「……緊急用の服とは思えないほど着心地がいいな」
屋外でなんの遮蔽物も無しに総着替えするという羞恥を抑えながら、袖を通した衣服。
純白のダブルスーツに靴、深い緑色のシャツ。真紅のネクタイは鮮血を彷彿とさせる。
その全てが、普段俺が着ているものよりずっと上等であることは明白だ。
おまけに、ご丁寧に説明書までついていた。
「ええと、何々……?」
このスーツは防刃、防弾、防熱、防寒に優れた逸品ですと。
耐久性、伸縮性も抜群。再生魔法で清潔な状態に保つことで洗濯要らずの、主婦にも優しい設計。
いざという時には〝気配偽装〟の魔法で身代わりにすることもできる、是非命がかかってる時にオススメの一着……
「無駄に高性能だな。流石は北野、デザインと機能性へのこだわりが凄まじい」
時に南雲と二人で熱中しすぎて、揃ってシアさんにラリアットかまされてるだけはある。
まさに生きるか死ぬかの状況だし、是非とも活用させてもらおう。
「シンセイ、これ頼む」
タベル タベル
「いや、飲み込まないでくれよ?」
脱いだ服もろとも、アタッシュケースを影の中に収納しておく。
身につけておくのは、黒い円環の彫刻が目立つデザインのナイフ一本だけ。
「銃は使えないけど、少し心許ないなぁ……」
まあ、ないよりはマシだろう。
硬質に輝く刃を鞘に収め、後ろ腰のベルトに差し込んでおいた。
「だいぶ離れたな。なるべく早く追いつけたらいいが……」
影分身を遠隔操作できる距離は四十メートル程度だ。とっくに女王達はそれより遠く離れている。
ストレッチを行い、問題なく動けることを確認してから彼女達が去った方角に走り出す。
森の中を駆け抜けていく。
景色が流れ、やがてコウキ達がいた場所まですぐに到達した。
黒狼達の血の海が広がる、死の匂いがするそこを通り過ぎ
マテ
「ぐぇっ!?」
通り過ぎようとして、突然勝手に広がった翼の力で思いっきり足を滑らせた。
後頭部を地面にしたたかに打ち付け、あまりの激痛にその場で右へ左へともんどり打つ。
「っつぅ! 何するんだよ!」
ソザイ
抗議に返ってきた返答は、烏のようなボロい翼がニエブラの死体を示すというもの。
意味が分からない。が、ここで争っても首ガリッか、体を操作されるの二択だ。
「はぁ……わかったよ、行けばいいんだろ」
渋々、強い血臭の立ち込める大狼の骸に近寄った。
翼が手の形に変わり、枝分かれすると骸の全身を何やら調べ始める。
「これをどうするんだ?」
今度は返答すらなかった。
何かを終えたのか、手達が肥大化していくと、近くにあったニエブラの首ごと骸を包み込む。
出来上がるのは、青い血管が巡る漆黒の球。
咀嚼するように蠢きながら、いいや、実際に喰らっているのだろう。
ソザイ
「あっ、ちょっ!?」
せっかく手に入れたナイフが!
手を伸ばすも虚しく、かっぱらわれたナイフが黒球の上からぽとりと落下。
開いた穴からナイフは中に落ちていき、そのまま閉じて返らぬものとなった。
ドクン!
その時、強く黒球が震える。
空気を振動させるような脈動。途端に体が繋がった俺は、何か妙なものを感じた。
まるで心臓が鼓動を打つように、何度も黒球が震え、少しずつ縮小していく。
触手が分離され、翼に戻って俺の背に収まっても、三度、四度と繰り返し。
やがて、音が消えるのと共に、俺の腰上程になっていた黒が消えた。
そこには既にニエブラの遺体はなく、代わりに突き立っていたものが。
「剣……?」
樹々の間から落ちる光に照らされて、赤く輝く一振りの剣。
原型となったのはあのナイフだろうか、白と黒、新緑で彩られた柄には黒い穴が空いている。
フランベルジュのように波打つ刀身は《暗き者》の赤黒い血を彷彿とさせ、金の装飾が上品さを与えていた。
「……俺の武器、ってことか」
促すように揺れる翼に、剣の柄を握る。
引き抜いて振ってみると、ちょうど良い重さだった。
「長さも体格に合ってる。ありがとう、シンセイ」
ところで瘴血剣ヴァーゲって?
私ノ趣味ダ、イイダロウ?
これまでにないほど流暢に喋ったな!
