道化の弱み 前編
──それはシュウジを取り戻した日のこと。
存分に再会の喜びを分ち合った俺達は、一本の電話によって新たな進展を迎えた。
そう──店に残った遠藤からの、「なんかやべえおっさんと女の人達が来てる」という連絡で。
肉体的ブランクがあるとはいえ、遠藤ならば一般人程度取り押さえられるはずだが……
兎にも角にも来てくれという切羽詰まった声に、店まで戻ってきた。
が。
「………………」
ナシタの扉に手をかけたまま、3分。
微動だにしなくなったシュウジに、俺はユエ達と顔を見合わせ、溜息を吐く。
他の面々とも目線を交わらせれば、代表して話しかけてくれと言わんばかりに頷かれる。
はぁ……仕方がないか。
「おいシュウジ、いい加減中に入れ。じゃないと事態がわからん」
ビックンと飛び跳ねるシュウジの肩。
まるで今現実逃避から戻ってきましたと言わんばかりのオーバーリアクションを決め、こちらに振り返る。
錆びた蛇口の如き動きで首を回し……見たこともないような引き攣った顔で笑った。
あんなことがあった後なので、自然と不安が湧き上がってくる。
「ど、どうしたその顔? まるでこれから名状し難い何かに合うような顔だぞ?」
「……ハジメ、俺、すっごく嫌な予感がする。だってほら、こんなに胃がキリキリ言ってるもの」
腹を押さえ、そこにある痛みを塗り替えようというのか指を食い込ませている。
こいつがここまで拒否るとか何が待ち受けてんだよ……ハッ!?
「ま、まさか新世界になったことで、あの
「いや違う、そこまで強い気配は感じない。むしろ感じたら中の奴らを救出して一回ナシタごと宇宙に放り出す」
「二人とも言い過ぎだろう……クリスタベル殿は善人だったではないか」
ルイネは呆れているが、そうじゃない。おそらく奴らの真の恐ろしさは男にしかわからない。
シュウジと二人揃って、あのガチムチ筋肉怪人を思い出して震えていると、嘆息が一つ。
その主はシュウジに歩み寄り、扉の手すりにかかっている右手をそっと包み込む。
「雫……」
「大丈夫よ、シュー。みんなここにいるわ。恐れることなんて何もない……そうでしょう?」
振り返り、一同を見渡す雫。
共にあの戦いをくぐり抜けた戦友からの信頼に、俺達の回答は勿論力強い首肯だ。
ニコリと微笑んだ雫はシュウジに向き直り、「ね?」と主張する。
「……ああ、そうだな。お前らと一緒にいて、できないことなんてないよな」
今すぐ公園に戻りたそうな顔をしていたシュウジが、徐々に緊張を解いていく。
やがて、あのニヒルな笑みを浮かべると無言で伝えてきた。もう大丈夫だと。
俺達が笑い返し、シュウジは雫の頬をひと撫でした後に扉へと向き直る。
そして、万感の覚悟を決めたような表情で扉を押し開き──
「息子はどこにいるのですかぁああああぁああぁあああああッッッ!!?」
パタン、と閉められた。
沈黙が広がる。一瞬前まで良い雰囲気に包まれていた場が瞬間凍結の如く凍りついた為に。
合わせるように、俺の顔はひくひくと引き攣っている。多分他の全員もひくひくしてる。
だっていたんだもの。先生の肩をがっしり掴んだ、筋肉がスーツを着たようなバケモンが。
「…………やっぱり収束してんじゃん、旧世界の要素」
「キンニクコワイ」
「「ハジメ(くん)っ!?」」
どうやら知らないうちにSAN値が低下していたらしく、美空達の魂魄魔法で回復された。
正気に戻ったところで、困ったように互いの表情を伺う。
「ん……それで、愛子に掴みかかっていたあれは誰?」
「息子、って言ってたよ……ね?」
「じゃあ、この中の誰かのお父さんですかぁ?」
「ふむ、となると可能性が高いのは……」
自然と一人に向けられる視線。
あっという間に注目を集めた当の本人──坂上は、ブンブンと全力で首を左右に振った。
「いやいやいやいやっ、俺の親父じゃねえよっ」
「うん、龍っちの親御さんには会った事あるけど、あんなに大きくなかったよ」
