『砕けよ───!』
「薙ぎ払い、来るぞ!」
カミトが叫んだ直後、彼らの眼前に圧倒的な質量が轟速で迫る。カミトが回避行動を取ろうと獲物を構えたその時、彼の懐から劫火を纏う銀の稲光が、襲い来る巨影に飛来した。
「見え見えだってぇ───の……っ!!」
稲光は剛腕の隙間を縫って駆け、マザーの鳩尾に神速の正拳突きを見舞った。爆発じみた炸裂音と、拳の威力で発生した激風で、盞華の衣装の裾がバタバタとはためく。
しかしマザーにとってはそれも決定打にはならない。特別怯む様子も見せず、マザーは次々と多彩な攻撃を見せる。
マザーは言わば全てのダークファルスの集合体。その様々な能力を駆使し、繰り出される攻撃は予測が非常に難しい。
故にカミトは堅実な戦闘を心掛けていた。大敵ということもあるが、彼は未だ二年間眠っていた感覚のズレがある。戦闘スタイルも以前ほど攻撃的では無くなっていた。
しかし盞華は以前に増して、その攻撃性を研ぎ澄ませていた。元々の高い能力に加え、カミトが眠っていた二年間も休まず研鑽を詰んだ彼女の体捌きは、最早芸術の域に達している。
カミトはそれを頼もしく感じると共に、微量の焦りを感じていた。
置いていかれる感覚、自分が必要とされなくなるのではないかという危惧。それは
「カミト! 前見て前!!」
盞華の警告に弛んだ思考を殴られ、カミトの思考は強引に目の前のマザーへと引き戻された。
眼前まで迫った巨腕を間一髪で受け流し、カミトはホッと溜め息を吐く。
「悪い。助かった」
しかし言葉とは裏腹に、思考は更に泥渦に飲まれる。助けられたという事実が、彼を蝕む楔となっていく。
作戦を始めて暫くは平気だった。動きも安定して、意識も敵に真っ直ぐ向いていた。しかし戦闘が激化して行く中で、カミトは自身の衰えと、盞華の成長を否応にも突き付けられていた。
「クソッ! こんなんじゃ……」
不安はやがて焦りを産む。カミトの動きは時間が経つに連れて、如実に不安定になっていた。
「カミト集中して! ヤバい攻撃が来るよ!」
マザーは仰け反るように力を溜め、怒りに燃える碧の双眸をギラギラと輝かせる。それは範囲攻撃の予兆だと、カミトは何度も戦った経験から予測出来た。
「……ッ!!」
カミトは高く飛び上がり、フォトンアーツ『フォールノクターン』を起動した。ダガーは攻撃の合間にフォトンが盾を張る特殊な効果がある。このフォールノクターンは落下中、前面に攻撃を防ぐ盾を張ることが出来るため、カミトは以前からこれを使用して攻撃と防御を両立させていた。だが、しかし。
しくった───
『滅びよ……!!』
「ガッ───!?」
焦りが生じた結果、フォトンアーツの起動が間に合わず、カミトは無防備な全身にレーザーの照射を浴びた。必殺を孕む威力を受け、カミトの肢体はボロ切れのように宙を舞う。その漂う最中でカミトは視界の隅に、猛攻を掻い潜り果敢に拳を叩き込む盞華の姿を捉えた。
激しく床に叩きつけられ、カミトはフィールドの端まで吹き飛ばされた。
カミトは痛みは感じなていなかった。それは麻痺した感覚が与える錯覚などではなく、カミトが生涯をかけて鍛え上げた肉体によるものだ。
故にカミトに立ち上がれぬ理由はない。四肢は正常に稼働し、まだまだ余力を残している。
だと言うのに、カミトは投げ出した手足に上手く力を込められないでいた。英雄として名を馳せたカミトだが、その本性は普通の青年だ。周囲から向けられる期待と好感の目が、彼にとって煩わしいものとなったのはそう最近のことではない。
そんなものは投げ出してしまえ。周りの評価なんて気にするな。
そう何度も己を諭した。だが結論から言えば、カミトにそんな無責任なことは出来なかった。自分の心に従った結果の産物から目を逸らすことは、過去の自分に負けたと言える行為だったからだ。過去の自分が成した功績を自分が否定してしまっては、一体誰がそれを肯定するのだと、カミトは常に己に問うてきた。
