希望ヶ峰学園――っていうと、もはや国内でも国外でも知らない人はいないのではないかというほどに有名な学校だ。政府公認の学校。確か、あらゆる場所から『超高校級』の才能を持つ高校生を集めた学校だとか、中等部やら付属小学校もあるって聞いたことあるけど、正直、あたし個人としてはあんまり興味は無かった。あたしが好きそうな奴がいなさそうで、退屈そうな学校だと思ったし、裏の方だと希望ヶ峰のいい噂なんてほとんど聞かなかった。非人道的な人体実験を繰り返してるとか、賄賂と不正が跳梁跋扈してるとか、事実なんだか眉唾なんだかも分からないような話ばかりだったが、一概に否定できる類の噂ばかりではなかったのも確かだ。それに、希望ヶ峰の関係者と会ったこともあったが、あまりいい感じがしなかった。いい感じと言うか、いい感じに悪い感じを出していた。才能の研究施設である学校にとって、あたしは本当に格好のサンプルだってことだろう。確かに、自分で言うのもなんだが、あたしほど才能に溢れたやつも、地球上にそうそういないだろうぜ。その分、欠点も同じくらい多いんだけど。読心術を使えるあたしにとって、その関係者の腹の内を探ることはそんなに難しいことじゃあなかった。全身を嘗め回すような視線がひたすらに気持ち悪かったのは、朧気ながら今でも覚えている。そして何より印象深いのは、希望ヶ峰の生徒は、『希望の象徴』という大層な呼ばれ方をされているということだ。『希望の象徴』。高校生に付ける二つ名にしちゃあ、ちっとばっかし荷が重い気がしないでもねえ。希望って言葉自体、どうも抽象的であやふやした言葉だしな。で、今とろみはなんつったっけ? 希望ヶ峰の生徒を抹殺しろって言った?
「はい、言いました。潤さんの聞き間違いでも、私の言い間違いでもありません。それこそが未来機関から私たちへの依頼の内容で、私たちから潤さんへの依頼の内容です――」
と、そこまでとろみが喋ったところで、その通話は突如打ち切られた。いつまで持つかも分からない回線だったことを考慮すれば持ったほうだと言えるかもしれないが、この場合、通話を切った原因は電波の不調や回線の断絶にはない。あたしが持っている電話そのものが、どこからか撃ちこまれた銃弾によって貫かれたゆえの結果だ。どこからかっつったって、誰が撃ったかもはっきりしてるし、なんだったらもうあたしがボコったかも知れないが、如何せん判断がつかねー。少しだけあたしの現状を報告すると、あたしはさっきから、白と黒の気味が悪いコントラストで彩られたセンスの欠片もねえマスクを付けた集団に襲われている。そいつらが使っている獲物はバラエティ豊かだった。鉄パイプだったり拳銃だったり、鋸だったり刀だったり。あたしを狙っている理由は皆目検討つかねえけど、あたしを狙っているということだけは確かな事実だった。あたしは穴の開いた電話を見つめながら、鉄パイプを振り上げて向かってきた男の腹を蹴る。ん? 男だよな? マスクしてるから分かりにくいけど、胸もないから男だろ、多分。女だったらごめん。吹っ飛んだ男に巻き込まれるように、後ろにいた数人もまとめて倒れこむ。十人くらい倒れたと思うんだけど、なにせ数が多い。人海戦術にも限度があるだろ。包丁を握り締めて走ってきた女を投げ飛ばしながらあたしは考える。とろみからの依頼を受けるか受けないか。友達の頼みを断るほど薄情じゃないとさっきまでは考えていたが、その内容が内容だ。つーか、その未来機関とかいうのは何を考えてそんなことを頼んだんだ? ひょっとしたらとろみはあそこからそれを説明しようとしてくれていたのかもしれなかったけど、通信手段が壊されちまった以上、連絡の取りようもねえ。ただでさえ、あたしはいま自分がどこにいるのかも把握してないってのに、再び連絡を取ろうとすんのは無謀ってもんだ。思考よりも感情を優先して行動するのがあたしではあるんだが、感情に任せたところで現状打破はなかなかに難しそうだった。さっきも言った通り数が多い。尋常じゃねえし常軌を逸している。ちなみに、もう少しだけ詳しく今のあたしの状況を説明するなら、日本のどっかの町の大通りの電話ボックス付近だ。