第一話:はじまり
●
人気のない、廃墟の地下。
暗闇の奥深く。
砕かれた鉄扉をいくつか抜けた先に、それはあった。
緑色の光が空間を満たしている。
微かな振動音が空気を震わせる。
その最奥に安置されているのは、人型の闇だ。
闇を見据えて男がつぶやく。
「この闇を生かすべきか、殺すべきか。それが問題だ」
●
それは朝を過ぎた頃、授業中の時間。
カリアンは執務室でいつも通りに書類を片付けていた。
そんなとき。
前触れもなく、彼は来た。
「カリアン、頼みがある」
入室するなり頼みを言葉にするのは、レイフォン・アルセイフだった。
ツェルニにとって救世主。幼生体を蹂躙し、老生体を圧倒した最強の武芸者。
カリアンは書類から顔を上げ、問いかける。
「なにかね?」
「ニーナ・アントークを呼び出してくれ」
「……ふむ。理由を聞いても?」
レイフォンは間違いなく第十七小隊の小隊員であり、ニーナはその隊長。
通常の関係性とは異なるとしても事実は変わらない。
わざわざカリアンを通す理由はない。
「電子精霊と会わねばならん。アレが最も親しいはずだ」
「電子精霊? 都市の意識という、あれかね?」
過酷な荒野を生きるために、人類はレギオスに閉ざされた。
その都市に宿る魂ともいうべき存在があるという。
疑わしくも実在を否定できない。
そんな存在が、電子精霊。
そんな不確かなモノに会いたいというレイフォンの言葉は胡乱なものでしかない。
しかし、彼はなんの躊躇もなく肯定する。
「そうだ」
カリアンは思う。
確信があるようだ、と。
だがそれでも、疑問は解消されていない。
「同じ小隊に属しているんだ。君が直接話せばよいと思うが?」
「貴様に聞かせる意味がある、と感じている」
「……私にか」
レイフォンは電子精霊と会わなければならないと語った。
そのうえで、カリアンに聞かせる意味があるという。
レイフォンと電子精霊の、対話。
そこにどのような意味があるのか、と考えようとしたカリアンは、しかし、その思考を否定する。
……考えても意味はない。
電子精霊の実在すら知らなかった以上、どれだけ情報を整理しても意味はない。
だから、というようにカリアンは問いを投げることにした。
「なにが目的かな?」
問いに対して返されたのは、独白のような言葉だった。
「これはただの保険だ。意味などないのかもしれん。だが、あるいは最低限の備えなのかもしれん」
保険。備え。
災害や損害への準備に使う言葉を、レイフォン・アルセイフが口にする。
嫌な可能性が脳裏に浮かぶ。
「…………はぁ」
悪い予感を振り払うように、カリアンは深呼吸。
そして、こう言った。
「ここに呼び出そう」
「ああ、頼む」
ニーナに呼び出しをかけてからしばらくすると、彼女がやってきた。
扉の向こうから声がする。
「ニーナ・アントークです」
「入りたまえ」
「失礼します。……レイフォン?」
ニーナはレイフォンを見て、怪訝そうな表情を隠しもしない。
だからカリアンは、ニーナが疑問を解消できるよう説明することにした。
「レイフォン君に頼まれてね。君を呼び出すように、とね」
「はあ……。 わざわざ生徒会長を通して、ですか?」
その通りだ、と答え、カリアンは視線をレイフォンへと向ける。
するとレイフォンはニーナに呼びかけると、こう言った。
「俺とカリアンを連れて、ツェルニに会わせてくれ」
「……ツェルニに?」
「聞きたいこともあるだろうが、あとにしろ。まずはツェルニに伝えなければならんことがある」
●
居住区郊外にある地下への入り口から奥に入り、地下への昇降機へと乗り込み、さらに地下へと降りていく。
そこは最低限の照明が淡く灯された狭い通路。
パイプの入り組んだ通路は、一定のリズムで多様な動きを見せる歯車に囲まれている。
ここは都市地下。
ニーナにとっては、日々の清掃バイトでよく来る場所であった。
「機関部に来るのも久しぶりだね」
生徒会長、カリアンがこぼした言葉は意外なものであり、しかし、妥当なものでもあった。
だから、というように、ニーナはカリアンとレイフォンを先導しながら問いかけていた。
「来たことがあるのですか?」
