俺はスタイリッシュなヴォルフシュテイン   作:マネー

4 / 8
ザ・モーニング・スター編第四話:追想

 ●

 

 移動都市(レギオス)がある。

 都市には移動の震動を最低限に抑え、生活の阻害を極力避けるための工夫が施された建築物が並ぶ。中心には摩天楼の如くそびえ立つ塔があり、頂点には獅子の胴体を持つ竜が頑強な剣を噛み砕かんとする旗が掲げられていた。

 槍殻都市グレンダン。

 汚染獣に対して自ら襲撃するという特異な性質を持つ都市だ。

 普通ならば確実に滅ぶ道程を可能にするのが、女王率いる天剣授受者達だ。彼らが居るからグレンダンの住民は汚染獣戦に恐怖を抱かない。世界一安全な都市だ、とすら思っているのだ。

 

「――――」

 

 早朝。

 グレンダンに住む全ての人間が揺れを感じた。

 都市の移動によるものではない。明らかに別の要因で引き起こされた都震だ。

 揺れは一秒程度で収まるが、市民はゆるやかに空気を賑わせていく。

 

「また汚染獣か?」

「おいおいまだ朝だぞ。もうちょっと寝かせてほしいぜ」

「寝てていいぞ。嫁さんは俺が連れてくから安心しろよ?」

「ふざけんな。こっちはまだ熟れてねーぞ熟女専」

「テメェこそ趣味と違うだろ幼女専。こっちとら寂しい独り身なんだ。少しは配慮しろよ」

「貴方達の性癖なんてどうでもいいんです。――さっさと運べよボンクラ」

「ひいっ」

「アンタもだ。分かっているな?」

「……ハイ」

 

 いつも通りの避難風景だ。おかしな事は無い。不足する物があるとするなら、デルボネによる通知と、

 

「いつになったら避難警報が鳴るんだ?」

 

 え? と周囲が頭を塔に向けた時に、彼らの頭上を飛び越える動きがあった。

 

「――向こうだ、急げ!」

 

 武芸者だ。

 それも一人や二人ではない。グレンダンの全武芸者かもしれない無数の武芸者達だ。

 熟練の武芸者が雪崩染みて駆ける様は、怒濤の勢いを持っていた。だが、様相は戦闘に赴く感じではなかった。表情をはっきりと確認した者は居ないが、玩具を与えられた子供の様に喜色に富んだ声だったのだ。

 しかも、練金鋼こそ持っているものの汚染獣戦に備えるものではなく、ほとんどが着の身着のまま中心部の方向へと向かっていく。

 どういう事だ、という声がいくつも上がり、間を置かずに応えが来た。声はすぐ側に浮かぶ蝶の形をした念威端子からだ。

 

『――騒がせてしまいましたわね。心配ならずともいいですよ、汚染獣の姿はありませんもの』

「デルボネ様! これは、一体……?」

『ふふふ、彼らが見たいと思っていた光景があるのです。詳しくは、……そうですわね、お昼頃には終わると思いますので、帰ってきた方に聞いてあげるといいですよ』

「どういう事です?」

 

 声だけなのに、上品に笑う様が透けて見えるほど、感情豊かな声色でデルボネは言った。

 

『きっと、見たモノを誰かに話したいと思いながら帰ってくるのですよ』

 

 ●

 

 グレンダン居住区。

 町外れの孤児院と連結された建造された建物。サイハーデン刀争術と看板のかけられた道場だ。

 中では汚れた木目の上で木刀を振るうはずの者達が、手を止めて都市の揺れに色めき立ち甲高い声を立てる。突然の都震に対する子供達のあげる歓声にも似た感情の発露だ。

 彼らは汚染獣の可能性を口にしていた。

 だから、とデルクは声を響かせる。

 

「――落ち着け。都市に住まう我々が汚染獣との接触を喜ぶな」

 

 そして、

 

「あれは……、あの揺れは汚染獣によるものではない」

 

 反応が返されるよりも早く、外で(うごめ)く剄の波動が伝播した。都市中から響く波は、熟練の武芸者達の発するものだ。

 それは強烈な勢いを持った感情。一種の奔流だ。

 

「な――!?」

 

 喜色一辺倒の激情が、地面や屋根を駆けていく足音と共に周囲を賑わせ、去っていく。

 発している剄は十分に力強い。熟練の武芸者達のものだ。

 ややあってから騒乱の波が収まると、生徒の一人がデルクに問いかけた。

 

「な、何が……? 先生、どうなっているのです? 何かご存じなのですか?」

「少し待て。――リーリン。入ってきなさい」

 

 道場の勝手口。孤児院と通じる奥の扉が開き、少女が姿を見せる。

 

「どうした?」

「えっと、避難の準備をしようと来たんだけど、大丈夫?」

「揺れの事なら心配するな。あれは――」

 

 デルクは真剣な眼でリーリンを見た。

 そして言う。

 

「レイフォンだ」

 

 ●

 

 リーリンは養父が発するいきなりの言葉を聞いた。

 ……レイフォンが?

 生まれるのは疑問と、僅かな間を作ってから来る妙な納得だ。

 天剣授受者だからではない。普段の振る舞いを間近で見ているリーリンからすると、レイフォンは無茶な行動をしても、やりそうだ、と感じるからだ。

 リーリンが言葉を返すより早く、サイハーデンを学ぶ門下生から声が上がった。

 

「レイフォンさんですかっ!? サイハーデンで天剣になった、あの!」

「ああ。そのレイフォンだ。もうひとつの大きな剄はクォルラフィン卿、ルッケンスの天剣だろう」

 

 そこまで説明したデルクは言葉を一旦切って、そういえば、とリーリンを見た。

 

「レイフォンから経営について教わっているんだったな。なら、ちょうどいいから聞いていきなさい。グレンダン武門の名家、ルッケンス家についてだ」

 

 でも、と周囲を見渡すと、いつの間にか門下生達の並ぶ最前列中央に座布団が用意されていた。ここに座れ、と言いたいのだろう。周りに脚を崩して座り込む彼らの顔は一様にいい笑顔だ。

 はあ、と息を吐く。

 なにやら疲れた気がするが、仕方ないので用意された場に腰を下ろす。

 すると、不意に背後から声が上がった。声は若いが、レイフォンよりも太い。年齢もおそらく下だろう。声は勢いよく、デルクに問いかけた。

 

「センセイ! 我々も見学しに行きましょう!! ぶっちゃけ見たいです!」

「却下だ」

「え――――!?」

 

