星狩りと魔王【本編完結】   作:熊0803

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長すぎたので、もう一話に分割しました。次が最後です。

楽しんでいただけると嬉しいです。


不退の剣邪

 

 

 

 大きくその姿を変えた光輝。

 

 

 

 竜が悪魔に食われたような鎧を纏うその威容に、敵味方関係無く目を奪われる。

 

 注目の渦の中、光輝──アロガンスはヴァーゲの切っ先を《暗き者》へと向けた。

 

『来い。今度こそ、お前達を討ち滅ぼそう』

『っ、一度死んだ癖に生意気なっ!』

『先程までの姿ならともかく、家畜と同じ姿形に戻った貴様など敵ではないわ!』

『奴を今度こそ殺せェ!』

 

 瘴気を吹き出し、己の体や武具を強化した《暗き者》達が動き始める。

 

『さて、どうかな』

 

 狼狽えることはなく、光輝は静かに半身を引く。

 

 腰のベルトにある簡易な鞘に左手をかけ、片手で悠然と構える姿には、不思議と隙がない。

 

『死ねェ!』

 

 とある鱗竜種が、渾身の踏み込みによって円陣の中へと入った。

 

 ラガルよりも大柄で筋肉質なその個体は、鎧を纏っただけで強くなった気でいる愚か者を殺さんと迫る。

 

 〝かえし〟のついた刺々しい剛槍が、無防備に突っ立っているアロガンスの胸に吸い込まれ──

 

 

リィン。

 

 

『……は?』

 

 気がつけば、両腕が飛んでいた。

 

 痛みを感じないほど滑らかに、前腕の根元から先が槍ごと地面に落ちる。

 

 何故、と考えたその刹那、ズルリとその《暗き者》の視界が左右でズレ、高さが合わなくなった。

 

『な、にが……』

 

 自分がどうなったのかを理解するよりも早く、二つに分かれたその鱗竜種は絶命した。

 

 どよめきが広がる。同じように円の中に入ろうとしていた幾つもの足が、本能的に動きを止めた。

 

『どうした。殺すんじゃないのか?』

 

 アロガンスの冷涼な声だけが、戦場に響く。

 

 何の感動も、戦意も、殺意も感じられない、まるで普通に話しかけるかのような声音。

 

 鱗竜種の中でも相当の猛者を瞬殺したにも関わらず、異常なほど穏やかな雰囲気にたじろぐ。

 

 

 

 

 しかし、彼らとて《暗き者》の精鋭、侵略の戦士。

 

 ここで足踏みをするのは恥だと、先程自分達が投げかけた罵倒に反すると、数体が肉薄した。 

 

 

リィン。

 

 

 また、金属同士がぶつかり、共鳴するような美しい音が響く。

 

 直後に武器を半端に突き出していた《暗き者》達が、全員体を一刀両断されて崩れ落ちた。

 

 真横へヴァーゲを振り抜いていたアロガンスは、付着した青い血を血振りすると構え直す。

 

『な、何がどうなっている!?』

『構うな! 数で潰せばどうともなるまい!』

 

 不可解な斬撃……あるいはそれに類似した何かに、《暗き者》達は堰を切ったように突撃した。

 

 先の襲撃とは比べ物にならない、全方位かつ上空からも含めた百以上の攻撃。

 

 誰もが殺せると思った。アロガンスの斬撃に唖然と見ているだけだったモアナ達さえも。

 

 だが。

 

 

リィン。

 

 

 音が響く。

 

 赤い閃光が宙を走り、一拍置いた後には攻撃仕掛けていた全ての《暗き者》が斬殺された。

 

 おびただしい数の死体が円陣の中に転がる中、血の雨の中でアロガンスは剣を振り切っている。

 

 残心している様にも見えるその姿に、今度は二百の手勢が向かうが。

 

 

 

 

 

リィン。

 

 

 

 

 

 斬られる。

 

 

 

 

 

リィン。

 

 

 

 

 

 斬られる。

 

 

 

 

 

リィン。

 

 

 

 

 

 斬られる斬られる斬られる斬られる斬られる。

 

 ありとあらゆる攻撃、手段、瘴気の力を持ってしても、一律に一太刀で切り捨てられる。

 

 そこには何の争いもない。技をせめぎ合う熱も、命を奪い合う激情もなく、ただ無感動に命が斬られる。

 

