インフィニット・ストラトス~もうひとつの翼~ 作:勿怪の幸い丸
口調等に違和感があるかもしれませんが、ご容赦ください。
どうしても違和感が拭い去れないというときは、ご報告いただければ
検討した上でできうる限り対処いたします。
入学して四日が過ぎた。
本日は金曜日。IS学園での初週が終わろうとしている。校内――特に一年生の教室がある棟と昼休みの食堂は喧しく、新生活の浮ついた足取りはいまだその鳴りを潜めていない。
この四日間で実に様々なことがあった。周囲のいざこざは言うに及ばず、俺自身にもIS学園の洗礼は区別なく降り注いだ。
衝撃的な初対面を果たした俺のルームメイトは、名を更識簪というらしい。やっとのことで許可を得て入室したとき、彼女は当然ながら簡素な部屋着を着て、何故か手には鈍色の光を放つ多角スパナが握っていた。
俺はできるだけ警戒心を抱かせないように、きちんと身分が保証された生徒であることを説明して、そのスパナが不審者の頭のねじを締め直そうとする事態をかろうじて防いだ。言葉に詰まる度に、彼女の手がスパナを握りしめるので心臓に悪かった。その後も俺の生活スペースを空けるための大掃除、共に生活する上での取り決め事リストの作成と、俺がシャワーを浴びれるようになった頃には既に夜が明けていた。
暮してみて実感したのは、同級生の女子と生活空間を共にするというのはシンプルに苦痛だということだ。シャワーの時間や着替えは明確に時間を決めてしか行えないし、寝転んでいびきをかくことすら容易ではない。夜中にトイレへ起きるときも基本的に電灯をつけることはできないし、更にいえば居室にトイレが付設していないので男子は校舎のトイレを利用するしかない。その不便には凄まじいものがあり、三日目には真剣にオムツの購入を検討したほどだ。慣れれば変わるのかもしれないが、いまだに更識がシャワーを浴びる間は自主的に寮棟端の自販機スペースで時間を潰している。
唯一の救いは更識が俺と同様にコミュニケーションに積極性を発揮しないタイプだったことだろうか。沈黙が苦痛ではあるが、その苦痛を緩和するために会話するという選択肢を取らない。二人とも個々人で何かしらの作業に没入して、他者がいる事実から目を背けられる人間だった。俺も研究所から送られてくるメールを処理しなければならないので、その点は不幸中の幸いだと言えるだろう。
そのような感じで、ほとんど常に室内は無言だ。それゆえに防音性を貫いて、篠ノ乃から折檻を受ける織斑の絶叫がよく響く。これも慣れれば、秋の夜を彩る虫の鳴き声の如く風情あるものになるに違いない。一度だけこの奇怪な現象の原理を更識に説明したことがあるが、彼女は興味なさそうに「そう」と呟いただけだった。
一方、教室ではあの日以来、尖寺とオルコットの口汚い応酬が時折開催されている。例を挙げると、
「尖寺、お前はよほど頭がいいのか。先程から一切教科書を開く気配すらないが」
「俺たち、IS使えないんで。実戦ならともかくISの技術史なんて聞いても意味ないんすよね」
「た「はぁー! やっぱりお猿さんですのね! 授業一つまともに聴くことができないなんて……」……だそうだ」
「うっせえな。一々絡んでくんなよ」
「あら、わたくしは授業の進行を妨害する輩を注意して差し上げただけですわ。絡むなどと、そのような野蛮な行為と一緒くたにされては困りますわね」
「そんなに授業が大事か。じゃあ、それ。黒板に書いてある、第二世代型を可能とした技術である『汎用性武器系統統御システム』の基礎理論を発表した人物を答えてみろよ」
「あまり馬鹿にしないで下さる? そんなもの篠ノ乃束博士に決まっていますわ」
「……間違ってんじゃねぇか。発表者はレツィカ・シルベルトだぞ。特許権を持っているのは確かに篠ノ乃束だが」
「はぁ!? ……お、織斑先生!」
「……正解したのは尖寺だ」
「はっ」
「ぐぬぬ……」
「自分の優位を根拠なく勘違いすることにかけては一流だな、ファッキンライミーさんよぉ」
「な、なんたる侮辱……!」
「お前ら、よほど元気が有り余っているらしいな。いいだろう。放課後に特別補習をつけてやる。私が直々に三時間みっちり徒手格闘訓練に付き合ってやる。楽しみにしておけ」
とか、
「あー、来週、家庭科の授業があるんだっけ。なんか、IS学園までそんなことやらせるのって感じじゃない?」
「中学校ではやってたけど、今時女だから家事できなきゃってのもねぇ。……そいえば、セシリアさんって貴族なんでしょ。やっぱりおうちに召使さんとかいる感じ?」
「そうですわね。本邸の方には常時給仕と庭師、料理人もおりましたわ。それとは別に、わたくしの身の回りの世話は幼馴染でもあるチェルシーに任せているのですけれど」
「ほへぇー、すっごい。めっちゃ別世界だわ」
「じゃあ、料理も初めて?」
「えぇ、恥ずかしながら」
「おいおい、そんな上流階級の余裕を見せてないで、マジで恥ずかしがった方がいいぞ」
「あら、相も変わらず野卑な声ですこと。日本男児とやらの野卑な価値観はもう聞き飽きましたの」
「聞きたくねぇなら、さっさと俺の席からその汚ねぇケツを下ろせ」
「ッ!! 女性に向かってその下品な口ぶり、かんっぜんにセクハラですわ!」
「黙れ。セクハラ受けてんのはこっちだろ。早急にその下劣でダルンダルンな牛みてぇなケツを俺の机からどけろ。クソの臭いが移る」
「この、サノ××××!!!!」
「んだと、ア△▼△」
こんな感じだ。オルコットから絡むことが多いが、尖寺からふっかけることもないではない。尖寺に言わせれば、オルコットは「口の悪いじめじめと陰険で過去の功績に縋るしかない斜陽国家の鳥頭ライミー」だそうだ。オルコットも今までの喧嘩の内容を見る限り、この罵倒の矢印を反対にしたような認識しか持っていないだろう。犬猿ではなく、猿同士の喧嘩に近いものがあった。