電話ボックスって言ったって、透明なその箱はすでに粉々に砕けていて、箱の要素なんか微塵も残ってねえ。枠組みでさえベキベキだ。だからこそ、とろみの努力が伺えるって話でもあるんだが。電気の通ってねえチェーンソーを振り下ろしてきた男の側頭部を手加減して蹴る。思いっきり蹴って、そのまま纏めて蹴散らしてもいいんだが、さすがに事情もわからねえうちに首を刎ねるのは抵抗がある。だけど、一応、現状を打破するにはどうすればいいかは見えてきた。少しずつ地道に、マスク集団の数を減らしていくことで見えてきたあいつ。
「…………」
マスクをしてねえ優男。じっとこっちを見据えて微笑を浮かべているその優男が、この場においての核なのだろうとあたしは予想する。目標は決まった、あの薄気味悪い男を叩き潰す。あたしは三人くらいに一斉にソバットをかましながら、足元に落ちている包丁と鉄パイプを拾う。足元に転がっている男からマスクを剥ぎ取り、流れ作業で何人かの顎に肘鉄。後頭部のほうで結んであった紐を抜き取り、包丁と鉄パイプを結びつける。簡易型ではあるが、それなりに殺傷力のある槍の完成だぜ。あたしが武器を持ったことに恐れをなしてか、マスク集団は一時的にだが少し後ろに退く。ゲイ・ボルグ――じゃあねえが、あたしはその槍を、優男に向かっておもいっきり投擲した。なんだったら神話みたいに三十ほど降り注いで欲しいもんだったが、贅沢は言えないし、別に言う必要もない。あたし基準の思いっきりだ。まさしく目にも留まらぬスピードで――槍は優男に突き刺さった。ただ、ここでのあたしの誤算は、何人かその槍を防ごうとしたやつがいたということだ。あたしの目測では、投げた槍は腹に突き刺さる、もしくは貫通する程度の予定だったのだが、途中で何人かに触れられて、微妙に狙いが逸れちまったその槍は、優男の喉笛に綺麗に刺さった。浮かべていた笑みを消し、眼球だけで下を見ると、ヒューという音を口から漏らし、後ろに倒れこんだ。あ、やべ。とは思ったものの、倒れ込んだその優男には誰一人駆け寄らず、その場からマスク集団は四散した。一人残されたあたしは、別にやることもないので倒れ込んだ優男に近寄る。顔を見ると、もうすでに絶命していた。二十代――、いや、三十代手前くらいか? 微妙に童顔なその男だが、よく見るとガリガリだった。ちゃんと飯食ってんのかとか心配する義理もねえんだが、痩せ方が不健康すぎるな。食うものがなくて痩せたって言うか、食ってないから痩せたって感じなんだが――だからなんなんだって話か。とりあえず服のポケットを漁ってみる。携帯とか無線とか、じゃなくてもなにか身分が分かるものはっと。お、ズボンの右ポケットに機械発見。もはや許可を取る必要もないだろう、あたしはその機械を取り出す。折りたたみ式の端末か。うーむ、どう見ても携帯じゃねーな。なんかガッカリだぜ。まあ、得られる情報は得とけ的な気軽なスタンスで、あたしはその機械を開いて、電源らしきボタンを押した。……なんだこりゃ。『希望ヶ峰学園電子生徒手帳』? 鷹觜木ノ葉? おいおい、もしかしてこいつ希望ヶ峰の生徒なのか? と思ったが、少しその機械をいじると詳細な情報が出てきた。鷹觜木ノ葉、『超高校級の掃除人』、希望ヶ峰学園第70期生。まじでか。うーん、殺す気はなかったとはいえ、依頼に則った行動をしちまった。こうなった以上、もはや依頼を受けないで、再び放浪するという選択肢は選択不可能だろう。依頼を真っ当に全うする気がなくともこういう結果になっちまうっていうのは、あたしの請負人気質を如実に表している気がして若干笑えた。死体の前で笑うのも不謹慎な気がしたけど、あたしも殺されそうになったわけだし、正当防衛って言ったらどうにかなるだろ。ま、殺人を取り締まる警察なんかまともに機能しちゃいねえけどな。そこら中のビルやら民家やらが崩壊しかかっているこの状況で、死体なんか別に珍しくもねえし。『人類史上最大最悪の絶望的事件』の真っ最中である現在、特にやることのないあたしに依頼が来るというのは、やっぱ、前に小唄が言ってたみたく、神様があたしを退屈させないようにしてんのかねえ。