2018 高律の日   作:bui

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あなたなんて好きじゃない

「いただきます…。」

 

俺、小野寺律は非常に気まずい気持ちのまま朝ご飯を人の家でいただいている。一緒に対面しているのは、隣人にして会社の上司で、今現在好きだと迫人られている元恋人だ。

 

8月に入って暑い暑いと口癖のようにいいながら、空調の効いた部屋と真夏の暑さの間を行ったり来たりしているために、普段もあまり大事にしてあげていない自律神経様がギャーっと断末魔のごとき悲鳴をげているのは自覚していた。

 

その上で、日本の(俺的には悪しき)伝統、お盆休みの影響で、月刊誌の締め切りはキュっと縮み、作家をおだてなだめ尻を叩きつつ原稿を回収するという肉体的精神的疲労に体調管理など気にしてもいられない現状もあって、上司としての義務(と思いたい)に奮い立っているらしい編集長は(頼みもしないのに)毎日オレを部屋に招いてくれて、適度な運動と食事を提供してくれる。

 

 

夜中にメシが食えないやつは編集を名乗るなとか、たまってるものは精神的にも肉体的にも何でも吐き出せとか(恥)、とにかく何もかも全部が意味不明だ。

 

それでも、ささやかではあるけど盆にはオレも休むつもりなので、今はそれだけを励みに仕事をやろうと自分を叱咤している。

 

 

食事にそれほど大きな好き嫌いはない。死ぬほど食べさせられたマッシュポテトは留学時代は吐きそうに嫌いだったけど大人になって、思い出は年月と共に風化しつつありマッシュポテトを見てもあの苦しかった思い出と繋がらなくなった。

 

日本ではマッシュポテトの料理自体はそれほどメジャーでもないし、先日食べたコテージパイは昔の記憶を上書きしてくれるのではないかと思うほどおいしかった。

 

形をとどめているカリカリのフライドポテトも、マヨネーズの味しかしないと言えるサラダのポテトも気にはならないし、あのマッシュポテトはオレのイギリス時代の黒歴史の象徴だったから苦手だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

高野さんが朝餉に用意してくれたのはモチ麦の入った白いご飯と大根と油揚げの味噌汁。

トマトとスライスオニオンと針生姜の乗った冷奴。

フライドしたベーコンと目玉焼きとブロッコリー。

なすとシシトウとアスパラの冷製ピリ辛の揚げ浸し。

大根おろしと釜揚げシラス、小松菜のおひたし。ヤマゴボウのつぼ漬け。

 

夏の食欲減退の季節に朝から色々食べられるのは夢のようだ。

夢みたいでむしろ現実味が薄いのだけど、それでもこの喉の渇きとあちこち擦れるみたいな痛みは…、やはり少し気まずい。

 

「こ…、こんなにお皿を使うと洗うのが大変ですね。」

 

一応…、気まずさを隠すためにこうやってさりげない会話などを試みる…。

 

無言で食べると、食べたものが喉から胃に流れて行かず、結果消化できないような錯覚に陥るし、曲がりなりにも(自ら望んだわけでははないが、過去があるからあまり強気にも出られない)ご馳走になる身としてはツンツンするのもあまりよくないだろうという理性?常識?は、一応ある。

 

「この部屋ってさ、ビルトインタイプの食洗機があるんだ。普段はあまり使わないけど校了で疲れてるときとかたまに使う。便利だ。」

「そうなんですか?同じ間取りに思えるのに俺の部屋とは違うんだ…。」

「誰かがあとから付けたんだろうなって感じ。ビルトインだけど微妙に合ってないところもある。付けたヤツが現状復帰してかなかったってことだな。でもお前だったらついてても結局使わなさそうだけどな。」

「ううう…。」

 

箱から出してもいないiPad、買ったまま床面を露出できず結果稼動してないルンバのことが脳裏をサササっと過ぎったけどそれはさっさと脳内の『気にしない』フォルダーに再び格納した。

 

「どう?味付けとか。」

 