意外だったのは、最初は織斑を擁立していたくせに、時が経つにつれてオルコットにクラス代表選出戦の激励を送るクラスメイトが増え始めたことだ。俺はその原因を、尖寺とオルコットの対立という図式が、喧嘩の内容のせいで男子対女子という極めて大枠の勝負に塗り替わったからだろうと推測している。小学校の教室でよく開催されるあれだ。
更に付け加えるなれば、クラス代表戦の副賞が食堂のデザート一年間分無料だと明かにされたことも関係しているかもしれない。聞けば、今年の一年生には専用機持ちが少ないとのこと。そこに英国代表候補生のオルコットを送りこめば、優勝は確実だ。女子は甘味を摂取するためだけのBETSUBARAなる消化器官を有していると言われているし、むしろこっちが本命だろうか。かく言う俺もデザート食べ放題という惹句には魅力を感じざるを得ない。
平田は相変わらず女子とうまくやっているようだ。寮の廊下で織斑派と平田派の女子が激しい論争を交わしているのを見たことがある。
織斑はクラス代表選に向けて自主練に明け暮れているようだ。今も昼休み返上で、篠ノ乃と棒振りに勤しんでいる。
尖寺は今日の朝に学園を出た。別に退学になったわけではない。春休み中に終わらなかった調整をするため、本社の方に出張中なだけである。
ゆえにというわけではないが、俺は今日も一人で昼飯を食べている。お気に入りのカツとじを二皿、ネギを山のようにトッピングしたラーメンを平らげて、今はBLTサンドを頬張っている。
「よく食べるねぇ。そんな君にこれを進呈しよう」
「……いただこう」
「あっはっは。どーぞどーぞ」
うっすらと笑みを張り付けた平田が、俺の前に一〇個ほどがピラミッドを形作っているブリトーを置いた。これは自販機で売っている品だ。味は絶品でIS学園の意地と矜持が垣間見える。
「珍しいな。今日は女子と食べないのか」
「たまには男同士で絆を深めるのもいいだろう?」
「日を改めた方がいいんじゃないか。俺一人しかいないと効率が悪い」
「まぁまぁ。そうつれないことを言わずに」
平田は白身魚のフライがサンドされたハンバーガーにかぶりつく。トレーの上にはそれとジュースしか乗っていない。砂漠に生えるサボテンを思わせる燃費の良さだ。こいつにはおよそ棘と呼べるものはついていないが。
「錐はもう着いたかな」
「多分な」
「それにしても、ここは不便だねぇ。研究所の方にはあれだけ置いてあった機械が一つしかないなんて。おかげで春休みは交代で調整をする羽目になった」
「仕方ないだろう。予算じゃなくて法律の問題だ」
「俺たちの体の根幹を支えるマシーンが、国の法律で規制されてるとは。なんとも切ない話じゃないか」
「そうか?」
より正確には機器そのものではなく、そこに使用されている技術のいくつかが法に抵触しているのだ。
「心理的な問題というより情緒的な問題だから、君には難しいかもね」
「かもな」
「いや、そこは否定しようよ……」
BLTサンドを二口で飲み込んで、山盛りのブリトーに取りかかる。
「そうえば、聞いたかい? 錐が春休み中に調整できなかった理由」
「……博士から少しだけ」
「意外だな。あの人はそういうのに興味がないと思ってた」
「あの人は自分の悪口を聞くのは嫌いだが、他人の醜聞を聞くのは大好きなんだ」
「訂正。あの人らしいね」
平田は笑みを少しだけ深くした。
博士から聞かされた尖寺の過去。とある事件で両親と妹を亡くし、天涯孤独。現在の身よりは研究所にある。その尖寺が先日、一〇年ぶりに家族と連絡を取ったらしい。尖寺が連絡できなかった状況にいたのもあるが、親戚たちからは死人扱いされていた。身内での了解などではなく、本当に役所へ死亡届を出され受理されている。それが突然、帰ってきたのだから騒ぎになるのは当然だった。
「直接会いもしたらしいけど、やりとりはほとんど弁護士を通してだったらしい」
「弁護士?」
「遺産だよ」
ブリトーを咀嚼する口が止まる。
平田の笑みは最初よりも薄くなっていた。
「事件があってから、もう十年弱も経っているんだ。錐の親族一同はもう既に彼の両親の遺産を納得ずくで分配している。食後にパイの権利を主張されても困るってことだろうね。明らかに彼の生存を面倒事だと認識している」
そんなことあるはずはないと驚愕する気も、なんて奴らだと糾弾する義憤も湧きはしない。まぁそうだろうなという感想があるだけだった。
「事前に連絡をしたときはもう彼の生家は残っていないと言っていたらしいけど、研究所の調査員が調べたら丸のまま残っていて、どうやら尖寺の伯母夫婦が子どもと住んでいるらしい。彼らが代表して弁護士を立てているみたいだ」
平田のハンバーガーを食べるスピードが上がった。ジュースをすすり、乱暴なくらいに強くフライを噛みちぎる。
「錐は生家だけでも返してほしいって思っているみたいだよ。相手も馬鹿じゃないから、尖寺の身辺がきな臭いって分かって、法廷闘争をチラつかせてる。中途半端に鼻が利くってもの困りもんだね」
「……で、尖寺はどうするって?」
あまり興味は湧かなかったが、話を進めるために相槌を入れる。
「分からない。俺も詳しいことは聞いてないよ。腹に据えかねてはいるだろうけど、錐はあれで相手方の言い分を全否定するほどの分からず屋でもないからねぇ。案外、さっさと手を引くんじゃないのかな。あまり騒ぎになると研究所にも迷惑がかかる」
「……納得していない感じだな」
「バレた?」
平田はからっと笑い、ハンバーガーの最後のひとかけらを口に放り込んだ。無理矢理に楽しそうにしている。胸中の憤懣を封じ込めるために、朗らか粒子を生産する爽やか機構が無理に稼働しているようだった。
俺はというと、心の底からどうでもよかった。尖寺がどうしても生家を取り返したいと言うならば手伝えることはしてやるし、研究所の被る迷惑を顧みずに裁判を断行しても別段不満には思わない。対処の仕様はいくらでもある。けれど、平田のように義憤を抱いているかと問われれば、答えは完全にNOだった。
