91.何もなくても希望に満ちた生活
くまさんパネェ。ビュンビュンと空を吹っ飛ぶ最中に目が覚めて、無駄にそんなことを思った。それにしても、長い。吹っ飛ぶ期間がめちゃくちゃ長い。私は空腹を感じないからいいものの、私と並列して隣でビュンビュンしてるベビちゃんやデリンジャーは大丈夫だろうか。ちょっと離れてるから様子が分からないし、暇で仕方ないからと寝ることにした。漫画を読んでいる間はギャグ要素だと笑っていたことを実体験して…まあ、あれは割とガチな反応なんだなとようやく理解した。そんな感じで飛び続けること……3日ぐらい?ふわんっと滑らかに体が揺れて、地面に落とされた。
「…ファッ!?………あ、ここってスワロー島?」
「きゃあっ!」
「キャッ!えっなになに?ここどこ!?」
ほぼ同時に悲鳴を上げて地面に落ちた2人を視認して安心した。無事かと顔をしかめてこっちに駆け寄ってきた。怪我はなさそうだし、空腹に負けず元気そうだ。
「よし。ベビちゃん、デリンジャー。となり町に行くよー!」
「え?となり町って、そこのこと?」
そこ、と指差された先を見てむせそうになった。こんな所に小さな町があったとは。しかもこっちをチラチラ見てる住人たちもいる。これはチャンス、と近くにいる人に声をかけた。
「すみませーん!ここに昔ペンギンくんとシャチくんが住んでましたかー?」
「うおっ!?そ、そうだが……あんたら、あいつらのこと知ってんのかい?」
「知ってます知ってます。ちなみに…昔この村で亡くなった、金髪のでかい男、誰か知りませんか?」
「ああ、ロシナンテくんのことかい?…ああっ!もしかしてあんた、ロシナンテくんのご家族!?」
「はい、妹です」
似てないとは言われたことがあるけど、一発で家族と当てられたのは初めてで嬉しくなった。…あ、髪の色的な?壮年の男性は気を許したように笑って、近付いてきた。
「そうかそうか…彼の妹さんかぁ…。いやー、服の趣味はあんまりだけど、本当にいい人だったよ、彼。最期まで妹さんと弟さんのことを随分気にしててねぇ…」
弟?もしかしてローのことだろうか。うーん、ロシーとローはあんまり兄弟っぽくないと思うんだけど。でも、最期までローや私のことを気にしていた、と言われてちょっと胸が痛んだ。最期まで、気を遣わせっぱなしだったんだなぁ。ロシーは両親と同じで、とても優しい人だったから。
「あの、兄の亡くなった場所はどこですか?」
「ああ、その林の中の小さな小屋さ。もしかして墓参りかい?彼の体は海軍が引き取って行ったんだが…」
ああ、やっぱり回収されたのか。その辺りは覚悟していたとはいえ、やはり直接弔うことができないのは少し悲しい。さてどうしよう、と思った時に、ふと、自分の体が目に入った。綺麗な服、アクセサリー、そして長い髪。
(小さいとはいえちょっとした店はありそうな村だし)
よし、と腹を決めて男性に尋ねた。
「換金所か質屋さんってどこかにあります?」
そんなこんなで、来ていた服と装飾品、それから髪をバッサリ切り落として売り飛ばした。さよならモフモフコート…無くなったら無くなったでなんか物寂しいな…。
「うう…ルシーさんの髪が…っ!」
我が事のように、滝のように涙を流してベビー5が惜しんでくれたので、私はもうそれだけで十分だった。
「ねえねえママ、そのお金でどうするの?ってか若様に連絡しないの?」
「うん。バカンスに兄上が来ちゃヤボってものでしょ?お金はねー、土地を買ってお墓でも作ろうかなって」
「え、土地?」
「そう。土地」
スワロー島でなくミニオン島の、本来ロシナンテが死んでいるはずだった広場を、私は買い取った。当時の事件の名残でか、島の住人がほとんどいなかったので、破格の値段で土地を買うことができた。ただしそのデメリットとして墓を建てる職人もいないから、当分は単なる広場のままだ。デリンジャーとベビー5を連れて、なんとか村と呼べる程度の場所の宿屋に泊まり込みで働かせてもらえることになった。
「…で、あんたの名前は?」
買ったばかりの粗末な服とベリーショートの髪の、いかにも仕事をしたことがなさそうな私を前に、宿屋の女主人は無愛想に尋ねて来た。ここで素直に本名なんて言うわけがない。かといって、前世の名前をこの世界で使う気にもなれなかった。だから、私はとびきりの笑顔でこう名乗った。
「アルドンサ・ロレンソです。精一杯働かせていただきます!これからお世話になります!」
架空の貴婦人の名前でなく、宿屋の下働きをする田舎娘の名前を名乗った。これから生まれ変わって、自分の力で生きていくために。ただし、私は一つ失敗してしまった。この世界では名前と苗字の並びが日本と同じだということを忘れていたのだ。
「ロレンソ!1階奥の部屋のベッドメイキングをしてきな!」
「はい、おかみさん!」
慌ただしく走って、アイロンをかけたばかりのシーツを掴んでベッドメイキングに行った。慣れない名前も、数週間と経つと板についてきた。
「…ルシーさんはそんな働かなくてもいいのに…」
「ベビちゃん、私の名前はロレンソね」
そんな不満を言っていたベビー5も、私が楽しげにしているのを見て、だんだんと諦めの表情を見せるようになってきた。ベビー5はミニオン島で唯一の花屋で働いている。たまに売れ残った花を持って帰ってきて、3人で生活をする部屋に飾ってくれている。ちなみにデリンジャーは漁師と一緒に魚を捕っている。スワロー島に出入りする商人たちに海獣の肉などを売っているので、私たちの中で一番の稼ぎ頭だ。さすが闘魚の血筋…強すぎる。
「…ロレンソさん…毎日楽しい?」
私の短くなった髪に、満開に咲いた売れ残りの花で作った花輪を乗せて、ベビー5は内心複雑そうに眉を下げて尋ねてきた。確かにここで働き始めてから手はあかぎれだらけ、肌はカサカサ、髪は短くなったし衣類は質素なエプロンドレスで化粧なんてほとんどしないような生活になった。以前の私を知っているベビー5から見れば、みすぼらしく、萎びて哀れに見えるかもしれない。それでも、私はとても充足していた。
「ええ。前よりずっと、生きてるって感じるわ」
相変わらず痛覚も感触も温感もないし、空腹も感じないままだけれど、それでも私は人間らしく生きられていることに満足していた。ベビー5はベビー5なりに笑顔で生活しているし、海獣や時に海王類と戦い倒すデリンジャーは誰よりも強いすごいと褒めてもらえることに自信と満足感を感じているようだし。私たちは以前に比べればなんだかんだと不足はあるけれど、充実した生活ができているのだ。
「ベビちゃんとデリンジャーと、3人で生活できて、私は幸せよ」
たとえここに血の繋がった家族の両親がいなくても、ロシナンテがいなくても、ドフラミンゴがいなくても。贅沢な暮らしでなくても、おかみさんに怒られながら仕事していても。
「本当に、幸せなのよ」
心から、そう笑うことができた。