俺はスタイリッシュなヴォルフシュテイン   作:マネー

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第八話:嵐の前の日々

 ●

 

 静かなカフェで、サアラの投げた問いが届く。

 硬い表情から出てきたのは本質を問う言葉だ。

 

「貴方はなにと戦おうとしているのですか」

 

 問われたレイフォンは眉間に(しわ)を作りながら、沈黙。

 どうすべきかを決めかねているのだ。

 能力を基準に判別するのであれば、サアラ・ベルシュラインにその資格はない。

 しかし、これまでの実績はそれを補って余りある。

 老生体と戦うために、レイフォンとともに都市外に出た。

 そして、サアラは念威繰者として十分に役目を果たしている。

 

「…………」

「何が起こっているのですか。何も知らず、何も分からないままでいたくありません」

「知って、どうする。貴様に出来ることはない」

「────」

 

 レイフォンの切って捨てるような言葉にサアラは絶句した。

 冷たい対応だが、これは事実だった。

 サアラは優秀だ。それはレイフォンも認めている。

 だがそれはツェルニの学生を基準とした評価においてのこと。

 グレンダンで戦うに足る能力には達していない。

 好奇心だけで踏み込んでいい領域ではないのだ。

 

「知るべきではない事実もある。これはその類いだ」

 

 だから、サアラを踏み込ませるべきではない。

 そう判断を下したレイフォンは、拒否の姿勢を示していた。

 しかし、サアラは素直に引き下がることをしなかった。

 

「嫌です」

「貴様の意見など聞いていない。純然たる事実として──」

「──嫌だ、と言っています」

 

 レイフォンの言葉を(さえぎ)ってでも、サアラは意思を表明する。

 強情な、しかし、なによりも明白な態度だった。

 

「レイフォンさんたちの話を聞いたあのとき、怖くて仕方ありませんでした。ずっと震えていました。

 ──でも、汚染獣と立ち向かうことと同じだと思ったんです。幼い頃に何も分からないままシェルターで震えていたときと同じだと」

「話を切り出すことにも迷っていたように見えたが?」

「そうですね。だから今、戦うと決めたんです」

「今? なぜだ?」

 

 レイフォンが問うと、サアラは食ってかかるように、分からないですか、と言った。

 強い視線がレイフォンを貫く。

 続く言葉は怒りとも、呆れともとれるような表情で、

 

「レイフォンさんは、自分一人で戦おうとしてるじゃないですか」

「────」

「貴方が強いことは理解しています。それでも貴方をサポートしてきた念威繰者として、貴方を一人にはしません。私が一緒に戦います」

 

 レイフォンは思い知った。

 これか、と。

 どうしてあのクソ鈍感ボケカス“レイフォン”がフェリに落とされたのか、よく分かった。

 グレンダンでの決戦を想定するレイフォンにとって天剣すら僚友には足りない。

 戦力で唯一比肩されるのは女王だが、女王が動けばその余波で都市は破損していくことになる。

 そう簡単には動けない。

 だから戦場を一人で戦い抜くと覚悟を決めていた。

 そこに、これ。

 共に戦おうという意志が染み渡るようだった。

 いい女になった、と本気で思わされたのだ。

 なるほど。あの“レイフォン”がくっつくわけだ、と。

 ……だが。

 それだけでは足りない。

 学生が居たところで出来ることは無い。

 レイフォンは目を閉じて沈黙。そして、ややあってから、告げる。

 

「貴様を連れて行くつもりはない」

「いいえ、貴方は私を連れて行きます」

 

 告げた言葉に即答で返された。

 そして、サアラは朗らかに微笑(ほほえ)んでこう言った。

 

「ふふっ、貴方が言ったことですよ? 戦場に立つ資格は意志のみ。意志こそはすべてに勝る、と」

「……それは」

 

 確かにレイフォンの言った言葉だった。

 幼生体の湧き出る谷底へ向かって、サーフィンしたときのものだ。

 戦うという意思こそが、戦場に立つ唯一の資格。

 

「そう、だったな……」

 

 この信念は変わっていない。

 サアラ・ベルシュラインは今、ここで、意志を示している。

 

「──認めよう。俺の意志だけで貴様の意志を否定する道理はない、と」

 

 しかし、たったひとつだけ譲れない事がある。

 汚染獣との闘争は、すべてが絶滅戦争。

 都市が滅ぶか、汚染獣を殺し尽くすか。

 このいずれかの結果しかありえない。

 だからこそ、先達が未来のために若人を守る。いつかの戦争のために。

 だが、それには前提条件が隠れているのだ。

 本人が自分で生き残るか、勝てると分かっている戦場であるか、だ。

 今回の戦争に余力は存在しない。

 

「弱者であることは恥ではない。だが極限の戦場においては、誰も他者を守る余力はない。それは念威繰者も同じことだ。意義を示せ」

「それを判断するためにも、何が起こっているのかを教えてもらえますよね」

「小賢しい物言いだな」

 

 レイフォンは苦笑。

 そして目を伏せて、思考を巡らせる。

 ……戦うかどうかを決めるのは、己の意志ひとつ。

 運命なんぞどうでもいい。

 だからレイフォンは戦うと決めた。己の意志によって、戦場に立っている。

 ゆえに、サアラの意志もまた尊重すべきものだ、と。

 

「多くは説明しない。俺が聞くな、と言ったことについては聞くな。知ろうとするな」

「分かりました。それで構いません」

 

 ●

 