「生徒会長として都市を統括する立場だからね。もちろんあるとも。もっとも、そう機会は多くないがね」
学園都市ツェルニは、その一切を学生によって運営される特殊な都市だ。
かつては大人も居たと聞くが、学生が全てを運営するようになって久しく、単なる情報しか残ってはいない。
生徒会長ともなれば多くの情報が集まるだろう。
かつてのことよりも、ニーナには少し気になることがある。
「生徒会長は電子精霊のことを知っていたのですか?」
「生徒会長という立場上、報告は受けているよ。かつては半信半疑だったが、実在するのだろうね」
それに、とカリアンは一度、隣を歩くレイフォンを見た。
「楽しみでもある。わざわざレイフォン君が聞かせたい電子精霊との対話というものに興味が尽きない」
レイフォンはただ暗闇の先を見据えて、言葉を紡いでいく。
それはカリアンへの返答ではない。
独白のようなものであった。
「……ツェルニという都市は、学園都市のなかでも弱小だ。俺がいなければ生存も困難だっただろう」
否定したい言葉であった。
しかし、ニーナに否定できるものではなかった。
かつて惨敗した自分たちには何の反論もできない事実だ。
「だが、この都市には多くの縁がある。カリアン・ロスという頭脳と行動力を持つ者がいる。フェリ・ロスという天剣にも届き得る才がある。ニーナ・アントークという電子精霊との縁の深い者がいる。可能性の都市、……なのだろうな」
ニーナはロス兄妹と自身を並べられたことに、それ以上に自身について知っているらしき言葉に驚き、足を止めていた。
カリアン・ロスは生徒会長として過不足なく都市を運営できている。傑物との評判は正しいのだと思う。
フェリ・ロスの念威の才能は、見た。都市からあれほど遠くの戦闘を十全に映し出せるほどの念威繰者など聞いたこともない。
ニーナには、二人の才能、能力と比較できるようなものはない。
だが、とニーナは思う。
……なにを知っているんだ?
電子精霊との縁。
かつての記憶、電子精霊に救われた過去。
それともツェルニとの関係を指しての言葉だったのだろうか。
続く思考よりも先に、レイフォンの言葉がさらに重ねられた。
「ほかにも多くの過去がある。強欲都市の男、シャンテ・ライテのなかに宿るもの。そして……」
言葉を切ったレイフォンは虚空を仰ぐように顔を上げた。
「──ニルフィリアをすら受け入れている。そうだな、ツェルニ」
「────」
レイフォンの視線の先。
淡い光が人型を作り、そこに居た。
電子精霊・ツェルニ。
ツェルニは虚空から優しく微笑みながら、ニーナを見ていた。
「俺は多くを知るが、すべてではない。確かなことは、月はもう限界だということだ。あと一年か二年で決戦が始まる。今の俺では単なる一戦力にしかなれん」
ニーナ、レイフォン、カリアン。
全員がツェルニを見上げ、そして、レイフォンの言葉を聞いていた。
「──ゆえに、廃貴族を手に入れる」
いつもなら、胸に飛び込んでくるツェルニも、ふわふわと虚空を漂うまま動かない。
レイフォンの言葉を聞いているのだろうか。
視線はずっと自分に向いているように感じられた。
「これから滅んだ都市と出会うだろう。俺が真に主と認められるまでツェルニは危機に陥るだろう」
危機と聞いて、ツェルニの瞳が揺れた、かのように思えた。
「俺がいる間は問題はない。すべて打ち払おう。だが、俺が縁を辿って別の都市に行っているときにはそうもいかない」
なぜなら、とレイフォンは前置きをして、こう続けた。
「なぜなら、ここは学園都市だからだ。可能性の未来はあるのだろう。だが、極限の意思が生まれるまで生き残れない。なにより、俺がいる。俺という可能性ならば、塵ではなく元凶にすら手を届かせられるかもしれん」
一体、何の話なのか。
ニーナにはまるで分からない。
なのに、心臓の音がやけにうるさく感じる。
恐ろしいなにかを覗いているかのように血が凍りつく。しかし、
……ツェルニ。
間違いなくあの子はわたしを見ている。
「フェリ・ロスという才能は必要な
ツェルニは動かない。
レイフォンはツェルニを眺めながら、一息。
そして、再び言葉を投げかける。
これは説得なのだろうか。
だとしたら、なんの?