 門下生全員の叫びが合唱した。

 

「そこは快く“よし、行くか!”くらいは言う気概を見せてくださいよケチくせぇ――!!」

「無視して言うが、今のお前達では見ても意味がない。いや、まともに見るのも難しいだろうな。おそらく単なる移動すらも眼で追えん」

 

 それは、

 

「活剄の密度が違う。天剣授受者の中でもレイフォンは速度を重視しているから特に、な」

「じゃあ、クォルラフィン卿はどうなんですか? ルッケンスの武門は化練剄ってイメージですけど」

「間違ってはいないが、少し違う。ルッケンスは化練剄と得意とするが、あくまで格闘術の補佐として使用する武門だ。化練剄というならナインの武門こそ正統派だろう」

 

 デルクの説明を聞くリーリンは早くも心が折れそうだった。

 ……私が聞いてもなあ。

 リーリンはあくまで一般人に過ぎないので、どういう事が得意か、など興味がない。名門、即ち巨大な富を持つ組織の動向は都市経済では無視出来ないらしいが、内容まではちょっと、と感じてしまうのだ。

 思い出すのはレイフォンの教えてくれた経済の概念だ。

 ……確か、なんだったかな……?

 経済予測の他に、補足事項として色々言っていた事があったはずだ。

 その記憶を追っていると、デルクが門下生を見渡して、こう問いかけていた。

 

「では、ルッケンスの武門とはどういうモノか。……誰か知っているか?」

 

 手はあがらない。

 眼を伏せて、ふむ、と考えたデルクは、ややあってから不意に口を開く。次に届く言葉は門下生に向けられたものではなく、

 

「――リーリン。お前はどうだ?」

「え、私? 私は武芸の事は何も分からないから」

「武芸以外で大丈夫だ。知っている事があるなら言ってみなさい」

 

 指名されるとは全く思っていなかった。だが、頭の中に浮かぶ情報を整理していく。言うべき内容は経済よりもルッケンス家そのものについてでいいだろう。

 

「はい。えっと……」

 

 一息。

 

「――ルッケンス家は、グレンダン創設初期から続く武芸者の家系で、初代ルッケンスも当時の天剣授受者です。その頃の文献もいくらか残していて、英雄譚の様な話まで含めて様々な逸話が残されているそうです。中には三王家にすら残っていない資料もあるんだとか。

 現在は名門ルッケンスとして名を馳せていて、グレンダンで最も栄えているカルヴァーン様の武門に次ぐ武門に位置します。伝統的な流派で正統後継者のサヴァリス様が天剣を手になさった事からも天剣に”近い”武門と言われています」

 

 武芸者の天剣へ夢がルッケンスへの期待になっていたんだよね、と思いつつ、

 

「けど、流派の奥義? だとかを完璧に修めているのはサヴァリス様だけで、他の人は流派を修めきれてないから、才能のある人だけが至れるのではないか、という声もあるそうです。

 ちなみにレイフォンが天剣授受者になるまで、最年少天剣授受者の記録保持者(レコードホルダー)はサヴァリス様の十四歳でした。今はレイフォンの十歳。

 ……えっと、これでいい、かな?」

「十分だ。よく知っていたな」

 

 養父の表情は柔らかい笑みだ。けれど、これは自分が調べた事でも、知ろうと思っていた事ではない。

 

「レイフォンが教えてくれたからだよ」

 

 素直に教わった事を言うと、空気が一変した。

 

「――――」

 

 表情を驚愕という色で固めるデルクの顔があった。それは、驚いた、というよりも理解できない、という思考停止のそれだ。しかし、

 

「……お義父さん?」

「そうか。しかし、誰に教わったかを気にする事はない。重要なのは得た知識を必要な時に引き出せるか、だ」

「あ、うん。そう、だよね……?」

 

 リーリンが呼びかけた瞬間に、まるで白昼夢であったかの様に、いつもの暖かな養父の顔に戻っていた。

 一般人であるリーリンですら捉えられた急激な変化を周囲の武芸者が見逃すはずもない。であるにも関わらず、彼らの態度には、変化がない。ならば、先程のは、全て気のせいなのだろうか。

 ……本当に……?

 デルクは確かに不器用な男だと思う。しかし、彼は孤児院で引き取った子供に対して決して贔屓をしなかった。分け隔てなく平等に大人として接していた。そんなデルクを、今まで育ててくれた恩師を疑うなんて、不謹慎にも程がある。

沈んでしまう思考を、頭を振る事で解消。意識を改めた。

 

「知識を知識として終わらせず、知恵として使える様にしていく。それこそが最も重要で、最も難しいが、リーリンなら大丈夫だろう。これからも頑張るんだぞ」

「うん。朝ご飯の支度がまだだから、私はもう行くね」

「ああ」

 

 ……大丈夫だよね……。

 得体の知れない不安を無理矢理にでも掻き消して立ちあがり、道場を後にした。

扉を潜り、空を仰ぎ見る。視線の先にあるのはエアフィルター外に鎮座する赤く錆びた空だ。汚染物質に侵される以前は青かったという話しをどこかで聞いたが、今ではどこまでも赤いだけの空しかない。

しかし、きっと昔も変わらず遠く、広い空であったに違いない。

同じ空の下で、ここグレンダンでレイフォンがまた馬鹿をしているんだと思うと、少し気が楽になった。

 

「……うん。きっと、大丈夫」

「うおおお! リーリンちゃんの座った座布団だ――!!」

「やめんかあ――!!」

 

 …………大丈夫だよね……?

