一話完結なので、気軽にお楽しみを。
畑山愛子の憂鬱
まばらに生えた雑草。古びた石垣、若干歪んだ物干し竿。
何故か子供の頃から転がっている錆びたドラム缶に、石垣にもたれている壊れかけの自転車。
それらを見下ろすのは抜けるような青空で、彩るのはセミの鳴き声と風鈴の涼やかな音。
その中で空を縁側から見上げているのは、私。
「変わらないなぁ、ここは」
思わず呟くと、喉が渇いてることに気がつく。
両手に握っていたコップから麦茶を煽り、額を伝う汗を傍らに置いたタオルで拭う。
一定の間隔で繰り返している動作を終えて、また私は空を見上げてぼんやりとした。
《呆ケテイルナ》
ふと、地鳴りのような声が脳裏に響く。
同時に体から何かがにじみ出て、私の顔のすぐそばで形を成すのをじっと待つ。
ほどなくして出来上がったのは……旧世界で私と最後まで戦ってくれた、ヴェノムさんだった。
「ソンナニ暇ソウナラ、誰カ悪人デモ喰イニイクゾ」
「いきませんよ。ていうかここ、私の故郷ですから。滅多に極悪人なんていません」
のんびりとした目の前の光景を見ながら、私はすげなく答える。
〝彼〟が帰ってきてから、一年と少し。
あの奇跡の日から私も
その最大たるものといえば、清水幸利くんとの関係だろう。
旧世界で私に教師になりたいと、そう相談してくれた彼とは新世界で別の関係を築き、けれど同じように教職を目指してくれた。
そんな彼は、つい最近正式に教師となってとある学校に配属されたのだ。
教え子の成長に喜んだのも束の間、〝彼〟の周りもようやく落ち着いた。
大きな荷物を二つ下ろしたように気の抜けた私は、ちょうど夏休みだからと帰省したのである。
「そもそも、私は人として、教師として、誰かを食い殺すつもりは二度とありません。ちゃんと美味しい物やチョコレートはたくさんあげてるんですから、それで我慢してください」
「ナンダ、ツマラン」
あの世界でしたことは消えないけれども、この新しい世界ではその罪悪を抱えながら真っ当に生きようと思った。
それは、このマリスさんの悪意から生まれたヴェノムさんには退屈だろうけど。
ブツブツと文句を言いつつも私と一緒にいてくれるあたり、彼は憎めない。
「ジャア、アノ丸イヤツヲ丸齧リシヨウ。アマクテチョコレートミタイニ美味イヤツダ」
「ああ、スイカのことですか? そういえば前に作農師の力で改造してみましたね〜」
記憶が蘇ったことで、トータスで獲得した特別な力も取り戻していた。
それで少し前にスイカを買ってきて、魔法で改造したらヴェノムさんがやたらと気に入ったのだ。
「ココノスイカハモット美味ソウダ」
「もともと果物農家ですからね、畑山家は」
私は都会に出たけれど、家族は今も農家を営んでいる。
両親と母方の祖父母がこの家には住んでいて、私もどうせ来たならと手伝っている。
帰ってきた初日、ちょこっとバレない程度に農作物と土地に魔法をかけたのは内緒だ。
「そうですねぇ。こちらに帰ってきてからヴェノムさんにはじっとしてもらってますし、一つとびきり甘くしてみましょうか」
「ソウカ! ジャアサッサトイクゾ!」
「はいはい」
麦茶を飲み干し、よっこいしょと立ち上がる。
そして踵を返すと──そこには私とヴェノムさんを見て固まっている女性が一人。