「……グレンダンは錬金術師の用意した備えだ。電子精霊にもなにかあるだろう? だがそれでも足りているとは思わない」
レイフォンの言葉には、いつもとは違う熱がある。
冷徹なレイフォンからは感じられなかった熱量が。
「必要になるのは決戦の場で、だ。しかし俺は天剣を所持していない。──グレンダンの剣ではなかったのだろう」
自嘲するように、レイフォンが吐き捨てた。
だが、それだけではない。
不敵な笑みを浮かべて嘲弄したのだ。
なにを?
運命とやらをだろうか。
「運命のなかに居ないというのなら、最高のタイミングで横合いから殴りつけてやろう。そのためにもツェルニ。可能であれば、必要となるときに縁を使わせてもらいたい。グレンダンが敗北すれば人類は滅ぶ。そして、おそらくツェルニが墜ちてもいけないのだろうよ」
それでも、ツェルニは動かない。
なぜずっとわたしを見ているのか。
……わたしになにを望んでいるんだ、ツェルニ。
気付けば、レイフォンもまたこちらに視線を向けていた。
「──いや、そうか、そういうことか」
納得した、というような声色でレイフォンが呟いた。
そして、ややあってから、わざとらしいほどはっきりと言った。
「可能性は考えていた。なぜニーナ・アントークに運命が収束するのか、と。──
「……収穫はあった。戻るぞ」
●
尖塔の執務室に戻り、来客用のテーブルを三人で囲む。
コーヒーを淹れたカリアンも席に着き、さて、と前置きした。
「さて、何から聞けばいいのか。悩むところだね」
「ある程度は答えてやる」
レイフォンの応対はそっけないものだ。
しかし、コーヒーを静かに飲む様子は穏やかにも感じられる。
話を聞く姿勢である、とカリアンは判断する。
そして、まずはニーナに釘を刺すことにした。
「アントーク君。すまないが、私から質問させてもらいたい。君にも多くの疑問があると思うが、事の根幹は彼の語った“決戦”とやらだ。いいかね?」
「……分かりました」
どこか気落ちしているような様子のニーナに、カリアンは思う。
……不都合はない、か。
冷徹な面のあるレイフォンと激情型のニーナとでは相性が良くない。
だからカリアンはニーナを刺激することなく、レイフォンへと問いを投げることにした。
「ということだ、レイフォン君。まずは前提となる部分を明確にしておきたい。決戦とは、なにかな?」
「汚染獣の祖ともいうべき存在との戦争だ」
「……ふむ」
汚染獣の祖。
それとの戦争。
考えるべきことは多いが、まずは問うことが優先であると判断する。
「では、その戦争が起こるという根拠は?」
「戦争の有無を示せる者はいる。が、会おうとして会える連中ではない。物証もない」
戦争がある、と述べる者は存在する。
しかし、会えない。物証も存在しない。
これでは事の信憑性を確認することができない。
……それを理解しての発言だと思うが……。
確認するためにも、もうひとつ問うべきことがある。だから、とカリアンは述べる。
「レイフォン君。君はグレンダンの滅びを人類の滅びと言っていた。だが、都市ひとつが滅びても人類は滅びない。決してイコールではないはずだ」
「グレンダンには、この世界、この空間の核となるモノがある。それが破壊されればすべては虚無へと落ちる。これは確定している事実だ。根拠を俺自身が示すことはできんがな」
「……あまりに荒唐無稽な話に聞こえる。どう信じればいい?」
「事実が変わることはない」
レイフォンの発言には信じるための情報もなければ、偽証であるとするための情報もない。
明確な事実は、レイフォンが通常では考えられないほど強いということ。そしてグレンダンには彼と同格の者が十一人いて、格上の女王がいること。
そして、レイフォンが知るはずもない情報を知っているということ。
頭から信じることは難しい。だが、この状態での否定は対話の打ち切りにつながる。
だから、とカリアンは問いを変えることにした。
「……では、廃貴族とは? 滅びた都市と関係があるようだが」
「滅びた都市の電子精霊を廃貴族と呼ぶ」
「危険性は?」
「自身を扱う主を得るためなら都市を滅ぼすことも
「なるほど、確かに危険な代物だ。──それをツェルニに持ち込むつもりかい?」
レイフォンが力を得るために、ツェルニが犠牲になるようなことは認められない。
