「…………………は、腹減った」
薄汚い部屋でソファーをベットにして青年が呟く。誰に聞かれるわけでもなく、ただ口から言葉を紡ぎ出しても空腹など満たされないのに。
「…………………あー、腹減った、腹減った、腹減った、腹減った、腹減った、腹減った、腹減った、腹減ったああああああああああああああああ」
「五月蠅いぞ、下郎がぁ!」
「腹減っ、んがっ!!!!」
怒号と一緒に青年に向けて、フライパンが飛来する。上手い具合に顔面に直撃したのを確認し、ご満悦の少女が一人。
「全くもう夜中なのだぞ? 少しは静かにしたらどうだ? …んぐんぐ」
「ってぇ~、もう少しで鼻が九十度曲がるところだったんだぞ、アルゥ! しかも、ちゃっかりミルクなんぞこっそり飲みやがって、俺の分はどこなんだよ!」
アル選手、再びフライパン片手に振りかぶって~~~~。
「知らんわ、ボケェ!」
「ちょ、は、話せばわか」
ガン!という良い音が鳴り響き、九郎と呼ばれた青年はソファーから撃沈した。
青年の名は、大十字九郎。職業は探偵を営んでいる。これでも、混沌と呼ばれる存在から世界を救ったりした過去があるが、現在は依頼される仕事が無く困り果てている状態だ。
「わからん!全くふがいない亭主じゃのう…。なぜ妾はこんな間男を好いてしまったのやら。………………はぁ~」
溜息混じりの中、珍しく室内にあった黒電話が鳴り響いた。
「はい! こちら、大十字九郎探偵事務所ですが~………って、あれ? 姫さん?」
九郎の回復の早さに飽き飽きとしながら、【姫さん】と聞いて、様子を伺うアル。
『あら…声だけでよくわかりましたわね。夜分遅くに申し訳ありませんが、少々立て込んでおりまして、可及的速やかにお仕事のご依頼があります』
「仕事のご依頼なら、二十四時間いつでも受け付けてますから、ご安心を! 姫さんの依頼だったら、例え火の中、水の中、混沌の中、どこへでも参りましょう!」
『ほー。…どこへでもですか』
「??? ………えぇ、どこへでも」
「お、おい、九郎、さすがにどこへでもってのは難しいじゃろ?」
自分の指で耳をほじりながら、アルはつぶやく。
「だーっ、うるせぇ! 仕事の話してんだから、少しは静かにしてくれっ」
『えー、オホン。よろしいでしょうか?』
「あぁ、姫さんすまねぇ」
依頼は、以前九郎達が戦った逆十字(アンチクロス)が使用していた魔導書の写本が発見されたというのだ。発見場所はアーカムシティ内ではなく、ヨーロッパに存在する某国内で、覇道財閥による調査、回収作業が行われたのものの、先行して潜入した連絡員からの連絡が途絶え、更に再調査に向かった別働隊の連絡も途絶えたという。最後に連絡があった際に伝えられた言葉はただ一言。
[強固な結界がジャマをして…、なんだアレは!? …うわぁぁぁぁあああ!!!]
