だって、戻ってこいって言うから……
●
孤児院の皆が一堂に会するリビングがあり、その奥には簡素ながら来客用のテーブルと椅子が用意された場所がある。
失神させられたデルクは、目を覚ますとクラリーベルをここに誘った。三王家の、しかも次期天剣とすら称される人物を鍛錬に参加させておいて、終われば、はい終わりです、とはいかない。
「このような場所で申し訳ございません。応接間でもあれば良いのですが……」
「いえ、気になさらないでください。三王家とはいっても、私はただの武芸者にすぎませんから。それより、もう大丈夫なのですか?」
「いやはや、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
デルクは苦笑する。
如何なる理由があろうとも、あのような醜態を晒したとあっては何も言えやしない。全てが言い訳になってしまうだろう。
「それで、サイハーデン刀争術の稽古に混じってみて、どうでしたか。なにかお分かりになりましたか?」
話題を変える意味もあって問いを投げかけた。
すると、クラリーベルから返ってきたのは笑顔付きの即答。しかも、それはデルクにとってまるで信じられない内容だった。
「それはもう! やはりレイフォンの源流はサイハーデンにあると確信しました」
「……
「そうでもありませんよ」
気負う様子も見せずにそう言うとクラリーベルは苦笑交じりに、そうですねぇ、と手を顎に持っていった。
「サイハーデンにも色々な剄技があるでしょう? レイフォンはそれをそのまま、とは言いませんが、結構な剄技に流用しているんです。例えば――」
実際の技を思い浮かべながら、
「そう、『焔切り』や『焔重ね』はレイフォン様も多用していますよね。改変と連続使用がすごいので焔切りとはかなり違う技になっているかもしれませんが居合で使っています。『エア・トリック』については『水鏡渡り』と化練剄の混合でよく使っていますし、多くの動作や技にサイハーデン刀争術が根付いているように見えます」
どれも改変が多く、サイハーデン刀争術とは言い難い。だから、デルクは失礼にならぬよう口調を努めて穏やかにしながら否定を返した。
「剄技を使うだけなら、なかなか源流とは言えませぬ」
「リヴァース様の『金剛剄』やカルヴァーン様の『刃鎧』、サヴァリス様の『千人衝』……。同格の天剣授受者が扱う剄技のほとんどを見覚えてしまう程ですから、剄技では理由にならないかもしれません。“最も器用な天剣”と称される彼に対して、剄技を理由にする方が間違っていました。ですからこう言いましょうか」
クラリーベルは思い返すように一息。そして、
「――それほどまでに武を修めてしまうレイフォン様にとって、最初に深く学んだ武芸がどれほど根差すものなのか」
それは、デルクには決して否定できない現実だった。
レイフォンはサイハーデン刀争術を確かに使い続けているからだ。
だが、デルクは天剣という生き物を知っている。
「天剣は違うのです。どの流派を修めたから天剣に至るのではありません。レイフォンが天剣に至り得る者であったからこそ、サイハーデンでも天剣に手を届かせたのです。サイハーデンであらねばならぬ理由などありますまい」
「貴方なら分かっているはずです。力量の境界と武芸に
「……」
「少なくとも、今のレイフォンにとっての源流はサイハーデンです。他の可能性は関係ありません」
クラリーベルの指摘に対して、その通りだ、とデルクは思う。
剣術や体術は、一定の動作を反射的に行えるよう、幾度となく反復することで身体に覚えこませるものだ。それはレイフォンであっても変わらない。
剄技の習得そのものは極めて早かったが、身体に馴染ませようと何度も繰り返していたことは今でも覚えている。あの頃に覚えた剄技と剣術は、レイフォンの土台となったことだろう。その事実から目を逸らしていたのは、
……私の弱さか。
