ネルソン・マンデラ
翌朝。
体のあちこちに疲れは残っているものの、体調は良好です。
今日はトレーニングを中止し、朝食の時間まで第八階層の散歩しながら情報収集をすることにしました。
いつもよりも人の行き来がある通路を歩いていると、一人の市民が私の前にフラリと現れました。
よくある男性市民の姿ですが、その背格好と歩き方に覚えがありました。
「……ロバートさん?」
彼は一つ頷き、私を見ます。
前より体が一回り小さくなったようなその姿と、酷く疲れきった顔に浮かぶ表情は、暗く痛ましくどうしようもない悲しみに満ちていました。
思わず顔が強ばり、心臓が嫌な鼓動を打ちます。
まさか──。
「イネスが……、アイツが、天獄の連中に拐われた」
……ああ、やっぱり。
やっぱりあのαに捕らわれていたのは、イネスさんだったのか。
私も相当動揺していたと思うのですが、彼は私に構うことなく話し続けます。
「私が逃げ遅れた部下の避難誘導をしている時にコウシンが現れて、拐われそうになった時にアイツが私を──」
「……」
言葉を無くし、立ち尽くす以外にできません。
「……お前たちを責めるつもりはない」
視線を落とし、彼はひたすら言葉を吐き出し続けます。
「天獄の連中の強さと無慈悲さは、年を取った連中なら、十分すぎるほどにわかっているからな」
彼は片手で顔を覆い、うなだれます。
「私のせいだ」
違います!
そう否定したいのに、舌が乾いて固まって、言葉にすることができません。
「私がもっと早く市民の誘導をできていれば、もっと早くコウシンの存在に気づいていれば、……アイツの存在に気づいていれば、こんなことにはならなかったんだ」
語り続ける彼の言葉に、いくつもの言葉が脳裏をグルグル駆け巡ります。
ですが、やはりどれ一つとして口に出すことはできませんでした。
どの言葉も、彼にかける言葉としてふさわしいものと思えませんでしたし、何より今の彼は、私の言葉を必要としていなかったから。
彼が今欲しいのは、自分のままならない気持ちを吐き出す場所であり、それを否定も肯定もせずに、ただただ受け止めるヒトの形をした壁なのです。
「貴様ら何をしている!」
重い沈黙を打ち破る赤服の声。
「突っ立っている暇があるならさっさと働け! 今このPTに、そんな穀潰しを養う余力があると思っているのか!」
厳しく強く責める声でしたが、今の私には虚しく響くだけでした。
それはきっと、彼も同じだったと思います。
「突然、一方的にすまなかったな、二級市民」
そう言って彼は、来たときと同じようにふらりと私に背を向け歩み去ろうとします。
「あの、ロバートさん」
彼の、一際小さく、はかなく見える背中に思わず声をかけると、彼は足を止めて振り向きました。
「私は大丈夫だ」
そう言う彼の姿に、年を取った男のヒトの姿が浮かび上がって重なります。
瞬きすれば消えてしまう錯覚です。
ですが、その姿から滲み出る感情はあまりにも複雑で、重くて、私は再び言葉を無くしました。
「私は生きる。アイツが生きていようがいまいが、PTに所属する市民として最後までな」
そうして、今度こそ振り向くことなく、彼はエレベーターへ向かって歩き出しました。
その姿が見えなくなるまで見送った私ですが、いよいよ赤服の視線に面倒くさいことになることを察し、人の流れにのって歩き始めます。
頭の中は、形にならない感情と言葉の波が押し寄せたかと思えば、瞬く間に引いたり。
揺らいだ気持ちのまま独房には戻りたくなくて、セルガーデンへと足は向かいます。
誰もいないセルガーデンの一室。
設置されているサーバーの音がこの上なく耳障りで、それが引き金となりました。
右足を思い切り踏み切ると、全体重を乗せて壁を蹴りつけます。
何度も何度も何度も何度も蹴りつけ、うるさいサーバーも蹴りつけてやろうかと獰猛な気持ちで思いましたが、結局、呼吸が乱れたところで蹴るのをやめました。
呼吸を整えながら、自分に問いかけます。
おかしいじゃないですか。
イネスさんもロバートさんも、ほんの一時触れあっただけの一市民。
ここまで怒るのも悲しむのも、絶対に変です。
力及ばず、取り返しのつかない失敗をしたから?