俺たちは魔術士という最先端科学の産物だが、それは同時に政府認可なんてクソくらえの実験動物であるということを意味している。現代社会でそのような立場に置かれる人間なんて限られているのだから、おのずから境遇や背景は似通ってくる。
誰がなんと思おうが、研究所にはそのくらいの悲劇は溢れていた。一般的な背景しか持たない平田の方が例外なのだ。
「と、まぁジメジメした噂話はこのくらいにして。実は折り入ってお願いがあるんだ」
「そっちが本命か……」
ということにしておこう。
「それは報酬の前払いってことで」
「……返却は?」
「クーリングオフは効きません。って、そんな警戒しなくていいよ。単純に今日の貨物搬入が手伝えなくなったってだけだから」
「なんだ、そんなことか。だったらいい。元々、一人でやるつもりだった」
今日の午後、海路で魔術士用の装備が送られてくるのだ。審査に通ったものだけだから、大型のものはない。魔術を使えば運べるものばかりだ。明日の午前中には箱出しまで終わるだろう。
「部活動見学とお出掛けに誘われちゃってさ。今日だけで四つ、明日の午前中に三つ回らなきゃいけないんだ。で、明日の午後はクラスメイト数人でIS学園の周りの商業施設を視察に行こうってことになった」
「忙しいな」
「あはは、嫌味かな?」
平田はそう笑って、立ち上がる。俺もブリトーを食べ終わったのでテキパキと片付けに入る
「俺は教室に戻るけど……」
「俺はランチセットを買いに行く」
「……まだ食べるの?」
「違う。織斑から二人分の昼飯を買ってくるように頼まれてるんだ」
「あー、二人っきりで特訓中らしいね、あの二人。朱鷺呼さんたちが噂してたよ」
「そうか」
多分、クラスメイトなのだろう。適当に頷いておく。
「あ、日曜は空けておいてくれ。装備の調整をしたい」
「了解。悪いね、色々と」
「別にいい」
今日は教師陣の研修会があるだとかで、午後には授業が入っていない。一部の若手を除いて先生もおらず、一年生にとっては入学以来初めての週末ということで、学園内はいつにも増して浮かれ調子だった。その雰囲気にあてられたのか、俺は柄にもなく織斑の自主練を手伝ってしまい、更識が机に座って鬼気迫る様子で作業をしている自室に戻った頃には、荷物(パッケージ)搬入の定刻を一〇分も過ぎていた。
IS学園は人工島なので、荷物の搬入は基本的に海路で行われる。生徒宛ての手包みなども一度港に併設された検査所で調べてから個人に贈られるという徹底ぶりだ。
しかし、俺たち宛ての荷物は特別な貨物コンテナに収容されており、日本政府から金印を押された通達書が出ている。通常の検疫などは全てパスすることができるという代物だ。運送会社の職員に遅刻を詫び、分かりやすいように黒く塗装された貨物コンテナをIS学園の第七実験倉庫に運んでもらった。この実験設備を備えた倉庫も俺たちの所属する会社がIS学園と交渉して手配したものである。至れり尽くせりだった。どうせなら、もうちょっと俺の部屋割りにも配慮してほしかったものである。
直方体の短辺にあるセキュリティパネルのスイッチを入れ、虹彩スキャンと音声認識、最後にカードキーでの認証を行う。すると、左側の面が車のトランクのようにパッカリと開く。そちらに回って、しばらくの間、内容物を眺めた。
「さて、やるか」
決戦は週明けの月曜日。
やることは多い。頑張ろう。
「生徒の呼び出しをします。一年一組所属の円真流くん。一年一組の円真流くん。至急、生徒会室に来てください。繰り返します。一年一組の円新流くんは至急本部棟三階の生徒会室に来るように」
作業開始から二時間ほど経ちそろそろ休憩しようと思っていると、校内放送で名前を呼ばれた。今のはおそらく山……山野先生だろう。彼女は居残り組だと聞いていた。
この手の放送の例に漏れず、至急とのお達しだった。急いで作業服から制服に着替えて整備倉庫を出る。ここから本部棟まではかなりの距離がある。急な呼び出しゆえに相手を待たせて不興を買うことはないだろうが、本日既に一度人を待たせた経験があるからか、自然と小走りになった。
それにしても、生徒会室への召喚とは。職員室ではなく生徒会室。しかも俺を名指しである。これが織斑以外の男子三人なら分からないでもない。噂では、IS学園の生徒会及び生徒会長は教師や理事と同等かそれ以上の裁量を持つが、その分学園を守るという義務を背負っていると聞く。それが鉄則なのか、努力義務事項なのか、それとも唯の心構えなのかは知らないが、俺たちに目を付けるのは当然の成り行きだろう。
方向感覚や地理の覚えはいいので、比較的時間のロスが少なく本部棟に着いた。
教師や事務員が出払っているせいか、本部棟にはほとんど人の気配がない。真昼間とはいえ、人のいない校舎はそこはかとなく不気味だった。
汗を引かせるために階段はできるだけゆっくりと歩いて登り、三階の踊り場で立ち止まって壁に寄りかかる。放送の直後には思い至らなかったが、呼び出しの相手が相手だ。いきなり囲まれて滅多打ちにされる危険性はないにしても、多少は気合を入れて対峙するべきだろう。
できるだけ深く深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。
最後の階段を一段一段しっかりと踏みしめて上り、廊下は足音が響かぬようにすり足気味に歩く。二つ目のディスプレイ型ドアプレートに生徒会室と書かれていた。
ノックをしようと扉の前に手を持っていったところで、中から「開いてるわ」と声がした。問いかけ自体を制す
るように返事をされ、身体が硬直して寸前で手が止まる。廊下に監視カメラでも私設しているのか。
帰りたくなってきた。
が、入室を促されておいて回れ右をするわけにも行かない。一歩踏み出そうとすると、プシュッと音を立ててドアが開く。
「失礼します」
室内は薄暗い。光源は窓から入ってくる午後の陽光だけだ。強い日差しに照らされた空間にはきらきらと埃が舞っている。
