まず第一号は、裏主人公とも言える彼の物語。
原作のアフター世界も関わってきますので、どうぞお楽しみに。
光輝編 愚者と艶花
時折、ふと思うことがある。
かつて異世界で戦い抜いた記憶と、新たに作られたこの世界での記憶。
一体、どちらの方が重要なのだろう? と。
俺の答えは、記憶を取り戻したあの日から決まっている。
どちらもかけがえがなく、どちらかが欠けた瞬間もう一方も成立しなくなるだろう。
俺はあの時、戦った。
命を、信念を──それまで積み上げた全てを賭けて、彼女を救う為だけに。
最後に自分の中にあるものに気がついて……あまりにそれは遅すぎて、失ってしまったけれど。
けれどあの苦しみが、悲しみが、絶望がなければ、俺はこの新世界で彼女を求めなかった。
また、愚かなままに生きていた。
そして幸せな〝今〟がなければ、きっと記憶を取り戻しても、絶望して、壊れてしまった。
己が行いに見返りをまず最初に求めることは、必ずしも正しいとは限らないけれども。
それでも、あの地獄を乗り越えて。
彼女に心を掴まれて……彼女の手を掴んで良かったと、そう思える。
だから俺は、彼女の隣で生きていく。
憎らしいほどのドヤ顔で、全てを与えてくれた北野との約束を守る為に。
何よりも、純粋に。
「──というのが妥当ですわ。
愛する彼女の隣に、いたいから。
そんなことを思いながら、流暢な英語で批評を締め括った彼女を見つめる。
会場から拍手が起こる。
背もたれに体を預け、赤いルージュを引いた唇に勝気な笑みを称えるのは、御堂英子その人。
老若男女、彼女の左右に並ぶ者達も感心したような表情で、評価を下された料理人は安堵していた。
『流石、辛口ながらも素晴らしい品評。エイコ ミドウ様、ありがとうございます。では次に移りましょう』
司会を務める男が、静かな口調で進行を続けていく。
彼女や他の
俺はただ、会場の袖からそれを眺めている。
「…………ふ」
「っ!」
……こっちを見て小さく笑った。
どうやら、暇を持て余して、益体もないことを考えているのが見抜かれたようだ。
ちょっとした忠告。
そして、いつでも見ているのだという一瞥に、羞恥と小さな喜びがある。
「あの、どうかしましたか? 表情が優れませんが……」
「いや、何でもありません。ご心配をおかけしたようで」
隣に同じように並んでいた、とある審査員の秘書に笑顔で答える。
するとその女性は、アメリカ人らしい白い頬を少し赤く染め
ガリッ
「いっ……」
「?」
「な、なんでもないです」
誤魔化しつつ、スーツの襟元を見やる。
肌と襟の隙間、そこで青い目を爛々と光らせるものがいた。
「……彼女しか見ないって」
どこか、睨めつけるような視線に小声で弁明すれば、その目は消える。
ほっとしつつ彼女に視線を戻して、今度こそ仕事に集中することにした。
それから数時間、様々な料理が提供される。
全てが三つ星の栄冠を戴く名店であり、一般人にはおいそれと手が出せない逸品ばかり。
それらを舌で、鼻で、目で見極め、思うがままに各々の言葉で見定めていく評論家達。
誰もが一流と呼ばれる著名な彼らの一人として、彼女はその席についているのだ。
鋭舌、などと呼ばれる容赦のない批評が、こうして海外の歴史ある祭事に呼ばれた所以である。
彼女はその調子を最後まで崩すことなく、悠然とした姿勢で全ての料理を食べきった。
『……お待たせしました。全ての審査が終わったことをお知らせします』
最後の皿が片付けられてしばらく、司会の声が会場に響く。
緩やかに流れていたクラシック音楽が止まり、部屋の照明が薄暗く明度を落とされた。
そして、審査官の前に整列したオーナー達にスポットライトが当てられる。
彼ら彼女らの表情は、この道数十年というプロといえども僅かながらに強張っていて。
しんとした豪勢なパーティー会場に、緊張と不安、期待の入り混じった空気が流れていく。
ベテランと一目で分かる老齢の司会は、十分にもったいつけた後に再び口を開いた。
『由緒正しき我らが品評会。今年、その栄誉を授けられるのは──この店です』
男の言葉と共に、いっそ無慈悲なほどにスポットライトが一つを残して消え去った。
唯一のそれに包まれているのは、芸術品のようなイタリア料理を披露した男。
『皆さん、どうか惜しみない敬意と賞賛を。彼は素晴らしきライバル達との、腕を、誇りを、魂を賭けた戦いをくぐり抜け、その栄冠を手にしたのです』
拍手喝采を浴びた彼は、ぽかんと呆気に取られて現実を認識できていないようだ。
そんな男を現実に引き戻したのは、隣の男が肩に力強く手を置いた瞬間。
