「うわー………え、何?今度は保育園でも始めたの?」
私が20歳になるのを目前に、アジトの第2倉庫が檻だらけですごいことになってた。もちろんこんな状況で私が保育園かと尋ねたのはブラックジョークである。…まさか、倉庫なんて用はないしと見に行っていない間にこんなことになっているなんて。
「あっ、妹様!わざわざこんな見苦しい所に来られずとも…っ!」
せやな、とうっかり頷きかけた。もうすぐ殺処分される保健所の犬の収容されている場所かと思うほど、汚い、臭い。糞尿が垂れ流し、入浴どころかシャワーすら浴びていない、着替えなんてもちろんしていない、食事だってまともなのを食べさせてもらっているか分からない、そんな子どもばかり数十人は檻に詰め込まれている。まるで出荷か、それこそ殺処分を静かに待つ動物のように。下っ端たちがホースで雑に水をかけて汚れを海に流しているようだけれど、そんなので間に合うはずもない。この子どもたちを、かわいそうだな、と思う。でも、思うだけだ。私がドフラミンゴの商品にあれこれ言う資格などないのだから。
「でも放っておくのもなんか嫌なんだよなぁ」
「妹様、何かご用でしたか?グラディウス様ならさっき第一倉庫の監査に向かわれましたけど」
「兄上はどこか知ってる?」
「本日は来られてませんが…」
「そう。どうもありがとう」
子どもたちの縋るような目を見ていられなくて、下っ端にドフラミンゴの居場所だけ聞いて倉庫から出た。助けて、と細い声を聞いた気がした。私が倉庫の扉を閉めると、中から下っ端が子ども相手に怒鳴りつけて何かを殴っている音が聞こえた。私は知っている、あれは棒で人の腹を殴る音だ。ああ、嫌だ、最悪。この現状をドフィは知っているのだろうか。だとしたらなぜ放っておくんだろうか。ドフィは私たちが幼少期にされたことを、今度は他の子にするつもりなんだろうか。趣味が悪いにも程がある。ムカムカしながらアジトに戻ってドフィを探した。
「コラソン、セニョール」
「ルシー?ドフィならさっき部屋に戻ったぞ」
「そう。ありがとう」
「…どうした?眉間にシワが寄っているぞ」
セニョールに指摘されて眉間を触ると、たしかにクッキリと凹凸ができていた。自分で思う以上にイライラしていたらしい。こんな風に感情を露わにしていてはだめだな、と大きく深呼吸をして、気持ちを静める。
「ちょっと、第2倉庫のことについてドフィに話したいの。今の第2倉庫の担当って誰?」
「ああ、ディアマンテだが……ルシー、お前まさか商売に口出しする気か」
じわり、とヴェルゴから激しい感情が漏れてきた。子どもが可哀想だからやめて、とか私が言い出すとでも思ったんだろうか。
「ええ、そうよ。だってあんな状態じゃ、売る前に死んじゃうでしょ?」
私はドフラミンゴが怖い。邪魔だと思えば実の父親でも撃ち殺すあの人が怖い。そんな兄に、この私が、真っ向から逆らうはずがないじゃないか。眉間にシワが寄らないよう意識して、にっこり笑った。ヴェルゴとセニョールはなんだか含みのある視線を交わして、けれど納得したように頷いた。
「ならいい。…じきに次の商談の時間になる。話すなら早めに行ってこい」
「はーい」
白いモフモフコートが落ちないようにしつつ、早歩きでドフィの部屋に向かった。ノックをする前に私だと察していたドフラミンゴが、入れと早々に言ってきたので遠慮などせず堂々と乗り込んでやった。
「なんだ、ルシー」
「第2倉庫のことで兄上に進言したい」
「あ?第2倉庫?…フッフッフ……おれのお優しい妹はガキを見捨てられねェのか?」
「まあね。売られるのは仕方ないとして、せめて衛生環境は改善してあげて。……もう、病気の子とか死んだ子とか出てるんでしょ?せっかく仕入れても死なせちゃ丸損だよ」
「……フッフッフ!!!なァ、ルシー!おれたちは今はたった2人の血の繋がった兄妹だ!妹が本音を隠してお綺麗な言葉で説得しようとしてくるなんざ、兄としちゃ寂しい限りだぜ!?」
書類を机に投げつけて、ドフラミンゴは大げさに両手を広げてそう言った。何があったかは知らないけれど、あまり機嫌は良くないらしい。まあ、部屋に入った時から視線を向けてこない時点でそんな気はしていたけれど。でも本人がそうご希望ならば、と私も素直に言ってみることにした。
「あの子達を見て、街の大人に暴行されていた兄上とロシーを思い出した。私は、私が兄上たちにできなかったことを、せめて目の前で同じ目にあっている彼らにしてやりたいと思う。具体的に言うと衛生だけじゃなく生活環境も整えてやりたい。でも私には商売に口を挟むような権利はない。だから兄上にお願いをしに来たの」
