「39話のロシナンテ視点」です。
サン&ムーンさん、リクエストありがとうございました。
ドフラミンゴから聞いていた。おれが戻る直前に、ルシーがドフラミンゴを庇ったんだと。庇って、撃たれて…死にかけたんだって。
「……見聞色かもな…」
厄介なことになった、と言外にドフラミンゴはグラスを傾けた。血のようなワインが飲み干され、空になったグラスにドフラミンゴは再びワインを注いだ。満たされていくグラスを見ていると、妙に心が落ち着いた。
(…ルシーは、ドフラミンゴを庇ったのか)
逃げよう!と幼い頃の妹が発した声を思い出した。
『ドフィ兄上がいないのは今しかないの!ロシー兄上、逃げるよ!』
あの時初めて、妹は自分と同じで、ドフラミンゴを恐れていたのだと知った。ずっとドフラミンゴに笑いかけて、平然と話して、死体を踏みしめながらおれの手を引いた妹は、ドフラミンゴと同じバケモノに見えていたのに。おおよそ人間らしい感覚を根こそぎ失った、人形のようだったのに。本当は怖かったんだと…おれは兄なのに、知ろうとしなかったんだ。あの小さく弱い妹に、守られていたんだ。
(……やっぱり、お前は父上と母上の子なんだよ、ルシー)
どんなことになっても、お前はドフラミンゴのことも許してしまうんだ。
『大丈夫!絶対大丈夫!私がみんなを守るから!』
もっと幼い頃の妹が言った言葉だ。たとえどんなことになっても、ルシーはドフラミンゴを守ろうとするんだろう。銃口を突きつけられてなお、笑顔で謝った父上のようだと思った。そんな父上と妹を重ねて見てしまうから、ドフラミンゴは不安がって、苛立っているのだと、そう…思ったんだ。ーーーなのに。
「ロシーッ!」
「……、っ!?」
鋭い妹の声にハッとした。子どもたちを連れて部屋に行ったんじゃ、と思う間もなく、腕を掴んで引きずり倒された。自分の半分とまではいかないものの小さな体のどこにそんな力があったんだ。一体何が起きたんだ。
「しまっ、」
考えがまとまらない。けれど、耳は正確にその銃声を捉えて。陽の光を背にした妹の腹から、血が吹き出る様を、見ているしかできなかった。
「ーーーっ!!!」
(ルシー!!!嘘だろ!?なんで、なんでこんな…!!!)
倒れてきた妹を抱きとめると、手が熱い液体にどろりと濡れた。
「向かって左下!」
なんで、そんなに冷静に指示を出してんだ。
(お前は優しい父上と母上の子だろう…!!?)
痛がらない。怖がらない。悲しまない。そんな妹を見て、可哀想だと、哀れだと思えない自分がいた。
(おれの知らない間に、お前はドフラミンゴと同じになったのか)
軽く柔らかな体を抱き上げて、ドフラミンゴの部屋に走った。不思議そうに自分を見上げる妹の姿なんて、見ていられなかった。痛さを感じない。銃で撃たれて怯えない。血を見ても平然としている。
(ルシー…お前は弱いままでいいんだ…!)
痛みを感じなくても、痛がればいい。怪我に怯えて悲鳴の一つや二つあげたっていいんだ。血に怯えて、こんなところは嫌だって、言えばいいのにーー。
(ドフィが恐れていたのは、これかーー)
室内の様子を伺うこともせず、走る勢いのまま扉を足で蹴破った。
「…っ!!!」
「ん?なんだコラソン、ノックを……」
窓辺で書類を読んでいたドフラミンゴが、おれたちの姿を見て立ち上がった。ばらりと書類が雪のように床に投げ出された。
「ルシー!?何だこれは…!何があった!?」
駆け寄ったドフラミンゴの前に、ルシーを下ろした。ひどい怪我に血の気の引いたおれたちとは正反対に、ルシーはひどく冷静に状況を話し始めた。不具合の出た人形のように途切れる言葉が、痛々しかった。
「ーーお前を狙ったのか」
怒気の混じるその言葉を聞いて、ハッとした。先日の誘拐を思い出した。また、狙われたのか。アジトで隠すように生活をさせているのに、また…!?
「違う。外に、出ようとした、ロシー、狙ってた。私、ロシーを、部屋に、引っ張って、そしたら、私ーー…」
おれを、庇ったのか。おれのせいで、怪我をしたのか。ルシー…!堪え難い感情が湧き出て、知らずと唇がわなないた。そんなこと、お前がしなくていい。お前は何も知らないまま、安全な場所で笑っているだけでいいのに。
「見えた、から…」
誇らしげに、嬉しげに、妹は笑った。血にまみれたまま、心底嬉しそうに。ーー吐き気がした。妹が、同じ人間に見えなかった。
「…覇気か」
「………」
「お前には、今後一切の外出を禁止する」
は、と吐息のように聞き返した妹を哀れに思った。さっきの笑顔なんてどこかに消えて、混乱するようにおれたちの顔を見上げていた。妹は、理解していなかった。自分の異常さを、悲しさを。感覚だけでなく自分の思考が人でなくなりつつある、その事実を。何一つ…理解していなかった。
「聞こえなかったのか?おれたち全員が揃ってアジトを変える時以外での、お前の外出の一切を禁止する。おれは間違ったことを言ってるか?ロシー」
「………」
ドフラミンゴは、何も間違っちゃいなかった。兄を庇う妹の姿を、おれも見てしまったから。ルシーがおれを…庇ったから。身を呈して守るしかできないのなら、見聞色など会得しなければよかったんだ。
「なんで……?喜んで、もらえると……思ったのに…ッ!!!なんで…っ!!?」
ドフラミンゴは、父上とルシーを重ねて忌々しく思ったんじゃなかった。幼い頃の弱い妹と、バケモノのようになっていく今の妹を比べて…それを止められない自分に、嫌悪していたんだ。妹の白い服が赤く染まっていく。それをワインのように飲み干してしまいたかった。この弱い妹を白いままでいさせられるのなら、何だってしてやりたかったのに。