インフィニット・ストラトス~もうひとつの翼~   作:勿怪の幸い丸

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第二話です。
話が動かない……。


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―――ISを倒す。

 書いてしまえば、僅か五文字で足りるこの一言。が、実現することを前提としたならば、たとえ一国家元首でさえも易々と発することができないだろう。それほどまでに、兵器としてのISは革新的で完璧だった。

 ましてやその宣言をちょっとやんちゃな風貌をした一男子高校生がしたとなれば、そのいっそ無邪気なまでの無知無謀は嘲笑、もしくは侮蔑の対象でしかない。現にあの瞬間、クラスメイトの尖寺を見る目は幼稚園児のように無神経な同世代の男子への苛立ちに満ち満ちていた。そこに軽侮の念が宿らなかったのは、ひとえに尖寺を含む三人の男子がIS学園に入学しているという事実が眼前にあったからに違いない。

 常識的には馬鹿にできるはずなのに、正体不明の不気味さがある存在。そんなものには近寄りたくないのが人間心理で、順当な帰結として、俺と尖寺はぼっち飯をしていた。元々、飯は一人で食べるのが基本な人間なので、俺も尖寺もあまり気にしていない。同じ長テーブルの対角線に座っている尖寺は黙々とラーメンをすすっている。周りは混んでいるのに、このテーブルだけは俺たち二人以外に誰も座っていなかった。

 大半の生徒は学園生活に溶け込むべく、二人以上のペアもしくは数人のグループで昼食を取っているようだ。その中でも特にコミュニケーション上級者たちは、窓際の大きな丸テーブル席を好むらしい。「ISを倒す」宣言の当事者の一人である平田も、彼を中心に我がクラスと若干名の新顔で構成されたグループを作っている。

 頼んでもいないのに渉外役を引き受けた平田だけは俺たちとは別で、尖寺の宣言が飛び出す前に作り上げていた地盤の上に、あのように良好な人間関係を築き上げている。時折、聞こえる平田の話し声は今朝の妙な上がり調子が鳴りを潜めて、春の陽気に森林のごときマイナスイオンを混ぜ込んでいるかのようだった。青春がどうとか講釈するだけはある。

「ここ、いいか?」

 中華まんを二つとカレーライスの大盛りを平らげて、そろそろ明太子スパゲッティに手を出そうかとしていると、正面から声をけられた。

 トレーに日替わり定食を乗せた、織斑一夏だった。凛とした佇まいの黒髪の女子を引き連れている。クラスメイトの名前を覚えるつもりはなかったのだが、この女子だけは別だ。篠ノ乃箒。ISの開発者である篠ノ乃束と同じ苗字を持つ女子。事前の情報によれば、実妹にあたるらしいがここ数年接触した様子はなし。織斑一夏とは小学生時代に面識があるとのことだ

「どうぞ」

「ありがと。ほら、箒も座れよ」

「……失礼する」

 篠ノ乃は一夏のすぐ隣に座った。

「……滅茶苦茶多いな。全部食えるのか?」

「あぁ」

「すげーな。なぁ、箒」

「……」

 篠ノ乃さんは俺の前に置かれた皿の一群には興味なさ気だった。顔を顰めているはいるので、もしかしたらちょっと引いているのかもしれない。

「教室でも自己紹介したし、無駄に有名になっちまったから知ってると思うけど、俺は織斑一夏。藤橋第二中学出身だ」

「……円真流だ」

「よろしくな、真流。いやー、男がいてくれて助かったぜ。あんたたちが来るまでマジで針の筵だったからな。あ、こっちは篠ノ乃箒。幼なじみだ。不愛想だけど喋ると結構面白いぞ」