「…おねだりなら可愛く甘えて言ってみろよ、ルシー。おれの気が変わるかもしれねェぞ?」
嫌な人だなと思った。一緒に生活しててディアマンテの性悪がうつったのかもしれない。だいたい可愛くってどんなだ。あいにく私はそんなかわいこぶりっ子できるようなタイプじゃないってのに。何が悲しくて前世込みでの自分の半分も生きてない若造にそんな甘えてみせなければならないのか。…いや、れっきとした私のワガママのためなんだけれど。だってあの子たちをあのままにしているということは、少なくとも今はドフラミンゴに不利益は出ていないようなんだし。だとしたら生活環境を整えてほしいというのは私の単なるワガママなんだ。嫌な世界だ。嫌な時代だ。それでも、私が生きている場所だ。望まれるままに踊るしかない。しばらく悩んで、諦めてドフラミンゴに近付いた。ここ最近のドフラミンゴを見ていれば分かる、彼にとっての甘えるとはこういうことだろう。真正面から抱きついて、顔を擦り寄せて、耳元で囁くようにおねだりをした。
「お願い、ドフィ。小さい頃の私を助けて」
「…フッフッフ!!!」
私を膝の上に座らせて、ドフラミンゴは大変満足そうに笑った。さっきまでの不機嫌は吹き飛んだらしい。
「あァ…やっぱりお前は可愛いなあ、ルシー。可愛いだけの、人形みてェだ」
ずきり、と胸が痛んだ。痛覚なんてないはずなのに、私はまだ、言葉のナイフに突き刺されると心が痛むらしい。ドフラミンゴに意図はないのだろう。けれど私には、お前に価値はないのだと、言外に言われたように感じた。ドフラミンゴたちに生かしてもらわなければ、満足に生きることすらできないのだと。
「…兄上は性悪に育ったね。まるで悪の大魔王みたい」
「大魔王とは随分な言われようだなァ!まあ、その通りだけどなァ…!」
大口を開けて哄笑したドフラミンゴの頬を引っ張り、睨みつけてやった。おい、約束はどうした。
「兄上?約・束・は?」
「おいおい…お前までグラディウスみてェなことを言うなよ?心配せずともおれは時間も約束も守ってやるさ」
「具体的には?」
「…ガキどもの生活環境を整えてやる。毎日服を着替えさせて、一日三食食わせてやって、便所も風呂も使わせてやる。これでいいだろ?」
「よろしい。さすがは私の兄上、話が通じてよかったわ」
引っ張ったお詫びにもう一度ぎゅっと抱きついた。どうせそんなに目立たないだろうが、引っ張って赤くなった頬をよく揉んで誤魔化しておいた。
「そういやルシー、おれを探してたんだろ?何か用があったんじゃないのか?」
部屋を出ようとする私に、ドフラミンゴが聞いてきた。そう、第2倉庫に行ったのも、元はドフィを探してのことだった。別件でお願いがあったのだけれど、今は時期ではないだろうと思った。
「また今度ね」
にっこり笑って、部屋を出た。通りすがったディアマンテ に顔が怖いぞと笑われたけれど、うん、と頷いて自室に駆け込むことしかできなかった。
(…いつか、ここから出て行こう)
一生をここで生きることはできない。ドフラミンゴの仕事が大きくなるにつれて、だんだんそう思うようになってきた。家族は好きだ。ドフラミンゴも、まあ、割と好きだ。けれどもうすぐこの体も20歳になる。ならば他者から見たって、妹が保護者である兄から独立することに何も問題はないはずだ。むしろこれから一生ドフラミンゴに食わせてもらうなんて、完全にニートだ、ニート。それはさすがにまずい。前世で成人して親元から離れていち社会人をやっていた人間としては、社会に出て働けるのにニートを満喫している穀潰しになるなんてことは避けたい。
「…可愛いだけの人形……だって」
ふっと笑ってしまった。かつて自分でも思ったことを、改めて兄の口から言われるというのは、なかなか精神的に堪えた。痛覚がなく、触覚も温感もなく、空腹すら感じない。ドフラミンゴの糸に操られてようやく生きているだけの人生……そんなの真っ平御免だ。私にだって1人の人間として第二の人生を面白おかしく生きる権利がある。今日ドフラミンゴに相談しようと思ったのはそのことについてだった。けれどあんな言い方をするということは、おれがいないとお前は生きていけないだろう、と宣言されたも同じだ。
(悪いけど、私は生まれた時から反抗期なのよ、ドフィ)
絶対に独立してやる。久しぶりにごうごうと胸の中の炎が燃え上がった。