愚かしいことだ、と深い息とともに吐き捨てる。
レイフォンがグレンダンを離れてからは、恐怖を感じるよりも、父としての己の不甲斐なさばかりが思考を埋め尽くす。デルク・サイハーデンは、レイフォン・アルセイフという息子に親として接することが出来ていたのだろうか、と。
理解できなかった。
だから忌避してしまった。
「……愚かなことです。私はレイフォンを受け入れることができなかった。父として、いや、私は父ですらない。レイフォンにとって最後まで武芸の師でしかなかった」
悔いる資格すらありはしない。きっと、レイフォンを目の前にすれば、今でも恐れを抱くだろうから。
デルクが内心でそう自嘲すると、不意に割り込む声が来た。
「そんなことないよ」
「リーリン……」
彼女はお茶請けをテーブルに置くと、クラリーベルに向けて可憐に微笑んだ。
「お茶をお持ちしました。どうぞ、クラリーベル様。お父さんも、――はい」
「うむ」
「うむ、じゃありません」
「…………うむ」
デルクの返答に、リーリンは頭を抱え、はあ、と聞こえるように溜息をついた。
その様子を見ていたクラリーベルは、仲が良いのですね、と上品に微笑。しかし、すぐに笑みを消すと真面目な表情でこう言った。
「丁度いいですし、リーリンさんも同席してください」
「え? 私ですか? 私は武芸者ではありませんが……」
「武芸のことではありませんよ。私がここに来たのは、女王からあの事件の真相を伝えるよう命じられてのことです」
「――――」
女王の命と聞き、二人は絶句した。
ややあってから、デルクはゆっくりと息を吐き出し、ようやく言葉を搾り出す。
「拝聴、いたします」
はい、とクラリーベルが頷いた。そして、ゆっくりと語り出す。
「――お話します。レイフォンが都市外退去に処されたあの事件の、その裏でなにがあったのかを」
●
絢爛な学生寮がある。
学生寮とされているが、実態は富裕層のために用意された高級マンションだ。
書類上はロス兄妹が二人で住んでいることになっているが、ほとんどフェリが個人で使用している。カリアンが生徒会長としての職務に忙殺され、尖塔に寝泊りしているためだ。
そんな自宅とされる場所に、久しぶりに帰宅したカリアンは、いつ以来かも分からない手料理を楽しんでいた。
「ふむ……これは美味しいねぇ」
懐かしの手料理をかみ締めるように味わいつつ、カリアンは目の前に並ぶ二人を見た。
テーブルに用意された手料理を作ったのは、正面のレイフォン。彼は味を確かめるようにしっかりと咀嚼していて、食事という行為を楽しんでいるようにも思える。反対にフェリは意気消沈といった様子で、料理もあまり喉を通らないようだ。
ふむ、と内心に頷きをひとつ。
レイフォンと何かあったのだろう。それが何であるかは不明瞭だが、人間関係に組み込む材料として見るならば、彼は劇薬だ。良し悪しは別にして、大きな変化を期待できる。
……それがフェリにとって良い影響であればいいが……。
いや、とカリアンは思考を中断した。
ツェルニを守るために彼女を望まぬ念威繰者として扱おうしているのだ。今さら兄貴面をするべきではない。少なくとも、今はまだ。
だから、というように、カリアンは全ての感情を隠して笑みを張り付けてこう言った。
「近くのレストランで一緒に夕食でも、と考えていたんだけど。いやあ、手料理というものにご無沙汰でね、ありがたいよ」
「手料理という程のものではないだろう」
「いやいや、作れるだけで尊敬するよ。君は料理は得意なのかい?」
「俺は孤児院の出身だ。あそこでは食事は全員で用意するものだった」
「なるほどね……」
会話が途切れ、食器を鳴らす硬質な音だけが響く中、不意に視線を横にズラすと、フェリの動きが止まっていることに気付いた。
伏せられた顔に髪がかかっているため、表情を見ることは出来ない。よほど辛辣なことを言われたんだろうな、と思い、原因であろうレイフォンに視線を送るが、彼は一切反応しない。