しかし、そうやってがむしゃらに戦うことでしか存在価値を証明出来ない彼にとって、誰にも必要とされなくなることは他の何よりも恐ろしいく、酷く心細いことであった。
広げた掌に、未だ力は戻らない。今の衰えた自分では誰かの役に立つことは出来ないのだという不安が、焦燥が、恐怖へと姿を変えて、カミトを飲み込もうとした。
それでも立ち上がろうとするのは、彼の心がまだ折れていない証明だ。
ゆっくりと、だが着実に。カミトは言う事聞かぬ肉体を起こした。そしてようやく立ち上がろうかという、その時だった───
ガツンという肉がぶつかる鈍い音が響き、カミトの混沌を極めた思考は一瞬で漂白された。驚愕に見開かれた双眸が捉えるのは、情意に震える相棒の姿だった。
鼻が触れ合う程の至近距離。視界いっぱいに広がった鈍色の瞳が、カミトの胸の内の奥底までを見通すように鋭く光る。
鮮烈に燃えるその瞳の輝きは、信頼と呼ばれる色を称えていた。
やがて納得したように、盞華は突き合わせた額を離し、満足そうに掴み上げた襟元を離して微笑んだ。
「───ほら、行くよ」
盞華は、カミトが一体何を悩んでいるのかを理解していた。だと言うのに叱ることも、励ますこともしなかったのは、彼女自身もカミトという英雄に期待を寄せていた一人だったからだ。
だから、彼女はちゃんと知っている。カミトという人間が酷く脆いことも。
そして───
『潰れて消えろ───!』
悲鳴のような絶叫を伴って、巨体がゆらりと宙に躍り出る。マザーは振り上げた【巨躯】を模した腕をフィールドに叩き付け、着床の瞬間に現れた宙に大量の隕石が、周囲一帯に降り注いだ。
狙い済ましたものではない。出鱈目に放り投げられた隕石の大半が、彼らとは遠く離れた場所に落下した。そのうちの一つが、盞華たちの真上に飛来する。
それを迎え撃つべく、盞華は拳に力を溜めた。
「消えるのは───」
収束するフォトンが、燃え盛る炎となって拳を包む。盞華は全身を張られた弓のように引き絞り、着弾するその刹那に、溜めた力を余すことなく解放した。
「お前の方だ……っ!!」
放たれた拳は迫る隕石の真芯を捉え、拮抗することも無く隕石は粉々に砕け散った。だが、訪れた静寂も束の間。
「───えっ?」
砕けた隕石の破片の向こう。そこには新たに迫る別の隕石の姿があった。轟々と迫る隕石の第二波は、飛び散った破片を蒸発させながら既に盞華の眼前まで迫っていた。
盞華にそれをもう一度砕くだけの時間はない。だが、盞華に不安や恐れは欠片もなかった。
「オオ───ッラアァ……ッ!!」
カミトはこれまで幾度となく逆境に立ち、その度不屈の心で這い上がってきた。どれだけ絶望的な状況に立たされても、彼は決して諦めることなく、強欲に最良の結果を掴み取って来た。
───故に盞華は知っている。カミトという人間が、この程度の逆境で腐るタマではないことを。
盞華の脇から飛び出た一陣の風が、迫る隕石を真っ二つに切り裂いた。両断されたそれらは彼女らのすぐ横をすり抜け、エーテルで作られたそれらは勢いを失うと共に粒子となって宙へ舞った。
……おかえり、
「一気に決めるぞ───盞華っ!!」
「応とも! カミトこそ、アタシに遅れるんじゃないよ!!」
……トクン───
カミトと盞華が全身に紅蓮の炎を纏う。吹き上がる業火は散ったエーテルと混ざり合い、紫紺色に燃え上がる。
近接特化クラスであるファイターには、強引に身体能力を劇的に上げるスキルがある。人間は肉体が耐えきれないため、力を発揮する時に脳がリミッターを掛けているというのは有名な話だ。
だが、もしも肉体が耐えられたら? 人間がその身に宿す力を余すことなく発揮できたら?
