楽しんでいただけると嬉しいです。
俺やユエ達の住むマンションは、地元からそう離れていない。
父さんの会社や母さんの作業場にすぐ行ける、かつ朝の時間に余裕を持って大学へ行ける範囲内。
一人暮らし……実質的にそうなってないが……するには、実に理想的な立地だった。
そして俺は今、そちらに向かう電車の揺れに体を持っていかれないよう、座席の奥まで腰を深く沈ませている。
「…………」
何をするでもなく、カタンコトンという電車の滑走音をbgmに窓の外を鑑賞していた。
窓から見える外の景色は、四時を回ったことで斜いた陽光によってオレンジ色に彩られ、美しい。
車内にほんど人はおらず、まるで世界に一人だけ自分が取り残されたような錯覚さえする。
むしろそれが、この黄昏に入りかけた世界を独り占めしているかのようで。
なんとも退廃的な気分に浸ることができるのだった。
目的の駅までは、あと一駅か、二駅か。
大学の最寄駅から乗ること二十分弱、乗り継ぐこともなく、残りの駅を数えている。
通り過ぎていく街並み、その向こうで寂しく染まった茜空と変色した太陽。
それはまるで、いつか雲海の上から見た──
「……このくらいの距離、フェルニルならひとっ飛びなんだがな」
ぽつりと零れる、覚えのない単語と、経験したことがないはずの感覚。
そのことに気がついたのは呟いてから数秒した頃で、徐々に目を見開くと周囲を見渡す。
相変わらず誰もいない車内に何故かホッとして、またしても自分への違和感に眉根を寄せた。
……今日は特におかしい。朝のこと然り、天之河への質問然り。
これではまるで、
心の中で自分を茶化してみるものの、その為にわざわざこうしているのだから笑えない。
「……まあ、進展があればいいが」
今度は誰もいないのをわかっていて、あえて小さな声で呟いてみた。
そうしているうちに電車は一つ駅を越え、さらに数分もしないうちに目的の駅へ到着する。
さながら映画館の客席のようにじっと座り続けていた座席を立ち、足早に下車をした。
電車が出発していくのを見送ることもなく改札を通り抜け、慣れ親しんだ街に足を踏み入れる。
しばらくその場で立ち止まり、やがて思い出したように一歩前へと歩き出した。
目的地は、ここから徒歩十五分ほどの住宅地。
勝手知ったる道を行けば、電車の中ではあっという間に通り過ぎた道はそれなりの音に溢れている。
車の通り過ぎる音、どこかの店から流れる音楽、道行く夫婦らしき二人組の会話に自分の足音。
歩けば歩くほど変わる悲喜交々の様相は、やがて住宅街に入るにつれて閑静なものに変わっていく。
「あっ、パパー!」
そんな変遷を楽しんでいれば、響く可愛らしい声と足音。
声のした方に振り返ると、陽光を背に受けた小さな人影が一直線にこちらに向かってきていた。
右肩に引っ掛けていた鞄を背負い直し、躊躇なく飛び込んできたその人影をキャッチして抱き上げる。
「きゃー♪」
「よう、ミュウ。小学校は終わったのか?」
「そうなの! 今日もいっぱいお勉強したの!」
俺の手の中で、真っ赤なランドセルを背負ったその童女──
それは親愛が込められたもので、現状誰とも
「あらあら、ミュウったらまた急に走り出して」
「ママ!」
「
「こんにちは、ハジメくん。いつも娘がごめんなさいね」
ミュウを追いかけてきたのは、あまりお目にかかれないようなレベルの美人。
活発なミュウに対して落ち着いた雰囲気の彼女は、手を頬に添えながら申し訳なさそうに眉を落とした。
「いや、別に。懐いてくれて悪い気はしませんし、もう五年以上の付き合いですからね」
「でも、可愛い娘さん達に囲まれてるハジメくんには、その呼び方はちょっと……ね?」
「はは……」
その呼び方によって発生したあれこれもまた、高校時代から頻繁に起こる
物心つく前に父親が亡くなった幼いミュウは、レミアさんが母の友人なこともあってよくうちに来ていた。
頻繁に面倒を見ている間に、戯れにそう呼ぶことを許してしまった高校時代の俺が悪い。
案外、満更でもないのがどうしようもなく手遅れだった。
「むぅ、ママの言ってることよくわかんないの。パパはパパなの!」