それは間違いありません。
でも、それだけなのでしょうか。
違和感の正体はわからず、涙は出ないし声も出ない。
それが苦しくて、荒れ狂う感情の行き場を再び蹴りに乗せて壁に叩きつけます。
と、その拍子に、ポケットに入っていた端末が床に落ちて転がりました。
目でそれを追い、しかし放っておこうと壁に向き直ったとき。
『今の貴方たちの外見と言動が、他人からどのように見られ、どのように受け取られるのか。鏡を見て振り返ってみるといいわ』
穏やかな物言いに包まれた厳しいたしなめの声。
再び端末を見つめ、ノロノロと屈んで端末を拾い上げると、端末のロックを解除します。
端末に備わっているミラーを起動しようとして、指を止めたのは一瞬。
それでも起動して、写し出された私の顔は。
「ふ、ふ。うふふふ。ふははははははは! あははははははははは!!」
あまりに酷くて、あまりに情けなくて、あまりに幼稚で、あまりに子供で。
その惨めな自分の姿ときたら、おかしくないのにおかしくて、ひとしきり笑い、そして糸が切れたように座り込みました。
何故、たった一時の触れ合いだった市民に、ここまで心が揺さぶられているのか。
嬉しかったんです。
ああいう大人の同性が、このPTにいたという現実が、本当に嬉しかったのです。
そして唐突に、頭の中にしまっていた疑問の箱が開き、その答えに気づきます。
彼女の逞しく強かな良い笑顔は、彼女が、今までの人生とこれからの生き方に、静かな自信と誇りを持っていたからなのだと。
年老いても、ああいう笑顔ができる大人の女性になりたいと、そう思ったのです。
それまで見守って欲しかった。
そびえる不条理な大人という壁であって欲しかった。
その壁を越えたかった。
彼女が言いたかった言葉を、今度こそ本気で言わせたかった。
大人の役割を果たそうとする彼女に、報いてやりたかったのです。
そんな子供の願いは叶うことはなく、彼女は私たちの前から消えました。
もしかしたら、このPTに救出されていて、今日にでもケロリとした表情で戻ってくるかもしれない。
あのαを、他のPTが仕留めて保護されているのかもしれない。
でも、それがどれだけ甘い考えであるのか、十分にわかっていました。
胸を占めるのは、あまりに冷たく、圧倒的に重い現実です。
彼女は天獄へと連れ去られ、もう二度と、決して会うことは叶わない。
だからこそ、力が及ばなかったことが、本当に本当に悔しくて──。
そして、彼女と長年の付き合いだったロバートさんの胸の内は、いかほどのものなのでしょう。
まだ、私を責めてくれた方がましだった。
気難しく傲慢でヒステリックな、別の世界に生きる不愉快な隣人であって欲しかった。
もちろんそれは、自分が楽になりたいがための幼稚な甘えです。
彼もまた、私と同じ世界に生きる人間でした。
ですから、私が思ったような、あまりにも甘すぎる奇跡を願ったかもしれません。
今でも願っているのかもしれません。
それでも彼がとった選択は、現実を受け入れ、生きることでした。
困った拗らせ市民だと思っていた彼の、弱くとも懸命に立ち上がろうとする姿に、私は胸を打たれたのだと思うのです。
そこまで思ってようやく、目から涙がこぼれました。
良かった。
泣けるのなら、まだ私は一人で立って戦える。
しばらくそうしていて、手に持っていた端末のアラーム音が、私を現実へと呼び戻しました。
涙を手の甲で拭い、床にしっかり足を踏みしめて立ち上がります。
そして呼吸を整え、ズブズブに浸っていた感情を振りきるように視線をあげました。
それでも滲んでくる視界が悔しくて、私は歯を食い縛り、両手で頬を一発叩きます。
しっかりしろ!
言い聞かせ、もう一度目元を手の甲で拭うと、端末を胸ポケットへしまい、私はセルガーデンを出ました。
通路を歩きながら、ふと思いついたことがありました。
でもその思いつきは、かなりの迷いがあり、グルグル考えている間に、自分の独房まで後数歩のところまできました。
立ち止まり、そして頷きます。
……ええ、やってみましょう。
こういう機会でもなきゃ、私は絶対にやらないでしょうから。
腹を決めて、独房へと戻りました。
◆
後輩三人組との待ち合わせは八時半。
グスタフさんの名義で発行された貢献活動は、資源回収のためにやってきた敵性PTの排除です。
生きて幸せになるために必死ですね、敵も味方も。
そして、後へ引くことはできなくて。
ええ、お互い様です。
私は支度に時間がかかり、時間ギリギリで待ち合わせの広場までやってきました。
「おはようございます。お待たせしました」
輪になって話している三人組に声をかけると、三人は揃って振り向いて、私をまじまじと見つめます。
そして、ビルさんが昨日の疲れを感じさせない笑顔で片手を上げました。
「はようっすマム! 今日はやけに派手グハッ!!」
ビルさんのお腹に、同時に容赦なく拳をめり込ませる、ハリエットさんとオリビエさん。
崩れ落ちるビルさんを省みることなく、二人は何事もなかったかのように涼しい顔でこちらを見ます。
「はようっす」
「おはようございます」
二人とも怖いです。
しかし、ビルさんを始めとした三人の戸惑いの理由はわかっていました。
「やっぱり派手ですかね」
私は逃げたくなる気持ちをこらえつつ、頬をかきます。
「いや」
「似合っていらっしゃいますよ」
二人はそう言ってくれましたが、お世辞でしょうね。
だって、自分だって派手だと思っていますから。
私は独房に戻ってから、イネスさんに勧められた赤いリップを急遽購入し、早速つけてみたのです。
しかし、そのままでは大分派手で、拭いたりつけ直したりを繰り返し、何をどうやっても派手に見えてしまって、タイムリミットが迫る中、結局ほんのりについた程度で妥協してきたのですが、やっぱり派手ですよね、似合いませんよね。
でもいいんです!