「そんな事あったのか。アーミティッジのじいさんはなんて言ってたんだ?」
『そもそも事の発端は、アーミティッジ様からの連絡で魔導書が見つかったという連絡を受け、私も調査を行いはじめたのです』
「へー。珍しいな、あのじいさんからの連絡からコトが始まるなんて。大方、ラバン先生から経由なんだろうけどなぁ…」
『それも想像はできますね。とりあえず、これ以上の長電話をするのは大十字さんのお隣の部屋にも迷惑になりますし、オーダーを伝えます』
「あぁ、悪ぃな姫さん」
『それでは、大十字九郎さんと、そこでナイムネのくせして、牛乳飲んでる古本女に正式な依頼です。【魔導書を確保、及び、邪魔をしている悪を壊滅させて下さい】!』
「了解だ! ………で、お代は先に半分を先払いでおおおおっ!」
『い、如何しました!?まさかもう敵の攻撃ですか!』
仁王立ちで九郎の前に立っているアル。
「おい、九郎。今、なんか電話越しに“ナイチチ”という単語と一緒に妾の耳に入ってはならない単語が二、三あったようだが…」
「い、いえ、姫さん、ななななんでもございませせせせんよ~。あは、あは、アハハハハハハ」
「そんなわざとらしい笑いなんぞしおっても、さっきの小娘の声を聞こえていなかったと思うのか? 聞こえてないと思うてか? いや、聞・こ・え・て・た。………この痴れ者がぁぁぁぁあ!」
「あ、アルさん、そんなどこぞの格闘家が気を溜めて出す超必殺技を放つ態勢で何を放つっていうんですか! さっきの発言者は俺じゃないんですけど! ねぇ、もちついて、アルさーん!!」
『オホホホ。なんだか、いつもの夜の営みがあるみたいですし、そろそろお電話切りますね、また追って連絡致しますわ。それではごゆっくり~』
ツーツーという音と共に、切れた。あっさりと電話が切れた。
「え?ちょ、ま、まだ話が途中じゃないですかー、あれ?ひ、姫さん?姫さーん」
「………。ぐぬぬ、妾の怒り、どこにぶつけようかっ」
アルの顔が九郎の方を向く。
「…九郎、お前にぶつけてやる、覚悟せいっ!」
「そんな妄想トリガーは結構ですっ!」
目の前が光り出す。だが、部屋の被害よりも、これで気絶すれば空腹を耐え無くて済むんじゃね? と思ったからこそ、アルの攻撃をあっさりと受け入れる九郎だった。
「はぁ……全く地獄耳なんですから」
瑠璃は、窓越しに街の一部で煙が上がるのを自室から確認し、持っていた受話器を置いた。すぐに真正面に顔を向け、そこに立ち会っていた第三者に話しかける。
「さて、これで宜しいですか? アーミティッジ様」
瑠璃が座っている向かいには、邪悪と戦う一人として、齢を重ねた今も戦い続けている老人が座っている。
「こんな夜分遅く、覇道財閥の総帥の眠りを妨げ、あまつさえ下手な芝居までさせてしまって本当にすまない」
「そ、そんな、私が調査を行ったという事実はありませんが、魔導書が発見されたというのは事実なのですし。一応、アレでも世界を救った人達ですから、少しはお仕事もさせてあげませんと」
「はっはっは、そうじゃな。それでは、お言葉に甘えるとしようか。ラバン教授からの連絡というのは本当じゃからのう。信憑性についても、魔導書が発見されたイギリスにいる知人というか、ワシの恩師から聞いて、確実な情報じゃしな」
「判りました。それでは、ウィンフィールド」
静かな室内にノックが二回、鳴り響き、ドアが開く。
「失礼します、お嬢様。そして、アーミティッジ様」
主人と客人にそれぞれ深々と礼をした執事こと、ウィンフィールド。
「大十字様やアル・アジフ様が必要な経費や、念の為、鬼械神(デウスマキナ))の発進準備などは私やチアキなどで行っておきますので、ご安心を」
「よろしい」
瑠璃とウィンフィールドの会話を見て、満足したアーミティッジは席を立った。
「それでは、ワシはこれで失礼する」
「まだ、ごゆっくりされても、当家は問題ありませんのに」
瑠璃も礼儀とばかりに席を立ち、見送ろうとするが、
「いやいや、ここで結構じゃ。老人を構うよりはゆっくりと睡眠をとって下され。御身はただ一つなのじゃから」
「は、はい…」
ウィンフィールドが一歩前へ出て、ドアへ先導する。
「こちらです、アーミティッジ様」
「うむ」
その様子を見ていた瑠璃は老人とは思えない程に堂々と歩くその姿に改めて驚いた。
「………しかし、イギリスにいらっしゃるアーミティッジ様の恩師だなんて、一体、何歳でどなたの事なんでしょう?」