 織斑はいきなり俺を名前で呼び、親近感を隠しもしない笑顔で自己紹介をしてきた。喋るテンポが速すぎて、返事を的確に返すことができない。あまり得意ではない人種だ。

「おーい、錐だっけか? お前もこっち来いよ。一緒に食べようぜ」

 教室での啖呵を気にしていないらしく、織斑は自然に尖寺にも声をかけた。尖寺はウザったそうに織斑を睨みはしたが、意外にも素直にこちら側へ移った。

「……なんの用だ?」

「一緒に飯食おうぜって言っただろ? 大勢で食べた方がうまいじゃんか」

「はっ、呑気なもんだな。一週間後にはブリテンの代表候補生と決闘だってのに」

「今から緊張してても仕方ないだろ。そっちこそ、ISなしで戦うって本当なのか?」

 織斑、オルコット、尖寺の三つ巴舌戦による混乱を治めたのは、意外でも何でもなく教師の織斑千冬だった。下された裁定はクラス代表を決めるための模擬戦。さすがにISを操縦できない者をクラス代表にする訳にはいかないらしく、織斑とオルコットが対戦し、勝った方が尖寺含む俺たち三人とエキシヴィジョンマッチをすることとなった。織斑千冬は念を押すように俺たちへ参加意思を問うていたが、尖寺はあのブリュンヒルデと向かい合っているとは思えないような態度でその質問を退けていた。

「教室でもそう言っただろ。二言はねぇよ。テメェの方こそ、今からでも頭下げてハンデを貰いにいったらどうだ?」

「俺だって男だぞ。下げられない頭くらいある」

 本人としては憮然とした態度を取ったつもりなのだろうが、織斑のそれは些かコミカルに過ぎる。IS操術だけでなく美貌でも鳴らした織斑千冬と同じ遺伝状況下で生を受けただけあって、顔立ちは冷たく整っているといって差し支えないのだが、いかんせん言動から滲み出る内面がその怜悧な印象を粉砕してしまっている。好意的に捉えるならば、親しみやすさが増しているとも取れるのだが。

「でさ、実際のところ、どうやって戦うんだ? というか、魔術士ってなんだよ」

 周囲に人がいないのだから声を潜める必要もなかろうに、距離を縮めてくる織斑。尖寺はめんどくさそうにメンマを弄んでいる。反応が気になったので、たらこスパゲッティをダイソンしつつ、その横顔を盗み見た。

 と、そこで賑やかな平田卓で大きな歓声が上がった。見ると、平田が腕をテーブルに対して平行に突き出し、両の掌を天井へ向けている。傍目には妙なポーズを取っているようにしか見えないだろう。もっと奇妙なのは、その掌の上、中空で二つ折りにされた紙ナプキンがまるで羽ばたくようにして浮いていることだ。

「うぇっ、なんだあれ」

「……手品の類だろう」

 驚く織斑と対照的に、篠ノ乃の反応は冷ややかなものだった。平田のような人間を毛嫌いしているのかもしれない。確かに、平田は親睦を深めるためにありとあらゆる芸事を触りだけ覚えているような、有体に言って軽薄な雰囲気がある。

「ちょうどいい。見せてやれ」

 尖寺が顎でしゃくるようにして、俺に平田の方を示した。いいのかと視線だけで問うと、今度は織斑の方を示す。早くしろということらしい。

「なんだ、なんか見せてくれんのか?」

「それ、借りていいか?」

「? おう」

 海鮮チャーハンの皿をどかして、織斑から水が八分目まで入ったコップを受け取り、テーブルに置く。そして、少しだけ俯いて右手で目頭を強く揉むようにして押さえる。

「……体調でも悪いのか? なんだったら頭痛薬とかもらってくるけど」

「違う」

「いいから、黙って見てろって」

 瞼の内側にじわりと温かな感覚が広がる。目を開く。数秒の間、視界が黄緑色に染まり、上から下にかけて三回ほど波が起きた。それが終わると、網膜が元の色彩感覚を取り戻す。準備は完了だ。

 目の前のコップ、その中の水に意識を集中する。景色は数秒前と変わらないはずなのに、それを捉える俺の五感は全くもって刷新されてしまっている。首筋が熱くなり、ゾワゾワと異常な感覚が目を中心に広がっていく。

 今の俺にとって水は上から下に流れるものではない。

 俺がイメージし、世界に投影した水路に沿って流れるものだ。

 コップの中の水が一条の筋となって空中にゆっくりと昇っていく。失敗はしたくないので、視界の端で指を動かし補助線を引くことも忘れない。俺の人差し指の動きに連動して、水はさながら伝説上の龍のごとく、その身をくねらせて空中で円を描き、自由自在に飛び回る。織斑に見えるようにして∞の形になり、二筋に分かれ、再びぶつかるようにして一つになる。

