カランカラン。パタン。
来客を知らせるドアノブの後にドアが締まる音がした。けれどこの店――山口探偵事務所の作業用の机からは誰の姿も見えない。
ぱたぱた。とすん。
何やら小さな人物が店の中を歩くような足音が聞こえたような気がしたが、作業机からはやはり何も見えない。
起こった出来事だけを列挙すれば、妖か何かの超常現象かと思われるそれ。しかしこの店の店主、山口啓二にはその理由も原因も分かっていた。
「ねーねー、けーじさん。おやつはないの?」
何かがソファの上に座る音が聞こえたかと思うと、遠慮もへったくれもないような幼い声が啓二の耳に入ってくる。依頼人との応対に使うためのソファの背は、そこまで高くない。けれど啓二から見えるのは、ぴょこんと飛び出たアホ毛と古めかしいかんざしの一部分だけ。
「またお前は勝手に事務所に入ってきて……。来客応対中だったらどうするんだ。変な目で見られるだろうが」
「今は暇そうじゃない? ねーおやつはー?」
「来客用の茶菓子は来客にしか出さねぇの。お前は来客じゃないから茶菓子は無し。オーケー?」
「オーケーじゃなーい」
立ち上がるとやっと見える、来客応対用のソファに座って、ぱたぱたと足をせわしなく動かす少女が一人。
――一週間ほど前のこと。鍵を無くしたとの理由で来店した客の案件を、同じ部屋にある古時計から鍵の場所を『聞いて』解決させたこの少女――スズは、それからというもの、この事務所に定期的に入り浸るようになっていた。しかも来る度におやつをねだるおまけ付き。
今の時刻はもう午後4時を回っていた。確かにおやつには丁度いい時間帯ではあるが――と思ったところで、啓二はため息と共に応対スペースの方へと向かう。
コイツはここをおやつがもらえる場所だとでも思っているのだろうか。口から出かける言葉をなんとか理性で押さえつけ、スズが座っている逆側のソファへと腰を下ろす。
「大体――お前、ここ最近入り浸ってるけどよ、他に行く場所はないのか? 毎日来ても面白いことないだろ?」
「んー? そうでもないよ?」
そう言っては再び持て余したように足をぱたぱたと動かすスズ。
「お菓子もらえるし」
――やっぱりか。今度こそ襟首を引っつかんで事務所から追い出そう。そう啓二は思い立って――もし一週間前のような失せ物依頼があったときには役に立つかも知れない。いるだけであれば無害だし、直接的に仕事の邪魔をするわけでもないし――。そう思うと、実行にまでは移そうにも移せない啓二だった。
「……ったく、しょうがねぇな……。今日だけだぞ」
「わぁい! けーじさん優しいから大好き!」
商店街の中で大声で言われようものなら警察通報待ったなしな台詞を口にして、にぱっとした笑顔を向けるスズに、啓二はため息を付きながら席を立つのだった。
◇◇◇
クッキーを皿に載せて出したところ、「喉渇いたー。麦茶ちょーだい?」などと言うものだから二度事務所とキッチンとを往復する羽目になった。
「で?」
「むぐむぐ。……ん? でって?」
「だから、今日は何の用で来たんだって話。お前も学校とかで暇じゃないだろ?」
「暇だよ? だから来たの」
麦茶を音を立てて飲み込んだ後、あっけらかんとそんなことを言うスズに、啓二は頭が痛くなるのを感じていた。
ここは学童保育所でも暇つぶしをする場所でもなくて、れっきとした事務所なんだが――そう口にしようとした瞬間、スズが口を開く。
「そういえば」
「あのな――ん、なんだ?」
「さっきから女の人がぱたぱたって行ったり来たりしてるけど――何かあったのかな?」
スズは「私はさっきから気づいてましたよ」とでも言うかのように、自慢げにそう口にする。
確かに、赤色の目立つコートを羽織った人物が店の前を何度か通るのを、啓二は目にしていた。ただ店を訪れる訳でもなく、小走りに移動している様子だったのでそこまで気にはしていなかった。ただ、不思議には思っていた。
それはまるで――何かを探している様子だったから。
何かを察したのか、にぃぃ、とスズの口元が三日月型になる。捜し物の案件を解決した直後というものもあるのだろう、何やら得意げで自慢げな笑みになっていた。
「声、かけてみたら? ここは困った人のためにあるんでしょ?」
そう、挑戦的な声で言うのだった。
◇◇◇
左右を見ながら、ぱたぱたと小走りでやってくるその人に啓二が声をかけると、その人物は事務所の扉の前で言葉をマシンガンのように投げかけてきた。その内容を要約すると――
「迷子……ですか」
「そうなんです! ちょっと手を離した隙にいなくなっちゃって……」
若い女性だった。おそらく20代。スズの母親がいるとすればこのくらいの年齢だろうと思われる、この商店街の住人ではない彼女。話をしているときも視線は不安げに左右に動き、我が子を探しているようだった。
「なるほどなるほど……私と同じくらいで、髪は長くて、空色のワンピース、……と」
「……って何でお前出てきてんだよ。事務所の中で待ってろ」
いつの間に出てきたのか、うんうんと頷きながらスズは啓二の後ろで思案げな表情を浮かべる。右手は顎の下に添えられていて、いかにも「私はちゃんと話を聞いて、考えてますよ」と言いたげだった。
「女の子がいなくなったのはいつごろですか?」
「えっと……大体30分くらい前、かしら」
