そして探し始めた。
どこかに消えてしまった、大事な友を。
楽しんでいただけると嬉しいです。
俺は、走った。
店から飛び出し、帽子を握りしめたまま、ユエ達の前から逃げ出した。
それは衝動的で突発的な行動だったが、しかしとても理性的な判断でもあったのだ。
「どこだ……どこに行けば、あいつを……!」
道ゆく人から奇異の目線を受けながらも、目を皿のようにしながら走り続ける。
正直に言ってしまえば、これといって何かを思い出せたわけではない。
真っ黒な靄に包まれたような記憶の深い森に、一筋の光明が差したようなもの。
だが、これまで培ってきた22年の記憶が詰まったタンスがずれて、奥に隠されていた扉が垣間見えた。
だったら後は、鍵を見つけてこじ開ければいい。
「っ!」
店を出てすぐ、陸橋の中程まで行ったところで立ち止まる。
霞のように朧げな、橋の下を覗き込んでいる二人の子供の姿が目の前に現れたからだ。
一人は、3歳か4歳頃の俺。下の広場で遊んでいる同い年ほどの連中をじっと見下ろしてる。
そんな俺が誤って陸橋から落ちないよう、隣で見張りながら笑顔で話しかけているのは──
「っ……消えた」
最後まで解析する前に、幻は消えてしまう。
けれど、この目で見た。
白夢中などではなく、あれは確実に俺の記憶だ。確たる証拠はなくてもそうだとはっきりわかる。
一つ紐解かれた、俺の知らない俺の記憶にわずかな喜びと、もっと知りたいという渇望を覚える。
「次は……!」
その衝動の赴くままに、また足を前へと動かす。
俺は、町中を駆けずり回った。
見知った場所から一度行ったきりの場所、果ては記憶の片隅に引っかかっているだけの場所にまで。
少しでも多く、記憶の扉を開ける鍵を見つけるためのヒントを探し出す為に、必死で。
そんな俺に応えるように、〝これだ〟と思って行った場所には必ず幻の記憶が現れた。
最初の橋と同じように幼い頃のものもあれば、高校生くらいの頃のものもあり、種類は様々。
曖昧模糊なそれらの全てに共通している一つのことは、必ず俺の隣に〝そいつ〟がいること。
大切な記憶でも、何でもない記憶でも、どんな時だって、絶対にそこにいたんだ。
いつも笑顔で、陽気で。
息をするようにふざけて、でも不思議と頼りになって。
いつだって助けてくれる、いつか助けたいと思っていた、誰か。
幻に遭遇し、思い出す度に、自分の中でバラバラだったあいつの姿が実像を結んでいく。
呼応して、影法師のように曖昧だった幻のあいつも輪郭を確かなものにしていった。
だが……
「くそっ、ここも違う!」
美空と俺、〝あいつ〟の三人で歩いている幻が消えたところで悪態をつく。
もう二桁に昇ろうかという数の幻影を見て、どんどん記憶は蘇ってきている。
だが、どこを探しても
そのことにもどかしさを感じつつも、一度呼吸を整える為にその場で深呼吸する。
「ふぅ……落ち着け、俺。これは
またも口から漏れた自分の言葉に、ハッとする。
そう、これは幻の世界なんかじゃない。
紛れもなく、疑いようもなく、どうしようもないほどに、
夢なら終わりがあり、覚めることができる。
だが、現実には無情なほど終わりなんてなくて。
そして今の俺に、現実を望むように変える力はなかった。
「っ、いや、確か……」
まだ万事休すと決まったわけじゃない。
この現状を変える手がかりが、一つだけある。
幻によってあいつとの思い出を取り戻していく内に、関連して様々な記憶が蘇ってくる。
それは、俺が自分で知っている22年の人生とは全く異なった、もう一つの俺の人生と言えるもの。
さながらもう一人の俺──いいや、今生きる俺の中に封じられた、
手に入れたあらゆる記憶の残滓を繋ぎ合わせると、あることに気がついた。
17歳から先が完全に途絶えている、と。
高校を卒業し、大学に入り、今に至るまでの五年間の記憶があるにも関わらず……だ。
おそらく、そこが分岐点。
17歳のとある日、きっと何かがあったのだ。
そんな、全く違う未来を歩んだかつての〝俺〟は、この喪失の原因を知っているはず。
あいつがいなくなってしまった理由も、そこにあるに違いない。
「でも、どうやって記憶を取り戻す……?」
たとえ目星をつけられたとして、その記憶を回復させる手段が俺にはない。
だが、どうにかしてそれを知らなくては、きっと永遠にあいつには……
《……公園だ》
