楽しんでいただけると嬉しいです。
「……ん」
……朝か。
随分と懐かしい夢を見た気がする。
「くぁ……案外ちゃんと眠れたな」
起き上がってぐっと伸びをするが、骨も鳴らない。気分もスッキリしてる。
戦士の国の最前線とはいえ、流石は来客用のベッドと言うべきか。
女王達に感謝をしつつ、ベッドを出て身支度を整える。
ライキャク
「ん?」
着替えをほぼ済ませた時、響いたシンセイの声に扉の方を振り向く。
すると、見計らった通りにコンコンとノック音が響いた。
上着を羽織り、念の為に仮面を持ちつつ扉の前へと赴く。
「はい、誰ですか?」
「お兄さん、クーネです。入れてもらえますか?」
「ああ、クーネ王女ですか」
扉を開けると、そこにはクーネ王女が。
しかし、彼女はいつものように笑顔ではなく、なぜか少し不満そうだった。
「どうかしました?」
「昨晩、お兄さんの部屋に入ろうとしたのに何故か扉も窓も完全に締め切られていました。さては何かしましたね?」
「ちょっと王女? 安眠妨害はやめましょうね王女?」
シンセイに眠っている間のことを任せておいて良かった。
むー、と言いたげに頬をふくまらせていたクーネ王女は、パッと表情を明るく変える。
「まあいいです。それよりもお兄さん、ちょっとお話があるんです」
「わかりました、どうぞ」
彼女を部屋に招き入れる。
テーブルと一緒に備え付けられている椅子を彼女に譲り、俺はベッドに腰掛けた。
そして、こちらをニコニコとした顔で見てくるクーネ王女と真っ直ぐ向き合う。
……相変わらず
「それでお話というのは?」
「はい。昨晩お伝えしようと思っていたのですが、意地悪なお兄さんのせいで話し損ねてしまったことです」
「はいはい、俺が悪かったです。で?」
問い直せば、彼女は笑顔から一転して真面目な表情を作る。
ようやく感じ取れる感情と外見が噛み合った。そんなことを思いながら意識を傾けた。
「お兄さん。昨日見た、この王都はどうでしたか? この国の人々はどうでしたか?」
ああ……やはりそういうことか。
「素晴らしかったです。慈しむべき国、幸福であるべき人達だった」
「では……」
「ですがクーネ王女。
一言一句、最後まで本心のままに言い切った。
何かを言いかけていた彼女は、少し息を呑んで固まり、その後に寂しげに笑う。
きっとクーネ王女は、俺にこう聞きたかったのだろう。
守りたいと思いましたか? と。
ああ、守るべき人達だったさ。
でもやはり、俺の答えは変わらない。
「俺は、ずっとここにいるわけじゃない。立場としても、俺自身の信念としても。全身全霊、血肉の一滴までもかけてこの世界の為に戦うことはしないんです」
「……できない、とは言ってくれないのですね」
「偽りの希望を見せることは、俺にはできませんから」
できもしないことをできると言うことで、時に誰かを絶望に落としてしまうかもしれない。ならば正直に言ってしまおう。
自分勝手なのはわかっている。けれど俺にも、帰りたい場所があるのだ。
「今の俺は傭兵です。一宿一飯の恩を返すためにこの力を全力で使いましょう。ですが、それ以上は期待しないでほしい」
「……お兄さんは、厳しいですね。大人です」
「こんな俺でも、幸いね」
それきり、会話は途絶えた。
しばし、部屋は沈黙に包まれる。
複雑な表情で色々と考えているクーネ王女に、少しだけ申し訳なさを感じた。
無鉄砲だった頃の自分が羨ましくなる反面、自分の決断は間違っていないとも思う。
相反するその思いを抱えながら、俺は再び口を開いた。
「それで、クーネ王女は俺に何を頼みたいんですか? 改めて内容を伺いましょう」
「……え?」
初めて、心底から驚いた顔を見ることができた。
それが少し面白くて微笑んでしまうと、ハッとしたクーネ王女はまた何かを黙考する。