「むむ、当たっていると思ったのじゃが」
「でも、それじゃあいったい誰の親なんだ? そもそも、ここにいる人間の親なのか?」
「それを言ってしまえば答えは迷宮入りですわね……」
口々にあのマッスルモンスターの正体を話し合う俺達。
そんな中、さっきのように扉の前で石像と化したシュウジにトコトコとリベルが近づいた。
一番近くにいた俺と雫がそれを目線で追うと、父の袖を引き、自分に顔を向けさせた少女は一言。
「パパ、もしかしてあの人のこと知ってるの?」
「…………うん、知ってる。よーく知ってる」
途端、ざわついていた空気が先ほどの焼き直しのように沈黙していく。
意見を交わしていた面々が、流れるような動きで苦笑をリベルに向けているシュウジに戻っていき。
するとシュウジは、俺と美空……それに雫の顔を順々に見てから、重々しく言った。
「まだ記憶が戻った直後だから、お前らも忘れてるのかもな」
「え……」
「シュー、それってどういう……」
「…………あっ」
その言葉に、ふと引っかかるものを覚えた俺が声を漏らすのと同時に。
意を決したような表情で、シュウジがもう一度扉を開き──また冒涜的な光景が露わになった。
「畑山先生っ、どうかお答えを! 息子は、息子は何処にぃいいいいぃいいい!!」
「お、落ち着いてください! そのうち帰ってきますから!」
そこにはやはり、視覚の縮尺を間違っているのではないかという、筋肉の具現のような巨漢がいる。
簡単にその小さな肩を握り潰せそうな手にガックンガックンと揺さぶられ、先生は青い顔をしていた。
ゾウに食われるアリを彷彿とさせる事態は、なるほど遠藤がSOSを出すのも頷ける。
「うぅっ…………あの子は、あの子はどこにっ……!」
それと、先程は一瞬で気がつかなかった筋肉超人以外の第三者がいた。
一人は巨漢の隣で口元を覆い、静かに嗚咽している妙齢の美女。
雫よりも高いすらりとした長身に、膝裏に届きそうな、照明に反射して仄かに
シックな服装と相まって、普段は大人の色香漂う美人なのだろうと思わせる。
「ふぇえええぇっ、お兄ちゃぁあああぁああん!」
そんでもう一人は、子供のように泣き叫んでいる大学生らしき女。
薄く紫がかった黒髪をサイドで纏め、カジュアルな私服に身を包み、顔立ちも女性と同じく整っている。
が、涙と鼻水で、それはもう台無しだ。
叫ぶキン肉○ン、泣き腫らす二人の美女。
混沌極まるその光景に、店の端っこに集まったレミア達が困惑している。
あれっ、そういえば遠藤がどこにも……
「来てくれたか南雲っ! 北野もちゃんと帰ってきたんだな!」
「はろはろ〜遠藤。思い出してくれて嬉しいよ」
「うわっ!? 遠藤お前、いつの間に隣に!?」
「普通に壁沿いに来たよちくしょうっ! それよりあれ、どうにかしてくれ!」
俺にはどうにもならん! と訴えてくる遠藤に、俺は今一度筋肉の人を見る。
「ずっとっ……ずっとっ、あいつのことを忘れてたんですっ!」
すると、事態に変化が起こった。
まるで仕組まれていたように始まった男の言葉に、困惑一辺倒だった空気が別のものになる。
「忘れるはずがないっ、自分の大切な息子のことをっ! それなのに何故か、ずっと自分も、家族も忘れていてっ! ついさっき、ふと突然思い出したのですっ!」
「それは……」
「馬鹿なことを言っとるのは分かってるんです! それでも、まるで
今度こそ、誰かが驚愕の声を漏らして。
顔を振り上げた、獅子の雄叫びのごとき絶叫にさらなる衝撃を受けたのだ。
「お前は今どこにいるのだ、
……驚いた。心底から。
同時に、納得もした。
俺達は知っている。理解できてしまう。その言葉がどういった現象によるものなのかを。
もう一人の俺は、アーティファクトによってシュウジの情報がこの世界に
それは単に蘇るということではなく──この新世界の歴史に、再びあいつが生きた16年が付加されたのではないか?