「っ!」
今、聞こえた声は。
今朝は驚くばかりだったが、俺はこの声を……こいつのことを、知っている。
名前までは思い出せない、けれどあいつにある意味一番近い存在だったことを、覚えている。
「目が覚めたのか?」
《……公園に行け。そこで、〝奴〟が待っている》
俺の問いかけに答えは返さず、それだけを強調する。
それきり、声は聞こえなくなった。どうやらまた眠ってしまったらしい。
「公園……公園か」
正直、公園と言われてもこの街にはいくつかある。
その中で特に、あの声の主がヒントとして与えるほどの場所といえば……
「あの公園か……?」
ふと思い浮かんだのは、幼い頃からよく遊びに行っていた、とある公園。
情景を思い浮かべた途端、その光景の中にベンチに座る二人の子供の幻が重なった。
「ビンゴ」
思わず呟きながら、その公演の方向へ体を翻して。
〝待て〟
いざ走り出そうというその時、目の前に影法師が現れた。
行く手を遮るように、道の真ん中に直立したその影法師は、上から下まで真っ黒で。
ただ、こちらを鋭く睨みつける二つの瞳だけは真っ赤に輝いている。
それは、紛れもなくいつかの〝俺〟だった。
〝今更行って、何になる〟
「…………」
その〝俺〟が、酷く冷たい声で問うた。
まるで、今になって思い出した俺を、恨んでいるような声音だった。
〝お前は、何もできない。あいつを救えることは、永遠にない〟
「だからそのまま回れ右して、ユエ達の所へ帰れってか? ハッ! お断りだ」
ここで引き返せば、確かにそこには愛する者達との完璧で、理想的な現実があるのだろう。
だが、せっかく手に入れた……いいや、
俺は、あいつのいる未来が欲しい。
「くよくよいじけているなんて俺らしくもねえ──だから、お前は置いていく」
たとえそれが、俺の悔恨の具現なのだとしても。
それさえも知って、飲み込んで、乗り越えて、俺はあいつを探し続ける。
その宣言を最後に、俺は影法師の横を走り抜けた。
●◯●
今日だけで、どれくらい走ったのだろう。
体から吹き出す大量の汗で体が火照り、上着を脱ぎ捨てる程度には足を動かした。
どんどん日も高くなり、やがてその光が頂点まで達した頃。
「はぁっ……はぁっ……クソ、あっちぃな…………」
膝に手をつき、もう一方で頬を滝のように流れていく汗を拭う。
初夏を前にしての気温の中、最後の全力疾走で流石に体力はすっからかん。
これ以上走ろうものならば、確実にないはずのものをリバースすることになるだろう。
「ふぅ、ふぅ……ふぅ…………よし」
ある程度まで回復したところで、ジンジンと痛む脇腹を軽く叩いて姿勢を戻す。
そして、広大な公園の一角へ向けて歩き出した。
「………………」
休日の昼時だというのに、不思議と人一人いない道を無言で進む。
……これが正しいことなのかは、わからない。
声が言っていることが本当だとして、ここが
もし何もないのだとしたら、俺は訳のわからない戯言を喚き散らしただけのイカれ野郎だ。
万が一、あいつに関わる何かがあったとしても、俺には何もできないかも。
あの影法師は俺の心の一部に他ならず、その嘲笑は紛れもない本心で。
「……それでも」
それでも、諦めたくない。
目を伏せたくはない。
俺は、何が何でも、あいつを取り戻す。
「……っ!」
再びその決意を固めていた時間は、どうやらとても長かったらしく。
気がつけば、目指し続けた丘の上に到着していて。
そこにぽつんと屹立する木の隣に設置されたベンチを見て、俺は足を止めた。
たった一人、ベンチに座っている人物がいた。
こちらに背を向け、丘の上から見える広場と街並みを眺めている、帽子を被った男。
後ろ姿が、〝あいつ〟と重なって。
「……お前は」
「──遅刻だぞ。随分と長く……待ちぼうけしていた」
思わず漏れた言葉に反応して、振り返ったその人物の顔は……シワの刻まれた老人のもの。
最初にあいつでないことに落胆し、次にボロボロの老人に対する酷い既視感に疑問を覚えた。
「お前、誰……いや……俺は、お前を、知って……?」
「中途半端に記憶が蘇ってるな……まあ、座れ。その様子だと走り回って疲労困憊ってとこだろう?」
ほら、と袖の破けた
現実には似つかわしくないその手に面食らいつつ、何故か言われた通りにベンチに座る。
改めて隣から、至近距離でその老人を見ていると、既視感はどんどん強まった。