すぐに答えは出たのだろう。俺のことを恨めしげな目で見上げてきた。
「……お兄さんは本当に意地悪ですね。これでもクーネ、一応王族ですよ? 偉い人なんですよ?」
「はは、振りかざす気のない権力で脅されてもね」
「まったく、もっと言い方はなかったのですか?」
「すみません、不器用なもので」
悪知恵は働く癖に、と悪態をつくクーネ王女に俺は笑う。
線引きを教えたのだ。
命を賭けてくれとか、それに似通った類の頼み事は引き受けない。
だが、それ以外であればできる範囲で最大限尽力する。そういう意図を伝えたかった。
俺が先に突き放した意味を、この狡猾で愛らしい王女であればすぐに理解できると確信していた。
「それで? 俺への頼み事というのは?」
「……昨晩、勇者様と同じことをお話しました」
「そうでしたか」
俺より使命感がまだ強そうだし、当然とも言えるな。
「彼はこの世界を守りたいと?」
いいえ、とクーネ王女はかぶりを振る。
「クーネはこうお願いしました。
「それは……」
王族としては随分と、勇気のいる提案だったことだろう。
状況的にであれ、心理的にであれ、守るべき民を、人類を見捨てていいと許したのだから。
「勇者様は帰れる望みがあるようでした。逃げる道を持っていました。だから、勇者様が嫌う戦いを、殺し合いを強要するこの世界から逃げていいと、クーネはそう言いました」
けれど、クーネ王女の目の中に後悔の文字は無い。揺るぎのない決意さえも感じられる。
「ただし。その時はお姉ちゃんも一緒に連れて逃げてください、とも」
「……彼女はやはり、限界なのですね」
「……はい」
察していた。
魂に住み着く悪魔を内に秘めているからか、モアナ女王の魂がひどく衰弱していることを感じた。
妹として、それもこんなに幼いクーネ王女が、姉の身を案じないわけがない。
「王族として、クーネは失格ですよね。ええ、わかってます」
「…………」
「それでも、お姉ちゃんはもう限界なんです。天恵術を行使しすぎて、もう回復の見込みもありません。次に《黒王》と戦うようなことがあれば……」
「クーネ王女、そこまでで。もうそれ以上はいいです」
言葉だけは淡々と。しかし小刻みに震えていた小さな握り拳にそっと触れる。
二度も同じことを……愛する姉に死神が這い寄っていることを話すのは、相当に堪えるだろう。
またハッとして、クーネ女王は「大人っぽく目ざといとこ、ずるいです」などと呟く。
「堪えられないんです。父も母も、兄も叔父も、従姉妹もみな死にました。この王宮にいる人達は家族のようなものだけど、それでも本当の家族は、クーネにとっての最愛は……お姉ちゃんだけなんです」
「失いたくないというその気持ち、よくわかります」
だからこそ、二人しかいない王族という自覚があった上で戦士団に紛れ込んだのだろう。
それほどまでの愛を、俺は知っている。持っている。
だから責める気もなければ、むしろもっと気を許している間柄であれば賞賛すらしたいのだ。
「ね? だからクーネは所詮、〝王女のような何か〟なのです」
大勢を斬って捨てることを悔いながら、それでも最愛を選ぶ少女。
クーネ・ディ・シェルト・シンクレアという王族ではなく、ただのクーネという姉が好きな女の子。
そんな彼女に、俺が言えることは一つだけだった。
「大丈夫です。俺も〝元勇者のような何か〟なので」
「なんですか、それ。ふふっ」
「冗談じゃないですよ。本当にもどきです」
「あははっ、やっぱりお兄さんはおかしなお兄さんです」
可笑しそうに笑っている。純粋そうな笑い方だ。
でも。
「けれど貴女は、
「…………本当に、察しの良すぎる人ですね」
ああ……その顔が全てを物語っている。
真に彼女が俺と同じ愚者であれば、もっと違う顔をしたはずだ。