やることの優先順位くらいちゃんと決めろっての。さて。あたしはしゃがんでいた体制から立ち上がり、『電子生徒手帳』とやらをポケットに入れる。とりあえずあたしがこれからするべきことはなんなのかということを考えなければなるまい。いくらあたしが人類最強の請負人であるとは言え、今の世界はとてもとてもデリケートだ。プリンみたいにデリケート。机上の空論の上に建てられた砂上の楼閣みたいに繊細だ。いつもみたいに力で捻じ伏せて全部解決! ってわけにゃあいかねー。あたしがしなくちゃいけないのは、ここがどこなのかの把握と、希望ヶ峰学園第70期生の現在の所在の調査だ。まさかとろみも、そこまで自分で調べろとは言う気は無かっただろうと思うし、少しは情報をくれる気はあったのだろう。だけども。振り返ると、そこには見事に穴の開いた受話器が、本体からぶら下がっていた。これじゃあもう一回連絡を取るのはまず無理だな。どこかで電話を見つけたとしても掛けなおす電話番号がわかんねえし、あたしの持ってる携帯は圏外だし。ゲームやるにしろネットやるにしろ連絡取るにしろ、電波の繋がらねースマホってまじでただの箱だな。暗いところで明かりを点けられるとか、メモで記録を残せるとか言うかもしれないけど、あたし目も記憶力もそれなりにいいからそんなに必要としないんだよな。うーん、そろそろテレパシーとか出来るようにならないもんかね。人間っていうのはこういうとき不便だぜ。とりあえずここがどこなのか調べてみるか。鷹觜くんの死体をその場に残して、あたしは歩き出す。そういや、鷹觜くんはどうしてあたしを襲ってきたんだ? 本来ならもっと早く考えてもいいような疑問ではあったが、深く考えないのがあたしの長所であり欠点だ。あたしが――人類最強の請負人が、この町をどうにかしたようにでも見えたのだろうか。あたしに襲い掛かってきたってことはあたしのことを知らなかったのか? 示際くんの時みたいに意気軒昂と挑戦してくるやつなら、ごくごく稀ーにいたりもするけど、大体はあたしのことを知ってればあたしに挑もうとはしない。なんたって人類最強だし。だが、あたしが依頼を受けて殺そうかどうか迷っていた希望ヶ峰の生徒に、海外から日本にどうにかこうにか辿り着いたばかりの今、どこかもわからないこの地で偶然襲われたっつーのはなかなかにありえない話だろう。つまり、あたしは明確な目的のもと狙われたのだろう。鷹觜木ノ葉に、命を狙われた。なぜか。あたしは依頼の解決のために外国(詳しく言うとロシアの田舎のほう)で粉骨砕身していたところ、突如として、世界を未曾有の大災害が襲った。『人類史上最大最悪の絶望的事件』。突如としてっつーのは正確じゃねーか。その前兆自体は誰も気付かないレベルで世界に浸透していたとか、現地の誰かが言ってたし。それが正確な情報だという証拠もないけど。ただ、この事件の発端が日本だという話だけは、あらゆるやつの話からあたしの耳に入ってきた。色々な人脈やら繋がりやらを駆使して日本に戻ってきたら、どこもかしこも荒れ放題だ。せめて太陽でも出ていてくれれば、今の時間と照らし合わせてここがどこかの大体の場所がわかるんだけど、空は暗雲っつーか、健康に悪そうな色の雲に覆われていて、太陽どころか青も見えねー。ロシアの方も韓国の方もここまでじゃなかったんだけどなー。
「すいません、哀川潤さんですよね? やっと会えました! ずっと探していたんですよ。ずっとって言っても数十分ですけど。しかし、こんなにあっさりと他愛なく見つけられちゃうなんて、案外拍子抜けですね」
後ろから声をかけられた。このゴーストタウンに等しい廃墟街で、だ。続けて、
「あんたが鷹觜を殺したって情報が入ってきてるんだけど、本当か?」