やれやれ、という溜息を飲み込み、カリアンは言う。
「フェリ、気分が優れないなら一度寝てしまうのも手だ。なにか悩みでもあるようだが、また明日考えればいい。違うかい?」
それと、
「それと食器は私が片付けておくから気にしなくていい」
「……先に休みます」
「ああ、おやすみ」
フェリはつぶやくように応え、自室へと消えた。
……いつもなら皮肉のひとつでも飛んでくるところだが……。
妹の様子から察するに、それどころではないのだろう。そして、残念なことにこちらもそれどころではない。
どんなことが原因であれ、こうした判断が嫌われる原因だと理解しつつ、
「本題に入って構わないかな」
「当然だ。わざわざ食事のためだけに呼び出した訳でもあるまい」
「用意したのは君だろう?」
苦笑。
「――用件はふたつ。ひとつは噂の件でね、君も耳にしているかい?」
「幼生体を殺し尽くした件だな」
「こちらで調査した結果、噂の出所は念威繰者で間違いないらしい。個人までは特定出来ていないがね。あるいは、発信源が複数の可能性もある」
「ベルシュラインはどうなっている?」
「真っ先に調べさせたが彼女は白だった。どうやら戦況の把握に回した念威繰者から
カリアンは思う。
必要な措置だった、と。
サアラ・ベルシュラインが優秀な念威繰者であることは周知の事実だ。しかし、レイフォンが要求したのは“全幼生体の現在地を明らかにする”こと。そもそもが、千や二千を軽く凌駕する数の位置情報をリアルタイムで正確に処理するなど、人間の処理能力を大きく超えている。
個人に可能な行為ではない。
……フェリを除いて、ではあるが……。
だから複数の念威繰者で役割を分担させるという手法を選択した。それ自体は間違いではないが、余計な情報をばら撒く結果を招いてしまった。意図せず、溜息をこぼしていた。
「気に掛けるのはいいが、たかが噂だ。過剰に反応していては身動き出来なくなるぞ」
「君がいいと言うなら私は構わないがね」
現状では、だ。
汚染獣の一件は緊急だったため、口頭での情報漏洩禁止令だった。しかし、その程度も守れないような
信頼できる念威繰者の選別は急務だった。カリアンは再びこぼしそうになった溜息を深呼吸に変え、胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「――さて、もう一件はこれだ」
写真の画質は辛うじて輪郭が分かる、というほど最悪なもの。これは大気中にある汚染物質が原因で、電波などの無線通信手段を阻害してしまうことが原因だ。
写真にある全てがぼやけているなか、山の尾根らしき線があり、辛うじて途中に不自然な膨らみが見て取れる。
「この間の汚染獣騒ぎから、都市外の警戒に予算を割くべきだと思い知らされてね。試験的に飛ばした無人探査機から送られてきた画像だよ。画質は粗いが、――分かるかい?」
「ああ」
「ツェルニ進行方向五百キルメルほどのところにある山なんだが……」
カリアンは膨らみの部分を、指で丸を描いて示す。
「気になるのは、山のこの部分。どうだね?」
「まず間違いないだろう」
「……そうか」
汚染獣を撃退し、ようやく恐ろしさが薄れてきたこの時期に、また汚染獣が現れた。
それも幼生体などとは違う。
山と比較できるほどに巨大な汚染獣だ。
「知っていると思うが、長い間、ツェルニは汚染獣と交戦しなかった。今では汚染獣の記録など資料すらほとんど残されていないほどに忘れられている。故郷の都市も同様でね。レイフォン君なら我々よりも詳しいだろう? どういう相手なのか、分かるだろうか」
「汚染獣には段階がある。幼生体は貴様も見ただろう。あの生まれて間もない汚染獣を幼生体と呼ぶ。ここまではいいな?」
カリアンは頷くことで理解を示す。
