真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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11話:人民委員会は踊る、されど進まず

              

 孫堅の死から1年後、袁家では未だに失脚した保守派や軍部のポストを巡って、熾烈な権力闘争が繰り広げられていた。

 

 もともと袁術陣営では主君たる袁術が仕事をせず、No.2の立場にいる張勲までもが袁術のワガママに付きっきりという、異常な状態が続いている。

 そのゆえ実務の大部分はその他の幹部が代行しており、重要な案件については幹部全員の協議で決める、一種の寡頭政治が行われていたのだ。

 

 しかしながら、この協議――最近、名称が『中央人民委員会』に変更――には一つ、大きな問題があった。

 

 人民委員は皆平等とされ、所謂リーダーがいなかったのだ。

 

 名目上、最高責任者は袁術とされているが、当然ながらリーダーとして全く機能していない。そのため人民委員会では多数を占めた派閥の長が、事実上のリーダーとされる。

 かつて保守派では武官を陳紀が、文官を袁渙が纏める双頭政治を行う事でうまく業務を分担していた。しかし劉表との戦争の結果、陳紀は死亡し、保守派も大きく衰退。

 

 だが、保守派とって代わって人民委員会を牛耳った改革派には、目ぼしい指導者がいなかったのだ。その事実は官僚派や保守派に反撃の機会を与える事に繋がり、袁家内部の権力闘争をより複雑なものとしてゆく。

 

 

 ちなみに当時の次期リーダー候補として袁渙、魯粛、楊弘、劉勲などが挙げられる。

 

 リーダーとして最も妥当な人選から言えば、袁渙がそれに相当していた。袁渙は袁一族出身で、かつて人民委員会を主導したベテランでもあった。だが、所属していた保守派が大打撃を受け、その影響力は明らかに減退を見せている。しかも袁一族である事が逆に他の委員達の警戒を引き起こし、最有力候補である事がむしろ仇となっていた。

 

 もう一人の候補者、魯粛は官僚派の若きエリートとして評価されていた人物である。また、魯粛は行政官として優れた手腕を持っていたものの、政治闘争には不向きであった。

 

 対照的に改革派の筆頭候補者・楊弘は露骨に権力への野心を露わにし、事あるごとに袁渙と対立している。改革派内部では強硬派を楊弘が、穏健派を劉勲がまとめる形で成り立っている。両者は互いに協力しつつも、内心ではライバル心を抱いているのが常だった。

 

 最後に劉勲がいたが、この時期の彼女はそこまで目立つ存在では無い。スキャンダルや黒い噂はそれなりに多かったものの、政治的にはあくまで『そこそこ有能な若手の人事部長』という程度の認識だった。

 

 

 権力闘争の第一段階では、最有力候補だった袁渙と、楊弘・劉勲の連合が対立。一方の魯粛は、袁渙と政治的には近い立場にいたものの、政策面では保守派の袁渙と敵対していた。そこに目を付けた劉勲は、「敵の敵は味方」と彼女を説得。魯粛自身、「政治家同士の対立を、民衆への政策に持ち込んではならない」と考えていた事もあり、内政政策面での譲歩を条件に改革派との同盟を受諾。

 

 最終的に、魯粛が連合に与した事により、袁渙は失脚し“病気療養”することとなった。その後は楊弘、魯粛、劉勲が3頭政治を敷いており、今に至る。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「劉勲さん、お久しぶりですねー。ここが、私の執務室でーす。」

 

 柔らかな声でそう言った青髪の女性、張勲は椅子に座ったまま笑顔で席を勧める。

 

「今日はゆっくりしていって下さいね。」

 

「じゃあ、遠慮なく座らせてもらうわ。」

 

 勧められるがまま椅子に座った劉勲は、改めて張勲の部屋を見回す。

 部屋はその人の人となりを表すというが、張勲の部屋はいたって普通の執務室だった。オフィスセット一式に、来客用の机とソファー。埃一つ付いておらず、書類などもスッキリとまとめられている。

 

