俺はスタイリッシュなヴォルフシュテイン   作:マネー

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ザ・モーニング・スター編第八話:レイフォンという男 上

 ●

 

 今、学園都市ツェルニで最もホットな噂といえば、レイフォン・アルセイフだ、絶対の自信を持って言えるだろう。

 そんな人物についてほぼ独占的にニュースを手に入れられる立場を、数少ない友達という関係を築いたミィフィ・ロッテンをして色々と知らぬことはある。

 ましてミィフィは学生である現在から記者として活動し、将来もメディア関連の仕事に就くと決めている人間だ。好奇心は人一倍あるに決まっている。情報を収集し、それを組み立てて形にしていく作業が大好きで大好きで仕方がない。

 しかし、そんなキュートで素敵な(自称)ミィフィちゃんをしても扱いかねる情報というものがあったらしい。

 ミィフィは配達された手紙の中の一枚に視線を落とし、吐息。

 

「これ、どうみても女の人からだよねぇ」

 

 配送ミスによって自分が手にしてしまったらしい、レイフォン宛ての手紙。しかも、上品かつ達筆な文字で女性の名前が記されているとなれば、さあ大変。学園都市ツェルニで最高に熱いスキャンダルであり、同時に親友たるメイシェンの一大事でもある。

 数分の思案の後、大きく、そしてゆっくりと息を吐き出した。

 

「よし、ナッキと相談しよう」

 

 道連れ一丁上がり。

 

 ●

 

 空の下。

 商店街がある。学校へと走る中央通りだ。

 中央通りには休校明けの浮ついた様子で学生たちが歩いている。

 通りを抜けた先。

 広い土地を囲うセメントの塀を超えて進むと左手には土の地面のグラウンド、右手には緊急時の避難場所として利用されるシェルターが見える。

 正面突き当たりにあるのが授業の行われる校舎であり、門前から続く並木に挟まれた道路を歩く登校中の多くの人影に混じり、彼女たちはいた。

 

「……二人とも顔色悪い、よ? 寝不足みたいだけど大丈夫?」

「だ~いじょうぶダイジョウブ! ちょっと夜更かししちゃっただけだからさっ」

「うん。心配要らないぞ、メイ。少し活剄を使えば授業くらい乗り切れるからな」

「あっ、ナッキずっこい!」

「はっはっは、武芸者の特権だな」

 

 わざとらしく笑う浅黒の少女、ナルキ・ゲルニの腰には腰帯があり、錬金鋼が納められている。制服も他の二人とは異なり、武芸科のものに身を包んでいる。しかし、表情は疲労を感じさせるものであり、普段の凛々しさも半減していた。

 ナルキと同じく疲労を(にじ)ませる表情のミィフィと深夜まで話しこんでいたためだ。

 議題は二人の親友たるメイシェン・トリンデンの想い人への手紙。

 今回の件をレイフォンとの間で隠蔽したとしても、同じことが起きないという保障はない。万が一にでも手紙の主がレイフォンの彼女であったりしたのなら、メイシェンはドン底まで意気消沈してしまうだろうことは想像に難くない。

 だからといって盛大に暴いた場合においても、メイシェンの精神的ダメージは計り知れない。さすがに方法がよろしくないので報復措置も怖いかったりする。

 結局、出来ることはそれとなく聞き出すくらいだ、と結論した。

 

「だというのに……、ぐぬぬ」

「メイがレイフォンにお弁当を作ってくるなんてなあ。これで大当たりだったら気まずいなんてもんじゃないぞ。日を改めた方がいいかな?」

「うーん。メイっちのことだし、これで美味しいって言われたら毎日作ってきそう」

「…………ありそう」

「そうなったらそうなったでこっちが気まずくなっちゃうよ。早い方が傷は浅いって言うじゃん?」

「結論を急ぎ過ぎだぞ、ミィ。まだ()()と決まったわけじゃない」

 

 各々が答えの出ない思考を回しつつ並木を抜け、玄関口を通り、教室へと向かう。

 玄関口から向かって右の端に、彼女たちの教室がある。

 始業時間までは余裕があり、校舎の中はまだ人影は少ない。しかし、グラウンドから朝錬の掛け声や笑い声が響くため、寂しさは感じない。

 人影の(まば)らな廊下を進んでいると、不意にメイシェンの足音が止まった。

 

「メイ?」

「メイっち? どした?」

 

 当のメイシェンといえば、顔を赤く染めたり青ざめたりと、百面相に忙しい。

 勇気を出して弁当を作ってみたのはいいが、実際に渡す時のことを考えていなかったのだろう。

 処置なしだな、と息を吐き、ナルキはメイシェンの頭に手を置いた。

 

「ほらメイ。いまさらジタバタしてもどうしようもないぞ」

「……でも、やっぱり恥ずかしいよ」

「だから早く来たんだろう? 躊躇(ためら)ってると、登校してきた皆に見られながら渡すことになるよ。どうなるかなんて考えてても後の負担が増えるだけさ。だよな、ミィ」

「あー、うん、そーだねハイハイわかりましたよっと」

 

 考えても仕方ないから行け、という意味を正確に読み取り、ミィフィはにんまりと笑みの形に口を歪ませる。笑みのまま教室に先行。

 

「んーと……」

 

 覗き込めば、やはりというべきか。いつも通り、レイフォンとその他数名が居た。

 普段から仏頂面をしているレイフォンだが今日はいつもに増して、

 

「……難しい顔してる」

 

 レイフォンの雰囲気は普段から鋭い。というかちょっと怖い。しかし、それは誰かれ構わず襲いかかるような、危険を感じさせる、という意味ではない。

 なにせメイシェンが懐くくらいだ。人間的に器が大きいとか、そういう表現をするべきなんだ、とミィフィは思っている。実際に付き合いを持ってから、自分なりに彼の為人(ひととなり)を理解してもいる。

 彼は厳格なのだ。

 だからこそ、彼は困難であっても自分一人で解決しようとするだろう。レイフォンが険しい表情をしているなら、個人的な用件を除き、大きな事件の可能性が高い。

 ……スクープの匂いがする。

 続く動きは流れる様に行われた。

 

「武芸者のことは武芸者に。お願いね、ナッキ」

「……はあ、仕方ない。そっちも頼むぞ」

「もち。は~いメイっち! 緊張しすぎだよんっ。そんなんじゃちゃんと話せないよね! と、いうわけで息抜きの意味でもちょ~っとおいで? ね!」

「えっ? えっ、えっ~?」

 

 ナルキが教室に向かい、代わりにメイシェンを受け止める。

 やはりというか、メイシェンには緊張の余り、身体までカチコチになっている。頭の中は真っ白になっていることだろう。為すがまま、為されるがままという感じだ。

 ……いやあ、やっぱりメイっちは可愛いねー。愛され系だよね、うん。

 ずっと守ってきた”守ってあげたくなる親友”はやはり可愛らしい。

 後ろに視線を送ると、ナルキと視線が交わった。

 