 その工程以外は何も必要がないとでも言うように、アロガンスは無言で魔剣を振るい続ける。

 

 それは三百でも、五百でも、むしろ互いの存在が邪魔になる千の数が襲いかかっても同じだった。

 

「……なんだ、あれは。何が起こっている」

 

 次々と作業のように、指数関数的に増える《暗き者》を斬っていくアロガンス。

 

 一片の殺意もないその背中に、陣から出てきかけていたモアナ達は呆然と立ち尽くす。

 

 防御態勢こそ取っているものの、《暗き者》は一体も彼女達に牙を向くことはない。

 

 それよりも、あの恐ろしいほど静謐な化け物を殺さなくてはいけないという強迫観念に駆られていた。

 

「……アークエットで見た、コウキ殿の斬撃ともまた違いますな」

「ああ。あのような、理解できない一撃ではない」

 

 アークエットでたった一人、六千もの《暗き者》を屠ったコウキ。

 

 極限状態の中での自問自答と限界を越えた戦いで、彼は二つの力を手に入れた。

 

 一つは〝限界突破〟の最終派生技能。魔力で傷ついた体を繋ぎ、戦い続ける【戦鬼】。

 

 もう一つは、無我の境地に至ることであらゆる斬撃の過程をほぼ認識させない【無念無想】。

 

 

 

 

 だが、アロガンスのそれは似通っているようで、まるで違う。

 

 魔剣が振られる軌跡は見える。踏み込むタイミングも、一振りした後の一瞬の隙さえも。

 

 そこを狙って攻撃した《暗き者》達は、しかし吸い寄せられるように次の一太刀に斬られるのだ。

 

『何故だ!? 見えるはずなのに何故我らが殺されるっ!?』

『これほどの数で、どうして一度も届かないのだ──っ!?』

 

 光輝だけで戦っていた時のように、大火力の剣技で対抗してはいない。

 

 〝りゅう〟に変貌した時のように、純粋な破壊力と巨大な体も持ち合わせていない。

 

 それなのに──ただの一撃も、到達しえない。

 

 赤い残光を残す剣を振るい、無慈悲に命を斬り裂くその姿は──

 

「邪技の、剣鬼…………〝剣邪〟」

 

 スペンサーが絞り出したように呟いた。かつてコウキに、剣聖の頂を見出したように。

 

 その呼び名を否定するものは、モアナ達の中には一人も存在しなかった。

 

 

 

 

 

(──体が軽い。それなのにきちんと剣は重くて、〝斬った〟という事実を与えてくれる)

 

 

 

 

 

 殺意と畏怖と恐怖の嵐の中、おかしなほどに凪いだ心で光輝は考えた。

 

 プライトと光輝の力が融合した鎧は、彼が剣を振るうのに最適な状態に常に調節してくれる。

 

 自らでも知覚していなかった無駄な力み、軸のずれ、最も斬りやすい体重のかけ方、全てを教えてくれる。

 

 その全てを新たに糧としてプライトの宿るヴァーゲを振れば、どんな敵でも必ず斬れた。

 

 不思議な感覚だが、確かな力の実感を光輝は得ていた。

 

 その正体は、命を落とす程の戦いと莫大な力の暴走を経て、邪神霊によって芽生えた技能。

 

 

 

 〝限界突破〟の最終派生技能──【天衣無縫】。 

 

 

 

 全ての五感、第六感さえも極限まで高め、認識した攻撃へ最適の斬撃でカウンターをする力。

 

 邪神でさえも一度は斬った雫の呼吸読みが無敵の先読みなら、それは究極の後の先。

 

 

 

 

 

 

 

 それが光輝の不退転の剣技だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

《キャハッ。私が力を貸してあげてるんだから、これくらい当然だよねぇ?》

『ああ、そうだな。お前とならどんなものでも斬れる気がするよ』

 

 鎧を通し、脳裏に響く声に俺は微笑む。

 

 酷く穏やかな気分だった。《暗き者》を屠る体とは乖離したように平静な心境だ。

 

 命を救ってもらった感謝と、その期待に応えたいという純粋な想いだけがある。

 