「へぇ……意外ね。案外、綺麗な部屋じゃない。」

 

 劉勲は素直に、思ったままのことを口にする。てっきり袁術グッズとかが大量に飾られたイタい部屋を想像していただけに、拍子抜けする思いだった。

 しかし、そんな劉勲の思いを知ってか知らずか、張勲は何も聞かなかったかのように切り出す。

 

 

「最近人民委員会で決定された、公務員の大幅増員……それについて詳しく聞きたいんですが、いいでしょうか?」

 

 つい最近、人民委員会では孫堅の反乱を受け、地方公務員の大幅増員が決定されていた。それは人民委員の一人、楊弘によって提案され、地方豪族の反乱防止と失業対策、組織の改革などが主な目的として挙げられている。

 

「まぁ、答えられる範囲でなら。」

 

「では、簡潔に質問しますね。元々、あの案を考えたのは劉勲さんじゃないんですか?」

 

「あら、どうしてそんな事を聞くのかしら?提案した人間が、楊弘だったのは意外だった?」

 

 不思議そうに首をかしげる劉勲。

 

「誰が最初に言ったにせよ、あのぐらいは簡単に考えつくわよ。根拠や目的だって目新しい者は何も無いでしょうに。」

 

「たしか大幅増員の根拠は“各地に点在する豪族たちとの連絡役である、地方公務員の数を増やして豪族たちを袁家に取り込む。同時にある程度の失業対策も見込める”でしたね。

 まぁ、自分の息のかかった者を地方に送りこんで、制御しようという試み自体は珍しくも無いですし、今更驚いたりしません。」

 

 張勲は、劉勲の言を認めるように頷く。その上で、敢えて作り物の笑顔で語りかける。

 

 

「ですが……本当に、反乱と失業対策だけですか?」

 

 

 劉勲を見つめる張勲の視線に、僅かに疑念の色がよぎった。それも、限りなく確信に近い疑心。

 

 

「ああ、そういえばもう一つあったわね。新人の増員で官僚主義を抑えこみ、より健全な運営を行う、っていう副次効果もあるわよ?」

 

 そんな張勲の内心を察してか、劉勲は敢えて皮肉っぽい口調で語りかける。

 

「確かに、そういう考え方もできます。ただ……実際に(・ ・ ・)彼らを管理統制するのは劉勲さんの人事局。違いますか?」

 

「あら、官僚主義に染まり切っていない新人なら、既存の枠に捉われない自由で活発な活動が出来ると思わない?」

 

 のんびりとした笑みを崩さない張勲と、クスクス笑う劉勲。お互いに何かを期待するように、見つめ合う。

 

 

「……いいえ、思いません。」

 

 

 しばしの沈黙の後、張勲は笑ったままの表情で、ただ事実のみを告げるように言った。

 

「彼らはむしろ、積極的に既存の体制を強化するでしょうね。」

 

 安定した地位を得ているならまだしも、新規採用の公務員の殆どは政治的には弱い立場に置かれている。豪族と袁家の仲介は決して楽な仕事では無いし、両者の板挟みになって苦しむ事も多いだろう。その上、こういった仕事は「問題を起こさない」ことが何より重視され、それが出来ない人間はすぐに担当を外される。そしてその権限を握っているのは、他ならぬ劉勲の人事部なのだ。

 

「ここ、宛城で働くならまだしも、地方に飛ばされた新人には、中央との繋がりが生命線です。異動や新人の教育指導、功績評価は全て人事部を通さなければならない。公務員経験者ならともかく、経験の浅い新人は劉勲さん達に頼らざるを得ませんよね?」

 

 自ら確固たるポジションを確立するまで、人事部に逆らう事は自殺行為に等しい。となれば、新参者の大部分によって最も合理的な行動は劉勲らにゴマをすり、中央と太いパイプを築いて少しでも便宜を図ってもらう事となる。入社早々にトラブルを起こそうとする新入社員などいないのだ。

 

「……かくして人事部の権威は安泰。それどころか地方にまでその影響力を増大させ、保守派の失脚で空いた役職すらも手に入れる。」

 