「――――」

 

 一瞬の交叉。

 しかし、私たちの仲なら十分な時間だった。

 

 ●

 

「さて、と」

 

 ナルキはミィフィとメイシェンの二人を見送ると、息を吸う。

 そして、万が一にでも恋人であったのなら、と抱いた不安を抑えながら手を上げ、

 

「おはよう、レイとん。雰囲気が少し剣呑だぞ。なにかあったのか?」

 

 静かに着席するレイフォンは、ややあってから、こちらを見て、ゲルニか、と呟き、

 

「少し、考えなければならないことがある」

「うわさのこと、か」

「……うわさだと?」

「違うのか? あのとき外縁部に降り注いだ”剣の雨”のことだよ。あれがレイとんの仕業だっていう話だけど」

 

 どこからか始まったかは不明だが、いつの間にか都市に広まっていた(うわさ)だ。広まり始めた頃は汚染獣戦の影響を鑑みての休校時であったこともあり、確認は困難を極めた。

 なにせ対象はあのレイフォン・アルセイフ。

 気軽に話しかけられる人物などまずいない。ばったり街角で会ったから訊いてみました、というのはむしろ怖い。それでも偶然見かけた時に本人に訊こうと心を奮い立たせた極々一部の勇気ある者たちも居たらしいが、一瞬にして心が折れたというのも噂の一部だったりする。

 

「その手のことはミィが得意だし、私たちにできることなら力になるぞ」

「放っておけ。うわさなんぞすぐに消える」

 

 ナルキは思わず吐息する。

 普段から無愛想なヤツではあったが、いつも以上にトゲのあり、こちらを一瞥(いちべつ)するとすぐに机に視線を落とす。上の空といってもいいくらいだろう。

 これでは手紙の件を聞き出すのは無理かもしれない、とナルキが諦めかけた、そのときだ。

 

「他は?」

「?」

 

 レイフォンから問いが投げられた。

 

「用件を言え。用があるから話しかけたんだろう」

「――ああ、そうだった」

 

 ナルキは内心で、慣れない事をするもんじゃないな、と自嘲した。

 これまで聞きたいことをそれとなく訊ねるような行為をした覚えはない。それはミィフィの領分だろう。そういった行為を貶める訳ではないが、自分はいつでも真っ直ぐに生きてきたという自負がある。

 ……きっと挙動に不審な点があって、それを見抜かれたんだろうな。

 ”後ろめたさ”というものは、他人から見ればバレバレなことも多い。

 だから、という風に腹をくくった。

 そうだな、と机に両手を置いて、正面からレイフォンの眼を見据え、

 

「レイとん、正直に答えてくれ。……故郷に、グレンダンに恋人が残して来たか?」

 

 声を張ったつもりはない。しかし、静謐な空間には嫌になるほど大きく響いていた。

 間違いなく教室に居る全ての人間が、一音たりとも聞き逃すまいと耳を澄ませている。

 

「どういう意味だ? 貴様のことだ。単なる好奇心ではあるまい。まずは意図を説明しろ」

「先に答えてくれ。いるのか、いないのかを」

 

 強硬に聞き出そうという姿勢をどう思ったのか。レイフォンは眉を釣り上げ、沈黙した。そして、ややあってから、

 

「いない。いた、ということもない。……これで満足か?」

 

 ナルキは思わず、良し、とガッツポーズを決めてしまいそうになるのを堪えて、頭を下げた。

 身勝手にプライベートを衆目に晒す真似をしたんだ。誠実に、真摯に謝るしかない。

 

「ごめん、いきなり変なことを訊いて」

「……俺のことはいい」

「それでも、ごめん」

「頭を上げろ、鬱陶(うっとう)しい」

 

 不機嫌そうにレイフォンが息を吐き出した。次いで、言葉を作ろうと口を開いた直後。

 

「おっはよーう!」

 

 ミィフィの大きな声が割り込んだ。

 彼女はメイシェンと共に真っ直ぐレイフォンに近づきながら、一瞬、視線をこちらに寄越す。

 ……さすがだミィ、ナイスタイミング。

 ナルキは小さく頷いた。恋人ではない。大丈夫だ、と。

 

「やあやあレイとん、おはよう!」

 

 ミィフィの迫り方は強引だった。

 しかし、底抜けに明るく、茶目っ気はあっても邪気はない。

 だから、というように、レイフォンは深呼吸。吐息と共に怒気を吐き出した。

 

「……ああ」

「むー、どうした元気ないぞ~?」

「貴様には関係ない」

「ふ~ん、そんなこと言っちゃうんだ。へえー? ほおー?」

「うわ……」

 

 思わず呻いてしまうくらい、ウザったい絡み方だった。

 誰もが、お前は酔っ払いか! とツッコミしたくなるほどウザい。

 

「含みがあるようだが、面倒だ。はっきりと言え」

「ふふーん。これを見てもそんなこと言っていられるかなあ? これなーんだ♪」

 

 取り出したのは、(しな)びた手紙。

 一目で長旅を経てツェルニへと配達されたものだと分かる。

 

「いやー、何かの拍子にわたし宛の手紙に間にでも混ざったんだと思うんだけどね? レイとん宛の手紙があったんだ。はいコレ、どうぞ」

 

 手渡された手紙を見て、レイフォンは送り主の名前を読み上げる。

 

「デルボネ・キュアンティス・ミューラ」

「そうそう、それ。その名前だよ! 思いっきり女の人の名前だし、これもう訊くしかないよね! この人との関係はー? さあさあレイとん、返答や如何に!」

 

 レイフォンはヒートアップするミィフィを無視。

 落ち着いた動作で封を切り、手紙に視線を落とした。

 

 ●

 

 ……かなわないなあ……。

 レイフォンがデルボネからの手紙を読んでから最初に思ったことはそれだった。

 未来のことを知っていると”どうやっていくのが最善か”ではなく”どうするのが正解か”というある種、傲慢な思考に陥りがちだ。それを見事に叱られてしまった。

 もちろんレイフォンの知る知識を外に漏らしたことはない。そういった予備知識などはなく本性を知っている程度のはずだが、レイフォンの性格をきっちりと把握しているらしい。生きてきた時間、人生経験の賜物か。亀の甲より年の功とはよく言ったものだ。

 いずれにしろ、人間観察では到底及ぶべくもない。

 悔しいとすら感じさせない(ふところ)の深さは、老齢の人間特有のものだろう。あのように美しい歳のとり方をした老人は、そうは居ない。

 

「ねえ、なんて書いてあったの?」

「おいミィ……」

 

 内容にまで口を出そうというミィフィの態度に、ナルキが諌めに入る。

 先程までの気分なら間違いなく適当にあしらっていただろうが、そういった荒んだものは完全に吹き飛んでいた。

 

「たいしたことではない。ただ、……(たしな)められた、といったところか」

「レイとんがか!?」

 

 三人とも驚いていたが、ナルキが一番”ありえない”という感情を露わにしていた。

 ……そんなにおかしいかあ?