二人目の声も聞こえた。先の声はやたらと若い。声質自体は男だけど、まだ変声期を迎えていないレベルの幼さ。一方で後の声は、それなりに歳を食っている男の声だった。歳食ってるって言ったって、三十代手前くらいの声質だけど。ん? そういや鷹觜くんもそんくらいだったな。ポケットの電子生徒手帳の固さを感じながら、あたしは振り向く。予想通りと言うか声の通りと言うか、そこにいたのは幼い男の子とこちらを睨む男だった。片方は笑っていて、片方は怒っている。隣り合ってるってのに随分な温度差のある二人だった。笑ってる男の子の方が異常であることはもはや言うまでも無いと思うが。つーか、外国人か? 顔つきが日本人のそれとは明らかに違うし、髪の色が黒じゃなく金髪に近い色だ。なのにあんな流暢な日本語を話してるとは、末恐ろしいね。
「はじめまして、哀川潤さん。ぼくは『超小学生級の道徳の時間』、ニーチェ・モラルハザードです」
ニーチェ・モラルハザード? ニーチェが倫理崩壊とは、なんとも笑えない名前だが、この惨劇が満ちている街中で平然と笑いながら、流暢に日本語を話している様子から見て、確かに倫理観は崩壊しているのだろう。いや、崩壊しているのは世界の方なのかもしれないが。どっちも崩壊してるか。
「質問に答えろよ、赤色。お前は本当に鷹觜を殺したのかよ?」
目を細めて再びあたしに問う男。それしかしゃべれねーのか。つーか、質問に答えろよも何も、後ろを振り返ってから質問に答えられるような時間的猶予は一切なかったし、余裕を与えなかったのはお前の隣にいるニーチェくんだ。文句を言うならあたしじゃなくその小学生に言ってくれ。
「ダメですよ、人にものを尋ねるときは、こちらから名乗って歩み寄らなければ。不躾な態度は人間関係に確執を生むことになってしまいます」
ニーチェくんが男を諌めるようなことを言う。いや、だからあたしに答えを喋らせるだけの時間をくれなかったのはお前だから。きちんとした意思を持っての責任転嫁なのかなんなのかはしらねーけど、男はその言葉で説得されたのか、自己紹介をしてきた。
「……俺は『超高校級の悪人』、瘧土不非だ。で、お前は鷹觜を殺したのか?」
しつけー。三回の台詞で三回同じ質問してきやがった。おこりどあらず――どういう漢字なんだ? 怒り、起こり、瘧? 戸、度、土? 発音的には『おこり』の部分で一回区切ってた気がするし、瘧土かな。あらずのほうに関しては見当もつかねーけど。で、瘧土くんのいやに執拗な追求に、あたしは反射的に答える。ほぼ事故だったけど、鷹觜くんの周りにいた変なマスクの集団が軌道を変えたから刺さったんであって、あたしは殺さないよう腹を狙うつもりだった、と。
「あ? あいつらが余計なことしたってことか? こりゃ後でこの近くにいる奴らは皆殺しだな……」
物騒なことを平気で言う瘧土くん。漫画みてーに顔に血管が浮き出ていて、本気で怒っていることが感じられた。……『超小学生級の道徳の時間』に『超高校級の悪人』か。『超小学生級』ってのがなんなのかはしらねーけど、ニュアンス的に考えて希望ヶ峰学園関連のやつらだろう。ひょっとしたら、いや、十中八九間違いなく、この瘧土くんも70期生のはずだ。鷹觜くんと同じくらいの年齢に見えるし、呼び捨てで慣れ慣れしいとくれば、クラスメイトというのはそんなに間違っていねーだろう。ただ、悲しんでいる素振りとかはまるでない。もう少しで三十代というくらいに、学校を卒業してから時間が経過しても尚、つるむくらいに仲の良い旧友が死んだと知ればもうちょっと狼狽するもんなんじゃないのか? とは言っても、あたし個人としては、友達が死んでも泣かないやつの心境もわからないじゃあない。クソ親父なんかはその際たる例だったしな。『殺し名』やら『呪い名』の連中だって――『零崎一賊』は特殊にしても――まあ泣いたりはしねーと思うし。ただ、希望ヶ峰に通っていたような
「で、いきなりなんですがね、哀川潤さん。ぼくたちがあなたに会いに来たのには一応はそれなりに正当な理由があるんです。哀川潤さん。ぼくたちの仲間になってくれる気はありませんか? というより、そうですね。依頼だと考えてくれて構いません。謝礼はお支払いしますし、それなりの待遇も用意いたしましょう。どうでしょうか、ぼくからの依頼、受けて下さいますか?」
え、やだよ。特に深く考えないまま、あたしは気軽にそう言った。