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ドゥルシネーアは弱い。体も弱ければ精神も弱い。ガキの頃から大人の真似をして強がっていたが、少し脅せばこの世の終わりのように怯えるし、甘い顔をしてやれば笑って擦り寄ってくる。時々頑固だったが、そんなちょっとしたワガママならば、この世の地獄を味わってなお素直なあの顔で言われりゃ許容できる範囲だった。だが、自傷行為だけは許せなかった。痛覚がない、触覚がない、温感がない…そんなのはどうだっていい。おれの家族がなんとかするし、いざとなればおれの糸でなんとでもしてやれる。が、それを利用して加減一つできない捨て身の訓練をすることだけはいただけなかった。肋骨も、手も足も指だって、折れていないのは背骨ぐらいだと言うほどに、あちこちの骨を折るほど全力で打ち込んでいた。全ては痛みが分からないからだ。そんなルシーが可能な限り傷付かないよう熱心に教えていたヴェルゴがファミリーを抜け、妹はますます加減ができなくなっていた。
(それともただ単にヴェルゴが好きだっただけか?)
ヴェルゴがいなくなってからというもの、訓練に打ち込む姿はまるでヤケになっているように見えた。だから、訓練をやめさせた。可愛い妹が好き好んで傷ついていく姿は見ていて不快だった。アイツはおれが守ってやらないとすぐ死んでしまうような妹なのだ。だから無意味な訓練を辞めるようラオGとグラディウスに言い渡した。それを聞いた妹はラオGには笑って受け入れたように見せておいて、グラディウスには泣いて激怒したという。感情一つ押し殺せない小さな妹は、齢を重ねるほどに素直になっていて可愛いものだというのに。
「ねえ、ドフィ。やっぱり銃だけでも習えない?」
「あァ?必要ねェだろ?」
「でも万が一ってのがあるしさぁ」
万が一などない。おれたちがどれだけお前を守るのに力を尽くしているのか知らないから言える言葉だ。何も知らない無知で弱い可愛い愚かな妹。そんな妹を、何より尊いと思う。ーーかつての母のように、哀れな妹。アイツを殺したことは今でも正しいことだったと言える。アレは存在が無意味だったから。だが、おれとロシー、この妹を母に産ませたことだけは、アイツの唯一賞賛すべき点だった。
「フッフッフ!却下だ」
「ドフィのケチー!」
「ルシー!」
ただ、妹のこの諦めの悪さだけは、困ったものだった。グラディウスがたまらず声を荒げていた。ああ、こいつはルシーに下心を抱いているからな、と思うと妙に笑えた。そんなグラディウスの純情を弄ぶかのように、ルシーは何にも気付かない。立派な悪女に育ったものだ。
「動きたいー!はしゃぎたいー!鍛えたいー!」
ガキのようにソファーに寝転がり足をバタつかせる姿は、たまらなく無防備で平和なものだ。
「フッフッフ!」
「ルシー!少しは慎みを持て!」
「無理ーぃ」
夏島が近くて暑いからか、珍しく火傷跡の残る足を晒したルシーに、グラディウスが焦ったように舌打ちをしていた。ああ、そうだよな。慕っている女が普段は見せない足を自分の前で晒してんだ。意識してもらえない悔しさと、恥ずかしさと、嬉しさと…まあ、そんなんで頭が破裂しそうなんだろうよ。よかったなァ、ルシー。おれがこの場にいて。
(ーーー来たか)
ざわり、と外の空気が揺れていた。あァ…ようやく獲物が糸にかかった。この日をどれだけ待ち望んだか。質のいい奴隷を売り、武器をばら撒き、薬で各地を崩壊させて、ようやく繋げた細い糸。それを伝って一言二言囁いてやれば、奴らは目に見えて動揺した。ーーああ、そうだ、おれを殺しに来い。おれはお前らを食い物にして、必ず世界をぶっ壊してやる。気分良く書類を投げ出してネクタイを緩めた。さァ…この首を獲れるものなら獲りに来い、天竜人ども。
「兄上?」
「客が来たみたいだなァ。ルシー、お前は大人しく待ってろ。行くぞ、グラディウス」
「はっ!」
まだ今は序の口だ、護衛は不要だろう。だが、この弱い妹には手出しをさせない。
「いってらっしゃい、ドフィ、グラディウス」
無知な妹が手を振っていた。ああ、そうだ。お前はそうやっていればいい。安全な場所で、真綿に包まれるようにして生きていればそれでいい。そう思っていた。ーーーなのに。
「兄上っ!」
なんでお前がここにいる?
「ルシー、ッ!?」
いるはずのない妹が、自分の前に飛び出して来た。真っ白な布のような妹を思わず切り殺しそうになって手を止めると、間を空けず乾いた銃声が聞こえた。戦闘中には珍しくもなんでもない銃声が、妙に生々しく聞こえた。何が、起きた。何が起きている。
「ルシーッ!!!」
なぜ、おれの妹が血にまみれているんだ。
「ルシー、しっかりしろ!ルシー!」
心臓の鼓動に合わせるように、赤い血が吹き出てくる。母のように白い妹が、アイツのように赤く染まる。何が起きているのか分からない、と目を丸くしていた妹が、ふとおれを見て、自分の傷口に目をやって、そしてにこりと安心したように笑った。嫌な笑顔だ。殺す前のアイツと、同じ顔だ。弱いくせに、おれを守れたと満足そうにした、笑みだ。おれはお前に守られるほど、弱くはねェ…!
「ど、ふぃ…」
ルシーが口から血の塊を吐いた。最初は、何人か残して拷問にでもかけてやろうと思っていた。だが、あいつらは『おれの』妹を傷つけた。許さねェ。絶対に!!!
「若っ!ルシー!!!」
家族の呼び声が遙か遠くに聞こえる。自分を中心に樽や船が糸に変わっていくのが分かった。ああ、これだけ糸があれば殺せる。人の形など跡形も無く、ひき肉にしてやる。殺してやる!殺してやる!!!
「ぁに、…ぇ」
死にそうな顔で呼んだのは、おれか、ロシナンテか。…ガキの頃から妹が抱きついて甘やかしていたのはいつだってロシーにだった。いや、ロシーがルシーに抱きついて縋っていたのか。肝心な時に居やしねェくせに、こんな時でさえ呼ばれる弟が、羨ましくてーーー憎かった。