クーネ王女は、大勢の命、命運、明日を見て見ぬ振りをして、たった一人の為に突っ走れる大馬鹿じゃない。
そうした先、待ち受ける絶望の先頭に立ち、あえぎ苦しむ人々の怨恨や憎悪さえも受け入れて。
さながら、彼女が操る天恵術《再生》のように。いつか人々の未来に再び希望が紡がれるまで耐えるのだ。
「たった一人で、できるとお思いで?」
「なんですか、子供だからって侮ってるんですか? ちょっと勇者様より年上だからって、からかうなら容赦しませんよ?」
「まさか、そんなことしませんよ」
できるはずがない。
だってその目は、俺がこの世で一番尊敬する大バカ野郎と同じ目だ。
そう思って、しまったのだ。
たった一瞬でも、一度でも、重ねてしまったから。
──キニイッタ
奇遇だな、相棒。俺もだ。
「それで? 俺に何をさせようと?」
「クーネはこれでも慎重です。そして臆病です。だから保険をかけることにしました」
言うやいなや、急にクーネ王女は飛びついてきた。
一瞬驚いたが、努めて冷静に対処すると彼女を膝の上へと着陸させる。
俺がちゃんと受け止めることを予期していたのだろう。
顔を上げて見上げてきたクーネ王女はにこりと笑う。
「もしお姉ちゃんでも、勇者様がいてもどうしようもなくなった時。その時は、どうかお二人をお願いします。雇われ傭兵のお兄さんに、クーネはただそれだけを望みます」
「…………なるほど。保険、ですか」
「はい、保険です」
そしてその保険が発揮される範囲に、やはりこの子は入っていないのだろう。
強い子だ。そして悲運な子だ。傲慢にもそんなことさえ思ってしまう。
「どうですか? 引き受けてくれますか?」
「そうですね。あの頑固そうな二人組、特に一人はかなり厄介そうです」
「でも、お兄さんの方が強いでしょう?」
「まさか。俺は弱いですよ」
「またまたー、ご謙遜を」
いいや、俺は弱い。
旧世界で戦っていた誰よりも、きっと弱い。
「あのコウキを無理やり連れていく労力の代わりに、一つだけ注文をよろしいですか?」
「なんですか? はっ、まさかクーネのないすばでーをどうにかしようと!? いけませんよ、これでもクーネは王族──」
「まあ、あながち正解とも言えますね」
「ほへ?」
でも、弱くてバカで不器用で、その上どうしようもないほど頑固だった俺でも。
二度と同じことをしないと誓った今でも、譲れないものがある。
「もしも絶望的な状況になった場合、俺は彼らと一緒に貴女も連れて行きます」
「なっ!? ふっ、ふざけないでください、クーネの話を聞いてたんですか!? そんなことをしたらっ」
「そして貴女を、俺の世界で一番恐ろしい男の生贄にします」
「……へ?」
「娘の護衛役候補に、瘴気を使う《暗き者》という未知の存在が蔓延る世界……あとは俺が10年くらい絶対服従すれば、まあ今回の負い目もあって手を貸してくれるだろう、うん」
俺一人に対してなら際限なく迷惑をかけるあいつだが、今回は英子を置き去りにしてきた。
あいつはルイネさん、英子、そして愛子先生にはすこぶる弱い。当然雫には一番弱い。
そこに驚異の隠密を誇る幼女と、研究材料になりそうな生命体も付け加えれば、まあすんごく嫌な顔で頷くだろう。
あと、俺がそれを見たいってのもある。たまには昔みたいに迷惑をかけてやろうじゃないか。
「クーネ王女、覚悟をしておいてくださいね」
「な、何をですか?」
「邪神から何もかも搾り取って嬲り殺した挙句、実は異世界の人類を裏で支配してた男の手先になることを」
「いやそれ世にもおぞましい何かの類では!? お兄さんどんなバケモノと知り合いなんですか!?」
はは、俺もわかんない。ほんと何なんだろうなあいつ。