ハッとした彼は隣を見て、競い合ったライバルの、悔しげで悲しげで、しかし勝利を讃える微笑を受ける。
じわじわと実感が湧いてきたのだろう。彼は少しずつ表情を笑顔に変えていき、しかし同時に泣き出してしまった。
仕方がないなぁという雰囲気で、他のオーナー達も彼に言葉をかけていく。
『私もこの品評会の司会を務めて三十年となりますが、今年はとても素晴らしい逸品ばかりでした。その頂に座した彼に、その証を贈りましょう』
少しずく拍手が鳴り止むのを見計らい、司会は告げる。
示し合わせて、スタッフが表彰盾とトロフィーを持ってくる。
そのまま彼らが受け渡すのかと思っていたのだが……なんと、唐突に彼女にライトが当てられた。
『今回の授与は、特別にゲストとしてお招きした彼女に行ってもらいましょう。東洋の艶やかな華。料理をこよなく愛する
「あら。面白いサプライズですわね」
くすりと小さく微笑み。彼女は席を立つ。
コツ、コツ、とヒールの音を響かせ、音楽が戻った会場を悠然と歩んでいく。
テーブルで隠されていた体が露わになったその時、誰かが……あるいは誰もが息を呑む音がした。
真紅のタイトドレスに包まれた細い体は完璧な曲線美を描き、まるで唯一無二の芸術品。
腕脚も長く、いっそ手折れてしまうのではないかというほどに一切の無駄なものがない。
肌は陶器、翡翠の瞳は宝石で、フレンチツイストに纏めた髪は本物の黄金でできているよう。
そんな彼女に、審査員も、観客も、司会も、会場を中継しているカメラマンも、他の誰もが見惚れる。
勿論、俺も。
「いただいてもよろしくて?」
「っ、ぇ、あ、はい」
「ど、どうぞ」
スタッフの男女が、どちらも半ば惚けた表情でそれを手渡す。
受け取ってにこりと笑った彼女に、「はぅっ」とまるで心臓でも撃ち抜かれたように胸を押さえて呻いた。
「それでは僭越ながら、私が此度の王者に栄冠を。どうぞ、こちらへ」
「は、はいっ」
呼ばれた男は、さながら軍隊のように全身を伸ばして答えた。
声が上ずったことに少し赤面しながらも、彼女の前へとやってくる。
「素晴らしい料理でしたわ。今後とも、その腕で店に訪れる万人を幸せにしてくださいな」
「あ、ありがとうございます」
差し出された盾と金の像を、ガチガチになりながらも受け取るシェフ。
その瞬間、カメラの一台に映っている司会者が大仰に両手を広げ、最後の言葉を解き放った。
『今一度、拍手を。彼と、この古き良き品評会に!』
その宣言に、再びの拍手が送られたのだった。
それから様々な段取りを経て、無事に品評会は終演を迎えて。
スタッフや関係者への挨拶もそこそこに、俺と彼女は会場を最初に去った。
「──はあ。疲れたわ」
そして、ホテルまでの車内。
窓の外の夜景を眺めていた彼女が、不意にそう嘆息する。
それが純粋な疲労からの言葉ではなく、この時間を使って仕事をしている俺の意識を誘うものだ。
無反応など返せばまた首筋をガリッとやられるので、手帳を閉じて彼女の方を向く。
「審査員のパーティー。出なくても良かったのか?」
「ええ。料理は十分に堪能できたもの、あれ以上は蛇足というものです」
どうやら、今日の料理はお眼鏡にかなったらしい。
〝食事〟という行為において彼女はこれ以上ないほど厳格で、故に滅多に他人のものを褒めない。
最も満足できる料理とは、自らでのみ生み出せる。
世間で座右の銘と知れ渡る言葉は、彼女の店と美食家としての実績に裏打ちされている。
そんな彼女が興味本位でオファーした今回の仕事は、どうやら良いものだったらしい。
「他の審査員の人達も、長年実績を積んできた一流だ。話せば吸収できることもあったんじゃ?」
「それだけならば良いのだけれど」
「……ああ、そういうことか」
今回も
先の会場でも分かっていたが、彼女の美しさは万人を虜にする至上の妖美。
その毒気に誘われる輩が非常に多く、当然その中には
ちなみに、ユエさんや南雲ならそういう人間は即スマッシュだ。どこをとは言いたくないが。
「驕りと贅肉だけを溜め込んだ豚も、見た目を取り繕い、内に醜さを飼った道化も。虜になるのは滑稽ですが、私を欲するにはあまりに下賤すぎる」
「なんとなく誰を指しているのかは想像つくけど……毎度のことながら、嫌な気分になるな」
「あら。それは私が? それとも貴方がかしら?」
間髪入れず差し込まれた問い。
目を瞬かせ、瞼を一瞬閉じたその後には、端正な顔立ちが下から俺を覗き込んでいた。
んぐ、と喉を引き攣らせる。