「お前は……かつての俺の、知り合いか?」
正体を探るために、最も正当性が高い質問を投げかける。
すると、老人はギシリと軋むような音を立てながら微笑を浮かべた。
「なるほど、断片的に思い出してはいるようだな。それなら〝とっておき〟で簡単に再生できるだろう」
何を、と聞く前に、老人が俺の顔に左手を翳す。
額に置かれた五本の冷たい黒指に困惑している間に、そいつは一言。
「《概念特化:魂魄》、〝回帰覚醒〟──取り戻せ。お前という人間の、南雲ハジメの、全てを」
「──ガッ!!?」
老人の目が、その手が、赤く鮮烈な輝きを放った瞬間。
俺の中に、俺という存在の全てをひっくり返す衝撃が駆け巡った。
そして思い出される、かつての記憶。
教室。召喚。異世界。
約束。迷宮。裏切り。
喪失。変貌。新生。
出会いと再会、死闘の末に知った邪神の真実。
帰る手立てと、神を殺す力を探し求めた旅。
大迷宮の攻略。数々の戦い。クラスメイト達との邂逅。
魔王の罠。神の降臨。裏切りと作戦。
ただ一人の為の大いなる戦いと──届かなかった、この手。
そして。
その全てを共に乗り越えた、愛する人達の、仲間達の記憶と。
何もかもを賭けてでも取り戻したかった、あいつの名前を。
俺は、取り戻した。
「……………………ハ」
何もかもを取り戻し、最初に口から漏れたのは小さな笑い。
ああ、俺は。
こんなに大切なことを忘れて、のうのうと新しい世界を生きていたのか。
俺が
前髪がはらりと元の位置に戻り……枯れ果てたような、白い髪が視界に映り込んだ。
「思い出したようだな」
「──ああ。おかげで何もかもな」
一度目線を合わせ、その後に自分の体を見下ろす。
戻っている。姿形は半端にそのままだった体に、あの世界で手にした力が。
試しに魔力を通わせながら左手を握れば、バチリと赤い稲妻が迸った。
「気分はどうだ?」
「これ以上ないほど解放された気分で……人生で一番、最悪の気分だ」
あいつがいない世界で、あいつが欠けた幸福を享受し、それを知りもしないで生きていた。
そのことに対する、自分へのどうしようもないほど激しい怒りと憎しみ、それを自覚できた喜びで、俺の心は嵐のようで。
せいぜい良いことといえば、失った腕と目が戻ったくらいではないか。
「……今回ばかりは、素直に礼を言わせてもらう。お前がいなけりゃ、俺は阿呆みたいに幻を追っかけてるだけで終わってた」
「それを言う相手は、別にいるだろう?」
我ながら珍しくストレートに感謝を伝えたら、奴は不敵に微笑んだ。
そうして掲げられた右手にあるもの──大きな白いパネルを見て、俺は目を見開く。
「それは、パンドラボックスの?」
「ホワイトパネル。この世界を作った力の一部であり、数少ないあいつの残滓でもある」
それのようにな、と目線を向けられたのは、ずっと握りしめていたあいつの帽子。
なるほどと納得する傍らで、最後に譲られたこれが残っていたことに何とも皮肉さを感じた。
「これを使って、何をするかはわかるな?」
「……ああ」
差し出されたホワイトパネルを受け取り、一つ頷く。
手を下ろした奴は笑み、俺に告げた。
「さあ、実験を始めよう」
●◯●
同時に立ち上がると、ベンチから少し離れて片膝をつく。
地面の上にパネルを置き、そこに手を置こうとすると、先に異形の赤い左手が置かれた。
驚いて見れば、奴は挑戦的な笑みを向けてくるのだ。
「準備はいいか?」
「──当然!」
大声で答え、俺は思い切り振り上げた手を奴のそれに重ね合わせた。
接触した瞬間、カッ! とパネルから光が爆ぜる。
眩いその発光に目を細めながらも、しっかりと注視する。
「このままやるぞ!」
「ああっ!」
爪を立てるような勢いで、輝くパネルとの繋がりを意識する。
重ねた腕の手首をもう一方で握り、全身全霊をかけ、
そうして、少しずつ、少しずつ引き摺り出したのは──色とりどりのパネルで作られた、禁断の箱。
一度姿を現すと、後は簡単に引き出すことができた。
「ふぅ……よし、まずは成功だ」
「ああ、思ったよりも楽勝──ッ!?」
言葉を返そうとした途端、異変が起こる。
表面を青い稲妻が走っていたボックスが、一拍置いて黄金の光を文字通り爆発させたのだ。
物理的衝撃を伴うそれに、体を軽く押されて反射的に顔を庇う。
「くっ、これは!?」
「っと……安心しろ、害はない。ただ、秘められていたものが解き放たれただけだ」