「まあ、それは本当の本当に最終で最後の手段として。そもそも俺が請け負っていい責任の範疇を余裕で踏み潰してますし」
「いや、その選択肢があること自体がクーネには恐怖なんですが……」
「まあまあ。ですが……この世界にいる間、俺は貴女をこそ守りますよ。クーネ王女」
彼女の大きな目がさらに見開かれた。
そんな彼女に、俺は意地悪く笑ってみる。
「俺や、俺の親友や姉のような人、そして知人達にはね。一つ共通して決めてることがあるんです」
「決めてること、ですか?」
「──もしも大切な人全てを遠ざけてでも、大きなものを背負おうとする誰かがいた時。他の誰を、何を敵に回そうが、その人の味方になることです」
二度とあんなことをさせはしないと、記憶を取り戻した全員がかつて誓った。
そんな一人の身には余りすぎる大役を背負おうとするなら、今度こそ一緒に背負ってみせる。
止めるのではなく、共に。
期限は付くが、それでも同じ目をしたこの幼な子に俺はそうしてあげたい。
「なんなら、当代の《黒王》をコウキが倒すと決意するなら、それが達成されるまでは貴女のそばに居て、守り抜いてもいい」
「……お兄さんって、ロリコンですか?」
「生憎と、クラクラするほど大人の魅力に溢れた恋人がいますので」
それは照れ隠しの言葉だったのだろう。
俯くクーネ王女からは、羞恥のような感情を感じ取ることができる。
最近、人と関わる時にこの技能を便利使いしてしまっているな。
「そもそも、お兄さんにもお迎えが来ると言っていませんでしたっけ?」
「今回に限っては、多少強気に出れますからね。しばらく滞在期間を伸ばすくらいはできるでしょう」
代償として、しばらく英子のご機嫌取りと罪滅ぼしに追われることになるだろうが。
まあ、それでこの子の力になれるというのであれば、俺の良心も満たされる。
「自分勝手ですね、お兄さんは。ちゃんとしようって、頑張ろうって決めたクーネにそんなことを言うなんて」
「そうですね。俺は貴女にとって、愛する家族にも頼れる仲間にも、忠実な臣下にも、それ以外の何者にもなれない。我儘で自分本意な、〝元勇者のような何か〟です」
「……でも、それだったら〝王女のような何か〟のクーネとむしろお似合いかもしれないですよ?」
「かもしれないですね」
クスクス、と二人で笑う。
それから手を何回か軽く叩かれたので、彼女を膝から隣に移動させる。
俺は立ち上がり、彼女の前で跪くと影からヴァーゲを取り出して捧げる構えを取る。
「艶花を万敵から守るこの
「お姉ちゃんにもう剣を預けてるのに、ですか?」
「まあ、結果的に力を貸すことに変わりはないですから」
「ふふ、口が上手いですね──はい。仕方がないので、クーネを守らせてあげます。どうかよろしくお願いしますね、お兄さんっ♪」
内心に含むような悪意は感じない、どこか声音から嬉しさを感じる返答だった。
結構なことを言った自覚があったので、顔を上げた時微笑むクーネ王女がいたことに安堵した。
もう一度立ち上がったところで、ノック音が二回。
タイミングを見計らっていたようなその音にクーネ王女と二人で振り向きながら返事をする。
扉が開かれ、顔を出したのは何故か普段よりも柔らかく笑うスペンサーさんだった。
「フール殿、それにクーネ様も。朝食の準備ができましたので、お呼びに参りました」
「ありがとうございます」
「丁度良かったです。いきましょうか」
ベッドから飛び降りたクーネ王女が真っ先に部屋を出ていく。
ヴァーゲを鞘に収めた俺も後に続き、スペンサーさんの横を通り過ぎた。
「クーネ様のこと、どうかよろしくお願いします」
「……はい、誓った以上は必ず」
短いその小さな言葉は、先をゆく彼女には聞かせなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。