『雫も、こんな気持ちだったのかな。あいつを助ける為に、南雲と一緒に戦っていた時』

『何をごちゃごちゃと言っている!』

『いい加減にくだばれェエエ!!』

『なんでもないさ──ただ、これ以上お前達に負ける気は全くしないと。そう言っただけだ』

 

 グリップのトリガーを人差し指で押し込む。

 

 

 

《AVARICE! Ready Go!!》

 

 

 

 広げた左手の中にもう一振り黒のヴァーゲが現れ、左右の空間へ同じ軌道で振るう。

 

 その一撃は、俺へ瘴気の牙や爪を飛ばそうとしていた《暗き者》ごと後ろまで諸共斬り裂いた。

 

 そうしてまた、円陣の中に俺以外の命が居なくなる。どこか余裕さえある為か、今のが4991体目であることも数えられた。

 

『合計二万弱……まだ、いけそうだな』

 

 かろうじて生き返りはしたものの、あまり長持ちはしない。

 

 鎧の力とヴァーゲの吸収・変換する力で耐えているが、今の俺はあちこちひび割れた盃のようなものだ。 

 

 割れ目からこぼれ落ちる力は止められない。また力つきる前に、せめてあと一万は削りたい。

 

『絨毯攻撃だ! 奴諸共吹き飛ばせ!』

 

 どうやら余分な思考ができるのはここまでらしい。

 

 空へ飛び立つ、おびただしい数の翼を持つ《暗き者》達を見る。

 

 同時に地上の奴らも突撃してきて、俺は一番最初にやってきた一体の攻撃を見極め斬り返す。

 

 

 

 

 次の瞬間、空から瘴気の槍や刃物が雨霰と降り注いだ。

 

 悲鳴を上げる同胞を巻き込むのもかまわず、また彼らの方も空撃を無視して俺に突撃してくる。

 

 同族以外に協調性が皆無な彼らにしてはおかしな戦略だ。《黒王》から指示でも出たか。

 

『そう来るのなら、俺も応えさせてもらおう』

 

 トリガーを二回。牛頭種を斬り裂くと同時に横薙ぎの技を解放する。

 

 

 

《ENVY! Ready Go!!》

 

 

 

 飛翔した青黒い剣閃、それが地上部隊と空爆部隊の間の空間を奪い取る。

 

 一時的に虚無空間になったそこに空爆部隊が吸い寄せられ、バランスを直す間も無く墜落していった。

 

 それによって一部の地上部隊が撃沈するも、全てが止まるわけではない。

 

『死ねェァ!』

『断る』

 

 背後から飛びかかってきた奇骨種を、腰のホルダーに納刀しながら刺殺。

 

 キン、と音を立てて根元まで納刀された瞬間、三回トリガーを指で打つ。

 

 

 

《CARNALITY! Ready Go!!》

 

 

 

 抜刀、からの振り上げ。

 

 ホルダーから散った火花より、黒く揺らめく蒼炎が燃え上がり垂直に斬撃が発生する。

 

 《暗き者》達を大量に巻き込みながら、十メートルほど包囲を切り裂いて霧散した。

 

《マスター、慣れてきたじゃん♪》

『油断してヘマはしないぞ』

《ちぇー。面白くなーい》

 

 まったく、こいつは。

 

 自分の間合いであり、安全圏である円陣の中心でヴァーゲを構え直すと、次の敵を待つ。

 

 倒した数は6207。少しだけ体の倦怠感が戻ってきた、ペースアップといこう。

 

 

 

《ANGER! Ready Go!!》

 

 

 

『ハッ!』

 

 ヴァーゲの切先を地面に向け、両手で勢いよく突き刺す。

 

 接触した場所から青ざめた血のようなエネルギーが広がり、円陣を隙間なく満たした。

 

 エネルギーの泉から四体の龍が現れ、蛇のように長い体を唸らせ《暗き者》を蹴散らす。

 

 そのまま体を伸ばしていきながら、さながら嵐のごとく何度も乱回転して範囲を拡大していった。

 

 

 

《LAZY! Ready Go!!》

 

 

 

 間髪入れず、五回トリガー。

 

 左手を空へ掲げると、《暗き者》達を蹂躙していた龍が止まる。

 

 そしてエネルギーへ戻ると、地面に広がる泉ごと俺の上へと集まった。

 

 

 

 

 瞬く間に出来上がった、巨大な青の血塊。

 