 疑問に思ったりもしたが、すぐ得心する。

 バージノレが素直に誰かの言うこと聞いてたら驚くに決まっている。そういう感情だと思えば、即座に納得できてしまった。やっぱ本物のバージノレは冷酷無慈悲の悪魔だよね、と。ただしダソテ限定の超絶分かりにくいデレがある可能性が微レ存。

 

「そこまで驚くことか」

「あ、あの!」

 

 呆けてみたら涙目のメイシェンが飛び込んできたの巻。

 すっかり忘れてたわ。いや、ごめんて。

 

「レイとんは……、えっと、その、デルボネって人のこと、……どう思ってるの?」

 

 ぷるぷる震えているの見てると本当に猫か何かみたいで可愛いよね、メイシェンって。

 しっかし、デルボネおばあちゃんか。

 頭はいいし知識量ハンパないし凄い人だけど、結構接しやすい人なんだよなあ。一緒にトロイアットを嵌めた共犯者だしな、ははは。

 公人としてなら、そうだな……。

 

「敬意を払うべき人物だと認識している」

 

 なにせ、

 

「なにせ、一世紀近く戦場を俯瞰し続けていながら未だに現役の念威繰者だ。永い年月で蓄えられた戦闘経験は他のどんな情報にも勝る。俺は、ヤツ以上の念威繰者を知らん」

「一世紀って……、百歳じゃん!」

「正確な年齢は知らないが……。公的な資料にも八十年ほど前から名前が残っているな」

「……百歳で現役か、凄まじいな。レイとんが敬意を払うべきと言うのも当然か」

 

 話す機会がある度に二言目には”孫を紹介してあげられます”って言われるのには辟易としてるけどな。トロイアット辺りは喜ぶんだろうけど。そんなんだから嵌められんだよ、と主犯が言ってみる。

 

「しかし、珍しいな。トリンデンが他人の評価を気にするとは」

「え、あ、その……!」

「女の子なら誰だって他人様(ひとさま)の恋愛模様が気になるに決まってんじゃん。レイとんが好きになりそうな人とか想像できないし、余計にそうだよ!」

「確かに。何と言ってもレイとんだからな。隣に誰かが立ってる所なんてちょっと想像できないよなあ」

 

 話題が恋愛になると、場が一気に華やいだ。

 こういうところはやっぱり女の子だなあ、と思う瞬間ですな。

 でもね、あることないこと適当に言いまくりやがるのは大きくマイナスでーす。

 女子三人、(かしま)しいのを内心では微笑ましく思って見ていると、ナルキが唐突に切り出した。

 

「そろそろ授業だな……。そうだ、メイ。レイとんに渡すものがあるんだろう?」

「ああ、そうだったそうだった。いやあ、これを一番楽しみにしてたはずなのにぃ」

「も、もう!」

 

 ミィフィに冷やかされて顔を真っ赤にしながら、メイシェンはレイフォンの前までやってきた。

 

「……えと、レイとん」

 

 すっごい真剣な空気だ。

 照れ顔の女の子っていいよね、とか考えてたなんて言えない。

 

「……お昼……お弁当作ったから、一緒に食べませんか?」

「――――」

「ひゅーひゅー♪」

「茶化すな。メイが気を遣ってくれたんだよ。ほら、あたしたちもレイとんもお昼は外食だからさ」

 

 思わず絶句していた。

 料理が出来ない訳じゃないけど、この一年二年で”決戦”が始まる以上、立ち止まっている暇はない。そう考えて、レイフォンはわずかな時間も惜しんで鍛錬に励んでいた。

 知識などではなく人間として、本来のレイフォンよりも武芸しかできない男になっていると思う。

 ……だってのに……。

 

「――物好きな女だ」

「いいんだよ、メイっちは料理するのが好きなんだから。ありがたく受け取りなさいっ」

 

 そりゃあ、貰えるってんなら嬉しいさ。それが食糧ともなれば尚更だね。だが、バージノレが施しを受け入れるとかありないんだ。素直に貰うわけには――――、

 

「そうだな。……ありがとう」

「!?」

「い、今っ、レイとんが()()た!?」

「あぅ……」

 

 ……あれ?

 

 ●

 

 グレンダンこそ武芸の本場。

 そのように噂する都市は多い。

 (おおむ)ね正しい認識だろう。強者でなければ存在意義を認められないグレンダンは、他の都市よりも間違いなく武芸者の質は高い。

 槍殻都市グレンダンの本質――、あるいは根幹ともいうべきは天剣授受者であり、彼らをまとめる王家にある。天剣は最強の象徴であり、人は彼らの流派に強さの源流を想う。栄える武門が天剣達の流派「リヴァネス」、「ルッケンス」、そして「ミッドノット」であることもそれを証明している。

 ではサイハーデンはどうだろうか、とクラリーベルは思案する。

 史上最年少にしてヴォルフシュテンを勝ち取ったレイフォン・アルセイフの流派、サイハーデン刀争術。若く才能に溢れる天剣を輩出したとして注目を集めたものの、長くは続かなかった。

 天剣を手にしたレイフォンがサイハーデン刀争術を使わなくなったことで注目は薄れ、入門した者達も剄技よりも基礎を重要視した鍛錬に耐えかねて去っていったと聞く。

 ……愚かしいにも程がありますね。

 ひとつの流派を修めたクラリーベルならば理解できる。

 武芸を修めるということは容易ならざる難行だ。だからこそ一度、高いレベルで修めた武芸は筋肉に、神経に、剄脈に根付く。あとから異なる戦闘方法を身に着けたとしても咄嗟のときは最初の”武”が顔を出す。天剣授受者であってもそれは変わらない。

 レイフォンの源流は間違いなくここにある。

 

「――――サイハーデン刀争術」

 

 小さな孤児院と隣接する道場を見上げ、看板に刻まれた文字を言葉に乗せた、そのときだ。

 

「クラリーベル様ですな」

 

 と、不意に横から男の声が届いた。

 振り向くと、孤児院側の扉を背に壮年の男が居た。

 デルクだ。

 

「ここで孤児院と道場を営んでおります、デルク・サイハーデンと申します」

「クラリーベル・ロンスマイアです。祖父からは個人戦・集団戦、どちらでもうまく立ち回れる有能な人物と聞いています」

 