 

 ●

 

 都震の発生点からさほど遠くない位置に、ルッケンスの道場がある。

 道場はルッケンスの所有する私有地内に建設されていて、敷地は都市内でも広い部類だ。しかし、今は道場全体に降る様にして朱と蒼の色が舞っていた。

 剄の残滓だ。

 それを都市中に伝播させたのは、赤青(セキセイ)を纏う二人。

 青年と、少年と称して問題ない体躯の子供だ。

 強力無比な一撃を交わし合った二人は、視線を合わせると互いに間合いを取った。一息で飛び退いた十五メートルの空間は、天剣をして一呼吸が必要な距離だ。

 

「いきなり斬り掛かるなんて、どういう事かな、レイフォン。僕と戦いたいのかい? いつでも構わないけど、さすがに唐突だね。驚いたよ」

 

 辻斬り同然の行為に対して、青年は憤らない。むしろ、心底愉快だという感情を顕わにしている。それは微笑みというよりは濃く、笑顔というには獰猛な種類の笑みだ。

 それとは対照的に、レイフォンは淡々としている。彼は口を開くと、こう言った。

 

「――雪辱を果たしに来た。サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンス」

「へえ。道場破りの事か」

「ああ」

「懐かしいねえ、もう二年になるのか……」

 

 サヴァリスは構えを解き、腕を組む。しかし、それは警戒まで解いたのではない。愉快そうに思案する姿に、隙はない。

 

「ウチの道場がいつもと違う騒ぎ方をしていたから覗いてみれば門下生と師範代の全員が倒れていて、立っていたのは君一人だけ。なかなか珍しい光景だったよ。なにせ、ルッケンスの武門がたった一人の武芸者に負けた訳だからねえ」

「直後に来た貴様には敗れたがな」

「本当に楽しい試合だったよ。老生体を含めて、ここ数年では一番だったね。けれど、それも別におかしな事ではなかったらしい。天剣授受者ならその程度は出来て当たり前さ。たとえ、天剣を授かる前だったとしても、ね」

 

 それにしても、とサヴァリスは黒鋼錬金鋼の鞘を見た。

 

「なぜ錬金鋼が以前と違うのかな。天剣と鞘を一緒に扱う事になにか意味があるのかい?」

「……さあな」

「ふうん。まあ、なんにしてもやる事は変わらないし、構わないさ。――戦おう、今すぐに」

 

 サヴァリスが復元言語を唱え、天剣を着装する。

 

「そうだな」

 

 呼応する様にレイフォンが構えると、空気が急速に張りつめていく。

 動かないサヴァリスと、その周囲をゆっくりと歩くレイフォン。だが、二人ともが、すぐに動く事になると予期していた。それは、道場の中から聞こえてくる慌ただしい気配。

 

「――何事だ!」

 

 行った。

 

 ●

 

 レイフォンが飛び出した。

 ダークスレイヤー、『エアトリック』。

 旋剄を超える瞬間的な超高速移動は、サヴァリスの活剄ですら正確に姿を捕捉出来ない領域にまで至る。

 これによってサヴァリスの近くまで瞬時に移動。視線を下方へと誘導したレイフォンは再び、剄技を使用する。

 水鏡渡りの改変技。ダークスレイヤー、『トリックアップ』。

 自身の上空へ一瞬にして高速移動する。単純な速度だけでいうならば、トリックアップはエアトリックのそれを更に上回る。

 超常の神速を可能としたのは、脚甲ベオウルフだ。錬金鋼の存在は、剄技の精度と威力の限界を大幅に高めてくれる。

 しかも、水鏡渡りの剄技を”剄”とだけ見た場合、限界距離が伸びる程度ではあるが、

 ……連弾も可能……!

 風を置き去りにする速度は、天剣達の領域においてすら凄まじく、しかし、見失わせていられる時間は長くない。すぐにでも剄の波動で居場所を特定するだろう。

 だから、という様に虚空を蹴り付ける。

 外力系衝剄の化練変化、『エア・ハイク』。

 自由落下に初速度を追加でぶち込むと、手にしたフォース・エッジを構えて急降下していく。

 このまま落下すれば、サヴァリスの脳天から股間までをかち割れる、というタイミングで彼は動いていた。

 それは、迎撃。しかも剣を弾くのではなく、

 

「身体を狙ってくるか、サヴァリス!」

「勘だよ」

 

 続く動きは刹那の中で行われた。

 サヴァリスをかち割る兜割りと、レイフォンを穿つ右拳の突き上げは、二人ともが半身なってかわした。

 斬り下ろしと打ち上げ。どちらも強く慣性を残す動作だ。次の動作は、

 

「ち……!」

 

 やはりサヴァリスの方が速い。

 既に左拳が放たれている。

 攻撃の回転率は剣戟よりも拳が速く、大剣を振り上げていては間に合わない。ならば、とレイフォンはフォース・エッジを手放した。

 代わりに手を添えるのは、閻魔刀。

 

「――――死ね!」

 

 外力系衝剄の化練変化、『疾走居合い』。

 水鏡渡りで超移動すると同時に無数の斬撃を放つ荒技だ。

 疾風がサヴァリスの背後へと通り抜けた直後。弧を描く無秩序の剄が発露した。

 

「!」

 

 跳躍ひとつで殺傷範囲から回避したサヴァリスは、そのまま後方に退避する。

 仕切り直しだ。

 そして思う。これでは駄目だ、と。技や形式に振り回されている、とも。

 対人戦は勝手が違う。

 最強の半人半魔の姿に囚われすぎているのだ。だから疾走居合いの攻性範囲が上空まで及ばないと見破られた。

 ……流れを変えねばな……。

 そのためには、どうすれば良いのか。

 いや、そうではない。真似ようと考えるから動きがぎこちなくなるのだ。真似る必要すらなく成りきってしまえ。自然体であるべきだ。

 

「そう。――俺が……!」

 

 バージルだ。

 いや、もっと。もっとだ。

 叫ぶ以前に身体で理解しろ。心で納得しろ。

 自分に出来る事から成していけば良い。俺が俺である限り、それは彼の模倣に他ならないのだ、と。

 ……これもまた、道。

 些か浮ついていた意識が凍っていく。

 

「続きだ」

 

 ●

 

「これは、……楽しめそうですねえ」

 

 サヴァリスは周囲を飛び回る若き天剣の雰囲気の変化を良い物だと感じ取った。

 きっとここからは迷いなく全力だ。

 先程の攻防には存在していた不安定な部分が削ぎ落とされたのなら、きっともっと楽しめるはずだ。

 ……こういった趣向もイイ感じです。

 老生体戦では味わえない駆け引き。武芸者とでしか得られない心理戦だ。

 レイフォンの機動力はサヴァリスを大幅に上回るため、自分から攻めて止める事は難しい。攻防の合間にあった妙な間を無くなるだろう。

 しかし、サヴァリスはこちらから攻めれば、レイフォンも同じく向かってくると予想している。

 だから、行った。

 

「さあ、まだまだここからだろう? 楽しもうじゃないか!」

「試させてもらおう……!」

 

 互いが大きく踏み込み、二色の影が交差する。

 先手を取ったのはレイフォンだ。

 彼は抜刀する事なく鞘を振り上げていた。

 速く、鋭い一撃だ。しかし、軽い。腕を払えば簡単に弾ける程度に過ぎない。

 だからそうした。

 弾かれた鞘は腕を持っていき、レイフォンの腕を開かせる。大きな隙だ。

 レイフォンが隙を潰そうにも、左手は使えない。迎撃に使える武器は背にある大剣や篭手、脚甲だ。しかし、天剣による攻撃は天剣でなければ防げない。武器としての限界値が違うからだ。

 右拳に剄を収束。

 外力系衝剄の変化、『剛力徹破・突』。

 拳打の破壊をより深く突き抜けさせて爆発させる豪快な剄技を放つ。

 普通はこれで終わりだ。

 そして、サヴァリスは天剣授受者というイキモノを理解している。この程度で死ねる武芸者を“天剣授受者”とは呼ばない、と。

 それを理解した上で楽しみにしているのは、

 ……どうやって切り抜けるんです!?