私のお母さんこと、畑山照子。
娘と、その娘の背中から伸びている凶悪な黒い顔に、お母さんは──
「わ、びっくりしたわね。ヴェノムさん外に出てたの」
特に仰天することもなく、すぐになんでもないようなリアクションを取った。
そりゃあ帰省初日の夕食の席で、いきなり出てきてお皿ひとつ丸ごと飲み込んだら慣れもするよね。
既に事情を説明してあるとはいえ、順応早いなぁと思いつつ頷く。
「うん。お母さんはどうしたの?」
「スイカ食べちゃおうと思ってね。愛子とヴェノムさんも食べる?」
「丸齧リダ!」
「お母さんも食べるんだから、半分にしておいてください」
「チッ」
「はいはい、じゃあ切ってきちゃうわね」
台所へ向かうお母さんに、私も縁側から家の中に入っていく。
少し古い扇風機を付け、蒸し暑い部屋を冷やして待つことしばし。
お母さんは綺麗な三角形に切り分けたスイカが乗ったお皿を二つと、半玉丸ごと持ってきた。
「はい、持ってきなさい」
「ありがと」
「愛子、早クシロ」
「わかりましたって」
自分とお母さんの分をテーブルに置いて、半球を両手に抱える。
その状態のまま、ヨダレを垂らすヴェノムさんに見られながら魔力を解放した。
「〝糖度調整〟、〝栄養調整〟」
体内で魔法陣を描き、無詠唱で魔法を使う。
マリスさんの力とトータスの魔法を組み合わせて、ただのスイカを砂糖菓子のように甘くした。
程なくして、腕から伝っていた緑光が消える。
見た目こそ何も変わっていないが、しっかり甘くなったはずだ。
「はい、できましたよ」
「ヨクヤッタ!」
「こうして見ると、見た目は怖いのにあんまり怖くないのねぇ」
今は抑えてくれてるからね、なんて心の中でお母さんに答えつつ。
半玉をテーブルに置いて、私とお母さんも座ると食べ始める。
「んん〜、美味しい!」
キンキンに冷えていて、瑞々しいスイカ。
それは魔法で改造などせずとも、とても優しくて甘い味。思わず変な声が出てしまう。
「……こうしてると、あんた本当に変わらないわねぇ」
「いきなり何、お母さん」
「いやね。都会に出て先生になって、色々と経験して少しは大人っぽくなったと思ってたんだけど。そうして純粋な顔を見ると、ね」
「……変なのも引っ付けてきちゃったしね」
「ガブガブ」
一心不乱にスイカを咀嚼するヴェノムさんに、私は若干引き攣った声で呟く。
目に見えるものは彼だけだと思っていたけど、お母さんの口ぶりを聞くに私自身も少し変わったらしい。
旧世界での記憶、そこから得た経験が、私にこの幼い見た目以上の何かを──
「これで、彼氏の一人でも連れて帰ってくれればよかったんだけどねぇ」
「かふっ」
母の言葉が心臓に突き刺さる。
畑山愛子、29歳。いまだに独身どころか彼氏の一人もできやしない。
記憶が戻る以前は勿論のこと、この見た目で寄り付く男は無し。
旧世界の思い出が戻った後は、雰囲気が変わったのか少しそういうのもあった。
が、一緒に蘇ったヴェノムさんが最悪のセ◯ム状態。
アラサーに余裕で突入した私に実の母親からのその言葉は、実際の刃より深く突き刺さってきた。
「誰か居なかったのかい? いい人がさ」
「せ、生徒はみんな良い子だったんだけどなー」
同じくらい手がかかる子ばっかりだったけど。だったけど!