「………。」

 

 にこやかな張勲と対照的に、劉勲の眼光が徐々に鋭くなってゆく。その瞳に浮かぶのは紛れもない警戒と関心――だが、張勲はその反応を予測していたように、静かに語りかけた。

 

 

「ですが……正直、そんなことは興味ありません。」

 

 

「…………はい?」

 

「だから、劉勲さんが権力闘争で勝とうが負けようが、私とは関係ないってことですよ。ぶっちゃけ、どうでもいいですね。」

 

 終始一貫して、張勲の笑顔は崩れない。口調も淡々としていて、嘘を付いているようには見えなかった。仮にこれが劉勲を嵌める罠だとしたら、あまりに稚拙な演技という他ない。

 しばらく唖然としていた劉勲だったが、ようやく混乱から抜け出すと、ふと思い浮かんだ疑問を口にする。

 

 

「……アタシを排除する気じゃないの?」

 

「いえ、そんなつもりは全く。それとも、排除されたいんですか?」

 

「じゃあ、なんで呼んだのよ?」

 

 通常、こういった核心をついた話題に触れるという事は、2つの意味を表す。牽制か、さもなくば協力要請のどちらかだ。

 

「そうですね。まずは、劉勲さんの能力確認です。これからの袁家の基礎造り……その為の“仕事”を行うに足る手腕を持つかどうか」

 

 相変わらず張勲の表情からは何も読みとれない。だが張勲の言う所の“仕事”には、どことなく思い当たる節があった。

 

 

「そう……。で、その“仕事”の内容を教えてもらってもいいかしら?」

 

「ええ、袁家内部に入り込んだ“忠誠心の疑わしい家臣”を洗い出し、“再教育”を施してもらいたいんです。」

 

 再教育――張勲の口から発せられた白々し過ぎる言葉に、思わず苦笑を漏らしてしまいそうになる。

 

 

「そう、簡単に言うと……反乱分子の粛清ですよ。」

 

 

 さも当然かのように、張勲は臆面も無くそう言い切った。

 

「敵は外だけでなく、内にも多い。孫堅さんの裏切りで、嫌というほど思い知らされましたからね。私たちは毅然とした態度で臨む必要があると思うんです。」

 

 鉄は熱いうちに打て――“孫堅の裏切り”という記憶がまだ新しい内なら、反対派も沈黙せざるを得ないだろう。どんな独裁者だろうと、大義名分無しに粛清は行えない。ましてや一家臣が主導しようとすれば、それ相応のタイミングというものがある。

 

 

「それが何でこういう流れになったかは……分かっていますね?」

 

 言うまでも無く、公務員の大量の採用が原因だった。この新規採用を通して、袁家家臣数はざっと3割ほど増えている。失脚した保守派の役職の事も考えれば、実に半数近くにのぼる家臣が入れ替えられているという。

 

「そうなれば当然、各地からの密偵や反乱分子が送られ、内部に多数潜伏しているでしょう。彼らの存在を野放しにすれば、お嬢様に危害が及びます。」

 

 中華に広く知られた名門・袁家ともなれば、当然ながら敵も多い。国政にもしばしば関与しているだけあって、他の諸侯や宮廷貴族など潜在的脅威は数知れず。そんな彼らからしてみれば、公務員の大量新規採用はスパイを送る絶好のチャンスだろう。領内でも同様で、周瑜の指示によって孫家からは多数の密偵が放たれていた。

 

「つまり……家臣の間で危機感が高まっていて、なおかつ実際に反乱分子が潜伏している可能性が高いのは今現在、この瞬間。やるなら、今が絶好の機会と言うワケね。」

 

 要点をまとめた劉勲の言葉に、張勲は頷いて肯定の意を示す。

 

 

「本来なら、こういった荒仕事は軍の管轄なんですが……知っての通り、軍部はまともに機能していません。」

 