 今に戻り、学園都市ツェルニ。

 穏やかな時間を過ごす学生達に人気のイベントがまたやってくる。

 対抗試合。

 ツェルニを代表する学生たちによる、全力の戦闘だ。

 次のカードは、第一小隊と第十七小隊。

 その数日前になって、シャーニッドが新たな小隊員となる人物を練武館に連れてきた。

 

「おっす。見ての通りだ」

「お前というヤツは……。はあ、ダルシェナだ。第十一小隊が解散となって暇していたのでな。コイツの誘いに乗った」

 

 全員がダルシェナを見た。

 ダルシェナ・シェ・マテルナ。

 豊かな金髪を螺旋の束にして左右に下ろす麗人。

 見事なツインドリルであるが、起伏に富んだ長身で、豪奢な様相と鋭い雰囲気から気品を感じさせる。

 第十小隊においては突撃の(やじり)となって貫く役割を担った最前衛の武芸者だ。

 

「てーワケで、スカウトした。人が足りてないのは事実だし、構わねぇよな、ニーナ」

「そうだな。小隊員だったんだ、彼女に不服はない」

 

 気軽に言い放つシャーニッドの態度に、まずは冷静に言葉を返したニーナ。

 次の瞬間には沸騰である。

 

「ない、が! 事後報告とはどういうつもりだ、シャーニッド!! わたしが断ったらどうする!?」

「断ってないだろ?」

「な──」

 

 ニーナは絶句した。

 シャーニッドの物言いが、あまりにいつも通りだったからだ。

 

「き、貴様というヤツは……!」

 

 ニーナとしては返す言葉がない。

 実際、ダルシェナほど強力な武芸者の加入を断ることはありえない。

 それでも見透かされた上で勝手に行動されたことには腹が立つ。

 そのとき、ニーナの肩にそっと手が置かれた。

 ダルシェナだ。

 彼女はとても穏やかな表情で、こう言った。

 

「苦労するな、お互いに」

「……全くだ」

 

 本当に疲れたようにため息を吐いて、ニーナは肩を落とす。

 そして、ややあってから、無理矢理に意識を前向きなものへと切り替えた。

 

「想定外の追加人員だが、ダルシェナほど優秀な武芸者はまず居ない。戦力として大いに頼らせてもらおう」

「ああ、任せてくれ」

「さて。合同訓練で誰もが鍛えられたが、それは第一小隊も同じこと。全力で勝ちに行くぞ」

 

 と、そのときだ。

 ニーナを呼ぶ声がした。

 

「アントーク」

「どうした、レイフォン?」

 

 レイフォンにしては珍しく、なにやら考え込むような様子だった。

 目を閉じ、ニーナと目を合わせることなく、

 

「第一小隊はツェルニにおける最強の小隊、だったな?」

「そうだが……?」

「なら、俺抜きでやってみろ」

「は?」

 

 唐突すぎて、まるで反応できなかったニーナから間抜けな声が漏れる。

 そうして、ゆっくりと時間をかけて言葉の意味が思考に染みこんできた。

 

「いやいや、なにを言ってるんだ。人数が足りてないと言ってるだろう?」

「マテルナが参加したなら、これまでと人数は変わらん。俺という、必ず勝利する駒を使わずにやってみろ、と言っている」

「…………」

 

 ニーナも感じていたことだ。

 レイフォンは強い。あまりにも強い。

 手加減をしていても、小隊戦では苦戦すらしない。

 レイフォンの戦力を人数差を基準として設定している以上、同数で戦うことを相手小隊に強制していた。

 これは、小隊として健全な環境ではない。

 確信に至ったのはサリンバン教導傭兵団による合同訓練だった。

 常に勝てないまでも退ける戦力を見積もる。それが戦場で生き残るための鉄則だという。

 確実に勝てる戦力など、本来どこにも存在しないのだ。

 しかし、とニーナは思う。

 今、このタイミングでなくてもいいだろうに、と。

 

「こんなタイミングでいきなりそういうことを言う……」

 

 武芸者としてレイフォンを尊敬する気持ちはある。

 だが、どう考えても言葉が足りていない。

 相互理解を放棄しているとしか思えない。

 だから肩を落として愚痴がこぼれてしまったのだ。

 

「俺が居なければ勝てない、か?」

「──そんな訳あるか!」

 

 レイフォンの挑発に返した言葉は、もはやただの反射である。

 自身の発言を理解したときには呆れの言葉が洪水のように襲ってきていた。

 

「ニーナ……、そういうところだぞ」

「馬鹿丸出しですね」

「これでディンと同じ小隊長なのか」

「先輩……」

 

 隊員たちの非難に、返す言葉がない。

 

「……ぐぬぅ」

「では頑張れ」

 

 こんなありえない提案が決定事項になってしまった。

 もちろん無意味なことではないと理解している。

 実際にレイフォンという戦力によって、実質的に数的に同等の状態で戦ってきたことは事実だからだ。

 しかし、こんなことはある意味手抜きで、ありえないことで、などと考えていると、レイフォンから問いが来た。

 

「それより、合同訓練とやらはどうだった?」

「ん? ああ。レイフォンが言っていた通り、基礎から鍛え直されたな。活剄の密度と維持を重点的に。まあ、剄息は続けていたから維持に問題はなかったが」

「先輩たちはそうかもしれないけど、あたしは本当に基礎ばっかりだったぞ。ずっと剄息を続けて、活剄の強度訓練ばっかりだった。多少は衝剄についてもやったけど、ほとんど活剄だったよ」

