ベルセルクに関する一連の事件は、終息を迎えつつあった。
浩介達が攻略した施設を含め、あらゆる研究施設は軍と保安局によって制圧。
それなりの被害は出たものの、無事にベルセルクの原品や研究データを押収することに成功した。
また、捕縛したレジナルド・ダウン教授は【ベルセルク】窃盗と事件への重大な関与をしたとして正式に逮捕。
現在は保安局がその身柄を預かり、ケイシス共々、事情聴取による事件のさらなる詳細の調査が行われている。
ちなみに死亡フラグを立てていた保安局強襲部隊隊長のバーナードだが、ちゃっかり生き残っていた。
次々とフラグを立てては奮闘する様を分身体の記憶から見た浩介は、この人死神と幸運の女神に愛されてるなぁと顔を引きつらせたものだ。
そうして、長いようで短い悲劇は終わりを見せ始めたが……
「……はぁ」
国家保安局、局長室。
どこか冷厳たる雰囲気を醸し出すその一室に、それは深いため息が木霊する。
発生源は部屋の最奥、高級感溢れる革張りのチェアーに座した一人の女傑。
デスクに両膝をつき、組み合わせた手に額を乗せた彼女──シャロン=マグダネスは、非常に疲れた顔をしていた。
「すごいため息ですね、局長。大丈夫ですか?」
「それはむしろ、こちらのセリフだけれど。アレン、あなたもう大丈夫なの?」
「ええまあ。一応、ダウン教授を守り切ったご褒美ってことで、彼に治してもらいましたので」
ピカソ風の顔面を元の冴えないものに戻したアレンは、へらりと笑う。
「そう。それは良かったわね……で。
そんな彼に、シャロンは抜き身のナイフのように鋭い眼光を向けた。
「……あー、えーっと。それはその、目下全力で捜査中というか、死に物狂いでやっているといいますか、はい」
「アレン?」
「み、見つかってないですッ!
「そう…………はぁ〜〜」
アレンを一瞥した瞬間の威圧感から一転、またしても魂ごと抜けてしまいそうな嘆息が漏れる。
加齢によるものではない皺が深く刻まれた彼女の表情が、端的にその心情を表していた。
「してやられたわね……まさか、グラント博士を一家丸ごと連れ去られるなんて」
「忽然と姿を消しましたからねぇ。まるで本当の影……元から存在してなかったみたいに」
シャロンの苦悩の原因。
それは影の使者、〝牙〟と名乗るあの男……浩介であった。
浄水施設での作戦が完了した直後、監視下に置かれていたはずの彼はエミリーと共に行方をくらませたのだ。
当然軍や保安局は騒然としたが、そこまでは予想できたことだったのでシャロンがどうにか混乱を収めた。
問題はその後だ。
回収された【ベルセルク】の原品とデータが、何者かによって全て破壊されたのである。
関係各所が落ち着き、事件の処理に追われて動きが鈍ったタイミングでの犯行だった。
誰がやったのかなど言うまでもない。
シャロンは即座にヴァネッサを呼び出し、どうにか浩介を連絡を取ると、返ってきたのはたった一言。
「〝全てを闇に葬る〟……文字通り、何もかも無に帰したわ」
「おかげで散々に上から吊るし上げられましたね、ははっ……」
お偉方の責任追及と疑問の嵐を思い出したのだろう、アレンがぶるりと体を震わせる。
国内最高峰のセキュリティを誇る軍や保安局の施設が次々襲撃された報告を聞いて、シャロンも乾いた笑いしか出なかったものだ。
結局、なすすべなく【ベルセルク】にまつわる物品は残らずこの世から消し去られた。
その後、全て終わったと言わんばかりに浩介からの連絡は途絶している。
「ところでパラディ捜査官は?」
「本日も欠勤してます」
「そう……消されたと考えるべきかしら?」
「もしそうなら、僕達は既に彼女の存在すら忘れているのでは?」
「でしょうねぇ」
数日前から〝しばらく自由行動します〟と言ったきり音沙汰のない部下にシャロンの頭が痛む。
「それにしても、唯一の接点だったグラント博士の家族を連れ去られたのは痛いですね」
