サン&ムーンさんより、「44話のグラディウス視点」です。
リクエストありがとうございました。
「おいグラディウス、見ろよ。ガキがガキの子守りをしてやがるぜ!」
ディアマンテが面白くて仕方がないと腹を抱えて笑っていた。促されて泣き喚くガキの方を見ると、慣れない手つきでガキをあやす小さな背中があった。普段は達観したような目をしているルシーが、何かに手間取り眉を下げる姿は珍しかった。そういや銃を教えた時も最初はあんな風だったか、とかつての姿を思い出した。
(ガキがガキの子守りをしてる、か)
年の離れたディアマンテにはそう見えるのだろう。何せ、10にもならない年齢からルシーを見ているのだから。おれにとっては昔から年上ぶった余裕の表情で近付くあいつをガキだと思ったことはなかったが。
「うあぁあーっ!!!」
「あばば…!デリンジャー、髪の毛!ちょ、ストップストップ!絡まってるからま…あっ!食べちゃダメだって!」
ルシーの長い髪を握りしめたガキが、髪を口に運んだらしい。悲鳴をあげて慌てふためくルシーの姿を見て、ディアマンテが膝を打って笑い転げていた。だがーー。
(………イラつく…?………?)
ジリ、と焦燥感のようなものが胸をよぎった。
(…ガキの泣き声がカンに障るからか)
まだ言葉も理解できないようなガキ相手に必死に話しかける姿に背を向けた。日がな一日ガキの相手をしているあいつとは違って、おれには仕事がある。……もう大方片付いたが、早く終えて問題のあるものでもないし、若に報告もしなけりゃならない。
「ふゃぁあ…!」
夜中に聞こえた音に、パッと目が覚めた。瞬時に敵襲かと身構えて、遠くで警報のように鳴り響く音がガキの泣き声だと理解した途端に、体の力が抜けた。
「チッ」
あのガキが来てからは毎晩毎晩ずっとこうだ。早々に慣れたやつらは気にせず眠っていたが、神経が尖るのかおれはなかなか慣れなかった。行き場のない苛立ちを抑えて横になり、布団を引き上げた。ガキももう少しすれば黙るはずだ。そうすればおれも眠れる。
「…よしよし、デリンジャー……お腹空いたのかなぁ…それともおむつ…?」
仲間たちの寝息に紛れて、静かな夜を縫うようにそんな声が聞こえた。寝起きのぼんやりした声は、間違えようもなく、ルシーのものだった。
「あいつ…」
時計を見ると、深夜の3時。本来ならあいつは熟睡している時間のはずだ。……まさか、と思い当たった途端に、漂っていた意識が浮上した。
(ガキが泣く度に起きて相手してたのか…?)
そういや最近は目の下に隈が目立っていた。肌も荒れて、日中の欠伸も多かった。デリンジャーが大人しい時には、ほんの数秒でも目を閉じて眠っていた。あれは全て、ガキの夜泣きのせいなのか。
(バカな女だ)
ガキで遊びたいのなら、もう少し落ち着いた頃のガキを若に強請ればよかったものを。奴隷の女に同情でもしたのか、腹の子をファミリーに加えるようなことをするなんて、バカだとしか思えなかった。
「ーーー…ーーーーー…」
気の抜けるような細い声が聞こえた。聞いたことのない不思議な音程のそれは、聖地で生まれ育ったルシーや若に馴染みの子守唄なのだろう。奇妙なことに、近くで眠る仲間たちの寝息よりも、遠く離れた部屋のルシーの子守唄の方が、すぅ、と染み込むようによく聞こえた。
「ーーーー…ーー、ーーーー…」
いつの間にか、あんなにうるさかったガキの泣き声は途切れていた。もう泣いてないのに、子守唄は途切れず続いている。それがなんだか、自分のために歌っているのではないかと錯覚するほど、優しく聞こえたのだ。
(……あいつも……さっさと、寝りゃ……いいん、だ…)
寝不足や慣れない育児が顔に出るほど辛いなら、誰かに助けを求めりゃいいんだ。ガキが好きなジョーラやラオG、ピーカだって、頼めば夜泣きの対処ぐらいしてくれるだろうに。
(……おれだって…)
ふつ、と意識が途切れた。どうやらあのまま寝てしまったらしい。身支度を整えて台所に向かう途中、ジョーラの叫び声が聞こえた。
「っキャーーー!!!ルシーがまたデリンジャーに食われてるざますー!!!」
「そんなカニバみたいなこと言わないで!?」
即座に反応しているところからすると、それほど酷い状態ではないのかもしれない。そう思いながら姿を探せば、首も肩も胸の中頃まで血で真っ赤に濡らしたルシーがへらへらと笑っていた。
(あいつ…!バカだバカだと思ってたがここまでバカだとは…!)