「それは教師としてでしょ。あんた、そろそろ相手見つけないと子供とか……」
「うう、わかってるけどぉ」
逃げるように、またヴェノムさんを見る。
「ン? ナンダ、ヤランゾ」
口周りをスイカのタネと汁でベトベトにした魔法生物に、深い深いため息を吐く。
さっきまでとても心配そうにしていたお母さんも、かなり苦い顔で笑った。
「大変ね、あんたも」
「……私だってそういう気はあるのに」
いや、本当に。
南雲くんは石動さん達と仲睦まじいし、〝彼〟も八重樫さんやルイネさんと上手くやってるらしい。
天之河くんは御堂さん、坂上くんは谷口さんと。
遠藤くんでさえ色々と……それなのに私ときたら。
「そういえば、今年もお祭りやるわよ。せっかくだし、浴衣にでも着替えて気分転換に行ってらっしゃい」
「あぁ、そんな時期なんだ。そうだね、行ってこようかな」
「ちなみに山城のおじいさん、まだ綿飴屋やってるわよ」
「え、まだ生きてたの」
「あんた失礼ね」
「だって、もう百歳超えてるはずだったよね? まだ縁日の屋台できるの? 綿飴作りながら昇天しちゃわない?」
「今年で百六歳だけど、ピンピンしてるわよ。あと三十年は生きるって息巻いてるわね」
「妖怪にならないよね、山城のおじいさん」
案外、魔法などなくとも人というのは頑丈なのかもしれない。
●◯●
部屋のタンスで肥やしになっていた浴衣を引っ張り出して、久々に着た。
中学時代に買った桜色の浴衣は悲しいほどフィットして、巾着を携え玄関へと向かう。
「それじゃあ行ってくるね」
「一人で大丈夫?」
足にはめるように草履を履いて、心配そうにするお母さんに振り向く。
タイミングを見計らったように、肩からヴェノムさんがにじみ出てきた。
「大丈夫、ボディーガードがいるから」
「任セロ、愛子ノ母親。コイツハ私ノ大事ナ宿主ダ」
「それなら良いけど……気をつけなさいよ。田舎だからってバカがいないわけじゃあないんだからね。特に祭りの日は羽目を外しすぎる人もいるから」
「ホウ、イイコトヲ聞イタ」
「期待しないの。まあ、適当にぶらぶらしてくるだけだし。……それにこんな三十路の童顔女、誰も声かけないよ」
へっ、と少し卑屈な笑いが漏れる。
最近こういうのが癖になってきてしまってる。気をつけないと。
「あっちにはお父さん達もいるし、みんな顔知ってるから変なことはないと思うよ」
「そう……なんなら太一くんでも呼ぶかい? 外じゃあヴェノムさんは出れないでしょう」
「あー……いいよ、別に」
幼稚園から高校まで共にいた、幼馴染の青年を思い出してかぶりを振る。
私と同じく都会に出て企業に就職し、同様に帰省している彼とは先日も会った。
でも、うん……会わないほうがいいと思う。主に私の背中から顔を出してるモノ的に。
「そう? 太一くんなら嬉々として飛んできそうだけど」
「危ないから遠慮しとく。太一くんが」
「……そうね」
お母さんが納得してしまった。
また苦笑を作りながら、「いってきます」と引き戸を開けて、夕日に包まれたオレンジの世界に踏み出した。
ゆったりと、田舎道を歩いていく。
既に日はだいぶ落ちていて、やや闇色に染まった空には星々が輝いていた。
「綺麗ですねぇ」
《フン、食エナイ星ナド鬱陶シイダケダ》
「またそんなことを言って。ていうか、それに興味がないなら私の恋愛事情にも興味なくしてくださいよ。来る人みんなあなたが食べようとして、無理やり遠ざける私の身にもなってください」
《ドウニモ気ニイランヤツバカリデナ》
「どうしてそう言い切れるんです?」
《合法ロリ、トイウノダロウ? オ前ハ。ソレデ狙ウ輩バカリダロウ》
「なんてこと言うんですか」
人が気にしてることを遠慮なしに!
そりゃあ確かに、魔力が復活してから妙に若々しいけど! 全く老けないけど!
