「フッフッフ…ルシー、また逃げたのか?」
「ふん!家出したいお年頃なの!」
今日は王宮を出ようとした段階でピーカに見つかって、ドフラミンゴの所まで軽々と持ち運ばれてしまった。くそっ!見逃してくれよ!今までで最短時間で捕獲された!
「何が不服だ?装飾品か?おれたちが構ってやれないことか?…ああ、モネの代わりに入った新しい女中か?」
「ニート生活全部!」
「フッフッフ!ワガママな王女だ!なァ?ヴァイオレット」
ドフラミンゴが声をかけた相手に、え、と声が漏れそうになった。王座の向こう側、影になったところに、ヴィオラさんがいた。まだ幼さを残す顔立ちで、私たちを強い眼差しで見ている。真正面から見るのは初めてで圧倒された。目力のせい?なんだか、圧がすごい。
「…あなた…」
「新しい幹部だ。会うのは初めてだったか?」
「うん。…はじめまして」
「ーーはじめまして、ドゥルシネーア王女」
優雅なカーテシーに見惚れた。ああ、やっぱり本物の王女ってこういう人のことを言うんだよ。私みたいなとってつけた人間なんかには絶対にこの気品は出せない。比べるまでもなく、誰もが彼女を王女と呼ぶだろう。
「ルシー、しばらく部屋でヴァイオレットと仲良くしておけ。ーーいいな?」
「ええ、分かっているわ」
ドフラミンゴの言外の意図を読んだのか、何かにヴィオラさんは承諾した。仲良くはいいけど、一体何の話をしているの、と尋ねる間も無く、ヴィオラさんに部屋まで連れていかれた。この子、なかなか力が強いな…!ドアを背に、彼女は口を開いた。
「ーーーあなたは何をしたいの?」
「へ?」
「とぼけても無駄よ。私はギロギロの実の能力者、あなたの考えも行動も全てを見通すことができる」
ギッと睨むその目には、やっぱり圧がかかって感じる。言われるまでもなく、これは脅しだ。ヴィオラさんは、私を脅している。さっき彼女が言った通りなら、私が何をしたいかなんてプライバシーも何も関係なく心を読めるはずだ。なのにわざわざ聞いてくるとは、どういう考えなのか。
(……ドフラミンゴが、この部屋にいる?)
「……兄上、いるなら出てきて」
部屋に向かって呼びかけたけれど、ドフラミンゴは出てこなかった。隠れているだけか、と警戒を解かずにいると、ヴィオラさんは少しだけ肩の力を抜くように、呼吸を整えて教えてくれた。
「…この部屋には誰もいないわ。聞き耳を立てている人も電伝虫もいない。あなたと私だけよ」
「そう。ありがとう、安心した」
彼女が言うのならその通りなのだろう。彼女に私を陥れる理由はないはず。だとしたら2人きりになれたこの機会を、彼女は利用しようとするはずだ。お互いに腹の中を明かして、あわよくば協力者とするために。つまり、私を脅すように圧をかけているのは、単に緊張しているからだ。お互い、一手しくじれば終わりを迎えてしまう者どうしなのだから。私は椅子に近付いて、テーブル越しに彼女にも椅子を勧めた。
(ああ、久しぶりの感覚だなぁ)
もう何年ぶりになるか分からない、喉の乾くようなあの強烈な感情を思い出した。どうにでもなってしまえという自暴自棄にも似た、反抗心を。
「ヴィオラ王女、どうぞそちらへお座りください。一緒にお茶でもしながら、ドフラミンゴを出し抜く計画でもしましょう?」
「!」
へりくだった言い方が気に障ったのか、痛いところを突かれて驚いたのか。ヴィオラさんは体を強張らせた後、警戒しながらもゆっくりと椅子に座ってくれた。それを見届けて、私も椅子にかける。ああ、お茶をしましょうと誘っておきながら、肝心のお茶の用意を忘れてた。…まあいいか。
「……やっぱりあなたは…ドフラミンゴを裏切ろうとしているのね」
「裏切る、じゃないよ。私はドフラミンゴに対立しない。裏切らないし、敵には絶対にならない。…したところで殺されるだけだしね。私はただ、自由が欲しいだけ」
子どもの頃に私に銃を向けていたドフラミンゴに言った言葉だ。ただし今はその言葉に追記が入る。私は自由が欲しいのだと。
(この檻から出て自由になりたい。自由に生きて死んでいきたい)
ドフラミンゴに殺されるのだけは絶対に嫌。だって鉛玉で何発も撃たれるんだもの。せめて1発で頭をぶち抜いて殺して欲しい。それが殺す側の慈悲ってもんでしょ?