そんな理想夢想を可能にしたのがこのスキルだ。その名を『リミットブレイク』。身に纏うフォトンの耐久値を大幅に削減し、そうして手繰り集めたフォトンの力でリミッターを解除しても肉体が崩壊しないよう調整を掛ける。
多大なリスクを伴う諸刃のスキルだが、一定時間その状態で戦闘を可能にすることが出来る。
燃え盛る双炎の闘士は宙を焦がし、まるで熱烈なタンゴを踊るかのような阿吽の呼吸で巨体を蹂躙する。既に彼らの間に言葉は不要。業火の帯を引きながら瞳すら合わせることなくマザーを切り裂き、穿ち砕いていく。
こうなったらもう、如何なる大敵も彼らには敵わない。歯止めを失った獣となって、カミトと盞華はその動きを更に加速させていく。その猛襲は熾烈さを颯と増し、嵐のようにマザーを形成するエーテルを削り落とす。
間もなくしてマザーの絶叫が月面に轟いた。自身を形成するエーテルの大幅を削り取られ、最早虫の息の巨影は、最後の力を振り絞って再びゆらりと宙へと躍り出る。
『全てを滅ぼし……我が復讐を……果たす───!!』
フィールド全域に、結晶化するほどの濃密なエーテルが漂う。それは逆さに浮かぶマザーの元へと収束していき、大気を揺らすほどのエネルギーを生み出していた。
「不味い───!!」
この攻撃は現れた結晶を破壊することで食い止めることが出来る。だが現れた無数の結晶は、とても二人では破壊し尽くすことは出来ない量だった。
それでも責めて威力を抑えようと、盞華は四肢に力を込めた。
「───そのまま力を溜めろ!!」
「えっ……? ちょっとカミ───はぁ!?」
渦巻くエーテルの奔流の中を、カミトは躊躇うことなく疾駆する。瞬きの間に収束の中心へと辿り着くと、カミトはそのままマザーの腕を伝って巨体の上を駆け上がって行った。
そのあまりに常識を逸脱した蛮行に、盞華は口元をニヤリと釣り上げた。
「ホント。あれで病み上がりとか、冗談みたいだよね───」
───なんて、感心してる場合かよ。
ポツリと呟いて、盞華は再び拳へ力を溜める。身体能力を強化していたフォトンをも、全身に宿るフォトンの全てを右拳に集中させる。
「あたしも、負けてられないっ……!!」
過剰に留まるフォトンが満月のように煌々と輝き、撞鐘を鳴らしたような鈍い悲鳴を上げる。だがその悲鳴を聞く者は、誰しもこう聞こえただろう。
───これは勝利を呼び込む激昴の砲声なのだと。
「ほら、プレゼントだ……っ!!」
マザーの顔面へ飛び移ったカミトは、その巨大な顔に跨り、孤独と激情に揺れる双眸へ向けて得物を鋭く振り下ろした。
『ギャァァアアアアア───』
宙を割くような大絶叫がフィールドを震撼させ、今にも弾けようとしていたエーテルの奔流は制御を失い弾けるように霧散した。
同時に、盞華は突進を開始した。
向かう先はマザーではなく、着床したばかりのカミトの元だ。拳に全身のフォトンを集めた彼女に、普段ほどの跳躍力はない。ならばこの拳を、未だ宙で苦痛に悶える巨体に届けるにはどうすればいいのか。
「しっかり投げてよ、カミト───!!」
「応! バッチリ一発決めてこい───!!」
カミトは両手を身体の前で組み、迫る盞華を迎える。
「「いち───」」
「「にの───」」
カミトは全身のフォトンを活性化させ、再び強引にリミットブレイクを発動させる。
「「さん───っ!!」」
盞華が踏み込み、カミトの両手に足を掛ける。その勢いを全て上昇の力へ変換させ、カミトは渾身の力を持って盞華を放り投げた。
「その首───貰ったぁぁあああああ……っ!!」
打ち上げられた盞華は、銀灰の弾丸となって一直線に大気を割って宙を切り裂いた。これまで聞いたことのない程の爆発音が轟き、カミトは呆然と宙を仰ぐ。
マザーの悲鳴は上がらなかった。盞華が打ち出した会心の一撃は、直撃の際にマザーの頭部を跡形もなく消し飛ばしていたのだ。
「全く……一撃の重さは相変わらずだな」
堪らずカミトの口から感嘆の溜め息が零れる。
頭部を失ったマザーは原型を留められず、その巨体はエーテルの塵となって霧散した。その塵の雲を突き破って、情けない悲鳴がカミトの鼓膜を劈くように響いた。
「ちょっとカミト気合い入れて投げ過ぎ!! アタシ全身のフォトンを使ったから今生身なんだからね!? キャッチしてよ!? 絶対にキャッチしてよ!?」
高高度から落下する盞華が早口で捲し立てる。カミトは言われるがまま落下予測地点へ行き、キャッチの姿勢を取って───最悪の事実に気付いてしまった。
「悪い盞華……俺ももうスッカラカンだ」
「うっそでしょ!? いぃぃぃいいいやぁぁぁあああ!! 死にたくない死にたくない死にたく───」
決死の面持ちの二人だが、実は受け止める必要はそもそもないのだ。それはこの宇宙空間戦闘用のフィールドが、何故あれほど巨大な質量を幾度となくぶつけられても健全なのか……それをを考えれば、誰でもすぐ理由が分かる。
あれだけの猛攻を受けても傷一つ付かない、ガタガタと揺れることもないこのフィールド。詰まるところ、衝撃を吸収して破壊を防ぐ効果があるのだ。
だが、この場にそれを伝えられる者は居ない。既にパニックに陥った二人がそれに気付くのは、グチャりと肉が潰れる音を聞いたその直後のことであった。