あまりに綺麗すぎる瞳。視線が吸い寄せられる赤い唇には、楽しげな微笑が。
こんな至近距離で見るには、あまりに怜美で心臓に悪い。
「さあ、答えてごらんなさい? 私が男達に劣情の込もった目を向けられ、嫉妬してしまうのはどこの誰かしら?」
「………………俺です」
「そう、妬いてしまうのね。私の可愛らしい
一層笑みを深めた御堂から、羞恥のあまりさっと目線を他所に向ける。
すると、ミラー越しに運転手と目線が合った。
自己解釈するなら、「こっちは仕事中なのにイチャついてんじゃねえよ、ドリフトすっぞ? おん?」的な目と。
なるべく自然に視線を戻せば、そうすることを分かっていたのか悪戯げな微笑みがある。
「それで、この後の時間が空いたわけだけれど。私を独り占めしたい誰かさんはどうするのかしら?」
まずい、このままだといつも通り彼女のペースにはまってしまう。
5分もしないうちに。加虐的というには控えめで、蜜というにはやけに刺激的すぎる攻勢に負けるだろう。
だから、ほぼ毎回やり込められてしまう滑稽な
「……是非、その貴重な時間を一緒に過ごしたい」
「…………あら」
なんとか捻り出した、反撃の言葉。
いつものように俺を掌の上で転がしていた彼女は、少しだけ驚いたように動きを止めた。
やらかしたか、と頭の中にアラートが鳴り響き、冷や汗が頬を伝う。
二の句を告げようとしたその瞬間──彼女との距離がさらに近づいた。
「んぁ……」
「ぅひっ!?」
奇妙な声を漏らすのを途中で留めた自分を、褒めてやりたい。
ペロリと、温かなものに頬の雫を舐め取られたのだ。
一瞬だったというのに、ゆっくり、じっくりと這うそれは、やけに官能的で。
「本当に、可愛い男。私の期待にいつも応えてくれるのね」
ゾクゾクと全身を行き渡る痺れのような感覚に溺れていると、しっとりとした言葉が耳元で囁かれる。
「ぅあっ……」
「あら、奇矯な声。ふふふ」
君のせいだろ! と文句を言うには、あまりにその笑いは嬉しそうで。
ああもう……やっぱりあの頃に比べて、今の彼女は。
この
「…………チッ」
……運転席の方から何か聞こえてきたけど、反応したら大変だから無視しよう。
〝悪意感知〟が嫉妬と怒りを感知しているから。彼はお仕事中だから。
しかし結局、より密着度を増した彼女の接近に俺は狼狽えるばかりになった。
どうやら彼女に勝つのは夢のまた夢らしい。
やけに鋭い目の運転手に到着を知らされ、車を降りる頃には随分と精神力を使っていた。
「さ、行きましょう」
「ああ……」
実に機嫌が良さそうな英子に、刃物のように鋭利な目の運転手に代金を払って追随する。
眼前に聳えるのは、外観だけから判断しても超一流の大ホテル。
周囲の風景と絶妙に隔絶した雰囲気の、されど不自然に浮いていることはない黒染めの城。
そんな感想を抱かせるホテルの回転扉には、
「浩介の紹介だけど、あいつどうしてこんな立派なホテルを……」
「木偶人形さん。置いていきますわよ」
「あっ、すぐに行く!」
いろいろサービスがいいぜ? とニヒルに笑う影薄な友人の顔を脳内から消し、足を進める。
回転扉を潜り抜け、踏み込んだエントランスホールもまた、壮麗の一言に尽きる。
一定の位置に配置された良いデザインの照明と、三階分はあろうかという吹き抜けの天辺で煌々と輝くシャンデリア。
受付カウンターを中央に曲がり階段が左右から上階に向けて伸び、その上には踊り場があるのだろう。
何よりも目を引くのは、〝太陽の如く深紅に輝く星々と、その中で悶え苦しむ人々〟という、インパクトの強い絵画だった。
少しの間意識を奪われつつ、英子と一緒に受付に行く。
「いらっしゃいませ、お客様。エデンス・シュランケへようこそお越しくださいました」
「予約の確認をお願いします。天之河と御堂でそれぞれ一部屋ずつ取ってあるはずなんですが」
「少々お待ちを」
手元に目を落とし、数秒。
受付の女性は、深い濃紫の制服によく似合う落ち着いた営業スマイルを浮かべる。
「確認できました。しかし、アマノガワ様で一部屋のご予約となっておりますが……」
「あれ? 二部屋予約したはず……」
「問題ありませんわ」
俺が最後まで言い切る前に、英子が先んじて返答を差し込んだ。
驚いている間に一言二言女性と言葉を交わし、彼女は鍵を受け取るとカウンターから離れていく。
数歩分いったところで、呆気に取られている俺に振り返ると、彼女は一言。
「さあ、行くわよ?」
……ああ、やっぱり掌の上か。
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