「元より彼は〝あの男〟の尖兵であると、自ら公言していた。グラント博士を保護したのも、元をたどれば自分の所属する組織の任務であると。ならば、足がつかないようにするのも当然よね」
奇抜な言動で忘れがちになるが、浩介は決して善意から介入してきた正義の味方ではない。
シャロン達とも、ケイシス達ともまた違う思惑で動いていた、正体はおろか実在さえ曖昧な謎の第三勢力。
そんな相手にエミリーを確保されたことは、今回の事件における最大の損害とも言える。
「しかし、だとすると疑問が残りますね。最初にあのホテルでグラント博士を連れ去った時、そのまま消えればよかったのに」
ベルセルクによって混乱した状況が続いた方が、浩介にとっては上手くいったはずだ。
それなのにどうして後始末までしていったのかとアレンが問えば、シャロンはかぶりを振る。
「彼の言葉を信じるならば、〝信念〟故に……と思うしかないわね」
「彼個人の価値観による行動、ということですか。それでここまでやられたら、後ろに控える組織の全容はいったいどれほどのものか……」
「だからこうして胃を痛めているんじゃない」
キリキリとする自分のお腹に、彼女の口からは忌々しげな三度目の溜息が出てしまう。
現状、〝あの男〟とその組織がエミリーをどのような目的で欲しがったのかはわからない。
正確にはその知識を、と言った方が正しいか。
実際に対面した〝彼〟の底知れなさを知る二人としては、前触れなくベルセルクの力で世界が崩壊しないことを願うばかりだ。
「あるいは、全てがパフォーマンスだったのかもしれないわね」
「パフォーマンス、ですか?」
「ええ」
デスクの上にある資料を一瞥するシャロン。
それはファントムリキッドについての資料と、各施設から回収されたベルセルク・マシンの報告書である。
どちらも本格的な研究が始まる前に、
(
「この程度のことは容易に起こせるという示威行為。そして、自らそれを解決する力があるという証明。そう考えれば辻褄が合うわ」
「うへぇ。もう何を聞いても驚きませんよ」
「あれほどいきり立っていた上の方々から、前回の報告以降ピタリと追及が止んだのも不気味よねぇ」
「それも根回し済み、ということなんでしょうか……これ、僕達もう詰んでません?」
この国はもはや、完全に〝彼〟の操り糸に繋がれてしまっているのではないか。
そんな意図を込めたアレンの一言に苦い顔をしつつ、シャロンは両手を解いておもむろにデスクの引き出しを開ける。
「そうね。だからこそ……これがあるのよ」
取り出したのは、一見なんの変哲もなさそうなUSBメモリーだった。
アレンの顔に恐怖とも感心ともつかぬ引き攣った笑みが浮かぶ。
「絶対やばいですよねぇ、ベルセルクの研究データを隠し持ってるなんて知られたら。切り札にでもするおつもりで? 僕としてはさっさと破棄した方がいいと思うんですけど」
「滅多なことを言わないでちょうだい。隠し持っていたりなどしてないわ」
「え? でも持ってますよね?」
「彼が察していないはずがないでしょう。あの手の裏の人間は、自分の手で確認するまで決して他人の言葉など信じないわ」
じゃあどうして尚更、と困惑した様子のアレンに、チェアーに背中を預けたシャロンは虚空に視線を投げる。
「ただ、交渉材料という意味ならば……そうね」
USBメモリーを弄んでいた手を、不意に止めて。
「お眼鏡には適ったかしら、闇の使者さん?」
「え? 局長、何を言って……」
「──よく気がついたな」
突如として部屋に響く、第三の声。
二人の前、部屋の中にある影からゆっくりと滲み出るように人影が現れた。
その身に纏うは漆黒のスリーピース。ネクタイを留めるのは、九の蛇に囲まれた紫蛇のエンブレム。
金の髑髏が描かれた面をそっと外して、浩介はシャロンを見た。