生徒会室というからには役員が雁首揃えて事務作業でもしているものと思っていたが、予想に反して机には誰一人座っていなかった。入室の許可を与えた人物だけが、部屋の奥で重厚な造りの机に腰かけている。
その人物と、目が合う。薄暗闇の中で双眸が暗く輝いている。
「こんにちは、暖かくて過ごしやすい午後ね。貴方が円真流くん、でよかったのかしら?」
「……えぇ、俺、僕が円真流です」
「そう。人違いじゃなくて良かったわ。貴方が先生からのお使いだったりしたら、格好つけたのがはずかしくなっちゃうもの」
陽光の届かぬ部屋の奥から、声の主が一歩だけ前に出る。身体の半分だけが日に照らされ、うっすらと見えていたその容貌が明らかになる。知らず喉が鳴った。
その女子は俺のルームメイトの更識簪と瓜二つの顔をしていた。
「自己紹介が遅れたわね。私は更識楯無。IS学園で生徒会長をやらせてもらっています。円真流くん、生徒を代表して祝辞を送りましょう。入学おめでとう。貴方を心から歓迎します」
胸の前でパッと扇子が広げられた。そこには見事な行書体で「うぇるかむ」と記されている。
「それとも、こう自己紹介した方が良かったかしら。一年四組の更識簪、つまり貴方のルームメイトのお姉さんよ」
どうやらそういうことらしい。なるほど。更識簪の姉で生徒会長か。言われてみれば、顔は瓜二つだが、そこに浮かんでいる表情はほとんど一八〇度真逆だった。髪型もちょっと違う。具体的にどこがと言われるとあれだが、こう、全体的にすっきりした感じだ。
「ふふっ、その表情から察するに、生徒会長の顔を知らなかったわね。駄目よ、自分が通っている学校のアタマくらい知ってなくちゃ」
「諸事情あって入学式に出席できなかったもので。すいません」
「ふっふ、許しましょう。でも、簪ちゃんの姉だなんて、そんな自己紹介は久しぶりにしたわね。これも感謝しておこうかしら」
また一歩、生徒会長が俺の方へ近寄ってくる。今度は完全に暗がりから脱して、全身が白日の下にさらけ出された。
「……も?」
「えぇ」
短く肯定の返事をしただけで、生徒会長は俺の疑問には答えなかった。代わりとばかりに、ルームメイトと同じ紅色の瞳が真っ直ぐに俺の方を見つめている。自ずと俺の目線は相手を逸れて、部屋の奥へ。
無言が続く。俺は今、敵の牙城に呼び出され、その城主に対面で眼差しを注がれている。居心地は最悪だった。
「……ご用件は?」
「んー?」
「至急とのことだったので。ご用件を窺ってもいいですか」
「ふふふ、固いなぁ。緊張してるの?」
真剣だった表情が一転して、にんまりと口角が上がった。実物を見たことはないが、あの誑かしを生業とするチュシャ猫はこんな風に笑うに違いない。
「用件は?」
「そんなに焦らない焦らない。せっかちな男の子は嫌われるわよ?」
「月曜日のことですか」
「あら、私は何も言ってないけど?」
扇子で口元が隠される。見えるのは鼻から上だけだが、目はこれでもかというくらいに細まっていた。
「まぁでも、そうね。貴方が今週と来週、どちらを指しているかは分からないけれど、概ね当たりよ」
やったね、と扇子を持っていない方の人差し指で自分の目元を指す生徒会長。
「生徒会長としては貴方たちが行った宣言の真意を聞かざるを得ないの。結構、不安がっている生徒がいるのよ。生徒会室へも嘆願書が届いたわ。素性不明の男子がいきなり喚き散らして、意味不明なことを言っているってね。他にも、食堂で妙な悪戯をしているって噂も流れているわ」
「……弁明しろと?」
「事情くらいは聞かせてもらいたいわね。あ、その悪戯っていうのを実演してくれてもいいわよ?」
「遠慮しておきます」
「えー、ぶーぶー。織斑くんたちには見せたんでしょう? 私も見たいなー」
生徒会長は分かりやすく頬を膨らませて、手短な机に座った。それでもなお崩れぬ美貌と漂う嫋やかさは素直にすごいと思った。
「詳細は先月に行われた記者会見を見てください。おそらく動画サイトか、ニュースサイトに上がっているはずですから」
「螺旋堂研究所のISに代わる新世代ヒト強化型ヒューマノイド開発技術の発表、でしょう? それだったらもう視聴済みよ」
検索ワードを諳んじようと開いた口が、自然に閉じていく。尖寺はクラスメイトの無知を貶すためその存在を仄めかしていたが、俺たち魔術士に関する情報は食堂で織斑に伝えたくらいのものならば研究所が既にニュースとして公表している。
しかし、それは本社が日本にあるというだけで、全く無名の会社が場末のオフィスビルの一室で行った記者会見だ。記事の八割が怪しげな超常現象や裏社会事情について記したような科学情報雑誌の記者くらいしか来ていない。ニュースサイトに掲載された記事だって、寄せられた数件のコメントもジョークとしてその情報を捉えているものばかりだった。
「ふふっ、驚いた? 職業柄、その手のニュースには必ず目を通すようにしているの。まぁ、私も実際に貴方たちが転校してくるまでは欠片も信じていなかったけれど」
「……」
「上に掛け合ってみたけれど、学園長を始めとして理事は全員口を閉ざしてばっかり。しかも、理事の半分と先生方は話を聞いてみた限り、何も知らされてないみたい」
とん。
どういう風に身体を動かしたのか、俺の足でも確実に数歩はあった間合いを一回の着地で詰められる。生徒会長が至近距離で俺の顔を覗く。身長は俺の方が高い、身長は。
雲に日差しが遮られて、室内は一気に暗所となった。
「はっきり言って、異常よ。IS学園に技術者枠でもない男が入学したってだけでもおかしいのに、その男子たちは堂々と『ISを倒す』と宣っている。これが本気ならば、学園長と事情を知っている理事たちは外患を誘致したことになるわ。IS学園がアラスカ条約を基底に設立されたことを考えると、それを脅かす行為は明確な国際条約違反でもある」
「……それは、大変ですね」
首に渾身の力を入れて、なんとか目を見つめ返して、それだけを口にする。精一杯の皮肉を言ったつもりだったが、生徒会長は微笑み返してきた。
「そう、大変なの。だから、貴方に力を貸してほしいのよ」