 俺はヴァーゲをタクトのように振り下ろすことで解放する。

 

 一瞬の脈動と収縮の後、血塊は無数の棘となって戦場のあちこちへと降り注いだ。

 

 血杭が《暗き者》達を穿ち、地を破り、瞬く間にその数を減らしていく。

 

 全てが放出された時、円陣は三回りほど範囲を広げ、撃滅した数は一万を超えていた。

 

『思ったよりやれるじゃないか、俺』

 

 まだ、戦える。

 

 ヴァーゲを胸の前に掲げ、天へ切先を向けた途端に《暗き者》達がざわめいた。

 

『奴を止めろ! これ以上あの力を使わせるな!』

『遅い』

 

 

 

《GLUTTONY! Ready Go!!》

 

 

 

 六度の連打。

 

 これまでよりさらに鮮烈に魔剣の刀身が光り輝き、重々しい波動が波及する。

 

 それは戦場に撒き散らされた、先の血杭に反応し、殺到していた奴らの足元を大きく揺らす。

 

 ザワリ、ザワリと水音を立てながら、地面から滲み出るように宙へ浮かび上がり、それは七重のトラバサミを作り出した。

 

『こ、これは──』

『皆ごと喰らえ』

 

 

 

 呟き、閉じる。

 

 

 

 逃さぬように外から次々と閉まっていく青血の牙が、何千もの《暗き者》を呑み込んだ。

 

 大地震が断続的に起こり、悲鳴が血の中へ消えていく中……それらが消えた時、立っていたのは俺のみ。

 

 ヴァーゲを下ろした時、ぐらりと視界が揺れた。

 

『く、そろそろキツいか』

《今の雑魚マスターだと、あと一度が限界じゃない? そろそろ逃げたほうがいいよ》

『そう、だな。ここらが潮時……』

 

 

 

 

 

 その時、第六感が危機を感じ取った。

 

 

 

 

 

 空を見上げる。  

 

 すると、どこからともなく大量の瘴気が現れ、みるみるうちに見覚えのある大剣を作り出した。

 

 動いたか、《黒王》が。いい加減に俺のことが目障りになったのだろう。

 

『……丁度いい。()()で終わりにしよう』

《キャハハッ! だいたーん! でもそういうの、嫌いじゃないよ?》

 

 つい昨日、大きく劣勢に傾く原因になったそれに、しかし俺は仮面の下で笑った。

 

 すっかり元の怠さが戻ってきた体に喝を入れ、今一度ヴァーゲを掲げる。

 

 その時、大剣が振り下ろされた。

 

 

 

 

 

《ARROGANCE! Seven Sins!! Ready Go!!!》

 

 

 

 

 

 最後に、七度トリガーを押す。

 

 加えてスロットのデモンズボトルの底を叩いてさらに押し込み、成分をヴァーゲに注入した。

 

 赤い輝きを何倍にも増したヴァーゲを、もう眼前にまで迫った大剣へと突き出す! 

 

『ハァッ!!』

 

 極太の刃と、赤い鋒が衝突する。

 

 激しく火花を散らし、魔力と瘴気をせめぎ合い──やがて、崩す。

 

 青黒い光に侵された箇所から、みるみるうちに大剣は侵食されていき、俺のものとなった。

 

 空へ掲げたヴァーゲに連動して、青の亀裂に支配された大剣が轟音を立てて動く。

 

『何なのだ、貴様は。一体、何だというのだッ!!』

 

 いずれかの《暗き者》が、俺へと叫ぶ。

 

 そんな奴らに、俺はヴァーゲの柄を堅く握りしめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『──傲慢な想いを貫く者。己の未来の為、お前達の屍を越えていく者だ』

 

 

 

 

 

 

 

 躊躇なく剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 落下した大剣が、《暗き者》の津波を作り上げながら地面に亀裂を作る。

 

 

 

 

 

 そのまま体ごと回転して薙ぎ払い、殺せる限りの《暗き者》を殺し尽くした。

 

 

 

 

 

 

 最初の地点に戻ってきた瞬間、コントロールの限界が来て大剣はゆっくりと霧散してしまう。

 

 その代わりに、凡そ二万──昨日と合わせれば三万を超える《暗き者》を屠り去った。

 

『ぐ、ぁ…………』

 

 そこで、限界だった。

 