しかし、グレンダンとツェルニのいずれも滅ぼされるわけにはいかない、という発言があった。
カリアンはレイフォンをしっかりと見据え、真意を問う。
「君は廃貴族を手に入れるのだろう? 必然的にそれはツェルニに持ち込まれることになる。ツェルニを滅ぼすような真似は避けたい」
「俺が居なくとも持ち込まれるだろう。廃貴族には自意識がある。それは、移動できるということでもある」
「君が手にしなくともツェルニに来る、と?」
「さあな。俺の知ったことではない」
「…………」
滅びた都市の電子精霊が、どのように行動するのか。
そんなことは分からない。分かるはずもない。
ならば、どうするのか。
カリアンはツェルニの存続に向けた最善を模索して沈黙。そして、入れ替わるように声が届く。
ニーナだ。
「……レイフォン」
俯いていた顔を上げ、ニーナはまっすぐにレイフォンを見た。
強い目だ。
どうやら気力も取り戻したらしい。
「レイフォン、お前はわたしのなにを知っている? なぜ知っているんだ?」
「貴様が電子精霊によって救われたことを知っている」
「運命がわたしに収束すると言っていたな。あれは? ツェルニがなにかしたのか?」
「具体的なことは分からん。だが、グレンダンのように、シュナイバルのように、ツェルニもまた貴様という戦力を用意しようとしているのだろう」
ここまで聞いたカリアンは閃いた。
廃貴族だ、と。
ニーナ・アントークを戦力とするのであればそれしかない、とも。
ツェルニがグレンダンの備えであるレイフォンに並ぶとすれば、通常のなにかではありえない。
レイフォンはそれを、その力を手に入れようと執着しているのか。
「どうやってそれらの物事を知ったのか……。話してはもらえないのかね?」
問われたレイフォンは静かに目を伏せてこう言った。
「死んでも言えないことはある。聞くな」
「滅びた都市と出会うことを知っていたこともかい? それらしきものがツェルニの進行方向にあるらしい。私もフェリからの報告で知ったばかりでね」
「二度、言わせるな」
カリアンを貫く視線に冷酷な色が宿る。
これ以上はいけない。
「……分かった。だがこれだけは確認させてもらいたい。廃貴族は、レイフォン君ならば抑えられるのかね?」
「まあ、他の連中よりはマシだろうな」
確証のない答えに、カリアンはため息をこぼす。
滅びた都市はツェルニの進行方向にある以上、接触は避けられない。
したがって、廃貴族がツェルニに来てしまう可能性をゼロには出来ない。
レイフォンはその性質を知っており、他よりは暴走する可能性が低い。
たったそれだけだが、ツェルニに居るかどうかすら分からない状態よりは良しとするしかない。
「もともと、第十七小隊と第五小隊とで調査に行ってもらうつもりだった。……引き受けるかい?」
「廃貴族には俺が対処する。都市の調査は他の連中にさせろ」
「それで構わないよ」
●
生徒会長の執務室に、武芸長、第十七小隊、第五小隊の面々が集められ、ブリーフィングが行われた。
時間が限られていたこともあり、簡潔なものであった。
探査機からの画像データを確認した結果、鉱山と都市の周辺には汚染獣の姿はない。
ツェルニの所有する鉱山との間に位置しており、確実に接触する。
都市の状態からは汚染獣に襲われたことは確実と思われる。
汚染獣による罠である可能性など、警戒すべき点は多い。
以上の点から、二小隊での偵察・調査を行う。
「……偵察そのものに異議はない。が、一応聞かせてもらおうか。この二小隊を選んだ理由は?」
ゴルネオが問えば、カリアンは明快に回答を示した。
曰く、単純な数の問題である、と。
都市外用のスーツの数を揃えることが出来ていない。したがって、スーツの数に合うような人数の小隊を選別したという。
「もちろん、君たちの対抗戦での成績は申し分ないものだと思うがね。さて、異論は無いと思うが、どうかな?」
「任務了解しました」
「……了解です」
「都市がその足を止めない以上、時間は限られていると思ってもらいたい」
カリアンのその言葉に、ゴルネオとニーナは立ち上がって敬礼した。
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都市下部の外部ゲート前に、第十七小隊と第五小隊の全員が揃う。