 最後は川が滝つぼに落ちるような勢いで、踊る水はコップの中に納まった。

「ふぅ……」

 息を吐く。訓練やテストで何度もこなしたことだが、一人でも観客がいると緊張度は段違いだった。

 織斑は口を丸く開けて固まっているし、平田のそれには冷ややかな反応だった篠ノ乃もはっきりと瞠目している。インパクトは上々だろう。

「すげぇ!」

 フリーズの解けた織斑は大声で称賛を口にすると、何故か今の今まで空中で舞っていた水を飲み干してしまった。食堂とはいえ空中を漂わせたので、あまり奇麗なものではないのだが。

「水だ!」

「当たり前だろう」

 ここまでストレートな反応をされると、喜びよりも呆れが勝る。もっと疑ったりはしないんだろうか。

「これが魔法なのか?」

「まぁな。円、説明してやれ」

「俺がか?」

「得意なんだろ?」

 どうやら休み時間の俺の行動をしっかりと見ていたらしい。揶揄するように唇を尖らせている。

 反論はせずに、織斑たちに向き直った。

「立場上、喋れないことがあるのを了承した上で聞いてくれ」

 そう前置きをして、腕を組む。

「不可思議な現象に見えるだろうが、テレビやマンガに出てくる魔法とは違う。俺たちの使う魔術は、実在する超能力者を研究することによって、体系化され、実用化された立派な科学技術だ。勿論、科学技術だから、使うにはそれなりの施術や訓練を受ける必要がある」

「超能力?」

「あぁ。魔術を名乗ってはいるが、そう理解してもらった方が確実だ」

「透視したり、発火させたりする?」

「あぁ」

「拓深は物を浮かせてたよな。真龍は水を操る超能力者なのか?」

「それは違う。俺たち魔術士はかつて超常現象と呼ばれていた事象を発生させることはできるが、先天性の半遺伝形質としての能力を持つ超能力者とは別物だ。魔術は超能力者から採取した知覚イメージと人工魔術神経から発生した魔力を消費して起こされる疑似超能力なんだ」

「え、えぇと……」

「簡単に説明すると――」

 横を向いて、首筋を織斑たちの方に露出させる。

「このコネクタの下にMANと呼ばれている、ざっくり言うと魔力を発生させる器官が内蔵されている。で、さっき目頭を揉んで眼球表面に展開・滞留させていたのが、魔術のイメージを封入したナノマシンだ。これが超能力者たちの感じていた、物理科学的にありえない、しかし可能性世界においては決して否定されえないもう一つの現実像を、網膜を始めとした感覚器官にフィルタリングする。すると、そのフィルターを通って現実世界に出力された魔力が、超常現象を引き起こす。これが魔術の基本原理。ゆえに、魔術士はこの二つがあれば、原理上はどんな超能力でも使うことができる」

「え、じゃ、じゃあ、真流も物を浮かせたり、炎出したりできるのか!?」

「あぁ」

「見せてくれ! 頼む!」

 手を合わせて拝まれる。披露するのは決して吝かではないのだが、今の状態で使用できる魔術は限られている。

 思案していると、突然、頭の中に燃える紙ナプキンと口笛の音色のイメージが広がった。丸テーブル席に座る平田が頗る笑顔を浮かべて、蝶のように舞う紙ナプキンを前に手を振っている。すぐに彼の意図は理解できた。幸い、人というものは近くで異常な現象が起こっていても、目の前に集中できる何かがあれば気づかないものらしい。チラチラと男子が三人も集まっているテーブルを見ている人間もいるが、大抵は友達とのおしゃべりに夢中だった。魔術の存在を噂という状態で周知させるのは計画の範囲内だが、確定した事実として話が広まるのは避けたい。

「織斑、篠ノ乃さん、あれを見てくれ」

「ん?」「……」

 二人が自分の方へ注目したのを確認してから、平田は紙ナプキンをこちらに向かって飛ばした。紙ナプキン製の蝶は懸命に羽ばたきながら、食堂を横断していく。平田席の全員がその様子に注目していた。

 俺は思念でナノマシンに指示を送り、眼球表面と鼻粘膜に新たな知覚イメージを展開する。途端に鼻腔に物が焦げたような臭いが充満し、視界には世界が潜在的に内包する可燃性が幾何学的にデザインされた花弁の形で出現した。

