綺麗なまま死ねない【本編完結】   作:シーシャ

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94.さよなら幸せな日常よ

 

 

文字通り飛んできたのだろう、珍しく息を切らしたドフィがサングラス越しにギラギラとした目で私を見下ろしていた。しかし自分に余裕がないことを悟らせたくないのか、口元に笑みを浮かべて話題を変えてきた。

 

「…髪を切ったのか、ルシー」

 

「うん。結構良い値段がついたよ。髪は短い方が生活しやすいし。子どもの頃みたいでしょう?似合う?」

 

「ああ…よく似合ってるぜ。髪を売って、その金はどうしたんだ?」

 

「家賃にしたよ。なんと一ヶ月分!破格だよねー」

 

「フッフッフ!…それで、髪を売ったその後はどうするんだ?次は身体でも売る気か?」

 

「まさか。次は労働力で稼ぐよ。兄上も知ってるでしょう?私、生活に関する頭はいいの」

 

「ああ、そうだったな。だがこの辺には悪い海賊が出るらしいなァ」

 

「なら村を出て野宿しようかな。海賊が見つけられないような場所で。この島にはゴミ捨て場はなさそうだし」

 

「…ルシー」

 

「なあに?兄上」

 

「帰るぞ」

 

「それは嫌」

 

「おれが笑っていられるうちに戻ってこい、ルシー。そう何度も同じ血筋を撃ち殺したかねェんだよ。それに……あァ、そうだった。誰の手引きでおまえらをここに来れたのか、教えてもらわねえとなァ?」

 

まずい、と思った。おそらくドフラミンゴはローのことを考えているはずだ。シャボンディ諸島に超新星が出揃ったことは世に周知されているし、大将黄猿、そして少なくともパシフィスタがローを確認している。となれば七武海に入る前のローを、ドフラミンゴは本格的に潰そうとするかもしれない。だって私の心臓は今もまだローの手の内にある。私に利用価値を見いだしているドフラミンゴが、みすみす見逃すわけがない。それに…。

 

(逃亡の手助けをしてもらったくまさんを、売れるわけがない)

 

もしかしたらデリンジャーはドフラミンゴにバラしちゃうかもだけど。だけど、少なくとも私はくまさんに恩を感じているし、くまさんの手によってということを言いたくはない。つまり………ここが潮時なんだろう。セニョールたちに気付かれないようドフラミンゴと会話しながら、ポケットの中の銃に触れた。ドフラミンゴから離れ、護衛制度を撤廃した時に、もしもの時にとベビー5が渡してくれたものだ。大丈夫、痛くない。痛くないから、死ぬのも怖くなんてーーーない。

 

「…そうだね、兄上がかわいそうだ。でも私は誰に協力してもらったか喋りたくない。だから、私はここで自殺するしかないね」

 

安全装置を解除しながらポケットから銃を引っ張り出すと、セニョールに銃ごと手を、グラディウスには掴まれていた腕をさらに強く引き止められた。まさかこんな素早く止められるとは思わなかった。もしかしたら私が自分に銃口を向けるって想定でもしていたんだろうか。しかし急に動きを止められたせいで、引き金を引いてしまった。

 

「なっ、」

 

「ルシー、ッ!」

 

まずい、思った時には、銃口がグラディウスの顔に向けられていた。グラディウスの右のこめかみから血がどろどろと流れ出している。あっという間に血で真っ赤になったグラディウスを見て、頭の中が真っ白になる。

 

(そんな、なんでこんな…っ、私のせいで…!)

 

「や、やだ!グラディウス…っ!」

 

「…っ…暴れるな!」

 

暴れるな!?そんなこと言ってる場合か!喋れるなら即死じゃない。そう分かっていても、グラディウスの傷口から目が離せない。

 

「落ち着け、ルシー。よく見ろ…掠っただけだ」

 

セニョールの言葉を聞いて、力が抜ける。私に見せるように、グラディウスが空いた手で傷口を雑に拭った。顔だから血が止まりにくいようだけれど、確かに傷口は小さい。そのことに、ほっとした。けれどそんな私を見ていたドフラミンゴは、私が対立の姿勢を崩さないと判断したのか、とうとう笑みを消して能力が使えるように腕をぶらりと垂らした。