 

 訓練の内容を聞いたレイフォンは、そうか、と頷きをひとつ。

 

「連携以前の話だったか。すべての土台となる活剄を徹底的に鍛え上げることは生存への第一歩。戦場で動けないことは死に直結する、という理念だ。少なくともそうした訓練に音を上げる連中よりは長生きできる」

「そうだな。厳しすぎるような気もするが……」

 

 サイハーデンの理念は生き残る難しさを根底に置いたもの。

 戦って勝つ、都市を守る、といった武芸者の存在意義よりも、生き残ることだけを直視した考え方だ。

 武芸者の理想を追いかけるニーナにとって好ましいものではない。

 しかし同時に、決して否定できないことも事実。

 レイフォンと老生体との都市外戦闘を見てから知ったことであり、そして感じたことだ。

 どれだけ強くても、たったひとつのミスで死ぬ。

 そんな世界で生き抜く過酷さを。

 

「こんな世界で生き抜こうとするなら厳しくて当然なのかもしれないな」

「戦場には不可欠な要素だ。活剄が出来ない者から死んでいく。これまでツェルニが負け続けてきたのはこれが原因だ。土台がなければ剄技だの連携だのと覚えても役に立たない」

 

 だからこそ武芸者としての土台を鍛え上げることの意味は大きい。

 武芸大会において、ツェルニの武芸者が踏みしめることになるのだから。

 去年からすれば飛躍的に進歩している。その実感だってある。

 だから、とニーナは拳を胸に叩きつけるようにして、決意を示す。

 

「ツェルニの中であれば本来は同条件だが、他の小隊と違って我々はレイフォンに鍛えられてきた。──勝つぞ」

 

 まずは第一小隊に勝って証明する。

 レイフォンに鍛えられた武芸者としての土台は、確実に他の小隊よりも大きい。

 ニーナの決意表明に、続く隊員達の言葉は頼もしい。

 

「まあ適度に、な。頭ニーナにならないように」

「……ん? おい待て、どういう意味だそれは」

「落ち着いていきましょう」

「先輩達の足を引っ張らないように頑張ります」

「加入して最初の試合なんだがな。──行こう」

 

 なぜか誰も答えてくれない。

 ニーナはすでに泣きそうだ。

 

「待て! せめて答えてくれ! なあ、おい!?」

 

 ●

 

 サアラ・ベルシュラインは正面に座るレイフォンの視線を正面から受け止める。

 漏れ聞こえた話は不明瞭なものでありながら、確かな危機を感じさせるものだった。

 知ったからには、もうそのままではいられない。

 過去から続く因果が、今に牙を剥くことだけは確かだからだ。

 

「なにが起こっているのか、か。知りたいのは過去か? 現在(いま)か?」

「……現在を」

 

 サアラの視線の先で、レイフォンが大きく息を吐いた。

 そしてゆっくりと語り出す。

 

「……グレンダンという都市は、連中の言っていたナノセルロイドの襲来を知っていた。ゆえに、それに備えて戦力を用意した。それが女王であり、天剣だ」

「ナノセルロイド……」

「名称はどうでもいい。汚染獣の原典とでも思っておけばいい」

 

 ナノセルロイド。

 ナノマシンの集合体たる、兵器。

 単語の意味は分からない。

 しかし、知っていることはある。

 汚染獣は年を経るごとに強くなる性質を持つのだ。

 

「汚染獣の原典……。やはり、強いのですか」

「グレンダンの全戦力をもって、ナノセルロイドの一体と同程度だと考えている」

「────」

 

 グレンダンの全戦力。

 レイフォンを含めて天剣授受者が十二名と、レイフォンが天剣よりも強いと明言する女王。

 たった一人でもバケモノであることは分かっている。

 そのすべてと同程度だという。

 戦力の規模感があまりに遠すぎて現実感がない。

 

「グレンダンの用意した備えではどうせ足りん。だから廃貴族を手に入れた。今の俺なら女王と並ぶだろう。やつらに対しても意味のある戦力になったはずだ」

「…………」

「俺も中途半端な知識で動いているが、確実なことがひとつある」

「なんでしょうか」

「半年もしないうちに、戦争が始まる。人類とヤツらとの絶滅戦争がな」

「半年? たった半年でそんなことが……? どうしてそう思うのですか」

 

 レイフォンの告げる半年という猶予。

 あまりに具体的すぎた。 

 期間を明言するだけの根拠がなければできない発言だからだ。

 しかし、サアラの問いに返されたのは根拠の提示ではない。

 

「言えない」

「え……?」

「それには誰一人として知るべきではない知識が含まれる。これは、墓場まで連れて行く」

 

 これ以上ない、拒絶。

 根拠のない言葉は信憑性を持たない。

 それを理解したうえで、言わない、と明言したレイフォンの態度にサアラは思う。

 これは誠意だ、と。

 知ってから判断したい、というサアラに対する誠意。

 嘘で誤魔化さず、言えないことを言えないと告げるのだから。

 だから、とサアラはゆっくりと呼吸してから、問いを変えることにした。

 

「では、ひとつだけ答えてください。ツェルニにいれば、廃貴族とやらを手に入れられると知っていたのですか?」

「知っていた」

 

 レイフォンは淡々と語る。

 

「廃貴族とは滅びた都市の電子精霊だ。都市を運営するエネルギーを剄に転換できることと、あそこでツェルニが発見することを知っていた」

「…………それは」

 