カムやハウリアども、竜人族がそうなったように、最初から存在したことになったのではないか?
だとするならば、シュウジの家族……旧世界で彼を生み、育てた人間にもその軌跡が戻るはずで。
事ここに至ってようやく思い出した、よく知るあの人達も、俺のようにその齟齬に気がついたのだとしたら。
「……なんだろうなー、この感じたことのない気持ち」
シュウジは、なんだかすごく困ったような、自嘲気味な苦笑を浮かべ。
それでもどこか嬉しそうに、三人組に歩み寄っていった。
「あー、えーと。父さん?」
それを聞いた途端、叫び散らしていた筋肉の人はグリン! と一瞬で体ごと振り返った。
その顔は体格に相応しく獅子のごときものであり、野性的なイケメンともみれるが……今はライオンみたい。
ひっ、という誰かの悲鳴が漏れる中、シュウジのことを凝視していた筋肉の人がくわっ! と開眼する。
すわっ次の獲物と定めたかっ、と身構えた瞬間、ガッシィイイ! と聞こえてきそうな勢いでシュウジの肩に手を移動させる。
店そのものが揺れた気がした。
「んぐふっ」
「シュウジぃッ!! お前っ、一体今までどこにいたぁあああっ!」
「か、肩の骨にヒビ入った……えっと、ただいまって言えばいいのか?」
間近で吠えられたシュウジは、なんかシャレにならない事ぼやきつつも答える。
その声を聞いて、顔を見て。
獅子のような男も、呆然としていた女性達も、驚きに体を震わせた。
「本当に、本当にお前なのか、シュウジ……?」
「さっき俺のこと見て思いっきり名前呼んでたじゃん。正真正銘俺だよ、父さん」
俺達といる時とはまた違った、柔らかい笑い方。
気を許している相手へのそれではなく、気を緩ませていいと思っている人間に向ける顔。
俺や美空はその顔を知っている。
無条件に信頼する、血の繋がった家族への接し方……幼馴染だから、何年も見てきた。
北野
紛れもない……シュウジの両親と、妹。
「母さんと善子も。ただいま」
何やら俯いて震えている……食いかかるのを堪えてるようにしか見えない……剛さんから視線を外す。
そしてシュウジは、震えている桔梗さん達へと笑顔を向けた。
恐る恐る、壊れ物に触れるかのように桔梗さんが手を伸ばし、あいつの頬に触れる。
しばらくそのままに……やがて確信を得たのか、両手を広げてシュウジを抱擁したのだ。
「シューちゃん、ああっ、本当に……本当に、シューちゃんなのね……!」
「おう、心配かけてごめんな」
「……お兄ちゃん、なの?」
「三度目の正直だぜ、善子。兄ちゃん待望のカムバックだ」
剛さんに縫いとめられ、桔梗さんに抱きつかれ。
動けなくなっているシュウジが手を差し伸べると……ぐっと目元を歪めた善子ちゃんは、飛びつくように腕ごと抱いた。
「ばかっ、ばか兄貴っ、なんで、どうして、なんでぇっ……!」
「おー、よしよし。お前昔っから泣き虫だよなあ」
「うぅっ、うぇぇえっ、ぇええぇえん……!」
座っても立っても、結局泣いているじゃないかと善子ちゃんに笑いながら。
「あー……やっぱりむず痒いわ、こういう気持ち」
そんなことを、ぽつりと呟いた。