どうせ戦闘中はマスクをつけてますし、水を飲んだり、食事をすれば落ちてしまいます。
そしたら、いつものリップの色に戻そう。
ええ、臆病な私は、冒険をするときも逃げ道はしっかり確保しているのです。
それを心の支えにし、よろよろと起き上がったビルさんを含めて、今日の貢献活動の内容と戦闘の打ち合わせを始めます。
「それでは、今日はいつも以上に慎重に堅実に、そしていつも通り、生きて帰ることを最優先に戦っていきましょう」
「了解!」
打ち合わせを終え、私たちは護送車へ向かって歩き出します。
ビルさんとオリビエさんが先行し、私とハリエットさんが並んでその後に続きます。
「リュティさん」
ハリエットさんが声をかけてきました。
「はい」
「あの、そのリップなんですけど」
よりによってその件に触れますか。
「あはは、派手かなと思ったんですけど、ちょっと元気出したくて。赤い色は元気が出る色って聞いたから」
「イネスさんからですか?」
「ええ。私に似合う色だって、聞いたんですけどね」
恥ずかしくて消え入りそうになりましたが、ハリエットさんはニッコリと笑いました。
「いえ。実際に似合う色だと思いますよ。ただ」
「ただ?」
「赤は難しい色なんです」
「それは、イネスさんからも聞いていますけど」
すると、ハリエットさんは笑顔を納め、改めて私を見ました。
「赤は強くてごまかしのきかない色なんです。自信や元気、勝負の時の色って言われていますけど、強い色だけに、ある程度の美意識の高さが必要な色なんです」
「えっ、と?」
言っている内容がイマイチ理解できない私に、彼女は頷きます。
「今のリュティさん、顔色もいつもより良くないし、内面もきっとお疲れなんだと思うんです。そのせいで、リュティさん自身が色に負けてしまっていて、浮いて見えてしまっているんだと思うんです」
思わずハリエットさんの顔を見つめます。
何と言うことでしょう。
そういう理由があったとは!
「赤いリップは、心身の強さや、TPOを適切に判断できる知識やマナー、そういった美意識を求められる強くて難しい色なんですよ」
「……そんなこと、イネスさんは言っていなかったですよ」
「……もしかしたら、わざと言わなかったのかも」
「何でですか?」
彼女は困ったように笑います。
「これは想像なんですけど、きっとリュティさんに、冒険をして失敗をして欲しかったからだと思うんです」
「は?」
何を考えていたのでしょう、あのオバサンは。
セルガーデンでメソメソして、なけなしの勇気とポイントでリップを買った自分がバカみたいじゃないですか。
いえ、実際バカですけどね。
ハリエットさんは、そんな私を宥めるように笑います。
「これくらいの失敗なら、勉強して再チャレンジして取り返せるものですから。そうして勉強をしていく中で、本当にオシャレに興味を持って、最終的にそのリップの似合う大人の女性になって欲しかったから、かもですね」
「はあ……」
「実際、お化粧やオシャレの失敗は、誰もが一度は通る道ですよ。オシャレは一日にしてならずです」
「……いたくショックを受けましたよ。もう立ち直れませんよ」
実際はそれほどでもないのですが、悔しくてわざと拗ねモードに突入してみせる私に、ハリエットさんは形のよい大きな胸を張り、力強く笑って見せました。
「大丈夫ですよ! オシャレの失敗は、オシャレでリベンジ! 今度、一緒に似合うリップを探しましょう。そして、あらゆるウゾウムゾウを見返してやればいいんです!」
拳をガッチリ固めて力説するハリエットさん。
どうやら私の拗ねモードが、彼女の心に火をつけたようですが、その私といえば、内心その気迫に腰が引けていました。
「あー、でも、このリップを買ったせいでお金がですね」
「これからいくらでもジャブジャブ稼げますとも! 私も協力しますから頑張りましょうね!」
「……わかりました」
気迫に押され、思わず頷いてしまいました。
屈託なく笑うハリエットさんですが、その笑顔には、昨日の疲れやショックがまだ残っているように思えました。
その姿に、胸の痛みを覚えます。
この貢献活動が終わった後、彼女にイネスさんのことを話そうと思っているからです。