 未来予知に等しい。

 都市がどのように動くのかを知る者は存在しない。

 どこで都市が滅びたかを正確に知ることはできない。

 

「俺はグレンダンの備えでは足りないと考えた。()()()()()()()()。たかが天剣程度では足りないから廃貴族を求めた。ゆえに聞こう、サアラ・ベルシュライン。

 ──貴様に何ができるのか。すべての戦力が決死で挑まねばならん戦場で、ただの学生に過ぎない貴様が何の役に立つ?」

「…………」

「天剣にも念威繰者がいる。フェリ・ロス以上の才能を持ち、それを完全に磨き上げた老女。天剣をサポートするのはやつだ。あれ以上の念威繰者は存在しない」

 

 レイフォンの言葉には容赦がなかった。

 サアラにとって、フェリは規格外の才能を持つバケモノ側の存在だ。

 グレンダンにはそれ以上の才能を完成させた人がいるという。

 競ったところで相手にすらなれない。

 その人からすればサアラ程度の念威など、あってもなくても同じ。

 むしろ邪魔にしかならないかもしれない。

 

「…………」

「本来なら、次世代のための経験は(とうと)ぶものだ。だが今回だけは無理だ。役立たずの立ち入る余地はない」

 

 バーでの話を盗み聞きしたあの夜。

 あのときからずっと考えてきた。

 なにが起こっているのか。

 どうすればいいのか。

 何も分からないままサアラは考え続けてきた。そうでなければ、ここで何も言うことは出来なかっただろう。

 だから、というようにサアラは告げる。

 

「私は貴方を一人にしません。だから──」

「だから?」

 

 どんな武芸者、どんな念威繰者でも、限界はある。

 これは変えようのない事実だ。

 なら、強い誰かにわずかでも余裕を作ることができるのなら、それに勝る意義はない。

 

「──だから貴方だけを、誰よりも完璧にサポートしてみせます」

「俺を、か」

「はい。天剣授受者の念威繰者にだって限界はあります。レイフォンさんをサポートする分を私が担当すれば、その分の余力を作り出せます」

「……なるほど。だが、それは十全に役目を果たすことが前提となっている。貴様にそれができると?」

 

 問題はそれだ。

 実行できないのであれば、単なる絵空事に終わる。

 今の自分には足りないものが多すぎる。

 それでも諦めるつもりはない。

 

「やります。果たしてみせます」

 

 この想いを胸に、レイフォンを見つめる。

 そうしてどれだけの時間が経ったのか。

 一瞬かもしれないし、十分、あるいは一時間かもしれない。

 やがて、レイフォンが目を閉じた。

 

「……ほかに質問は?」

「あ……」

 

 齎されたのは意思表示に対する回答ではなく、質問の催促だった。

 連れて行くつもりはない、という意思表示なのだろうか。

 ……そんなはずは……。

 サアラの知るレイフォンは、うやむやにして放置するような真似をしない。

 なら、これはどういうことなのか。

 人生最大の熱量を投じて、反応が見えないという事実にサアラは動揺していた。

 思わず、用意してあった質問をそのまま言葉にしていたのだ。

 聞きたいからという問いではない。

 時間稼ぎのようなものだった。

 

「狼面衆っていうのは、なんなんですか?」

「……狼面衆か」

 

 レイフォンの反応は鈍い。

 あまり答えたくないように見えた。

 

「連中に関わる必要はない。あれは、ゴミだ」

「ゴミ、ですか」

「あの連中はどこまで行っても汚染獣から逃げた臆病者の集まりでしかない。己の下劣さを直視することからも現実に向き合うことからも逃げた、ろくでなしだ。あんなものに関わろうとするな。知ろうとするな」

「……分かりました」

 

 不機嫌そうに言い放ったレイフォンは、コーヒーを一気に飲み干すと、代金を置いて席を立つ。

 終わってしまう。

 その恐怖から縋るように、レイフォンを呼び止めていた。

 

「あっ、待って……!」

「…………」

 

 レイフォンは背を向けて、動きを止める。

 そのままこう言った。

 

「都市全域に念威を確実に通せ。二日は維持しろ。出来たなら、サアラ。貴様を認めよう」

「…………はい! ありがとうございます!」

 

 歓喜がサアラの胸を満たしていた。

 レイフォンが自分を認めてくれた。これほど嬉しいことがあるのだろうか、と。

 サアラが見つめる先で、レイフォンは振り返ることなくカフェを出て行った。

 そして、不意に気付く。

 

「さっき、サアラって……?」

 

 ●

 

「レイとん、どうしたの? 試合始まってるよ?」

「……ん」

 

 過去に思いを寄せていたレイフォンの意識が浮上する。

 呼びかけたミィフィを見て、眼下の野戦グラウンドを見た。

 対抗試合だ。

 

「そうだな」

「本当に、よかったの? こんなとこで観戦なんて、してて」

「いいんだ、これで」

 

 メイシェンに答えると、二人もまた試合へと目を向ける。

 攻撃側の第十七小隊はフェリを除いた四人で攻めるが、第一小隊は防衛側。

 フラッグを守らなければならない。

 そのため、人数差の二人を防衛陣地に置いて受けて立つ姿勢を見せている。

 人数差というハンデはこれでないも同然。

 

「勝てそう?」

「いや」

「な、ならレイとんも行かないと……!」

「俺が居ることに慣れすぎている。それでは小隊長としてはダメだろう」

 