「あ、アビィさん、いつからここに? というかここ、一応最高レベルの警備が……」
「ま、ちょちょいとな。それにしても驚いたよ、まさか察知されるなんて」
「あら。気が付いてなんていないわよ。ただ、タイミング的にそろそろだろうと思っていただけ。そうでなかったら、私は声を大に独り言を言う可哀想な老人よ」
「そりゃベストな時期だったようで」
ちょっと残念そうにしながらも、スタスタと歩いてデスクの前に行く浩介。
「あんたも大した度胸だよ。俺ともう一度話すために、そんなものを残しておくなんてな」
「〝彼〟が最終的に、我々へどのような判断を下すのか聞いておかなければ、おちおち夜も眠れないわ」
「確かにな」
浩介がジャケットの内ポケットに手を入れ、一枚のタロットカードを取り出す。
紫の衣装に身を包んだ道化の描かれたそれを、デスクの上に置いた。
「これは?」
「昨日、俺が拠点にしてる場所に届いてた。〝オーナー〟からあんた宛に届けてくれ、だとさ」
カードを見下ろし、ごくりと生唾を飲む二人。
シャロンが、若干震える手を鉄の女と呼ばれた所以たる鋼の精神で律して伸ばす。
慎重にカードを取り、ゆっくりと裏返して……書き込められていた一文に目を見張った。
〝道化と相乗りする覚悟はあるかい、局長さん? 〟
「……許された、という解釈でいいのかしら」
「かもな。ただ、今後もおかしな真似はしない事をお勧めするよ」
「肝に銘じておくわ」
疲労が伺える四度目のため息をしながら、USBメモリーを差し出す。
浩介がそれを受け取って、人差し指と親指だけでいとも容易く破壊してしまった。
「よし。これでデータは全部か?」
「これで正真正銘、あとはグラント博士の頭の中だけよ。確かめる手段ならいくらでもあるのではなくて?」
「さてね」
仮面を被り直し、踵を返す浩介。
「組織からは追って対談の通達が来るらしい。俺はこれで失礼するよ」
「待ちなさい」
彼が消えようとしていることを察したシャロンが、鋭い声で呼び止める。
並々ならぬものを感じ取った彼は、ふと立ち止まると顔だけを後ろに向けた。
「何かな?」
「……一つだけ聞かせて。彼女は……グラント博士は、無事なの?」
その質問には、浩介が仮面の下で息を呑むほどの感情が込められていた。
こちらを射抜くような老女の眼光に、改めて感心してしまう。
どれだけ傷つけたといえど、エミリーもまた彼女が守ると誓っている国民の一人。
ただ今回は国の指示で追いかける側になっただけにすぎない。
故にそれは、英国国家保安局局長として、謎の裏組織の刺客に向けた全霊の言葉だった。
「……あんた、やっぱりすげえよ」
「お褒めに預かり光栄ね。それで、どうなの?」
「……無事だよ。今も、これからもな。少なくとも俺がそばにいる限りは絶対におかしな真似はさせない」
たとえ相手がケイシス達のような輩でも、彼が絶対と仰ぐ〝あの男〟であっても。
彼の揺るがぬ信念をその背中に見たシャロンは、しばらく睨みつけて……ふっと脱力した。
「そう。それなら彼女を預けておくわ、ミスターアビスゲート」
「任せろ。また機会があれば会おう、護国の鬼殿」
次の瞬間、浩介の姿はその場で霧散した。
「あ、あれっ、今本当に消えて……え、ええっ?」
「最初から本体ではなかったのでしょう」
アレンが動揺したようにオーバーなリアクションをするが、シャロンは微糖だにしない。
薄々ここにいるのが分身体だと勘付いていたのか、再びチェアーに体をもたれさせる。
「はぁ……引退しようかしら。そうでなくとも、しばらく休暇が欲しいわ」
「その時は僕も連れて行ってくださいね、局長」
「どうかしらね」
「きょ、局長ぉ」
情けない声を出すアレンをするっと無視して、彼女は憂う。
これから先、長く続いていくだろう〝あの男〟との関係を。
シャロンの心労と胃痛との戦いは、始まったばかりだ。
読んでいただき、ありがとうございます。