 

「…あくまで逆らう気か、ルシー。残念だ」

 

「っ……私の頑固さは、生まれた時から何一つ変わらないよ。兄上は知ってるでしょう?私は兄上と対立しない。裏切らない。敵には絶対にならない。ただ私はここで自由に生きていたいだけだよ。最初から私、言ってたでしょ?『ドフラミンゴ海賊団でよくない?』って」

 

「おれの側では自由でいられないとでも言いたいわけか?」

 

「うん。私だって自由に生きたい。町を歩いたり、働いたり、海を泳いだり、恋だってしてみたい。結婚して子どもを産んで、毎日ここに墓参りをしに来て、ロシーや父上、母上、死んだみんなを想いながら、生きていたい」

 

「死人はお前に何も与えちゃくれねェぞ」

 

「生きてたって役に立たないのもいるよ。私みたいに」

 

事実、私は30年以上ドフラミンゴに寄生して食べる遊ぶ寝るぐらいしかしていなかったのだし。あ、訓練もしてたけど。…30年以上もニートとか改めて怖い。私の役立たず宣言を聞いたドフラミンゴがビリビリと震えるような圧を出した。まさか今になってやっと妹がニート三昧だったことに気付いたのか?

 

「…誰がお前にそんなことを言ったんだ?グラディウスか?セニョール、お前か?」

 

「若…!?」

 

「くっ…!」

 

セニョールが私を背に隠して、私の視界からドフラミンゴが消えた。グラディウスとセニョールが苦しそうにしているところを見ると、ドフラミンゴは覇王色の覇気で威圧しているらしい。どうやら妹がニートということはこの暴君は当然ご存知だったようだ。そりゃそうだ、ドフラミンゴは長年私の財布だったんだし。だとすると財布…もといドフラミンゴが怒っているのは、もしかして妹が中傷に傷ついて家出したという感じのこと?自分の妹を役立たず呼ばわりなんて許せない、みたいな?いやー、泣けるね。うちのお兄ちゃんの過保護っぷりに。そしてこのクソみたいな所有欲の塊っぷりに!

 

「兄上、誰にも言われてないよ。みんながそんなこと言うわけないでしょう?私が今になってやっと気付いただけだよ」

 

セニョールやグラディウスの前に立ちはだかると、ようやくドフラミンゴが覇気を納めたのか背後で2人が息を整えていた。とばっちりになって申し訳ない限りだ。

 

「お前はおれに必要だ、ルシー。だから戻ってこい」

 

「私が輪姦されそうになったあの日、わざと敵に攫われやすい状況を作った人が…よく言ったものね」

 

ぎし、と背後でセニョールとグラディウスが動揺して体を動かしたのが分かった。ねえ、私が気付かないとでも思った?それとも、昼間の歓楽街に不似合いなアイス屋や、時間外なのに綺麗な女性たちが大勢歩いてて、バッファローとバイスをピンポイントで誘惑していたのが、『普通のこと』だと思ってた?その上でサイファーポールが侵入しやすいようにしたのも、全部全部、街を仕切ってるドフラミンゴが手配したに決まってるでしょ?

 

「仕方ねェだろ?ああでもしねェとお前はおれの元に居続けるしかないと理解できねェと思ったんだ。…まあ、実際にはこうやって家出なんざされちまったがなァ」

 

ほら、ドフラミンゴは否定しない。妹に痛い目に合わせて身の程を教えようとでもしたのだろう。まあ今の返答で、私が察していると気付いていたようだけど。

 

「…先に言っておくよ、兄上」

 

お星様になってしまったもう1人の兄を想う。あの人はどうして帰って来てしまったのだろう。スパイなんて別の人がすればいいことを、わざわざ弟だからと引き受けたのは何故だろう。もしかして、もしかすると、ドフィと私を想っていてくれたのだろうか。少しでも元の兄妹関係に戻れる兆しがあれば、私とドフィを引っ張ってでも暗闇から抜け出させようとでもしてくれていたのだろうか。再会した時の、哀れみとも、愛しさとも見てとれる、あのなんとも言えないロシナンテの瞳を思い出す。ああ、きっと私も、今そんな目をしているんだろう。もう、お互いにたったひとりきりになってしまった、大切な家族なのに。どうしてこんなにも分かり合えない存在なのだろうか。