 ニーナはナルキを連れて左翼側から駆け上がっていく。

 第一小隊側はニーナを倒すことが勝利条件でもあるため、ヴァンゼを含めて三人が向かっている。

 程なくして接敵したニーナとヴァンゼとの対決が始まった。

 

「そうかもしれないけどさぁ」

「見ていればいい。どうせそう長い試合にはならない」

 

 実際のところ、ヴァンゼとニーナとの間に大きな差はない。

 年齢と経験によって僅かにヴァンゼが有利、という程度にすぎない。

 それを正確に把握しているヴァンゼは人数差をうまく活用して優位な状況を作っている。

 そうして幾度かの攻防を経たとき。

 第一小隊の陣前が爆発した。

 視界を焼き付けるような光が放たれ、直後に轟音が轟く。

 いくつもの爆音が連鎖し、ほとんど同時に響くそれは観客の身体に振動を届けるほどのものだ。

 

「!?」

「え、なに!? どうなったの!?」

「流れを変えたようだ」

「流れ?」

「念威繰者としての能力は、第一小隊よりフェリのほうが遙かに高い。だが、見事に欺いたようだ」

 

 単身で切り込んでいたダルシェナは念威爆雷によって戦闘不能。

 シャーニッドは戦場に関われる位置にいない。

 ほぼ同時に、第一小隊の隊員が動きを変えてニーナを狙撃すべくポジションを動かした。

 

「もうなにをしても間に合わんな」

 

 説明を聞いたメイシェンとミィフィもまた、第一小隊の隊員たちの居場所を見ていた。

 そして、すぐに狙撃されたことでニーナに戦闘不能の判定が下される。

 この瞬間、対抗試合は第一小隊の勝利で終わったのだ。

 

 ●

 

「負けちゃったね……」

 

 人混みのなか、ゆっくりと出口へと向かっていく。

 悲しみに満ちたメイシェンの声はいつもよりも暗い。

 

「あれが十七小隊の本来の実力ということだ。勝利よりも敗北から学べることの方が多い。悪くない結果と言えるだろう」

「うーん、厳しい。でもあとで取材に行っていい?」

「好きにしたらいい」

 

 第十七小隊への死体蹴りが決定した瞬間である。

 ミィフィの所属する週刊ルックンは、結構、いやかなり嫌われるタイプのマスコミだ。

 

「──対抗試合のあとは毎回こうなのか。ろくに動かないが」

 

 試合が終わり、野戦グラウンドから出た学生の波が方々へと広がっている。

 しかしレイフォンたちはまだ、その波まで到達できていない。

 

「大体はそうかも。でも人気のある小隊じゃないとここまでは、混まないと思い、ます」

「そう──」

 

 唐突に、言葉が途切れた。

 メイシェンは聞こえていたはずの言葉が途切れたことで顔を上げて、周囲を見渡した。

 

「あれ……?」

「どったの、メイっち」

「レイとん、は?」

 

 見渡す二人。

 

「あれ? はぐれちゃったかな?」

 

 ●

 

 周囲の光景が塗り変わるようにして変わった。

 明らかな異常事態。

 レイフォンは閻魔刀を腰に寄せ、周囲を見渡す。

 何もない。

 ただ暗闇が広がっている。

 周囲を警戒していると、不意に光が現れた。

 光は形を人型へと変じてゆき、輪郭を帯びる。

 

「これは……」

 

 人の形をしているが、腕の代わりに翼があり、背や腰からも尾羽らしきものが生えていた。

 足は鳥のものであり、長い髪が風もないのに靡いている。

 半獣半人の電子精霊。

 

「過酷なる運命を選んだ子らよ」

 

 まるで直接頭に声が響くような奇妙な声だった。

 電子精霊であることは見れば分かる。

 そのなかでも、こんなことを出来る者は限られる。

 レイフォンですらその存在を耳にしたことがある。

 だからレイフォンはその名を口にした。

 

「……貴様がシュナイバルか」

「その通りです。メルニスクが主と認めた虚無の子よ」

 

 すべての電子精霊はシュナイバルから生まれ、やがて都市になるという。

 人類の揺り籠たる移動都市(レギオス)となっていく電子精霊達の生みの親。

 この世界にとって極めて重要な電子精霊が、そこにいた。

 

「なぜ俺を連れてきた?」

「無論、理由があってのことです。ですが先に貴方たちです」

「──偉大なる母よ」

「メルニスク、苦い記憶を貴方に負わせました。さあ、他の者も隠れていないで姿を現しなさい」

 

 黄金の牡山羊はレイフォンの背に現れ、シュナイバルはさらに呼びかけた。

 そうして姿を見せたのは、蒼く発光する幼女、ツェルニ。

 そして淡い白で彩られ、頭部だけが紅い鳥。

 彼らはレイフォンの周囲を囲うようにして姿を見せて、しかし、一体だけレイフォンの下まで歩いてきた。

 蒼い幼女、ツェルニだった。

 

「どうして?」

 

 純粋な疑問。

 レイフォンに向けられた視線からは感情はまるで見えてこない。

 幼い女児の姿をしているくせに、幼女らしい感情を示すこともない。

 

「どうして、あの子の邪魔をするんですか?」

「……アントークのことか?」

「そうです。あの子には強くなる運命があったのに」

「はっ」

 

 鼻で笑ったレイフォンは(あざけ)りを隠さなかった。

 