 絶えぬと思っていた黒波が周囲から消えたのを視界に収めながら、両膝をつく。

 

 変身が解除され、今度こそ力尽きてその場で顔から崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「っ、今だ! 総員、出撃せよッ! 《暗き者》達を滅ぼせッ! 彼を──フールを、絶対に救い出せッ!!!」

 

 

 

 

 

 女王と、戦士達の咆哮が聞こえる。

 

 どこか遠くなっていくその感覚は、けれど命が失われていくものではなく、極度の疲労によるもの。

 

 ああ、ワーカーホリックだなんだとあいつに言われるが、確かに、これは。

 

「しば、らく……休みを、もら……い…………たい…………な……………………」

《キャハ、お疲れマスター。楽しかったよ。ちゃぁんと休んで──それから、また一緒に楽しもうね?》

 

 

 

 

 

 

 

 そして、泥沼のような睡魔の底へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 ……温かいものが、俺の頭を撫でている。

 

 

 

 

 

 

 

 それは、子供の頃以来滅多に撫でられることの無かった母さんの手の温もりに似ていて。

 

 でも、愛を感じつつも乱雑な母さんのそれとはどこか違う。

 

 それよりも繊細で、細々しく。

 

 優しくて、どこか慈しみがあって……

 

「………………ぅ」

 

 どうにかという思いで、瞼をこじ開ける。

 

 しばらくは白と黒の明滅した世界だった。景色を視覚化する神経が安定していないらしい。

 

 頭の奥で響く甲高い音と、耳が丸ごと無いような麻痺が併せて起こり、暫く耐える。

 

 ようやくぼんやりと見えるようになった視界の焦点を必死に絞って、はっきりとさせる。

 

「ここ、は……王宮、の…………」

 

 俺の、使っていた部屋。

 

 どうして、ここに……

 

 

 

 

 

「──あら、目が覚めたのね」

 

 

 

 

 

 耳朶を振るわす、艶やかな声。

 

 機能を取り戻したばかりの耳に響いたその声に、全身が震える。

 

 まさか、ありえない。

 

 そんな風に思いながらも、頭の上で止まった手の感触と、後頭部に感じる柔らかい暖かさが。

 

 俺の体が、記憶が、心が肯定する。この世界にいるはずのない〝彼女〟の存在を実感する! 

 

 そんなはずはない、そう何度も何度も、心の中で否定して、それでも上を見上げると──

 

「ふふ、間抜けな目覚めの顔。眠っている間はあどけない少年のようだったのに。少し、残念ね?」

「ぇ……いこ…………!」

 

 ああ、ああ。

 

 そこにいたのは、毒より甘く、蜜よりも毒々しい、少し嗜虐的な微笑を浮かべているのは。

 

 俺の最愛。俺の唯一。

 

 たとえ何万の命を踏み躙ろうとまた会いたいと願った、その人だった。

 

「えぃ……こ……えい、こ、英子っ!」

「はいはい。そんなに何度も呼ばなくても、(わたくし)はここにいてよ? それとも幻と思っていて?」

 

 彼女だ。俺を試すような言葉にそのことをまた確信する。

 

 そして自分が死んでいないことも。

 

 何でここにいるのかはわからないけど、ちゃんと生きて、また会えたことを。

 

「君の……君のところに、帰り……たかったんだ」

「ええ、そうでしょうね。貴方は私のお人形さんだもの」

「その為に……できることをしようと、思ったんだ。俺にはそれしか、分からないから。それが、誰かに間違ってるって、そう言われることであっても」

 

 ひどく乾いた喉を奮い立たせ、必死に話し続けて言葉を取り戻す。

 

 言いたい言葉に体が追いつかない。一週間と少し会えなかっただけなのに話したくてたまらない。

 

「言わせておきなさい。貴方が私のために努力した。その他にどんな事実が必要だというの?」

 

 傲岸不遜な笑みとセリフが、なんとも彼女らしくて愛おしい。

 

 免罪のようなその言葉に嬉しがりかけて、けどそうじゃ無いと自分のことを戒める。

 

 伝えなくては。俺がこの世界でやっと導き出した、迷いの答えを。

 

「……ずっと怖かったんだ。傷つけることじゃなくて、君を失うことが。手を伸ばせば壊してしまいそうな気がして、あの時みたいになってしまうと思い込んでいて。だから、君を綺麗なままにしたいなんて考えた」