 物体の酸化現象ではなく、もっと概念的な赤い揺らめき。歪んだ現実認識に呼応し、何もない空間に発生する鬼火。より個別的には、かつて江戸に大火をもたらした女の憎しみ。物理現象との折り合いをつけるよう数式化されたそれらに、思考が狙った出力を実現するための変数を入力していく。

 紙ナプキン製の蝶がちょうど食堂の中央に差し掛かったとき、それ(・・)は起こった。

 蝶の下五センチを起点として血のように赤い炎が発生し、一瞬で上方に吹き上がると紙ナプキンを灰塵に帰した。向こうのテーブルで幾人かが軽い悲鳴を上げて、何事かと近くの女子が辺りを見回すが、そのときには既に全てが終わっている。

 俺は先程よりも深く息を吐いた。尖寺はここまでの外連味を想定していなかったのか、鼻白んだように顔を顰めている。が、特に文句が出る様子はない。

 織斑は二回目であることを感じさせないリアクションをしている。篠ノ乃は険しい顔でハラハラと風に流される灰を見つめている。

 仕事が終わったようなので、俺は再び海鮮チャーハンをかき込むべくレンゲを握った。

「す、すげぇ……」

「……」

 終盤でラッシュをかけられるように残しておいたエビを、贅沢にも一掬いで二つ口に運ぶ。あまり味覚が豊かではないことに定評がある俺にも分かるほど上等なエビを使っているようだ。歯に抵抗する身の弾力が心地いい。

 半分ほど残っていた海鮮チャーハンを一〇秒で平らげて、ちょっと伸びてしまった焼カレーうどんに取りかかる。織斑は俺が食事に戻ったので気を遣ってくれたのか、尖寺に何かやるように頼んでいるが、素気無く袖にされている。その様子に嫉妬したわけではないだろうが、篠ノ乃が咳払いをして会話に割り込んだ。

「なるほど、見事なものだな。だが、その手品でISに勝てるのか?」

 篠ノ乃の質問は、単純に疑問だから発せられたという感じではない。明白なまでにIS操縦者としての矜持、もっと言えば俺たちに対する攻撃的な意志が込められている。

「あ?」

「……」

 一瞬で臨戦態勢になった尖寺。俺はいかにしてうどんにルーを絡めるか試行錯誤しつつ、ないと思うがいざとなったら止めようと二人から目を離さないでおく。

「紙ナプキンを浮かせ、コップ一杯の水を自由自在に操る。私にはやはり種の割れた手品にしか見えんな。本当にそれであの高飛車な金髪に勝利することができるのか?」

「お、おい、箒……」

 織斑が戸惑いつつも宥めるように篠ノ乃を制す。

 その挑発的な問いかけが一生徒から出たものであれば、尖寺も笑って流したかもしれない。だが、相手はあの篠ノ乃束の妹だ。つまり、詳細な情報が判明していない現状では、潜在的な脅威である可能性が最も高い人物なのだ。

「お褒めいただきどーも。けど、今のはほんのお遊びだ。心配には及ばねぇ。それよか、テメェは幼馴染の面倒を見てやったらどうだ? 天下の篠ノ乃束博士の妹となりゃあ、ISなんて自転車よりも簡単に乗りこなせるだろ? あン?」

 俺たちが所属している研究所の情報分析官のレポートには、彼女は要人保護プログラムを適応され、ほとんど一般人同然の生活をしていたと記載されていた。IS稼働時間は実質〇時間であることも。つまり、これは完全な皮肉だった。おそらく彼女はISに関して素人も同然だ。無論、世界中の核ミサイルシステムを同時に多数ハッキングできるような情報改竄力を持つ篠ノ乃博士が彼女の経歴に手を加えた可能性も否定できないので、この挑発にはカマかけの意味合いもあるのだろうが。

 事の真偽はすぐに判明した。ダンッと物凄い勢いでテーブルに手を叩きつけて、篠ノ乃が立ち上がり、トレーを持つと何も言わず足早に去っていった。俯いていたので表情は見えなかった。

「悪い。箒も色々あってさ、ISや束さんに対しては思うところがあるみたいなんだ」

「……こっちこそすまん。尖寺が言い過ぎた」

 当人たちを抜きにして、代理人同士が謝罪し合う。尖寺は鼻を鳴らして立ち上がると、食器を片付けてそのまま食堂を出ていった。

 時計を見れば、午後の授業の開始まで残り一〇分を切っている。

 一人でゆっくり取るつもりだったのだが、妙に疲れる昼食となってしまった。

 