 言うと、互いに手を差し伸べ、握り合う。

 デルクの手は引退した武芸者のものではない。幾度も手のまめを潰し、ごつごつとした武芸者特有の手。毎日の稽古を欠かさぬ武芸者にのみ見られる努力の(あかし)だ。

 

「個人戦と集団戦、どちらでもうまく立ち回れる有能な人物であったと聞いていますが、……なるほど。祖父が惜しむはずです。一線を退いてなお、現役の武芸者と遜色ありませんね。今日は是非、手合わせ願いたいものです」

「一武門の師範を務めているとはいえ、もはや老いた身。所詮は老兵に過ぎませぬ。過分な評価でしょう」

「それを確かめに、――――いいえ。正確には、レイフォン・アルセイフを鍛え上げた老練の武芸者に会いに来たのです。第一、私は当代ノイエランの孫娘ですよ? (よわい)八十を超えた祖父を間近で見ていますから、老いが衰えの理由にならないことは承知しています」

 

 クラリーベルは口の端を吊り上げ、かすかに剄を発することで好戦的な意思を表明。

 対するデルクは困ったように苦笑すると、吐息と共にこう言った。

 

「サイハーデンを知りたいとはサイハーデン刀争術そのものではなく、レイフォンの修めた武芸、という意味でしたか。あまり意味はないやもしれませんが……。まあ、話はあとにしましょう。教え子たちが待っております」

 

 レイフォンのことが話題に上がった途端、デルクが会話を切り上げた。素っ気無い態度は、

 ……積極的に話したいことではない、という意味でしょうね。

 例の事件の発端は自分にある。どのように思われているのか、と不安に思っていたが、やはりというべきか。快くとはいかないらしい。

 恐らくそうだろうという負い目もあったために、これまでサイハーデンの道場に足を運ぶことはしなかった。しかし、突然王宮に呼び出され、アルシェイラと――否。()()と対談し、その内容をデルクに伝える役目を押し付けられてしまった。

 女王として任命されれば、グレンダン三王家の一員として断れるはずもない。

 ……なにが、真実を教えよう、ですか。ぐうたら女王のくせに。

 確かに、告げられた真実とやらは負い目を吹き飛ばすに足るものだった。レイフォンやサイハーデンに対する複雑な感情は残らず吹っ切れたと言ってもいい。

 おかげで今やアルシェイラに対する感情は沸騰状態を一段飛ばしで大噴火。

 いつかカンチョーでもしてやりましょう。式典で。

 などと妄想で憤懣(ふんまん)を散らしていると、いつの間にか道場に入っていたデルクの声が届く。

 

「――お入りください」

「失礼します」

 

 一礼し、クラリーベルは中に一歩を踏み込んだ。

 道場内には改装の痕跡があちこちに点在していた。元は木造の家屋だったのか、コーティングが剥がれて木材が覗く箇所がある。天井までは五メルほどしかなく、一般的な道場と比べてかなり低い。

 その代わり、コーティング剤はクラリーベルでも知っているほど有名で、耐久性に優れるものだ。

 視線を道場から正面に向けると、十五メル四方に満たない小さな道場の中央に十人ほどの少年たちが正座。その正面にはデルクが腕を組んだ姿勢で立っている。

 彼は隣にクラリーベルがやって来るのを確認するとこう言った。

 

「今日の鍛錬に参加していただくこととなったクラリーベル様だ。お前たちの知っているだろうが、彼女はノイエラン卿の孫娘であり、最も天剣に近いと称されるほど腕の立つ武芸者だ。胸を借りるつもりで存分に挑むといい。――――では、クラリーベル様。よろしくお願いします」

「天剣に近いと聞いて目の色が変わりましたね。私もあくまで若い者の中では最も近いというだけで天剣には届いていませんし、皆さんと同じく挑戦する側ですが。まあ、今日は気楽に手合わせでもしましょうか」

 

 ●

 

 ハーレイは大荷物を抱え、午後の日差しに照らされた道を歩いていた。

 隣にはレイフォンが並んで歩いており、進行方向にある練武館はまだ遠い。単なる技術屋が運搬などするものではないと感じてきた頃、レイフォンが呆れたようにこう言った。

 

「上機嫌だな、サットン。やはり錬金鋼の開発は楽しいか」

 

 指摘されるまでもなく、ハーレイは浮かれていることを自覚。なにしろ、

 

「新型がいい感じに仕上がってきたし、余計にワクワクしてるよ」

 

 初期に作り上げた複合錬金鋼は複数の錬金鋼の持つそれぞれの長所を完全に残した形で合成することを目指していた。カートリッジ方式によって錬金鋼の組み合わせの変更を可能にしたのはいいが、機構が複雑化したことで巨大化を余儀なくされ、耐久性の問題が顕在化。

 レイフォンにも試してもらい、長時間の戦闘に耐えられないようでは危険すぎるという意見をもらった。

 そこで、長時間戦闘を前提とした複合錬金鋼として開発された新型が簡易(シム)複合錬金鋼(アダマンダイト)

 複合錬金鋼の改良版か、あるいは廉価版というべき性能でしかないが、量産性を度外視した一品物。

 耐久力の向上と小型化を両立するにカートリッジシステムを削除したことで、構造において安定性を発揮し、武器としての完成度は遥かに高まったと断言できる。

 

「もっと小型にして普通の錬金鋼よりちょっと大きいっていう程度にしないと一般化は出来ないね。課題は山積みだよ」

 

 小型化したとはいってもまだまだ巨大だ、とハーレイは思う。

 現状では生半可な武芸者では扱いきれず、しかも量産に向かないため特殊な事情でもなければ予算はおりない。その特殊な事情とやらには困ったものだが、半ば諦めていた研究を好きに出来る状況はありがたい。

 

「十分だと思うがな。少なくともは俺はこれくらいの方が手に馴染む」

「そうなの? 普通の錬金鋼よりかなり重いはずだよ、これ」

 

 簡易(シム)複合錬金鋼(アダマンダイト)は三種の錬金鋼を組み込んでいる。三倍とはいかないまでも、普通の錬金鋼と比較すれば倍近い重量がある。

 ハーレイには、それを”馴染む”と表現するレイフォンの考えが分からなかった。

 

「十年前、武芸を始めた頃から”普通の錬金鋼”を使っていたからだろう。複合錬金鋼はさすがに重いが、簡易複合錬金鋼の方は慣れ親しんだ感覚に近い」

「なるほどねぇ」

 

