えるならドーナツの穴だけを切り取るような、そんな決して証明できない存在を追いかけている俺には。
すごく、眩しかった。
「うーん、難しい質問だな。何もかもあるのに、一番欲しいものはない、か……」
「悪い、ただの戯言だ。そんなに難しく考えなくても」
「いや、少しだけ答えがわかるかもしれない」
質問の意味を軽くしようとした所で、何かに思い至った天之河が言葉を被せてきた。
思わず口を噤むと、考える人のような仕草でいた天之河は俺を見下ろす。
「昔、ずっと心のどこかに足りない部分があるって感じていたことがある」
「足りない部分、か?」
「その足りない部分は自分じゃ埋められなくて、かと言って親しい誰といても満たされなくて……だから俺は、祖父のように強く正しい存在になろうとすることで人に関わり、それを埋めようとした」
それが、天之河が高校時代に……いや、
おそらくは誰にも明かされたことがないだろう真意に驚きつつも、静かに耳を傾ける。
そこに、俺の求める答えがある気がしたから。
●◯●
「でも、どんなに祖父の幻想を追いかけても、皆にその仮面を褒められようと、虚しかった」
「……ダース単位でお前に惚れてた同級生の女達が聞けば、泣きそうなセリフだな」
「はは、そうかもな……でも、彼女と初めて言葉を交わした時」
そこで天之河は、御堂の方を見て。
「その瞬間、思ったんだ──〝ああ、やっと出会えた〟って」
そう言った時の天之河の顔は、とても穏やかだった。
当時のことを思い出しているのだろうその表情は、どこか重い荷物を下ろしたような、晴れやかなもの。
天之河光輝にとって、御堂英子との邂逅は、それだけ重大な意味を持っていたのだろう。
「その時、欠けていたものが埋まった。ずっと追い求めたものに辿り着いて、安心したような気がしたんだ」
「……なるほど、な」
「いや、自分でも現実味がないとは思う。でも彼女こそが俺にとって一番必要な人だったって、その時確信したんだよ」
「別に何も言ってねえよ」
クサいことを言ったと自覚したのか、慌てて言葉を重ねる天之河に苦笑する。
慌てていた天之河は途端に恥ずかしそうに曖昧な笑いを浮かべ、それから一転して俺に真剣な目を向けてくる。
「だから、わかるよ。南雲の気持ち。きっと君も、心に空いた穴にいたはずの〝誰か〟を探してるんだろう?」
「……ただの戯言って、言っただろ」
「じゃあ、そういうことにしておくよ」
生暖かいその視線が、少しムカつく。
昔はうざったらしいだけのキザなものだったのに、今は優しさを含んだものなのが余計に。
「諦めなくていいと思う」
「何?」
「俺は、その穴を埋めたいがために多くの人に迷惑をかけた。勿論南雲達にも。そのことは深く反省してるし、今でも俺に出来る謝罪は何でもしようと思ってる」
でも、と天之河は一言置いて。
「それを追いかけたことを、一度も後悔をしたことはない」
「…………」
「きっと、そういうものなんだよ。何がなんでも、たとえ誰かに迷惑をかけたとしても、それでも絶対に手にしないと、きっと一生自分を許せないもの。俺はそう思うよ」
それだけ言葉を残して、天之河は御堂の所へと去っていった。
ぼんやりとその後ろ姿を目で追い、二人が何やら話しているのを眺める。
「自分を許せない、か……」
もう一回、そう何回やったって、思い出せるのは曖昧で、霞のようにぼやけた顔だけ。
それがどうにも怖くて、毛布とベッドの間に体を挟み込むようにして無理矢理飲み下した夜もある。
そうやって曖昧でも、まだ覚えているならと。
死なない想いがあるならそれで安心だと、俺はどこかで満足して、目を逸らしていたのだろうか。
「……別に、過ぎたことは望んじゃいないんだがな」
ただ、俺は。
いつまでも思い出せないその〝穴〟に埋まる、確かな形が欲しい……それだけなんだ。
そうして失った感情ばかりを数えていたら、ついには〝誰か〟の声まで忘れてしまった気がして。
結局俺は、前に進めない。
「お待たせしました、ハジメさん。ちょっとトイレが混んでまして……」
「……ん、おかえりシア。じゃあ何か頼むか?」
「はい!」
それから俺は、シアと一緒に昼食をとって。
少し歓談した後、店の前で彼女と別れ、御堂達にも挨拶のメールを送りつつ、大学に戻り。
残り少ない単位を取るために抗議を受け、キーボードを打つ手を動かして。
その間もずっと、終始天之河との会話が頭の中をぐるぐると循環しているのだった。
「じゃあそろそろ時間なので、終わりにします。次回はこの内容の続きになるので、把握しておいてください」
そんなことを考えている間に講義は終わり、また喧騒が戻ってくる。
今度は早々に荷物を片付け、誰かに話しかけられる可能性を生む前に講義室から退出した。
「ん?」
帰る前にユエ達に連絡を取ろうとスマホを取り出した所で、受信されたメッセージに気がつく。
先にそこへ指を向かわせ、開いて内容を見ると……それは旧友からの
「……丁度いい、か」
その誘いに乗る旨を返しつつ、ユエ達に今日はマンションの方に帰らないことを伝える。
返事が返ってきたのを見てからスマホをポケットにねじ込み、足早に大学を後にした。
ハジメは苦悩しながら、答えを探していく。
読んでいただき、ありがとうございます。