 軍部を率いていた陳紀は死亡し、今の軍部は指導者争いで混沌としている。陳紀に次ぐ実力者として紀霊が挙げられるが、彼はどちらかといえば前線指揮官タイプで政争に長けた人間では無い。

 

 

「軍部同様、最高会議である中央人民委員会も、“民主的な議論”によって機能不全に陥っている。だから次善の策として、家臣の個人情報や動向を詳細に把握している人事部に、協力を要請したいと?」

 

 ようやく言いたい事が分かった、そんな表情を浮かべつつ、劉勲は満足げに問いかける。

 だが、張勲は薄く笑ってその言葉を否定した。

 

「いいえ。勘違いしてもらっては困りますよ、劉勲さん。」

 

 もの分かりの悪い子供をたしなめる様に。曇りのない笑顔で、一切の邪気も無く。張勲はあっさりと言い切った。

 

 

「――これは、命令(・ ・)です。」

 

 

(……っ!)

 

 普段は決して表だって権力を振るう事は無いが、張勲は紛れもなく袁術軍のNo.2。本人がその気になれば人民委員会を仕切ることも可能なのだ。そして張勲は今、はっきりと命令(・ ・)を下した。

 劉勲は思わず息を飲み、目を逸らし、幾度も迷うように唇を噛む。それを見た張勲は穏やかに、だが決して逃げを許さない声で続ける。

 

 

「そういえば、書記長職がずっと空席のままでしたね。空いたままにするのも、少しもったいないと思いません?」

 

 書記局は本来、行政上の規律的な役割で風紀と組織に対する従属 、過度の派閥争いに対する罰則、監督業務が主な仕事である。同時に日常的な事務処理を行う最高機関でもあったが、先の戦争で当時の書記長が失脚して以来、ずっと書記長のポストは空いていた。

 

 

「どう思いますか、劉勲さん?」

 

「そ、そうねぇ……人事部と関係良好なアタシを書記長にして、袁家を監督させるのは悪くない案だと思うわ。でも今の書記局の権限じゃ、急激な粛清はたぶん無理よ。」

 

 ややあって落ち着きを取り戻した劉勲は、先ほどの動揺を隠すかのように反論する。

 

「かといって書記局の権限を強化すれば、他の人民委員の反対を招くのは明白。無理やり書記長に就任した所で、周囲の協力を得られなければ失敗するだけだし。そこんトコ、どうする気?」

 

「はい。ですから、書記局はあくまで人民委員会直属の下部機関とします。人民委員会で反対に遭った場合、書記局の決定は覆されるという事で。」

 

 逆に言えば、人民委員会で反対が出なければ書記局の決定が、袁家全体の決定とされるということ。

 一見、これは非常にリスキーに見えるが、実際には人民委員会における劉勲の力はさほど強くは無い。儒教の影響の強い中華では『年上を敬え』、つまりは年功序列が重視される。従って年齢も若く、ほぼ一代で成りあがった彼女の影響力は、おのずと限定される。

 

 

 結果として、劉勲は常に人民委員会の意向を伺わざるを得ないだろう。敵対的な行動をとれば最悪、書記長職の剥奪すらあり得る。となれば劉勲は権力を掌握するどころか、むしろ体のいい手足として人民委員会にコキ使われる可能性の方が高い。加えて最終的な決定権が人民委員会にあるとなれば、他の人民委員も強く反対は出来まい。

 それでも納得しなれば、更なる譲歩として書記長の任期を短縮。反乱分子の粛清と同時に用済みとなった劉勲を排除するならば、異論はないはず――それが、張勲の読みだった。

 

 

 

「大丈夫、劉勲さんならきっと出来ますよ。」

 

「また随分と古典的なセリフを…………まぁ、アタシも最近使ったような気がするけど」

 

 『大丈夫だ、キミになら出来る』というのは長い歴史と伝統を持つ殺し文句だ。事実、多くの人間がこの言葉に惑わされ、その身を滅ぼしていった。そして言った方の人間は、いつだって安全地帯から眺めているだけなのだ。

 

「いえいえ、心配せずとも結構です。こう見えても私、劉勲さんの事は高く評価しているんですよ?」

 