 想いを馳せた直後。

 期待で輝く狂笑は、その上に驚愕を張り付けた。

 耳を掻き(むし)る様な音が強烈な衝撃と共に奔り、右拳を打ち返したのだ。

 その技を、サヴァリスは知っている。それは、同じく天剣授受者であるリヴァースの代名詞たる剄技。右腕を盾の様に構えるレイフォンが使ったその技の名は、

 

「金剛剄……!」

 

 サヴァリスは今、右拳に衝撃を受け、右半身が後ろに引っ張られている。先程とは逆に自分が姿勢を崩しかけているのだ。

 無理に逆らえば姿勢が一気に崩れ、大きな隙を晒す事になるだろう。

 だから、とサヴァリスは体軸を支点にして身体を回していく。右が後ろに流れるならば、左を突き出す。

 連打の流れだ。

 

「楽しませておくれよ、レイフォン――!」

「……来い!」

 

 二人の天剣。グレンダン最強の武芸者が拳と刃を交わし合い、衝撃を生む。

 刃が拳を受け流し、

 拳が刃を打ち払い、

 白銀が剣戟の音色を絶え間なく重ねていく。

 濃密な一瞬という時間で全てを切り裂く嵐の様な攻防だ。

 サヴァリスの手足が繰り出す連撃は、かなり速い。怒涛、と言える程に精密にして強烈。太刀を使うレイフォンよりも間合いは狭く、速度も劣るが、手数は圧倒していた。

 溜めの隙は無い。打拳、刺突、爪蹴(そうしゅう)。あらゆる方法を用いて少しずつ距離を詰め、極限の刹那を見極める。

 

「――――」

 

 見出したのは一瞬だ。

 零に等しい時間に脚先から指先までの関節を連動し、渾身の力を狙い定めて打ち放つ。

 

「はああッ!」

 

 閻魔刀を弾いた。

 十分な隙が生まれた。しかし、間を置かずに攻めれば金剛剄でこちらが弾かれる。だからといってカモフラージュのパターンを差し挟むと、

 

「――ッ!」

 

 居合い。

 まるで魔法か何かの様に、あらゆる姿勢から必殺の太刀が繰り出されるのだ。

 レイフォンがいつも好んで使っている居合いとは違う。何が違うのかは分からないが、この時の居合いだけはまさに別格だった。

 抜き身の太刀を鞘に納めてから再び抜刀しているはずなのに、

 ……まるで見えないとは……。

 回避で崩れた態勢を戻すためにしばらくは防戦一方になってしまう上に、攻めなければ居合いが来る。攻め過ぎても金剛剄か居合いで不利を押し付けられる。

 見事な技だ、と思う。そして、連続して使えない理由があるのだろう、とも。そうでなければ既に勝敗は決まっている。

 結果として生まれたのが、綱渡りの様に危うい均衡だ。

 このもどかしい戦況を崩すには、駆け引きを勝った上で何か技が必要になる。なんとも、

 

「充実した時間だ……!」

「今度は俺が勝つ……!」

 

 獣の様に俊敏で苛烈な打撃を放つサヴァリス。

 酷烈な斬撃を縦横無尽に踊らせるレイフォン。

 二人はこの時点で互いが互いに打ち倒し得る強敵だと悟っていた。

 

 ●

 

「な、なんだこれは……!」

「おい、やべえぞ!」

「余波でも危険だ! 門下生だけでも下がらせろ!!」

「バリケードはいい! おそらく意味が無い。それよりも避難を急げ!」

「これが、天剣――――!」

 

 いくつもの声が上がる。

 声の主はルッケンスの門下生、そして師範代達だ。

 

「下がれ餓鬼ども。お前等にゃこの戦闘は早過ぎる!」

 

 この場が危険であると判断した師範代は門下生の身体を掴み止め、安全圏への待避を促す。

 天剣が自分達とは違うイキモノだと知るがゆえの”当たり前”の行為だ。

 しかし、知らぬからこそ、否。届かぬと理解していて、それでもなお納得出来ないから少年は叫ぶ。

 

「嫌だ!!」

 

 絶叫は自尊心と僅かな向上心、そしてあらがいの意志だ。

 そうだ、と別の誰かが続いた。

 

「ここで引いたら、もう二度とアイツに立ち向かえない。きっと心が折れちまう」

「折れたら立ち上がれない。けど、折れなきゃ何度だって立ち上がれる」

「立ち上がれるなら、――いつか天剣に手が届く。届かせてみせる! そう信じているんだ……!」

 

 まだまだ未熟で、限界を知らない。

 青臭い意地だ。

 しかし、と思い直す様に言ったのは壮年に差し掛かろうという武芸者だ。彼は深い息を吐き出し、教え子達の隣に腰を下ろした。

 

「――いつの間にか忘れてたなあ、最初の気持ちってヤツを」

 

 意地とは、意志だ。

 誰よりも強くなる、という信念。都市を守りきれる守護者になるという宣誓だ。

 いつか、何かに誓った武芸者としての矜持(きょうじ)

 

「レイフォン・アルセイフ……!」

 

 ●

 

 レイフォンは周囲から聞こえる雑音の中に、名を呼ぶ声に気がついた。

 道場前に横一列に並ぶ者達の一人だ。

 

「貴様では若先生に勝てん!」

 

 声の主を見て、驚く。

 

「その次は我々が相手になろう! ただ一度の勝利でルッケンス一門を破った等とは言わせん……!!」

「ガハルド・バレーン……?」

 

 一際甲高く剣戟を響かせ、サヴァリスとの距離を作る。

 このまま競り合っていても埒が明かないのは理解しているのか、サヴァリスも抵抗する事なく身を引いた。すると彼は声だけは不思議そうに、楽しそうな表情で問いかけてきた。

 