元から童顔のせいで、時々居酒屋で年齢確認されるけど! 私はもう29……がふっ。
「じ、自分で考えて傷つきました……ヴェノムさんのせいです」
《自業自得ダロウガ》
これは起訴も辞さない。訴えを届け出る先がないけど。
「〝愛〟? 何ぶつぶつ言ってるんだ?」
「ん?」
ふと、前から聞こえた声に視線を上げる。
道のすぐ先に、浴衣を着た背の高い、体格の良い青年が待っていた。
見覚えのある顔だ。というかつい数日前に、偶然バス停で見た顔だ。
「太一くん。どうしたの、こんなところで」
「あ〜、俺も縁日行くことにしてさ。で、愛も来るって聞いたから。こういう日は馬鹿な奴も出るし、さ」
「待っててくれたんだ。わざわざありがとう」
兄妹のように思っている青年に、なんだかほっこりしてお礼を言う。
古川太一。家を出るときにも話題に出ていた私の幼馴染。
微笑みながら言ったけれど、隣り合って歩き出した太一くんは何故か顔を背けて口元を覆う。
あれ、どうしたのかな。
「そ、そういえば浴衣似合ってるな」
「ん? ああ。久しぶりだし、できるだけ雰囲気作ろうと思ってね」
「そっか……その、本当に似合ってる」
「ありがとう」
主観的には、中学時代のものをまだ着れることに若干の抵抗があったのだけど。
兄みたいな相手にこう言われると、ちょっとだけ素直に受け止められる気がした。
「はぁ……」
《オ前モ大概ダナ》
? 何がです?
ヴェノムさんの言葉はよく分からなかったけれど、それから太一くんと二人で向かった。
日が落ち切る頃には、縁日の賑やかさと人混みの中に入り込む。
祭りを楽しむ最中、色々ななことがあった。
昔から知っている老夫婦に、太一くんといるところを揶揄われたり(きっぱり否定したけれど)。
子連れの同級生に遭遇して、愛子も結婚したら〜? と冗談混じりに言われて突き刺さったり。
地元の青年団になった顔馴染み達とも会って、その時何故か太一くんが囲まれて話をされていたりした。
「本当に変わらないなぁ」
《愛子、マタチョコバナナヲ買エ。アレガ美味イ》
もう六本目でしょうが。貴方が食べると多少私にフィードバックするんですよ。
三十手前の、特に運動していない女の腹がどうなるかなんて容易に想像できる。
ブルリと震え、太一くんに不思議そうな目で見られつつも屋台の間を歩いていく。
「あ、そういえば山城のじいさんの屋台ここへんじゃないか?」
「そうだね。元気にしてるっていうし、どうせなら買って──?」
ふと、足を止めた。
いつも山城のおじいさんが屋台を出している、縁日の一角。
そこではミケランジェロ像を綿菓子で作っている老人の姿に、ちょっとした人だかりができていて。
「おー、すげー……あっちの世界でもあんな変態技術見たことねえ」
興味深げにその光景を見る一人に、この街の人間ではない顔見知りがいた。
「清水くん?」
思わず名前を呼ぶ。
すると、りんご飴を片手に山城のおじいさんを見ていたその青年は一瞬動きを止めた。
それからこちらに振り返ると、その顔に驚きを浮かべて。
「先生?」
彼は──清水幸利くんは、私のことを先生と呼んだ。
「あれ、なんでこんなとこに先生が?」
「そ、それはこちらのセリフです。清水くんこそ、こんな田舎にどうして?」
「ひとり旅っす。とりあえず赴任した学校も一学期が終わってひと段落ついて、ちょっと夏休みもらえたんで息抜きに」
まだ新任だからこんな暇あるんですけどねー、なんて冗談めかして笑う清水くん。
清潔感のあるさっぱりとした髪型や隈のない目元に、その柔和な笑い方はよく似合う。
昔よりずっと明るくなった教え子は、少し考えた後にそうか、と何かを納得した。
「なんとなくこっち方面の電車乗ったんだけど、そういえば前に先生に故郷の話聞いたっすよね。その時のことをぼんやり思い浮かべたのかもしれないです」
「そういうことだったんですね。でしたら、夏祭りがやっていて丁度良かったですね」
「ですね。のんびり風景眺めてるのもいいけど……っと」
そこで、彼は私の隣のあたりを見て言葉を止めた。
一瞬不思議に思ったが、そういえば太一くんが一緒だったことを思い出す。
教え子に故郷で出会った驚きで放置してしまった彼を見上げると、なんだか安心したような、少し警戒しているような顔をしていた。
不思議な顔だけど、どうしたのだろう。
「あー、すいません。デート中でしたか。邪魔しちゃったっすね」
「いえ、デートじゃないので気にしないでください。久しぶりに会って、一緒に回っていただけなので」
「がふっ」
「……先生エゲツねぇな」
「?」
なんで清水くんはちょっと引いてるのかしら。太一くんは胸を押さえてるし。
「えっと。どっちにしろここにいるのもアレなんで、失礼します」
「あら、どうせなら一緒に回ればいいのに」
「かはっ」
「た、太一くん?」
いきなり膝をついてどうしたの? どこか悪いの?