「脱皮をした回数から一期、二期と数え、脱皮するごとに強力になる。これが雄性体。おおよそ三期から五期の間に繁殖期を迎え、次の脱皮で雌性体となり、卵を抱えて地下に潜むようになる。だが、稀に繁殖を放棄する個体が現れる。これが最も強い汚染獣であり、老性体と呼称される」
汚染獣の生態を語るレイフォンは、淡々としたものだった。
恐れるでもなく、誇るでもない。
無機質に情報を羅列していた。
それが、より恐怖を誘っているように感じた。
カリアンは硬い唾液を飲み下すと、写真を指し示しながら問いかける。
「では、これは?」
「最低でも四期。……最悪なら老性体、だろうな」
「……勝てるのだろうか」
無意識に、そう呟いていた。
問いでもなく、恐怖が顕在化した言葉に対し、レイフォンはこう言った。
「戦力だけを比較するなら、老性二期までは勝算が見込める」
先程までの無感動な様子はなりを潜め、軽い調子であった。だからこそ、無条件に信じられた。本当に勝てると考えているのだ、と。
しかし、とカリアンは自戒する。
戦力“だけ”を比較するなら、と彼はそう言ったからだ。
「それは嬉しい情報だよ、本当にね」
「だが、問題もある」
「やはりそうか……。なにが問題かね?」
「ツェルニが学園都市であることだ」
つまり、とカリアンは思案することなく告げる。
「学園都市であるが故に発生する問題がある?」
「武芸科が、千に満たない幼生体で限界だったことは覚えているだろう。雄生体の二期までなら、あるいは通用するかもしれん。だが、それ以上は不可能だ。脱皮するごとに強くなるというのは生命力に限ったことではない。甲殻はより厚く、強靭に。凶暴性は遥かに増し、総合的な戦闘力では比較にすらならない。連中では傷のひとつとて負わせられん」
レイフォンは皿に残った最後の一切れを口に放り込み、
「よって出撃は俺一人ということになる。雄生体までならすぐに殺せるから気にしなくていい。だが、老性体以降では長時間の戦闘になる。その場合、外縁部での交戦となれば、武芸科が騒ぎ出すだろう。最悪の場合、我先にと逃げ出すことすら考えられる」
武芸者は権利と義務を有する。
多くの特権は、汚染獣という人類に対する脅威へ立ち向かう義務の代価だ。
その武芸者が、守るべき者たちを放って逃げる。
断じて有ってはならない事態であり、そんなことが起こってしまえば、
「そんなことになればツェルニは崩壊してしまう」
「では、都市外戦闘しかあるまい。フェリ・ロスが使い物にならん以上、超長距離の念威は不可能。出撃には俺と念威繰者、念威繰者を連れ回せる人員一名が必要になる」
「どうしてもフェリでは駄目なのかい?」
直後。
鋭さを増した眼光が、カリアンを射抜いた。
心臓が飛び上がるような感覚に襲われる。表面上を平静に保つのに慣れているはずだが、冷や汗が頬を流れていくのが分かった。
だから、というように言葉を慎重に選びつつ、
「長時間の戦闘になれば、汚染獣から逃走を試みる都市との距離が開きすぎてしまう。状況によっては帰還が絶望的になることもあるだろう。だが、ツェルニには余裕などない。武芸大会までに君を失う訳にはいかないんだ。――最善の方策をとってほしい」
「二十キルごとにアンカーを落としておけ。ある程度の大きさがあればいい。俺ならそれを目印にして帰還は可能、――これが最善だ」
彼は淡々と自身の思う“最善”を宣告した。
カリアンは、そこに含まれる意図を正確に読み取り、吐息をこぼす。
……何故あの子を邪険に扱うのか、というのは愚問なんだろうね……。
レイフォンは本物の、しかも超一流の武芸者。その性情では、戦場に背を向けるフェリを許容することができない。
「信用できない、か」
「それもある」
つぶやくように漏らした言葉に返されたのは、意外なものだった。
「――それも? 以前の君の発言からは、他に理由があるようには思えなかったが?」
「あの頃のヤツに対してなら十分な理由だったろう」
逆に言えば、