 十年前、つまりレイフォンは五歳の頃に武芸を始めたことになる。

 若いというよりは幼い。

 いくら都市ごとに文化や風土が大きく異なるとしても、早すぎるという印象は(ぬぐ)えない。

 ……そういえば、レイフォンって孤児院で育ったんだっけ。

 必要に迫られたとするなら、気軽に聞いていいことじゃない。それに、とハーレイは疑問を飲み込み、レイフォンを横目で見る。

 彼は凄まじく強い。今まで見たことのあるどんな武芸者よりも、強い。

 武芸を始めたのが一年前、二年前などと言われるより納得できる話だった。

 

「新型の調整はすぐにできるのか?」

「なんとも言えないかなあ。でも、一週間もあればレイフォンに合わせられると思う」

「そうか……」

 

 錬金鋼の技術や汚染獣との戦闘について話していると時間が過ぎるが本当に早く、錬金棟から三十分と少し歩いたという実感もなく、練武館に到着。

 入って右の廊下を奥まで進めば第十七小隊用の教室だ。

 レイフォンを連れ立ち、汚れたツナギ姿のハーレイはまっすぐ奥へ。

 扉を開けた先が男子用のロッカールーム。入って最初にダンボール一杯の大荷物を長椅子に落とし、一息。

 

「あー、重かったあ」

 

 ……やっぱり持ってもらうべきだったかなあ。

 肩と両腕が熱を帯びている。

 明日は筋肉痛だろうな、と思いつつ上半分を脱ぎ捨て、熱を帯びた部位を外気にさらす。

 

「だから預けろと言ったろう」

「いやいや、機材の運搬を任せる訳にはいかないって。これくらいは僕らの義務だと思うしさ」

「すでに限界にようだが。ここから野戦グラウンドまでは俺が持っていく。いいな?」

「あはは、ごめんね」

 

 誤魔化すように笑った。

 凝り固まった筋肉を手で揉み解しつつ、ロッカールームから教室への扉を通過。中に居るのは鉄鞭を振るうニーナと、壁を背にして座り込むフェリとシャーニッドの三人だ。

 いつものように軽薄な笑みを浮かべて、よう、と手を上げるシャーニッドに会釈しつつ、レイフォンとともにニーナのところへ。

 ニーナは向かってくる二人に気付くと素振りを止め、熱の籠った吐息をこぼす。彼女は構えを解いて二人へと振り返り、

 

「遅いぞ」

「ごめん、僕の方でレイフォンに用事があってさ。錬金棟まで来てもらってたんだ。先に伝えておくべきだったよね」

「まったく、昔から研究が絡むとそれ以外が見えなくなるな、お前は。悪い癖だぞ」

「あれ、そうだっけ……?」

 

 記憶を探りながら言うと、そうだ、とニーナは呆れたように言った。

 

「まあいい。とにかく全員揃ったんだ。連携から見直していくぞ!」

 

 気を取り直すと、彼女は叫ぶように号令をかけた。このときシャーニッドたちが呼応するよりも早く、レイフォンがこう告げた。

 

「新型錬金鋼の試験運用と調整が優先だ。訓練は貴様らだけでやれ」

「――なんだとっ!?」

 

 危険な角度で眉を立て、ニーナは怒りをあらわにした。これは彼女の中で(くすぶ)っていた憤懣(ふんまん)そのものだ。

 

「おい、分かって言っているのか? わたし達は対抗試合に負けたんだぞ!」

「うわぁ、やっぱりこうなっちゃったかあ……」

 

 ハーレイが頭を抱えながら思い出すのは、先日行われた第十四小隊との対抗試合。

 フラッグ前の守りにレイフォンを置き、ニーナとシャーニッドが攻め上がる布陣。たとえ複数人がフラッグに奇襲を仕掛けても彼なら防ぎきれるという判断だった。

 しかし、前線を担う二人が倒れた後。

 レイフォンは何もしようとしなかった。棒立ちのまま、第十四小隊がフラッグを倒すのを眺めていただけだったのだ。

 当然、試合後にニーナはレイフォンに詰め寄った。なぜ戦おうとしなかったのか、フラッグの防衛はお前に任せたはずだ、と。しかし、至近から怒声を浴びながらもレイフォンの反応は冷ややかなものだった。

 ――甘えるな。

 その一言を残し、彼はその場を去っていった。

 あのときと同じだ。

 ニーナが叫び、レイフォンは黙して語らない。

 

「なぜ何も言わないんだ、レイフォン! お前は――!」

 

 レイフォンは静かにニーナを見据えていた。そして、静かに息を吐くと、ややあってから、見下(みくだ)すようにこう言った。

 

「何も、……何も分かっていないのだな。愚かな女だ」

「――――」

 

 拙い。

 ニーナがこのまま感情の赴くまま何か言えば二人の関係は致命的に壊れてしまう。そう感じたハーレイが飛び出そうと一歩を踏み出す直前。

 声が飛んで来た。

 

「――少し、よろしいですか」

 

 フェリだ。

 彼女の言葉によってレイフォンとニーナの対立は止められたのは事実。しかし、(こじ)れずに済んでよかったという安堵よりも、何故、という疑問が先に立つ。

 彼女の介入はあまりに唐突であり、あのレイフォンですら無感動ではなく、

 

「ほう……? 言ってみろ」

「兄から貴方に話があるそうです。私と来てください」

 

 彼はフェリと視線を交わし、ややあってから、頷きをひとつ。

 

「――いいだろう。サットン、試験運用(テスト)はまたの機会にしてくれ」

「ああ、うん。分かった」

 

 ハーレイがそう答えると、レイフォンは先を行くフェリに続き、 二人は練武館を去った。

 待て、というニーナの静止も意味を持たず、

 

「…………」

 

 息苦しくて、逃げだしたくなるような雰囲気だけが(よど)む。

 静寂がこんなに嫌なものだと感じたのは初めてだ、とハーレイは固い(つば)を飲み込んだ。練武館に残る生暖かい空気の粘りつくような感触すらも気になって仕方がない。

 だから、というようにシャーニッドに視線を向けた。

 どうにかしてほしい気持ちを視線に乗せて見ると、彼はわざとらしく息を吐き出した。静かすぎる空間では、その音は大きく響いたように感じられた。

 当然だが、ニーナの耳にも届いている。彼女はシャーニッドを睨み付け、

 

「なんだっ」

「すーぐ熱くなりまっからなあ、俺達の隊長殿は。大体分かってんだろうよ? ニーナだけじゃねえ、俺もそうだし、多分、フェリちゃんもそうだ。漠然と思ってただろうが、”レイフォンが居るから負けない”ってな」

「それは……!」

「実際、一度はそうしてた。けど、あれは俺達に見せつけるためのモンだろ。どれくらい強いのか見当もつかないレイフォンって戦力を。だからもう、あいつが強いってことを知っている俺達は、絶対にあいつに寄りかかっちゃいけないんだ。……分かってたはず、なのにな……」

