「はあっ!」
不器用ながらも鋭い一閃が、心臓目掛けて一直線に繰り出される。その全力の一撃を軽く身を逸らすだけで難無く躱し、
「うわたっ!?」
「ふ、まだまだだな――だが、以前よりは格段に良くなっている。精進している証拠だ」
「あはは……そういってもらえるなら、努力した甲斐がありました」
そう答え、自分の数ミリ横に刺さった槍を見て、藤丸立夏は小さく息を吐いた。何度やっても慣れないなあ、と思う。この人に心臓を穿たれるまでもなく、いつか訓練のプレッシャーで心音が止まるんじゃないかな、と少し考えてしまった。
いつの日からか、この訓練は習慣になっていた。彼女を召喚してすぐの頃だったようにも思うが、詳しいことはもう忘れてしまった。カルデアの少し広い一室を貸し切り、マンツーマンで鍛えてもらう。時には槍を放ち、時には剣を振るい、走り込みから筋トレに至るまで、色々とご教授頂いた。今の立夏の肉体を作り上げたのがスカサハであると言っても過言ではないかもしれない。第五特異点において長距離を歩き抜けたのも、彼女の指南あってこそのものだろう。
「この分だと、いつか本当に私の胸に届く日も来るやもしれんな」
「何百年かかるかわからないですけどね」
スカサハは胸に手を当て、小さく微笑んだ。今日の師匠は機嫌がいいな、と立夏は思う。その辺は長い付き合いなので心得てきた。冗談を言ってくれる日は大抵機嫌がいい。しかもこちらを褒めてくれている。内容はまあ、少し物騒だが。
「まだまだ雛鳥だが、随分と育ったものだ。特に槍術に関しては中々筋がいい。最近は、突きに迷いがないしな」
「師匠を信頼してるからこそですよ。そうでなきゃ怖くて、あんな思いっきり打てませんって」
かつて、その件で三十分くらい説教されたことを立夏は思い出す。いきなり槍を渡し、「殺すつもりでかかってこい」と言ってのけたスカサハ。何度も拒否したところ、むしろこちらが殺されかけた。「お主に儂を殺せるはずなどないだろう。安心して打ってこい」ボコボコにされた後、彼女は呆れたようにそう言った。その言葉のおかげで、立夏は迷いなく槍を放てるのだ。
「……あの、師匠」
「どうした?」
「その……そろそろ、退いていただけないかなあ、と……」
「ああ、すまない」
未だスカサハは、立夏に馬乗りになったままだった。立ち上がった彼女はマスターの少し赤くなった頬を見て、クスリと笑った。
「何だ、照れているのか?」
「な……そりゃあ照れますって! 正直押し倒された時点でドキッとしてましたからね!?」
余計に顔を赤くしてあたふたするマスターの様子が面白くて、スカサハはもう少し悪戯してやろうか迷ったが、やめておくことにした。
「私などに動揺するとは変なやつだ……ふう、少し休憩するか。何度も言うが、動くだけが訓練ではないからな」
「しっかり食べてしっかり飲んで、メリハリをつけることが大事……ですよね? あ、飲み物がない! ちょっと取ってきますね!」
駆け出して出ていった立夏を見送り、「休憩で走っては意味がないだろうに……まったく」とスカサハは嘆息した。
藤丸立夏。人類最後のマスター。自分を喚び、慕い、共に死線を越えてきた男。
何故か師匠と呼んでついて回るので、「お前は私の弟子ではないだろう」と呆れた顔をすると、「じゃあ弟子にしてください!」と更に呆れ顔にさせてきた男。どうせ数度で音を上げるだろう、とかつての弟子と同じような特訓をさせたが、思いのほか筋が良かった。鍛えていくうちに絆も深まって、才覚もぐんぐん上がっていった。数々の特異点を共に踏破していくうちに、いつしか本当に弟子と認めるようになっていた。