「…あなたは私の何を知っているの?ドフラミンゴに聞いたの?」
「いいえ。でも、誰かに聞いたんじゃない、私自身で調べたの。あなたが王女で、姪がいて、片足の兵隊さんがいて、父親を生かすために幹部になって、いつかドフラミンゴを裏切り落とし前をつけてやろうとしているって」
「本当に…どこまで知っているのよ…」
「誰にも言ってないよ」
「そうね。あなたが言っていたら、今頃ドフラミンゴは問答無用でお父様に何かしたでしょう」
ヴィオラさんは大きくため息を吐いて、やっと肩の力を抜いてくれた。少しは信用してくれたんだろうか。
「…あなたの心の中はとても複雑ね。壊したい気持ちと守りたい気持ちが渦を巻いているみたい。国民たちに罪悪感を抱いて生きている、でも…仲間を止めたいわけじゃないのね?」
「みんなはドフラミンゴの意向に沿って動いているだけ。…少なくとも、今はまだそうだと思う」
好き好んでこの国を壊滅させてやろうだとか、そんな風には思っていないはずだ。だって、グラディウスがあんなにも肩の力を抜いているのを初めて見た。デリンジャーが無邪気に走り回る姿も。それはつまり、ほんの少しでもこの国に愛着が湧いたんだった、好きになったんだっていうことでしょう?
「いつか必ずしっぺ返しを食らうって、知っているから。ドフラミンゴがこの国を乗っ取ると画策した以上、私にできることはないし」
「…見切りと諦めが早すぎるわ。あなた本当に30代?」
どきりとした。けれど同時に、もしかして前世の記憶まで読めるのかと、気になった。原作の知識を読まれてしまえば、もっと早く何とかできないか、なんて独断で動かれる可能性も出てきてしまう。力を持つとはいえ、彼女1人でドレスローザをひっくり返せるなんて思えない。けど、まず間違いなく、ヴィオラさんは確実に私の味方になってくれるだろう。打倒ドフラミンゴの旗のもとに。
(…賭けてみるか)
だって私は、仲間が欲しい。ドフラミンゴでなく私についてくれる、絶対に裏切らない仲間が欲しい。
「私の記憶、読めませんか?」
「…読んでもいいのね?」
「ええ、どうぞ」
ヴィオラさんはあの独特のポーズをして、しばらく私を見つめていた。私は…色んなことを思い出していった。船の旅。家族が増えたこと。天竜人と奴隷たち。ロシナンテが死んだこと。幼いドフラミンゴが海軍船を潰したこと。母親の咳。血と肉で埋もれた道。必死にロシナンテを生かそうとしたこと。恐怖。訓練を始めたこと、やめさせられたこと。取り引き。珀鉛病の皮膚の状態。父親の腐った頭部。輪姦未遂事件。火炙りで爛れた足。ーー兄に、人形のようだと言われたこと。
「っ、……ごめんなさい、気分が…」
吐き気を堪えるように、ヴィオラさんが手で口元を覆った。顔色がものすごく悪い。ああごめんね、血なまぐさい記憶もあるって伝え忘れてたね。
(あれ?その前の記憶は?)
私が思い出した記憶が、そのままヴィオラさんに伝わったというのなら…前世の記憶がまるごと抜けていることになる。
「ヴィオラさん、もしかして…本人が直接見聞きした記憶しか読み取れないの?たとえば、ええと…なんて言えばいいのかな…私が目の前の箱の中身を見ていないけど察しているって場合、記憶を読んだあなたは箱の中身を知ることはできない、とか…」
「…無理よ、それは推測でしかない。それを事実として読み取ることはできない…」
私が原作の知識を持っているのは、前世の記憶があるからだ。この体になってから得た知識ではない。ヴィオラさんの能力が他者の脳を覗き見ることにあるのなら、生まれ変わった私の脳に原作知識を刻み込むことはしていないから……つまり、私を通じて原作知識を読むことはできない?
(じゃあ、じゃあ…私の知識を、読んで信じてもらうことが、できない…?)
ぎり、と唇を噛み締めた。ああ、彼女を引き入れることは無理なのか。
「…いいえ、私はあなたを信じられるわ。真意を知って、もしあなたが敵になるなら…ドフラミンゴにあらぬことを吹き込んでしまおうと思っていたから」
「うわ怖っ!」
「ふふっ。ええ、私は幹部ですもの。目的のためなら、なんだってするわ」
ヴィオラさんは私に笑顔を見せて、真正面から手を差し出して来た。
「協力しましょう」
「ーーええ、喜んで」