「…………」

「なんで、あんなにすげぇんだろうなあ」

 

 ●

 

 フェリは練武館からマンションへの途中にある休憩所に居た。

 休憩所は田舎の寂さびれたバス待合所のような木造。塗装の剥がれたベンチがあり、フェリが片方の端に座っていて、反対側ではレイフォンが沈黙のまま缶コーヒーを傾けている。

 時間の遅く、通学のコースから外れた場所のため、人通りはない。

 遠くから響く声を聞きながら、フェリは冷め切ったコーヒーを飲み干した。話そうという意欲が湧くのを待っていては埒が明かないようだ。

 一息ついて、レイフォンを盗み見ると、彼の視線は手に持つ冷めたコーヒーに固定されている。

 ……気に入りません。

 カリアンからレイフォンを呼び出すように頼まれたことが、ではない。それを”いい機会だ”と利用し、自分の彼と話そうという感情それ自体が不愉快なのだ。

 持て余し気味な感情を脳の片隅に押しやりつつ、言葉を飾らず訊ねることにした。

 

「”武芸者でも意志が伴わぬなら戦うべきではない”でしたか」

 

 言葉に、レイフォンは視線だけを動かし、フェリを見た。ああ、と頷くと缶を一気にあおり、再び缶に視線を落としてこう言った。

 

「それがどうかしたのか」

「驚かないのですね。私が知っていることに」

 

 反応を見るべく稚気を込めたはずなのに、レイフォンは淡々とした態度を崩さない。

 ……本当に、気に食わないヒトです。

 まるで、こちらの行動など全て想定しているかのような余裕。盛大に驚かせたいのではないが、都市外での会話を知っていることに対して反応ひとつ寄越さないことが腹立たしかった。

 

「貴様なら呼吸にも等しい行為だろう」

 

 指摘され、そうですね、とフェリは前置きすると、

 

「貴方の言ったことは、グレンダンでは一般的な認識なのでしょうか?」

「いや。あそこに意志薄弱な武芸者など存在しない」

「どんな勇猛な都市にも例外はいるものですよ。いかに武芸の本場であろうと、ついてゆけない者がいないなどありえません」

「個人の意志や認識の問題ではない。都市運営の段階で根本的に異なっている」

 

 それは、

 

「グレンダンでは、剄脈を持つ者は例外なく二度以上汚染獣戦の観戦を義務付けられている。さらにいくつかの公式な大会を経て初めて”武芸者”を名乗ることが許可される。そうして幾度かの汚染獣戦を経験し、ようやく周囲から武芸者と認識されるようになる」

「そんな条件が……」

「食糧危機の頃には目覚ましい活躍を見せた武芸者への配給が増えるなどの影響もあった。日常的に汚染獣と遭遇する都市だ。戦えない武芸者があの都市で生きていくのは難しいだろう」

 

 聞きしに勝る都市だ、とフェリは思う。

 戦うためためだけに存在しているかのような名称に誇張はない。槍殻都市で育ち、最強の称号を手にしたレイフォンは、どんな状況にあっても武芸者として何の翳りもない。決して揺るがぬ在り様はあまりに異質に映った。

 一体どんな生き方をすれば、十五の少年がこんな武芸者に成り得るのだろうか。

 そして、自分がグレンダンに生まれていたのならばという想像が、フェリにこう言わせていた。

 

「それは、……念威繰者もですか?」

「知らん。俺には関係なかったんでな」

「関係ない? 先日の汚染獣戦では都市外の母体の捜索は念威繰者によって行われていますし、貴方も都市外戦にひとり連れていったではありませんか」

 

 抑え込んだ感情を逆なでされた。母体の捜索やレイフォンの補佐を自分に依頼するまでもなく却下したのは彼自身ではないか、と。

 怒りを含むことで、自然と詰問するような口調になっていった。

 

「念威繰者が自身に無関係だと、よく言えたものですね」

 

 だが、レイフォンは呆れたように息を吐き、

 

「そういう意味ではない。グレンダンには念威繰者の頂点たる人物がいて、それは一世紀近く変わっていない。俺たち天剣をサポートする人間が変わらない以上、どこの誰がどうなろうと関係ない。俺の言っているのはそういうことだ」

「……すみません。少し、感情に流されてしまったようです」

 

 フェリは目を伏せ、謝意を示す。

 グレンダンとツェルニは完全に性質の異なる都市だ。そして、

 ……サントブルグとも違う。

 学園都市であるかどうか、ではなく、社会的構造として全くの異質。そこを混同した物言いは明らかに的外れなものだった。

 

「私は――――」

 

 言いかけ、しかし、言葉を選んでいるうちに、口は閉じていた。

 レイフォンとフェリ。

 槍殻都市グレンダンと流易都市サントブルグ。

 武芸者と念威繰者。

 出身も無関係なら性別だって違う。なのに、どちらも都市に才能を(たっと)ばれ、必要とされながらも都市を出ることを選び、いまでは同じ学園都市で同じ小隊に所属している。まさに奇縁だ。しかし、とフェリは思考を断ち切った。

 彼は武芸者であることを選び、

 ……私は念威繰者を拒絶しました。

 かつてレイフォンが言ったことだ。己が何者であるかを他人に決めさせるのか、と。

 フェリは念威繰者になることを当然だと周囲に言われ続けたサントブルグに嫌気が差して逃げ出した。同じように、彼も自分の生き方を他人に決められたくないから、自分で武芸の道に進んだのかもしれない。少なくとも、

 ……彼と違って、私は”選ばなかった”のでしょうね……。

 そこまで考えて、ふと思い出す。

 かつて、フェリがレイフォンに対し、なぜ武芸者で居続けられるのかと問いかけたときのことだ。

 

「くだらない、でしたね」

「?」

「私の問いを、貴方は”くだらない”と切り捨てました。ですが、それは質疑に対する意見であって回答ではありません。あのときは質問を質問で返されて終わりでしたから、ここでもう一度貴方に問います。今度は貴方の答えを聞かせてください」

 

 フェリは言葉を切り、息を吸う。

 

「貴方が当然のように武芸者で在り続けられるのは何故なんですか?」

 

 投げかけた問いは空気に溶けていき、沈黙が生まれた。

 周りの建物から漏れる人工的な灯りだけが足元を照らす。遠くにあった喧騒は消え去り、代わりというように来たのは静寂。耳に届く音はない。

 あるのは身体の内から響いてくる鼓動だけだ。それは一秒ごとに大きくなっていく静けさと緊張だ。

 そして、ややあってからレイフォンの口が開かれるのを、ようやく、という想いと共に見て、

 

「俺が”俺”であるためだ」

「――――」

 