「……は、い?」
「だから、貴方に私の味方になって欲しいの」
「何を言ってるんですか、味方とか敵とか……」
「あら、貴方たちはこの学園でISを倒すんでしょう?」
血のように朱い眼が、妖しくきらめく。
「IS学園において、生徒会長は絶対無敵にして常在戦場。この学園でISを倒すっていうのは、それすなわち私を倒すということよ」
閉じられた扇子の先端が俺の胸元を突く。鉄扇でもない木製のそれが今は銃口よりも恐ろしい。
「貴方たちにどういう計画があるにしても、いずれは私と干戈を交えることになる。違う?」
「……」
「でも、私だってドンパチ銃砲を撃ちあうのが好きなわけじゃないから、こうして穏便に解決できる方法を模索しているっていうわけ」
それとも、と生徒会長は身を乗り出して俺の耳元に口を寄せる。水色に輝く髪が俺の首を撫ぜた。後頭部にかけて嫌なくすぐったさが電流となって走る。
「――今ここでやっちゃう?」
耐えきれずに、数歩下がる。
生徒会長は追ってこなかった。俺がここを訪れたときと同じ不敵かつ自然な微笑みを向けてくるだけだった。
「一つ、訊かせてください」
「いいわよ」
「どうして、俺なんですか?」
「それはもちろん、お姉さんの好みのタイプだったから――」
一刻も早くこの部屋から出て行きたい。冗談に付き合っていないで、さっさと用件を終わらせよう。
「与しやすそうだから、ですか」
「あら、どうして分かったの?」
「よく外見は狸のくせに腹芸ができないと言われるので」
「ふふっ」
それと、信念や拘りがないとも。この人にはお見通しなのだろう。
「どちらにせよ、答えは拒否です」
「えぇ~、こんな綺麗なお姉さんが誘ってあげてるのに?」
見目がいいのは否定しないが、これは毒虫の極彩色だ。その手のことに疎い俺でもそれくらい分かる。
「それなら平田を誘った方がいいと思います。あいつは女性が好きです。あとイケメンです」
「仲間なんでしょうに、冷たいくらいとってつけた評価ねぇ。悪いけど、あの人はお姉さんのタイプじゃないかな」
「だったら、尖寺はどうですか。実質、俺たち三人のリーダーです」
「へぇ、それは初耳ね」
生徒会長が閉じた扇子を唇に当て、少しの間考え込む素振りを見せる。
「うん。彼でもいいけれど、暫定的にはやっぱり貴方が第一候補かな。というわけで、ケー番とメアドを交換しましょう」
「嫌で――じゃなくて、携帯を部屋に忘れてきました。すいません」
「んふー、貴方も結構いい性格しているわね。ボディチェックしてもいいかしら?」
「どうぞ」
両手を広げて、身の潔白をアピールする。なんとか平静を取り戻し始めている。このまま速やかに退室したい。
「ま、生徒会長の尋問としてはこのくらいにしておきましょ。こっからは更識簪の姉、一人の先輩として質問しちゃおうかしら」
「……」
帰りたい。
「もうちょっと表情を取り繕ってくれると、お姉さんとしても嬉しいなー。あ、連絡先を教えてくれるなら帰ってもいいわよ?」
「……質問どうぞ」
「そうねぇ、じゃあ定番の質問を一つだけ。もう学校生活には慣れた?」
「えぇ、それなりに」
「無難な答えね。聞き方を変えるわ。寮生活なんかが始まったわけだけど、ホームシックには罹っていない? 結構多いのよねぇ、初めて親元から離れて自分でも予想外にマイホームが恋しくなっちゃう子」
「……特には」
「本当に? お父さんや、特にお母さんに会いたくならない?」
お姉さんが慰めに行ってあげようか、と生徒会長はまなじりを下げて上目遣いにこちらを見た。
俺には答えにくい質問だ。この人はどこまで俺についての情報を入手しているのだろうか。それとも、俺が過敏になっているだけで、単純に一般的な範囲での質問をされているだけなのだろうか。
「遠慮しておきます。幸いなことに一人が平気な体質のようなので」
「それは重畳。寂しさを暴走させて簪ちゃんに襲いかかったりもなさそうね」
「当たり前でしょう」
「あら、簪ちゃんってかなりそそる見た目と性格してると思うんだけど」
「……」
「図星?」
「違います。特に意見がないのでノーコメントだっただけです」
「そっかー。むふふ」
あまりの会話の緩急にもう体の節々が限界だった。直立しているだけでも体力と精神力が真夏に鞄へ突っ込んだチョコバーのごとく溶けていく。
「あ、念のために言っておくけど、簪ちゃんと仲良くなるのは一向に構わないわ。け・れ・ど、おいたは駄目よ。そこはくれぐれも留意すること。どうしても我慢できないときはお姉さんに電話ちょうだい」
再びにっこりと生徒会長は笑い、閉じていた扇子を開いた。そこには「安心信託?」と書かれている。
先程までのやり取りのせいでこの人とは対立どころか接触すら避けたいと思っている俺がいる。笑顔ですら空恐ろしい。あの寮を飛び出して、中庭でテント生活をしたいくらいだった。
「分かりました。失礼してもいいですか?」
「オッケー♪ それじゃあ最後に」
まだ何かあるのか。げんなりしつつ、生徒会長の挙動を見守る。会長は軽やかな足取りで机に回り込むと、引き出しを開けて包装された立方体の箱を取り出した。一辺は二〇センチほどだ。爆弾だろうか。
「はい、これは私からの入学祝い。簪ちゃんに渡しても恥ずかしがって素直に受け取ってくれないだろうから、私からだってことは秘密にして、貴方のものとして部屋に飾ってくれると嬉しいわ。あと、私と貴方がここで会話したことは二人だけの秘密よ。簪ちゃん、きっと嫉妬しちゃうから」
「それだとプレゼントの意味がないのでは……」
「いいの。プレゼントなんて所詮自己満足なんだから」
「……分かりました」
入学祝い(よくてびっくり箱、最悪プラスチック爆弾)を受け取り、一礼してからドアへと向かう。一刻も早く立ち去りたい。礼もそこそこなのは心苦しい部分もあるが、正直なところこの人物に感謝の念は一滴も湧いてこなかった。