「なにが運命だ。貴様の用意した筋書きはどこまでいっても貴様個人の思惑にすぎない。それを言うに事欠いて、運命だと? 実にくだらない。アントークはそれを望んでいないし、メルニスクを御す器でもない」

「然り。我はこの者に可能性を見出した。あの娘ではない」

 

 レイフォンの言葉を肯定するようにメルニスクが続けた。

 しばらくレイフォンを見つめるツェルニは、ややあってから、視線を足下に落とす。

 

「…………そう。ちゃんと鍛えてあげてください」

 

 ただそう一言。

 呟くように言うと、ツェルニは黙り込んだ。

 そこには確かな情感が込められていた。

 いかなるものかは読み取れないが、レイフォンが示すべき態度はひとつしかない。

 

「無論だ」

 

 武芸者として、後進の育成は義務の範疇と考えている。

 剣技。立ち回り。剄技。剄そのものを扱う技量。

 多くの技術があり、多くの知見がある。

 レイフォンにはこれを独占する理由はない。

 ニーナ・アントークのように武芸に対して真摯であれば教えるつもりはある。

 

「──良いことです、メルニスク。貴方たちが世界を守護する剣となるならば、これほど心強いことはありません」

 

 淡々とした口調でシュナイバルは賞賛を口にした。

 次いでレイフォンへと視線を向けると、

 

「私が貴方をここへ呼んだのは、依頼したいことがあるからです」

「…………」

「マイアスという学園都市があります。そこに行ってもらいたいのです」

 

 レイフォンは沈黙を保つ。

 シュナイバルに視線すら返さず、続きを待った。

 

「我々電子精霊には(えにし)を結び、縁を辿る(すべ)があります。同型の都市同士であればその縁は強力なものとなります。マイアスは仙鶯(せんおう)都市シュナイバルと同型の都市なのです。あそこを狼面衆に奪われるわけにはいきません」

「まずは答えろ。なぜ俺を呼んだ」

「狼面衆を知るものは多くありません。その中でも都市ひとつを救った貴方が最も適しているからです。貴方ならば対処は容易いでしょう」

 

 レイフォンがすべきことは、情報の収集だ。

 シュナイバルは最初期の都市。

 それゆえに知ることもあるはず。

 だから、とレイフォンはこう言った。

 

「……条件がある」

「なんでしょうか」

「俺の問いに答えろ。グレンダンが過去からの因果に備えているように、貴様はなにか用意していないのか」

 

 レイフォンの問いにシュナイバルは胸を張った。

 

「あります。我らの切り札たる騎士、ジルドレイド・アントークが」

「アントーク……」

「はい、貴方の知るニーナ・アントークの血縁です」

 

 明らかに、シュナイバルはその名の者を誇っている。

 自信があるという態度だ。

 天剣授受者だったレイフォンを前にして、なお誇るほどに。

 それはジルドレイドという武芸者が天剣授受者に匹敵する可能性を示唆するもの。

 

「ジルドレイドとやらはどの程度だ。天剣程度か、女王に匹敵するか」

「私もまた電子精霊。電子精霊同士の繋がりはあれど、都市を離れることは出来ませんのでグレンダンの戦力に詳しくありません。ですが、私見でよいなら天剣を凌駕するものと認識しています」

「ならばその戦力をマイアスに送ればよかろう。俺である必要はあるまい」

「……我が騎士に残された時間は少ない。ほとんどの時間を睡眠という形で過ごして、寿命に抗っているのです」

 

 レイフォンの知る知識にジルドレイドという名はない。

 超巨大汚染獣によるグレンダン襲撃に際して現れていないことも事実だ。

 だが寿命による活動制限があるというのなら、ある程度の推察はできる。

 しかもそれが電子精霊の生まれる都市の武芸者であり、ニーナの血縁。

 ……露骨なパワーアップキットだろ。

 ニーナ・アントークは、原作において廃貴族メルニスクを手にして剄を増加させた。

 廃貴族と電子精霊の違いは行動様式であり、即ち考え方程度の違いしかない。

 ならば不思議はない。

 電子精霊のまま武芸者に力を貸す者が居ても。

 となれば、その戦力がそのまま味方として活躍することはまずありえない。

 なんらかの障害によって使い物にならなくなるだろう。

 そして、その電子精霊達はニーナの力となる。

 そんな予測が成り立つ。

 レイフォンは吐息を吐き出すと、問いを重ねた。

 

「次だ。イグナシスの戦力がどの程度かは知っているか」

災禍なる太陽が如き剣(レヴァンテイン)勝利すべき黄金の剣(カリバーン)不毀の極槍(ドゥリンダナ)不死殺しの鎌(ハルペー)。汚染獣の祖たる四体の大敵。我々が対処しなければならない滅びの元凶、イグナシスの手先です」

「…………」

 

 シュナイバルはハルペーについて、追加での言及をしない。

 ……ハルペーの状態を知らないのか?