「とにかく、追いかけよう」
ちょうど翼を出してくれたので、魔法で体に風を纏うと、直上に飛び上がる。
上へ上へと片翼をはためかせて上昇し、この森全土を見渡せる高度で静止した。
「本当に砂漠なのか……」
見下ろす森は、さながら砂漠の中に点在するオアシスの様相を呈していた。
地平線まで続く無命の大地。モアナ女王達の言葉の真実性を改めて認識する。
「さて、彼らは……」
先ほどシンセイが覚えた気配を頼りに、森の中を観察。
他の《暗き者》がいるのか、ちらほらと小さな悪意を感じながら視線を巡らせ……
「いた」
呟くと、森の一角から砂漠に向けて複数の影が飛び出した。
平たい胴体と長い首の、二メートルほどのトカゲらしき生物達。その背にはモアナ女王達が乗っている。
砂漠を移動するための騎乗用生物らしい。
彼らの上に付くようにして、俺も飛行を開始した。
「しかし……南雲達に見せてもらったグリューエン大砂漠とは違うな」
過去の光景を再現するアーティファクトで見させてもらった、トータスの大砂漠。
熱と砂で満たされた赤銅色の世界と、眼下に広がる、いっそ真っ白と思えるほどに乾燥した大地。
その間には、決定的な差があった。
「ん、何か彼らが話している……シンセイ、声をこちらに送れるか」
カンタン
風圧やGを緩和する為、体に纏う風の一部が動きを変える。
下にいるコウキ達に向かったそれは、やがてその会話を俺まで届けてくれた。
「ご先祖様達は、《暗き者》の軍勢を退けた。結果としては8割の自然がこの地から消えたが、しかし未だ王都の周囲には自然が広がっている。偉業だと、私は思うよ」
この死の砂漠は、過去の戦争が原因か。
ニエブラの存在から、統率者となりうる知能の持ち主が《暗き者》には一定数いるのだろう。
そしてもし、あの大狼よりも更に力とカリスマ性を兼ね備える存在がいたのなら……
「遷都はしなかったのですか?」
「できないのだ。何故ならば奴等の王……尋常ならざる瘴気の濃度で体が黒く塗り潰されているように見えることから、我らは《
まるで帝国の皇帝一族のようだな……いや、待て。
女王は今、
それは《黒王》なるものが単一の存在を示すのでも、長く続いた系譜でもないとしたら……
「分かるか? 終わらないのだよ、奴らとの戦いは。個々を見れば力の大小はあれど、《黒王》は決して倒せない。一度滅しても、いずれ別の《黒王》が現れるのだから」
「……だから、ここにいるんですね。最良の戦場だから」
感服したように呟くコウキへ、モアナ女王は頷く。
曰く、この砂漠では《暗き者》達は恩恵力を持つ者を喰らえないので、体内に蓄えた瘴気以上は使えない。
それは彼女達も同条件だが、しかし自然が破壊されない、相手の力に限りがあるというだけで優勢だとか。
それから彼女は、コウキにシンクレア王国の現状を語る。
自然の残っている場所に国民達を移し、各領主による自治とその統制によって国を維持しているらしい。
東方は《暗き者》達の占領地。海に面する北方、南に山脈地帯。その向こうには未だ残る他大国がある。
国々との共同戦線が構築された南と遮蔽物のない海から《暗き者》は進入できず、自然この砂漠がもっぱら戦地となる。
まさしく、歴戦の地というわけだ。
「各地では、食料やその他生産業を任せている。我らはそれを守る為にも戦っているのだ」
「……敬服します、モアナ女王」
「なに、王の責務というやつさ」
口調こそ当然という様子。
けれど、当然であるからこそ異界の人間であるコウキに認められたことが嬉しいのか、喜色が垣間見える。
それきり話すべきことがなくなったのか、しばらくの間は声が届いてこなかった。
「光輝。聞いてもいいだろうか?」
5分も無言で移動を続けた頃だろうか。
新たに風に乗って、モアナ女王の声が耳に入る。
「なんでしょうか」
「その、だな…………光輝は、どうして勇者なのだ?」
「え?」
瞬間、コウキから発生する驚愕と恐怖が入り混じる負の感情。
ニエブラとの一戦での醜態を揶揄したと思ったのか、感知されない高度にいる俺にも分かるほど顔色を変えていく。
だが、モアナ女王に嘲けりや落胆といった悪意がないことが俺には感じ取れていた。
「勘違いするなっ、そういう意味じゃない! ただ……不思議な呼び名だと思ったのだ」
「不思議?」
「ああ……最初にフォルティーナ様が勇者を遣わす、と言った時、私は正直どのような存在なのかわからなかったんだ」
「…………」
「言葉通りだとすれば、勇者とは〝勇ましき者〟なのだろうが……」
そこで言葉を切るモアナ女王へ、コウキが頷く動作をする。
認識の相違を改めたらしく、頷き返したモアナ女王が口を開いた。
「それならば、私は胸を張ってこう言える。我が国の戦士達は、一人残らず全員が〝勇者〟だと」
「っ!」
「だからこそ、不思議に思う。光輝が何か大きなことを成し、フォルティーナ様に選ばれたのであれば、それは〝英雄〟ではないのか?」
女王の指摘に、コウキは言葉を詰まらせる。
彼の困惑を察し、彼女は「困らせたいわけではなかった」と言って話を切り上げてしまう。
だが、その言葉はコウキの暗鬱とした心に、杭のように突き刺さっていた。
……そういえば俺も、勇者とは何だったのかを気にしたことがないな。
というより、自分が勇者だったことをほとんど忘れかけていたと言った方が正しい。
新世界、香織と石動さんの魔法で記憶と力を取り戻した後、ステータスプレートで確認すると天職が変わっていたのだ。
俺の今の天職は、〝艶花の守り人〟。
これも随分と抽象的な天職だが、何となくどういうものなのか理解できる。
旧世界での行いが概念となり、世界の再構築の際に俺の
対して、モアナ女王の話を鑑みれば、勇者はそれよりも更に漠然とした称号だった。
「雫は剣士、龍太郎は拳士と仮面ライダー……そして今の英子は、暗殺者に呪術師」
どれも、彼女達の力に適応した天職。その中で勇者だけが異質な意味を孕んでいる。
字面以外の意味がある? 勇者という天職を得るに相応しい適正か何かが?