言葉を詰まらせて味噌汁をすすっていたら高野さんがリズムよくそう聞く。こういう会話はお互いに苦手だけど食事の感想ぐらい何とか言い合いたい。

高野さんの味噌汁ははっきり言って美味しい。インスタントと違ってだしの香りが鼻の奥に香ってとても心地よく、食事は五感だとつくづくと感じさせる。

 

「おいしいです。大根がアクも抜けてさっぱりしているのに油揚げが少しコクを出している感じで。味噌も上品ですね。出しは昆布とかつおですか?」

「驚いた…、お前山岡士郎か?」

「え?それは誰か知りませんが、母が味噌汁にはうるさくて、味噌汁がちゃんと作れる人じゃなければって…、」

 

と、そこまで言ってちょっとだけ口をつぐんだ。続く言葉は『小野寺の嫁にはふさわしくない』だったから。

 

母は家族の健康に対して厳しい考え方を持っていた。それはおそらく小野寺の家の嫁として厳しく鍛えられたからだと思う。本当は子どもだって俺だけではなくて弟か妹と言われていたのを知っている。しかし子どもというものは授かりもので、はいそれならというわけにもいかないものだ。

 

もし俺に弟が居たら…、長男ではあるけどもう少し小野寺の呪縛から逃れる術があったかもしれない。

真綿どころかパラシュートを結んでいるような、あの切れることのない紐に首を結わえられている気がしているのだから。

 

祖母は怖い人ではなかったけどまだまだ男尊女卑的な考え方のある時代の人で、男子厨房に入るべからずという考えを持っていた。

だから24才で一人暮らしするまで、留学時代以外は実家暮らしだったし、身の回りのことなど一切やったことがなくて、料理も片付けもなにも考えなくてもいつの間にか整っていた。

 

思考が深く沈む沈黙を拾って、高野さんが止まった言葉の続きを口にする。

「じゃあオレは嫁として合格か?」

ふわりと笑う顔がまぶしくて、「ば、バカじゃないですか」と言って白メシをかっこみ

目玉焼きに箸を伸ばした。

 

高野さんの作ってくれる目玉焼きは蒸し焼き玉子で、白身がふっくらと白くて黄身を覆い、中の黄身は流れ出ない程度に半熟で、それにしょうゆをほんの数滴たらりとたらすのがお気に入りのようだ。

 

イギリスのフライドエッグは油がギトギトで白身も固まってないときもあるし黄身は確実に流れ出るぐらいゆるい。

 

白身やそのほかの物に黄身をソースのように纏わせて食べるのが当り前だったけど、特に思いだすのは白身のパリパリのヘリの部分で、それを尚が好んでいたということだった。

 

でも、大昔…、先輩の家にお泊まりした翌朝の朝ご飯に食べた目玉焼きはフライドエッグだったはずだ。当時の先輩も、今思いだすと料理にはそれほど慣れてもいないようだったたけど、フライパンで二つ目の目玉焼きを焼いてくれたのだ。

 

はじめてイギリスで目玉焼きを食べた時にそれを思いだして胸がつぶれるほど苦しかったのを覚えている。

 

「目玉焼きの作り方、変わりましたね。」

 

それは何気ない一言だった。

いつもは過去のことを語るのには気を使うのに静かな空気に耐えられず蒸し焼き目玉焼きの塩味を口に含みながらついもらした言葉だ。

 

「変わった?」

 

瞬間高野さんは首をクリっとかしげる。そのしぐさに記憶をさかのぼっているのが分かる。

 

「ええ。昔は普通に蒸さないで片面焼きでしたよね。」

「そうだったか?」

 

高校生の時のことだ。まだ料理を作るという事ではなく、単にオレに何か用意しなければならなくて不慣れで苦肉な状況だったのかもしれない。しかしオレの中には鮮やかに高校生の嵯峨先輩が浮かんだ。

 

制服しか見たことのなかった先輩のくつろいだシャツの姿。

フライパンを持ってスっとキッチンに立つ姿。

おいしいと言ったらほんの少しだけはにかんで染めた目じり。

 