「今のフェリには他の理由が必要、ということかい?」
「今でも、あれに問題がないとは言わん。だが、なによりも俺の信念に反している」
「信念……。確かにそれは大切なことかもしれない。しかし、都市の安全を考えるなら、万が一を考慮に含めるべきだ。リスクを可能な限り回避し、より可能性を高めることこそが重要だと判断するよ」
それを理解できない君ではないだろう、とカリアンは問いかけた。
レイフォンという男は、武芸者として完璧とさえ思える。“そう”なろうとしているからか、それともごく自然とそうなのかは、カリアンには分からない。それでもレイフォンは武芸者として十全であるが故に“最善”を受け入れると考えた上での言い回しであった。
しかし、カリアンの考える以上に、レイフォンという男は
「理由なんぞいくらでも並べられる……。受け入れられぬ最善に価値はない」
「君らしくない、とすら感じる発言だ。誇りや信念を守るのは結構なことだが、歴史において語られるその選択は往々にして最悪の部類だったそうだよ。それでもレイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフはそうする、と?」
「今が歴史になるのは未来だ。未来のことは未来の人間に任せればいい」
「その未来に続くはずの今が失われるかどうかの瀬戸際に、君が居るのだよ」
彼は何も言わず、ただ見ている。それだけのことだが、悩んでいるようにも見える。
……どういうことだろうか。
レイフォンという武芸者は、汚染獣という脅威へ率先して立ち向かう。
強いからかもしれないが、弱い武芸者を無価値とする酷薄さも持ち合わせている。無機質な判断基準とすら感じていた。
そのレイフォンが、受け入れられない最善を無意味と切り捨てる。
フェリを信用できないからと受け入れなかった。
そして、今。それ以外の理由でフェリを起用する最善を受け入れない。
まず確認すべきを確認する。だから、とカリアンは問う。
「君の信念とはどういうものだろうか」
「武芸者、念威繰者であっても自由意志を最大限尊重すべきだと考えている」
即答で返された。
だが、カリアンですらその言葉を正しく認識するために数瞬の時間を要した。それほどレイフォンの印象から
言葉の意味を注意深く吟味し、ややあってから、
「……汚染獣という明確な脅威に溢れるこんな世界で、かね?」
「限られた自由しか存在しないこんな世界だからこそ、だ」
「それは強者の傲慢だよ、レイフォン君。我々のような弱者は、その瞬間を生き抜くだけで精一杯なのだよ。それを理解してもらいたいね」
理解できない、とは思わない。
自由意志を踏みにじったことがあるからこそ、素晴らしいものだと感じている。だとしても、カリアンにはカリアンの信じる道がある。
だから、と深呼吸をひとつ。
カリアンはレイフォンに睨みつけるような強い視線を向けた。
「そして、私にはこのツェルニを守り抜くという誓いがある。そのために妹の、フェリの意思を無視することも
言った、という実感を得るよりも先に、レイフォンが不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「政治屋の顔を捨て、初めて本心を口にしたな。だが、こう言おう。権威を笠に着て、女を力尽くで意のままにするなど、まるで強姦魔だ」
「君は――!」
カリアンは一瞬にして湧き上がった激情のまま叫ぼうとして、続く言葉を飲み込んだ。すぐ近くで妹が寝ていることを思い出したからだ。
乱暴に椅子に腰を落とすと、深呼吸を繰り返す。熱とともに怒りを吐き出しながら思う。これほど不愉快なことは初めてだ、と。
「人のことを言えるものか。君は婦女暴行の容疑でグレンダンを追い出されたはずだ」
「ほう? 表向きのこととはいえ、よく調べたものだ」
「表向き……やはりそうか。情報があまりに一方的だったのは、隠蔽工作があったからか……!」