一様に都市外用のスーツに身を包み、汚染物質から身を護る準備を済ませている。
レイフォンのフェイススコープにフェリの念威端子が接続され、鮮明な視界が広がった。
外部ゲートが開かれる。
「幸運を。そして良い知らせを期待しているよ」
カリアンの言葉が通信機越しに届く。
ランドローラーを走らせた。
半日の時間をかけて到着したその場所で、レイフォンは頭上を見上げていた。
「こいつは、よくもまぁ……」
シャーニッドの驚きの声を聞きながら、レイフォンは思う。
かなり古い時代のものだ、と。
真上には折れた足の断面があり、有機プレートの自然修復によって
「外縁部西側の探査終わりました。停留所は完全に破壊されています」
「こちら第五小隊。東側の探査終了。こちら側には停留所はなし。外部ゲートはロックされたままです」
周囲の安全確保中に、念威繰者たちは探査を終えたらしい。
順当に上がる手段はない。
「こちら第十七小隊。ワイヤーで都市に上がった後、調査を開始する」
「了解した。こちらは東側から調査していく。合流地点はおって知らせる」
「了解した」
通信は途切れ、レイフォンは復元鍵語を呟く。
「──先行する」
「待てっ! レイフォン!!」
大声で呼び止めたのはニーナだ。
ニーナはレイフォンを呼び止め、しかし、続く言葉を選んでいる様子だった。
「なんだ」
「その……。必要なのか?」
「邪魔をするな」
「あ……」
レイフォンは一言を言い捨てると、それ以上気にすることなく都市へと跳んでいく。
都市へと上がったレイフォンは警戒しながら奥へと進んでいく。
「……ここか」
レイフォンが知ることは多くない。
この滅びた都市は白炎都市メルニスクの成れの果てであること。
デルボネの出身都市であること。
この程度の中途半端な知識しかない。
だが、明確なこともある。
廃貴族は汚染獣に滅ぼされた復讐を望む。
つまり、そのための力が必要ということでもある。
だから、とレイフォンは内力系活剄を全身に疾走させる。
剄の波動は波紋のように都市へと広がっていく。
「……
お前が求める強い武芸者は、ここに居る。
そう誇示しながら都市の中央へと歩いていく。
今この瞬間こそが、すべての始まりなのだ。
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グレンダンの日々は穏やかだった。
何もない日常がしばらく続いている。
リーリンを守るといい、しばらく陰ながら見守ることになる。そう言っていたサヴァリスもぶっきらぼうなリンテンスの姿も見えない。
リーリンにとっては見えず、感じずであり、非日常が顔を出すことはなかった。
学校から夕暮れの街並みを抜けて、背の高い鉄柵に囲われた敷地の中へ。
平屋の建物がある。
サイハーデンの道場だ。
道場を通り抜け、奥へ入ると応接室のほかに、手狭な生活空間がある。
買ってきた食材を冷蔵庫に放り込み、夕食の準備を進めていく。
やがて、調理を終えて盛り付けを済ませた頃。
台所に人がやってきた。
「お疲れ様、お父さん」
「うむ」
デルク・サイハーデン。
最近、短い髪に白いものが交じり始めた初老の男性。リーリンたちの養父である。
あの事件の後、養父は孤児院の園長を辞めた。
レイフォンの出身ということもあり、世間からの冷たい目が集中することを回避するために辞めたのだ。
実質的な責任者こそデルクであるが、今の園長は孤児院の出身者だ。
孤児院のみんなはレイフォンが女性に乱暴したということは嘘だと思っている。
……根拠が、わたしに手を出してないからっていうのはどうかと思うけど。
とはいえ、レイフォンを知らない人にとっては関係のない話だ。
デルクも孤児院とはあまり関わらない方がいいとして、みんなと極力会わないようにしている。
リーリンが食事を終えて食器を洗っていると、デルクがいきなり尋ねてきた。
「最近、おかしなことはなかったか?」
「え?」
洗剤の泡だらけの手を止めて、リーリンは振り返った。
「おかしなことって?」
「いや……最近、ときどきだが、妙な気配を感じてな。これの感覚を知っているような気がする。いや、しかし……。まったく別物のような気もする。なんなのだ……これは」