「醤油じゃなくて塩胡椒でしたし、」

「ああ…、目玉焼きは横澤が…。」

 

とそこまで言って、今度は高野さんが言葉を止めた。

そして俺には分かってしまった。

 

高野さんが作ってくれる料理は横澤さんがかつて高野さんに食べさせたものなのだと言うことを。

 

ぐっと喉が詰まって食べ物が喉を通らない。今までなにを食べてもおいしいと思っていたのに味がしない。

横澤さんを見ても悋気を感じることなどもうほとんどなくなっていたのに、過去の横澤さんと高野さんの生々しい記憶が浮かび上がるような気がした。

 

「昔の作り方の方が良かったならこれからそうする。」

 

高野さんが珍しく取り繕うように言う言葉にいら立ち取って付けたように感じて気持ちの上をすべるように通り過ぎて行く。

 

「べ、別にそっちが好きって事ではないです。むしろあの目玉焼きが好きだったのは尚でオレはむしろ…。」

 

目玉焼きの記憶もマッシュポテト同様苦いものだったとは言えず会話は途絶え、途中だった食事もそのまま止まった。

 

「ありがとうございます。なんだか寝起きで食欲がわかなくて…。」

 

コトリと箸を置く言い訳にしてはずいぶん間抜けだと思ったけど、その他の言葉を見つける回路が正常に働いていなくてもと文芸の編集だったくせにまったくどうしようもないと自嘲するしかなかった。

 

高野さんにはオレがなんで急にそういう態度になったのか分からないだろう。だから不快そうな顔をして「薬と思って食え」と言う。

 

食べ物に対して薬と思ってという表現は悲しい。でも、今の自分にはそうでも思わなければ喉を通っていかない。

水もので流すようにすべきだろうか?でもそれはそれで失礼なことではないのだろうか。

 

「目玉焼きの作り方は横澤さんに教えてもらったんですか?」

 

ポスリとそう聞くと「そうだな」と感情をそいだような平坦な返事が聞こえた。

 

「お前には色々と思うところがあるかもしれないけど、横澤はオレの親友だ。確かに一時期あいつには支えてもらった。お前が清宮さんをそう呼ぶのと同じだ。」

 

しかしその言い訳めいた説明を聞いた時に感情のイライラが大きく高波のように浮き上がるのが分かった。

 

 

---同じ?違うよね。一緒になんてなりっこない---

「なんで同じなんですか?全然違いますよね。」

「なにが?」

「オレと尚との関係と一緒にしないでください。」

「同じだろなにが違うんだ。あの人だってお前のことが好きなんだから同じだろう!」

「全然違います!気持ちを汚すようなことを言わないで下さい!」

「汚すって何だ。」

「そのままです。わかりませんか?」

 

あなたには分かるわけがない。

だって俺は親友と寝たりしない。好きでもない人と肌をあわせたりしない。そんな事で寂しさを埋めたりしない。

 

と…、続けるつもりだったけけどさすがにこれ以上の言葉は言えなかった。

 

 

「は、おめでたいな。清宮尚だって妄想ではお前の事を犯しまくってたに決まってるだろう。」

「バカバカしい、妄想の姦淫も罪ですか?聖書の中じゃああるまいし。」

「聖書?ずいぶんなものを出して来たもんだ。せめて日本人なら仏教の経典にしとけ。日本の生臭坊主のお稚児と違って聖書じゃあ同性愛も否定されてるとか?」

「解釈によってです。」

「お前は全部解釈によってと言い訳するつもりなのか?妄想自体は否定しないってことか(笑)」

「妄想の事までは誰にも分らないという事です。」

「お前が言いたいことは分かる。じゃあどうしろというんだ…。過去はどうにもできない。」

「そうやって…、嵯峨先輩の皮をかぶるのはやめてください。」

「は!?」

「あなたは嵯峨先輩とは違う。嵯峨先輩じゃない…。」

 

なんでこんな言い合いになるのか分からない。でもずっと気持ちの深いところに閉じ込められているもやもやとしたものがどうしても消化できない。

 

なんで?どうして?