守り人になった俺と、未だに勇者なのだろうコウキとの違いは、どこにある?
──肝心な時に、何度足が竦んだ?
その疑問に応えるように、〝悪意感知〟を通してコウキの内心が伝わってくる。
──選べなくて、何度取りこぼした?
選ばないことは、諦めることだった。
──思うままに飛び込んで、何度大切な人達を巻き込んだ?
彼女と戦う為に、龍太郎と鈴を付き合わせた。
──なんで、こんな俺が〝勇者〟なんだ?
どうして君は、勇者でいられるんだ?
「……分かりません。俺には、俺が、分からないんです」
絞り出すような声。集中しなければ、風に攫われてしまいそうなほど弱々しい。
モアナ女王が振り返り、コウキの目をジッと見つめる。それは何かを確かめているようなものだった。
「……いつか、きっと分かるといいわね。いいえ、必ず分かるわ」
「……どうしてそう思うんだ?」
だって、と女性らしい口調と、慈しむような微笑みで。
迷子の子供みたいな顔をするコウキに、モアナ女王が答える。
「だって、貴方はまだ諦めてないじゃない。答えに手を伸ばしてるじゃない。そういう人を見捨てるほど、世界は残酷じゃないはずよ」
「……そうかな。そうだと、いいな」
重くて、頼もしい言葉だと思った。
この滅びかかった世界で、まだ足掻き続けている女傑にそんなことを言われてしまったら。
どんなに迷っていたって、天之河光輝が何も感じないはずがない。
互いに感じるものがあったのだろう、見つめ合うコウキとモアナ女王。
リーリンさんと、アニールという術師の女性がニマニマと良い雰囲気の二人を見ている。
……早く英子のところに帰りたいなあ。
「んんっ! お、王都まではどれくらいですか?」
「う、うむ。このペースなら夕刻までには到着できるだろうな」
ん、そこまで遠くはないらしい。
流石にずっとシンセイに飛んでもらうのは気が咎めるし、何より魔力が保たないだろう。
彼らも戦闘したのだ、休憩なしの強行軍をする訳ではあるまい。
その時に一度降りることに……
命ヲ枯ラス星ガ降ル
「ッ!?」
頭上から凄まじい濃度の瘴気っ!?
この世界に来て最大の〝悪意感知〟が発動し、空から迫るものに顔を跳ね上げる。
すると、俺──ひいては下にいるコウキ達に向けて、複数の《暗き者》が落下してきていた。
数は六。
放つ悪意は……死の恐怖と絶対的な殺意!
ヤドヌシ、剣
「っ、これかっ!」
シンセイの言わんとすることを瞬時に察し、右手に携えた魔剣を両手で握る。
そして負のエネルギーを纏わせようとした瞬間、柄から血管を流れるように剣へ力が注入された。
驚きに一瞬の時を消費する。その間に人型のトカゲのような《暗き者》達は肉薄していた。
もう時間がない!
「ぜぇぁッ!!」
ほとんど同じ高度までやって来ていた《暗き者》に向け、魔剣を横に薙ぐ。
裂帛の叫びを上げ、頭に浮かんだイメージに従い力を流すと、一瞬で刀身が何倍にも伸びた。
それによって、円陣を描くように落下してきた彼らを分厚い鎧ごと両断する。
「「ギッ!?」」
しかし、捉えたのはたったの二体だけ。
残る四体は、俺の存在に目を見開きつつもそのまま地上に落下していった。
それを目で追いかけ、俺はこちらを見て同じように瞠目するコウキ達に向けて叫んだ。
「逃げろぉッ!」
警告を飛ばしてから、わずか数秒の後。
大砲の弾が落ちるような重々しい音を立てて、彼らの周囲に《暗き者》が墜落する。
自重と鎧の重さ、そして凄まじい加速を伴っていた《暗き者》達は、当然瀕死となる。
奇襲からの自爆。
普通ならばそう思えてしまうのだろうが、しかしあの時感じ取った悪意は──!
「今すぐここから離れろ! でないと」
「「「「グェエエエエエエエエエエッ」」」」
俺の言葉を届かせはしないと、そう言うように。
醜く絶叫した《暗き者》達の体から大量の瘴気が放出される。それもニエブラに迫るほどの。
最初から命を燃やし尽くすことを前提としたからこその、凄まじい瘴気。
それを感じ取った女王達が脱出する時間も、リーリンさんが恩恵術の風で吹き飛ばす暇も。
そして、コウキや俺が対応をする余裕さえも与えずに。
爆発した黒に、砂漠の一角が呑み込まれた。
次回、共闘。