「へぇ……例えばどんな所かしら? 人望?商才?忠誠心?それともカラダ?」

 

「――“理性”ですよ。」

 

 劉勲の皮肉に、張勲は少しばかり表情を緩めて応じる。

 

「劉勲さんは常に損得勘定を行い、決して自分の損になるような事はせず、合理的な判断に基づいて行動しています。そこに余計な感情の入り込む余地はありません。交渉相手として、これだけ信用できる相手は居ないでしょう。」

 

 

 世の中で他人の感情ほど、不確かで気まぐれなものは無いだろう。そもそも人は、自分の感情すら完全に把握しているとは言い難い。それが他人のものとなれば尚更だ。

 その事実は、日頃から袁術の支離滅裂な行動に振り回されている、袁家家臣が一番よく知っている。

 

 

 それは、普通ならば侮辱にあたる言葉なのかも知れない。だが劉勲は、そんな張勲の言葉に思わず口元を緩めてしまう。どんな理由であれ、彼女は間違いなく自分を一人の人間として認めていたからだ。

 

 

「利益が無ければ、劉勲さんは動かない。逆に言えば、利益以外では決して動かない。動けない……まさしく商人の鑑ですね。そんな風に、人の死を統計上の数字と割り切れるような劉勲さんだからこそ、この仕事を誰よりうまくやれる――私はそう信じています。」

 

 

「はぁ……アナタ、本当にいい性格してるわね。そんなに頭が回るんなら、自分で仕事しなさいよ。」

 

 武芸も献策も人並みで、やや力不足感のある側近……それが張勲の一般的な評価だ。。しかし目の前にいるこの女からは、そんな風評は感じ取れない。彼女がもし違う環境に生まれていれば、『王佐の才』として持て囃されていた事だろう。

 

 だが、張勲は迷うことなく口を開く。

 

 

「仕事も大事ですけど……私にとっては、美羽様が全てですから。」

 

 

 恥ずかしげも無く、躊躇いも無く。張勲は断言した。

 

「私が権力闘争にかまけていたら、誰が美羽様の世話をするんです?」

 

「……。」

 

「私も昔は、剥き出しの刃物みたいな時があったんですけどね。周囲に形振り構わず、ただ権力と出世だけを求めるような。」

 

 その声には若干の疲れが滲んでおり、どこか切なげにも見える。まだ若いのに、まるで人生に疲れたような、そんな憔悴感があった。

 

 

「……でも、権力は私を幸せにしてくれませんでした。権力なんて、張り子の虎のようなものです。外見は立派でも、中身はひどく脆い。」

 

 張勲は何かを振り払うように息を吸い、劉勲に向けて淡く微笑む。

 

「そんな張りぼての栄光より、私は美羽様の笑顔を大切にしたい。

 私にとって権力は、その為の『手段』であって『目的』では無いんです。」

 

 

 

 張勲にとって権力とは、袁術を守る為のもの。それ以上でも、それ以下でも無い。だからこそ彼女は、表舞台に立たないし、立つ気も無い。故に劉勲という、ある意味での身代わりを必要とする。

 

 つまるところ、これは取引なのだ。

 劉勲は成功と出世、そして権力への近道を。

 張勲は、劉勲という隠れ蓑、そしてスケープゴートを。 

 

 

「なるほどね…………いいでしょう。さっきの話、受けるわ。」

 

 結局、張勲は終始一貫して袁術の為に、全てを操っているに過ぎない。彼女の中では、本人も含めて全てが盤上のゲームの駒。目的と優先順位がハッキリしていれば、それ以外は全部割り切れる。つまり何が起ころうとも“王”さえ取られなければ、彼女の勝ちなのだ。

 ――逆説、袁術をどうこうする気が無ければ、張勲は脅威足り得ない。それゆえ劉勲は、彼女を信じる事にした。

 

 

「では、了解ということで?」

 

「ええ。ただ、ひとつ言っておくケド……優秀な商人が優秀な臣下とは限らないわよ?」

 