「不都合な事実を隠すためにあの噂を広めたのではない。無責任に広められた噂を
レイフォンは嘲るように吐き捨てた。
彼の発言を嘘だとは思わない。噂はあくまで噂でしかなく、真実を覆い隠すベールとして使用することなど常套手段でしかない。
天剣授受者という立場にあるレイフォンが婦女暴行などというふざけた罪状で追放されたという妄言よりも余程信用できる。
しかし、噂が追放の建前だとすれば、期限付きとはいえ真実、追放に値するなにかがあったことになる。
……重要な役職の人物を追放するほどの罪科。
まさか、という思考放棄にも近い状況のまま問いかけていた。
「君は、…………なにをした?」
投げかけられた問いに対してか、あるいは自身をか。自嘲するように、彼は口を歪めた。
それは、
「――――女王暗殺」
●
「女王暗殺……!」
リーリンは養父の搾り出すような声を、その隣で無表情に聞いていた。
事の発端、経緯、そして、結果に至るまで知っていたためだ。だからこそ、クラリーベルの口から語られる事実を単なる事実として受け止めることができた。
「彼は暗殺を実行しています。本人も認めた事実です」
「反逆ともなれば追放も――」
「いいえ、追放は陛下の判断による刑ではありません」
しかし、レイフォンから聞かされた予想には詳細な理由は含まれていない。
彼は客観的な事実のみを告げ、グレンダンを去った。
「以前、簒奪を目的とした人物に三人の天剣が協力し、女王の殺害を試みましたが誰一人として追放刑など下されていません。あのクソ――失礼。陛下は自身に向けられた殺意など意に介しません。精々が手の込んだ娯楽、その程度です」
「では、なぜレイフォンが追放に処されたのでしょうか。私には今の話と矛盾しているように感じられます」
「レイフォン自身の意思があったからです」
それは、王家の一方的な断罪ではない。
むしろ、
「彼が追放を望み、陛下はそれを受諾した。そういう意味です」
「確かな話なのですか」
「はい。陛下からはそのように聞いていますし、当時のレイフォンの行動からもある程度の裏は取れています」
レイフォンは、こうなることを予想しながら、何もしなかった。
その行動が、不可欠なものであると聞いている。しかし、それでも、という想いはリーリンに“どうして”という言葉を差し挟ませた。
眼前、テーブルを挟んだ向かい側に、クラリーベルが居る。
眉尻を下げ、こちらに申し訳なさそうな視線を向ける王族。
彼女に、リーリンは問いかける。
「どうして、レイフォンが追放なんて望むんですか?」
「分かりません。陛下は何か知っているようにも見えましたが、私には何も教えて頂けませんでした」
あっさりと不明という回答が返されたことに、落胆の感情を隠すことはできなかった。
「……そう、ですか。申し訳ありません。クラリーベル様に言っても仕方ないのに」
「いいえ、気になさらないでください。そもそも――」
と、クラリーベルは続く言葉を一度飲み込んだ。そして、ややあってから、彼女は自身に言い聞かせるように、こう言った。
「そもそも、事の発端は三王家にあるのです。三王家が共謀し、ヴォルフシュテインの天剣を
「それは、ロンスマイア家のご令嬢たる貴女が口にしてはなりませぬ」
思わず、といった様子のデルクの言葉に、クラリーベルは語らず、寂しそうに微笑。
……ああ……。
このとき、リーリンは理解した。
美しいという賛美を惜しむ必要のない微笑だった。これは、決して王家という立場に縛られるがゆえの表情ではない。
レイフォンを想い、そして
リーリン・マーフェスと同じく、クラリーベル・ロンスマイアもまた、彼に恋焦がれている。
「私、……ロンスマイア家の私とレイフォンの手合わせ。その様子をユートノール家が悪意を持って広めました。結果として、ある噂がグレンダン中で話題になりました。覚えていますか?」