リーリンへの返答は、自問へと変わっていった。
そして、ややあってから、デルクが立ち上がった。そのまま奥の部屋へと向かい、錬金鋼を手に戻ってくる。
「リーリン、下がっていろ」
錬金鋼を復元させたデルクは、流し場の奥にある壁を睨みつけた。
「今夜の気配に殺気が混じった。……来るぞ」
鋼鉄錬金鋼を下段に構えると、次の瞬間。
轟音とともに壁が崩壊した。
●
レイフォンは黄金の牡山羊を前にする。
雄々しいまでに放射状に伸びた角を生やした、発光体。
奇妙な感覚だった。
レイフォンはこれが敵ではないことを知っている。なのに、まるで汚染獣を前にしたかのように身体が警戒している。
「──俺と来い」
『…………』
「俺と来い、メルニスク。汚染獣どもとの決戦はもう目前に迫っている」
黄金の牡山羊は黙して語らない。
ただレイフォンをずっと見つめ続けている。
静かな湖のように澄んだ青がレイフォンを映している。
「他の連中と行っても、精々が今の俺と同程度にしかならん。だが、俺となら更に上に行ける」
『我が身はすでにして朽ち果て、もはやその用を為さず。魂である我は狂おしき憎悪により変革し炎とならん。新たなる我は新たなる用を為さしめんがための主を求める。炎を望むものよ来たれ。我が魂を所有するに値する者よ出でよ。さすれば我、イグナシスの塵を払う剣となりて、主が敵の
「ならば来い。俺となら、貴様はイグナシスの塵を打ち払う最上の剣になれるだろう」
『なにゆえ、我を求める』
ようやく放たれた言葉はまさに愚問だった。
なぜ廃貴族を求めるのか?
なぜ力を欲するのか?
これほど答えの分かりきった問いもそうはない。
眼前に手を掲げ、握りこむ。
「俺の魂がこう言っている」
女王に勝てない程度の戦力では足りない。
ただの天剣授受者では弱すぎる。
だから来い。
俺は、バージルのように強くなりたい。
「──
白炎都市メルニスクの電子精霊。
廃貴族となったメルニスクの決断は、
『ならば我に示してみせよ』
「貴様の試しを受けよう。まずはグレンダンに向かうといい。今、あそこには老生体が来ているはずだ」
『……いいだろう』
メルニスクの光がレイフォンに宿り、やがて光が弾けた。
その場に残るものはなにもない。
⚫︎
「ぬんっ!」
デルクは剣を払って衝剄を放ち、迫り来る壁の残骸を弾き飛ばす。
夜の冷たい風が肌を撫でていく。
デルクの背後でしゃがみこんでしまったリーリンは、壁に開いた大穴を見た。
「誰……?」
破裂した水道管が水を振り撒いている。
そのさらに向こう側。
敷地を覆う鉄柵をも切り裂かれており、道路に誰かが立っている。
ゆっくりと近づいてきたその影は、近づいてくるにつれ薄くなっていく。
やがて露わになった姿を見た。
「……何者だ」
デルクが警戒しながら問う。
手甲や脚甲型の錬金鋼を纏った男は答えなかった。
だが、デルクには感じるものがあったのか。
「貴様……。人を捨てたな」
それは自身の感覚と同じようなものだったようにリーリンは感じた。
リーリンたちを威圧する目が、とても人間のものには思えなかったからだ。
「……どのようにして捨てたかは知らんが、ここには何の用があって来た?」
「…………」
男は答えず、ただ腹の底から唸るような声がぐもって響いてきただけだった。
少しずつ、その音が大きくなっていく。
デルクの目が大きく見開かれ、叫んだ。
「目と耳をふさいで伏せろ!!」
リーリンの身体は即座に声に従った。
直後。
「かあぁぁぁぁっ!!」
世界が震えたように感じた。
全身が震えて目と耳が痛む。地面までもが揺れてしまい、食器やガラスが砕ける音が連続する。
やがて揺れが止まると、呻き声がした。
「ぬうっ……」
「父さんっ!」
目を開ければ、デルクが膝をついていた。
服はズタズタに切り裂かれ、鋼のような肉体の至る所から血が滲み出ている。
「咆剄殺だと? 初代ルッケンスの奥義を……。お主は、いったい……」
血を吐くように呟くデルクは明らかに限界だった。
杖にしていた剣が、折れる。
振動によって分子の結合を破壊されたのだ。
デルクは前のめりに崩れ落ちた。
「父さんっ!」
リーリンが呼びかけてもデルクからの返事はなかった。