 世間話でもするかのように軽い口調で放たれた言葉に一瞬、フェリは言葉を無くした。そして、悟る。

 始まりが、完全に自己で完結している、と。

 自分の内から生じる理由に身を委ねたがゆえに、その他一切の言動に惑わされることがない。

 貫くべき生き方を知らず、流されるまま生きてきた自分とはまるで違う、とフェリは思った。レイフォンには武芸者以外の生き方を選ぶ余地など無かったのだ、と。そして、その生き方を当然のものにしてしまったのだろう、とも。

 今度こそフェリは目を伏せ、口を閉じ、顔を伏せた。

 念威繰者であれ、という他者の想いを(おぞ)ましいと逃げ出し、(わずら)わしいと嫌いながらも念威繰者であることを止められない。なのに、自分と正逆の人を見つけたら勝手に騒いで、嫌って、――憧れて。

 そんな自分が矮小(わいしょう)でみじめで、情けなくて仕方がなかった。

 

 ●

 

 クラリーベルは首めがけて跳ね上がってきた斬撃を、わずかに下がることで回避。

 

「今のはなかなか良い一撃です。――が、踏み込みが浅い」

 

 言われ、サイハーデンの門下生は歯を噛む。そして彼が次の動作を作るよりも先に、首筋に冷えた木刀の感触が来た。

 

「感情のまま動いたのでは、粗がでます」

「――参りました」

 

 悔しさの滲む声音を耳にし、クラリーベルは微笑。

 

「ありがとうございました。下半身もきっちりと鍛え上げているようですし、あとは経験を積めばかなりの武芸者になれるのではないでしょうか。今はまだ太刀筋が素直ですが、何度か肝の冷えることもありました。これからも頑張ってください」

「はい、ありがとうございました」

 

 二人が互いに一礼し、一歩下がると見学者たちが一斉に拍手。

 現在、最も天剣に近いと評判のクラリーベルを称賛し、彼女に食い下がった門下生を褒め称えた。

 デルクも手を打ちつつ、称賛の言葉を口にした。

 

「お見事ですクラリーベル様。虚実の入り混じった動作が実に自然。観ているだけで勉強になります。外野で見ていたので分かりましたが正面から見切るのは困難でしょうな」

「またまたご謙遜を。祖父(ティグリス)に引退させるには惜しいとまで言わしめたデルク・サイハーデンさんなら容易いことでしょう?」

 

 デルクは苦笑。

 言外に、だから証明してみせろ、という願望のような挑発を聞き取ったからだ。

 稚気、と切り捨てるのは容易い。しかし、こういう手合いは試してみなければ納得すまい。戦うことを要求され続けるのは目に見えている。”仕方ない”という呆れと”やってみたい”という欲求を半々に、デルクは木刀を手に取った。

 

「衝剄や化錬剄は禁止。活剄のみでよろしいですかな?」

「もちろんです」

 

 獲物は互いに木刀。デルクは正眼に、クラリーベルは下段に構える。

 互いに口の端を釣り上げて微笑のまま、動きが止まった。

 

「――――」

 

 二人の雰囲気に飲まれるようにして道場の空気が重みを増していく。

 高まる緊張が静謐を強制。道場から音が消えた。

 そして、ややあってから、門下生の一人が重みに耐えかねて唾液を嚥下した、そのときだ。

 

「!」

 

 内力系活剄の変化『疾影』。

 強烈な発した気配は残像となり最短距離を駆け抜けていき、その軌跡を追うようにデルクは駆け出した。

 

 ●

 

 デルクは思う。

 彼女は強い、と。次期天剣と称されるだけのことはある、とも。

 門下生に試合させてみたものの、あれはもはや試合ではなく明らかに指導であった。

 彼女の剣術にも(つたな)い点はある。しかし、活剄の密度は高く化練剄を十全に扱う以上、武芸者としての技量に疑う余地はない。年齢を考えればむしろ賞賛してしかるべきだろう。

 デルク・サイハーデンという武芸者が数十年をかけて上り詰めた道筋を、たったの十数年で踏破する才能。

 ……感嘆の一語に尽きる。

 おそらく総合的な戦闘能力は自身と同等の領域にあるだろう。

 化練剄を扱う武芸者にとっては、幻惑に多用することで心の隙間を突き、伏剄によって死角から狙い撃つのが定石。活剄のみとはいえ、意識を逸らすことに慣れた者とまともに付き合うのは危険すぎる。思うがまま、好き勝手に行動させていてはいけない。

 だから攻めることを選択した。

 自らが攻めることでクラリーベルの選択肢を狭めることを優先すべきだ、とデルクは思考する。

 だから、とさらなる一歩を踏み込もうとした、そのときだ。

 先行する残像が駆け抜けていき、クラリーベルが呼応するように一歩を踏み出し、

 

「!?」

 

 残像を無視。彼女は勢いをそのままに疾駆。驚愕し、身を硬直させるデルクに肉薄する。

 

「それはもう知っているんです」

 

 言葉ともに横薙ぎの一閃が放たれた。

 だが甘い。

 『疾影』を無視されたことで一瞬、デルクが身を硬直させてしまったことは事実だ。しかし、疾走の慣性が消えた訳ではない。だから、というふうに脚に活剄を集中した。

 内力系活剄、『旋剄』

 大幅に強化された脚力をもって、再度加速。身体を前の空間まで強引に叩き込んだ。

 

「……っ!」

 

 急な加速により間合いが変化する。

 クラリーベルはわずかに目を見開くと、即座に活剄を脚部に集中。木刀の背に手を添えた。

 力尽くで押しとどめようというのだろう。

 しかし、彼女の身体は未だ成長の途上であり、今は小柄な少女にすぎない。活剄の密度に大きな差がない以上、デルクが身体を肩から叩きつければ体格差で押し勝てる。

 だからそうした。

 

「はあっ!」

 

 衝撃。

 直後。クラリーベルが浮きあがり、ふ、とも、く、とも取れる呻き声と共に後方へと弾かれていった。

 デルクは前傾した姿勢のまま猛進していく。そして、反撃と同時に咆哮した。

 

「――かあっ!」

 

 内力系活剄の変化、『戦声』。

 空気を震動させる剄のこもった大声を放つ威嚇術はその威力を発揮した。

 クラリーベルは着地の姿勢のまま、身体を硬直させる。硬直は一秒にも満たないわずかな時間でしかないが、デルクには十分な時間だった。

 一気に間合いを踏破し、逆袈裟の一撃をぶち込んだ。

 

「かはっ!」

 

 衝撃を受けて、クラリーベルの身体は虚空へと跳ね上がり、それだけでは止まらず、後ろに向かって縦に回転していく。

 それを至近で見たデルクは思う。

 彼女は平衡感覚を失っている、と。このまま床に叩きつけられるだろう、とも。

 ヒットした一撃は強打。胸部に鈍痛が発生し、筋肉は硬直しているはず。ならば、ここから立て直すことはできまい。

 そうして倒れた彼女の顔の横に木刀を振り下ろせば終わりだ。

 判断は一瞬。

 だから、というふうにデルクは一歩を踏み込む。そして、続く動作で木刀を上段へと構え、それよりも先に別の動きが来た。

 下だ。

 

「――がっ!?」

 

 顎がかち上げられた。

 なにが? という疑念を抱き、即座に氷解した。

 強制的に上へと向けられた視界に、下から現れた鈍器の正体は、

 ……脚!