私以上に、イネスさんへ思い入れがあるであろう彼女のことですから、この話をしたら、彼女がペシャンコになってしまうことは容易に想像ができました。
気は重たいですが、こればかりは、私も彼女も避けて通ることはできません。
そういう理由もあって、気合いをいれようと、このリップをつけたんですけどね。
なのに、肝心のあのヒトときたら、ただではグズグズジメジメはさせてくれませんか。
ああ、本当に……、本当に、まだまだ敵いませんね。
「ハリエットさん」
「はい」
私は努めて冷静に彼女に声をかけます。
「今日の貢献活動が終わったら、少しお時間をいただけますか。お話があるんです」
彼女は、生真面目な表情で私を見ました。
「イネスさんのことですか?」
「ええ」
ハリエットさんのことです。
私の話の内容を、薄々とでもわかっていると思うんです。
しかし、彼女はそんな思いをみじんと出すことはなく、整った顔にふさわしいキレイな笑顔で頷きました。
「わかりました。でもまずは、生きて帰れるように頑張りますね」
「はい。よろしくお願いします」
私は頷き、そして信頼を込めて笑顔を返しました。
◆
いつの日か、オバサンとかババアとか、そう呼ばれる大人になれるのでしょうか。
この赤いリップが似合う、静かな自信に満ちた、逞しくも憎らしく、年老いてもなお笑顔の素敵な大人の女性に。
その年まで生きているか怪しい上に、困難を極めそうな道ですが、おっかなびっくり、一歩ずつ確実に進んでいくことにしましょう。
<ありきたりな女たちの見かけの話:終わり>
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
ファッション学は哲学だ。
そんな言葉があることを知りました。
そして、もっと早くに知りたかったと、心から思っています。
知っていれば、テーマとして取り上げず、別の書きやすいテーマを探しただろうにと。
何かと叩かれる要素が満載のフリーダムウォーズというゲームにおいて、非常にわかりやすい肯定材料の一つに、キャラクタークリエイトのことが上げられます。
しかも、バディもクリエイトできるとなれば、キャラクターを作って楽しみたい層にとっては、それだけで十分に満足できるゲームなのではなかろうかと思います。
今回は、その肯定材料を通じて、フリーダムウォーズの世界観と、それにまつわる人間模様を書いてみようと思いました。
今にして思えば、無謀な試みだったと遠い目をしたくなります。
私自身、そこまでファッションに高い意識と知識があるわけでもなく、まして身体形成で己の体が衣服、ファッション化しているという現実とはかけ離れた世界観。
考えの掘り下げに時間がかかり、私生活で色々あったこともあって、制作は難航。
ここまでたどり着くのに、半年以上かかってしまいました。
オシャレや化粧等のあれこれは、諸説ある上に人によって見方も考え方も変わってきますし、何より私自身が専門外ということではありますので、この物語ではそういう考え方なのだなと、サラリと流していただければと思います。
いい年して、まだまだ学ぶべきことは山程あるなぁ。
時系列では、拙作『薔薇と堆肥』にて、自立に向けて歩み始めた女二級市民の、大体一年後の話になります。
陰気で、ひりつくようなボッチ感は緩和したものの、肝心なところが未熟で幼いままの彼女にとって、苦味のあるボーナスタイムのようなエピソードになったかなと。
今後も様々な人々と関わることで、彼女の成長に繋がる物語を、そして、このゲームの世界観を少しでも掘り下げることができたらいいなと思っています。
相変わらず稚拙な文章ではありますが、投げ出さずに物語を完結させたことをまずは誉めてやりたいと思います。
そんな稚拙な文章の物語を、最後までご覧いただけたのなら、そしてこのゲームに思いを馳せる時間を作れたのなら、これに勝る喜びはありません。
次回は未定ですが、あともう少し、この二級市民の目を通して、フリーダムウォーズの世界を眺めることができたらと思います。
私自身が飽きるまで、書く気力がなくなるまで、ひっそりと続けていければ嬉しいのですが。
次の作品でお会いできることを願いつつ、それではまた。
小栗チカ