 

 

 本日の全授業と帰りのSHRが終わった。IS学園は初日からガッツリと授業を行うらしく、入学初日ということで朝からエネルギーを過剰に消費していたクラスメイトの幾人かは見るも無残なグロッキー状態を晒している。それでも、大抵の人間はこれから始まる新生活に胸を膨らませているようで、連れだって足早に寮に向かっていた。

 そういえば、俺たちもIS学園に入学した以上、寮生活になると社長から聞かされていた。まさか男子用に新築されるわけでもないだろうから、あの女子たちと生活空間が被ってしまうことは我慢せねばなるまい。肩身が狭そうだ。

「え~、男子の四人は集まって下さーい」

 呑気な声が教室内に響いた。抑えた声でもよく通る織斑千冬のそれとは対照的に、相当な大声を上げているはずなのに教室の喧騒にかき消されそうになっていた。教卓の横で、山……山、そうだ、山岸先生が紙束を持った手を振っている。空いた手を口の横に沿えて、軽く飛び跳ねながら。その挙動に合わせて胸部が上下に激しく揺れていた。

 山岸先生の迫力にあてられたのか、前列の女子の幾人かが舌打ちをする。織斑は馬鹿正直に顔を上下に動かしていた。

 まさか無視するわけにもいかない。立ち上がって織斑の肩を軽くたたき、縦振り子運動を停止させ、二人が集まるのを待つ。

「えっと、今から皆さんの寮の部屋が載っている紙を渡します。寮生活上の規則や注意事項等も記載されているので一度は目を通しておいてくださいね。特に個室にお手洗いがないので、きちんと確認しておくといいと思います」

 山岸先生がプリントに書かれた名前を確認した上で、それぞれに渡していく。

「ありがとうございます、山田先生」

 ……山田先生から渡されるプリントを三人が黙って受け取る中、平田だけが礼を言って受け取っていた。クラスメイトに向けるものとは微妙に違う笑顔を添えることも忘れていない。

「い、いえいえいえ、先生として当然ですから……!!」

 分かりやすく頬を染めて手を胸の前で振る山田先生。平田は本当にすごい。なんというか、IS風に例えるならば、最上級の機体を配給されてその性能を存分に引き出している感じだ。尖寺や織斑とは違い、持ち腐れにしている宝がない。ちなみに俺はそもそも宝を持っていない。

「俺と錐が同じ部屋みたいだね。よろしく」

「へいへい」

「ってことは、俺と真流が同室か……」

「違うみたいだぞ」

 他の三人が俺のプリントを覗き込む。織斑と自分のプリントに書かれた部屋番号はおそらく位置関係は近いと予測できるものだったが、別のものだ。ミスプリントだろうか。

「あのー、そのことなんですが、どうやら諸事情があったみたいで織斑くんと円くんの部屋は別々みたいなんです」

 山田先生が心底申し訳なさそうに事情を説明する。

「えー」

「全く問題ありません」

 ごねる一夏とは逆に、俺の心境は暗澹たる曇天が割れ湖沼に一筋の光明が差し込んだかのようだった。まさか一人部屋を貰えるとは。

「露骨に嬉しそうにしてるなぁ」

「……そうか?」

「ちぇっ、徹夜でゲームとかできると思ったんだけどなぁ」

「お、織斑くん、消灯時間はちゃんと守ってくださいね?」

 一通りの説明を終えた山田先生は「それでは、節度を守って学校生活を楽しんでください」と笑顔で挨拶をして教室を出ていった。俺たちも各々の席に戻って帰り支度を始める。

 それにしても、一人部屋とは僥倖だ。研究所でも二人部屋が基本だったので人生初の完全な自室ということになる。

 正直、珍しく心が躍った。

 

 

 

 事務室に預けていた荷物を受け取って、俺たちの部屋がある寮内に入る。尖寺と平田は二階、俺と織斑は一階の西側だ。既に廊下や談話スペースはラフな格好をした女子が溢れかえっている。織斑は露骨にそれらを意識して歩きがぎこちなくなっていた。俺は天井の電灯を眺めてそれらを視界に容れないよう努める。