恐る恐る手をどかし、その光を見る。
パンドラボックスから放出された未知のエネルギーは、波となって広がっていた。
それは俺や奴の体を通り抜け、さらに外へ、さらに遠くへと届いていく。
何度も何度も、まるでこの星を塗り替えていくように、眩い光が波及した。
その数が五回を超えようかという頃に、ようやく光が収まり始める。
脈動していた黄金が消えていき、程なくして完全に沈黙した。
「……一体、何が解き放たれたんだ?」
「このボックスにまつわる事実だよ。記録と言い換えてもいい」
「つまり旧世界の情報が、この世界に解放されたってことか……それなら」
もしかしたら、ユエ達の旧世界での記憶も戻るかも。
そんな俺の考えはお見通しなのだろう、奴が勝手に話し出す。
「少なくとも、旧世界でパンドラボックスから生成したネビュラガスを投与された人間は、確実に記憶を取り戻すだろうな」
「そうか……」
つまり、あいつにガスを投与されていた美空、香織、雫、坂上あたりは確定ということ。
ああ、こっちの世界で
「しかし、そうでない人間にまで影響は及ばない」
「そうなると混乱が起こりそうだな……ユエやシア、ティオとかはネビュラガスを体に入れてない」
これでは記憶を取り戻した奴らと、そうでない奴らが生まれてしまう。
全員が記憶を思い出すより、もっと大きな混乱が起こるだろう。
「なあ、さっき俺にやったみたいにあいつらも」
『まあ待て、そう急ぐなよハジメ』
あのトンデモ魔法でどうにかできないか、と聞こうとして。
脳裏に響いた、はっきりとした声に反射的に言葉を止めてしまった。
「どうやら、お目覚めらしいな」
「……ああ」
ゆっくり、自分の体を見下ろす。
すると見計らったように、赤黒いスライム状のものが体の内側から滲み出るように現れた。
二本、三本と数を増やしていったそれは俺の体から離れていき、一つになると形を成す。
『んー、っはぁ。ようやく自分の肉体を構築できるようになった』
そいつは、まるで熟睡した後のように伸びをしながらそんなことを言う。
両腕を下ろすと、こちらに振り向いて。
『お前の中はそこそこ居心地が良かったぜ、ハジメ?』
宇宙服のような赤いスーツ、胸に強調されたコブラの意匠、その飾りと同じ色のバイザーに煙突のような角。
完全に記憶を蘇らせた今、その異形じみた姿をしたものが誰であるのか、俺はわかっていた。
「ちゃんと蘇ってくれたようで何よりだよ、エボルト」
『おかげ様で完全復活だ。俺一人じゃあ少なくとも、あと数日はかかったから、助かったよ』
いつもの調子で喋るエボルトに、自然と笑みが零れる。
「こんなことを聞くのは野暮だろうが、いつから俺の中にいた?」
『お前と雫が【神域】から放り出される直前さ。俺もあいつからレッドカードを貰ってね。新世界に改変される前に、お前の中に潜り込んで難を逃れたのさ』
「抜け目ないやつだな……」
生への執念が凄まじいことは知っていたが、まさかシェルターにされているとは思わなかった。
パンドラボックスをわざわざ復活させて、こいつを呼び覚ましたが……本当に一人で復活しそうだったな。
『地上に残ってた半分は、新世界創造の時に自動的にエネルギーにされちまったからな。お前が最後の砦だったわけだ』
「役に立ったようで良かったよ……それで」
感傷に浸っていた意識を切り替え、目を細める。
エボルトも察したのだろう、自然と纏う雰囲気を変えた。
「教えろ。何があった? この世界は何だ? あいつは何をしたんだ?」
俺は、あいつがやろうとしていたことを何も知らなかった。
あいつの苦悩も、決意も、信念も、その髄まで理解し尽くすことができていなかった。
わかってる、今更遅すぎることなんて。
それでも俺は、知りたいのだ。
「あいつが創られた時から片時も離れず、一緒にいたお前なら、その最後も知ってるはずだ。だから頼む──俺に、あいつを教えてくれ」
『……いいだろう。だが、あと一人役者が揃ってない』
「何?」
誰が、と思った、その時。
「待ってっ!」
背後から聞こえてきた声に、弾かれたように振り返ると。
「はぁっ、はぁっ…………その、話……私にも、聞かせてちょうだい……!」
「……雫?」
息を荒げながらも、強い眼光でこちらを見据える……かつての戦友がいた。
読んでいただき、ありがとうございます。