「お嬢、ここに座りなされ」
「おい、遅いぞ!消毒液はまだか!」
座らされたルシーの首元、噛まれたであろう場所を圧迫止血すると、すぐさまベビー5がタオルを持って来た。
「ルシーさん、タオルを首に当てますね!」
手際よく服をはだけさせるベビー5の代わりにタオルで抑え、血が付いた髪をかきあげてやった。相当強く噛み込まれたのか、小さい歯型だというのに出血がひどい。だというのにルシーはディアマンテにミルクをやってほしいなんて呑気に頼んでいる始末。こいつ……真性の阿呆だ!
「ルシーさん…ちゃんと寝てる?」
「うん、もちろん。ちょこちょこ睡眠とってるよ?」
「うそ!だってデリンジャー、昨日も夜中にすっごく泣いてたわ!ルシーさんの声も聞こえたもん!」
「あら…起こしちゃってごめんね」
「そんなのいいの!…ルシーさん、クマもできてるのに」
ほらみろ。こんなガキでもお前が無理してるってのは分かってるんだ。なのになんで自分のことが分からねェんだ。感覚がないだとかそんな問題以前に、自分が生きた人間だってことを忘れてるようにすら見える。それが…年々、ひどくなっている。ガキの頃に骨にまでナイフを食い込ませておいて平然と笑う姿にゾッとしたのを思い出した。…嫌な記憶だ。
「おい、ちゃんと寝ろ」
一纏めにして持ち上げた髪を引くと、近くで見るとなおさら悪い顔色でへらりと笑っていた。
「大丈夫大丈夫、寝てるって。てか夜泣きしてたらみんなが寝られないでしょ?」
「お前が気にすることじゃねェ。それにガキなんざ勝手に泣かせておけばいいだろ」
そう言うと、ルシーは困ったように笑った。別に泣いただけで死ぬわけでもねェんだ。ガキなんざ泣かせときゃいい。そのうち黙る。奴隷だってそうじゃねェか。
(ーーーまさか…おれたちが目を覚ますとでも思ってんのか?)
「グラディウス、ちゃんとルシーさんを抑えてて!」
知らずと手の力が抜けていたらしく、長い髪がたわんでいた。嬉しそうにベビー5を見ているルシーの肩と髪を固定した。ふと、血に混じってルシーから甘い匂いがした。ガキ特有の匂いだ。
(実の親でもねェくせに)
他人のガキなんざ適当に育てときゃいいじゃねェか。そう思ったが、言えなかった。おれには分からねェが、こいつはきっと悲しむだろうから。
「…一人で何でもできると思ったら大間違いだ。お前のような弱いやつが半魚人のガキを一人でまともに育てられるわけねェだろ。だいたいお前は…」
とめどなく口が不満を垂れ流す。その最中に、ルシーが動いたからか、金の髪がさらりと手のひらをくすぐった。
(どこもかしこも齧られやがって)
ガキが来るまでは綺麗な髪だったのに。少し傷んだ髪に、そんな髪にしたガキを許すルシーに、無性にーー腹が立った。