「不思議な男だ」
口元が、自然と綻んだ。影の国の女王にすらこのような感情を抱かせる、平凡な男。だがスカサハは、この想いを抱きかかえて過ごしていくと決めていた。愛おしいものを、眺めているだけでいいのだと。
その時、珍しく警戒を緩めてしまっていたその時。妙に甘ったるい匂いが、漂ったような気がした。
「本当に――本当にそれだけで、よろしいのですか?」
「お待たせしました、師匠!」
スポーツドリンクを両手に持ち、藤丸立夏は戻ってきた。部屋の中心ではスカサハが腕を組み目を閉じて正座している。瞑想でもしていたのかなあ、と思いながらそちらに近づいていった。
「お帰り。ああ、そんなものはそこら辺に捨てておけ。お前が持つべきなのは
背後の壁に朱槍が突き刺さった。捉えることも出来ない速さで飛躍したそれを見て、立夏は力なく笑った。
「訓練の続きですか? 師匠は熱心ですね、でも折角持ってきたんですし一口くらい――」
ボトルを持っていた手は、反射的に離すことになった。二本のペットボトルはそれぞれ、投擲された二本の朱槍に貫かれたのだ。精確に細いペットボトルを貫く上に、その先の立夏の胸へは届かない絶妙な力量。正に、神業であった。
「な――、なにするんですかっ!」
「……今のは、ほんの挑発だ」
スカサハは平坦な声音で話す。よく見ると、その姿は口元を隠しており――一再臨目以前の姿であるようだった。
「
「――ッ!」
背後の朱槍を引き抜き、立夏はスカサハへと一直線に駆け出した。彼女は間違いなく本気だ。加減はするだろうが、己の想像以下の行動を取れば、即刻彼の身を穿つつもりだろう。となれば、訳も分からぬまま、迷いなく戦うしかなかった。
早速動いたことに少し驚いた様子を見せるスカサハだったが、立夏の渾身の突きを軽く躱し、前のめりになった足を蹴り飛ばして払う。学習せぬ馬鹿弟子め――と槍を構えたが、立夏は倒れていなかった。突き出された槍をコンマのところで受け止め、そのまま無理矢理軌道を逸らして距離を置いた。
「ふむ、少しは学んだか――だが、距離を取ったのは失策だ」
スカサハは槍を投擲することを得意としている。つまり、彼女の間合いは槍の届くところ全て。多少距離をとったことで、むしろ立夏は不利になる。
篠突く雨が如き勢いで、スカサハは次々と槍を投擲していった。立夏はそれを、紙一重で躱しながら動いていく。
「何だ、私の目でも回すつもりか?」
立夏はスカサハの周りを回るように逃げていく。全ての槍を躱すことなんて出来なくて、彼の魔術礼装と体は、掠った槍でズタズタになっていく。
「逃げてばかりでは勝てないぞ!」
ここでスカサハは、戦術を変えた。槍の投擲を止め、立夏の元へと跳躍する。
「攻撃というのはな、こう行うのだ」
「――ッ!」
容赦なく槍を打ち込んでいくスカサハ。立夏は辛うじて一撃目は防いだが、二撃目で左腕を。三撃目で右足を、それぞれ軽く貫かれた。力なく、膝を着く。
「――こんなものか。よく頑張ったな」
ポンポン、と頭を撫でた。それは確かな、勝者の余裕だった。立夏は、安心したように顔を上げた。
「待っていろ、すぐに楽にしてやる――」
スカサハは表情を変えぬまま、槍を構えた。驚愕の色を浮かべる藤丸。そのまま、彼の身は朱槍に穿たれ――――
「――――ッ!?」
「……はあ、はあ……!」
――なかった。そもそも、槍はその身に届かなかった。届くことなく、地へと落ちる。スカサハの身は、槍を放つ直前の姿勢で停止している。立夏は伸ばしていた手を下げ、力なく肩を落とした。
「あ……危なかったぁ……!」
「……これは……ガンドか……っ!」
「そうです、間一髪でしたよもうー……!」