「知り合いだったのかい?」

「……いや。ひとつ聞くが、あの男はああいう熱血だったのか?」

「うーん、僕も気にしてなかったからはっきり言えないけど、多分違うかな? もっと、どうでもいい武芸者だったはずだよ」

「そうか。…………そうか」

 

 ガハルド・バレーン。

 史実に於いて、レイフォン・アルセイフがグレンダンを追放される原因を作った男。その男が変わった。あるいは初めから“違った”のか。どちらにせよ、この事実は一種の希望であり、同時に危機でもある。

 ……俺によって、状況が変化する。それは……。

 グレンダンが“始まりの悪意(イグナシス)”に敗北する可能性を示唆している。そうなれば、何もかも全てが失われる。意味すらなく崩壊してしまう。

 今ならば、“絶対が欲しくなった”という感情が理解出来た。

 

「やる事が増えたな」

「――もういいかな?」

 

 問われ、気付く。

 意識が散漫となっていた。警戒を解いた訳ではないが、サヴァリス相手に僅かな乱れは致命的だ。

 

「すまん。待たせた」

「構わないよ。つまらない終わり方は僕も嫌だからね」

「ふん」

 

 静かに構えると、サヴァリスもまた身構えた。

 それまでと同じ構えだ。しかし、最初の攻防とは違い、ここからは決着へと収束していくだろう。

 要となるのは、タイミング。硬直した戦況を覆す技の差し込みだ。

 

「――少し、本気を出してやろう」

 

 行った。

 今度は、足を踏み出したのはレイフォンのみ。サヴァリスは愉悦を表情に張り付けて佇んでいるだけだ。

 ……どういう事だ?

 その行動に疑問を作る。

 先程までの攻防から、単純な戦闘技能は均衡を保っているのは明らかだ。

 お互いに攻めた結果が同等である時、受けに回れば一気に潰される。それが分からないサヴァリスではない。

 更に、レイフォンと比較して彼の戦闘経験は間違いなく優れている。それは剄技の差し込み、読み合いという駆け引きの差であり、有利だ。

 自らの有利をわざわざ切り捨てる理由があるはずだ。――否。なくてはならない。それは、

 ……なんだ……!?

 疑問に対する答えは、すぐに示された。

 サヴァリスの両腕が増殖した。まるで千手観音の様に無数の腕が発生したのだ。

 全てが剄で構成されたそれは、ルッケンス秘奥。

 

「――千人衝だと!? サヴァリス、貴様ッ」

「ははははは! 察しの通りさ……!」

「戦闘狂があ――!!」

 

 ●

 

 王宮庭園からルッケンス道場を見下ろす様にして俯瞰するのは、アルシェイラ・アルニモス。

 女王だ。

 彼女はやがて来る災厄に備え、対抗出来るだけの戦力を欲している。そして、最後の天剣を見定める機会を得た。

 

「サヴァリスが千人衝を使った。基礎の劣るレイフォンでは荷が勝つだろうけど、どうしかしらねえ?」

 

 自問に近い口調に対して答えるのは、黒いロングコートの男、リンテンスだ。

 身だしなみは乱れていて、無精ひげをそのままに煙草をくわえた口元は不機嫌そうに歪んでいる。

 彼は無造作に煙を吐き出すと、誰彼かまわず威圧してしまう口調でこう言った。

 

「ただの馬鹿だ」

 

 ぶっきらぼうでオブラートに一切包まない発言は、アルシェイラの耳には心地良い。下らない世辞や皮肉に時間を割くよりもよっぽど建設的だ。

 自然と笑いをかみ殺しながら同意していた。

 

「まあ、サヴァリスは馬鹿よね。それも救いようのない大馬鹿。ギリギリの臨場感でも楽しみたいんだろうけど、レイフォン相手なら正々堂々と出し抜けば勝てるのにねー」

 

 おそらく、ただ戦闘そのものをよりスリリングに楽しみたい、という所だろう。言外にレイフォンが格下だと宣言する様なものだ。

 

「知るか。興味がない」

「でもレイフォンには興味あるでしょ? あの子、物覚えの良さは異常だしさ」

「あの猿真似がどこまで本物か、興味はあるな。とはいえ奴は化練剄を学び、既に自分のスタイルを確立している。今から鋼糸を仕込んでも仕様がない」

「ふーん、リンはそう思うんだ」

 

 言外に、自分は違うと知っている、と含ませて笑う。

 今度は抑えず、表情にだけ感情を表した。するとリンテンスは、

 

「何が言いたい、って感じの顔ね」

「…………いいから話せ」

「はいはい、別に隠す事じゃないし、見てれば分かるわよ。――どこまでも貪欲な強さへの探究心って奴が、ね」

 

 ●

 

 千人衝は強力な剄技だ、とサヴァリスは思う。同時に、万能な剄技であるため極限の状況に対する対応が粗くなりやすい、とも。

 そして、天剣レベルの武芸者との戦闘ともなれば、一瞬の中の一瞬を争う事になる。連続攻撃は相手の油断や隙を引き出すための手段以上には成り得ない。

 だからサヴァリスは期待する。

 目の前で太刀を器用に使いこなす少年の積み上げてきた全てに。

 

「僕を更なる高みへと連れて行ってくれ、レイフォン――!!」

 

 無数の腕で攻め立てる。

 堪らず受けに回ったレイフォンは少しずつ後退しながら、宣言した。

 

「――(ひざまず)け!」

「!」

 

 腕が切断された。

 実際に腕を断たれた訳ではない。断たれたのは千人衝による幻影の腕の方だ。

 しかし、その瞬間に気付けなかった。一時も目を離したりはしていない。突如として現れたとして思えない蒼剣が、サヴァリスの幻影を切り離していた。

 

「これは……!?」

 

 一度退き、状況を俯瞰する。

 見れば、十の蒼剣がレイフォンの周囲を旋回していた。

 剣は剄で編まれた幻影だ。

 

「貴様との戦闘を参考に作り上げた剄技。円陣幻影剣――――!」

 

 分かる。分からないはずがない。今も自分で使用する剄技そのものだ。

 

「たった一度見ただけで盗んだのか、千人衝を!!」

「容易く、とまではいかなかったがな」

 

 自問の叫びに返されたのは、レイフォンの踏み込みだった。

 戦闘は急激に加速していく。

 

「くッ」

 