そういえば、一つだけ聞いておきたいことがあった。これ以上、この異常者とコミュニケーションをとるのは無意味な疲労を蓄積させるだけだと理性が警告しているが、今日はしてやられてばかりだ。反撃はしたいとも思わないが、せめて何か一つでも情報を持って帰りたい。
「一つだけ、俺からも質問をいいですか?」
「いいわよ。スリーサイズは上から85――「感謝って」――ん?」
「俺に、感謝しているって仰いましたよね」
「あぁ、それね」
彼女は自己紹介の最後に俺もしくは俺たちに対して感謝の念を抱いていると言ったのだ。厄介事でしかない俺たちへの皮肉かとも思ったが、どうしても聞いておきたかった。
結果として、俺はこの質問をしたことを後悔することになる。帰ってきた答えは皮肉ではなかった。皮肉であればどれほど良かっただろう。一瞬だけ爛々と光った目は続く言葉が真実であることを雄弁に告げていた。
「嘘じゃないわよ。貴方たちには感謝の念しかないわ。だって――」
――ここに来て初めて、とっても攻略し甲斐のありそうな課題に出会えたんだもの。
生徒会室を去り一番近い休憩スペースで死に体を晒していると、「真流!」と声をかけられた。テーブルに押しつけていた顔を力づくで引っぺがす。
そこにいたのは平田だった。肩で息をしており、額には数粒の汗が浮かんでいる。部活動見学と聞いていたが、何故ここにいるのだろうか。
「何か飲むか?」
「……スポーツドリンクを貰えるかな」
「了解だ」
自販機でおそらく世界で一番有名なスポーツ飲料を買って、ベンチにもたれかかっている平田に渡す。平田はペットボトルを逆さにするようにして一気に半分ほどを飲んだ。スポーツウェアを着ていることもあって、TVのコマーシャルのようだ。絵になっている。
「生徒会室に呼び出されたそうだね」
「あぁ」
「その様子だと、もう用件は終わった?」
「多分な」
平田は目頭に人差し指と中指を当て、沈痛の面持ちになった。
「油断してたよ。まさか錐がいないときを狙って、君に接触するなんて」
「生徒会室に呼び出されただけだ。事前に聞いたら、付き添いでもしてくれる気だったのか?」
「強がりを言いたいなら、もっとそれっぽく振る舞って欲しいね」
「……」
「ごめん。放送設備がないセパタクロー部の競技スペースにいたから、駆けつけるのに時間がかかった」
「別にいい」
取り繕うつもりはなかったので、再び胸から上を机に押しつけた。
「相当転がされたみたいだね。毒でも盛られたのかい?」
「少なくとも物理的には何も」
「君は腹芸できないからねぇ。呼び出されたのが俺だったら良かったんだけど」
「あの人はそこら辺も調査済みだったみたいだ」
「あの人?」
「生徒会役員はいなかった。いたのは生徒会長だけだ」
「……なるほどね。更識楯無か。豪胆なことだ」
しばらく沈黙。平田がスポーツ飲料で喉を鳴らす。
「君は何も聞かされていないと思うけど、IS学園の生徒会長に関しては、確かな情報がなかったんだ。なんでも去年、学則が改正されて、生徒会長職につく人間が非常に流動的になってしまったらしい。そのせいで、一時期は生徒会長不在で生徒会の業務を回していたって先輩たちから聞いたよ」
「学則の改正……具体的に何があったんだ?」
「生徒会長への挑戦権と、それに対する拒否権のはく奪」
顔だけを平田の方に向けて、疑問を表わす。
「一昨年までは公正な選挙によって生徒会長を選んでいたけど、去年からはそれに加えて生徒会長の義務ともいうべきものが一つ増えた。全校生徒は例外なく生徒会長に対してその座を賭けた勝負を挑むことができるようになったんだ。草案では生徒会長側に拒否権があったんだけど、現行の学則では日時を改めることはできても、挑戦そのものを却下することは不可能になってる」
「無茶苦茶だな」
「そうだよ、無茶苦茶だ。学校の生徒会長とはいえ、集団の代表を選出する方法としては原始的すぎる。結果的に生徒会の権限が大きいIS学園は、一時的に混乱の坩堝となった」
「一時的にって……。待ってくれ。なら、更識生徒会長は……」
「うん。彼女はこの制度を利用して、一年生ながら生徒会長に就任。以後は権限をフルに行使して、役員を改選し、一年以上挑戦者たちを退けてこの学園を治め続けている。強引ともとれるやり方に不満が出なかったわけでもないらしいけど、ロシアの国家代表にして専用機持ちという威光はその全てを実力で焼き尽くした。しかも、その専用機は開発途中で放置されたていたものを、彼女が独自に組み立てたものらしいから驚きだよ」
「ISを組み立てる? あの人、技術者養成枠の特待生か何かなのか」
「バリバリの戦闘枠だそうだよ。一年生時の学年別トーナメントでぶっちぎりの優勝だってさ」
驚嘆すべき経歴だった。というか、あの人、二年生なのか。あの大人っぽい容姿だ。大学生と言われても納得してしまう。
「あと、これは昨日送られてきた情報だけど、更識家は対暗部用暗部の元締め、裏社会の重鎮らしい」
「はぁ?」
「俺も詳しいことは分からないよ。メールにそう書いてあった。あと、深入りするな。できれば、接触すら避けろって」
「遅い……」
もう既に抱き合うくらいの距離に近づいてしまったし、最悪なことにがっつり目をつけられた後だ。
「メールの文面が単語の羅列みたいなものだったから、もしかしたらあっちでも調査はついてないのかもしれない。社長はじめ大人たちが結論を出すまでは、俺たちも興味本位で近づいたりしない方がいいだろうね」
「……そうできるといいが」
上体を起こして、今度はベンチの背もたれに寄りかかる。溜め息と声にならない唸りが漏れた。自動販売機が同調するように重低音を上げた。
「そういえば、これは何かな?」
平田が卓上に置いてある箱を指差す。
「ん、あぁ。入学祝いらしい。俺と同居人への」
「同居人? そうだったそうだった。君のルームメイトって更識簪さんだったね」
「……名前まで伝えてたか?」
入寮した翌日、部屋割りを変えてもらえないかと織斑千冬や平田に打診した際に、ルームメイトが女子だという悲劇は伝えていたのだが、名前まで教えた覚えはない。ちなみに、要請は悉く退けられた。