 クラリーベルのやったことは単純なことだ。

 殴打されたポイントをを回転の中心にして上半身を下げれていけば、自然と下半身が上がっていく。ならば上がっていく勢いをそのまま蹴りに乗せればいい。

 なるほど理屈は分かった。だが、それを成すには尋常ならざるバランス感覚が必要となる。少なくともデルクには出来ない。なによりも叩き込んだ一撃を意に介さず動けていることが不可解だ。

 どうやったかは分からないが、

 ……仕留め損なったか。

 顎をかち上げられ、反らされた上体を強引に引き戻すと、クラリーベルは既に姿勢と整えている。

 

「――――」

 

 視線が交わり、悠然と笑みを交換し合う。

 直後。

 二人は同時に飛び出した。

 

 ●

 

 太刀と太刀。互いに木剣だが、斬線が交わる感触には本物同様の緊迫感が付きまとう。

 クラリーベルが踏み込み、連続して木刀を叩きつければデルクは柳のように受け流し、

 デルクが攻め、剛剣を振るえばクラリーベルは木の葉のように舞い、蜂の様な一刺しを突き入れる。間合いを探り合い、フェイントを織り交ぜ、ときに強引に斬りに行く。

 攻防は刹那のうちに入れ替わり、互いに主導権を握りきれずにいた。

 息もつかせぬ攻防の最中にありながら、クラリーベルは口の端が自然と釣りあがっていくのを止められなかった。

 ……すごい……!

 それは、最初の攻防で嫌というほど理解させられた。

 吹き飛ばしてからの、わずかに開いた空間と時間を無かったことにする戦声。単純な方法だが、タイミングが絶妙だった。(たい)を崩した状態では、剄に対する警戒より姿勢を整えることを優先してしまうからだ。

 その瞬間を狙い撃ち、強打。

 幸い女性特有の胸部装甲があったことで衝撃が分散し、身体の芯まで打撃が響いてこなかった。女でなければ、あの時点で負けていただろう。

 これほど強い武芸者と出会ったのは久しぶりだ。

 体格はデルクが勝り、剣術も彼の方が優れている。

 一方で初速はこちらが速く、体術も恐らく上回る。

 活剄の密度は同等であり、剄量にも大きな差は見受けられない。

 総合的には互角といえる。

 しかし、活剄のみのルールでは、化練剄に比重を置くクラリーベルの方がが若干不利。

 さすがはレイフォンの師匠だ。自分と比べれば才能はないかもしれない。しかし、剛柔併せ持った武芸の”深み”は決して侮れない。堅牢でありながらも鋭い牙が見え隠れする老練の手腕は、歴戦という言葉を思い起こさせる。

 

「やはり、強い……!」

「貴女ほどの才能はありませぬな……!」

 

 デルクが木刀を振り下ろし、クラリーベルは合わせるようにして右足から踏み込み、下段から切り上げと見せかけて受け流す。

 

「!」

 

 直後。

 デルクの振り下ろした一撃が床を激しく打ち据え、快音を走らせる。

 クラリーベルは木刀を床に叩きつけるようにして踏みつけた。これでデルクは武器を動かせない。

 だから、というように彼女は一撃を叩き込もうとして、

 

「おおおおっ!!」

 

 轟声(ごうせい)とともにデルクが身を反らし、力尽くで木刀を振り上げた。

 クラリーベルは上へと向かうベクトルに逆らわないように回転し、空中で姿勢を制御。()()なることは、

 

「――知っていました!」

 

 空中からでは威力が半減してしまうが、その余力を速度に回せば連撃となる。

 ぶち込んだ。

 木刀が交叉し、乾いた音が連続する。

 

「むう……!」

 

 デルクは身を反らしていて、十分な一撃を放てる体勢ではない。

 威力よりも速度を重視した連撃は怒涛の勢いでデルクを襲い、防戦一方の彼の動きを更に押し込めていく。

 純粋な剣術では敵わないのだから、正面からぶつかるよりも搦め手で攻めればいい。それがクラリーベルが下した決断だった。

 ……いける!

 クラリーベルは確信する。このまま推移するなら時を置かずに潰せると、と。攻勢を保持せんと回転を速め、デルクが引いた分だけ押し込んでいけばいい、とも。

 だから、と全力で連撃を叩き込もうとした、そのときだ。

 

「はーい、食事の時間ですよー」

 

 道場と孤児院を隔てる扉の方から女性の声が届いた。

 すると、デルクは即座に構えを解いて、

 

「ああ、分かっ、――はっ! ふぐぅ!?」

 

 クラリーベルの一撃が股間を強打。白目を剥いて真顔で、そのまま顔から崩れ落ちた。

 

「…………ええー……」

 

 あんまりな結末に、クラリーベルは呆然とするしかなかった。どうしてこうなったのか、と門下生に視線を向けると、彼らは、ああー、と頭を()いて、

 

「ここは孤児院ですから、そのー、なんと言いますか……。食料事情はそれほど豊かじゃあないんですけど、メシで呼ばれたのに稽古を続けてるっていうことがありましてね? そしたら――」

「――”そんなに稽古が大事なら食事は要りませんね”って言っただけですよ、クラリーベル様。こうしてお会いするのは初めてですね」

 

 割り込む声はさきほどの女性のものだ。彼女は笑顔とともに会釈(えしゃく)

 

「リーリン・マーフェスと申します。よろしくお願いします」

 

 ●

 




はい、遅くなりすぎてすみませんでした。執筆は意欲ですね。大量に書ける人はすべからく尊敬できてしまいまする。
ついでに投稿する!と表明したのに遅くなったのは、書き上げたらなぜか投稿もしたつもりになっていた。
な、なにを言っているかわからねーと思うが俺もわからねー。
ごめんなさいOTZ

作業用BGM アニメ「攻殻機動隊StandAloneComplex」垂れ流し。もはやBGMですらないw
作中BGM「俺はここだと」境界線上のホライゾンのBGMですな。


やはり待っていました、といってくださる方が居るという事実ひとつで感動します。可能な限り早く次を仕上げられるよう努力します。
……ここですぐにうpしますと確約できないところが私の限界ですねorz

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