 それとも知っていて、敵だと印象づけようとしているのか。

 いずれにしてもあまり多くの情報を期待できないことが証明された。

 知らないのであれば情報不足。

 知っていて恣意的(しいてき)に制限しようとしているのであれば、情報源として信用できない。

 ジャニスの発言の裏取り程度には有用だが、それ以上は無理だ。

 

「では最後の問いだ。サヤが死ねば世界が終わると聞く。どういう意味だ?」

 

 グレンダンの最奥に護られる少女、サヤ。

 彼女の存在そのものを秘匿しながら、王家は守護し続けている。

 レジェンド・オブ・レギオスにおいてアイレインの相棒だった少女。

 あの外伝において主人公アイレインの妹のニルフィリアと全く同じ容姿でありながら、その由来、経歴は一切が不明のなにか。

 レイフォンもかつて、その近くに居ただけで女王から警告を受けている。

 女王は、王家は、その重要性を知っているということだ。

 それがなにかを、レイフォンは知らされてはいない。

 だが、読んだことがある。

 サヤが死ぬと世界が滅ぶという旨の言葉を、鋼殻のレギオスで読んだ記憶が。

 レイフォンに問いにシュナイバルは隠すことなく、あっさりと答えた。

 

「言葉通りなのです、虚無の子よ。あの方がグレンダンで守られているのは、あの方なくして世界は成り立たないからなのです。我々はあの方を核として作り出されたこの仮初めの大地で生きるよりほかにありません」

「────」

 

 世界は成り立たない。サヤを核として作り出された仮初めの大地。

 レイフォンの中で情報が繋がっていく。

 ……そういうことなのか?

 かつて、地球において悲惨な資源戦争が行われていた時代。

 錬金術師(アルケミスト)は、空間を拡張するという技術を編み出した。

 拡張された空間は資源量や土地の広さなど、ほぼすべてのパラメータを自由に設定できるという技術。

 この技術によって現実から派生したのがレジェンド・オブ・レギオスの世界。

 無限の資源、無限の領土を得た人類による拡張空間の世界だ。

 その果てに、イグナシスの(もたら)す破壊によって世界が崩壊したと語られる。

 ジャニスも言っていたことだ。

 それが拡張された世界を崩壊させた、という意味であれば言葉に筋が通る。

 

「…………」

 

 そして空間の拡張には土台が必要であり、通常それには地球の地表、その極一部が用いられたという。

 レイフォンが今を生きるこのレギオス世界がサヤを土台として増設された空間であるなら。

 サヤを失えば世界は確かに崩壊する。

 どうしてサヤが土台になりうるのか、どうしてこんな荒れ果てた世界なのか、などの疑問は残る。だがどうせ錬金術師の技術が絡んでいるはず。

 

「最後といったが、追加でひとつ。知っていれば聞かせろ。イグナシス、あるいはその尖兵どもが何を目的としてサヤを殺そうとしているのか」

「イグナシスの悪意は世界のすべてに向けられています。ただ本能のごとく殺そうとする。尖兵はその意を汲んだにすぎないのでしょう」

「……そうか」

 

 裏の意図などがあれば知りたいが、知らないのか、存在しないのか。あるいはレイフォンに伝える気が無いのか。

 状況はそのいずれかに絞られた。

 ……であれば、聞くべき事は聞けた、かな。

 だからレイフォンは目を伏せる。

 すると、シュナイバルが会談の終了を確認してきた。

 

「質問はもうよいのですか。であれば、マイアスに送りますが」

「マイアスとやらを狼面衆から護ればいいんだな」

「はい。お願いします」

「──待ってください」

 

 そのとき。

 これまで沈黙を保ち続けていた鳥形の電子精霊が二人を呼び止めた。

 レイフォンはその鳥の形状を知っている。

 トキ、日本を象徴する鳥に酷似した姿を。

 トキのような電子精霊はレイフォンへと近づいて、(くちばし)を僅かに触れさせる。

 と、次の瞬間。

 

「!」

 

 レイフォンの身体が僅かに発光した。

 それは電子精霊と同じ淡い白いもので、一瞬にして収まった。

 そうして、鳥形の電子精霊はレイフォンから離れると、レイフォンと相対する。

 

「これは感謝の証です。──私を救ってくれた貴方への」

「……ツァーレンザルド、か?」

「はい。ご武運を」

 

 ツァーレンザルドの言葉が終わった瞬間。

 一瞬にして視界が切り替わる。

 通常の空間に戻ったのだ。

 

「…………」

 

 なにか変わったようには感じない。

 しかし、無意味だとも思えない。

 ツァーレンザルドの言う、感謝の証がどういったものかは分からなかった。

 だが、きっと悪いものではないだろう。

 そう判断したレイフォンは思考を切り替えて、周囲を見渡した。

 

「さて、どうしたものか」

 

 見知らぬ町並みが広がっている。

 グレンダンのような無骨な雰囲気は薄い。

 ツェルニのような穏やかですべてを受け入れるような寛容さとも違う。

 建物の一つ一つからして伸びやかに、そして無秩序に広がっているような印象。

 学園都市マイアスの町並みが眼前に広がっていた。

 

 ●

 

 槍殻都市グレンダン。

 学生たちの通う学校に、リーリンもまた通学している。

 学校で講義を受け、出された課題を終わらせるべく図書館に向かう。

 同じ講義を受ける友人たちと、探して書籍を共有して資料を作成していく。

 

「ねー、リーリン。これどういう意味か分かる?」

「これはダンディリオン教授の課題でしょう? それなら経営学だからこっちから探したらいいよ」

「もー! 課題多すぎぃ!! なんでそんな淡々とこなせるのよー!」

「ため込んだからでしょ。ほら、手伝ってあげるからさっさと仕上げなさい」

「あーん、きつーい! でもありがとう! 私もリーリンみたいな彼女が欲しいわぁ」

「そこは彼氏じゃないの……?」

 