「結構な有名人だよ。あの最強の生徒会長の妹さんだってことで、二、三年は勿論のこと、一年生の間でも既に名を馳せているね。その割には人柄その他に関する噂は聞こえてこないけど」
「そうか」
平田の耳聡さには驚くばかりだがしかし、こうなってくると寮部屋での生活はますます精神衛生的によろしくないものであることが判明した。
「平田、物は相談なんだが――」
「織斑先生を説得できるなら、俺としても部屋交代は吝かではないよ」
「うっ、ぐ……」
提案は速攻で棄却された。ただでさえ交渉事に適性がないのに、あの織斑千冬を説得できるわけがない。
呻く俺を他所に、平田は箱を軽く持ち上げたいた。
「重いね」
「……開けてみるか」
「同居人へのプレゼントでもあるんだろう? 一人で先に開けるのはどうかと思うなぁ」
「変なものじゃないかだけでも確かめておきたい」
「用心深いねぇ。まぁ、俺もその提案には賛成だけど」
平田がリボンの端を握る。
「待て。念のためにMANを起動して、爆発物処理の準備をしておく」
「本当に生徒会室で何があったんだい?」
平田は困り笑顔で箱の上部で結ばれたリボンを解く。すると、そこに挟まっていたらしく、二つに折りたたまれた紙片がテーブルに落ちた。平田が拾って、片手で二つ折りを開く。形の良い眼がしかめ面寸前まで細まった。
「多分、君宛てだ」
「俺宛て?」
差し出された紙片を受け取る。なんの変哲もないコピー用紙の切れ端だ。開くとそこには流麗な筆記体でメールアドレスらしき英文と電話番号らしき数列が書かれている。その下には『待ってるわ♡』と記されており、ご丁寧にペンで手書きしたキスマークまであった。
俺は今一度紙を折りたたまれた状態に戻して、三回きっちり破き、細切れになった紙片を手身近なごみ箱に捨てた。
「いいのかい?」
「気づかずに包装用紙と一緒に捨てたことにする」
「……開けるよ」
平田が箱を空けて、中の物体を卓上に置く。ゴトリと重そうな音がした。
果たして、箱の中にはガラス製の球体が入っていた。温かみのある塗装の施された木製の台座に支えられている。球体の中は液体で持たされており、取り出したときの揺れでフワフワとした白い粉のようなものが舞っている。中央にはログハウスと雪ダルマ、それに何故か改造したサンタ服を着た青年が機械製の装甲を着たトナカイに跨っている。生物と非生物の間で著しい世界観のギャップが発生していた、謎のセンスによる一品だった。
「へぇ、久しぶりに見たよ」
「……スノードームか」
「スノーグローブとも言うね。物自体のセンスはともかく、こういうインテリアは男の部屋だと欠けがちになるから、丁度いい贈り物じゃないか。飾るといいよ。部屋が明るくなる」
「盗聴器とか小型爆弾が仕掛けられてないか調べてからなら」
「いくらなんでも実の妹がいる部屋で爆弾騒ぎは起こさないよ……」
苦笑する平田を無視して、スノードームをもう一度箱にしまう。倉庫に戻って荷物整理を再開する前に、キットを使って入念に検めよう。
「じゃあ、俺はまだ部活動見学の約束があるから」
「よくやるな」
「女子に混じって汗を流すのは中々楽しいよ」
「そうか」
きっと永遠に理解できない価値観だ。女子と対面で会話して冷や汗ならかいた経験を通して、心からそう思う。
小走りで去り行く平田の背中を見て、ふと忘れていることがあるのに気付いた。
「平田!」
「なにー?」
「ありがとな」
平田が振り返る。少しだけ驚いているようだった。
「どういたしまして!」
平田はジャンプするようにして前方に向き直ると、廊下の角に消えた。俺も落として割らないように箱をしっかり抱えて、倉庫へと歩き出した。
プレゼントの検査と荷物整理が終わる頃には、寮の食堂が閉まる時刻まで残り一時間を切っていた。急ぎ制服に着替えて、寮の部屋に戻る。一旦、生徒会長からのプレゼントを置いて(更識(妹)には一言断りをいれるだけに留めた)、食堂へ走った。
俺と同様に部活などで遅れた人間が駆け込み需要的に受け取り口に殺到したので、受け取るまでにかなりの時間を要した。俺の早食いっぷりをもってしても、食べ終わる頃には食堂を占める時間になっていた。俺の行きつけだったホテルの食堂と違って、閉店間際になっても掃除ついでに客を追い出さないのはさすがIS学園だと思う。
満足して食堂を出ると、脇の売店で弁当やサンドイッチが割引で売ってあるのが目に入った。そして、昼間と変わらぬ姿勢でディスプレイと向かい合っていた更識を思い出した。
ここ数日で更識と同居して分かったことは、彼女が極度の作業魔だということだ。寮部屋ではいつもモニターを眺めて何かを打ち込んでいるか、ISのパーツらしきものを弄っている。一度だけ廊下で見かけたときは、歩きながらコンソール代わりのタブレットを操作していた。本日、倉庫のカギを借りに行ったときに事務員がしていた噂話によると、更識は通常は二年生以上にしか解放されていない開発室の一つを貸し切っているらしい。
彼女の姿勢には鬼気迫るものがあった。昨日は寝てもいないはずだ。明け方近くに目を覚ますと、パーテーションに仕切られた更識のベッド上の天井はタブレットの青い光に照らされていた。
一度寮部屋に戻ったときのあの様子では、おそらく今日は夜ご飯も食べていないだろう。元々色白な顔が蒼白に近くなっていた。
「……」
俺は普通のサンドイッチとフルーツジュースを二つずつ買って、寮に戻った。寮の通路には大浴場を使用するために薄着で移動している女子が大勢いる。男子の目など存在しないかのように振る舞っているが、露骨にジロジロ見るとあらぬ疑いをかけられそうなので、天井と壁面の境目を一心に見つめて廊下を進む。
片手で荷物を抱え、カードキーを通してドアを開ける。更識は俺が食堂に向かったときと同じ格好で丸椅子に座って打鍵音を響かせている。今週頭に策定したルールによれば、彼女がシャワーを浴びることのできる時間はとっくに過ぎ去っている。