「確か、レイフォンが女性を襲ったとか」
「ええ、それだけならくだらない噂で終わったでしょう。グレンダンという都市の中でも群を抜いて高い戦闘力と、あのカルヴァーン様が賞賛を口するほど“武芸者”として理想的な振る舞い。その気高さをグレンダンの誰もが認め、誇ったのがレイフォンです。そんな戯言を信じる者など一人として居ませんでした」
ですが、
「ですが、レイフォンはいつでも否定できる噂が蔓延することを“良し”としていました。しかも自身の追放に繋がる可能性を知りながら、――いいえ。知っていたから捨て置いて、陛下に挑んだのだと聞いています。陛下に勝利できるのであれば良し。さもなくば追放にすればいいという考えだった、と」
「……追放を望んだのがレイフォンであること。それは理解できました。その可能性は高いのでしょう。しかし、偶然に頼る場面が多すぎるように思えますな」
偶然そうなったのではないか。
その思いはクラリーベルも同様だったようで、彼女は思案する様子で言った。
「私も、そう思っていました」
「思っていました?」
「ええ。この件に関して陛下が口を滑らせたことがあるのです。あ、いえ、意図したのかどうかまでは分かりませんが……」
「それは?」
クラリーベルはこう言ったんです、と前置きをしてから、アルシェイラの口調をなぞり、
「『レイフォンはな、私で確かめたのだ。己の真価と、そしてグレンダンの宿命を』」
グレンダンという都市を治める女王の言葉は、意味深なものだった。
リーリンには意味は分からない。しかし、知っていることもある。
レイフォンから伝えられたことと、そして、リーリンのなかで運命の歯車が回っていく予感。
「グレンダンの、宿命……」
「詳細は分かりません。ただ、確信がありそうな口調でしたし、これは陛下自身がそう感じたということかもしれません」
「つまり、レイフォンも“グレンダンの宿命”とやらを知っている、と?」
「おそらく。確かに天剣授受者にのみ伝えられるような
二人の対話を聞きながら、リーリンは思う。レイフォンと言ってることが違う、と。それに、と重ねて考えたのは、
……フェアじゃないよね。
同じ男に想いを寄せる女が目の前に居て、自分だけが知っているというのは、公平ではない。なにより彼女は
だから、というようにリーリンはこう言っていた。
「デルボネ様なら知っているはずですよ」
「……なぜ、それをお前が知っている?」
「レイフォンから聞きだしたの。出て行く前にね」
驚愕し問いかけてきた養父デルクに、リーリンは努めて軽い口調で答えた。
「細かいことまで聞いてる時間もなかったから教えてくれたのは単なる事実だけだったけど、レイフォンね、言ってたんだ。やらなければならないことがあるから“行く”のであって、“追放される”のではない、って。だから大丈夫ですよクラリーベル様。やることっていうのが終われば帰ってきますから」
「……うん、ありがとう」
そう言ってクラリーベルは微笑んだ。
今度の微笑は憂いを帯びたものではない。優しく、とても穏やかだった。
「リーリンさん、私のことはクララと呼んでください」
「分かったわ、クララ。私のことも呼び捨てにしていいからね?」
「ええ、よろしくお願いします、リーリン。応援は出来ませんが、お互い頑張りましょう。」
リーリンは彼女の差し出す手を握り返した。
きっと、互いに互いを好きになるだろう。好ましい人物であり、この握手は友好の証。そして、これが宣戦布告であることもまた、明白だった。
その様子を見ていたデルクが嘆息し、つぶやく。
「親はなくとも子は育つ、か」
リーリンとクラリーベルは顔を見合わせると、困ったような、仕方ない、とでもいうかのような、軽い笑いを交換した。
娘のことを理解できる父親など存在しない。そんなことすら理解していないのだから、と。
●
広い空間がある。