 目には目を、歯には歯を。諧謔には諧謔で。商人いえども損にならない程度のプライドはある。同時にそれは蜂蜜姫を支える忠臣に向けた、劉勲なりの敬意。

 なればこそ――張勲は茶目っけたっぷりに、不敵な笑みを浮かべてこう言った。

 

 

「いつの時代だって、王の傍にはお抱えの商人がいるものですよ。」

 

 

 いかなる状況だろうと、商人は打算的で強欲だ。そしてそんな彼らを巧みに御し、王を支えるのは臣下の務めなのだ。

 

 

 

「フッ……そうね。その通りだわ。」

 

 劉勲はそう言うと、張勲に負けず劣らずの笑顔を返す。

 確かに、張勲は自分を利用している。口先で都合のよい事を言う一方で、腹の中ではいつ切り捨てようか考えているのかも知れない。

 

 だが――それだけの価値はある。相手がこちらを利用するつもりならば、こちらはそれ以上に相手を利用するまで。どの道、もはや後には引けない。

 

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。損して得取れ。

 商人ならば、誰もが習う基本中の基本だ。リスクは避けるだけでなく、時として積極的に克服せねばならない。

 

 

「反乱分子の粛清、やるからには徹底的にやらせてもらうわよ?勿論、それなりの結果は出すつもりだけど。」

 

 にやり、と凄絶な笑みを浮かべた劉勲に、張勲は動じることなく頷いた。

 

「ええ、逆にそうでなくては困ります。あと、人民委員会の方には私から話を通しておきましょう。」

 

「では、さっそく始めるとしましょうか。すぐにでも準備したい事があるの。」

 

 そう言うと劉勲は扉に向かって歩き、最後にもう一度振り返る。

 相変わらず、いたって普通の部屋だ。いや、むしろ――()()()()()

 

 大抵の部屋には、何かしらその人の個性を表す小道具が置いてあるか、その人なりの配置がある。だが、張勲の部屋は全くの無個性――生活臭が感じられない。

 

 モノがあるのに、空っぽの部屋。

 感情の見えない張勲の笑顔。

 個性を否定するかのような空間。

 

 

 そこで、劉勲はふと思い出した疑問を口に出す。

  

「そういえば張勲、アタシからも一つ聞いていいかしら?」

 

「何ですか?」

 

「アタシの前任者は、どうやって書記長職に就いたのかしら?」

 

 劉勲のさりげない質問に、張勲は今まで違った微笑みを浮かべ、何でも無いように答えた。

 

「任期前後における袁家の不祥事。その全て(・ ・)を犯して、不当(・ ・)に権力の座についた――公式文書ではそうなっています。」

 

 改めて、張勲の実力を見誤っていたらしい。張勲の実務能力は依然として不明だが、少なくとも政治的センスは自分と同等か、それ以上だ。

 他者の反感を買いやすい政策論争などは、望ましい人物を支援する事で間接的に関与。自分は最後まで中道な穏健派を貫き、機を見て多数派の側につく。決して失点を見せない事で、誰を敵に回す事も無く現在の地位を保つ。

 

 口にすれば簡単だが、現実に実行できるのは卓越したセンスを持つ人間か、運の良い人間だけだ。張勲とて、伊達に袁術軍のトップをやっている訳では無い。

 

 

「書記長就任、おめでとうございます。頑張ってくださいね、劉勲さん。」

 

 

 かくして――ここに新たな書記長が誕生する。同時にそれは、単なる一名門でしかなかった袁家が、やがて『仲帝国』として変質してゆく事の前触れでもあった。

                      




 張勲が黒い……まぁ、原作やアニメでも黒い発言がちょくちょくありましたが。
 有能なんだか無能なんだかよく分からない人物ですが、袁術の世話をしつつ、曲がりなりにも名門袁家を統治してるので全くのダメ人間では無いと思います。

 後、すごくどうでもいいですけど、張勲の被ってる帽子って赤軍略帽(ピロートカ)っぽいような……

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