「もう、困った子ね……うふふ。でも、本当に父親になってくれても構わないけれどね?」
「うっ、いや、その……」
どこか蠱惑的な視線を向けてくるレミアさんに、少したじろぐ。
……誰かに聞かれたら殺されそう、というか同級生に過去何回か襲撃されたが、どうしてこう美人ばかりに好かれるのか。
ミュウの相手をしたり、仕事に家庭と一人で頑張る彼女の悩みを聞いて励ましてたりしていただけなのだが。
年上であるティオの存在を知ってからというもの、こうしたアプローチに余念がない。
「ふふ。そうして見ると、本当に家族のようだな?」
答えあぐねていると、新たに第三者の声が張ってきた。
三人で振り返れば、そこにはミュウと同じ年頃の少女と手を繋いだ赤髪の美女が立っている。
いつから聞いていたのだろう。黒いパンツスーツに身を包んだ彼女は、面白そうに微笑んだ。
「ミュウちゃん、ただいま」
「リベルちゃん!」
「っとと」
女性の隣にいる少女に反応し、突然動いたミュウを優しく下ろす。
少女……リベルの方も女性の手を離し、ミュウと両手を重ね合わせるとキャッキャとはしゃいだ。
「元気で何よりだ……改めて、こんにちは南雲くん。それにレミアさんも」
「こんにちは、ルイネさん」
「今日は仕事、早く終わったんですね」
「幸いな。おかげで娘と一緒に帰ることができた」
幸せそうに口の端を上げる彼女の襟元には、金色のバッジが輝いている。
驚くべきことに、こうして平凡な住宅街に佇む彼女の職業は都知事。御堂以上の有名人である。
娘のリベルがミュウと同じ小学校で、レミアさんと懇意にしていなければ関わり合いにもなれない存在。
「南雲くんこそ、こちらに帰ってくるのは珍しい。未だユエさん達に囲まれているのかな?」
「幸せなことに、ですね」
「はは、面白い少年だ。君達が快く暮らせているのなら、私も嬉しいよ」
「この前の会議の中継、見てたわ。色々と大変そうね」
「仕方がないさ。それが国の一端を背負う者の責務だ。リベルには寂しい思いをさせているが……」
ミュウとしりとりだか山手線ゲームだかをしている娘を一瞥し、苦笑するルイネさん。
ほぼ父さんの会社に就職しているようなものとはいえ、所詮は行政について与り知らぬ一大学生。
どういったものか言葉を選んでいれば、ふと動いたレミアさんが彼女の手を取って微笑んだ。
「また、一緒にお茶しましょう。たくさんお話を聞くわ」
「ありがとうレミアさん。貴女に色々聞いてもらうと、次の日の仕事はやる気が戻ってくる」
「うふふ、それは光栄ね」
どうやら、俺が何を言うまでもないようだ。
生来の友人のように語らう大人の女性二人に、俺はそう結論付け
〝うわひっど! ハジメんが脅すから話したのに~〟
「っ!」
また、か……
目の前を舞う真っ白な雪と、丘の上のベンチに背中を預けあって座った〝誰か〟の言葉。
唐突に浮かんだビジョンに顔を顰め、けれどここに四人がいることを思い出してすぐに表情を隠す。
そして、談笑を始めたルイネさんとレミアさんから離れると、ミュウの頭に手を置いた。
「みゅ? どうしたのパパ?」
「……俺、もういくよ。いつでも実家の方に遊びに来いよ」
「うん、わかったの! バイバイなの、パパ!」
「さようなら、ハジメお兄さん」
「ああ。リベルもミュウと一緒だからな」
「うん!」
返事を聞き届けた後に母親二人にも挨拶をして、俺はその場から立ち去った。
ミュウ達と遭遇した地点から数分歩き、ようやく到着する。
周りの家屋と比べてもそこそこ大きいその家は、他と同じように窓の内側から人工の光を主張していた。
どこか安堵しながらも、家のインターホン──〝南雲〟の看板の下にあるそれを押し込んだ。
『──はい、どちら様で?』
「あー、俺だ」
『おお、来たか。鍵開けてあるぞ』
ややくぐもった音声で返ってきた返答に、俺は頷いて門を潜った。
短い階段を登って細長いノブを引くと、言われた通りに抵抗なくあっさりと開いてくれた。
中に入り、後ろ手にドアを閉めて鍵をかけると靴を脱ぐ。
靴箱に入れてフローリングに足を上げたところで、前でドアの開く音がした。
「おう、帰ってきたな息子よ」