啓二の後ろからひょっこりと顔を出したスズは、女性へと問いかける。女性も女性で相当テンパっているらしく、啓二が聞いているのと同じように返事をしてきた。
後ろ手でスズの頭を押しやった啓二は、こっそりと後ろを向いてスズへだけ聞こえる声で叱る。
「おい邪魔すんな。……すいません、コイツのことは無視していいので」
「あー! そーやってけーじさんは邪魔者扱いするー! 私も聞く権利はあるでしょー?」
「『権利』とか小学一年が使っていい言葉じゃねぇよ」
ぶぅぶぅと文句を垂れるスズだが、その目はどこか自信に満ちあふれていた。それはまるで、これは自分の得意分野だと言わんばかりの表情で。
「分かんないなら、聞けばいいんだよ!」
「この人だって聞いても出てこないから俺がー……って、聞く?」
「そう、聞く!」
両方の手を腰に当てて、胸を反らすスズは、今日一番の自慢げな表情を浮かべていた。
「あの……彼女は一体何を……?」
「いや、俺もよくは分かんないんですけどね……」
目の前で行われている行為に、困惑げな声を上げる女性へと、啓二は曖昧な答えを返す。
スズは「私に任せて!」と女性の前に出てきてはっきりと言ったかと思うと、得意満面といった表情で「商店街を見守っているのは、何個かある監視カメラだけじゃないんだよ?」そう、言い切った。
そして、事務所が建つ商店街のメイン通りに沿って立ち並ぶ、電灯の一つに手を添えたかと思うと、スズは静かに目を瞑って動きを止めた。
端から見ると、手のひらの表面で電灯の温度を確かめているかのようにも見えるその光景。自信満々に言った時とは打って変わって、静かなものだった。
「ああ……こんなことをしてる場合じゃないのに……。もう警察に行った方がいいのかしら……?」
「まぁもう少しだけ、待ってみましょうよ」
全く身じろぎもしなくなったスズにじれったくなったのか、焦ったように女性が独り言を呟き始める。それを啓二は八割の期待と二割の不安を込めた声で、女性を宥めた。
電灯自体は、この商店街が立つ前から立っていた――と啓二は聞いている――古いもので、何度も立て替えの案が出ては予算不足により延期を繰り返してきたものだ。
スズは何も言わず、手のひらをべったりと電灯に付けて、押し黙っている。そのポーズのまま何分か経ち――女性が痺れを切らして警察へと足を向けようとした瞬間、目を見開いて
「分かった!」
そう、口にしたのだった。
◇◇◇
スズが口にしたのは、アーケードのメイン通りから一本外れた所にある、お茶屋さんの名前だった。
三人がその店に行くと、果たしてそこにいたのは女性が探していた子どもだった。
店の扉を開けるなり、女性は店内の椅子に座っていた女の子のところへ駆け寄り、女の子も「おかーさん!」と口にして両手を広げた女性の元へと抱きついてきた。
「うんうん、これにて一件落着、かな?」
店に入った所に立ち、胸の前で腕を組み、スズは満足そうに頷く。
「お前……もしかして……」
その後ろからおそるおそると言った様子で声をかける啓二に、スズは大仰に頷いて、そして言う。
「うん、電灯さんに『聞いて』みたの。で、電灯さんたちの中で女の子を見た人いますか? って聞いてみたら、ずばりだった。女の子がお茶屋さんの中に入っていったのを見たって話を聞いて、来てみたらーってところ」
「やっぱりか。……前みたいに直接声で聞かなくてもやれるんじゃねぇか。てっきり人の往来がある中で物に話しかける変な女の子が出現するかと」
「あー、あれはね。ちゃんと私は話を聞いてますよ? ってけーじさんにも知ってもらいたくて……」
「余計な心配かけさせやがって……」
スズの頭をぐりぐりと不器用に撫でる啓二。スズは気持ちよさそうに目を細め、目の前で繰り広げられる親子の様子を眺めていた。
店の店主に話を聞くと、なんでも――お茶屋の店主も、女の子を警察に連れて行く間近だったそうだ。
ここの商店街自体は古く、どこか田舎のような空気がある。迷子の泣いている女の子を見つけて、声をかけたはいいものの泣いてばかりで話も聞けない状態だったから、お菓子とお茶で泣き止むのを待っていた――とのことだった。
何度も何度もぺこぺこと頭を下げる女性に、その女性としっかりと手を繋ぐ女の子。
正式な依頼でなかったにせよ、困った人を助けることができ、啓二はどこかほっと安堵した気持ちだった。
案件を解決した時の、依頼主のほっとした表情。それ見るのがこの仕事を続ける理由であり、目的である啓二は、どんな形であれ――それが例え一銭の得にならなかったとしても――見ることができて満足だった。
――お人好し。
そんな啓二の事をそう呼ぶ人も居るかも知れない。けれど啓二はそれでいいと思っている。そうでもなければ――今の事務所が『何でも屋』扱いされてはいないのだから。
「あー、人の役に立つって楽しいね! ね、けーじさん! ね!」
お茶屋から出て、二人並んで事務所へと戻る道すがら。両手を組んで空へと伸ばし、「んーっ」と泣き声にも似た声を上げたスズは、満足げにそう呼びかける。
にへら、と笑った笑みの裏に、啓二はスズの物言わぬ要望を察して。
「……分かった、菓子でも出そう」
「わぁい! 言わなくても伝わるってすごい、テレパシーかな?」
非現実的なことをやっておきながら、非現実的なことを言うスズに――啓二はその頭をくしゃりと撫でてやった。