長い方の直径が約三百メルもある巨大な楕円形のドームだ。地面には土が敷き詰められていて、樹木の植えられている場所や、柵や塹壕で覆われた陣地まであった。
野戦グラウンド。
主に小隊と小隊による学内対抗試合に使われている場所で、試合になればグラウンドを囲うように備えられた観客席を学生が埋め尽くす。しかし、夜だというのに照明の点けられていないグラウンドは闇に浸っており、木々から虫の鳴き声が聞こえる程に静寂だ。
そんな広い空間を独占しながら、縦横無尽に剣舞に興じる影がある。
レイフォンだ。
宙に身体を投げ出して慣性に身を任せたレイフォンは、仰向けの視界に天を見た。野戦グラウンドを十分に照らすために、複数の照明が取り付けられた天井を。
重力を感じるよりも早く視界が仰け反っていき、地面が見えてきた。
そこで上昇が終わり、次は落下だ。
だから、とレイフォンが落下の慣性と
流麗な動作が連続したかと思えば、次の瞬間には足を基点に描き出された陣が足場となり、強引な加速が次の流れへと繋がっていく。
緩急の激しく変化する動きは、相手は居らずとも間違いなく戦闘と呼べるものであった。
「青」
つぶやくと、レイフォンは錬金鋼を投げ捨てた。
直後。
暗闇のなかから飛び出すように、レイフォンの背面に向かって
「レストレーション」
復元。踊るように刀を振るう。
●
やがて、数分という時間を滞空したレイフォンは地に足を着けると、息を吐く。そして、自らの動きを、念威によって追いかけていたはずの者へと問いかけた。
「ベルシュライン、どうだ?」
問いに対して、サアラ・ベルシュラインは力のない声で答えた。
「野戦グラウンド内でしたら、念威端子を配置しておけばなんとかなりますけど……」
「それでは意味がない。方法を見つけ出せ。俺はもう一度試す」
「……はぁい」
ふん、と鼻を鳴らしたレイフォンは思う。
気苦労の多いことだ、と。
カリアンとの密会で汚染獣との遭遇を知った。写真からは雄性体に思えたが、老性体の可能性が極めて高いことも知っている。
レイフォンは“強い”というその事実だけで十分に報われている。レイフォン・アルセイフを楽しんでいる。その在り方はサヴァリスのような戦闘狂に近い。
当然、優先順位はあるし、自分が強くなることが最優先というだけだ。しかし、ツェルニに来てからは面倒事ばかりが増えていくことに辟易とした思いがあるのもまた事実。
……知っていたけど、めんどくさいんじゃがぁー。
念威に関してはデルボネに頼りきりだったことを痛感する。
天剣が不満なく受けられる十全なサポートは、本来あり得ざる厚遇でもあったわけだ。
念威なんてわからんチンです。
「ゴルネオ、貴様も投擲の精度を上げろ。貴様のそれが命綱だぞ」
「――はい、申し訳ありません」
「謝罪は要らん。精度を上げろ」
「はい……!」
ゴルネオ君も頑張っていますねぇ。君が武器を供給してくれるならそれでどうにかなるんでマジでちょっと頑張ってね。
武芸なんて教えらんねぇけどな。
自然とできていたことを、どうすればいいのか、とか言われても、そのなんだ、困る。
え? 剄技? 使えなかったものは鋼糸くらいですねぇ。
だから剄技が覚えられないっていう感覚が逆に分からないってゆーかぁ(煽り)
千人衝とか一目見たら出来ちゃうしぃー☆
というか基礎の基礎すら御粗末な上に、息の仕方から教えないといけないんすよガチで。剄息ぐらい一生しててもらえますー? 出来てない? はー、つっかえ。やめたら? 武芸者。
愚痴が止まらない。なんて程度の低い都市なんだ……。
ああ、全く。
非公式とはいえ、平然とニート出来たグレンダンが恋しいぜ。リンテンスの野郎なんてまんまネオニートじゃねえか。いや、あいつはずぼらなだけか……。
「面倒なことだ」
カリアンとの密会以降、訓練漬けだなぁ。
天剣、無いと不便っすわー。やっぱ代わりが必要だなぁー。チカラが足りんのよ
●
待たせたな(CV:大●●夫)