 

 君を美しいだけにしたい。かつて呪いに冒されていた彼女に投げかけた願い。

 

 それは純粋なものだったと断言できる。けどこれは、もっと汚らしい、単なる自己満足だ。

 

 それじゃいけなかった。ただ眺めるだけで幸せになった気でいるのなんて侮辱でしかない。

 

「だからせめて、君に相応しい存在になりたかった。与えた傷と犯した罪に釣り合うほどのことをして、君に認めて欲しかったんだと思う、俺は」

「…………ふぅん」

「だから色々頑張ってみたんだけど……やっぱりダメだな。最後の最後で格好つかないや」

 

 いっそ南雲のような強情さや、あいつのような鋼の意志が俺にもあればな。

 

 イマイチやり切れない気持ちになる。こんなんじゃ、彼女も呆れいっっだ!!??? 

 

「っだぁ!? ちょっ、いった、なんでデコピン!?」

「ふん。つまらない演説を長々と聞かされたこちらの身にもなってみなさい。お灸の一つでも据えたくなるというものよ」

 

 えぇ……たしかにシラフなら恥ずかしいセリフ連発したけど、そんなに変だったか? 

 

 意味がわからずに困惑していると、呆れた表情をしていた彼女は溜息をつきながら。

 

 白磁の両手を、俺の頬に添える。

 

「いい、よく聞きなさいこの愚か者」

「は、はい……?」

「あれは私にとって最上の経験。そう言ったでしょう。貴方を愛する気持ちになりはすれど、もう欠片も気にしてはいないの。まずはその勘違いを改めなさい、馬鹿者」

「……す、すみません」

 

 本気で気にしてない顔だった。本気と書いてマジと読むくらいの怒り顔だった。

 

 えっ、じゃあ本当に気にしてなかったのか? 

 

 俺に気負わせないために言ってたんじゃなくて、本気でもう傷つけたことはどうでもよかったと? 

 

「……よくよく考えれば、君は俺にそんな気遣いをしてくれる優しい女じゃなかったな」

「当たり前のことを言わないの。貴方をそんな風に思っていたのなら、今以上にきつく躾けてますわ」

「今以上……?」

 

 すでに身も心も調教されきってる気がするんだが。

 

 まだ見ぬ領域に疲労以外の何かで体を震わせていると、彼女は目を細めて言葉を続ける。

 

「そもそも、根本的に間違っているわ」

「根本的って……?」

「私に相応しい? 見合った罰? 釣り合うための行い? この愚か者は、何を的外れなことばかり言っているのかしら」

 

 ハッ、と久々に聴いた、一切甘いものを含まない軽蔑の嘲笑。

 

 俺のこの考えは完全に間違いであると、宝石のような翠の瞳が冷たく訴える。

 

「馬鹿馬鹿しい。この私が、清廉潔白な英雄を求めているとでも思って? そのような薄汚れた布切れ一枚にも劣るモノ、願い下げですわ」

 

 そして、と彼女は言葉を切って。

 

「私が欲しいのは、たった一人。進む道に迷い、選択に迷い、己に迷い──それでもなお歩みを止めることだけは決して選ばない、愚直な男」

「…………っ!」

「私が欲しいのは、ありのままの貴方。くだらない鋳型に当て嵌めようとして歪ませたものなど、まったく美しくない」

「英、子……」

 

 全身を駆け巡る驚愕と感動に、呆然と名前を呼ぶ。

 

 すると、彼女はようやくいつものように妖艶な笑みを浮かべた。

 

「そのままの貴方でいなさい、光輝。貴方は貴方。それ以外の何かにはなれないし、ならせはしない。ただずっと、私の隣にいればいい。お分かりになって?」

「…………あぁ、よく分かったよ」

 

 心底、この(ヒト)から離れられないということが。

 

 そんなことを言われてしまっては、もうあれこれと頭の中で理屈を捏ねられない。

 

 俺はそのまま、この自分のままで彼女を守り続けていくのだと、そうすんなり思える。

 

「目は覚めたかしら?」

「ああ、今度こそはっきりとな」

 

 二人で笑い合う。

 

 

 

 

 

 やっと、帰って来られたのだと実感した。

 

 

 

 

 




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