「ん、父さん。ただいま」
リビングの扉を開け、よっと気さくに片手を挙げている背の高い短髪の中年男性。
父さんは挨拶もそこそこに、歩み寄る俺から目線を外してキョロキョロと何かを探し始めた。
「何やってんだよ?」
「……なんだ、正妻が決まったって報告しにきたわけじゃあないのか」
「それ、毎回言うな……」
もはや聴き慣れた戯れ言に呆れると、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる父さん。
「そりゃあんだけ息子に美人が群がってたら、揶揄いたくもなるだろう? で、やっぱりユエちゃんが本命なのか? それとも美空ちゃん? なんなら全員でもいいぞ」
「馬鹿言ってんじゃねえよっ、たく!」
軽くぽすっと脇腹に拳を入れると、「いてぇ〜」などと半笑いしながら横に退く父さん。
苦笑しながら中に入れば、慣れ親しんだリビングのテーブルにいた女性が顔を上げる。
「やっほー、ハジメ。おかえりなさい」
「ただいま母さん。悪いな、急に帰るなんて言って」
「なーに言ってんの。何歳になってもここはあんたの家なのよ、いつでも帰ってらっしゃい」
カラカラと笑う母さん──
売れっ子の少女漫画家である母さんは常に忙しいのだが、少しも迷惑そうじゃないのが嬉しい。
後ろを見れば、揶揄うものから柔らかいものに笑顔を変えた父さんも頷いて、なんか照れ臭くなった。
「それで? 今日は泊まってくの?」
「ああ、ユエ達には連絡してある。部屋使っていいか?」
「当然よ」
母さんに頷き、二階の自室に行くべく階段に足をかける。
「晩ご飯はどうする? そろそろ準備始めようかと思ってたけど」
「あー、いや、いい。
振り返りながらそう言って、自分が失言をしたことに気がつく。
全くもって俺というやつは迂闊らしい。この年不相応に好奇心の強い両親に、話題のネタを与えるなど。
内心冷や汗を流しながら二人を見れば……それはもう、ものすごく楽しそうに揃ってニヤニヤしている。
「ハジメ、お前も罪な男だな〜。かわい子ちゃんたちを放っておいて、内緒で密会かよ?」
「我が息子ながら、立派なスケコマシに育ったもんねえ〜」
「誰がスケコマシだっ。別にそんなんじゃねえよ」
そう言いつつも? みたいな目を向けてくる両親に、取り合うほど不利になるのを察して退散する。
二人の残念そうな声を無視しながら、いっそ集中していると言って良いほど階段を登ることだけを考える。
そう、そんなんじゃない。
俺と〝あいつ〟がそういう関係になることだけは、絶対にありえない。
昔から……あいつのことを何も知らない、最初に出会った瞬間から、それだけは確信していたのだ。
「ったく、好奇心もほどほどにしてほしいぜ……」
思わずぼやいてしまいつつ、かつての自分の部屋に入る。
デスクの脇に鞄を置いて、綺麗な状態に保たれた自室をなんとなしに見渡した。
そして、ふとマンションの自室のようにベッドの寄せられた壁に設置された窓へと目が止まる。
「…………」
吸い寄せられるように、窓に歩み寄った。
締め切られたカーテンへと手を伸ばしていくと、限りなく無音な部屋に音が響く。
ドクン、ドクン、というその音は、自分の中から断続的に響いていて。
何故こんなにも鼓動が響いてるのかはわからない。手を伸ばす理由も。
あれはただのカーテンだ。どこにでもある、何の変哲もない、ありふれたカーテン。
なのに俺はカーテンを掴んで、ゆっくりと横に引いていく。
そうすることで、薄布一枚の向こう側にあるものを──
「ハジメー。どうせ行くなら、何か持ってくー?」
「っ!!」
開けっ放しのドアの向こうから母さんの声が響き、我に帰る。
驚くほど俊敏にカーテンから手を離して、そのまま部屋の中央まで後ずさった。
「…………俺は、何を、して」
「ハジメー? 聞いてるー?」
「っ、あ、ああ! 手土産にちょうどいいもん、あったら置いといてくれ!」
「はいよー」
返事をすると、それきり母さんの声は聞こえてこなかった。
俺はカーテンを一瞥し、それからグッと拳を握って。
そのまま踵を返して、部屋を出て行った。
読んでいただき、ありがとうございます。