「……改めて聞きますけど、その人先生の彼氏とかじゃないんですよね?」
「いえ? ただの幼馴染です」
「ごっは!!」
「太一くん!?」
両手を地面についてしまった!? 実は体調が悪かったの!?
●◯●
「お、俺、同級生探してくる……」
そう言って、太一くんはふらふらとどこかへ行ってしまった。
何故か元気の無くなってしまった後ろ姿を、不思議に思いながら見送る。
「……どうしたのでしょう?」
「せ、先生さぁ……なんていうか、無慈悲だな」
「んなっ! なるべく生徒に寄り添う優しい先生を心がけてますよ、私!」
「違う、そういうことじゃない」
も、ものすごく呆れた顔で首を横に振られてしまいました。
わけがわからずに身じろいだ時、ふと右足に鋭い痛みを覚えて顔を顰める。
「っつ……」
「ん、あれ。先生、草履擦れちゃってるじゃないすか」
《ム、本当カ。治シテヤロウカ?》
「いえ……でもちょうど休憩しようと思っていましたし」
「それなら付き添うよ。恩師一人ほっとくってのも、なんかアレだし」
「ありがとうございます、清水くん」
彼に随伴してもらい、近くの境内まで移動する。
縁側は誰もおらず、気兼ねすることなくそこへ腰掛けると草履の片方を脱いだ。
「うわ、結構皮が擦れてるな。消毒液あったっけ……」
「え、持ってるんですか?」
「まあ、なんかあった時に応急処置できるようにさ」
それは、旧世界の記憶を取り戻したからこその習慣なのか。
肩にかけていたバッグから消毒液とハンカチ、絆創膏を取り出した彼は手早く処置してくれる。
「手際がいいですね」
「遠藤がさー、医師目指して世界回ってるだろ。んで海外から帰ってきて、南雲とかと三人で一緒に飯食った時に色々教えてくれるんですよ」
はい、と言って彼は私の足から手を離す。
滲んでいた血が拭き取られ、清潔にされた傷口には絆創膏が張り付いている。
「あんまり体重前にかけなきゃ、草履履き直しても平気だと思います」
「……ありがとうございます、清水くん」
思わず、手を伸ばして彼の頭を撫でる。
以前より髪が短いせいか、触り心地が違う。
それでも、一瞬驚き、その後に照れ臭そうにしながらも払い除けないのは同じだ。
記憶を取り戻してから、時々こういったことをしてしまう。
かつての思い出を持つ彼は、幸いに私の手を拒むことはしない。
そう。彼にも元の世界の記憶がある。その上でなお彼は教職を目指し、南雲くん達とも交流を持っている。
そっぽを向く目の中には、かつてのような澱んだ色や自身のなさげな弱い意思はない。
すっかり立派になってしまったと、改めてそう安堵した。
「えっと、先生?」
「あっ、すみません。長すぎましたね」
「いや、別にいいんすけど……」
ぱっと手を引くと、ちょっとだけ空気が変になる。
原因が自分にあることはわかっているので、慌てて話題を変えることにした。
「そ、そういえば。さっきのエゲツないとか容赦ないとか、どういうことですか?」
「え、それ聞くの? マジで?」
「はい、できれば知っておきたいです」
「あー……」
なんだか変な顔をした清水くんは、説明を求める私になんとも言えない目を向けてくる。
それでもなお見つめていると、何かを思い悩むような仕草をしてしばらく黙り込んでしまった。
数分ほど経過したか。
深くため息を吐いた彼は、ようやくこちらを見た。
「えっと、ですね」
「はい」
「さっきのは……好意を寄せてた幼馴染に対して、随分バッサリといくんだなぁ、と。そういうことっす」
きょとんとする。
好意を寄せてた? 誰が? 太一くんが? 誰に?