デルクを中心にして血溜まりが広がっていく。
血の気が引いた。
「あ、ああっ……」
呆然と立ち上がり、リーリンは浮いたような現実感のない気分でデルクに歩み寄っていく。
気付けば、誰かに抱き抱えられていた。
「え……?」
視線を上げると、リーリンは見た。
「……レイ、フォン……?」
「もう、大丈夫だ。デルクのことも任せろ」
温かい手の感触と低く優しい声音に、涙がこぼれそうになった。
急に襲われて、デルクが戦ってくれている。そんな危険な状況で騒いでも邪魔にしかならない。
だから心の奥底に抑え込んでいた。
怖い。嫌だ。辛い。助けて。
でも、そのデルクでさえも倒れてしまって、悲しくて。
もう大丈夫だ、と言ってくれた。自分たちの英雄が、レイフォンがそう言ってくれた。
心の中であたたかいものがじんわりと湧き上がる。ただそれだけのことが、とても嬉しかった。
そして、後は任せろと言ってくれた。私はもう休んでいいんだと、身を案じてくれた。
身体から力が抜けていく。レイフォンが守ってくれるという安堵が身を包む。
まだ、襲撃者という脅威はある。状況は危険であることはわかっている。
それでも、レイフォンが大丈夫だと言った。
任せろと言ってくれた。
これは確信だ。
レイフォンなら、絶対に助けてくれる。
そうして、いっぱいいっぱいだったリーリンの意識は、闇に沈んでいった。
⚫︎
レイフォンはリーリンを優しく寝かせると、立ち上がる。
リーリンとデルクを背に、襲撃者を見た。
やはり知らない男だ。
だが、そいつはレイフォンのことを知っているらしく、うわ言のようにレイフォンの名を呼ぼうとする。
「レイ……フォン……レイ……レイ……」
ガハルド・バレーンが担うはずだった、寄生型の宿主という死に役。
サヴァリスにそうされたであろう誰か。
ルッケンスの武門を学ぶ誰かだったのだろう。
だが、そんなことはどうでもよかった。
リーリンたちに手を出されたことが、不愉快極まりない。
だから、とレイフォンはゆっくりと襲撃者へと歩み寄っていく。
「クズが……」
外力系衝剄の変化、『時空裂閃』。
前方を薙ぎ払う一閃が瞬き、斬線に沿って残光を残す。
直後。
残光が弾けた。
襲撃者は蒼い残光によって腰から分断。
直後の爆散によって肉体をさらにズタズタに引き裂かれ、残骸と成り果てた。
寄生型というある種の弱体状態にあったとはいえ、ただの一閃によって老生体が死んだ。
レイフォンはその事実に何の感銘も受けることなく、リーリンの隣に座り込む。
そのときだ。
レイフォンに声がかけられた。
「素晴らしい一撃だったよ、レイフォン。でも、いつ戻ったんだい?」
サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンス。
レイフォンと同じく若くして天剣に至った天才だ。
レイフォンはサヴァリスを冷たく据えると、怒気をはっきりと態度に示しながらこう言った。
「貴様と、ばあさんも見ているだろう。クソ陛下にも伝えろ。これは貴様らの不手際だ。必ず治せ」
『手厳しいですわね』
肩をすくめて答えないサヴァリスの代わりに、蝶形の念威端子が現れてそう言った。
『陛下はすぐにそちらへ。直接お言いなさい』
「──そんな時間はない。彼女はデルボネ・キュアンティス・ミューラ。白炎都市メルニスクの出身だ。お前から話すことはないのか」
『我は……。我は一振りの剣、イグナシスの塵を払う炎なり』
『まさか──』
「そうか。二人のことは頼む」
レイフォンがそう言った直後。
その姿は消えていた。
「これは……。なるほど、初代の手記は真っ赤な嘘という訳でも無かったのかな」
サヴァリスはそう言い、楽しそうな出来事を見つけた、と喜んでいた。
五秒後にやってくるアルシェイラにぶん殴られるまで。
⚫︎
人型の闇を生かすのか殺すのか。
それを悩む男に声が投げられた。
「──ハムレット? また古いモノを知ってるのね、あなた」
呼び止められた男、レイフォンは声の主を視界に入れると、目を見開く。
「ジャニス・コートバックだと……!?」
「ふぅん? 君はあたしのことも知ってるんだ? なんでかな?」
レイフォンは驚愕を強引に無視。
即座の反応で居合の構えを取り、思考を回す。
……どういう能力を持つ……?