 剣群が迫る。

 高速回転する蒼剣は千人衝の腕で迎撃。刃に対して真っ向から拳をぶち込むと、一方的に切り裂かれた。

 込められた剄はおそらく同等。その場合に強度を決定するのは、

 ……密度、ですかね。

 強弱関係は実際の刀剣と拳の物と同じだろう。ならば、対応も同じだ。

 だからそうした。

 剣の腹を叩き、砕く。限界まで引き絞った抜き手で突き穿つ。そうして十の蒼剣全てを破砕した頃にはレイフォンを間合いに捉えていた。だが、まだ浅い。確実に仕留められる距離へ更に深く一歩を踏み込んだ。

 すると、閃光の様な一撃が飛んで来る。

 速い。

 まさしく必殺の居合いだ。しかし、

 

「もう、ソレは覚えたよ」

 

 外力系衝剄の変化、『剛力徹破・突』。

 十分な威力を持った剄技で鍔付近を打ち抜き、止める。居合いと止められ、両手を塞がれているレイフォンに次の攻撃を防ぐ術はない。

 ……()った――。

 左拳を突き出す。

 しかし、手に返る感触は肉を穿つ湿った感覚ではなく、硬い金属音。

 サヴァリスの打拳は“蒼剣”で防がれた。

 ……思ったよりも早い。

 随分と千人衝の扱いに慣れているらしい。一年間じっくりと研鑚を積んだのか、再度分身代わりの蒼剣を作るのに、一呼吸程の時間しか掛かっていない。

 驚愕する間もなく、次の瞬間にはレイフォンの攻撃態勢が整っていた。

 

「勝てるとでも思っていたか?」

「く、ははっ! いいや、ただ嬉しいだけさッ」

 

 幻影の剣が砕け散り、幻影の剛腕が穿たれ、その度に赤青の剄が空気を(えぐ)る。

 焼き増しの様な均衡だ。

 サヴァリスは攻めきれず、レイフォンも攻勢を維持出来ない。

 しかし、剣戟の音色はより一層激しく打ち鳴らされている。単に手数が増えただけではない。ひとつひとつの速度も遥かに増していた。

 そして天剣の戦闘は更に加速を続け、観客たる武芸者達の眼ですら、まともに捉える事の適わない領域へと自身を放り込んでいく。幻影が幻影を打ち砕いて鋼の音響を連続させるのとは対照的に、実体の攻防は次第に激しさを潜め、鋭さだけがより鋭敏に昂ぶっていったのだ。

 レイフォンとサヴァリスの二人ともが攻め続けて、それでも被弾は皆無。その程度には、これまでの戦闘を見覚えていた。

 めまぐるしく攻守が入れ替わり、レイフォンが薙ぎ払い、サヴァリスが突き穿ち、それでも二人は共に決定打を欠いていた。

 

 ●

 

「また互角。どちらかが危険を冒さなければ終わりそうにありませんね」

「まだまだ青いな。もうちょい違う見方をしなきゃ駄目だぜ」

「そうでしょうか? どちらも手詰まりに見えますが」

 

 焦げ茶色に塗装されたマンションの屋上で言葉を交わすのは、手すりに手を置いて彼らを眺めるクラリーベル・ロンスマイアと壁に背を預けたトロイアット・ギャバネスト・フィランディンの二人だ。

 巨大な剄のうねりを感じたため、クラリーベルは修行の一時中断を申し出て、彼らの戦闘を見物していた。天剣授受者の全力など、そうそう見られる様な物ではない。この機会は得難い体験になると感じている。

 ……レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。

 彼は自分と同じくトロイアットの教導を受けたと聞いている。自分の目指す先に近い何かを持っていると見ていいはずだ。

 トロイアットも彼に興味を持っている様だが、どちらかというと教材のつもりらしい。トロイアットは気だるげに口を開く。

 

「だから、そういう表面的なモンに捉われてちゃいけないのよ。特に俺とかクララみたいな化錬剄使いはさ」

「まさか、彼らの使うあの剄技は幻惑系統なんですか?」

「いいや?」

「…………。真面目にお願いします」

「俺は真面目だからよく聞け馬鹿弟子二号。若い奴らは大体勘違いしてやがるが、汚染獣ならまだしも人間相手に剄技なんて大した意味はねーよ。まあ、あのレベルになれば多少は違うのも確かだけどな」

 

 それは、理解出来る。

 汚染獣はその強靭な肉体と理不尽な生命力がある。その両方を打ち抜くとなれば、それだけ高い威力が必要になる。しかし、人間は簡単に死ぬ。首が斬れれば死ぬ。内臓が傷つけば死ぬ。血が流れるだけで死ぬ。

対汚染獣戦と対人戦では全くプロセスが異なってくる。

 

「どうやって殺すかを考えるのが汚染獣戦で、どうやって刃を届かせるかを考えるのが対人戦、という事でしょうか」

「相違点はそれで合ってるが、ここで言いたいのはそういう事じゃねーんだ。連中をよく見てみろ。あいつらは一見互角にやりあってる様にも見えるが、その実そうでもねえ」

 

 クラリーベルは、手すりから身を乗り出して凝視した。

 

「やはり分かりません。どういう事ですか?」

「よく見たから分かるって話じゃねーからまずは落ち着け?」

「あ、はい」

「で、だ。互角じゃないっていうのは戦況だ。近接戦闘能力で拮抗している時に、サヴァリスは強引に主導権をもぎ取りに行った。まあ、千人衝だな。だが目論見外れてレイフォンはそれすら含めて互角に持ち込んだだろ。ここまでは多分、レイフォンの思い描いていたシナオリ通りのはずだ」

 

 なぜならば、

 

「均衡を作ってからだ。自分で攻める事はあっても、とりにまでは行ってねえ。まず間違いなくサヴァリスが勝負に出るのを待っているんだと思うぜ?」

「――居合い抜き」

 

 抜刀はその技術の性質上、自分から攻め込むのには向かない。しかも、十全な威を発揮出来るのは正しい姿勢からのみだ。

 だから、待つ。

 その戦術は余すところなく正しい。

 

「それだけじゃない」

 

 トロイアットはよりよく観察出来る位置、クラリーベルの隣へと場所を移した。

 クラリーベルは隣の男を見上げ、次の言葉を待つ間にトロイアットの眼を見て、不意にこう感じた。彼が見ているのは戦闘行為ではなく剄技そのものなんだろうな、と。

 