よく分からずに首を傾げていると、清水くんは後頭部をかきながら言葉を続ける。
「要するに、あれっすよ。久々に会った幼馴染が大人っぽい雰囲気になってて、無意識に持ってた感情を自覚したのに、それを全然気付きすらしない相手に滅多切りにされたみたいな」
「えー、そんなことないですよ。太一くんはいい人ですけど、ただの幼馴染だし。弟のような兄のような、そんなものですよ」
確かに学生時代、思春期のあれこれで気まずくなっていた時期はある。
けれどそれも歳を重ねるにつれ解決して、帰省した時に顔を合わせたら雑談を交わすだけ。
だというのに、清水くんが私を見る目は冷めている。
「そういうとこだと思うよ、俺」
「えっ」
「ソウダナ。奴ハオ前ニ発情シテイタ。無視シテイルカラ、ソウイウコトダト思ッテイタゾ」
暗がりで誰もいないのをいいことに、ヴェノムさんまで顔を出して言ってくる。
えっ、待って、ちょっと待って。
じゃあ、本当に太一くんは私のことを……
「……お、思えば今日会った時から、何か態度がおかしかったような」
「フン、俺ニトヤカク言ッテイルクセニ気ガツカナイトハナ」
「そんな……」
「で、さっき先生が自分でトドメ刺したってわけ」
「えぇええっ」
わ、私はなんということをっ!
いや知ったからと言って太一くんとそうなるかと言われたら、疑問だけれども。
それでも、昔から親しかった相手の恋心を引き裂いてしまったという事実に罪悪感を覚える。
「うぅ……こんなだから結婚できないんでしょうか、私」
「まあアレだけでへこたれて逃げるくらいだし、その程度だったんじゃね」
俯いていた私に返された清水くんの言葉は、酷く冷たいように感じられた。
思わず顔を上げると、彼は縁日の方……太一くんがいるだろう方向を冷たい目で眺めている。
それは、旧世界のトータスで見た清水幸利によく似ているものだった。
「し、清水くん?」
「……俺さ、先生には最高に幸せになってほしいんだよ」
ぽつりと、教え子の口から呟かれた願い。
それは自分に向けたもので、自然と意識は話を聞く状態へと移っていく。
「元の世界じゃ、取り返しのつかないバカをした時に叱って、諭してくれて、命まで助けてくれた。この世界でもいろいろ世話焼いてもらって、おかげで教師になれた。あんたには一生かかっても返しきれない恩がある」
「そんな……それは全て、清水くんが自分で悩み、自分で考え、そして選んだことでしょう? 私は手助けをしただけで、この未来を掴んだのは清水くん自身ですよ」
「そうだ。その支えがなきゃ、俺は旧世界でのたれ死んで終わりだ。この世界でもきっとダメなやつのままだったと思う」
だからこそ、と清水くんはこちらを見下ろす。
学生時代より背も伸びて、旧世界の影響か少し体格も良い彼は真剣な目で私を見て。
その表情に、何故かドキリとする。
「あんたには、絶対幸せになってほしい。南雲達に負けないくらいさ。だから、あのくらいで引き下がるようなやつは……あんたの隣にはいてほしくない」
「清水、くん……」
「って、何言ってんだろうな俺。変な独り語りしちまった、忘れてくれ」
途端に恥ずかしげな誤魔化し笑いに戻る清水くんの表情。
一瞬前までの精悍な……〝男らしい〟表情ではないのに。
胸の動悸は、一向に治らない。
「フム? 貴様、ナカナカ言ウヨウニナッタナ」
「あっ、すんません! ちょっと調子乗りました! 食うのだけはご勘弁を!」
「イヤ、何モ言ッテナイガ」
見事な土下座への移行だった。ヴェノムさんの存在がトラウマになってるらしい。
ちょっと情けない姿に私もクスリと笑って、すると動悸も元に戻ってい……
「ソコマデ言ウノナラ、オ前ガ愛子ト番エバイイダロウ」
くぅううううううっ!?