 友人たちと課題を終わらせれば、自習。

 本気で孤児院を経営するなら、どうすればいいのか。

 少しずつ見えてきている。

 やがて日が落ちて暗くなってくる。

 

「……そろそろ帰って……、いや、先に商店街に行くんだった」

 

 図書館を出て、孤児院から一番近い商店街へと向かう。

 商店街は活気のある時間だ。

 いつものように夕食や翌日分の食材を買っていく主婦たちで賑わっている。

 

「今日は鶏肉のセール日ですよー!」

「レタスの特価! 安いよー!!」

 

 呼び込みの声を聞きながら特売の品を探して、少しでも安く食材を買っていく。

 孤児院には補助金が出るようになったようだが、決して無駄遣いできるような金額じゃない。

 レイフォンの残した財産だって無限にあるものではない。

 同じ地域の主婦たちと競り合って、今日も買い物を終えた。

 

「今日の戦果、ばっちり」

 

 帰ろう、孤児院に。

 いつもの道を歩いていく。

 いくつかの角を曲がると見えてくる。

 今日もいつもの日常を繰り返す。

 武芸者達の守る何気ない日々を。

 安心できて、不安なのに。

 レイフォンが守ってくれた日常。

 それは本当に夢のような日々の名残り。

 

 ●

 

 親愛なるリーリン・マーフェスへ

 

 フェルマウスなる黒い不審者がこの手紙を持ってきたのではないかと思う。あれはサリンバン教導傭兵団の人間で、デルボネの血縁だ。素性の知れない人物ではないので心配はいらない。

 フェルマウスにわざわざ手紙を持って行かせたのは、絶対に手紙を紛失しないという保証が必要だったからだ。

 ここから先の内容は君にとって、無情なものになる。だから先に書いておく。

 

 リーリン。君はすべてを放って逃げ出してもいい。一人では難しいというのなら俺が連れ出そう。

 君にはその権利がある。これを理解した上で続きを読んでもらいたい。ただし、声に出して読まないように。

 

 君が王家の血を引くと伝えたことを覚えているだろうか。それがすべての始まりだ。ヘルダー・ユートノール。かつて女王アルシェイラ・アルモニスの婚約者だった男が、君の父親だ。

 グレンダン三王家は、ずっとある遺伝子を再現することを目的として婚姻を意図的にデザインしていた。だが、ヘルダーはアルシェイラではない別の女性との間に子を成した。問題は、王家が絶対に必要とする因子をその子が持って生まれた、あるいはその可能性が高いことだ。

 それゆえに母と子を同時に亡き者としようとしたのが、メイファー・シュタット事件。デルボネとティグリスの二人が、君たち親子を殺すために汚染獣を見逃したことで起こった惨劇だ。だがデルボネたちは赤子を殺すことを迷ったために、たった一人の武芸者にすべてを委ねた。

 デルク・サイハーデン。

 デルクだけが事件現場で赤子の声を聞くことを許された。結果としてリーリンと、偶然そこに居た俺が拾われることになった。これらの事情はデルクも知らないことだ。決して声には出さないように。デルボネの耳は誤魔化せない。

 

 ここまでが、君の生誕にまつわる話。ここからは王家の血、王家が求めた因子によって起こる未来の話だ。

 

 手紙がいつ届くかが分からないので早めに送った。だから正確な時期は不明だが早くて三ヶ月ほど、遅くて半年ほどで戦争が始まる。グレンダンが生まれたそのときから備え続けてきた汚染獣との戦争だ。

 天剣全員と女王が総出で戦うことになる。それほど強い汚染獣に襲われる。

 この戦争のために三王家は遺伝子を集め続けてきた。その集大成がアルシェイラという武芸者であり、リーリンの右目に宿る因子でもある。

 今はまだ自覚はないと思うが、君の右目にはグレンダンが求め続けた因子が宿っている。きっといずれ気付くだろうからこれも言っておく。リーリンが選んだから、俺の剄は天剣になれるほど多くなった。このことには礼を言う。おかげで武芸者としての人生を楽しめている。

 ここからは推測も混じるので、そのつもりで読んでくれ。

 その右目には、グレンダンが欲しがった攻撃能力があると思われる。対象を眼球に変化させる異能だ。不思議な言葉に思えるだろうが、文字通りの事象を引き起こせる。

 その力があるからグレンダンはリーリンを必要とするだろう。グレンダンの求めに応じれば、ある少女に会うことになる。そして、多くの因果を説明されるだろう。だが事情などどうでもいい。

 結局は、リーリンに対して戦場に立てと言っているだけだ。

 

 もう一度、レイフォン・アルセイフがリーリン・マーフェスに告げる。

 君に過去の因果を背負う義務などない。逃げていい。

 君には、その権利がある。

 なぜならリーリンには王家としての待遇を享受した経験がないからだ。

 王家として多くの特権を行使してきた者だけが、王家としての義務を背負う。たった一人の少女が逃げた程度で滅ぶのなら、滅ぶべきものでしかなかったということだ。

 それに、たとえそうなったとしても抗う者は勝手に戦うし、滅びに抗うことになる。

 だから一切を気にしなくていい。

 リーリンが友人と思っているであろう女、シノーラ・アレイスラこそが戦う義務を持つ。リーリンの現況を招いた原因たる女王本人だからだ。

 

 仕方ない、という諦観の選択ではなく、リーリン自身の望みによる選択を願う。

 俺はそのすべてを肯定し、その手段となろう。

 

      レイフォン・アルセイフより

 

 ●

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