「レイフォンの戦闘方法の全貌は不明だろう? なのにサヴァリスの方はバレている。――この差がデケェんだ。レイフォンから攻め込まれたらどう対応するか、完全のその瞬間に考えるしかないからサヴァリスは攻め込まざるを得ない。たとえ罠だとしても、主導権だけでもあった方がまだマシだからな」

「それはつまり――」

「――サヴァリスが追いつめられているのさ」

 

 ●

 

 どうしたものか、とサヴァリスは思案する。

 流石にこの膠着は予想していなかった。まさか千人衝に対して千人衝で対抗して来るだなんて予想外もいい所だ。

 とてもとても楽しいのは事実だが、対処に困る。

 ここからは総力戦だ。持てる奥義を尽くして戦う事になる。

 しかし、サヴァリスの戦闘方法がほぼ知られているのに対して、レイフォンのそれは全くの不明。しかも待ちに徹しているという事は、こちらが攻め込んだとしても捌ききる自信があるのだろう。

 これで主導権まで持っていかれたら流石にやり辛くなるだろう。

 ならば、自分で戦況を掌握しなければならない。サヴァリスは勝負を仕掛けるべく、大きく一歩を退き、

 

「そろそろ終わりにしようか、レイフォン」

 

 活剄衝剄混合変化、ルッケンス秘奥『千人衝』。

 百体に近い数の分身を作り出す。

 それら全てが十体以上を重ねた分身であり、これまでの千人衝とは比較にならない程に強力だ。ただし強力な分の消耗があり、長時間の連続戦闘は困難となった。だから、

 ……これで決める……ッ!

 レイフォンの前後左右、そして上空を囲う様にして分身を出現させた。

 逃がしはしない。

 

「――――ッ」

 

 レイフォンに出来るのは、今も身体を旋回する円陣幻影剣を利用して強引に突破する事と、移動術を使う事だ。

 だが、半円状に展開する分身に囲まれたレイフォンはあの超高速の移動術『エア・トリック』を使ってくる、とサヴァリスは考えていた。

 その場合に可能性として想定していた状況は二つ。囲いの外側への攻撃的回避行動か、

 

「――本体(ぼく)を狙ってくるか!」

 

 来た。

 外側に逃げればサヴァリスが無駄に疲れるだけという結果で終わっただろうが、この拮抗状態に飽きていたのはレイフォンも同様なのだ。

 だから、必ず狙ってくると思っていた。

 既に眼前で抜刀しているレイフォンは射程圏内だが、まずは銀の閃光の様な居合いを躱さねばならない。だから、とサヴァリスは身体を筋肉で強引に後ろへと戻していく。

 ギリギリのタイミングだったが、

 ……躱した!

 続く動作は全てが刹那の内に行われた。

 回避とほぼ同時に分身が化錬剄の糸を幻影剣に張り付けて拳打の衝撃を伝播させる。

 外力系衝剄の化錬変化、『蛇流』。

 

「!」

 

 破砕。一拍置かねば幻影剣は再出現しないため、レイフォンに武具は無い。しかし、

 

「そこだッ」

「――これは!?」

 

 外力系衝剄の化錬連弾変化、『重ね次元斬』。

 発生するのは、レイフォンが居合いという動作で放った球形の多重斬撃だ。

 サヴァリスは強引な回避動作を強行しているため、これ以上の行動は出来ない。重なる様にして顕在化していく次元斬を躱すのは無理だ。

 このままでは抉り取られる。

 ……あまりやりたくはないですが、仕方ない。

 サヴァリスは覚悟を決め、

 

「ぐぅ――ッ」

 

 不自然な軌道で更に後ろへと吹き飛んだ。

 直後、一瞬前までサヴァリスの身体があった空間を次元斬が抉る。回避に成功したのだ。

 その様を見たレイフォンは驚愕に眼を見開き、そして声を上げた。

 

「……糸? ――まさか、蛇流で自分を殴り飛ばしたのか!」

「なかなか痛かったよ」

 

 口の端から血を流しながらサヴァリスは狂気に笑う。

 多少ダメージを受ける事になったが結果として生き延びた。そして、もうレイフォンに逃げ場は無い。

 完全に囲んでいる。

 

「――――!」

 

 外力系衝剄の化錬変化、ルッケンス秘奥『咆剄殺』。

 口から放たれた震動波は分子結合すら破壊する衝撃だ。四方八方から放たれる“死”の重圧はレイフォンを飲み込み、世界から音を消し去った。

 

 ●

 

 サヴァリスの咆剄殺の余波が届く範囲に居るのはルッケンス武門の大馬鹿者どもだけであって、そこには彼らを護る無数の糸があった。

 鋼糸。

 リンテンスの天剣だ。

 

「ナイスよ」

「このために呼んだのか」

 

 イイ笑顔でサムズアップする女王に苛立ちを覚えたリンテンスは、ストレスを掻き消すように肺を白煙で満たす。

 グレンダン全ての武芸者が覗き見ているとはいえ、あそこまで近づこうという猛者は居ないらしい。お蔭で手間は少なかったな、と内心で愚痴を零していた。

 

「まあね。あ、もちろんあとで折檻するわよ? 都市内であんな大技かます馬鹿とか治安に影響が出そうだし」

 

 カナリスの泣いて喜びそうな一言を聞き流し、リンテンスは問いかける。

 

「あの小僧。助けなくてよかったのか?」

「いいんじゃない? あそこで助けたら天剣として恥になっちゃってただろうし」

 

 それに、

 

「生きてるしさ」

 

 ●

 

 サヴァリスは大きな剄の波動を感じていた。

 始めは張り巡らされたリンテンスの鋼糸による物だと思っていたが違った。自分の周囲の剄はリンテンスだが、その剄は上空から降ってきていた。

 

「……レイフォン!?」

「終わりだ。サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンス」

 

 サヴァリスは迎撃のために構えた。しかし、剄が圧倒的に不足していた。

 千人衝と咆剄殺の二連発で一気に剄を使い過ぎたからだ。

 使った剄を使いまわそうにも既に剄技は止めてしまったために霧散している。あと二秒あれば回復が間に合うが、レイフォンがそんなに待つはずもない。

 

「お披露目と行こう」

 

 魔剣技(てんけんぎ)、絶刀――。

 世界が曲がる。

 それは、不思議な光景だった。

 空から落ちていたはずのレイフォンの姿が掻き消え、変わりの様にいくつもの次元斬が空間を切り裂いていき、空という絵を歪ませていた。

 一体この光景は何なのか。絶技という言葉ですら足りない。まさに神業というより他になかった。神話か何かの様な規格外のデタラメにしか思えなかった。

 そして、サヴァリスの抱いたその感覚は正しい。この世界の誰一人として知らなくても、レイフォンだけがそれを知っている。

 伝説の魔剣士スパーダの血を受け継ぐ魔人・バージルの奥義である、と。

 