 先に織斑の部屋へと着いた。「じゃ、夕食は一緒に食おうぜ」と言って織斑は室内に消える。拒否の返事は想定していないらしい。一人になった途端、女子から向けられる視線に棘が増えた気がした。挙動不審にならぬよう俺も少しだけ早歩きになって、自室を見つけ出す。

 急ぎカードキーをドア脇のセキュリティパネルに通すと、プシュッと空気が抜けるような音がして金属製の薄い扉が横にスライドした。

「は?」

 思わず間抜けな声が漏れる。これから俺の城となるはずの部屋には、何故か物があふれていた。豪勢なくらいに備え付けの家具家電があったというわけでは決してない。小型の工具や液晶ディスプレイに無数のケーブル、作業用ゴーグルに俺も目を通したことくらいはある機械工学分野の専門書たち、果ては明らかにISの肩パーツらしきものまで無造作に床やベッドに投げ出されているのだ。工船が幽霊船化したかのような有り様だった。

 廊下に立っているのもなんなので、とりあえず足音を殺して入室する。人が通過したことを察知したセンサーが自動で扉を閉めた。

 廊下からの雑音が妨げられ、俺のいる空間には黙りこくった静物しかいなくなる。

 他を知らないから断言はできないが、そこは天下のIS学園。学生寮としては破格の設備なのだろう。だがまさか、こんな雑多なアメニティまで付属するものだろうか。

「そんなわけがあるか」

 室内の汚さに混乱して湧いた馬鹿な考えを一蹴する。普通に考えて、俺以外の居住者がいるだけだ。夢の一人部屋計画が見事に打ち砕かれる。

 少しだけ冷静になった意識が、五感から送られた情報を冷静に処理し始め、洗面所らしきドアの方から微かにドライヤーの音がすることと、次の瞬間にそれが消えたことを捉えた。どうやらルームメイトがシャワーを浴びていたようだ。

 横ノブが九時から六時の位置にその突端を移動して、ゆっくりとドアが開かれた。

 出てきたのは首に真っ白いタオルをかけた、淡い髪色の女子だった。風呂上りらしく頬が上気しており、ビッグ・アンビション・インダストリアル社製の小型ディスプレイ内臓レンズ眼鏡のレディースモデル(完全防水)には髪から飛び散った水滴が付着している。その向こうの瞳は血液が凝固したのかと勘違いさせるほどに赤い。そして、何より目を惹くのは、まっ白な肌だ。両者の距離は三メートルを切っているので、その肌が大変きめ細かいものであることは子細に観察できた。

 そう、観察できてしまった。

 ルームメイトであろう女子生徒は、あろうことか首にかかった長めのタオル以外に何も身にまとっていなかったのだ。

「……」

「……」

 そのままの姿勢で数秒間見つめ合う。生まれた不思議な緊張感は、想定外の遭遇を果たした敵対する兵士同士のそれだった。

 全ての音が消え、永遠にも感じられる数秒の後、女子生徒は悲鳴も上げずにこちらに背を向けてしゃがみこんだ。タオルをかき抱くようにして体の前面に持っているので、後ろ姿だけなら一見全裸だった。形のいい臀部が丸見えになっている。

「出てって」

「……ん?」

「出てってって言ってるの。き、聴こえてるでしょ?」

「あ、あぁすまん」

 どもってはいるが怒りや焦りの色がない。懇願ではなく命令だった。慌てて手荷物を床に放り出して、自動ドアにぶつからんばかりの勢いで廊下に飛び出す。すると、ほぼ同時に織斑が部屋から飛び出してくるのが見えた。その勢いには鬼気迫るものがある。反対側の廊下に背中から激突せんばかりの慌てぶりだ。そして、それを追尾するように部屋からは木刀が真っ直ぐ地面に対して平行に飛び出てきた。

 咄嗟に『緊急時反射発動(エマージェンシー・カウンター・コール)』による念動力が発動して、その木刀を織斑の鼻先数ミリのところで止める。寸でのところで危機を回避し、廊下に転がった木刀を見下ろした織斑は、とても情けない顔で俺の方を見つめてきた

 多分、俺も似たような顔をしているに違いない。

 この後、俺たちに待ち受けていることを想像すると億劫だった。目頭を押さえて、流れ出そうになる液体を留める。ドアにつけた背が疲労と重力に引っ張られて、ズルズルと落ちていった。

 今日は疲れた。

 

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