 

「これから私は何度だって、あなたの籠から出て行くよ」

 

「ーー……残念だ、ドゥルシネーア」

 

ぴたり、と体が動きを止める。ドフラミンゴの糸が私にかけられたのだ。ドフラミンゴが私に能力を向けるなんて2度目じゃないだろうか。ああ、傷口を修復するのも合わせたら3度…4度目か。銃を持つ手が持ち上げられる。自殺させる気なのかと思いきや、私の手は銃を遠くへ投げ捨ててしまった。

 

「……兄上?」

 

「フッフッフ…そうだな、認めよう。お前を閉じ込めておくにはあの程度じゃぬるかった」

 

ドフラミンゴが懐を探って、奇妙なものを2つ取り出した。1つは小さな箱に入ったもの。もう1つはぐるぐると渦を巻いた異様な柄の、果物。

 

「若、それは…!」

 

グラディウスやセニョールが息を飲んだ。なるほど、そういうこと。悪魔の実を食わせて支配しようとしているのか。我が兄ながら嫌な人だ。

 

「さあ、戻ってくるお前にとっておきのプレゼントだ」

 

「その能力で逃げ出すとは思わないの?」

 

「おれがそんなヘマをするって?おいおいルシー…本気で言ってんのか?」

 

私の手がドフラミンゴから箱を受け取り開けた。そこに入っていたのはリング状の一対のピアスだった。一体これは、と尋ねる前に、プチ、と耳元から音が聞こえた。

 

「さあ、つけてみな」

 

ドフラミンゴに操られるままにピアスを耳に持って行って、指先がぬるりと滑るように感じた。どうやら糸で耳たぶに穴を開けたらしい。私のまっさらな耳になんてことしてくれやがる!しかし文句を言おうとした口に、ドフラミンゴがあの悪魔の実を詰め込んできた。

 

「ぅ、ぐえ…っ!」

 

「ほら、ちゃんと残さず食え。…懐かしいなァ。昔もこうやってお前に食い物を持って帰っていたんだったな。なァルシー、お前も覚えているだろう?」

 

ドフラミンゴの手のひらに口というか顔の下半分を押さえつけられ、吐き出すどころか息すらできず、気が遠くなりかけたところでようやく口いっぱいに広がった激烈な味を飲み込んだ。すると突然ぐらりと目が回って、たまらず目を閉じて。

 

「さあーー帰るぞ、ルシー。手間をかけさせやがって」

 

思いのほか優しい手が力の出ない私の体を抱き上げた。まるで全力疾走した後のように力の入らないこの感覚は、噂に聞く海楼石の効果なのだろう。両耳から血を垂れ流しているのに、それが服に付くことに気付いているはずなのに、ドフラミンゴはひどく満足そうだった。

 

「また髪を伸ばせよ、ルシー。髪が長くても生活しやすいようにもっと女中を増やしてやる。それから他の装飾品も誂えてやろう。海楼石の指輪がいいか?アンクレットがいいか?」

 

「…指輪だと、ベビちゃんを撫でてあげられないよ」

 

「フッフッフ!そうだな!じゃあアンクレットだ。あァ、お前、付き合わせてたベビー5とデリンジャーに謝っておけよ。他の奴らにもだ」

 

「………そうだね。でも…今は寝ててもいい?」

 

「ああ。…おやすみ、おれの可愛いルシー」

 

ひどくだるい体を、ドフラミンゴがモフモフで包み込んでくれた。ふと視界の下、ドフラミンゴの肩越しに見えたグラディウスに手を伸ばした。ぴくりと一瞬動きを止めたのを無視して、傷口に触れた。

 

「……ごめん、グラディウス…」

 

「……もう寝てろ」

 

手元に置いている間は優しいドフラミンゴに、優しい家族たちに、もう何も言う気にはなれなかった。私はおやすみの一言すら返さず目を閉じた。もう二度と関わりを持ちたくなかったドフラミンゴからは慣れ親しんだ懐かしい匂いがして、なんだか哀しくてたまらなかった。

 


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