「にゃにゃにゃにゃにを言ってるのですかあなたはぁっ!?」
「イイ加減ヤカマシイノデナ、コイツデ手ヲ打ッテオケ。コレマデノ凡愚ドモヨリハズットマシダ」
「いやいやいやいやいやいや!? それは恐れ多いってか、俺じゃ釣り合わないっつーかっ!」
「それは釣り合ってたら可能性があるってことですかっ!?」
「あんたも何言ってんだ!!?」
ヴェノムさんを挟み、清水くんと二人でぎゃぁぎゃぁと騒ぎ合う。
特大の爆弾は私の思考を滅茶苦茶にして、最終的に何を言ったのか覚えていないほどだった。
ただ、肩で息をする自分と清水くんの様子から分かったのは、かなり変なことを口走ったということだけだ。
「面倒ナ奴ラダ。マアイイ、俺ハ俺ノ気ニ食ワンヤツジャナイナラ、誰デモナ」
引っ掻き回すだけ引っ掻き回したヴェノムさんは、私の体の中に引っ込んだ。
後には気まずい二人だけが取り残され。私と清水くんは互いに顔を逸らす。
「……ヴェノムさんがすみませんでした」
「……いえ」
空気が重い。
こんなことになるなんて、本当にヴェノムさんは厄介だ。
どうすればいいの──そんなふうに考えていた時だ。
ぐぅ、と大きな音が清水くんのお腹から鳴ったのは。
「………………」
「あ、いや、すんませんっ。遊び系の屋台ばっか回ってて、ほとんどなんも食ってなくてっ!」
清水くんは慌てて弁明する。
……なんだか、毒気が抜かれてしまった。
「ふふっ」
「せ、先生?」
「ごめんなさい。でもなんかおかしくって」
「あー……その、すんません」
「なんで謝るんですか、ふふふふっ」
ああ、なんだか変に気を立たせていた。
ヴェノムさんのせいで動転してしまったけれど、なんのことはない。
清水くんは、私の教え子。彼は夢を叶えたばかりの男の子だ。
それ以外の認識は必要ない。もう卒業したとはいえ、彼は生徒なのだがら。
「そうだ。私の家族が手伝っている焼きそば屋さんがあるのですが、よかったら行きませんか?」
「いいんすか?」
「ええ勿論。どうせですし、私の自慢の生徒を家族に紹介したいです」
「そんな、自慢だなんて……」
元の雰囲気に戻しつつ、私は立ち上がる。
さあ、お父さん達に成長した教え子を見せに行こっ!?
「わわっ」
「先生っ!?」
小石か何かを、草履の裏で踏んでバランスを崩してしまう。
それは丁度擦ってしまった方の足で、揺れた体を支えることは痛みで困難だった。
ヴェノムさんが出てきてくれるか──そんなことを考えていた時だった。
「あっぶね!」
「っ!」
力強く、腰に手が回される。
それは傾いた私の体を軽々と支えて、じんわりと胸に広がった危機感は薄れた。
代わりとでも、言うように。
すぐ目と鼻の先には、思っていたよりも逞しい清水くんの胸板があった。
「先生、平気か? 足捻ってたりしてない?」
「………………」
「先生? おーい、先生ー?」
心臓が、痛い。
私が思っていたよりも、ずっと大人びていて、男らしくて。
もう30にもなるというのに、なんで、こんなに。
…………ただの生徒、よね?
原作だと熱い告白をして魔王に吹っ飛ばされた幼馴染くんですが、この作品では世界が塗り変わっていますので、あそこまで強い思いは抱いていません。
読んでいただき、ありがとうございます。