「う、あ……」

 

 いつの間にか両腕を失い、腹を抉られて横たわっていた。そして思う。巨大な水滴が降っていた様にも見えた、あの光景はまるで、

 

「雨――――……」

 

 ああ、負けたのか。悔しいけど、楽しかったなあ……。

 

 ●

 

 レイフォンが目指した魔人の最強の技は、未完成でありながらグレンダンの記憶に強い印象を(もたら)した。

 未熟な者達が英雄に憧れる様に。

 武芸者達が理解の範疇に無いと悟る様に。

 天剣達が自分ならばどうやって打ち破るかを思案する様に。

 そして、女王が己をも打ち倒し得る剄技の雛形だと認める様に。

 

 この日、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフはグレンダンの歴史に名を残す。『魔剣技・絶刀』の名と共に。

 

 ●

 

「……で、入院?」

「ああ」

 

 レイフォン・アルセイフは入院中です。

 絶刀がたったの一秒でも出来る様になったからって、無理しちゃいけないね。このザマっすわー。リーリンのお見舞いは嬉しいけどな! ちなみにデルクさんは意識が無い時に一回だけ来たらしい。知らんけど。

 

「レイフォンって頭いいけど、馬鹿だよね」

「…………」

「なに? 何か不満でもあるの?」

「いや、感謝している」

 

 ホントにな。返す言葉がねーわ。

 絶刀やりたいから、化錬剄で本体の居場所を誤魔化している間に千人衝の分身を突っ込ませて、サヴァリスの気を引かせて、なんとか上空までトリック・アップで逃げたんだけどなあ。

 まあ、絶刀をやるために極限どころか限界超えて活剄を高める必要があったからって、やっちゃダメだよな、普通。

 結果として筋肉ボロボロの内臓ズタズタで剄脈異常まで発生だもんな。何も言えません。

 

「ほら、口開けて。あーん」

「…………」 ←無言で口を開ける。

「あ――ん。あ――――ん!」 ←無視しつつ言えという催促。

「………………あ、あーん」

 

 すみませんご褒美です。

 あ、本音が。もとい!

 両手が動かないから仕様がないのは分かっているんだけど、ロールプレイヤーとしてはちょっと……。あ、でもバージノレさんもママポジションってか守る枠には素直だよな! ←自分に言い訳。

 個人的にはいいんだけどね。俺の戦う原動力のひとつはリーリンだし。

 ……おや?

 

「誰か、来たようだ」

「え?」

「やほー、元気してるー?」

 

 そんなふざけた調子で病室の扉が開き、入ってきたのは、

 

「……どちら様ですか?」

「私はシノーラ・アレイスラ。しがない美少女よ~」

 

 我らがクソ陛下のプライベート仕様ってヤツか。さっさと消え失せてくんないすかね。マジで。

 

「おはようリーリンちゃん。噂に違わぬ美味しそうな果実だこと」

「手を出したらどんな手を使ってでも殺すぞ」

「れ、レイフォン落ち着いて!」

「ダイジョブだいじょうーぶよ。……プフッ」

 

 このアマ。

 滅茶苦茶からかってやろーって感じのイイ笑顔してやがった。

 絶対付き合ったら後悔する。そんなん嫌に決まってるんで、対応とか一択だし。

 

「何の用だ」

「見舞いよ、見舞い。こーんな美少女のお見舞いよ? 嬉しく思いなさいな」

「何の用だ」

「はいはい、そう睨まないでよ。ごめんねリーリンちゃん、ちょっとだけ席外してくれる?」

 

 チラチラと目で、いいの? と聞かれているっぽいので頷く。

 二人はツーカー(死語)。

 

「あ、はい。えっと、じゃあ花瓶のお水を取り替えてきますね」

「うん、ありがとう」

 

 百合の花の花瓶を手に、リーリン出ていってしまった。ああ、俺の癒しが……。

 

「さて、時間ないし、聞きなさい。アンタのあの技、絶刀だっけ? あれは当分使用禁止ね」

「何故だ?」

「都市内で派手に馬鹿やった罰ってのが半分。危険っていうのが半分かしら。あれ、使い過ぎると死ぬわよ」

 

 マジなツラしてるから何かと思えば、そんな事かよ。

 言葉が足りてねーよ若作りのBBAがッ!

 

「身体が出来上がるまで、だろう? しばらく無理なのは間違いないだろうが」

「成長したからって、あれが危険な事には違いないでしょ。だから使い過ぎるとって言ったのよ」

「承知の上だ」

「……あ、そ。まあいいわ。伝える事は伝えたから今日はもう暇なんだよねー」

「帰れ」

 

 ちらちら見んな。

 マジで帰れ。帰ってくれ。

 全く。本気で迷惑ならそれとなく察したりするから憎めないんだよなあ。ああ、空が赤い。青空が懐かしいぜ。

 なんだかんだで、今日もレイフォンは元気です。

 




本日の処刑用BGM「Battle Fever剄-Kei-」 ←疾走感が欲しかった。なのでもしからしたらノリでやって途中描写不足があるかも? 脳内補完は作者がやっちゃいけないのに当たり前を省いてしまう不思議!


作業用BGM「Escape」 ←MUGENで鬼巫女の戦闘聞いてました。


追記;何故かレイフォンに萌えるという猛者が発生。これがギャップ萌えか。オソロシス。でも危険なので戻ってきた方がいいと思います。たぶんきっとメイビー

ここでバージノレイフォンの使う剄技について適当に解説にもなってない解説。

『エア・トリック』『トリック・アップorダウン』
旋剄を超えた超高速移動=水鏡渡り。

『疾走居合』
一瞬の交叉で無数の斬撃が閃光の様に煌めく無慈悲な無秩序斬撃=天剣技・霞楼。

『幻影剣』
作中にもある通り=千人衝。円陣、烈風、急襲の三パターンある。

『次元斬』
一応バージノレイフォンのオリジナル。化錬剄によって再現可能となったバージルの代名詞的な技。

『絶刀』
攻撃自体は多重連続次元斬。ただし使用には肉体への負担が大きい。いくつかの剄技を併用する事で再現している。どれかは秘密。

その他
とりあえずその技を使ったら書く。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。