 

ただ、オレは先輩が好きだったから、そばにいさせてもらえて嬉しかったけど、弄ばれたと思って、ひどくショックで苦しかった。

 

だけど自分の中で理由をそうつけるのはひどく簡単な事だった。

 

 

なのに先輩がオレの事を好きだというなら…、俺の何が好きだったのか教えて欲しい。

 

納得できるように…。

 

 

 

 

 

あの頃のオレは、高野さんが言っていたようなウブで世間知らずな子どもではなかった。

--もちろん実技は先輩とが初めてだったけど---

 

中学生になったばかりの、嵯峨先輩に恋をした頃も、自分が男を好きになったことが信じられなくてわざと女性に欲情できるかを試したり、同級生を好きになる妄想もした。

 

いよいよ本当に自分の性癖がおかしいのだと理解してからも、色々なツールで先輩以外の男に自分の恋愛対象がないかということの確認もした。

 

初心で世間知らずというイメージは、先輩の前で挙動がおかしかっただけで、決して特別な人間だったわけではない。俺だけではなく誰もが好きな人の前では人は素の自分でなんていられっこないのだから。

 

 

 

でも先輩は違う。先輩は俺を好きではなかったから俺に自分を取り繕う必要もなく、おそらくずっと素で接していただろう。4年見て来た俺にはわかる。むしろ怒鳴られた時の方が新鮮だったほどだ。

 

先輩はいつだって一人静かに図書室で本を読んでいた。

 

たまに図書室には来なくなって、そういう時はお似合いの綺麗な女の人と一緒に学校から帰るところを見かけたりした。

ああ、先輩はこの人と付き合ってるんだと分かったけど、そのうちにまた一人で図書室で本を読んでいて、ああ、先輩はまた一人になったって……、嬉しくなった。

 

一人で本を読んでいる先輩が好きだった。きっと、うっかり付き合った俺だけど、俺でさえその景色を汚すことをすべきではなかったんだと先輩に遊ばれたと分かったあと(誤解だったけど)思い知った。

 

先輩が俺を弄んだことが誤解でも俺の先輩は俺の中で完結している。思い出したくなかったし思い出さなくてよかったんだ。

 

 

 

先輩は俺のことなどなにも知らない。俺を好きじゃない。

先輩と付き合っていた織田律はどこにもいない。

 

だから高野さんが昔の俺を素直で純真でいい子と思っていて、昔のオレがどうこう言われるたびになんにもオレのことなんて知らなかったくせによくそんなことを言えるって思う。

 

俺の中の先輩が高野さんではないように、高野さんの中の織田律も高野さんの中にしか存在しない虚像なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「そんな傷ついた顔しないでください。」

 

もの欲しそうな瞳で手に入らないものを欲しがっていた先輩。

欲しいと思っているくせに自分には手に入らないと諦めていた先輩。

猫を手に入れても、俺を手に入れても、欲しいものの隙間を埋められなかった先輩。

 

いつからこんなに強欲な人になったんだろう。

 

欲しいものを欲しいと言えなかった先輩は高野さんじゃない。

欲しいものを手に入れるために横暴で俺様になれる高野さんは先輩じゃない…。

 

 

なのになんで同じ瞳で俺を見るんだろう。

 

先輩が好きです。

理由を探して否定してそれでも好きで好きで気が狂いそうに好きで、弄ばれたと思って、理由をつけて否定して、過去の教訓に行儀よく納めてしまった俺。

 

 

 

バカみたいだ。もう先輩じゃないのに…、なんで…なんで…

 

 

まだこんなに好きなんだろう…。

 

 

 

 

 

そうだな…、作ってもらうなら目玉焼きよりトロトロのスクランブルエッグがいいな…。

 

そう、玉子料理はスクランブルエッグが…、「好きです。」

 

 

好きなのは玉子料理です、貴方じゃない。

 

いつかは雨にかき消された同じ言葉だけど、今回は高野さんが誤解したらいいんじゃないかな。

 

 

 

一生誤解したままでいいんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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