「更識さん」
「……なに?」
「これ、よかったら食べてくれ」
更識は画面を暗転し、丸椅子を回転させた。俺は右手に持ったサンドイッチとフルーツオレを掲げる。腹は空いているはずだから、もしもの場合に備えてもう一セット買ってきているのだが、いらないと言われれば俺が食べるつもりだ。
しかし、更識は何も言わずにまたディスプレイに向き直ると、作業を再開してしまった。心のどこかで断られるかもしれないとは思っていたが、まさかなんのリアクションも帰ってこないとは思わなかった。
「……何を言われたの?」
「は?」
「あの人に、頼まれたんでしょ。私の世話をするようにって」
「あ、いや……」
突き放すような口調にうまく返事をすることができない。更識の声は初日の警戒交じりのものよりも焦燥がない分ずっと冷たく聞こえた。
俺が生徒会長と会話したことがばれてしまっている。生徒会長が裏で暴露したのだろうか。いや、その線はない。彼女も内密にと念押ししてきていた。あれがポーズだという可能性もあるが、そうする理由が思いつかない。
更識とその姉が繋がっていないとするならば、更識が自力で情報を得たのだと推測できる。生徒会室には俺と生徒会長以外に人はいなかったので、人伝に聞いた可能性は零に近い。だとすれば、残る可能性は更識が盗聴器などの違法な手段を使っている場合。今時、自作能力がなくとも、通販でその手のツールは簡単に手に入ってしまう。
「どうしてそう思うんだ?」
「……図星?」
「いや」
「だったら、どうして急にすり寄ってきたの? お金? 地位? 色仕掛け?」
「……」
「あぁ、そうだよね……。あの人なら何か代償を提示しなくても、あの人に気に入られたいってだけで、人は自分から動くよね」
「……更識さん」
「なに? まだ作業があるから構わないでほしい」
どうやら会話したことは知っていても、会話の中身まで把握しているわけではないらしい。盗聴器の線は消える、
そうなってくると、残る可能性は一つ。俺の呼び出し放送を聞いて、俺が生徒会室に召喚されたことを知っただけで、それ以外は更識の推測。つまり、俺が生徒会室に行ったという事実だけで、更識はここまで俺とそのバックにいるであろう実姉を警戒しているということになる。
あの生徒会長を警戒するのは不思議ではない、むしろ当然の防衛反応だと言えるが、正直ここまでいくのはいき過ぎだと思えなくもない。生徒会長の言動から姉妹仲があまりうまくいっていないことは分かってはいた。俺には兄弟がいないから一般的な範囲での知識しかないが、仲の良くない姉妹とはこれほどまでに冷たい感情を向け合うものなのだろうか。
「別に生徒会長に頼まれたから買ってきたわけじゃない」
「……だったら説明して。どんな説明をされても、納得できるとは思えないけど」
「……」
言われてみれば、何故俺はサンドイッチを買ってしまったのだろうか。確かにこの行動に生徒会長の影響が一切ないかと問われれば、首を縦に振ることはできない。彼女との邂逅は俺にとって衝撃が大きすぎた。なにしろ初めて会うタイプの人間だったのだ。悪夢に出てきそうなくらいに。
いや、生徒会長だけでなく、この学園に来てから人と接する機会が増えたのがいけないのかもしれない。今日は織斑に昼食を買っていった。頼まれての行動だったが、人に食事を買っていくという行為への心理的ハードルが下がったのは間違いない。
他にも平田を観察していたからやオルコットと尖寺の喧嘩を見ていたからなど、俺に影響を与えたであろう事象はいくつか思い浮べることができる。みな、えらく他人と接触することを躊躇しない奴らばかりだった。
だがしかし、一番の理由はやはりこれだろう。
「――俺は、空腹が嫌いだ。だから、更識さんにこれを買ってきた」
打鍵音が止む。更識は画面をそのままにして、こちらに向き直った。何も言わずに目を丸くしている。
「……なにそれ。全然論理的じゃない」
そう言って、更識は顎に手をあて、俺の全身を足元から上へと眺める。膝、腹、胸、首、そして顔。姉と同じ紅の眼が俺の目を捉えた。そのまま目と目を合わせあう。五日間同じ部屋で暮らしているが、ここまで長時間正面から向かい合ったのは初めてだった。
「論理的じゃない。けど、納得はできた」
更識は気が抜けたように、微かなそれでいて柔らかい笑みを浮かべた。少し呆れているようにも見える。初めて見る表情だった。
肩の力が抜けた。自分でも意識しないうちに緊張していたようだ。
「……それは良かった」
「それ、二人分?」
「ん、いや、もしかしたら足りないかと思って、二つ買ってきた」
「……私も一応女子の端くれ。ただでさえ九時を回ってるのに、そんな大量に食べるわけにいかない」
「……そうか」
「片方はあなたが食べて。飲み物も二人分あるんでしょ?」
「まぁ、食べれないことはないが」
俺も自分の机に座る。寮の机は横に長いものを二つくっつけたような形をしている。その境目にサンドイッチとジュースを置いた。
「私はレタスサンド」
「カツサンドは嫌いか?」
「……九時過ぎ」
「分かった。だが、飲み物はフルーツジュースしか買ってないぞ」
「こういう露骨に子供っぽくて甘いのは好きじゃない。減点」
「分かった。次から気を付ける」
「……今のは突っ込むとこ」
色々と難儀なものだった。
それからは、二人で特に会話もなくサンドウィッチを食べて、ジュースで喉を潤した。一度だけ俺が「なんだ、お腹減ってたんじゃないか」と言ったら、「うるさい」と返事をしてくれた。
ここ数日では一番悪くない食事だった。
読んでいただきありがとうございます。
なんというか、こう自分の書いた文章をできるかぎり客観的に読んでみると、
ちょっと詰まっていて読みにくいですね。
縦書きで書いたものをコピペしているのですが、一章が投稿しおわったら色々と文章のレイアウトを変えてみようと思います。
長すぎるとあれなので、一話当たりの文字数も削らねば……( ;∀;)