――ガンド。立夏の魔術礼装、カルデア戦闘服に備わった基礎的魔術の一つ。流石に"フィンの一撃"と称される領域ではないが、正確に当てることが出来れば数十秒程度、動きを止めることは容易である。
「さあ、訳を聞かせてもらいましょうか? いくら俺と師匠の仲でも、今回は流石に怒りますよ?」
「――訳、か」
この男は自分が本気で殺されかかっていたことが、分かっているのだろうかとスカサハは思う。そんなもの、分かっているに決まっている。分かった上で、自分を殺そうとした相手を許そうとしているのだ。何か理由があるのだ、と信じて。
「――そんなもの、あるに決まっている」
「一体、それは……?」
それが――大変身勝手で独り善がりな理由だと知っても、彼は自分を許すのだろうか。
「――ふむ、そろそろか」
「え……?」
止まっていたスカサハの体がぎこちなく動く。ガンドのダメージから回復してきているのだ。落ちた槍へと手を伸ばし、それを拾い上げる。
「お前が何と言おうと、私はどちらかが動かなくなるまでコレを続けるよ。……まあ、これ以上出来ることはないだろうが」
「なんで……なんでですか師匠!! 何か俺に至らないところがあったなら謝ります直します! だから、だから――ッ!」
「話すことなど、何もない」
そんなもの――ないに決まっていた。
「止めたければ、儂を殺せ――尤も、
いつかの台詞。それを聞いて、立夏も槍を掴み直す。――そうだ、止めるなんて思い上がっちゃいけない。殺すつもりで挑まなきゃ、この人は止められない――ッ!
立ち上がったスカサハは、数歩後ずさった。その動きから、未だダメージが残っていることを察する。
「「おおおおおおおおおおおおお!!!」」
同時に駆け出す。同時に突き出す。勝負は一瞬、一瞬のうちについた。槍がカランと力なく落ちる。立夏が、どさりと倒れる。スカサハは――胸を真紅に染め、立っていた。
「どうしてですか……! 今、あなたは、自ら俺の槍に――!」
深々と、本当に深々と槍は突き刺さっていた。立夏の手がスカサハの体に触れるほど深く。そしてそれは、正確に心臓を穿っていた。
「ぐふ……っ」
「師匠! 師匠ぉ!!」
力なく膝を着く彼女の体を立夏が抱き留める。目に涙をため、声を震わせ。虚ろな目のスカサハは、そんな彼の様子を嬉しく思ってしまった。
「すまなかったな――立夏。私の我儘に、付き合わせて」
「そんなのいつものことじゃないですか! すげーキツい訓練無茶振りされて、必死にそれを乗り越えて。これも、その一環ですもんね!? そうだ、ドクターたち呼んできます! 早く治療しなきゃ――!?」
立夏は、動けなかった。重傷人とは思えない力で、スカサハに抱き締められたから。
「ししょ――、槍、が――!」
「ああ……もう、いいんだ。とうに手遅れだ」
柔らかな女性の感触と、硬い鉄の感触が立夏の胸をついた。堪えていた涙が、どっと溢れてきた。
「なんで、なんでこんな――!」
「――何だ、泣いているのか……? 笑えマスターよ、お前は確かに……勝ったのだから」
「うわああ……うわあぁぁあん!!」
「まったく。どちらが勝者か……わからぬではないか……」
ポン、と力無く、立夏の頭に手を置くスカサハ。だがその手が動くことはなかった。
「最後に――もう一つだけ、我儘を――聞いてくれるか」
「いくらでも、いくらでも聞きますから……!! 最後なんて、言わないで――!」
「――ああ」
頷き、スカサハは言った。
「師匠、じゃなくて――名前で呼んで、くれるか」
「――スカサハ……!」
「ああ――ありがとう、立夏――」
スカサハはゆっくりと、目を閉じた。