ジャニス・コートバック。
ゼロ領域に突入するために強化手術を受けた強化人間の一人。
鋼殻のレギオスという世界は、拡張された人為的に創造された空間だ。だが、彼女はここが成立する以前の人類であり、そして、もはや人類ではない。
彼女についての情報は極めて少ない。
レイフォンが知るのは、挿絵一枚と、快活な、太陽のような女という文字情報のみ。ゼロ領域に突入したあと、生還していたということすら知らない。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。戦いに来たわけじゃないもの」
人懐っこい微笑みを浮かべ、気楽そうにそう言った女。ジャニスはどのような異民なのか。
アイレインは武芸者の祖となった異民。対象を眼球へと変化させる能力と驚異的な身体能力を持つ。
フェイスマンはデスマスクという形で人間を取り込み、群体としての強みを持つ異民だった。
いずれの場合も、アイレインの劣化コピーにすぎないレイフォンでは勝てない。
「目的は?」
「あの子を殺させないためかな。今のあの子は酷く弱っててね、君なら殺せちゃいそうだから」
「……それは手段だ。これを生き残らせる目的を話せ」
「言葉通りだよ。あの子を死なせないこと」
答える気が無い、というには悪意も敵意も感じない。
だから、とレイフォンは居合の構えから起立。
ただし構えを止めても警戒は変わらない。
それから背にした闇色の少女、──ニルフィリアを顎で示してこう言った。
「あれにはイグナシスと共謀した過去がある」
その言葉に驚いた様子でジャニスは一息。そして、ややあってから、
「……本当になんでそんなこと知ってるのかな、君は。でもそこまで知ってるなら分かるでしょ」
彼女が言いたいことは分かる。
ゼロ領域からの帰還者。それは極限の意思を持つ個人であるということの証拠だ。
しかもニルフィリアは極度のナルシスト。自身の美しさを、ひいては自身をこそ天上のものであると認識しているはずだ。つまり、
「──ニルフィリアは他者に寄り添わない」
「そ。それに今は完全に敵対関係。せっかくイグナシスの戦力を削れる戦力なのに、君みたいな運命の外側に台無しにされたくないってだけ」
ニルフィリアの立ち位置。イグナシスの戦力。運命の外側。
多くの疑問が浮かび、しかし、問うべきかどうかすら不明であることを理由に、レイフォンはそのすべてを飲み込んだ。
そして投げかけるのは、ジャニスがいかなる立ち位置かを確定させる問いだ。
「……貴様の願望はなんだった?」
「あたしが見たこともない光景を見たい。イグナシスに破壊された荒野ではなく、まだ見ぬ地平を」
「…………」
「納得した?」
前にかがんで、下から覗き込むような姿勢でジャニスは朗らかに笑う。
「……ふん」
吐き捨てるようにして、レイフォンは去っていく。
……好奇心。
それは、どちらかといえば中立的な立ち位置と判断することはできる。
だからレイフォンは答えを決めた。
今、アレを殺すべきではない、と。
「見たことのないものっていうのは、風景だけを指すわけじゃないんだよねぇ」
楽しそうなジャニスの声は虚空に消えていった。
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漫画版も買いました。
改めて、心より御礼申し上げます。
聖戦とレジェンドの内容を含むため分かり辛くなっていることに痛嘆です。
やっぱり外伝って形じゃなくてちゃんと本編に組み込んで書き上げて欲しかった。
初めてレギオスを十二巻くらいまで読んで、レジェンドを二巻まで読んで、理解できるわけねーだろ。誰だよアイレイン。ヘタレ。シスコン。ドマゾ。